2021年6月23日水曜日

【時習26回3−7の会 0866】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第84回/員外~第821句~830句〕」「06月05日:旧東海道五十三次一人旅「JR安倍川駅→「丸子一里塚跡」→「丸子宿/丁子屋」→「府中一里塚跡」→「府中宿」→「駿府城公園」→「長沼一里塚跡」→JR東静岡駅」を歩いて」「06月09日:「らあめん陣屋→愛知県芸術劇場コンサートホール「ダニエル・バレンボイム Piano Recital」を聴いて」「06月12日:名都美術館『高崎市タワー美術館所蔵/「つなぐ、つながる、日本の美」展』→拙宅の紫陽花」「昔巡った現存【重文(国宝)】天守閣~『弘前城』『丸岡城』『彦根城』『松本城』『犬山城』『姫路城』を訪れて」


■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0866】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第84回/員外~第821句~830句〕」をご紹介する
.
8
21 なに事(ごと)もうちしめりたる花(はな)の貌(かほ)  荷兮
.
【意】 前句の「双紙」をめくっているの女性 / 恋の思いに沈んで物憂げに双紙をめくっているが、文章を読む程の元気は無い
【解説】《初裏九》《春》:花 /《恋》:花の貌
.
822
 月(つき)のおぼろや飛鳥井(あすかゐ)の君(きみ)(1)  冬文
.
【意】此の女性は、他ならぬ「狭衣物語」に出てくる飛鳥井の姫君 / 零落していた飛鳥井の君は、太秦(うずまさ)参籠の折に仁和寺の僧にさらわれて行く途中、狭衣中将に助けられる
【解説】《初裏十》《春》:月のおぼろ /《恋》:飛鳥井の君
(1)明日香井の君:平安時代の作とされる「狭衣(さごろも)物語」に登場する姫君 / 其の場面から創作されたもの
.
823 (ともしび)に手()をおほひつゝ春の風  舟泉
.
【意】春の宵、姫君の恥じらい / 灯の光に手をかざして顔を隠すので、月下で其の表情ははっきりとは見えない / 一陣の春風がそっと吹き過ぎてゆく
【解説】《初裏十一》《春》:春の風 /
.
8
24  數珠(じゅず)くりかけて脇息(けふ(=きょう)そく)(1)のうへ  松芳
.
 
【意】御勤(おつと)(=仏前の読経/勤行(ごんぎょう))の席でのこと / さて読経を、と数珠を繰()り掛けた時、風が吹き込んだので、数珠は脇息の上へ置き、灯明(とうみょう)の火を手で覆い消えるのを防いだ
【解説】《初裏十二》《雑》/
(1)脇息:肘掛け
.
825 隆辰(りゅうたつ)(1)も入歯(いれば)に聲(こゑ)のしはがるゝ  冬文
.
 
【意】(前句を受けて‥)読経を初めて間もなく、脇息寄り掛かり休む老人は、入歯の口元でモゴモゴさせ、しゃがれた声で当時からしても大昔になる「隆達節」を唄っている
【解説】《名残表一》《雑》 / 飛鳥井の姫君から老人に登場人物を入れ替えた
(1)隆辰:隆達(15271611)/ 和泉国堺の日蓮宗僧侶 / 高三(たかさぶ)隆達 / 彼が創始した「隆達節」と云われる歌謡(=小唄)は、慶長年間初期(1600- )に流行した
.
 
826  十日(とをか)のきく(1)のお(=)しき事(こと)(なり)  荷兮
.
 
【意】流行を既に過ぎた「隆達節」は老人しか唄わない / 盛時の人気を思うと不憫にさえ感じる
【解説】《名残表二》《秋》:きく()
(1)十日の菊:重陽の節句(=旧暦九月九日)の翌(九月十)日の菊で、端午の節句(=旧暦五月五日)の翌(五月六)日の菖蒲(=あやめ)同様、時期に遅れて役に立たぬことの譬え
.
 
827 山里(やまざと)の秋(あき)めづらしと生鰯(なまいわし)  松芳
.
 
【意】山里ではめったに口に出来ない生鰯を売りに来た /「十日の菊」と言われようと、鄙の里では「隆達節」は貴重な食材「生鰯」だ
【解説】《名残表三》《秋(=三秋)》:秋・生鰯 /
.
 
828  長持(ながもち)(1)かふ(=)てかへるやゝさむ(2)  舟泉
.
 
【意】此の秋嫁に行く娘の婚礼用に長持を購入しての帰途、寂しさと肌寒さを感じ乍ら山里の家路へと急ぐ
【解説】《名残表四》《秋》:やゝさむ /
(1)長持:衣類等を入れる蓋のある長方形の箱
(2)やゝさむ:漸寒 / 仲秋の頃、肌寒さを覚えること /「連歌」以来の季語
.
 
829 ざぶざぶとながれを渡(わた)る月の影(かげ)  荷兮
.
 
【意】月影の下、橋が無い川をざぶざぶと音を立てて徒(かち)渡りして家路を急ぐ / 長持は馬の背中にある
【解説】《名残表五》《秋》:月の影 /
.
 
830  馬(うま)のとを(=)れば馬(うま)のいなゝく  冬文
.
 
【意】長持ちを載せた馬を引いて行くと、道々の集落に飼われている馬が一行の気配を知り嘶(いなな)
【解説】《名残表六》《雑》/
.

【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第85回 / 員外~第831句~840句〕をご紹介する。お楽しみに!
.
■今日続いての話題は、0605日に踏破した「旧東海道五十三次「丸子宿」→「府中宿」→「長沼一里塚跡」」についてお伝えする
.
0430分 起床→腹筋2,000
0520分 木刀の素振り50
0610分 入浴→朝食→
0717分 拙宅発→一般道 2時間01 112km
0918 JR安倍川駅西口近隣駐車場着
0930分 同所発→
0955分 静岡県警 丸子交番着
.
【旧東海道五十三次「鞠子(丸子)宿」→「丁子屋」→「府中宿」を歩いて】
.
. 今日は「JR安倍川駅」西口前から旧東海道「丸子一里塚跡」へ行き、旧東海道五十三次 walking「丸子(鞠子)宿/丁子屋」→旧東海道「府中一里塚跡」→ 「駿府城(公園)」→旧東海道「長沼一里塚跡」→「JR東静岡駅」→東海道本線〔運賃200円〕→「JR安倍川駅」への20.8km 27,135歩を踏破した
.
[01][左上]JR安倍川駅西口近隣駐車場 にて
.
[右上]Google 航空 map JR安倍川駅→旧東海道「丸子一里塚跡」への経路図
[左下]旧東海道街並〔静岡市駿河区鎌田〕風景
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「紫陽花」
[右下]同〔同市同区丸子〕風景 丸子交番
.
1011分 旧東海道「丸子宿/道標」着
1014分 旧^_^東海道「同/丸子一里塚跡」着
.
【旧東海道「丸子宿/道標」「同/丸子一里塚跡」】
.
[02][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕「丸子宿/道標」にて1
.
[右上]同〔同〕風景 同上2
[左下]同〔同〕風景 路傍の花「紫陽花」&「南天」の花
[中下]同〔同〕風景「丸子一里塚跡」にて
[右下]同〔同〕風景 同上2
.
【旧東海道「同/丸子一里塚跡」】
.
[03][左上]Google 航空 map「丸子一里塚跡」→「丁子屋」への経路図
.
[
右上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕「丸子一里塚跡」にて3
[左下]同〔同〕同上4
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「南天」の花
[右下]同〔同〕風景 正に「山滴る!」1
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景】
.
[04][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景 正に「山滴る!」2
.
[左下]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景 同上3
[右上]同〔同〕風景 路傍の花「百合」1
[右中]同〔同〕風景 同上2
[右下]同〔同〕風景 同上3
.
1031分 旧東海道「丸子宿/水神社」着
.
[05][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「丸子川」1
.
[右上]同〔同〕風景 同上2
[左下]同〔同〕風景「水神社」境内
[中下]同〔同〕風景「同」鳥居前にて
[右下]同〔同〕風景「同」
.
[06][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「丸子宿」解説1
.
[右上]同〔同〕風景「丸子下宿」案内板にて
[左下]同〔同〕風景「丸子宿」解説2
[中下]同〔同〕風景「同」同上3
[右下]同〔同〕風景 旧東海道にて
.
[07][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景路傍の花「百合」
.
[右上]同〔同〕風景 しらい酒店オリジナル酒「鞠子の宿」解説板
[左下]同〔同〕風景「しらい酒店」前にて
[中下]同〔同〕風景「丸子宿/問屋場跡」
[右下]同〔同〕風景「同/脇本陣跡」
.
1058分「丁子屋」着
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景・「丁子屋」1
.
[08][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「丸子宿/横田本陣跡」
.
[右上]同〔同〕風景 路傍の花「ニンニクカズラ(←名称不詳)
[左下]同〔同〕風景「丁子屋」入口1
[中下]同〔同〕風景 電子化された受付器
. 入店時には【‥三密に配慮された‥】マスク着用、検温測定器に拠る検温〔36.3Cだった〕、alcohol 消毒が徹底されていて安心した
.
[右下]同〔同〕風景「丁子屋」入口看板と予約番号14
. 今日は平日なのに「丁子屋」開店(11:00)直前で予約番号が14番には驚いた
.
[09][左上]「丁子屋」入口の「鞠子宿 丁子屋」看板
.
[
右上]「同」入口2
[左下]「同」店内「食堂へ続く廊下」
[中下]「同」お品書き〜此のとろろ汁定食「本陣」を注文
[右下]「同」同〜食中酒として地酒 しらい酒店の「鞠子の宿」を注文
.
[10][左上]「同」地酒「鞠子の宿」で先ずは乾杯!(^^;
.
[右上]「同」とろろ汁を麦飯にかけ一杯目を食する
. 薬味に『山椒実粉』がなかったので尋ねたら「『刻み葱』が薬味です」と説明され納得
. すると数分後、其の『山椒実粉』を小皿に入れて持って来てくれた
. 此処でも温かな心配りに接することが出来、嬉しかった
[左下]「丁子屋」【‥三密に配慮された‥】店内「畳敷の食堂」
[中下]「同」注文した地酒「鞠子の宿」&とろろ汁定食「本陣」
[右下]「同」同土産に買った3品〜「歌川広重/東海道五十三次の絵葉書」「アカモク入りあらしお」「わさびのお塩」
.
. とろろ定食の「本陣」と地酒「鞠子の宿」、いずれも美味だった
. 美味しかったので、お櫃の中の麦飯〔ご飯茶碗🍚に軽く3杯〕を完食!(^^;;
. 「丁子屋」でのひとときは、弥次喜多道中の「鞠子宿」の雰囲気を堪能出来た
.
1205分「丁子屋」発→「丸子一里塚跡」→「府中一里塚跡」へ
.
[11][左上]Google 航空 map「丸子宿/丁子屋」→「同 丸子一里塚跡」→「同 府中一里塚跡」→「同 長沼一里塚跡」への経路図
.
[右上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「丁子屋」前にて
[左下]同〔同〕風景「歌川広重/東海道五十三次/丸子」
[中下]同〔同〕風景「丁子屋」&「同/同/同」前にて
[右下]同〔同〕風景「丁子屋」前の旧東海道にて
.
[12][左上] 旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「丸子宿横田本陣跡」にて
.
[右上]同〔同〕風景「丸子宿」看板前にて
[左下]同〔同〕風景「丸子宿 脇本陣跡」にて
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「額紫陽花」
[右下]同〔同〕風景 同「立葵」
.
1307分 旧東海道五十三次「丸子一里塚跡」着
.
[13][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区丸子〕風景「歴史の道 東海道のご案内」碑
.
[右上]同〔同〕風景「丸子宿 道標」にて
[左下]同〔同〕風景 旧東海道「丸子宿 街道脇の松」にて
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「額紫陽花」
[右下]同〔同〕風景 路傍の花「フロックス属()」「ルリマツリ()
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区向手越→向敷地〕風景】
.
[14][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区向手越〕風景 路傍の花「立葵」
.
[右上]同〔同市同区手越原〕風景 旧東海道脇「松の木」
[左下]同〔同市同区向敷地〕風景 旧東海道「同」
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「南天」の花
[右下]Google 航空 map 風景「向敷地→府中一里塚跡」経路図
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区〕風景「向敷地→安倍川橋西」】
.
[15][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区手越〕風景 路傍の花「サン・パラソル(?)
.
[右上]同〔同〕風景「ストケシア」
[左下]同〔同〕風景 旧東海道「安倍川橋西」にて1
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「同」にて2
[右下]同〔同〕風景 路傍の花「同」欄干標識
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区〕風景「安倍川橋西」→「安倍川橋」上にて】
.
[16][左上]旧東海道街並〔静岡市駿河区手越〕風景「安倍川橋西」にて
.
[右上]同〔同〕風景「安倍川橋西」より安倍川の望む
[左下]同〔同〕風景 安倍川橋より安倍川を望む1
[中下]同〔同〕風景 同上2
[右下]同〔同〕風景 同上3
.
【旧東海道街並〔静岡市駿河区手越→葵区弥勒〕風景「安倍川の義夫の碑」】
.
[17][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区弥勒〕風景「安倍川の義夫の碑」
.
[右上]同〔同〕風景 同所
[左下]同〔同〕風景 同所にて
[中下]同〔同〕風景 元祖 安倍川もち「せきべや」入口1
[右下]同〔同〕風景 同上2
.
1340分 旧東海道「府中一里塚跡」着
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区弥勒→本通〕風景「路傍の花」→「府中一里塚跡」】
.
[18][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区弥勒〕風景 路傍の花「白い紫陽花」
.
[右上]同〔同〕風景 旧東海道「府中一里塚跡」にて1
[左下]同〔同〕風景 旧東海道「同」同上2
[中下]同〔同〕風景 路傍の花「同」同上3
[右下]同〔同〕風景 路傍の花「同」同所解説板
.
1450分 旧東海道街並〔静岡市葵区新道〕着
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区新道→両替町〕風景「路傍の花/紫陽花」】
.
[19][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区新道〕風景 路傍の花「白い紫陽花」1
.
[右上]同〔同〕風景 同「同」2
[左下]同〔同〕風景 同「薄紅色の紫陽花」
[中下]同〔同〕風景 同「薄青色の額紫陽花」
[右下]同〔同〕風景 同「紫色の額紫陽花」
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区両替町〕風景「葵区両替町→『駿府城公園』」】
.
[20][左上]Google 航空 map 旧東海道街並〔静岡市葵区両替町→駿府城公園〕風景「駿府城公園」への経路図
.
[右上]同〔同〕風景「駿府城公園/坤櫓」
[左下]同〔同〕風景「同/同」同所にて1
[中下]同〔同〕風景「同/同」同上2
[右下]同〔同〕風景「同/同」同上3
.
. 1536分「駿府城公園/二之丸橋」着
.
[21][左上]旧東海道街並〔駿府城公園〕風景「坤櫓」を back 1
.
[
右上]同〔同〕風景「同」同上2
[左下]同〔同〕風景「駿府城公園」案内図「二之丸橋」にて
[中下]同〔同〕風景「駿府城公園」「二之丸橋」にて
[右下]同〔同〕風景「駿府城公園」「二之丸橋」→「巽櫓」お堀端にて
.
[22][左上]旧東海道街並〔駿府城公園〕風景「巽櫓」を back 1
.
[右上]同〔同〕風景「巽櫓」前の十返舎一九『東海道中膝栗毛』弥次・喜多像と
[左下]同〔同〕風景「同」同上 解説碑
[中下]同〔同〕風景「坤櫓」北から富士山頂遠望1
[右下]同〔同〕風景「同」北から富士山頂を back 1
.
【旧東海道街並〔駿府城公園4・静岡市葵区御幸町・同市同区伝馬町〕風景】
.
[23][左上]旧東海道街並〔駿府城公園〕風景 「坤櫓」北から富士山頂を back 2
.
[右上]同〔同〕風景「同」同上3
[左下]同〔同〕風景「同」北から富士山頂遠望2
[中下]同〔静岡市葵区御幸町〕風景
[右下]同〔静岡市葵区伝馬町〕風景
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区伝馬町・同市同区音羽町・同市同区春日〕風景】
.
[24][左上] 旧東海道街並〔静岡市葵区伝馬町〕風景 路傍の花「紫陽花」
.
[右上]同〔同〕風景 同「立葵」
[左下]同〔同市同区音羽町〕風景
[中下]同〔同市同区春日〕風景 静岡鉄道「静岡清水線」電車1
[右下]同〔同〕風景 路傍の花「紫陽花」
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区横田町・春日町・宮前町・柚木・長沼〕風景】
.
[25][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区横田町〕風景 路傍の花「紫陽花」
.
[右上]同〔同市同区春日町〕風景 静岡鉄道「静岡清水線」電車2
[左下]同〔同市同区宮前町〕風景 同「同」電車
[中下]同〔同市同区柚木〕風景 路傍の花「額紫陽花」
[右下]同〔同市同区長沼〕風景 静岡鉄道「静岡清水線」電車
.
1715分「長沼一里塚阯」着
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区長沼「長沼一里塚阯」〕風景】
.
[26][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区長沼〕風景 路傍の花「紫陽花」1
.
[右上]同〔同〕風景 同「同」2
[左下]同〔同〕風景「長沼一里塚阯」にて1
[中下]同〔同〕風景「同所」にて2
[右下]同〔同〕風景「同所」にて3
.
1733分「JR東静岡駅」着
1743分「JR東静岡駅」→東海道本線〔運賃 200円〕→
1751分「JR安倍川駅」着
1806分「JR安倍川駅」近隣駐車場発→一般道 1時間53 111km
1959分 帰宅〔走行距離計 223km
.
【旧東海道街並〔静岡市葵区・同市駿河区鎌田〕風景】
.
[27][左上]旧東海道街並〔静岡市葵区〕風景「JR東静岡駅」前にて
.
[右上]同〔同〕風景「JR東静岡駅」構内
[左下]同〔同〕風景「JR東静岡駅」platform にて
[中下]同〔静岡市駿河区鎌田〕風景「JR安倍川駅」前にて
[右下]此の日の踏破距離 20.8km / 歩行歩数 27,135
.
【小生 comment
. 此の日も天候に恵まれ、丁子屋で美味しいとろろ汁を食べ、駿府城「坤櫓」「巽櫓」と富士山頂を楽しく見ることが出来、楽しい一日を過ごすことが出来た
. 日が長くなったので、楽しく過ごす時間が増えて喜ばしい
. 次回は、今度の6/12()は別の予定があるので、翌週の6/18()or19()を予定している
.
続いての話題である
.
【ダニエル・バレンボイム Beethoven Piano Sonatas Recital
.
[28][][右上][右中][右下]開演前のコンサートホールにて
.
. 今日0609()は、平日週一回の公休日
. ダニエル・バレンボイム Beethoven Piano Sonatas Recital を、三密を避けるべくマイカーを利用して聴いて来た
. No.9 No.10 No.11 No.12 4曲連続演奏
. 此等は、17981801年にかけて作曲された Beethoven 2831歳の比較的初期の作品群で、第12番「葬送」以外の3曲は知名度という点からは今ひとつなのだが、バレンボイムの生演奏で聴くと「こんなに素晴らしい珠玉の作品群だったんだ!」と驚嘆しきり
. もう最高の演奏で、4曲目が終演した瞬間、館内は万雷の拍手が鳴り止まない
. いつしか此の日来場した半数以上聴衆が Standing ovation で感動と感謝の気持ちをダニエル・バレンボイムに伝え続けていた!
. 実に感動的な締め括りだった!
.
[29][]concert 案内葉書
.
[
右上]愛知県芸術劇場concert hall
[右中]同上 入口にて
[右下]同上 ホワイエにて
.
. 演奏曲目が、当初はご覧の様に、Beethoven Piano Sonatas No.30 No.31 No.32 3曲だったが、2週間程前に、バレンボイムの強い要望で、No.9 No.10 No.11 No.12 4曲に変更された
.
[30][左上]本演奏会program  & ticket
.
[右上]同上& leaflet
[左下]開演前のコンサートホールにて1
[中下]同上2
[右下]開演前のコンサートホール 舞台
.
[31][左上]バレンボイムの Beethoven Piano Sonatas 全集 DVD から
.
[右上][左下][中下][右下]バレンボイムの Beethoven Piano Sonatas 全集 DVD から、No.9 No.10 in Berlin 2006
.
[32][左上]バレンボイムの Beethoven Piano Sonatas 全集 DVD
.
[右上][左下][中下][右下]バレンボイムの Beethoven Piano Sonatas 全集 DVD から、No.11 No.12 in Berlin 2006
.
. 此等を聴いて予習した
.
【らあめん専門店『陣屋』】
.
. 演奏会の前は、遅い昼食を兼ねて大曽根の陣屋で腹ごしらえ
.
[33][左上]『陣屋』入口前にて
.
[右上]オズモール入口の monument 前にて
[左下][中下][右下]陣屋店内にて
.
【旧行大曽根支店前の今昔】
.
[34][左上][右上]昔の旧行大曽根支店
.
[左下][右下]今の旧行大曽根支店跡
.
. 陣屋へ行く途中に、旧行大曽根支店前を通ったら、支店が跡形も無く消えていた
. 跡地は、瀬戸信用金庫の店になる様だ
. 旧行大曽根支店はなくなり、旧行東支店が大曽根支店に名前を変えて営業している様だ
.
.  年年歳歳 店名同 (店名 同じなれど)
.  歳歳年年 店不同 (店 同じからず)
.
【芭蕉/句碑「來與に穂麥喰はん草枕」】
.
[35][]芭蕉の句碑にて
.
[右上]芭蕉の句碑解説板
[右下]芭蕉の句碑
.
. 大曽根から少し北上すると、芭蕉の句碑がある
.
.  來與(いざとも)に 穂麥(ほむぎ) (くら)はん 草枕  芭蕉
.
. 此の句碑は、木曽街道沿いの正念寺にある
. 貞享二(1685)(旧暦)四月「野ざらし紀行」の途次、正念寺(春日井市中町)近くの農家に一宿した折り、家の老婆が「何分田舎のこととて差し上げるものもなく」と、新麦穂にて「青ざし」を差し出した処、芭蕉喜び此の句を詠んだと云う
. 当地方には昔から麦の端境期に空腹凌ぎに大麦を青刈して穂を石臼で轢き、餅の様にして食する風習があった
.
2021/06/10// 拙宅中庭の紫陽花】
.
[36][][]拙宅中庭の紫陽花の横にて
.
.
【前書】今夕(2021/06/10) 色付きも確りして来た18:25撮影の拙宅の紫陽花
.
.  拙宅の紫陽花盛時を迎へけり  悟空
.
2021/06/12/17:28// 今日の拙宅の紫陽花】
.
[37][][右上][右中][右下]拙宅中庭の紫陽花1
.
[38][][右上][右中][右下]同上2
.
.
【前書】紫陽花は多くの別名を持つ、七変化も其の一つ
.
.  一株に 数多な顔の 七変化  悟空
.
続いての話題である
. 0612()は、補聴器調整→名都美術館→らあめん陣屋→N歯科医院→古川美術館、と巡って来た269㎞だった
.
0445分 起床→腹筋2,000
0535 2.5kg木刀素振り60
0640分 入浴→朝食
0810分 拙宅発→一般道40 49分→
0859 JR浜松駅南口駐車場着
0901 R補聴器センター〔補聴器調整〕
0923 JR浜松駅南口駐車場発→一般道2時間47 117/157km
1210分 名都美術館駐車場着
.
【名都美術館『高崎市タワー美術館収蔵品/つなぐ、つながる、日本の美』展】
.
[39][]名都美術館入口にて
.
[右上]本企画展 leaflet
[右下]竹内栖鳳(1864-1942)『老松朝陽』1940年頃
.
[40][左上] 山本春挙(1872-1933)『寒江待渡()・夏渓瀑布()1896年頃
.
[右上]上村松園(1875-1949)『京美人之図』193235年頃
[左下]同『櫻がり図』194144年頃
[右下]橋本関雪(1883-1945)『霜樹栗鼠』1935
.
[41][左上]山口華楊(1899-1984)『春雪』1978
.
[
右上]同『深秋』1981
[左下]上村松篁(1902-2001)『柿紅葉』1996
[右下]東山魁夷(1908-99)『暁雲』1977
.
[42][左上]東山魁夷『樹氷』1996
.
[
右上]高山辰雄(1912-2007)『皓々』1982
[左下]同『みず辺』1994
[右下]上村淳之(1933- )『晨(あした)1974
.
1232分 同所発→一般道28 14/171km
1310分 らあめん専門店陣屋近隣駐車場着
1315分 らあめん専門店陣屋〔昼食〕
1345分 らあめん専門店陣屋近隣駐車場発→一般道 12 3.5km/174,5km
1357分 古川美術館駐車場着
1359分 古川美術館着
.
【古川美術館『遊画(ゆうが)な季(とき)/花と鳥と人と』展】
.
[43][]古川美術館 館内入口にて
.
[
右上]2回会場:「山本澄江『MY LANDSCAPE”祈りの道”-流れる季-』2017年〔部分〕個人蔵」前にて
. 此の作品のみ撮影可であったため撮影
[右中]同:「同『同-同-』同〔同〕同」
[右下]同:「同『同-同-』同〔同〕同」caption
.
[44][]古川美術館 本企画展 leaflet
.
[
右上:(1-4月)][左下:(5-8月)][右下:(9-12月)]山本澄江『MY LANDSCAPE”祈りの道”-流れる季-』2017年〔部分〕
.
[45][左上]鏑木清方(1878-1972)『夏の日盛り』古川美術館蔵
.
[右上]上村松園『時鳥一声』古川美術館蔵
[左下]上村松篁『立葵』古川美術館蔵
[中下]和田英作(1874-1959)『薔薇』1939年古川美術館蔵
[右下]福田平八郎(1892-1974)『鴛鴦』古川美術館蔵
.
1415分 同所発→一般道12 3.5km/178km
1428 N歯科医院着
1450分 同所発→一般道2時間25 91km/269km
1715分 帰宅〔了〕
.
【小生 comment
. 今日の名都美術館『高崎市タワー美術館収蔵品/つなぐ、つながる、日本の美』展、古川美術館『遊画(ゆうが)な季(とき)/花と鳥と人と』展、共に珠玉の名品揃いの素晴らしい企画展だった
. 三密を避けるべく、美術館滞在時間も15分~25分という慌ただしさだったが、実物を自分の眼で確かめる満足感に勝るものはない
.
続いての話題である
. 小生全部訪れた現存【重文】12天守閣のうち、最近の Facebook で、中国地方の「【国宝】松江城」「備中松山城」、四国の「高知城」「宇和島城」「伊予松山城」「丸亀城」の計6城をご紹介した
. 今回は、残り6城のうち、まず昭和60(1985)0504日最北の「弘前城」の思い出を、今から14年前の小生の以下の blog up した記事をコピペしてご紹介したい
.
2007/03/11【時習26回3-7の会 0074】~「【『同窓会』開催のご案内】と【『e-mail address』のお願い】」「弘前公園~太宰治『津軽』・司馬遼太郎『北のまほろば』」「瀬戸内寂聴『孤独を生ききる』その2」
.
【現存【重文】12天守閣〜7城目『弘前城』】
.
[46][]弘前城お堀から岩木山遠望
.
[]弘前城と岩木山
.
[47][]ソメイヨシノ
.
[]枝垂桜
.
. 北国の遅い春なので、golden weekも押し迫った54日 / ソメイヨシノ()と枝垂桜()が同時に咲きます(添付写真をご覧下さい) / これに辛夷の花の白色も加わり、素晴らしいの一言です
〔写真は、今から3廻り(12年× 3(廻り)=36)前の 1985/05/04 撮影したものだが、意外に綺麗な色合いだ!〕
.
. 「小生、今は昔、陸奥仙台在勤4年間に東北各地を旅行しましたが、桜と言えば、青森県弘前市にある弘前城址の桜が最高でした」と記してあります
.
【筆者comment】厳しい津軽の冬が明け、梅・桜・辛夷(コブシ)の花が一斉に百花繚乱する『北国の春』‥
. 津軽の人々にとって本当に待ち遠しかった『春』でしょう
. さらに今日は、1985(昭和60)54日に仙台市から弘前城までドライブした時の「絶景の『弘前公園の桜』」をご紹介します / 今から22年も前の昔日の出来事ですが、今も鮮明に覚えています / albumの写真の保存状態も予想以上に変色せず綺麗でした
. 弘前城のお堀を桜の花びらで埋め尽くしてピンク色の絨毯を敷き詰めた情景はまさに絶景‥筆舌に尽くし難い美しさです / お堀がピンク色に染まり、白雪を抱いた岩木山を遠望すると、あまりの美しさで暫く体が震えたことを思い出します
.
[48][][]MILD SEVEN」外箱の弘前城
.
.
. 小生、当時仙台支店で融資折衝を担当し一日3箱喫煙する  heavy smoker であったのですが、その時弘前城で買った煙草「MILD SEVEN」の表紙にも美しい弘前城の写真が載っていました / 此の「MILD SEVEN」外箱の弘前城は、album に弘前城他の写真と一緒に貼ってありました
.
[49]岩木山遠望
.
.
.
 お仕舞いの写真は、白雪を頂いた秀麗な山は岩木山です / 弘前市内から岩木山へ向かう道から撮影したものです / 実に秀麗な『岩木富士』でした / 天気は快晴でしたが、風はやはり冷たかったです
.
. 1982/05/171986/04/21 の旧行仙台支店の 4年間は、小生の社会人になってからの最高の青春時代&修行時代でした‼️
.
■作家司馬遼太郎も【街道をゆく41】『北のまほろば』~「弘前城」と「津軽の作家たち」で以下のように評しています
.
. 「弘前城」:(前略)季節になれば、堀も石垣も、天女が舞い降りたように、桜の羅衣(うすごろも)になる。(中略)弘前城は築城早々には五層の天守閣がそびえていたが、建造後わずか十七年目の寛永四年(1627)に落雷焼失した。記録を見ると、九月五日の夜のことである。(中略)当時幕府は五層の天守閣の新築を諸藩に対して禁じていたため、(筆者注:津軽藩は)三層の角櫓の一つを改築して天守閣のかわりにした。だからいまの天守閣はこぶりなのである。それがかえって全体との調和がよく、ふしぎなやさしさを帯びた名城になっている。(以下略)
.
. 「津軽の作家たち」:(前略)津軽人の太宰治(190948)が旧制弘前高校に入ったのは、(中略)昭和二年(1927)十八歳のときだった。(中略)そのころ弘前高校にGP・ブルールという若い英国人教師がいた。かれは、入学早々の生徒に”ほんとうの幸福とは何か”という英作文を書かせた。太宰の英作文は、この先生が激賞したほどに出来がよかったらしい。その英文の書き出しが、(中略)「ほんたうの幸福とは、外から得られぬものであって、おのれが英雄になるか、受難者になるか、その心構へこそほんたうの幸福に接近する鍵である」十八歳の太宰が、英雄か受難者か(西洋風にいえば、聖者か殉教者か)という二枚にカードしか用いずに幸福を論じたのは、(中略)太宰論にとっても、暗喩的である。(以下略)
.
. 次に(その司馬遼太郎が評した)「太宰治」の紀行文「津軽」である
. この作品は、津軽が生地の俊英である彼の最高傑作との評価も高い。その「津軽」から弘前城辺りの一部をご紹介する
.
. (前略)桜の頃の弘前公園は、日本一と田山花袋が折紙をつけてくれているそうだ。(中略)
. 弘前の決定的な美点、弘前城の独特の強さを描写することはついに出来なかった。重ねていう。ここは津軽人の魂の拠りどころである。何かあるはずである。日本全国、どこを捜しても見つからぬ特異の見事な伝統があるはずである。私はそれをたしかに予感しているのであるが、それが何であるか、形にあらわして、はっきりこれと読者に誇示できないのが、くやしくてたまらない。この、もどかしさ。
. あれは、春の夕暮れだったと記憶しているが、弘前高等学校の文科生であった私は、ひとりで弘前城を訪れ、お城の広場の一隅に立って、岩木山を眺望したとき、ふと脚下に、夢の町がひっそりと展開しているのに気がつき、ぞっとしたことがある。(中略)お城のすぐ下に、私のいままで見たこともない古雅な町が、何百年も昔のままの姿で小さい軒を並べ、息をひそめてひっそりうずくまっていたのだ。ああ、こんなところにも町があった。年少の私は夢を見るような気持ちで思わず深いため息をもらしたのである。万葉集などによく出てくる「隠沼(こもりぬ)(筆者注:草木などに隠れて見えない沼【広辞苑】)」というような感じである。私は、なぜだか、その時、弘前を、津軽を、理解したような気がした。(中略)隠沼のほとりに万朶(ばんだ(筆者注:多くの垂れ下がった枝))の花が咲いて、そうして白壁の天守閣が無言で立っているとしたら、その城は必ず天下の名城にちがいない。(中略)私はこの愛する弘前城と訣別することにしよう。思えば、おのれの肉親を語ることが至難の業であると同様に、故郷の核心を語ることも容易に出来る業ではない。(以下略)
.
【筆者comment
. 太宰治は弘前市より岩木川を北に下った北津軽郡金木(かなぎ)村に生まれた
. 本名津島修治。作品「津軽」は、太宰が玉川上水に入水自殺する(昭和23613日~14日未明)4年前の昭和19年、512日に東京を出発、65日帰京するまで津軽地方を探訪
. 11月に上梓された
. この作品で太宰が見せる「津軽」についての語り口は「郷土を深く愛してやまない熱い想い」が確りと伝わって来て心地よい
.
. 彼は次の言葉で締め括っている / 4年後を予感させる風でもある
.
. さて、古聖人の獲麟(かくりん)(筆者注:孔子が春秋を著し、「西狩獲麟」の句を以て筆を絶ち死んだことに基づく。絶筆。物事の終末。誤用されて、孔子の死をいい、更に転じて、臨終または臨終の辞世の意となった【広辞苑】)を気取るわけでもないけれど、新津軽風土記も、作者のこの獲友の告白を以て、ひとまずペンをとどめて大過ないかと思われる。まだまだ書きたいことが、あれこれとあったのだが、津軽に生きている雰囲気は、以上でだいたい語り尽くしたようにも思われる。私は虚飾を行わなかった。読者をだましはしなかった。さらば読者よ。いのちあらば他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。〔了〕
.
【現存【重文】12天守閣〜8城目『丸岡城(霞ヶ城)』】(福井県坂井市丸岡町)
.
. 此れで、現存【重文】12天守閣のうち、ご紹介していないのは【国宝】の姫路・彦根・松本・犬山の4城となった
.
2016/11/11 14:49【時習26回3-7の会 0626】~「102930日:『城郭&史跡巡り~石川・福井〔城・城跡、苔庭、そして芭蕉【奥の細道】の足跡〕を訪ねて』実施報告〔後編〕」
.
. 今日は、2016/11/11 14:49に【時習26回3-7の会 0626】に up した、「102930日:『城郭&史跡巡り~石川・福井〔城・城跡、苔庭、そして芭蕉【奥の細道】の足跡〕を訪ねて』実施報告〔後編〕」をご紹介する
. 先ずは、以下に旅行初日の概略と二日目の詳細の行程表を記す。
.
《行程表》
【初日(1029())
.
10
50分 【多太神社】着 石川県小松市上本折町
1245分 【自生山 那谷寺】着 石川県小松市那谷町
1400分 【大聖寺(だいじょうじ)城跡】着 加賀市大聖寺錦町
1435分 【熊谷山 全昌寺】着 石川県加賀市大聖寺神明町
1605分『あわらグランドホテル』着 福井県あわら市温泉
.
【二日目(1030())
.
09
00分 ホテル 発 →〔12.8km 25分〕
0925分 【丸岡城(霞ヶ城)】着 坂井市丸岡町霞町
.
[50]丸岡城 天主閣前にて、中嶋君【32()・今泉(谷山)君【3-3()
.
.
. 全国に12ある現存《重文》天守閣の一つ
天正4(1576) 柴田勝家の甥の勝豊が丸岡城を築いたのが起源
. 柴田勝豊の後、城主は、安井家清・青山宗勝・青山忠元を経た後、
1613(慶長18)年 本多成重に代わり、その本多氏も4代で改易
1695(元禄08)年 有馬清純が5万石で入城、明治維新迄8代続く
.
10
45分 同所 発 →
1105分 【清涼山 天龍寺】着 永平寺町松岡春日
.
[51][左上]天龍寺 芭蕉句碑「物書て 扇引さく 余波哉」
.
.
1653年 松岡藩初代藩主 松平昌勝公の命に拠り建立
. 「丸岡天龍寺の長老、古き因(ちなみ)あれば尋ぬ
. 又、金沢の北枝(ほくし(=立花源四郎(?-1718?)))といふもの、かりそめに見送りて此(この)処までしたひ来る
. 所々の風景過さず思ひつヾけて、折節(おりふし)あはれなる作意など聞ゆ
. 今既(すでに)(わかれ)に望みて、
.
.  物書て 扇(あふぎ)(ひき)さく 余波(なごり(=名残))哉  芭蕉
.
1155分 同所 発→
1205分『そば処/毘沙門』永平寺町松岡神明
1300分 同所 発→
1315分 天龍寺 発 →
1400分 【平泉(へいせん)寺】着 勝山市平泉寺町平泉寺
.
[左下]平泉寺白山神社境内にて
[右上]平泉寺白山神社境内の見事な苔
拝観料〔旧玄成院庭園:50円【要予約】〕
.
1450分 同所 発 →
1515分 【越前大野城】着 大野市城
.
[右中]越前大野城にて
[右下]街から越前大野城天守閣遠望 / 拝観料200
.
1575(天正03)年金森長近(ながちか(1524-1608))が織田信長から越前国
. 大野郡3万石を与えられ築城/明治時代に破城/1968(昭和43)年に復興
.
1600分 同所 発 →
2000分 谷山宅着 →
2020分 今泉宅着 →
2025分 青木宅着 →
2055分 中嶋宅着 →
.
【小生comment
. あっという間の二日間の旅だった
. 現存する国宝重文12天主閣の一つ「丸岡城」、竹田城にも負けない、天空の城「越前大野城」
. そして、松尾芭蕉『奥の細道』所縁の「天龍寺」
. 京都「西芳寺」にも劣らぬ立派な杉苔が美しい「平泉寺半山神社」
. 何れも素晴らしい、思い出の史跡巡りとなった
.
さて今日は、20080426()『賢人会』と不遜な同好会名を付けた中嶋良行君(旧【3-2】)、今泉(谷山)健君(旧【3-3】)との城址・社寺・温泉巡りの会は、半年ぶりに、そして新たに、青木さんという三人の共通の友人で人生の先輩である方を仲間に加え四人で〔『彦根城』『蒲生野・万葉の里』〕巡りに日帰りで行って来た模様をお伝えする
.
【現存【重文】12天守閣のうち、9城目『彦根城』】
.
. 今回は、「蒲生野・万葉の里」と「彦根城と城下町」、「磯崎神社」、「須賀谷温泉(→当日、長浜太閤温泉に変更)」巡り
.
【蒲生野・万葉の里】
.
. 最初に訪れたのが『蒲生野・万葉の里』
. 添付写真にある「万葉の森・船岡山」である
. 名神高速道路「八日市IC」を出てほどなく到着
. 此の地は、これも添付写真で解説してある様に、額田王と大海人皇子との恋物語は、万葉集の中でも特に有名な episode である
. 後に争った兄弟、天智天皇と天武天皇に愛された女性、額田王(ぬかたのおおきみ)の歌は‥
.
.  茜さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る  額田王
.
【意】紫野を行き、標野を行き、狩をして、野守は見咎めないのでしょうか、あなたが私に袖を振るのを
.
. 此の歌には、かつての夫、大海人皇子(後の天武天皇)の返歌‥
.
.  紫草(むらさき)の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも
.
【意】紫草の様に艶やかな貴女を憎いと思うなら、何故人妻である貴女に、恋焦がれることがありましょうか
.
. 額田王の咎め立てに対して、「人妻であっても恋しい」と反語で強く訴える
.
[52][左上]船岡山案内看板前にて
.
[左下]「額田王の歌と大海人皇子の返歌碑」前にて
[右上]船岡山解説板
[右中]「額田王の歌と大海人皇子の返歌碑」
[右下]ドウダンツツジ
.
【筆者comment
. 添付写真の(八日市市指定)文化財『船岡山』案内看板にある様に、額田王は大海人皇子との間に十市皇女(とおちのひめみこ)を儲けていた(皇女は大友皇子(後の弘文天皇)に妃)が、この時額田王は、天智天皇の寵愛を受けていた
. しかも40歳を超えていた
. 故に、二人の関係は周知の事実としての宴席での座興というのが定説となっている
. でも小生は、この歌が1300年以上経った今も新鮮に聞こえる、万葉人(びと)のおおらかさを微笑ましく感じる
. 万葉の森・船岡山には紫草ではないが、満点星躑躅(ドウダンツツジ)が満開(添付写真ご参照)で美しかった
. 高浜虚子の娘、星野立子の句が浮び、ついで即興でつくった小生の拙歌をご覧下さい
.
.  触れてみし どうだんの花 かたきかな  星野立子
.
.  
蒲生野に 咲く満天星(どうだん)の 可憐さも すずしき君に 色褪せて見ゆ  悟空
.
【注】すずしき=涼しき=鈴()しき(スズラン花の様な)
.
. 此の万葉の詩情を胸に抱いたまま、彦根城へと向かった
.
【彦根城】
.
. 彦根城に着いて、我々がまず向かったのは、幕末の大老井伊直弼が部屋住みの時代の十五年間を過ごした『埋木舎(うもれぎのや)』である
.
[53][左上]『埋木舎(うもれぎのや)』庭にて1
.
[右上]同上2
[左下]同上3
[右下]『埋木舎』解説板
.
. 直弼は、庶子で、17歳から32歳までの15年間を部屋住み(三百俵の捨扶持)として、彦根城至近にある『埋木舎(うもれぎのや)』で過ごした
. この間、長野主膳と師弟関係となり国学を学ぶ
. この頃茶道(石州流)の奥義を究める。茶名を「宗観」「無根水」と号した
.
.  世の中を よそに見つつも 埋れ木の 埋もれておらむ 心なき身は 井伊直弼
.
.  茶の湯とて なにか求めん いさぎよさ 心の水を ともにこそ汲め  同
.
.  むっとして もどれば 庭に柳かな  同
.
[54][左上][右上][左下]『埋木舎』中庭
.
[右下]長野主膳()と井伊直弼
.
.
. 35歳で井伊家を継ぎ、安政05(1858)年、大老に就任
. 日米修好通商条約を孝明天皇の勅許ないまま締結
. 安政07(1860)33日、桜田門外にて水戸藩浪士により暗殺された(享年満45)
.
【筆者注】因みに、江戸時代、大老は一人の再任を除くと四家(井伊・土井・堀田・酒井)12
. うち譜代筆頭の井伊家から直弼を含め 6名を輩出
. 次いで、酒井家4
. 後は土井利勝と堀田正俊だけである
. 『彦根城』は、井伊家35万石の居城
.
[55][][右上]彦根城にて
.
[右中][右下]彦根城
.
. 世界遺産の『姫路城』と、『松本城』『犬山城』『松江城』と共に国宝五城の一つである
.
【現存【重文】12天守閣のうち、10城目『松本城』】
.
. 小生、松本城は、
(1) 197708月の大学4年生の時、弓道部の同期生3人と信州の旅をした際訪れたのが第1回目
(2) 2004
年夏【時習26回生卒業30周年記念懇親会&旅行 in 松本&上高地】で訪れたのが2回目
(3)
其の後も家族で、上高地&松本城を訪れている
.
. 今日は、一番古い(1)大学4年の時の写真をご紹介する
.
[56][]197708月の大学4年生の時、弓道部の同期生3人と信州の旅
.
[左下]大学弓道部の同期生3人と松本城を back
. 写真左端の石黒君は10年程前に天に召されている
[右下]野本H史君と
. 彼とは、大学、旧行時代を通して同窓同期の朋友である
.
. 今日は【現存【重文】12天守閣のうち、残り2城の一つで11番目の【国宝】『犬山城』】をご紹介する
.
. 犬山城は、 20190209日、同城から程近くに移転、作庭建立された現存【国宝】3茶室のうちの一つ、織田信長の弟、織田有楽斎作の『如庵(じょあん)』のある「有楽苑(うらくえん)」と合わせて見て来たので、其の時の模様をご紹介する。
.
613府 拙宅発→一般道 111㎞→
0905分 有楽苑着
.
【有楽苑『如庵』】
.
[57][左上]有楽苑 案内看板
.
[右上]元庵 前にて2
[左下]同上3
[右下]同上2
.
[58][左上]待合 前にて
.
[右上]萱門
[左下]【国宝】如庵 外観
[
右下]如庵前にて
.
[59][左上]如庵内部1
.
[右上]同上2
[左下]同上3
[中下]如庵 国宝指定書
[右下]【重文】旧正伝院書院 前にて
.
【路上の赤い椿花】
.
0940分 如庵から徒歩で犬山城へ
0944分 路上に赤い椿が落ちていた
.
【前書】路上に落ちていた赤い椿を見て、河東碧梧桐(1873-1937)の有名な「赤い椿 白い椿と 落ちにけり」の句が浮かび、続いて次の拙句が浮かんだ‥
. 因みに、赤い椿花の花言葉は「控えめな素晴らしさ」「謙虚な美徳」だそうだ
.
.  赤い椿に 君の気高さ 見つけたり  悟空
.
[60]]路上の赤い椿花
.
.
【犬山城】
.
0955分 犬山城天主閣着
.
. 犬山城主の成瀬氏は、尾張国徳川家の御付家老(おつけがろう)五家の一つで3万石→35千石を領した
. 因みに、御付家老には、江戸幕府初期、御三家等の連枝(=一族)を大名とした際、将軍直命に拠り家老となった家臣で、尾張徳川藩の平岩・成瀬・竹腰・渡辺、石河(いしこ)や、紀伊徳川藩の安藤・水野・三浦・久野、水戸徳川藩の水野・中山の各家がある
. 明治維新後の188477日 華族令に拠り、公・侯・伯・子・男の5階級の貴族が、旧大名家は石高に拠り定められた
. 明治維新政府の成立母体藩主筋の島津・毛利、旧将軍家の徳川、其れに島津久光と徳川慶喜等が最高位の公爵、20万石超の尾張徳川家・紀伊徳川家・細川・黒田・池田・浅野・土佐山内・蜂須賀・越前松平等は侯爵、10万石以上は伯爵、1万石以上の旧大名家は子爵に叙せられた
. 余談だが、水戸徳川家も明治維新後 侯爵に叙爵されたが、同家第13代当主 徳川圀順(くにゆき(1886-1969))は、1929年 徳川光圀以来編纂を続けていた歴史書『大日本史』を完成させた功に拠り公爵に陞爵している
. 石高は1万石以上有した大藩の家老は、陪臣に当たる為、華族になれなかったが、旧江戸幕府の御付家老家は、例外的に男爵として華族に列した
. 成瀬氏は、明治維新後、男爵となり、1891年には子爵に陞爵している
. 犬山城は、国の史跡に指定され、現存する国の【重文】に指定されている12天守閣の1つで、姫路・松本・彦根・松江と共に5つある【国宝】天守閣でもある
. 又、犬山城は、2004年迄成瀬氏が個人所有していた城としでも有名である
.
[61][左上]犬山城天主閣をback
.
[右上]犬山城天主閣
[左下]犬山城内部
[中下]天守閣最上階にて1
[右下]同上2
.
【現存【重文】12天守閣のうち、最終回12番目締め括り『姫路(=白鷺)城』】
.
. 姫路城には、20060603日と、20150531日の2回訪問した時の写真があるのでご紹介したい
. 以下の4枚は2、大改修直前の20060603日のもの
.
[62][][右上][右中][右下]姫路城にて中嶋君【時習26 3-2】、今泉(谷山)君【3-3】と
.
.
【大改修なった『姫路城』の雄姿】
.
. 続いて、20150531日に大改修なった姫路城の白鷺城たる秀麗な雄姿を20枚ご覧頂きたい
. 世界遺産で、現存12天守閣の中でもずば抜けて美しい姫路城です
. 日本人として心底誇りに思える世界遺産で、小生大好きである
. 此の城は、世界の三大宮殿のフランス「ベルサイユ宮殿」、オーストリア「シェーンブルン宮殿」、ロシア「エルミタージュ宮殿」に勝るとも劣らない美しさです!
.
[63][左上][左下][右上][右中][右下]姫路城1
.
[64][左上][右上][左下][中下][右下]同上2
.
[65][左上][左下][右上][右中][右下]同上3
.
[66][左上][左下][右上][右中][右下]同上4
.
.
. 20150530()31()は、時習26回生の同期 中嶋君と谷山君等との『播磨国の国宝建築物と黒田官兵衛縁の史跡巡り』の旅の二日目の模様についてご紹介する
.
※ 二日目 ※
.
[67][左上]やしろ会館での朝食
.
.
07:35発『やしろ会館』→〔24km 52分〕
. 最初の訪問地 一乗寺の拝観時間が0800分~と早い
.  0700分に摂った朝食後の手際も良く、予定より25分早く出発
08:55着『一乗寺』は、加西市坂本町にある天台宗の寺院
.
【一乗寺】
.
[67][右上]西国33観音霊場26番札所 法華山 一乗寺 参道石段
[左下]一乗寺【国宝】三重塔(左手奥)&本堂(=金堂)(右手奥) に到る参道石段にて
[右下]一乗寺【国宝】三重塔 前にて
.
. 白雉元(650)年 法道仙人の開山、孝徳天皇(596-654(在位645-54))の勅願に拠る官刹
.         孝徳帝は、皇極天皇の同母弟
. 我国で初めての元号「大化(645-50)」と「白雉(はくち)(650-654)」を制定
.         仙人は、Indiaより紫雲に乗り中国朝鮮を経て当山に降り立ち、山を法華山(ほっけさん)と名付けた
988(永延02)年 花山法皇(968-1008(在位984-988))が御幸。金堂(=本堂)を大悲閣と命名【西国26番札所】と定む
1171(承安元)年 【国宝】三重塔 建立。塔身部の逓減(初重→三重になるに従い小さくなる)率が大きいことが特色
.
【小生comment
. 花山(かざん)法皇(=天皇)というと、法皇になってから、西国三十三所霊場を巡礼し修行した
. 『大鏡』には、藤原兼家が、自らの外孫 懐仁親王(=一条天皇)を即位させんが為、彼の三男道兼をして、花山天皇に一緒に出家するよう唆(そそのか)したとある
. 愛する女御(藤原忯子)を亡くし悲嘆にくれる天皇と一緒に内裏から元慶寺(=花山寺)に来た道兼本人は逃げ出し花山天皇だけが寺に取り残された
. 17歳で天皇になった花山天皇は、在位2年に満たない19歳で退位を余儀なくされた、悲運の帝であった
.
09:10発 一乗寺→〔33.9km 42分〕
10:05着『書写山rope way (料金:往復900) 09時より毎時:00分・15分・30分・45分の15分間隔で、全長781m、高低差211m〔所要時間4分〕
10:15発→〔4分〕→
10:19着『書写山/山頂』
10:22発→〔マイクロバス利用(摩尼殿近く迄):入山料@500+マイクロバス@500円=1,000円〕〔所要時間5分〕
10:28着『圓教寺』
.
【圓教寺】
.
[68][左上]圓教寺 摩尼殿(左上奥)に到る石段前にて
.
[
右上]天を覆う様な威圧感ある摩尼殿
[左下]三つの堂 食堂 前にて 中嶋君・今泉(谷山)君と
[中下]三つの堂 大講堂 前にて 中嶋君・青木さん
[右下]三つの堂 恒行堂 前にて 中嶋君・今泉(谷山)君と
.
. 書写山((=書寫山)しょしゃざん)圓教寺(えんぎょうじ)は、天台宗別格本山である。【西国27番札所】
. 「西の比叡山」とも呼ばれ、中世では、比叡山・大山と共に天台の三大道場と並び称された巨刹である
. 西国33所中最大規模の寺院で、境内は、仁王門~十妙院area「東谷」、摩尼殿を中心とした「中谷」、三つの堂のある「西谷」に区分される
. 伽藍がある書寫山は標高371m
. 当寺は、姫路藩本多家の墓所になっている
. 室町時代から明治時代迄は、女人禁制だった
.
【小生comment
. 映画のロケ地としても最近頓(とみ)に脚光を浴びている
. Hollywood 映画『ラストサムライ』(2003年公開)
. NHK大河drama『武蔵』(2003年放映)
.    同   『軍師官兵衛』(2014年放映)
. 今回の旅行は、『播磨国の官兵衛』の足跡を訪ねる‥という目的もあり、当寺は是非訪れてみたかった
. 秀吉が毛利攻めで播磨に進出した際、この圓教寺に布陣した
. 確か、テレビでも、「三つの堂」の広場を使って布陣する場面を放送していたと記憶している
. 圓教寺は、大変立派な伽藍が建ち並んだ大寺院だ
. 尋ねてみて良かった  !(^-')b
.
11:30発→〔マイクロバス(毎時:05分・22分・45)
.
【書写山 rope way 山頂駅展望台から姫路市遠望→姫路城】
.
[69][左上]書写山 rope way 山頂駅展望台から姫路市遠望
.
.
【小生comment
. 展望台から姫路市内が見渡せるので、姫路城が見えると思ったが、山影に隠れて見えなかった
.
11:45発〔マイクロバス→書写山ropeway山頂駅〕
12:00発『書写山ropeway 山頂駅』
12:04着『書写山ropeway 山麓駅』
12:10発→〔6.4km 15分〕
12:30着『姫路城』東側駐車場
.
. 此の(2015)0327日に大天守の大改修が完了して公開されてまだ2箇月一寸だからか、世界遺産だからだろうか、沢山の観光客に改めて吃驚した
. 車で、姫路城に近づいたら、いずれも駐車場が満車状態
. 何処に駐車しようかと思案して、姫路城の次の訪問地「御着城址」が姫路城から南東にあるので、姫路城の東側で駐車場を探してみた
. Luckyなことに、姫路城東側の駐車場はまだ空車の所があり其処に停めることが出来た
. 時計を見たら、12時半を過ぎた所なので、まず昼食を摂ることにした
. 姫路城南側正面の大手前の海鮮食堂に入った
.
[69][右上]巽方面から姫路城遠望を背景に
[左下]姫路城入口にて
[中下]姫路城[乾小天守→西小天守→大天守/手前:りの一渡櫓]
[右下]姫路城をback
.
【小生comment
. 帰りの時間のこともあり、大天守閣内部へ入るのは今回は取止めた
. 添付写真でご覧の様に、外から見るだけでも美しく、ホント素晴らしいお城である
. 尚、姫路城についての詳細は、今回は敢えて記すことを省略する
. 大改修なって美しくなり過ぎた姫路城を見て、これじゃあ、改修ではなく、まるで新築の様だ
. 改めて「歴史的建造物の『保存』とは、一体何処迄を言うのだろう」と、一寸複雑な気持ちになって仕舞った
.
14:15発→〔5.5km 13分〕
14:35着『御着城址』
.
【御着城址】
.
. 御着(ごちゃく)城址は、赤松氏の一族である小寺政隆に拠って築かれた城で、小寺氏の居城である
. 黒田官兵衛も、この城で家老として在城していた
. 現在は、御着城跡公園となっており、本丸跡に天守閣を模した姫路市東出張所が建っている
. 写真は、附近にあった「御着城址 案内板」「黒田官兵衛 顕彰碑」「同 碑文」である
.
[70][]御着城本丸跡にある黒田官兵衛 顕彰碑
.
[左下]御着城址 案内板
[右下]黒田官兵衛 顕彰碑文
.
14:50発→〔303km 5:20/累計走行距離744.0km〕‥【12(後掲)
.    (含 トイレ休憩@10分×2回+昼食休憩40=60)〕→【花田IC→東名・音羽蒲郡IC
19:50 谷山宅着/20:10 今泉宅着/20:15 青木宅着/20:45 中嶋宅着
.
【小生comment
. あっと言う間の二日間であった。
. 【国宝】の、四寺院、浄土寺 阿弥陀三尊像、姫路城「大天守閣・東&西&乾小天主閣」等を見ることが出来嬉しかった〔了〕
.
【後記1】今日は、2015/06/11に読んでご紹介した、亀井勝一郎著『青春論』から印象的な phrase を最後に一つ紹介したい
.
[71] 亀井勝一郎著『青春論』
.
.
. 青春時代に最も大切なのは、友情と恋愛であろう
. 人間は唯一人生きるものではない
. 自己に目覚め、道を求むるのも、全て先師や同時代人の助けに由る
. 良き読書、良き師は無論大切だが、共に学び共に遊ぶものとして友人の影響は実に大きい
. この意味での邂逅こそ人生の一大事である
. 友情とは、共に道を求むるもの同志が、互に求めあぐんで、その悩める心を打ち明け合う、そういう心と心との結合を謂うのである〔中略〕
. 青春時代の友情の中には、恋愛感情が多分に含まれ、恋愛の中には、友情感が多分に含まれているものだ
. 恋愛が感覚的な性的な戯れでない限り、其処には求道の心が必ずある筈だ
. 友情に拠って支えられた恋愛を、私は恋愛の最高形態だと思っている
. 人間である限り、人間としての様々の欲望は無論避けられないが、その中枢を貫くものとして、友情感が欲しい
. 青春の恋愛は全人格的なものでなければならない
. という意味は、我如何に生くべきかという、真剣な問いに於いて為されねばならぬというものだ
. そういう場合は、或いは稀かもしれないが、たとい Platonic love でもいい、片想いでもいい
. 世の所謂幸福な映画的恋愛よりは、片思いや失恋の方が余程大切である〔第一章/青春を生きる心〔青春とは初めて秘密を持つ日〕‥P.13-14
.
【小生comment
. 実年齢は、還暦を迎える齢となっても、心だけは青春時代でありたい
. そう思って、本書を読んでみた
.
.『青春時代に最も大切なのは、友情と恋愛であろう
. 恋愛が感覚的な性的な戯れでない限り、其処には求道の心が必ずある筈だ
. 友情に拠って支えられた恋愛を、私は恋愛の最高形態だと思っている』
. 気分だけはいつも万年青年であり続けたいと思っている小生には、亀井氏の上記の言葉は強い共感を与えてくれる
.
【後記2
2021/06/17 : コロナワクチン(1回目)接種】
.
[72][]ワクチン接種直後の小生
.
[右上]小生の「手の甲」
[右下]同じく「上腕二頭筋から手首(写真右下)にかけて」
.
. 0617日、小生もコロナワクチン接種をした
. 小生は、14:00アポで、勤務先の食堂にて主治医の先生に来荘して問診して頂き、当荘看護師にワクチン注射して貰った
. ワクチン接種も、まだ一回目なので体調は頗る順調
. 其の時、ワクチン接種以外のことに気付いた
. 其れは、小生の三角筋から上腕三頭筋にかけての皮膚の色素沈着がかなり進行していたことだ
. 「寄る年波には勝てぬ」ということである
. まだ救いは、手の甲(写真右上)や、上腕二頭筋から手首(写真右下)にかけては色素沈着はまだ殆どなかったこと
.
 一日も早く、安心して外出して親しい人たちと一献傾けて楽しいひとときを過ごせる日が来て欲しい
.
【後記3
2021/06/17 拙宅中庭の紫陽花の花】
.
[73][]拙宅中庭の紫陽花横にて1
.
[右上]同上2
[右下]同上3
.
[74][左上][右上][左下][右下]拙宅中庭の紫陽花
.
.
. 5日前の 612日に撮影した拙宅中庭の紫陽花の花が盛時だと思ったが、今日( 617)勤務先から帰宅直後の1810分に撮影した紫陽花の花が更に美しかったのでご紹介する
.
.  紫陽花に 君の面影 見つけたり 悟空
.
.
 では、また‥〔了〕
*

. ブログへは【0626】号迄のback numberURL :http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog ←此処をclickして下さ
*