2018年11月25日日曜日

【時習26回3-7の会 0732】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第32回〕』」「10月26~28日:視察旅行『JAXA(能代)→ねぶり流し館(秋田)→千秋公園(久保田城跡)→秋田港ポートタワーセリオン→角館〔武家屋敷・大村美術館〕→田沢湖→盛岡城跡→中尊寺(平泉)→瑞巌寺(松島)』に参加して~【視察最終(第3)日】」「11月10日:大垣市守屋多々志美術館『伊太利紀行』展→古川美術館『木村光宏〜山紫水明を描く〜』展→三菱UFJ銀行貨幣資料館『廣重/人物東海道&東海道張交図会』展→『とっておき! 日本画 correction』【前期】展を見て」「11月13日:『アシュケナージ 指揮 アイスランドS.O.& 辻井伸行(pf)演奏会』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0732】号をお届けします。
 1112日に既にお伝えしましたが、去る1110()に我等が【2637の会】の classmate である 鈴木淳司君が逝去されました。
 此処に改めまして、故 鈴木淳司君のご冥福をお祈りし致します。〔合掌〕
 
■さて、今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集の通算〔第32回〕目。
 其れでは「春の部」の〔第5回〕、「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第125句~128句をご覧頂きたい。
「春〔梅若菜〕」の連句全36句の第17句目~第20句の4句をご覧下さい!

  猿蓑集 巻之五

125 (やり)の柄()に立(たち)すがりたる花のくれ  去來

【意】—
【解説】季語:「花」= 春 /
「前句を海岸の街道と見て、その場の人を付たる也。鑓持の風情たり」〔猿蓑さがし〕
「敵ヲ追来テ見失フタル一騎駈ノ歩行武者トミセタリ」〔秘註俳諧七部集〕
「船のらんと待合て鑓に立すがりたるは、旅のつかれにして弥生の末に西国方の供なるにや」〔猿蓑付合考〕
 事程左様に、解釈は色々出来る処が、連句の楽しさの一つでもある

126 (はひ)まきちらすからしなの跡(あと)  ()

【意】畑では、農夫が芥子菜(からしな)の収穫した後の畑に灰を撒き散らしている
【解説】季語:「からしな」=
 
127 春の日に仕舞(しもふ)てかへる経机(きゃうづくえ)  正秀

【意】寺では彼岸会等の法会も終わり、僧侶たちが各々の院に帰って行くさま
【解説】—

128 店屋物(てんやもの)くふ供(とも)の手がはり  ()

【意】—
【解説】大法会の参詣に来た主人の従者・供侍らが入れ替わり立ち代わり、門前町で飲食して賑わっているさまを詠んだ /
「手がは(=)り」は繁忙のさま

【小生comment
 次回は、連句集の通算〔第33回〕目、「春の部」の〔第6回〕、全144句中の第129句~第132句、「春〔梅若菜〕」の連句全36句の第21句からの4句である。
 お楽しみに!

■続いての話題は、1026()28()に勤務先の関係で、二泊三日の視察旅行『JAXA(能代)→ねぶり流し館(秋田)→千秋公園(久保田城跡)→秋田港ポートタワーセリオン→角館〔武家屋敷・大村美術館『ルネ・ラリック:アール・デコ&ポショワール』展〕→田沢湖→盛岡城跡→中尊寺(平泉)→瑞巌寺(松島)』に参加して来た模様について、今回は【視察最終(3)日】目の模様についてご紹介する。

06:10 最終(1028)日は、早朝0610分、一旦ホテルを出て、徒歩数分の所にある 盛岡城跡公園 を訪れた。

 此処は、南部藩10万石(→幕末に20万石)の居城。
 公園の横には、櫻山神社と烏帽子岩があった。
 盛岡城跡公園の西側の道を徒歩で北上すること2-3分の所に、昨日見た 石割桜 があったのでもう一度確り見てホテルに帰った。
 時計を見たら 07:05 を指していた。
 
[01]盛岡城跡公園入口にて

[02]同公園入口「国指定史跡 盛岡城跡」案内看板にて
                  
[03]同公園 盛岡城跡 本丸入口にて

[04]本丸と二の丸を結ぶ渡雲橋〔本丸側から二の丸を望む〕
                  
[05]烏帽子岩(=兜岩)back

[06]烏帽子岩のいわれ
                  
[07]櫻山神社入口

[08]櫻神社にて
                  
[09]盛岡城跡三の丸北西にある亀ヶ池

[10]裁判所の庭にある「石割桜」前にて
                  
[11]「石割桜」の桜の太い幹に割かれた巨岩

桜の木が確りと岩を割り咲いているのが凄い!

09:30  中尊寺 着

 昨日と打って変わってカラリと晴れた好天!
 金色堂(通称:光堂)は、訪問時間が早かった所為か、空いていて lucky だった!
 金色堂は、国宝建築第1号だけあってホント素晴らしかった!〔←館内撮影禁止なので図録の表紙をご覧下さい〕
 松尾芭蕉が奥の細道で金色堂を詠んだ名句が実にいい

  五月雨の降(ふり)のこしてや光堂  芭蕉

[12]中尊寺金色堂
                  
 中尊寺の紅葉と緑の苔の美しさを堪能下さい!
 
[13]中尊寺 境内の秋の風景1

[14]同上2
                  
[15]同上3

[16]中尊寺 境内の秋の風景の中で
                  
[17]中尊寺 経蔵前にて

[18]松尾芭蕉の石碑の横にて
                  
[19]中尊寺 旧覆(おおい)堂の中にて

[20]中尊寺 金色堂をback
                  
[21]中尊寺 参道脇の紅葉

[22]中尊寺 本堂をback
                  
[23]中尊寺 弁慶堂をback

 歳をとった所為か、中尊寺 金色堂 で初めて 御朱印帳 なるモノを買って仕舞った‼

[24]中尊寺で買い求めた 御朱印帳
                  
[25]中尊寺の御朱印とお守り


今回の視察旅行 締め括りは、松島・瑞巌寺 である。

1245分 松嶋着
1250分 昼食は各人が数人単位で自由に摂った

 小生は「さんとり茶屋」という飯屋で「三陸めかぶ丼〔月〕」\1,300 を食した

[26]さんとり茶屋入口にて
                  
[27]「三陸めかぶ丼〔月〕」

 人気のお店で30分程待たされ、実際に食べることが出来たのは1325分だった

1350分 瑞巌寺へ

 軽快な話上手な guideさんの話は楽しかった

[28]瑞巌寺 入口の石碑
                  
[29]同 総門〔入口左側の水色の上着の女性が guideさん〕

[30]同 総門から本堂に到る参道にて
                  
[31]同 五大堂と松島の海

[32]同 五大堂にて
                  

 3.11 東日本大震災の時に発生した津波も、松島の島々と瑞巌寺の杉並木が防波堤となって、瑞巌寺は、本堂・庫裡は勿論、湾に突き出した 五大堂も無傷だったことは有名な話だ。
 其れにしても、外国人、特にアジア諸国(だと思われる)観光客が多いのには驚いた。

1530JR仙台駅発→東北新幹線 はやぶさ28号→
1804JR東京駅着
1833JR東京駅発→東海道新幹線 ひかり527号→
1957分 豊橋駅着〔了〕

【小生comment
 旧行時代仙台支店に4年勤務した懐かしい思い出の地を久しぶりに訪れることが出来て、懐かしさを堪能出来た本当に楽しい充実した33日の旅だった。

■今日最後の話題は、1110()に日帰りで 4つの美術館・資料館を巡って来た。

0635  拙宅発→一般道 135km 2時間50分→
0930  大垣市守屋多々志美術館『伊太利亜紀行』展

[33]大垣市守屋多々志美術館前にて

[34]本企画展leaflet
                  
[35]守屋多々志『パリスの審判 ギリシャ神話』1935

[36]同『フィレンツェ 花のサンタマリア寺』19560812
                  
[37]同『阿蘭陀正月』1965

[38]同『ポトマック河畔の福沢諭吉』1991年〔第76回 院展〕
                  
[39]同『パリの若き岡倉天心』1995年〔第80回 院展〕


1010  大垣市守屋多々志美術館 発→一般道 44km 1時間30
1140  らあめん 陣屋 着〔昼食〕

[40]らあめん 陣屋入口にて
                  
[41]小生の昼食の定番「味噌チャーシュー麵」


1215  らあめん 陣屋 発→一般道 4km 15分→
1230  古川美術館 着
1235  古川美術館『木村光宏〜山紫水明を描く〜』展

[42]古川美術館入口にて
                  
[43]木村光宏(1947- )

[44]本企画展leaflet
                  
[45]木村光宏『月明焼岳』

[46]同『濤』
                  
[47]同『月華浅間』

[48]同『
                  
[49]同『春陽』


1255  古川美術館館発→徒歩 2分→
1257  古川為三郎記念館 着

[50]古川為三郎記念館入口
                  
[51]同館外観

[52]同館入口の縁台にて
                  

1310  同館発→一般道 4km

 其の日の二日前、上の奥歯の被せがとれて仕舞ったので、予定を変更して名古屋市東区にある歯科医院に治療して貰った。
 今日は新しい歯の被せを作る為、歯型をとった。
 来週土曜日に新しい金属製の被せが出来上がるので次週も通院することとなった。
 因みに此の日は、旧行時代の同期会のゴルフコンペが三重県で、高校の同期会のゴルフコンペが伊良湖であった。
 が、小生は所用があり両方共に参加を見合わせたのだが、其の所用も此の歯の治療で出来なくてなって仕舞った。

1400  三菱UFJ銀行貨幣資料館『廣重/人物東海道&東海道張交図会(はりまぜずえ)』展

 常設の貨幣展示 corner では、英国と古代中国の貨幣を撮影したのでご笑覧下さい。

[53]三菱UFJ銀行貨幣資料館入口にて1

[54]同上2
                  
[55]同 本企画展leaflet

[56]廣重 東海道張交(はりまぜ)図解より「宮→桑名→四日市→石薬師薬師→庄野」
                  
[57]英国の貨幣

[58]古代中国の貨幣
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
[59]同上〔拡大〕 


1520  貨幣資料館→歯科医院→一般道 13km 30
1550  名都美術館 着
1600  名都美術館『とっておき! 日本画 correction -東京・大阪・京都、三都の画家たち-』【前期】展
 
[60]名都美術館入口にて
                  
[61]本企画展leaflet

[62]島成園『祭りのよそおい』1913
                  
[63]木谷千種『浄瑠璃船』1926

[64]池田遥邨(ほうそん)『雪の大坂』1928
                  
 大阪城天守閣は1665(寛文05)年 落雷消失後は再建されず、1930(昭和05)年に工事着手した復興天主閣は翌1931(昭和06)年に再建された。
 従って、池田遥邨が此の絵を描いた1928(昭和03)年には天主閣がない。
 因みに、第二次世界大戦の大坂空襲でも天主閣は消失を免れた。

[65]高橋成薇(せいび)『秋立つ』1928


1650  同館発→一般道 65km 2時間30分→
1725  帰宅〔 走行距離 計 265.9km 〕〔了〕
 
■今日最後の話題は、1113日、昼からの仕事が18:00近く迄名古屋であったが、金山のフォレストホールにて18:45から、ポリーニ、アルゲリッチと共に20世紀後半の 往年の pianist の巨匠 ウラジミール・アシュケナージ 指揮 アイスランド交響楽団 & 辻井伸行のピアノ独奏に拠るコンサートを聴いて来た。
 演奏曲目は、以下の3曲と encore 曲が 、辻井伸行はショパンの 練習曲「革命」、アシュケナージとアイスランドS.O.はシベリウスの 悲しきワルツ だった。

1. シベリウス 「カレリア」組曲 Op.11
2. ショパン ピアノ独奏曲第2番 へ短調 Op.21
3. シベリウス 交響曲第2番 ニ長調 Op.43

「カレリア」の3曲目の「行進曲風に」は誰もが何処かで必ず聞いたことのある名曲。
 ショパンの Piano Conceto No.2 は、同No.1 より前に作曲された曲で、No.1 には敵わないものの、ノクターン協奏曲と言っていい mellow な佳品である。
 辻井伸行君が encore で演奏した ショパンの練習曲「革命」は卓越した技量で感動した。
 辻井君も巨匠 アシュケナージの前で 弾き甲斐があったことだろう!
 シベリウスの交響曲第2番は、小生懐かしい思い出がある曲だ!
 カラヤン指揮フィルハーモニアO.の演奏の此の曲と、ムラヴィンスキー指揮レニングラードP.O.のチャイコフスキー作曲 交響曲第4 5 6「悲愴」の3曲、オットー・クレンペラー指揮ウィーンP.O. の マーラー作曲 交響曲第9番 が小生が最も好きな交響曲である。
 中学三年生の夏休み中、昭和45(1970)年は大阪万博が開催されていた年。
 自宅にエアコンなんて文明の利器がなかった時代なので、夏休みの全40日 豊橋市の向山大池にあった文化会館に涼しさを求めて開館時間の9:00から閉館時間の17:00迄自習室にいた。
 昼食も文化会館で摂り、午後の1-2時間、休憩を兼ねて、レコード視聴室でクラシック音楽を聴いた。
 豊城中学校音楽の教師の神谷先生から、夏休みの音楽の宿題として、クラシック音楽を 1曲聴いて感想文を書くことになっていた。
 其処で、小生、夏休み中、レコード視聴室で聴いた全 124曲の感想文を一冊のノートに纏めて先生に提出したら、先生から「此のノートを僕にくれ」と言われ差し上げた思い出がある。
 其の124曲の中でも最も好きな曲が、カラヤン指揮フィルハーモニアO. に拠る シベリウスの交響曲第2番 だったのだ。
 其の感動をノートに認(したた)めた所為か知らないが、中学校卒業間近の音楽の時間に神谷先生から、シベリウスの交響曲第2番は素晴らしい曲だと教えて貰ったことを確りと覚えている。
 爾来、此の曲は、小生の Epoch making の時々に聴いて来ている。
 昭和493月の大学入試の合格発表の日の朝、落ち着かない気持ちを鎮める為に此の曲をステレオを持っていなかった小生はカセットテープで聴いてから発表会場に行った。
 其の甲斐あってか、受験番号 2069 はあった!
 以上は、今は昔の物語!

[66]会場のフォレストホール入口にて
                  
[67]本演奏会program ticket

[68]ホワイエで購入したAshkenazyと辻井伸行が共演したChopinPiano Concerto No.2 CD
                  
[69]演奏前のほぼ満席の会場

[70]演奏会終了後会場出口に掲示された encore曲名の案内の横にて
                  

【後記】1110日、名都美術館からの帰宅途上での episode を一つご紹介して今日はお別れする。
 国道1号線 豊川市赤坂町〔旧東海道 赤坂宿〕の交差点でのこと!
 赤信号で車を停車した時、speed meter に眼を遣ったら、走行距離が 45678km になっていた‼
 此れから 何かいいことがあるかも!
 
[71]走行累計距離が45678 kmを示した愛車のspeed掲示板1

[72]同上2〔拡大〕
                  

 では、また‥〔了〕

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