2018年7月8日日曜日

【時習26回3-7の会 0712】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第12回〕』」「06月24日:「湖東~湖北」日帰りdrive~第2回『滋賀県立安土城考古博物館&安土城天主 信長の館』→『安土城跡&摠見寺』を訪れて」「06月29日:松坂屋美術館『ジプリは名古屋からはじまった! スタジオジプリ 鈴木敏夫/言葉の魔法』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0712】号をお届けします。
 さて、今日『猿蓑』〔巻之五〕連句集は〔第12回〕目。前々回から「夏の部」。今回がその第3回目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第45句~48句をお届けする。
 では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第9句目からの4句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

45 道心(だう(=どう)しん)(1)のおこりは花のつぼむ時(とき)  ()

【意】此の尼僧が菩提心決心したのはまだうら若い蕾の頃だったヨ

【解説】前句の「行燈ゆりけす(=行灯の火が消える)」から、無常感の余情を感じ取っている/
 その前句の登場人物を尼と見て、彼女の菩提心の初めはまだうら若い蕾の頃だったと、句づくりした
(1)道心(だうしん):仏道を修めようと思う心のこと/仏果(=仏道修行に拠り得られる成仏の結果/悟り)を求める菩提心
 菩提心:悟りを求めて仏道を行おうとする心のこと

46 能登の七尾(ななを)の冬は住(すみ)()き  ()

【意】此の僧、能登の七尾での冬の修行はきっと大変だろう
【解説】前句の道心を起こした人を修行僧として七尾での荒行を行って来た、と転じた
『撰集(せんじゅう)抄』(第二)に、西行が能登国の荒磯の洞窟に断食苦行する見仏上人に逢ったことに記すが、その俤付/
「せめて春夏の程はいかがせん。冬の空の越路の雪の岩屋のすまゐ思ひやられて、すずろに涙のしどろなるに侍り。云々」(撰集抄)

47 (うを)の骨(ほね)しはぶる(1)(まで)の老(おい)を見て  ()

【意】魚の骨をしゃぶるまで凋落した生活をしている老残の身とはなった/
【解説】前句から流人か貴種流離譚に転じた/前句の七尾に隠棲している男の末路か‥/
「前句の所に位を見込み、さもあるべきと思ひなして、人の躰を付ける也」(三冊子、赤)
(注1)しはぶる:「すはぶる」が転じたもの/吸い舐めるの意で、今の「しゃぶる」と同意

48 待人(まちびと)(いれ)し小御門(こみかど)の鎰(かぎ)  ()

【意】前句の男は、実はさる高位の方の門番/門の前に立派な御車/あわてて門番小屋から出て御門の鍵を開ける
【解説】恋〔待人〕/
 真蹟草稿は「待人いれしこみかどの鎰」/「待人いれしは、常陸宮を存じよりて仕候」(浪化宛去来書簡)/
「待人入し小御門の鎰も、門守の翁也」(去来抄、修行)
 常陸宮邸に、源氏の君が末摘花を訪れた時の俤付
 即ち、『源氏物語』末摘花の巻に、源氏が雪の降り積った朝、末摘花のもとを退出せんとして、
「御車出づべき門は、まだ開けざりければ、鍵の預りたづね出でたれば、翁のいといみじきぞ出で来たる 云々」として、
 老いさらぼうた門守の翁のことを記している
『源氏物語』では退出の場面を、「入れし」としたのは俤を掠めて付ける芭蕉の手法

【小生comment
 48句に去来が詠んだ句は、『源氏物語』末摘花の巻の一sceneを詠んでいる
 詠み手、去来の教養の高さを感じる
 次号《会報》では「夏の部」の第4(通算第13)をお届けするのでお楽しみに!
 
■続いての話題は、前《会報》に続き、0624()に、『多賀大社』→『滋賀県立安土城考古博物館&安土城天主 信長の館』→『安土城跡&摠見寺』→『向源寺〔渡岸寺観音堂〕:【国宝】十一面観音立像』→『石道寺:【重文】十一面観音立像』→『伊吹山山頂』の順で巡って来た日帰り drive の第2回目をお届けする。
 以下、時系列にお伝えする。
 
0840分 多賀神社発→〔一般道 25km 50分〕
0920分 安土城考古博物館 駐車場着
0950分 同所発→〔徒歩200m 3分〕
0955分 安土城信長の館着
1020分 同所発→〔一般道 5km 12分〕
1045分 安土城跡 駐車場着
1057分 摠見寺本堂着
1115分 同所発→〔徒歩20分〕
1127分 安土城跡 天守台跡着
1137分 同所発→
1138分 二の丸着→
1153分 安土城跡発→

 今回は、以下の〔1〕~〔4〕の4 series の〔2〕『滋賀県立安土城考古博物館&安土城天主 信長の館』→『安土城跡&摠見寺』をお届けする。

【滋賀県立安土城考古博物館&安土城天主 信長の館】
 重県立安土城考古博物館は1992(平成04)年、近江風土記の丘歴史公園の新しい中核施設として開館。
 2001(平成13)年には、安土城跡等県内各地の発掘調査の進展等に拠る新出資料を加え、現在に至る。
 〔以上、滋賀県立安土城考古博物館編『常設展示案内』拠り引用〕
 
[01]滋賀県立安土城考古博物館 駐車場にて

[02]同館入口前にて1
                  
[03]同上2

[04]同上3
                  
[05]同館内の一scene1

 
 1579(天正07)年「織田信長」の命に拠り建築された安土城は日本で最初に天守閣を備えた城であっただけでなく、世界で初めての木造高層建築であった。
 その高さ46mの壮大で絢爛豪華な様をキリスト教宣教師が「欧州にあるとは思えないとても壮大なもの」と絶賛した。
 しかし1582(天正10)年「本能寺の変」の後、半月足らずのち築城以来僅か3年で安土城は消失し、長年の間その外観、構造は解明されず「幻の名城」と呼ばれて来た。
 近年になり加賀藩の御抱大工に伝わる「天守()指図(さしず)」が発見される。
 元愛知産業大学学長 内藤昌氏に拠り「信長記」「信長公記」等の資料との照合や遺跡発掘・実測調査の結果「安土城」であることが解明された。

 400年余りも経た1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本間のメイン展示として安土城天主の最上部5階・6階部分が、東京大学・東京藝術大学・京都市立芸術大学の指導あって内部の障壁画と共に原寸大にて忠実に復元された。〔中略〕
 万博終了後その「天主」を旧安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に、発掘された当時の瓦をもとに焼き上げから再現された「庇屋根(ひさしやね)」、天人の飛ぶ様を描いた「天人影向図(てんにんようこうず)」、6階部分に金箔10万枚を使用した「外壁」、「金箔の鯱(しゃちほこ)を載せた大屋根」が取り付けられた。
 内部には、当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせた「金壁(きんぺき)障壁画」も再現している。
 〔以上、『安土城天主 信長の館』leaflet拠り引用〕

[06]滋賀県立安土城考古博物館と安土城天主 信長の館の間にある通路にて
                  
[07]安土城天主 信長の館 前にて

[08]安土城外観模型
                  
[09]館内の天主閣外観1

[10]同上2
                  
[11]安土城の変遷 解説

[12]安土城天主閣 5階部分1
                  
[13]同上2

[14]同上 前にて
                  
[15]安土城天主閣 6階部分1

[16]同上2
                  
[17]同上外観1

[18]同上2
                  
[19]同上 前にて1

[20]同上2
                  

 考古博物館の周りの田畑では雲雀がピーチクパーチク囀っていた
 
  麦秋や 安土の里に 雲雀鳴く  悟空〔了〕

[21]滋賀県立安土城考古博物館周辺の田畑1

[22]同上2
                  
[23]滋賀県立安土城考古博物館駐車場にて

[24]滋賀県立安土城考古博物館から安土城跡へ行く途上の紫陽花の前にて
                  

【小生comment
 滋賀県立安土城考古博物館は、立派な建物施設だった。
 広々とした田園風景の中に威容を誇った建物が屹立していた。
 又、博物館に隣接してあった『安土城天主 信長の館』の中に展示されていた「安土城天主閣の5階&6階」の豪華賢覧さには改めて驚嘆した。
 昔、NHKTVで見たことがあったが、本物は今回が初めてである。
 16世紀日本の築城技術や、壁画の秀逸さに改めて驚くと共に、我国日本が持つ、古からの高い技術・芸術性に誇らしさを覚えた。

【安土城跡 & 摠見寺】
 『安土城天主 信長の館』の次に向かったのが、「安土城跡」である。
 城巡りを結構沢山している小生、安土城はまだ訪れたことがなかったので、今回とても楽しみにしていたのだ。
 入城料を払う入口で、天主閣跡に向かう途中にある「摠見寺」特別拝観をするか尋ねられ、迷わず「拝観」を選んだ。

[25]特別史跡 安土城跡 解説板

[26]安土城跡入口にて
                  
[27]安土城天主閣へ向かう石段

[28]安土城跡の階段にて
                  
[29]摠見寺 内部の一scene

[30]同上2
                  
[31]同上3

[32]摠見寺茶室
                  
[33]摠見寺 茶室にて1

[34]同上2
                  
[35]同上3

[36]茶室から中庭を望む1
                  
[37]同上2

[38]安土城跡 天守台入口1
                  
[39]同上2

[40]安土城天主台入口から天主台跡地を望む
                  
[41]安土城天主台 解説

[42]天主台から琵琶湖遠望
                  
[43]同上2

[44]天守台にて琵琶湖遠望をback1
                  
[45]同上2

[46]安土城二の丸への石段
                  
[47]安土城二の丸

[48]安土城天主閣から降りて行く途中にて
                  

【小生comment
 安土城跡については、司馬遼太郎が昭和58年『近江散歩』で関ケ原から彦根、安土城を訪れている。
 氏が、少年時代に訪れた安土城跡の天主閣跡から眺望した眼下に広大に広がっていた琵琶湖が干拓され田畑になって仕舞っていた。
 此の風景を見た氏は「湖など何処にもなかった。「やられた」と思った」と、少なからず落胆した旨のcommentを残している。
 事実、安土城天主閣跡からは、琵琶湖はかなり遠方に見えるだけだった。
 特別拝観の「摠見寺」では、喫茶も出来、落ち着いた雰囲気を楽しむことが出来て良かった。

■今日最後の話題は、0629日に見た松坂屋美術館『ジプリは名古屋からはじまった! スタジオジプリ 鈴木敏夫/言葉の魔法』展についてである。
 其の日は仕事で名古屋へ行き、終わってから松坂屋美術館を訪れた。

[49]松坂屋美術館入口にて1

[50]2

                  
[51]館内の撮影可能cornerにて1

[52]同上2
                  
[53]同上3

[54]同上にて1
                  
[55]同上にて2

[56]本企画展leaflet
                  
 
【小生comment
 ジプリの画は、漫画だが写実的で、品格があって美しい、素晴らしい独自の「美の世界」を形成していて、小生、大好きである。

【後記】拙宅近くで今日から蝉が泣き出した。最初からクマゼミである。
 小生等が子供の時は、今時分から先ずニイニイゼミが鳴き出し、そしてアブラゼミ、クマゼミの順で泣き出したものだが‥。
 ニイニイゼミは全く見なくなり、当然鳴き声も聞かなくなった。
 拙宅の玄関脇に、百日紅の花が咲き出した。
 拙宅では、白、濃いピンク、薄紫の三色が咲くが、白色のサルスベリが一番早かった。

  白居易も 紫薇花と詠むや 百日紅(サルスベリ)  悟空

[57]拙宅の玄関に咲いた百日紅の白い花


 白居易は「紫薇花」と題した七言絶句を次の様に詠んだ

 
  紫薇花  白居易
 絲綸閣下文章靜
 鐘鼓樓中刻漏長
 獨坐黃昏誰是伴
 紫薇花對紫薇郎

 絲綸閣の下 文書静かにして
 鐘鼓楼中に刻漏の長し
 独り黄昏に坐するに誰か是れ伴なる
 紫薇の花 紫薇の郎に対す

【意】中書省には詔勅の文書が積まれ、辺りは静まり返っていて
 鐘鼓楼では、時を告げる水時計の音が気怠く長い時間、聞こえて来る
 私が夕方、中書省に一人坐している時、誰が相伴してくれるかと言えば
 小職(=紫薇郎)と同じ名の紫薇花だけが、自分に向かい合ってくれている

 では、また‥〔了〕

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