2018年10月24日水曜日

【時習26回3-7の会 0728】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第28回〕』」「10月06日:『浜松城』→浜松市美術館『山寺 後藤美術館所蔵店/西洋絵画の世界屋』展→浜松市秋野不矩美術館『秋野不矩 美の殿堂lll~インドの街並みを望む~』展→『二俣城址』展を見て巡って」「10月20日:『豊橋まつり 総おどり』に参加して」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0728】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。今回は通算〔第28回〕目で、「冬の部」「夏の部」「秋の部」の順に夫々4句×9回の36句ずと累計で108句ご紹介してきた。今回からは、残る四季「春の部」を4句×9回=36句を series でお届けする。
 其れでは「春の部」の〔第1回〕、「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第109句~112句をご覧頂きたい。
「春〔梅若菜〕」の連句全36句の第1句目から4句をごゆっくりどうぞ!

  猿蓑集 巻之五

   餞乙刕東武行         芭蕉

109 梅若菜(うめわかな)まりこの宿(しゅく)のとゝろ汁  (芭蕉)

【意】此れから貴方が下っていく東海道には、新春のことだから梅花が咲き、川辺には水菜が茂っている /
あの駿河国鞠子(=(丸子)まりこ)の宿には名物「丁字屋のとろろ汁」もあって、旅路を楽しませてくれることだろう
【解説】元禄4年正月、大津滞在中の芭蕉が江戸に下向する門人乙州に催した餞別の作 /
 20句迄は近江で興行し、21句~32句の12句は、芭蕉が伊賀上野に帰郷した折、同地の連衆で継ぎ、名残の4句は京で継ぎ、満尾せしめたものとみられる
「此句、師のいはく、工(たく)みて云(い)へる句にあらず。ふといひて、宣(よろ)しとあとにてしりたる句也(なり)。かくのごとくの句はまたせんとは云ゝがたしと也。東武に赴く人に対しての□也。梅、若菜と興じて、鞠子の宿には、といひはなして当てたる一体なり」と、土芳『三冊子』(赤)に芭蕉の言葉として記されている
 2015年01月31日付《会報》【0534】「1月24日:丸子宿(鞠子宿)『丁子屋のとろろ汁』を食して」を以下URLにてご高覧頂きたい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/2605340124-5ed1.html ←此処をclick願います

110 かさあたらしき春の曙(あけぼの)  乙刕(=乙州)

【意】旅傘も新調した / 季節も新たな春の曙(あけぼの)だ
【解説】前句に対して、乙州本人から「(江戸の向けての)‥潔く門出する心地をあらはしたり〔幸田露伴『評釈 猿蓑』〕‥」という返答の脇句

111 雲雀(ひばり)なく小田(おだ)に土持(つちもつ)(注1)比(ころ)なれや  珍碩

【意】雲雀(ひばり)が鳴いて、田には土入れの季節が遣って来た
【解説】—
(注1)土持(つちもつ):冬の間に減ってしまった土や腐葉土を運び入れる作業のこと

112 しとぎ(注1)祝(いは)ふ(=う)て下(くだ)されにけり  素男

【意】―
【解説】春の田おこしに地主が小作百姓に餅を振舞ったのであろう
(注1) しとぎ「粢」:神祭に備える楕円形の餅 / 此処では単に農家の耕し初め、田仕事初めの祝いとしての餅のこと

【小生comment】
 猿蓑も此の「春の部」の109~144句迄の36連句を残すだけとなった。
 暫くの間、お付き合いのほどを宜しく!

■続いての話題は、10月06日(日)に浜松市内の『浜松城』→浜松市美術館『山寺 後藤美術館所蔵店/西洋絵画の世界屋』展→浜松市秋野不矩美術館『秋野不矩 美の殿堂lll~インドの街並みを望む~』展→『二俣城址』展と、2つの城(址)と2つの美術館を巡って来た模様についてお伝えする。
 今(10月06)日から三連休!
 家に居るのは勿体ないと思った小生、浜松市美術館と秋野不矩美術館を見て来ることにした。
 
08時35分 拙宅発→一般道38㎞→
09時25分 浜松市役所駐車場着

【浜松城】

[01]浜松市役所隣から浜松城をbackに

[02]浜松城天守閣をbackに
                  
[03]浜松市美術館入口にて

[04]同美術館内の本企画展看板前にて
                  
[05]本丸の一角にある「若き日の徳川家康公像」

[06]玉松城天守閣の野面積みの石垣
                  

 浜松城以前は、曳馬(引馬・引間(ひくま))城と呼ばれた。室町中期の武将、今川貞相(さだすけ(生没年不詳))が初めて築城と云わる。
 その後、今川氏親(1473-1526)の家臣 飯尾氏が此の地を領した。
 1514(永正11)年 飯尾乗連(or彼の父 賢連)城主になったと伝わる。
 1568(永禄11)年 徳川家康(1543-1616)が曳馬城を後略。
 1570(元亀元)年 家康は武田信玄の侵攻に備えるべく本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬に移し(岡崎城は嫡男・信康に譲った)、浜松城を名を改めた。
 1573(元亀03)年 1573年)、家康は、三方ヶ原の戦で武田信玄に大敗。浜松城へ逃げ帰った家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行い、奇跡的に難を逃れた。
 1586(天正14)年 家康は浜松から駿府に本拠を移した。家康が浜松に在城したのは29歳から45歳までの17年に及んだ。
 1590(天正18)年 秀吉の家臣 堀尾吉晴(1543-1611)と次男忠氏(1578-1604)が関ケ原の戦後、松江藩に移封になる迄の二代11年間在城。
 1601(慶長06)年 松平(桜井)家(譜代 5万石) 1代 松平忠頼
 1609(慶長14)拈 水野家(譜代 2万5000石→3万5000石) 1代 水野重央(しげなか)
 1619(元和05)年 高力家(譜代 3万5000石) 1代 高力忠房
 1638(寛永15)年 松平(大給)家(譜代 3万5000石) 1代 松平乗寿(のりなが)
 1644(正保元)年 太田家(譜代 3万5千石→3万2000石) 1代 太田資宗(すけむね)→ 2代 太田資次(すけつぐ)
 1678(延宝06)年 青山家(譜代 5万石) 1代 青山宗俊(むねとし)→ 2代 青山忠雄(ただお)→ 3代 青山忠重
 1702(元禄15)年 松平(本庄)家(譜代 7万石) 1代 松平資俊(すけとし)→ 2代【松平資訓(すけくに)】
 1729(享保14)年 松平(大河内・長沢)家(譜代 7万石) 1代 松平信祝(のぶとき)(注1)→ 2代 松平信復(のぶなお(1719-68)(注2))
 (注1)信祝の曾祖父が松平信綱(1596-1662) / 信綱は、知恵伊豆と呼ばれた家光・家綱時代の幕閣の重鎮
 1638(寛永15)年03月 幕府軍総大将として島原の乱を平定
 同年11月に土井利勝(1573-1644)と酒井忠勝(1587-1662)が大老になると、信綱は老中首座になり幕政を統括
 (注2)松平信復は、信祝の長男 / 1744(延享元)年 06月 浜松藩主を継ぐ /
 1749(寛延02)年 10月 浜松藩から三河吉田藩に転封 / 1752(宝暦02)年 07月 藩校【時習館】を設立
 1749(寛延02)年 松平(本庄)家(譜代 7万石) 1代【松平資訓:浜松藩主に再封される】→ 2代 松平資昌(すけまさ)
 1758(宝暦08)年 井上家(譜代 6万石) 1代 井上正経(まさつね)→ 2代 井上正定(まささだ)→ 3代 井上正甫(まさもと)
 1814(文化14)年 水野家(譜代 6万石→7万453石→5万石) 1代 水野忠邦(1794-1851)→ 2代 水野忠精(ただきよ)
 1845(弘化02)年 井上家(譜代 6万石) 1代 井上正春(まさはる)→ 2代 井上正直(まさなお(1837-1904))
 浜松城は明治維新後に廃城となり破壊された
 1950(昭和25)年 浜松城址は「浜松城公園」となる
 1958(昭和33)年 鉄筋コンクリート製の復興天守が再建され現在に至る

【浜松市美術館『ドラマティック! 西洋絵画の世界』展】
 本企画展は、山形市山寺にある「山寺 後藤美術館」所蔵の西洋絵画のcollection展である
 本企画展の粋の計らいは、第二章と第四章の部屋が撮影可能であったことだ
 
 第一章/神話・聖書・文学
 第二章/美しさと威厳【撮影可】

[07]館内の絵画の前にて

[08]ジャン=マルク・ナティエ(伝)(Jean-Marc Nattier(1685-1766)(attributed to)『落ち着いた青色の眼(La robe blue somber)』1746年
                  
[09]Sir John Everett Millais(1829-96)『クラリッサ(Clarissa)』1887年

[10]同上の横にて
                  
[11]Henri Fantin-Lauour(1836-1904)『犬と遊ぶ二人の少女』1870-73年頃

[12]William-Adolphe Bouguereau(1825-1905)『愛しの小鳥(L’oiseau cheri)』1867年
                  
[13]エティエンヌ・アドルフ・ピオ(Etienne Adolphe Piot)(?-1910(?))『花売りの娘(La bouquet wire)』

[14]August von Heckel(1824-83)『神よりの授かりもの(Don de Dieu)』1885年
                  

 第三章/生物―見つめる

[15]Jacob van Ruisdael(1628/29-82)『小川と森の風景』

[16]Jean-Baptiste Corot(1796-1875)『サン=二コラ=レ=ザラス(Saint-Nicolas-Lez-Arras)の川辺』1855-65年
                  
[17]同上の横にて

[18]Jean-Baptiste Corot(1796-1875)『サン=ロー(Saint-Lo)近くの丘と牧場』1855-65年
                  
[19]Jean-Baptiste Corot(1796-1875)『水車小屋のある水辺』1855-65年

[20]Gustave Courbet(1819-77)『ピュイ・ノワール渓谷(Le Puits Noir)』1865年
                  
[21]Gustave Courbet(1819-77)『波(La vague)』1874年


 第四章/風景と日々の営み【撮影可】
[22]山寺 後藤美術館の案内パネル
                  

10時10分 浜松市役所駐車場発→一般道25㎞ 48分→
10時58分 浜松市秋野不矩美術館駐車場着

【浜松市秋野不矩美術館『第3回 秋野不矩 美の殿堂lll 〜インドの街並みを望む〜』展】

[23]浜松市秋野不矩美術館駐車場近くの本企画展案内看板前にて

[24]浜松市秋野不矩美術館前にて1
                  
[25]同上2

[26]秋野不矩(1908-2001)『廻廊の壁画』1986年
                  
[27]秋野不矩(1908-2001)『土の家(C)』1987年

[28]秋野不矩(1908-2001)『ウダヤギリ僧房ll』1992年
                  
[29]秋野不矩(1908-2001)『村落(カジュラホ)』1994年           

 此の post card が此の美術館での昨年売り上げNo.1!

11時30分 浜松市秋野不矩美術館発→一般道1.2km 7分

【二俣城跡】

[30]二俣城址入口にて
                  
[31]二俣城跡 本丸入口にて

[32]同 天主閣石垣前にて1
                  
[33]同 同上


12時00分 二股城址発→一般道48km 1時間20分→
13時20分 帰宅 / 走行距離 計 113km〔了〕

【小生comment】
 今日も楽しい美術館と城跡巡りが出来て幸せだった!
 野分後も  凛と佇む 二俣城    悟空〔了〕

【後記】今日は、10月20日(土)18時30分~20時00分に、豊橋まつり総おどり に会社で参加した模様についてお伝えしてお別れします。

[34]会社で出陣式における全体写真1
                  
[35]同上2

[36]総おどりの集合場所広小路通りでの two shot !
                  
[37]総おどり 終了時の全体写真


 豊橋まつり は昔からあるけど、総おどり は1960年から始まった
 1996年から、会場を其れ迄の広小路に加えて、豊橋駅前大通を歩行者天国にしてから規模が大々的になった
 地元の町内会、市民団体、企業の社員等の約2万人が一緒になって楽しく踊る一大 event になっている
 豊橋総おどり 楽しかった!                                                                     

 では、また‥〔了〕

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2018年10月18日木曜日

【時習26回3-7の会 0727】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第27回〕』」「10月05日:国立新美術館『ボナール』展→損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展→中村屋サロン美術館『會津八一』展を巡って見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0727】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。今回は通算〔第27回〕目で、「秋の部」の〔最終(9)回〕。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第105句~108句をお届けする。
  では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第33句目からの36句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

105 (ひる)ねぶる青鷺(あをさぎ)の身()のたふとさよ  ()

【意】世の中は「無常迅速」が定めだが、「我関せず」と、真昼間を無心に寝ている青鷺の姿こそ尊く感じる /

【解説】季語:青鷺は、後世は「夏」季に扱うが、此処では「雑」

106 しょろしょろ水に藺()(1)のそよぐらん  ()

【意】青鷺の眠っている小川では、藺草(イグサ)がいっぱい生えている
【解説】しょろしょろ水:ちょろちょろ流れる水の様
(1)():藺草(=イグサ) / 一名「鷺の尻刺」

107 糸櫻(いとざくら)(はら)いつぱいに咲(さき)にけり  ()

【意】枝垂桜が野原いっぱいに咲いている
【解説】季語:糸桜=「春」/「桜」は連句で通常「花」の句とはしない /
 しかし、此処では特別に、「花」の賞味があって、「花」の句と取り扱われた例〔去来抄 故実篇 参照〕

108 (はる)は三月(さんがつ)(あけぼの)のそら  ()

【意】時は春、三月(弥生)の曙(あけぼの)の空だ
【解説】―
 
  凡兆 九/ 芭蕉 九/ 野水 九/ 去来 九

【小生comment
 猿蓑もあと「春」の部の109144句迄の36連句を残すだけとなった。
 次回「春の部」〔第1回〕、通算〔第28回〕を乞うご期待!

■今日は、仕事で1005日に上京した際、3つの美術館の企画展を見て来た模様をお伝えする。
 其の日は、勤務先の主力取引銀行の中の2(IBJDBJ)10時半からと13時から説明をした。
 1445分に解放されて、国立新美術館『ピエール・ボナール』展→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展→中村屋サロン美術館『毒往の人 會津八一』展を巡って来た。

0846分 豊橋駅発→新幹線→
1011分 東京駅着
1027分 最初の銀行着
 
[01]平山郁夫『宇治平等院鳳凰堂』の横にて1

[02]同 同上2
                  
 此の絵は、同行1floorに掲示されていた
 
1305 2つ目の銀行着

[03]同行の32回応接室から皇居方面遠望


1445分 同行発→大手町駅→千代田線→乃木坂駅へ

[04]2つ目の銀行前にて
                  
[05]同行近くの monument 前にて


1512分 国立新美術館着

【国立新美術館『ピエール・ボナール』展】
 本企画展について、オルセー美術館・オランジュリー総裁のローランス・デ・カール(Laurence des Cars)の「ごあいさつ」から引用して紹介する。

「ピエール・ボナール(Pierre Bonnard(1867-1947))は、ナビ派の活動的な画家として、一時期 Japonism の装飾的な洗練さに魅せられ乍らも、生涯を通じて20世紀初頭の avant-gardes とは一線を画す独自の道を歩んだ。
 長きに亘り形象を描くことに拘(こだわ)りを持ち続けた彼は、19世紀から20世紀への転換期の重要な画家として、次第に再発見される様になり、今や20世紀の芸術に於ける彼の位置付けは、絶えず見直されている。
 ボナールは、何よりも光と色彩の比類なき巨匠として、後世に其の名を留めている。凝縮されたほんの一瞬の中に生を描き取ろうとした此の画家は、気に入った motif を光と色彩の移ろいの中で変化させる。〔中略〕此の画家の有名な最後の作品、即ち、尊厳と痛ましい程の美を湛えた「最期の(in extremis)」絵画である《花咲く almond の木》に到る迄、死の影がボナールに忍び寄る程に、彼の絵画は揺らめくのである。〔後略〕」

[06]地下鉄乃木坂駅よりの国立新美術館入口近くにて
                  
[07]国立新美術館内『ピエール・ボナール』展会場入口にて

[08]同美術館外の本企画展看板
                  
[09]ピエール・ボナール 1890

[10]同『黄昏(クロッケーの試合)1892
                  
[11]同『大きな庭』1895

[12]同『逆光の女性の頭部』1906
                  
[13]同『セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて』1911年頃

[14]同『猫と女性』1912
                  
[15]同『バラ色のローブを着た女』1918

[16]同『並木道』1918
                  
[17]同『静物(皿と果物)1921

[18]同『ノルマンディー風景』1925
                  
[19]同『浴盤にしゃがむ裸婦』1928

[20]同『果物、濃い調和』1930年頃
                  
[21]同『花』1933年頃

[22]同『花咲くアーモンドの木』1946-47
                  

1540分 国立新美術館発→六本木駅→大江戸線→都庁前駅へ
1625分 損保ジャパン日本興亜本社ビル着→同ビル42階へ

【東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展】
 本企画展について、主催者の「ご挨拶」から引用してご紹介する。
「この度、日本と Sweden の外交関係樹立150周年を記念し19世紀後半から20世紀初頭に活躍した Swedenを代表する画家 Carl Larsson(1853-1919)の画業と、妻カーリンと共に作り上げた理想の暮らしを紹介する展覧会を開催する。Carl Larsson は「日本は芸術家としての私の故郷である」という言葉を残している様に、日本美術の影響を受けた Japonism の画家である。
 Stockholm に生まれた Carl Larsson は王立美術学校に通る傍ら、雑誌や新聞、本の挿絵画家として働き始める。France 留学中にParis 郊外の芸術家村 グレー=シュル=ロワン(Grez-sur-Loing)で女性画家カーリン・ベーリエー(Karin Bergoo(1859-1928))と出会い結婚。画家としても大きな転期を迎え、印象派や JaponismArt Nouveau の影響を受けて、繊細な線描の水彩に拠る日常風景や暮らしを描く作風に変化する。Sweden 帰国後は、新しい芸術運動に参加し、のちに Stockholm の国立美術館やオペラ座等の壁画も手掛ける画家となった。
 1888年、Karin の父からダーラナ地方スンドボーン(Sundborn in Dalarna Country)にある家を譲り受けた夫妻は増改築を重ね、暮らしの中でアーツ・アンド・クラフツ運動(the Arts & Crafts movement)を実践した。〔後略〕」

[23]損保ジャパン日本興亜美術館が42floorにある損保ジャパン日本興亜本社ビル

[24]損保ジャパン日本興亜本社ビル前の損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展の看板前にて
                  
[25]損保ジャパン日本興亜本社ビル内の損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展leaflet群の前にて

[26]損保ジャパン日本興亜美術館内にsetされたGogh『ひまわり』のimitationの絵の前にて
                  
[27]本企画展leaflet

[28]カール・ラーション『家庭菜園で』1883得年
                  
[29]同『ダーラナ地方のランプのある室内』制昨年不詳

[30]同『Karinの命名日のお祝い』1899
                  
[31]同『自画像』1905

[32]同『史跡巡りをする夫婦』1905
                  
[33]同『アザレアの花』1906


1700分 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館発→西新宿駅→丸の内線→新宿駅へ
1710分 新宿中村屋ビル着→3階へ
1312分 中村屋サロン美術館着

【中村屋サロン美術館『独往の人 會津八一』展】
 本企画展について、図録の「はじめに」で、新潟市會津八一記念館 主査学芸員 喜嶋奈津代氏が次の様に紹介している。

「會津八一(1881-1956)は、新潟市出身で、誕生日(81)に因んで「八一」と名付けられた。會津の75年の生涯は書、歌、学問に異彩を放ち、各分野で卓越した業績を残す道程であった。會津の書に《独往》と揮毫した掛軸がある。「他人に頼らず自分の力で歩み進める」という意味は、會津の生き方を象徴した言葉である。會津の生涯を辿り乍ら、独自の視点で切り開いた学問と芸術について紹介してみたい」

[34]中村屋サロン美術館が3階にある新宿中村屋ビルBF入口にて
                  
[35]中村屋サロン美術館入口

[36]同上にて
                  
[37]會津八一の揮毫に拠る「中村屋」看板 1951 & 同じく「中村屋」1948-54

[38]會津八一『水仙図・はなすぎて』1947-56
                  
[39]會津八一書「あらしふく」&杉本健吉画『飛天図』1954

[40]會津八一『鉢・書籍』1929年〔油彩画〕
                  
[41]同『筆洗・水滴』1929年〔油彩画〕

[42]同『書帙(しょちつ)・燭台・マッチ箱』1929年〔油彩画〕
                  

1735分 中村屋サロン美術館発→JR新宿駅→中央線→東に京駅へ
1833分 東京駅発→新幹線→豊橋駅へ
1956分 豊橋駅着→自転車→
2040分 帰宅〔了〕

【小生comment
 ボナールもカール・ラーションも、Japonism の画家であることは興味深かった。
 ボナールは、見る度に高感度が up する画家である。
 會津八一の多彩ぶりに感銘を受けた。
 3つの美術館の企画展は、夫々面白く、楽しいひとときを過ごすことが出来た。

【後記】昨日(1017)の夕刻、横浜在住の愚娘が、孫息子と孫娘の動画を送ってくれた。
 其れをsnap shots にして Facebook up したものを2枚ご紹介して今日はお別れする。

[43]Facebook up した孫息子と孫娘


[44]同じく孫息子の snap shot
                  

 では、また‥〔了〕

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