今日最初の話題は、今夏8月開催予定の【2637の会 クラス会】開催予定日3日間の参加表明者をお伝えします。
前《会報》にてお知らせしてから変化はない。
・08月11日(祝土)18時00分~:石田(義)✕、伊東○、菰田○、金子(哲)✕
・08月12日(日)11時30分~:石田(義)〇、伊東○、菰田○、金子(哲)△
・08月12日(日)18時00分~:石田(義)??、伊東○、菰田○、金子(哲)〇〔以上、mail到着順・敬称略〕
という状況です。
熟慮中の皆さん、上記3つの候補日時のご都合をお聞かせ下さいネ。
朗報をお待ちしています。
■さて、今日『猿蓑』〔巻之五〕連句集は〔第15回〕目。今回は「夏の部」の第6回目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第57句~60句をお届けする。
では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第21句目からの4句をご覧頂きたい。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第57句~60句をお届けする。
では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第21句目からの4句をご覧頂きたい。
猿蓑集 巻之五
57 追(おっ)たてゝ早き御馬(おんま)の刀持(かたなもち) (去)來
【意】足袋を汚し乍ら走っていくのは、馬で駆けていく主人を追う刀持ちの従者/刀を担(かつ)いで走っていく
57 追(おっ)たてゝ早き御馬(おんま)の刀持(かたなもち) (去)來
【意】足袋を汚し乍ら走っていくのは、馬で駆けていく主人を追う刀持ちの従者/刀を担(かつ)いで走っていく
【解説】前句の「足袋ふみよごず人」を、「早馬に遅れまいと急ぐ徒(かち)の従者の刀持」と見た付句/
真蹟草稿は「お馬には やり持(もち)独(ひとり)付(つけ)ぬらむ」/
「追(おひ)たてゝ早き」は馬上の主が馬を早く駆(かけ)る意/
幸田露伴『評釈 猿蓑』は「刀持は殿に従ひて其刀を持てる者、御馬は殿の其馬上にあることも明らかなるが、一句拙く碎けて、後の床屋俳諧に似たり。前句へのかゝりも妙無きにちかし」と評す
真蹟草稿は「お馬には やり持(もち)独(ひとり)付(つけ)ぬらむ」/
「追(おひ)たてゝ早き」は馬上の主が馬を早く駆(かけ)る意/
幸田露伴『評釈 猿蓑』は「刀持は殿に従ひて其刀を持てる者、御馬は殿の其馬上にあることも明らかなるが、一句拙く碎けて、後の床屋俳諧に似たり。前句へのかゝりも妙無きにちかし」と評す
58 てつ稚(ち)が荷(にな)ふ水こぼしたり (凡)兆
【意】風のように駆けていく侍主従の姿に驚いた丁稚が、びっくりした拍子に担いでいたバケツの水をこぼして仕舞ったので一層道はぬかるんだ。
【解説】此の句の主語は「でつち(丁稚)」/前句に対して向付(むかひづけ)(注1)となる/
真蹟草稿は「わつぱがこゑを打(うち)こぼしけり」/
『去来抄』(先師評)に、この句について、「初(はじめ)は糞(こゑ)なり。凡兆、尿糞の事申(まうす)べきか。
先師曰、嫌(いとふ)べからず。されど、百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからむ。凡兆、水に改(ム)」とある
幸田露伴『評釈 猿蓑』では「駛(はや)り馬にあひて水こぼしたるは聞えたれど、興も乏しく、前句と同じく床屋俳諧の祖となれるものなり」と、厳しい評価をしている
(注1)向付(むかひづけ):俳諧の付合(つけあひ)の一つ/前句中から趣向を求めず、別の方面から求めて対立させ、しかも前句に連ねる様に付けること
【意】風のように駆けていく侍主従の姿に驚いた丁稚が、びっくりした拍子に担いでいたバケツの水をこぼして仕舞ったので一層道はぬかるんだ。
【解説】此の句の主語は「でつち(丁稚)」/前句に対して向付(むかひづけ)(注1)となる/
真蹟草稿は「わつぱがこゑを打(うち)こぼしけり」/
『去来抄』(先師評)に、この句について、「初(はじめ)は糞(こゑ)なり。凡兆、尿糞の事申(まうす)べきか。
先師曰、嫌(いとふ)べからず。されど、百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからむ。凡兆、水に改(ム)」とある
幸田露伴『評釈 猿蓑』では「駛(はや)り馬にあひて水こぼしたるは聞えたれど、興も乏しく、前句と同じく床屋俳諧の祖となれるものなり」と、厳しい評価をしている
(注1)向付(むかひづけ):俳諧の付合(つけあひ)の一つ/前句中から趣向を求めず、別の方面から求めて対立させ、しかも前句に連ねる様に付けること
59 戸障子(としょうじ)もむしろがこひの賣屋敷(うりやしき) (芭)蕉
【意】〔雰囲気を変えて‥〕其の道には一軒の売家がある/
其の家は、往時の勢いを失い、藁囲(むしろがこ)いをして売り家の札を下げてい/
なんとも侘しい姿であることだ
【解説】売屋敷内にいい水が出る井戸でもあって、近所の人が勝手に汲みに来ると見た付/
幸田露伴『評釈 猿蓑』には「佳(よ)き水の井ある大屋敷の購入なくて久しきなり」とある
【意】〔雰囲気を変えて‥〕其の道には一軒の売家がある/
其の家は、往時の勢いを失い、藁囲(むしろがこ)いをして売り家の札を下げてい/
なんとも侘しい姿であることだ
【解説】売屋敷内にいい水が出る井戸でもあって、近所の人が勝手に汲みに来ると見た付/
幸田露伴『評釈 猿蓑』には「佳(よ)き水の井ある大屋敷の購入なくて久しきなり」とある
60 てんじやうまもりいつか色づく (去)來
【意】ヤツブサが秋になって色づいていく様に、この家も古びていくことだ
【解説】「てんじやうまもり」は、『天上守』と、「唐辛子の『八房(ヤツブサ)』」の別名である『テンジョウマモリ』の両者をかけている/
秋〔てんじやうまもり〕/真蹟草稿は「天上まぼり いろ付(つけ)にけり」
幸田露伴『評釈 猿蓑』には「神仏の守護札、門に貼るを門守りといひ、天井に貼り又は挿(さしはさ)むを『天井守り』といふ。
蕃椒(ばんしょう(=唐辛子の別称))は天井より吊下げて乾し貯へ置くを常とするものにて、〔中略〕謔称に『天井守り』といひ、訛りて天井まぶりともいふ。
此の句秋の季の什(じふ)にして、蕃椒の紅に色づきて売れぬ屋敷に遣り居たるを云へること論無けれども、天井守りといへる語を用ゐたるは前句の戸障子等に因みたるならん、
いつか色づくと云へるもをかし」とある
【意】ヤツブサが秋になって色づいていく様に、この家も古びていくことだ
【解説】「てんじやうまもり」は、『天上守』と、「唐辛子の『八房(ヤツブサ)』」の別名である『テンジョウマモリ』の両者をかけている/
秋〔てんじやうまもり〕/真蹟草稿は「天上まぼり いろ付(つけ)にけり」
幸田露伴『評釈 猿蓑』には「神仏の守護札、門に貼るを門守りといひ、天井に貼り又は挿(さしはさ)むを『天井守り』といふ。
蕃椒(ばんしょう(=唐辛子の別称))は天井より吊下げて乾し貯へ置くを常とするものにて、〔中略〕謔称に『天井守り』といひ、訛りて天井まぶりともいふ。
此の句秋の季の什(じふ)にして、蕃椒の紅に色づきて売れぬ屋敷に遣り居たるを云へること論無けれども、天井守りといへる語を用ゐたるは前句の戸障子等に因みたるならん、
いつか色づくと云へるもをかし」とある
【小生comment】
次号《会報》では「夏の部」の第7回(通算第16回)をお届けするのでお楽しみに!
■続いての話題は、07月14日に、月に一回の名古屋へ歯科健診に行って来たついでに拝観した2つの美術館、メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展と名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展についてである。
名古屋市東区にあるのでかかりつけの歯科医院としては一寸遠いが、初診は旧行時代の平成05年08月と記憶しているので、来月で満25周年となる。
お陰様で、歯科健診が奏功し、現在も親知らず全4本を抜いた他は奥歯4本が保険適用の「被せもの」だが、幸い全28本は健在である
其の日は、車で全て一般道を通って「メナード美術館」→「陣屋/昼食」→「歯科検診」→「名都美術館」と巡って来た。
次号《会報》では「夏の部」の第7回(通算第16回)をお届けするのでお楽しみに!
■続いての話題は、07月14日に、月に一回の名古屋へ歯科健診に行って来たついでに拝観した2つの美術館、メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展と名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展についてである。
名古屋市東区にあるのでかかりつけの歯科医院としては一寸遠いが、初診は旧行時代の平成05年08月と記憶しているので、来月で満25周年となる。
お陰様で、歯科健診が奏功し、現在も親知らず全4本を抜いた他は奥歯4本が保険適用の「被せもの」だが、幸い全28本は健在である
其の日は、車で全て一般道を通って「メナード美術館」→「陣屋/昼食」→「歯科検診」→「名都美術館」と巡って来た。
08時45分 拙宅発→〔一般道87km〕→
12時15分 メナード美術館着『え! からはじまる、ストーリー』展
【メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展】
[01]メナード美術館入口にて
12時40分 メナード美術館発→〔一般道12km〕→
13時05分 らあめん専門店『陣屋』着
[10]陣屋自慢のらあめん「味噌チャーシュー」←ムチャ美味!
[11]陣屋の入口にて
13時25分 陣屋発→〔一般道 0.6km〕→
13時30分 歯科医院着
14時00分 歯科治療
14時30分 歯科医院発→〔一般道 13km〕→
15時00分 名都美術館着『富山県水墨美術館所蔵名品展/墨に五彩あり』展
12時15分 メナード美術館着『え! からはじまる、ストーリー』展
【メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展】
[01]メナード美術館入口にて
[02]本企画展leaflet(表面)
[03]同上(裏面)
[04]Dante Gabriel
Rossetti『肖像(A Portrait)』1869年
[05]Henri-Edmond
Cross『木陰のある浜辺(The leafy
Shaded Beach)』1902年
[06]Henri Matisse『コリウール(Landscape at Collioure)』1905-06年頃
[07]Lyonel
Feininger『プロポーズ(The
Proposal)』1907年
[08]Maurice de
Vlaminck『花瓶の花(Vase of
Flowers)』1905-06年頃
[09]Gerhard
Richter『アブストラクト・ペインティング(Abstract
Painting)』1992年
12時40分 メナード美術館発→〔一般道12km〕→
13時05分 らあめん専門店『陣屋』着
[10]陣屋自慢のらあめん「味噌チャーシュー」←ムチャ美味!
[11]陣屋の入口にて
13時25分 陣屋発→〔一般道 0.6km〕→
13時30分 歯科医院着
14時00分 歯科治療
14時30分 歯科医院発→〔一般道 13km〕→
15時00分 名都美術館着『富山県水墨美術館所蔵名品展/墨に五彩あり』展
【名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展】
本企画展は、前期展を06月02日に見ていて、《会報》【0708】にてご紹介している。
http://si8864.blogspot.com/2018/06/26-0708-805120601stradivarius-summit.html ←此処をclick して下さい
[12]名都美術館入口にて
15時30分 名都美術館発→〔一般道 65km〕→
17時35分 拙宅着
【小生comment】
訪れた2つの美術館、メナード美術館も名都美術館もなかなかの名品揃いであった。
名画ってホントいいと思う。!o(^-^)♪
本企画展は、前期展を06月02日に見ていて、《会報》【0708】にてご紹介している。
http://si8864.blogspot.com/2018/06/26-0708-805120601stradivarius-summit.html ←此処をclick して下さい
[12]名都美術館入口にて
[14]竹内栖鳳『烏図屏風』1899年
[15]石崎光瑤『花鳥の図』1935年
[16]川端龍子『桜夜』1938年
[17]川端龍子『寒雷』制作年不詳
15時30分 名都美術館発→〔一般道 65km〕→
17時35分 拙宅着
【小生comment】
訪れた2つの美術館、メナード美術館も名都美術館もなかなかの名品揃いであった。
名画ってホントいいと思う。!o(^-^)♪
■今日最後の話題は、07月21日(土)に、豊川市桜ヶ丘ミュージアム→豊橋市美術博物館→田原市博物館→豊橋市二川宿本陣資料館と、4つの美術館&博物館を巡って来たことについてである。
其の日も酷暑だったが、「家にジッとしているのは勿体ない」と思った小生、近隣で開催中の4つの美術&博物館を巡って来た。
ただ、お伝えする volumeが多いので、本《会報》:前編「桜ヶ丘ミュージアム」「豊橋市美博」と次回《会報》:後編「田原市博」「二川宿本陣」の2回に分けてお伝えする。
其の日も酷暑だったが、「家にジッとしているのは勿体ない」と思った小生、近隣で開催中の4つの美術&博物館を巡って来た。
ただ、お伝えする volumeが多いので、本《会報》:前編「桜ヶ丘ミュージアム」「豊橋市美博」と次回《会報》:後編「田原市博」「二川宿本陣」の2回に分けてお伝えする。
08時40分 拙宅発→〔一般道11km 23分〕→
09時05分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム着
09時08分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展
09時05分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム着
09時08分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展
【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展】
豊川海軍工廠の大空襲は、昭和20年08月07日、グァム島基地、テニアン島西基地、同島北基地、サイパン島イスレイ基地の各米軍基地を発したB29戦略爆撃機124機と護衛のP51戦闘機100機(目的地到達は97機)が飛来。
10時13分~10時39分の26分間に500ポンド爆弾(添付写真ご参照)を3,256発投下し、その8割以上が海軍工廠敷地内に正確に着弾した。
学徒動員の学生を含め2,500人以上が犠牲となり、1万人以上が負傷したという。
昭和06年03月生まれの小生の亡母(平成16年没)も学徒動員で、此の海軍工廠で銃弾製造に携わって、この大空襲に遭遇した。
母は、本能的に「街に逃げては駄目、山(本宮山)に逃げないと!」と必死に走って本宮山に向かって逃げた。
逃げる途中、爆弾がすぐ傍に落ちて、咄嗟に地面に伏せたら、爆弾が母の直ぐ後ろ側に着弾した。
そうしたら、爆弾の破片が自分の頭上を通り過ぎて行き、自分は命拾いした代わりに自分より先を走って逃げていた人々に当たって沢山の方々が亡くなられたと言っていた。
2006(平成18)年、豊橋市制施行100年記念に上映された浅丘ルリ子主演の映画『早咲きの花』でも豊川海軍工廠爆撃の模様を再現した。
其の時、小生の高校の同窓同期のS(旧姓K)さんは母親同士が高女の同窓同期なのだが、其の海軍工廠空襲の時の話をしたことがある。
Sさんが「(『早咲きの花』を見ていた)母が、あの時の(=豊川海軍工廠の)爆撃なんてあんなもんじゃない、もっと酷かった」と言っていたワ」と言っていたことが記憶にある。
07月21日(土)の夜は、当地豊橋は、祇園祭の花火大会だったが、亡母から「花火が上がる際に鳴る「ヒュルヒュル‥」という音を聞く度に、海軍工廠で受けた爆撃弾が落下して来る時の音を思い出して怖くてたまらない」と何度か聞かされたことを覚えている。
今の平和な日本は、先人の方々の犠牲の上にあることを我々は忘れてはなるまい。
豊川海軍工廠の大空襲は、昭和20年08月07日、グァム島基地、テニアン島西基地、同島北基地、サイパン島イスレイ基地の各米軍基地を発したB29戦略爆撃機124機と護衛のP51戦闘機100機(目的地到達は97機)が飛来。
10時13分~10時39分の26分間に500ポンド爆弾(添付写真ご参照)を3,256発投下し、その8割以上が海軍工廠敷地内に正確に着弾した。
学徒動員の学生を含め2,500人以上が犠牲となり、1万人以上が負傷したという。
昭和06年03月生まれの小生の亡母(平成16年没)も学徒動員で、此の海軍工廠で銃弾製造に携わって、この大空襲に遭遇した。
母は、本能的に「街に逃げては駄目、山(本宮山)に逃げないと!」と必死に走って本宮山に向かって逃げた。
逃げる途中、爆弾がすぐ傍に落ちて、咄嗟に地面に伏せたら、爆弾が母の直ぐ後ろ側に着弾した。
そうしたら、爆弾の破片が自分の頭上を通り過ぎて行き、自分は命拾いした代わりに自分より先を走って逃げていた人々に当たって沢山の方々が亡くなられたと言っていた。
2006(平成18)年、豊橋市制施行100年記念に上映された浅丘ルリ子主演の映画『早咲きの花』でも豊川海軍工廠爆撃の模様を再現した。
其の時、小生の高校の同窓同期のS(旧姓K)さんは母親同士が高女の同窓同期なのだが、其の海軍工廠空襲の時の話をしたことがある。
Sさんが「(『早咲きの花』を見ていた)母が、あの時の(=豊川海軍工廠の)爆撃なんてあんなもんじゃない、もっと酷かった」と言っていたワ」と言っていたことが記憶にある。
07月21日(土)の夜は、当地豊橋は、祇園祭の花火大会だったが、亡母から「花火が上がる際に鳴る「ヒュルヒュル‥」という音を聞く度に、海軍工廠で受けた爆撃弾が落下して来る時の音を思い出して怖くてたまらない」と何度か聞かされたことを覚えている。
今の平和な日本は、先人の方々の犠牲の上にあることを我々は忘れてはなるまい。
[18]山本眞輔『街の朝』1994年の彫像前にて
....................................................
[19]豊川市桜ヶ丘ミュージアム入口前にて
添付写真[26]の表は、八七会発行『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より一部改変して引用した資料だが、現在も実数は不明
09時35分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム発→〔一般道8.7kn 18〕分→
10時05分 豊橋市美術博物館着
10時07分 豊橋市美術博物館『岸田劉生展&みかわの城』展
....................................................
[19]豊川市桜ヶ丘ミュージアム入口前にて
[20]本企画展leaflet
[21]展示された米軍500ポンド爆弾の横にて
[22]米軍500ポンド爆弾の破片
[23]豊川海軍工廠大空襲:『空襲の計画』『昭和20年8月7日』解説板
[24]同:『空襲による被害』『空襲を受け破壊された工廠の様子/写真』解説板
[25]豊川海軍工廠に学徒動員した学校(『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より)
[26]豊川海軍工廠 従業員数(昭和20年8月頃)
添付写真[26]の表は、八七会発行『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より一部改変して引用した資料だが、現在も実数は不明
[27]豊川海軍工廠 でのレンズ研磨作業風景
09時35分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム発→〔一般道8.7kn 18〕分→
10時05分 豊橋市美術博物館着
10時07分 豊橋市美術博物館『岸田劉生展&みかわの城』展
【豊橋市美術博物館『岸田劉生展&みかわの城』展】
『岸田劉生』展は、彼の37年という短い生涯ではあるが、日本の近代洋画界にその名を残した巨匠としての生涯を見ることが出来るなかなか優れものの企画展であった。
ご当地の老舗書店「豊川堂(ほうせんどう)」現社長の大叔父に当たる画家・高須光治(みつじ)氏が劉生の家を訪ねたのは、光治氏が17歳の1915年だという。
[28]豊橋市美術博物館入口前にて
【後記】ほんと、毎日猛暑が続いています。お互い確り休養と栄養と水分を摂って夏バテを防ぎましょう!
「2637の会members」の皆さん、8月の11日(土)か12日(日)のクラス氣での再会を楽しみにしています。
朗報をお待ちしています。
ご当地の老舗書店「豊川堂(ほうせんどう)」現社長の大叔父に当たる画家・高須光治(みつじ)氏が劉生の家を訪ねたのは、光治氏が17歳の1915年だという。
[28]豊橋市美術博物館入口前にて
[29]同館内で2つの企画展
banner 前にて
[30]企画展『みかわの城』入口前にて
[31]企画展『岸田劉生』展leaflet
[32]同『みかわの城』leaflet
[33]岸田劉生『落合村ノ新緑』1907年(東京国立近代美術館蔵)
[34]同『虎ノ門風景』1912年(東郷青児記念
損保ジャパン日本興亜美術館蔵)
[35]同『日比谷の木立』1912年(下関市立美術館蔵)
[36]同『自画像』1913年(下関市立美術館蔵)
[37]同『武者小路実篤像』1914年(東京都現代美術館蔵)
[38]同『高須光治君之肖像』1915年(豊橋市美術博物館蔵)
[39]同『椿君に贈る自画像』1914年(東京都現代美術館蔵)
[40]同『静物(物質可愛)』1923年(刈谷市美術館蔵)
[41]同『路傍初夏』1920年(埼玉県立近代美術館蔵)
[42]同『石垣のある道(鵠沼(くげぬま)風景)』1921年
[43]企画展『みかわの城』/吉田城の構造 地図
[44]同/織田信長と吉田城
[45]同/東海の名城・吉田城
【後記】ほんと、毎日猛暑が続いています。お互い確り休養と栄養と水分を摂って夏バテを防ぎましょう!
「2637の会members」の皆さん、8月の11日(土)か12日(日)のクラス氣での再会を楽しみにしています。
朗報をお待ちしています。
クラス会 皆(みな)で猛暑を 吹き飛ばさむ! 悟空
では、また‥〔了〕
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