2021年9月27日月曜日

【時習26回3−7の会 0880】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第98回/員外~第975句~986句〕」「09月25日:旧姫街道一人旅 walking「和田辻東」→「嵩山宿」→「本坂峠」を往復して]「09月18日:豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展~『草土社の作家たち』を見て」「09月18日:『亡父の想い出』から」

 ■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
. 今日も【時習26回37の会 0880】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第98回/員外~第975句~986句〕」をご紹介する
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975 夕鴉(ゆふがらす)宿(しゅく)の長(なが)さに腹(はら)のたつ  仝
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【意】ねぐらに帰るカラスが飛んでいく / 私も宿場の宿に帰るのだが、此の宿場は細長くて、町のとば口(=入口)から目的地の宿(やど)迄中々到着しない /
【解釈】《名残表七》《雑》
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976  いくつの笠(かさ)を荷(にな)ふ強力(がうりき)(1)  人
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【意】強力が幾つも先輩の笠を背負わされて歩いている / 宿場の長さに自分も腹立たしさを感じるが、あの山伏の従僕(=強力)には同情を禁じ得ない
【解釈】《名残表八》《雑》
(1)強力:山伏の従僕
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977 (あな)いち(1)に塵(ちり)うちはらひ草枕(くさまくら)  仝
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【意】(‥前句で「強力」をしていたのはまだ子供だった‥)其の強力は荷を下ろすなり穴一に興じている
【解釈】《名残表九》《雑》
(1)穴いち:近世の子供の遊び / 地面にあけた小穴に、1m程離れた線外から銭、或いは小石等を投げ、穴に入ったものを勝ちとする / 穴打ち / 銭(ぜに)打ち〔『大辞林』〕
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978  ひい(=)(1)かざりて伊勢(いせ)の八朔(はっさく)(2)  角
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【意】流石伊勢国は他国と異なる / 八朔の祝いに家々に雛人形を飾っている / 前句「草枕」から、諸国者の眼から見た伊勢道者への観察を出した / 但し、伊勢の八朔の習俗は未詳 / 前句の「穴いち」が男児の遊戯、此れに対して女児の「雛遊び」を引き合いに出したか‥
【解釈】《名残表十》《秋》:八朔 /
(1)ひいな:雛
(2)八朔:陰暦八月朔日(ついたち)の祝い / 古く農家で、新穀の贈答や豊作祈願・予祝などの行事が行われ、のち一般化して、四民共に白(しろ)帷子(かたびら(=裏地を付けない夏衣))着て贈答往来する慣習を生んだ
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979 滿月(まんげつ)に不斷櫻(ふだんざくら)(1)を詠(なが)めばや  仝
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【意】八朔に雛飾りを見て、八月十五夜は伊勢国白子神社の不断桜を見られれば、風流の極致だ
【解釈】《名残表十一》《秋》:満月 /
(1)不断桜(ふだんざくら):サトザクラの一品種 / 10月頃~4月頃迄咲き続ける / 三重県鈴鹿市の白子不断ザクラは天然記念物〔『大辞林』〕
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980  念者(ねんじゃ)法師(ほふし)(1)は秋(あき)のあきかぜ  人
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【意】私の男色相手の兄貴は秋になってつれない / あの不断桜の様にいつも変わらぬ心であって欲しい
【解釈】《名残表十二》《雑》:秋のあきかぜ /《恋》:念者法師
(1)念者法師:男色関係の兄貴分/念友/念人/⇔若衆(わかしゆ)〔『大辞林』〕
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981 (ゆふ)まぐれまたうらめしき帋子(かみこ)夜着(よぎ)  仝
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【意】秋の夕暮れに男色相手は、なんと紙子を着て寝ている / ガサゴソ音がするので密会は不向きな夜着である / 此れは明らかな拒絶のサインだ
【解釈】《名残裏一》《雑》《恋》:うらめしき /
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982  弓(ゆみ)(1)すゝびたる突(つき)あげのまど  角
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【意】付き揚げて開けるだけの粗末な窓 / 支えの竹迄煤(すす)けている /
【解釈】《名残裏二》《雑》/ 前句を貧しい浪人暮らしの落ちぶれた恨めしさと見て、其の侘住居を付けた
(1)弓:突き上げ窓の支えの竹
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983 (みち)ばたに乞食(こじき)の鎮守(ちんじゅ)(かき)ゆひて  仝
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【意】路傍に沿って乞食村の様な寒村に鎮守社があり、垣根で一応囲われている / 其処の窓も、煤けた支え竹の突き上げ窓だ
【解釈】《名残裏三》《雑》
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984  ものきゝわかぬ馬子(まご)の鬮(くじ)とり  人
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【意】街道風景 / 前句の神社の中で馬子たちが集まり博打を始めた / 物の道理や正邪の分別が分からない者達だから‥
【解釈】《名残裏四》《雑》
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985 (はな)の香()にあさつき(1)(なます)みどり也(なり)  仝
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【意】花の香りの中に混じって浅葱葱のナマスの緑の匂いが心地よく漂って来る
【解釈】《名残裏五》《春》:花 / 駅道の休み茶屋の景か‥
(1)あさつき(浅葱):あさつきのひる / 葱(ネギ)より細く、ニラに比べて臭気が少ない / 三月三日の食事に、根葉ともに膾(なます)にあえて食すという
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986  むしろ敷(しく)べき喚續(よびつぎ)(1)の春(はる)  仝
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【意】あの歌枕「喚續」の浜に一席設けて、一度お招き致したい
【解釈】《挙句》《春》:春 / 前句を御馳走料理の体として、尾張国の越智越人が、江戸の宝井其角に挨拶したもの
(1)喚續(=呼続(よびつぎ)):東海道鳴海宿付近の歌枕 / 千鳥の名所
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第99回 / 員外~第987句~998句〕をご紹介する / お楽しみに!
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続いての話題である
. 0926日は、昼から walking した
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1400分「和田辻東」着
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【「姫街道」風景:「和田辻東」→「嵩山宿」へ】
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[01][左上]「姫街道」豊鉄バス停「和田辻東」にて
. 出発地のバス停「和田辻東」の北側にある豊橋市立石巻中学校を back
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[右上]Google 航空 map:「和田辻東」→「姫街道/本坂峠」経路図
[左下]「姫街道」風景:路傍の花「Helenium amarum
[中下]「同」〔豊橋市嵩山町〕同:姫街道にて1
[右下]「同」〔同〕同:同上2
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【「姫街道」風景:「嵩山町」1
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[02][左上]「姫街道」〔同〕風景:豊鉄バス停「二軒屋」
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[右上]「同」〔同〕同:路傍の花「ベビーマラカス」
[左下]「同」〔同〕同:豊鉄バス停「嵩山市場」
[中下]「同」〔同〕同:「姫街道」の「本坂トンネル」への案内看板
[右下]「同」〔同〕同:「姫街道」の「嵩山」交差点
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【「姫街道」風景:「嵩山町」2
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[03][左上]「姫街道」〔同〕風景:「嵩山町」にて1
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[右上]「同」〔同〕同:「同」常夜燈前にて
[左下]「同」〔同〕同:「同」街並1
[中下]「同」〔同〕同:「同」旧家「萬屋」跡
[右下]「同」〔同〕同:「姫街道案内図」1〔嵩山町〕
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【「姫街道」風景:「嵩山町」3
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[04][左上]「姫街道」〔同〕風景:「姫街道案内図」にて〔嵩山町〕
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[右上]「同」〔同〕同:「同」2〔部分・拡大〕同〔嵩山町〕
[左下]「同」〔同〕同:「同」3
[中下]「同」〔同〕同:「同」同所にあった「嵩山宿本陣」跡碑
[右下]「同」〔同〕同:「同」同「御油←嵩山宿→三ヶ日」道標
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【「姫街道」風景:「嵩山町」4
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[05][左上]「姫街道」〔同〕風景:「嵩山町」にて

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右上]「同」〔同〕同:路傍の花「キバナ秋桜(手前)」「百日紅(後方)
[左下]「同」〔同〕同:嵩山宿街並2
[中下]「同」〔同〕同:旧「姫街道()
[右下]「同」〔同〕同:同「同」石碑にて
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【「姫街道」風景:「嵩山町」5
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[06][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」〔嵩山町〕1
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[右上]「同」同:同「同」〔同〕2
[左下]「同」同:同「同」案内看板
[中下]「同」同:同「同」同上〔部分・拡大〕
[右下]「同」同:同「同」同所にて
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【「姫街道」風景:「嵩山町」6
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[07][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」道標〔嵩山町〕

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右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕3
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕4
[中下]「同」同:同「姫街道」「嵩山一里塚」跡にて〔嵩山町〕
[右下]「同」同:同「同」「同」解説板〔嵩山町〕
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【「姫街道」風景:旧「姫街道」(「嵩山一里塚」)〔嵩山町〕7
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[08][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」「嵩山一里塚」跡にて〔嵩山町〕
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[右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕5
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕6
[中下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕7
[右下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕道標横にて
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【「姫街道」風景:旧「姫街道」8→「嵩山自然歩道」1〔嵩山町〕】
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[09][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」8
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[右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕9「姫街道」道標石碑
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕10
[中下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕11
[右下]「同」同:同「嵩山自然歩道」〔嵩山町〕
. 此処辺りから「嵩山自然歩道」に道標が変わっていたので道を間違えたのか‥()
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【「姫街道」風景:旧「嵩山自然歩道」2〔嵩山町〕】
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[10][左上]「嵩山自然歩道」風景:「嵩山自然歩道」1

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 どんどん道は狭く厳しくなっていく‥
[右上]「同」同:「同」2
[左下]「同」同:「同」3‥「嵩山自然歩道」も「行きどまり」!
. 時間も1639分、辺りも薄暗くなってきたので「本坂峠」到達は断念し、帰ることにした
[中下]Google 航空map:現在位置を確認
. 確認したら「旧本坂トンネル」南方200m地点に居たことになるが、本坂トンネルへ続く道らしいものがなかった
[右下]同:「旧本坂トンネル」の南方200mの現在位置から今日のstart地点「和田辻東」への経路図
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1641分「旧本坂トンネル」の南方200mの現在位置発→来た道を戻る‥
1702分「浅間神社・原川社」着
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【「姫街道」風景:旧「嵩山自然歩道」(「浅間神社・原川社《腹浅間》」)3〔嵩山町〕】
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[11][左上]「嵩山自然歩道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景1

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[
右上]「同」同:同風景2「浅間神社/タブノキ」解説板
[左下]「同」同:同風景3「同/同」
[中下]「同」同:同風景4 社殿(=本殿)脇の「浅間神社縁起」解説板
[右下]「同」同:同風景5 社殿前にて
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【「姫街道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」〔嵩山町〕】2
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[12][左上]「嵩山自然歩道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景6「参道」から「社殿」を望む
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[右上]「同」同:「同」風景7
[左下]「同」同:「同」風景8
[中下]Google 航空 map:「浅間神社・原川社《腹浅間》」→「和田辻東」への経路図
[右下]「嵩山自然歩道」風景「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景9「参道」から見下ろした風景
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【「姫街道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」〔嵩山町〕3→「和田辻東」へ】
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[13][左上]「嵩山自然歩道」風景「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景10「参道」から振り返り見上げた風景
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[右上]「同」同「同」風景11「参道」から「鳥居」を見上げる
[左下]「同」同「同」風景12 同所にて‥1717
[中下]Google 航空 map:「浅間神社・原川社」から「和田辻東」へ向かう途上1728分頃
[右下]「姫街道」風景:路傍の花「曼殊沙華」
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1718分「浅間神社・原川社《腹浅間》」発→「姫街道」→「和田辻東」へ
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【「姫街道」風景:路傍の花々】
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[14][左上]「姫街道」風景:路傍の花「キバナコスモス」1
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[右上]同「同」同:同「同」2
[左下]同「同」同:同「フヨウ」
[中下]同「同」同:同「稲穂」1
[右下]同「同」同:同「同」2
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【和田辻東周辺】
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1819分 豊鉄バス停「和田辻東」着
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[15][左上]和田辻から西方の夕暮れを望む
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[右上]「姫街道」常夜燈1
[左下]「姫街道」常夜燈2
[中下]豊鉄バス「和田辻バス停」1819分着
[右下]歩行距離13.8km 歩行歩数18,018
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1832分 和田辻東発→一般道 15 7/ 走行距離計14
1847分 帰宅〔了〕
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【小生 comment
. 「本坂峠」に到達出来なかったのは残念だった
. きっと道標が「姫街道」から「嵩山自然歩道」に変わった所から道を間違えたのだと思う
. ま、「姫街道」と道標があった場所でも、かなり獣道の険しい道になっていたので、無理して道に迷うよりは次回の三ヶ日側から「本坂峠」に向かう際に検証してみようと思っている〔了〕
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続いての話題である
. 0818日日は、台風14号到来の為「姫街道」walking は中止
. 其処で今日は、Walking の代わりに見て来た豊橋市美術博物館の美術展と亡父と叔父兄と写真他とお伝えする
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【豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展】1
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[16][左上]豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展看板横にて

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右上]岸田劉生 (1891-1929)『高須光治君之肖像』1915
[左下]同『卓上林檎葡萄之図』1918
[右下]木村荘八 (しょうはち 1893-1958)『自画像』1916
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【豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展】2
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[17][左上]椿貞雄『砂利の敷いてある道』1916
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[右上]同『冬瓜図』1925
[左下]横堀角次郎『田舎の道』1929
[右下]中川一政 (かずまさ)(1893-1991)『静物』1924
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【小生の亡父の想い出】
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[18] [左上]叔父兄 今泉勇が描いた亡父「譲」(:水彩画)・晩年の亡父(:写真)

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右上]亡父が描いた自画像1946年〔22歳当時〕
[左下]197071(4546)当時の愛知県立豊丘高等学校時代の亡父
[中下]20120513日:国立西洋美術館にて87歳の亡父と[右下]20120513日:東京芸術大学大学美術館前にて亡父と
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【尊敬する祖父今泉文治】
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[19][左上]小生の長男を抱く曾祖父 文治1
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[右上]同上2
[左下]昭和33(1958)8月、祖父宅庭にて、祖父と211か月の小生
[中下]『豊橋市市勢功労者一覧』1
. ~第25回顕彰者の中に小生の祖父「今泉文治」の名前がある / 久曽神 昇氏は、愛知大学学長
[右下]『同』2
. 〜第37回 山本孝之氏は、現在、小生がお世話になっているさわらび会の理事長、第44回 神野信郎氏は小生の時習26回生の同期加藤(神野)朋子さんの実父で中部ガス社長・会長、豊橋商工会議所会頭を勤められた、第48回 冨安昌也氏は、時習館高等学校美術家教諭で長年 日本水彩画会豊橋支部長を勤められた
. 祖父文治は、昭和55年に長らく民生委員を務め、民生安定に寄与したとして「第25回豊橋市『市勢功労者』」として顕彰されている
. 祖父の略歴は、小木曽法律事務所の小木曽大伯父の異母弟として生まれ、生まれた経緯から幼くして市内細谷に里子に出され、成人して祖母の婿養子となった
. 当時は豊橋市の東方の荒野であった、新切、のち向郷、更に春日町となった土地の開墾を重ね、地元の地主・名士になり、長年民生委員を務めた
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【叔父兄 今泉勇の水彩画家としての活躍】
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[20][左上]2013/04/17 豊橋市美術博物館にて開催された「日本水彩画会豊橋支部展」にて

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 今泉勇叔父と、時習館高校の先生であった芳山家治先生が一緒に写っている東日新聞の写真
. 以下に小生自身の叔父貴今泉勇が描いた小生の亡父の写真を中心にお届けする
. 亡父 譲(1924-2015)は長男、叔父貴 勇(1930- )は三男になる
[右上]【豊橋市美術博物館『第42回豊橋美術展』を見て】
. [左上]豊橋市美術博物館 本企画展看板前にて
. [左下]同 館内入口の本企画展 banner 前にて
. [右上]同 展示されていた小生叔父貴の作品 今泉勇(1930- )『宮島大鳥居』
.  以下に、叔父貴の水彩画作品2点を紹介する
. [右中]今泉勇『面の木 紅葉』〔光生病院へ寄贈〕
. [右下]同『面の木 紅葉』〔拙宅蔵〕
. 叔父貴は、冨安昌也先生の弟子だけあって矢張り確かな技量を感じさせる
[左下]勇叔父兄が、小生に送ってくれた自身の個展の案内状
[中下]今泉勇『獅子舞〔黒澤田楽〕』
[右下]同『面の木紅葉』〔光生会病院へ寄贈〕
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19588月:亡父母との思ひ出】
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[21][左上]19588月 小生211か月の祖父の実家中庭にて日産ダットサンのボンネットにて
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[右上]同年同月 34歳の亡父と
[左下]195855日 浜名湖「今切」浜の亡母〔当時271か月〕1
[中下]1958105日 小生の手形・足形
[右下]同園55日 浜名湖「今切」浜の亡き母2
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. では、また‥〔了〕

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2021年9月21日火曜日

【時習26回3−7の会 0879】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第97回/員外~第963句~974句〕」「09月15日:豊田市美術館『モンドリアン』展→古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展→為三郎記念館『横井照子』展を巡って見て」「09月19日:浜松市秋野不矩美術館『2021年度 所蔵品展【ゼロ発祥の地インドⅢ~煌めく光線~】』を見て」[09月08日:長男の孫たち]「09月20日:総務省/高齢者の人口推計公表~働く高齢者『4人に1人』に」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
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 今日も【時習26回37の会 0879】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第97回/員外~第963句~974句〕」をご紹介する
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963 (さけ)(くさ)(1)(みみ)につきたるさゝめごと(2)  仝
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【意】火傷(やけど)の結果、此の顔であの人に会うのは辛い / そう思って背(そむ)けている耳許に、男は酒機嫌でくどき寄る
【解釈】《初裏七》《雑》《恋》:ささめごと /
(1)酒熱(さけくさ)さ:越人の自筆本には「サカクサキ」と傍訓ありという(標注七部集)/「熱(くさ)さ」は「熱(くさ)き」の誤植か?
(2)ささめごと:小声のささやき、男女のむつごと
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964  魚(うを)をもつらぬ月(つき)の江()の舟(ふね)  人
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【意】月の美しい入江に魚を釣るでもない舟が一艘 / 酒の匂いと共に謡の声が川風と共に流れて来る
【解釈】《初裏八》《秋》:月 / 前句を白楽天『琵琶行』の第12句「酒ヲ添へ灯ヲ回(メグラ)シテ重ネテ宴ヲ開ク」、第24句「小弦ハ切切トシテ私語(ササメゴト)ノ如シ」の景と見て、同じく第38句「唯江心秋月ノ白キを見ル」の景を付けた
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965 そめいろ(1)の富士(ふじ)は浅黄(あさぎ)(2)に秋(あき)のくれ  仝
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【意】秋の夕暮れの富士が浅葱色に染まり聳えている / 其の絶景に漁師は釣を忘れ見とれている
【解釈】《初裏九》《秋》:秋のくれ /
(1)そめいろ(蘇迷盧):須弥(=)((しゅみせん)=古代インドの世界観の中で中心で、大海に聳(そび)える高山)のこと
(2)浅黄(あさぎ):浅葱(あさぎ)(=ごく薄い藍色)
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966  花(はな)とさしたる草(くさ)の一瓶(ひとかめ)  角
.
【意】秋の七草を大瓶いっぱい生けて床の間の生花とする / 窓の外には(前句の)雄大な富士が聳えて見える /「北は黄に南は青く東白 西くれなゐにそめいろの山」(謡曲・歌占)と言う俗伝古歌は立花の心得の歌ともされたので、此の付句があるという(幸田露伴『評釈』)
【解釈】《初裏十》《秋》:花とさしたる草 /
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967 饅頭(まんぢゆう)をうれしさ袖(そで)(1)(つつ)みける  仝
.
【意】饅頭を貰った幼子は、嬉しさを胸に、其の饅頭を袖にそっと入れる
【解釈】《初裏十一》《雑》/ 前句を幼子の真似事の立花として、同じ幼児の振る舞いを付けた
(1)うれしさ袖に:「うれしさを昔は袖に包みけり 今宵は身にも余りぬるかな」(新勅撰集)等に拠る
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968  うき世()につけて死()ぬ人(ひと)は損(そん)  人
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【意】何事につけても、兎角此の世は生きているがましだ、死んだら損だ
【解釈】《初裏十二》《雑》/ 供養の帰途、饅頭を袖に、儚い感想を述べ合う
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969 西王母(せいわうぼ)(1)東方朔(とうばうさく)(2)も目()には見()ず  仝
.
【意】長寿を誇ったという西王母・東方朔も今は亡い / 現世が全てだ / 生きている間を存分に生きなければ‥
【解釈】《名残表一》《雑》/
(1)西王母(せいおうぼ):中国の神話上の女神 / 玉山または崑崙(こんろん)山に住む、人面・虎歯・豹尾の女神 / のち、神仙思想の発展とともに仙女化され、周の穆(ぼく)王が西に巡狩した時、瑶池で宴を開き、漢の武帝に降臨して仙桃を与えたという / 道教の成立後は東王父と一組の神格とされた〔『大辞林』〕
(2)東方朔(とうほうさく( 154 - 93 )):中国、前漢の文人 / 字(あざな)は曼倩(まんせん) / 武帝の側近として仕えた / 奇言・奇行で知られ、後世、仙人的存在とされ、西王母の植えた桃の実を盗んで食べ八千年の寿命を得たなど種々の説話が残る /「答客難」「非有先生論」等の文章がある〔『大辞林』〕
.
970  よしや鸚鵡(あうむ)の舌(した)のみじかき  角
.
【意】何が「西王母・東方朔」だ! 彼等を見たことがあるのか?!「糞食らえ」だ / お前なんか、人の口真似しか出来ぬ鸚鵡(オウム)の、おまけに舌が短く足りない奴だ!
【解釈】《名残表二》《雑》/
.
971 あぢなきや戸()にはさまるゝ衣(きぬ)の妻(つま)(1)  仝
.
【意】困った! 衣(=着物)の端が戸に挟まって身動きが取れない / やばい、鸚鵡が見ている / 鸚鵡の奴め、此の密事を誰かに喋らないだろうか?
【解釈】《名残表三》《雑》《恋》:衣(きぬ)の妻 /
(1)(きぬ)の妻(つま):着物の端
.
972  (こひ)の親(おや)とも逢()ふ夜()たのまん  人
.
【意】どうか窮状をお助け下さい / もし願いが成就してあの女と逢うことが出来たら、あなたを恋の親としてご恩はわすれませぬ
【解釈】《名残表四》《雑》《恋》:戀の親・逢ふ夜 /
.
973 やゝおもひ寐()もしねられずうち臥(ふし)て  仝
.
【意】そんなことを思って臥していると、なかなか寝つかれないで恋に身を焦がしていることだ
【解釈】《名残表五》《雑》《恋》:おもひ /
.
974  米(こめ)つく音(おと)は師走(しはす)なりけり  角
.
【意】眠られずにいると何処からとも無く餅つきの音がしてくる / そういえば今日はもう年の瀬近く
【解釈】《名残表六》《冬》:師走 / 前句の心配事を歳暮近い頃の越年対策に転じた恋離れの句
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第98回 / 員外~第975句~986句〕をご紹介する / お楽しみに!
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■続いては、「0915日:「豊田市美術館『モンドリアン』展」→「古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展」→「らあめん専門店『陣屋』〔昼食〕」を巡ってについてである
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. 0915()は、平日一回の公休日
. 「家に居ては勿体ない」と思い、今日は月一回の歯科健診の日で、1400分に名古屋市東区のN歯科医院へ行くついでに、「豊田市美術館『モンドリアン』展」「古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展」「らあめん専門店『陣屋』〔昼食〕」と巡って来た模様についてお伝えする
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0500分 起床 腹筋2,000
0600 2.5kg木刀素振り60
0705分 入浴→朝食
0820分 拙宅発→一般道 1時間39 52km
0959分「七州城隅櫓」着
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【七州城隅櫓】
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[01][左上]「七州城隅櫓」を back 1
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[右上]「同」を back 2
[左下]「同」「七州城隅櫓再建之碑」にて
[右下]「同」を back 3
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【「豊田市美術館」前にて】
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. 20世紀を代表する画家の一人 Piet Mondrian(1872-1944)
. 彼の作品と言えば、垂直水平の線と三原色、無彩色で描かれた《Compositionseries は、絵画史の転換点として、画家の誕生から150年を迎える現在も重要であり続けている〔主催者「挨拶」より引用〕
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. Mondrian は、世界の絵画史に於いて、ピカソに匹敵する程、大きな画期を創り出した画家と言っていい
. 彼の《Compositionseries は、絵画の3要素「色(Color)・構図(Composition)・デッサン(Dessin)」のうち、「色」「構図」が simple 且つ 鮮やかで素晴らしく、不思議な「癒し」を与えてくれるのだ
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[02][左上]「豊田市美術館」を back 1
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[右上]「同」同上2
[左下]「同」同所前『モンドリアン~純粋な絵画をもとめて~』展 看板前にて1
[右下]「同」同上2
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【豊田市美術館『モンドリアン』展】
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[03][左上]「豊田市美術館」外観
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[右上]豊田市美術館『Piet Mondrian()』展 leaflet[][]
[左下]Piet Mondrian『ドンブルグの教会塔』1911年〔デン・ハーグ美術館 Collection
[右下]同『色面の楕円 composition 21914年〔同〕
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[04][左上]Piet Mondrian2本のオランダカイウ』1918年〔デン・ハーグ美術館 Collection
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[右上]同『赤、青、黒、黄、灰色の composition1921年〔同〕
[左下]同『大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のcomposition〔部分〕』1921年〔同〕
[右下]同『線と色の compositionⅢ』1937年〔同〕
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【豊田市美術館『常設展』】
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[05][左上]Gustav Klimt(1862-1918)『オイゲニア・プリマフェージの肖像(Portrait of Eugenia Primavesi)1913/14
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[右上]中村彝(1887-1924)『生物』1917年頃
[左下]梅原龍三郎(1888-1986)『少女アニーン(Portrait of Annine)1908
[右下]国吉康雄(1889-1953)『花飾りをつけた女』1932
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[06][左上]佐分 眞(1898-1936)『婦人像』1927
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[右上]熊谷守一『高原の秋』1935年頃
[左下]岸田劉生(1891-1929)『代々木附近』1915
[右下]()『自画像』1913
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1057分 豊田市美術館駐車場発→一般道58 24km/76km
1155分 古川美術館着
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【古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展】
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[07][左上]古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展 看板前にて
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[右上]同館内入口『同』& 為三郎記念館『横井照子』展 看板前にて
[左下]同『同』leaflet
[右下]古川美術館『同』出品一覧
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【古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展→為三郎記念館『横井照子』展】
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[08][左上]ウィリアム・ターナー(1775-1851)Fonthill に建設中のゴシック様式の修道院(午後)の眺め』1800年頃
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[右上]アンリ・ジュアン・ルソー(1844-1910)『アフリカ雄ライオンと雌ライオンのいる南国の小路』制作年不詳
[左下]フィンセント・ファン・ゴッホ『ボートの浮かぶセーヌ川』1887
[右下]クロード・モネ(1840-1926)『霧の中の太陽』1904
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【為三郎記念館『横井照子』展】
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[09][左上]「為三郎記念館」入口にて
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[右上]為三郎記念館『横井照子』展 leaflet
[左下]横井照子 Profile
[右下]同『Teruko Yokoi, January, 1958, oil on canvas
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[10][]横井照子(1924-2020)『水連』1994年〔横井照子ひなげし美術館〕
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[左下]同『同』同所にて
[中下]同『ひなげし-B1991年〔横井照子ひなげし美術館〕
[右下]同『同』同 同所にて
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. 此の『睡蓮』と『ひなげし-B』については撮影OKと言う粋な計らいだったので喜んで撮影させて頂いた
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[11][左上]横井照子『ひなげし-B1991年〔横井照子ひなげし美術館〕
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[右上]同『《幸せ》4連作のうち』1994
[左下]同『栗』2002
[右下]同『三番』2004
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1252分「古川美術館」発→一般道14 4km/80km
1306分「らあめん専門店『陣屋』」着
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【らあめん専門店『陣屋』〔昼食〕】
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[12][左上]らあめん専門店『陣屋』入口にて
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[右上]同「小生の超定番『味噌チャーシュー麵』」
[左下]同「『味噌チャーシュー麵』を食する小生」
[右下]オズモールの Monument 傍らにて
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1340分 オズモール Monument 発→一般道5 1.5km/82km
1345 N歯科医院着
1447N歯科医院発→一般道1時間55 82/164km
1642分 帰宅〔了〕
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【小生 comment
. 豊田市美術館『モンドリアン~純粋な絵画をもとめて~』展と古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展のいずれも素晴らしい絵画展だった
. Mondrian(1872-1944)の存在感ある、色彩とComposition の絶妙な balance は、不思議な「癒し」を見る者に与えてくれる
. 因みに豊田市美術館は、常設展コーナーはじめ23階は全て撮影OKだったのは嬉しかった / 粋な計らいである
. 又、古川美術館『印象派とエコール・ド・パリ』展は、展示作品が全て個人蔵という貴重な絵画群
. 更に又、横井照子の作品も、日本人が持つ温かさに抽象画がコラボした様な傑作選の展覧会
. 今日は、一日で3つの美術展覧会を見ることが出来た充実した一日だった〔了〕
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今日最後は、0919() 浜松市秋野不矩美術館『第3回所蔵品展/ゼロ発祥の地インドlll〜煌めく光線〜』についてである
. 其の日は、1400分〜1445分迄仕事があった
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0600分 起床→腹筋2,000回→
0700 2.5kg木刀素振り60分→
0810分 入浴
1200 brunch
1300分 拙宅発→一般道 20 9km
1325分 勤務先着
1400分 勤務
1450分 勤務先発→一般道 1時間10 60km/69km
1600分 浜松市秋野不矩美術館着
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【浜松市秋野不矩美術館『第3回所蔵品展/ゼロ発祥の地インドlll〜煌めく光線〜』】
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[13][左上]浜松市秋野不矩美術館駐車場入口にて
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[右上]同美術館を back 1

[左下]同上2

[右下]同美術館『2021年度 所蔵品展 作品目録』

. 同作品目録の絵は、今回&次回(3&4)秋野不矩『ガンガー』1999

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[14][左上]秋野不矩 (ふく)(1908-2001)『平原』1964
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[右上]同『土の家(A)1987

[左下]同『ヴァラーハ(ヴィシヌ化身 猪)1992

[右下]同『民家(ブバネシュワール オールドタウンA)1993

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1628分 浜松市秋野不矩美術館発→ 一般道 1時間17 49km

1745分 帰宅 / 走行距離計 118km〔了〕

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【小生 comment

. 昭和12年に始まった文化勲章

. 画家の第1回受賞者は、日本画の日本美術院の雄 横山大観(1868.11.02-1958.02.26)、京都画壇の最高峰 竹内栖鳳(1864.12.20-1942.08.23)、洋画家の藤島武二(1867.10.15-1943.03.19)、岡田三郎助(1869.01.22-1939.09.23)と言う錚々たる4

. 日本の女性画家で文化勲章を受賞しているのは、まだ此等の(1)上村松園(1875.04.23-1949.08.27)(2)小倉遊亀(1895.03.01-2000.07.23)(3)片岡球子(1905.01.05-2008.01.16)(4)秋野不矩(ふく)(1908.07.25-2001.10.11)4人しかいない

. 小生、秋野不矩の日本画とインドを舞台にした作品群は、何度見ても癒されるから不思議に感じつつ、企画展の都度、彼女の絵を見ることを楽しみにしている

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【後記1】0908日、長男が、彼の次男の数え3歳になったので今秋七五三と言うことで記念写真をLINEで送って来てくれた

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[15][左上][右上][左下]長男の次男の七五三の晴れ姿

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中下]もう直ぐ生後三か月になる長男の三男

[右下]長男の長女と長男の三男

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【後記2】日本の全人口に占める65歳以上の高齢者の比率が、29.1%と2位のイタリア23.6 %を大幅に上回って世界一位!

. 又、高齢者の就業率は、25.1%と初めて「4人に1人」に達したと、総務省が今日920日の敬老の日に合わせ、高齢者の人口推計を公表した〔2021920日付日本経済新聞朝刊〕

. かく言う、小生も全人口の29.1%を構成する高齢者!

. 又、身体が言う事を聞く小生、高齢者の就業率25.1%の構成員でもある

. 健康で元気に働けるうちは働いて、PPK(ピン・ピン・コロリ!)と行きたいものだネッ!〔了〕

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[16] 2021920日付日本経済新聞朝刊の記事
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. では、また‥〔了〕

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