2018年8月5日日曜日

【時習26回3-7の会 0716】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第16回〕』」「07月21日:豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展→豊橋市美術博物館『岸田劉生』展&『みかわの城』展→田原市博物館『豊川用水通水50周年記念/渥美半島の農業の歩みと豊川用水』展→豊橋市二川宿本陣資料館『とよはしの旗本たち』展を巡って~から〔後編〕」「07月28日:静岡市美術館『ヴラマンク』展→静岡県立美術館『安野光雅のふしぎな絵本』展→平野美術館『近代美人画』展を巡って~から〔第1回〕」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0716】号をお届けします。
 今日最初の話題は、今夏8月開催予定の【2637の会 クラス会】開催予定日3日間の参加表明者をお伝えします。
 前《会報》にてお知らせしてから、彦坂君から mailが届きましたが、今回は帰省しないので欠席とのことです。
 従いまして、出席希望者数に変化はありません。
 ・0811(祝土)1800分~:石田()、伊東○、菰田○、金子()
 ・0812()1130分~:石田()〇、伊東○、菰田○、金子()
 ・0812()1800分~:石田()??、伊東○、菰田○、金子()〇〔以上、mail到着順・敬称略〕
 という状況です。
 熟慮中の皆さん、上記3つの候補日時のご都合をお聞かせ下さいネ。
 週明けには、開催日を決定します。
 
■さて、今日『猿蓑』〔巻之五〕連句集は〔第16回〕目。今回は「夏の部」の第7回目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第61句~64句をお届けする。
 では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第25句目からの4句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

61 こそこそと(1)草鞋(わらじ)を作る月夜(つきよ)ざし(2)  ()

【意】秋の月明かりの下、辺りは静まり返っている家の中で、農夫は草鞋を編んでいる
【解説】農夫が生活の足しにでもと草鞋(わらじ)を編様子を詠んでいる
(1)こそこそと:静かな物音の様(さま)
(2)月夜ざし:月の光が明るくさす意

62 (のみ)をふるひに起(おこ)し初秋(はつあき)

【意】初秋の月明かりの下で寝巻きを振って蚤を追い出している。
【解説】『三冊子』()に、「こそ/\といふ詞に、夜の更て淋しき様を見込、人一寝迄、夜なべするものとおもひ取て、妹など寝覚して起たる様に別人を立て、見込(みこむ)心を二句の間に顕(あらは)す也」と記す/
 前句の人に対し、宵からひと寝入りして蚤で目を覚まし、寝巻をばたばたと振う別人を対立させた向付

63 そのまゝにころび落(おち)たる升落(ますおとし)(1)  ()

【意】見れば傍らに掛けておいたネズミ捕りの枡落しの捧が外れて落ちていた
【解説】貧乏長屋の風情/鼡(ネズミ)がかからず、ころび落ちていた様(さま)
 真蹟草稿に、中七「打こけてある」
(1)舛落(ますおとし):桝をうつ伏せにして鼡(ねずみ)を獲る仕掛け

64 ゆがみて蓋(ふた)のあはぬ半櫃(はんびつ)  ()
 
【意】室内を見渡せば壊れて口の空いた半櫃をはじめガラクタが散乱している
【解説】なんとも薄汚い没落一家/真蹟草稿は、「ひづみてふたのあはぬ」
(1)半櫃(はんびつ):長櫃の小型のもので、衣類や諸道具等を入れるもの

【小生comment
 次号《会報》では「夏の部」の第8(通算第17)をお届けするのでお楽しみに!

■続いての話題は、0721()に、豊川市桜ヶ丘ミュージアム→豊橋市美術博物館→田原市博物館→豊橋市二川宿本陣資料館と、4つの美術館&博物館を巡って来たことについての「後編」をお伝えする。

1115分 豊橋市美術博物館発→〔一般道18.1km 40分〕→
1200分 田原市博物館着
1205分 田原市博物館『豊川用水通水50周年記念/渥美半島の農業の歩みと豊川用水』展

[01]田原市博物館前にて

[02]本企画展『渥美半島の農業の歩みと豊川用水』leaflet
                  
[03]田原市博物館〔田原城阯お堀前にて〕1

 後方に見えるのは、桜門
[04]同上2
                  
[05]同上3

[06]田原城阯の石碑&桜門の前にて
                  
[07]本企画展解説書~【成熟期】日本一の渥美半島の農業

[08]同上~田原市にある豊川用水の重要施設
                  
[09]お堀越しに田原城阯桜門を望む

[10]田原城跡 解説版
                  
[11]同上~歴代田原城主


【小生comment
 田原市博物館の『豊川通水50周年記念/渥美半島の農業の歩みと豊川用水』展はなかなか勉強になった。
 田原市は、愛知県で、豊田市、三好市に次ぎ、愛知県下第3位の世帯所得の多い街だ。
 が、それはメロンや電照菊・胡蝶蘭に代表される近代的な施設園芸農業を豊川用水通水とほぼ同時に拡充出来た土地柄にある。
 現在も、田原市は全国一の農業出荷額を誇っている。
 その源泉となったのが、通水前は旱魃に悩まされていた渥美半島に豊川用水が通水した昭和43年以降の渥美半島の近代的な農業なのである。
 小生、旧行時代の最後を此の渥美半島で2年弱を過ごした。
 2003(平成15)0820日 田原市は旧・赤羽根町を編入。
 2005(平成17)1001日 田原市は旧・渥美町と合併。
 その時、小生は旧行の田原支店に勤務しており、田原市と渥美町の合併記念式典に旧行の支店を代表して出席した今となっては懐かしい思い出である。

1320分 田原市博物館発→〔一般道20km 42分〕→
1404分 豊橋市二川宿本陣資料館着
1407分 豊橋市二川宿本陣資料館『とよはしの旗本たち』展
1450分 同所発→〔一般道7.4km 17分〕

 今日最後に訪れたのは、豊橋市二川宿本陣資料館にて開催中の『とよはしの旗本』展である。

[12]豊橋市二川本陣資料館前にて
                  
[13]同資料館内部の東海道五十三次〔当時〕の旅風景を再現した人形と舞台セットの前にて

[14]旧二川本陣の中庭にて1
                  
[15]同上2

[16]二川宿の旅籠にて、江戸時代当時を再現した人形をback
                  
[17]同じく茶室にて

[18]其の茶室にて抹茶を頂く小生
                  
[19]抹茶と茶菓子

[20]二川本陣前の通り
                  
[21]二川宿の旅籠の内部の情景〔男女は人形セット〕

[22]二川本陣入口にて
                  
[23]二川本陣の縁側にて

[24]二川本陣にて胡坐をかく小生1
                  
[25]同上2

[26]本企画展『とよはしの旗本たち』leaflet
                  
[27]幕末期の豊橋市域領主支配地図

[28]本企画展図録~大崎領主 中島与五郎家 解説
                  
[29]同上~高塚領主 戸田八郎左衛門家 解説

[30]板倉勝重像
                  
 板倉勝重(1545-1624)は、中島家の旧領である碧海郡中島の永安寺の僧だったが、家督を継いでいた弟が戦死した為還俗して家を継いだ。
 中島重次の未亡人を妻とし、連れ子の重好を養子とした。
 1601(慶長06)年 三河36,600石を与えられ、京都町奉行〔のちの京都所司代〕就任。
 1603(慶長08)年 家康が征夷大将軍に就き江戸幕府を開闢した際、勝重は従五位下・伊賀守に叙任さる。
 1609(慶長14)年 近江国・山城国に領地を加増され16,600石余となり、大名に列した。
 勝重に実子重宗が生まれたこともあり、重好は中島家再興を果たしたが、両家の交流はその後も続いた。
〔以上、本企画展図録より引用〕

【小生comment
 本企画展では、豊橋市の旧・吉田藩領近隣を領地としていた、大崎領主・中島与三郎家と高塚領主・戸田八郎左衛門家について紹介していた。
 企画展を見てからは、久しぶりに二川本陣の内部をじっくりと見て廻った。
 因みに、写真にもある様に、一服300円の冷えた抹茶はお得感あり且つとても旨かった。
 楽しい近隣歴史史跡巡りの一日だった。
 総走行距離は66㎞だった。〔了〕

■今日最後の話題は、0728日に静岡市美術館『ヴラマンク』展→静岡県立美術館『安野光雅のふしぎな絵本』展→平野美術館『近代美人画』展を巡って~から、第1回:静岡市美術館『ヴラマンク』展をお届けする。
 今日は、台風12号が今晩遅くか明日未明に拙宅のある東海地方に接近・上陸する恐れが出て来た。
 自称「晴れ男」の小生、台風が来る前に静岡県の3つの美術館を晴天の下見て来ることが出来たので其の模様についてお伝えする。
 以下、時系列にご案内する。

0730分 拙宅発→〔一般道 国道1号線 113km 2時間08分〕→
0938分 静岡市美術館が入居する葵タワーの隣のビルにある稲森パーキング着
1000分 静岡市美術館『ヴラマンク』展~絵画と言葉で紡ぐ人生~

[31]静岡市美術館がある葵タワー1F Elevator 前にて

[32]静岡市美術館入口近くの本企画展案内看板前にて1
                  
[33]同上2

[34]本企画展leaflet
                  
[35]Vlaminck(1876.04.04-1958.10.10/11)

[36]Vlaminck『緑色のtableの上の静物』1907
                  
 此の(1907)年からVlaminckはフォーヴィスム(Fauvidme)から距離を置き、セザンヌ(Cézanne(1839-1906))に傾して、その傾向が顕著となる

[37]Vlaminck『ブージヴァル、スガンザン桟橋(Bougival quai Sgangin)

[38]Vlaminck『スイカのある静物』1910
                  
[39]Vlaminck『川沿いの家々』1912-14

[40]Vlaminck『雪の街道』1931
                  
[41]Vlaminck『ヒナゲシの活けられた花瓶』1936-37年頃

[42]Vlaminck『小舟』1937
                  
[43]Vlaminck『雪の村通り』1939-40

[44]Vlaminck『サイロ』1950
                  

1035分 静岡市美術館発→〔一般道 8km 25分〕→
 
【小生comment
 フランスの画家モーリス・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck(1876-1958))は、独学で絵画を学んだ画家である。
 1876 0404日 音楽教師の息子としてParisに生まれた。
 1893 17歳の時、一家はParisから西南西に十数キロの所にあるイヴりーヌ県シャトー駅傍のクロワシ―通39に移り住んだ。Vlaminckは此の頃より絵を描き始めた。
 1900 07 VlaminckParisへ向かう電車の中でシャトー出身でアンドレ・ドラン(Andre Derain(1880.06.10-1954.09.08))と運命的な出会いをする。
※ Derain1898年に画家ウジェーヌ・カリエール(Eugene Carriere(1849-1906))が創設した画塾アカデミー・カリエールに在学中の時 Vlaminckに会った。
※ アカデミー・カリエールにはアンリ・マティス(Henri Matisse(1869-1954))やアルベール・マルケ(Albert Marquet(1875-1947))等草々たる新鋭画家が学んでいた。
※ 電車の中で意気投合した DerainVlaminckの二人は、その後暫くシャトーにて二人でatelierを借りて絵画制作に勤しんだ
 1901 0315日~31 Goghの最初の展覧会がベルネーム=ジュヌ画廊で開催され、其処でVlaminckDerainからMatisseを紹介された。
 此の後Vlaminckは、MatisseDerain等と共に「野獣派fauvism(e)」で一世を風靡したのである。
 更にその後一時期、VlaminckCézanne(1839-1906)に傾倒した後、第一次世界大戦後はParis郊外、次いでParisから100㎞離れたリュエイユ==ガドリエール村に転居。
 抑制された色調、勢いのある筆捌きで田園風景や街の雪景色、静物画等の傑作を残した。
 小生、近年大好きになった画家の一人である。

【後記】「2637の会members」の皆さん、8月の11()12()のクラス氣での再会を楽しみにしています。
 朗報をお待ちしていますヨ~!
 0729() 横浜市在住の愚娘と42か月になる孫娘と11か月になった孫娘が夏休みで拙宅に帰省して来た。
 拙宅でのヒョーキンな孫娘と最近歩ける様になった孫息子のsnap shotをご覧頂いてお別れする。

[45]ヒョーキン孫娘と孫息子

 では、また‥〔了〕


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