2022年2月28日月曜日

【時習26回3−7の会 0902】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『ひさご』から〔第14回 / 第79句~84句〕」「02月22日:酒井抱一『蟷螂草和花図』を入手して」「02月25日:「小牧山城跡」を訪れて」「02月26日:白洲正子『かくれ里』~「田原の古道」〔「猿丸神社」「弘法の霊泉」「山口城址」「禅定寺」「大宮神社」〕の足跡を巡って」「02月27日:豊橋市美術博物館『絵画コレクション名品展・プレイバック!』『げん展』を見て」


■皆さん、今日も【時習26回37の会 0902号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『ひさご14 / 7984〕」をご紹介する

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079 女郎花(をみなへし)心細氣(こころほそげ)におそはれて  筆

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【意女郎花咲く荒れたる宿の女が悪夢魘(うな)される様(さま)

【解説】《初折裏》《》:女郎花(をみなへし 源氏物語「夕顔」を女郎花にやつした俤付(おもかげづけ) / 前句に「夕顔」の巻で宿勅人の「弓弦いとつきづきしくうち鳴らして火あやふしと言ふ言ふ」行く様(さま)を見立てた

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080  目(め)の中(なか)おもく見遣(みやり)がちなる  野徑

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【意潤(うる)んだ瞳で悩まし気に見りがちであるの意 / 夕顔の「後目見おこせて‥とほのかに言ふ」風情を俤にした其人の付

【解説】《初折裏》《《恋》後目づかひ 

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081 けふも又(また)川原咄(かはらばな)しをよく覺(おぼ)  里東

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【意】毎日、異なる芝居の話をよく覚えて話し聞かせて、の意 

【解説】《初折裏》《》:/ 前句の「目の中おもく見遣がち」になるのは、病人の特徴 / 其処で、此の病人を慰めようと芝居確り見て来て話してあげる / 其れに拠って病人の目も重くなくなる、ということ / 恋を離れた向付 /

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082  顔(かほ)のおかしき生(うまれ)つき也(なり)  泥土

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【意】芸人になったつもりで芝居を再現して見せたりするのだが、顔のおかしさが生まれつきなので二枚目というには行かない

【解説】《初折裏四》《雑》:/ 言外に、其れも愛敬、という意

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083 (うま)に召(めす)神主殿(かんぬしどの)をうらやみて  乙州

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【意】祭りの行列 / 先頭を行くのは馬に乗った神主 / 馬に乗れることを羨む徒(かち)の従者の心境を詠んだ/ 神主の顔を見て「此れで美男なら申し分ないのだが‥」と陰口をたたく

【解説】《初折裏五》《雑》:/

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084  一里(ひとさと)こぞり山の下苅(したがり)(1)  怒誰

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【意】今日は村総出で氏神様の山林の下草刈りをしている

【解説】《初折裏》《》:(したがり 前句の神主を、下草刈り作業を見分(けんぶん)に来たと見做して付けた

(注1)下苅(したがり):森の下草(したくさ)を伐採して、木の生育を助けること

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【小生 comment 

. 次回は、『ひさご』15回 / 第85句~90をお届けする

. どうぞ、お楽しみに!

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■続いての話題である

. 此の日(22年2月22日)は、22222と続いているので何かいいことあるかもしれないと思ったが、確かにいいことがあった

. 江戸琳派の祖、酒井抱一の『蟷螂草花図』が届いていた

.  昨秋11月から、家宝になる掛軸の名画、山口蓬春『牽牛花』、長澤蘆雪『花鳥図』、椿椿山『花之図』、渡辺崋山『墨樹図』の4点に、酒井抱一『月に蟷螂草花図』の計5点が揃ったからだ

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【酒井抱一『月に蟷螂草花図』】

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[01][左] 酒井抱一『蟷螂草花図』の前にて


[右上]酒井抱一『蟷螂草花図』〔部分1〕

[右中]同『同』〔部分2〕

[右下]同『同』〔部分3〕

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[02][左上]酒井抱一『蟷螂草花図』同前にて2

[右上]同『同』同前にて3

[左下]同『同』掛軸と共箱

[中下]同『同』〔部分4〕

[右下]同『同』共箱

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【山口蓬春・長澤蘆雪・椿椿山・渡辺崋山】

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[03][左上]山口蓬春(1893.10.15-1971.05.31)『牽牛花』

[右上]長澤蘆雪(宝暦04(1754)年-寛政11年06月08日(1799.07.10))『花鳥図』

[左下]椿椿山(1801.07.14-1854.08.06)『花之図』

[右下]渡辺崋山(1793.10.20-1841.11.23)『墨樹図』

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続いての話題である

. 此の(02月25日(金))日は、週一回の平日公休日で月一回のN歯科医院での歯科健診日

. メナード美術館「コレクション展」とらあめん専門店「陣屋」昼食をセットしてN歯科医院へ向かった

. 翌日、白洲正子『かくれ里~田原の里』を巡って来るので、欲張らずに此れだけにした

. でも、予定は未定である

. メナード美術館が休館日だったのである

. 其処で、急遽、メナード美術館から程近い「史跡 小牧山」を巡って来ることにした

. 今日は以下の通り行動した

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04時45分 起床→腹筋2,000回→

05時35分 2.5kg木刀素振り60分→

06時40分 入浴→仕度→

07時35分 拙宅発→一般道2時間25分 84㎞→

10時00分 N歯科医院着

11時05分 同医院発→一般道5分 1km/85㎞→

11時10分 らあめん専門店「陣屋」近隣駐車場着着

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[04][左]らあめん専門店「陣屋」入口前にて

[右上]オズモール入口 monument 前にて

[右中]小生の超定番「味噌チャーシュー麵」

[右下]「味噌チャーシュー麵」を食する小生

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11時45分 らあめん専門店「陣屋」近隣コイン駐車場発→一般道33分 10㎞/95㎞→

12時18分 松尾芭蕉「來與(いざとも)に穂麥喰ん草幕」石碑着

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[05][左]松尾芭蕉「來與(いざとも)に穂麥喰ん草幕」石碑 同所にて1

[右上]同「同」同 同所にて2

[右中]同「同」同 解説板

[右下]同「同」同 同所にて3

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12時21分 松尾芭蕉「來與に穂麥喰ん草幕」石碑 発→一般道→

12時40分 メナード美術館着

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[06][左]メナード美術館 同前にて

[右]同 案内看板

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12時45分 メナード美術館発→一般道10分 2㎞/97㎞→

12時55分 史跡 小牧山跡駐車場着

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[07][左]史跡 小牧山跡解説板 同横にて

[右上史跡 小牧山跡解説板 同横にて1

[右中]同 同 同

[右下]Google 航空 map:小牧山跡(左上)&メナード美術館(右下)

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[08][左上]史跡 小牧山跡 解説板

[右上]同 同「山の岩盤に築いた石垣」

[左下]同 同 天守閣跡前にて1

[中下]同 同 同上2

[右下]同 同 同上3

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[09][左上]小牧山天守閣跡から南を back に1

[右上]同上2

[左下]尾張藩徳川家十九代 徳川義親氏之像

[中下]国指定史跡 小牧山と歴史館のご案内

[右下]同 同 同所にて

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[10][左上]小牧山歴史館 同所より名駅方面遠望

[右上]同 同所より伊吹山方面遠望

[左下]同 同所より御嶽山方面遠望

[中下]同 御嶽山1

[右下]同 同上2

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【小生 comment】

. 明日の白洲正子『かくれ里~田原の里』が楽しみある〔了〕

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続いての話題である

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【白洲正子著『かくれ里』~「田原の古道」】

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[11][左上]DVD白洲正子著『かくれ里』~「田原の古道」

[右上]同『同』~「同」~「隠国(こもりく)」

[左下]同『同』~「同」~志貴皇子の歌「石走(いわばし)る垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌えいづる春になりにけるかも」

[中下]同『同』~「同」~「弘法大師の霊泉」

[右下]同『同』~「同」~「大宮神社」境内の一部が志貴皇子の御陵と云われる

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. 白洲正子著『かくれ里』の「田原の古道」は、次の様に書かれている

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. 〔前略〕京都からなら街道を南下すると、宇治を過ぎるあたりから、左の方にあまり高くない岡が続いている

. これを綴喜(つづき)の岡というが、〔中略〕表から見るのとちがって、実際にははるかに奥深い〔中略〕

. 一歩踏み込むと重畳とした山つづきで、宇治田原の町は、その真ん中にぽっかり開けた盆地の中にある〔中略〕

. 宇治橋を渡り、〔中略〕ほどなく、田原川という支流にぶつかり、その川にそって右手の山に入る

. とたんに山国の景色となり、とても京都から二、三十分で来られる所とは思えない

. そこはもう宇治田原の入口で、山をへだてた山の天辺を高尾(こうの(お))と言い、其れこそ正真正銘の「かくれ里」である〔中略〕

. 宇治田原とは、〔中略〕昔から大和と近江、そして京都を結ぶ要害の地であった〔中略〕

. 落人たちがひそむには絶好の地であった

. 本能寺の変に、徳川家康があわてて国へ帰った時も、此処を通ったと言い、平治の乱の信西入道も、此処まで落ちのびて首を切られた、織田信長に攻められた近江の佐々木氏も田原の奥に逃げ込んだ

. 先に書いた高尾という村は、其の佐々木一族が住んだかくれ里で、平家の落人部落として知られているが、実は源氏の末裔だったのである

. 村の入口には〔中略〕まんまんと水をたたえた泉があり、例によって弘法大師が掘ったと伝えている〔中略〕

. 私には、弘法よりはるかに古い霊泉のように思われた〔中略〕

. 

. 農家の畑の間を縫って、頂上へ登ると、鎮守の社があり、〔中略〕天平時代に志貴(=施基)皇子(しきのみこ)が住んだと言われている

. 皇子は、天智天皇の御子(【小生注】第7皇子)で、光仁天皇の父君(【小生注】で、桓武天皇を祖父)に当り、田原にいられた所から、のちに田原(たわら)天皇と追号された

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.  石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさわらびの 萌えいづる春になりにけるかも  志貴皇子

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. 此の美しい歌が生まれたのも、高尾の地ではなかったであろうか〔中略〕

. 「石ばしる垂水」は〔中略〕弘法大師の「一ツ井」だったような気がしてならない〔中略〕

. 【小生注】此の歌の「さわらび」から採っているのが、小生がいまお世話になっている社会福祉法人の名前である‥以上は余談である

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[12][左上]DVD白洲正子著『かくれ里』~「田原の古道」~「禅定寺」「山門」

[右上]同『同』~「同」~「同」「【重文】十一面観音立像」

[左下]同『同』~「同」~「同」「猿丸神社」「表参道」

[中下]同『同』~「同」~「同」「同」「社殿」

[右下]同『同』~「同」~「猿丸大夫 奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」

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【猿丸神社】

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. コメント欄に、御朱印を添付したのでご笑覧頂きたい

. 御朱印を頂いた時、其の神官に「白洲正子『かくれ里』~「猿丸神社」」があり、猿丸太夫については、柳田国男氏や折口信夫氏の考証があって、「猿丸は一人ではなく、諸国を巡った巡遊詩人の集団で、神事を司ったとある」と話したら、凄く饒舌になられて「鴨長明が猿丸太夫の墓を訪ねた」とか、色々の話をしてくれた

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[13][左上]白洲正子『かくれ里』

[右上]06時22分現在の宇治田原町の天候&気温

[左下]猿丸神社 駐車場にて

[中下]同 鳥居前にて

[右下]同 うら参道

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[14][左上]猿丸神社 表参道脇の「夫婦猿」像

[右上]同 社殿前の鳥居

[左下]同 社殿前の猿(左)

[中下]同 同(右)

[右下]同 社殿前にて

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[15][左上]猿丸神社 表参道1

[右上]同 同上2

[左下]同 同上にて

[中下]同 おみくじを引いた「吉」Good!

[右下]同 社殿前両脇に鎮座する2匹の猿

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07時35分 猿丸神社発→一般道→

08時00分 高尾の「弘法の霊泉」着

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【高尾(こうの(お))「弘法の霊泉」】

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[16][左上]「弘法の霊泉」泉の脇に安置された弘法大師の石造

[右上]同 泉の前にて、泉のすぐ前に住まわれている女性と

. 彼女にDVD白洲正子『かくれ里~田原の古道~弘法の霊泉』の写真を見せた

. 彼女曰く、「あら、うちが写っているワ」

. 小生が、「DVDに映っている女性はどなたですか?」

. 彼女曰く、「私のおばです / 去年亡くなりました」とのこと

. 又、曰く「此の霊泉は人気があって、「コーヒーの水として美味しい」と言って遠くからも汲みに来ますヨ」

[左下]弘法大師の霊泉1

. 彼女曰く「コロナウィルス感染症流行により網で覆われる様になった

[中下]同上2

[右下]弘法大師の霊泉 脇の「天空のかくれ里」の monument 横にて

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08時17分「弘法の霊泉」発→

09時00分 妙楽寺着

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[17][左上]弘法の霊泉「『弘法の水』利用者へ」の看板

[右上]同「弘法の水」を汲みに来た人(写真左端の黒い服の女性)

[左下]同 同所より登った高台からの遠望

[中下]妙楽寺 山門前にて

[右下]同 与謝野蕪村句碑前にて

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【妙楽寺】

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[18][左上]妙楽寺「蕪村句碑」1(大正15(1926)年建立)

[右上]同「同」2

. 江戸時代中期の俳人・画家で有名な与謝蕪村(享保元(1716)年-天明03年12月25日(1784年01月17日))が、1783年68歳の晩年に宇治田原の門人・奥田毛条の招きで宇治田原を家族と共に訪れ、松茸狩りを楽しんでいる

. 帰宅後、奥田毛条に礼状と其の時の様子を詠んだ『宇治行』を贈っている

. 蕪村は、此の年(天明三年)師走生涯を閉じた

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. 句碑には次の様に刻まれていた

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.  見のこしの茸のかほりや宇治拾遺

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. 妙楽寺(みょうらくじ) 京都府宇治田原町郷ノ口本町118

. 山号:巌平山 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来

. 拝観は事前予約制〔前日電話にて予約/拝観料は無料〕

. 住職は43歳の壮年の大変感じの良い方だった

. 住職曰く「昔は此の辺り赤松林が多く松茸が沢山採れたが、今は採れない / 田原市と豊川市に親戚がいる / 家康が本能寺の変の時伊賀越えをする前に此の地を通った / 此の寺の前の道が街道だ / (小生がいま旧東海道五十三次を歩いていて、次は琵琶湖を歩いて回ると言ったら、住職は‥)私は cycling が趣味で、琵琶湖

一周192㎞を10時間で踏破する / 琵琶湖は、琵琶湖大橋から北を北湖と言いとても走りやすいので、walking するなら cycling course を歩くといいですよ」

[左下]日本緑茶発明者「永谷宗七郎翁小傳」解説板

[中下]同「同」肖像画

[右下]同「同」邸宅写真

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. 住職曰く、「永谷宗七郎の子孫が「永谷園」の社長一族です」

. 更に住職曰く、「歴史がお好きなら、此処から直ぐの所に「史跡 山口城址〔家康伊賀越えの道〕」があるので行ってみて下さい / 其れから、当地名産は『宇治茶』/ 貰いものの『玉露』ですが、差し上げます」と present してくれた

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09時32分 妙楽寺発→徒歩→

09時40分「山口城址」着

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【妙楽寺→山口城址】

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[19][左上]「右 鷲峰山(しゅぶせん)」道標にて

[右上]「道祖神 地蔵佛」

[左下]「左 志がらき / 右 鷲峰山」道標にて

[中下]「史跡 山口城址」解説板

[右下] 同 同所にて

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10時12分 禅定寺着

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【山口城址→禅定寺(ぜんじょうじ)】

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[20][左上]「道祖神 地蔵佛」1

[右上]「同」同所にて

[左下]「同」

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. 禅定寺について、白洲正子は著書『かくれ里』で以下の様に紹介している

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. 先にも言った様に、此処は近江路と信楽道のわかれ路に当り、〔中略〕そのはずれの所に禅定寺という古刹がある

. 一条天皇の御宇に、藤原兼家が建立した寺院で、宇治の平等院、木幡の浄妙寺と並んで一族の崇敬を集めていた〔中略〕

. 此の高台から見おろす田原野の風景は美しい

. 幾重にも重なる岡のかなたには、〔中略〕鷲峰山(しゅうぶさん)が聳え、周りを山で囲まれた平和な盆地は、此処も一つの「隠国(こもりく)」であることを語っている

. 本尊は、寄木造りに漆箔をおいた十一面観音で、少し重苦しい感じはあるが、藤原時代の面影を残しており、〔中略〕山奥には珍しい傑作である〔後略〕

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[20][中下]禅定寺 山門前

[右下]同 表参道から山門へ

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【禅定寺】

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[21][左上]禅定寺 解説板

[右上]同 山門前にて

[左下]同 山門

[中下]同 五輪塔(左)と本堂(中央奥)

[右下]同【重文】十一面観音立像

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10時40分 禅定寺発→一般道→

10時58分 大宮神社着

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【大宮神社】

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[22][左上]大宮神社 拝殿前鳥居

[右上]同 宝篋印塔

[左下]同 同 同所にて

[中下]同 拝殿を back に1

[右下]同 同上2

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[23][左上]大宮神社 拝殿前の狛犬(左)

[右上]同 同(右)

[左下]同 文殊曼陀羅の石碑 解説板

[中下]同 同 石碑と解説板

[右下]同 同 石碑

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[24][左上]大宮神社 拝殿前にて1 

[右上]同 同上2

[左下]同 本殿

[中下]同 拝殿

[右下]同 拝殿前にて3

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11時21分 大宮神社発→一般道→南郷IC→京滋バイパス→名神→新名神→みえ川越IC→一般道3時間28分 204km/426㎞→

14時49分 帰宅〔了〕

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【大宮神社→帰宅】

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[25][左上]大宮神社 表参道 鳥居

[右上]同 同 同 同前にて

[左下]Google 航空 map:大宮神社

[中下]大宮神社へ到る道沿いの「田原天皇社」石碑

[右下]14時49分帰宅 走行距離計426km 走行時間7時間27分/歩行距離 3.5km 歩行歩数4,511歩

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【小生 comment】

. 此の日も充実した一日を過ごすことが出来た〔了〕

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続いての話題である

. 酒井抱一の次は、彼の最高の『江戸琳派』後継者、鈴木其一に行き着く

. 此れは、明治・大正・昭和期に活躍した竹下金烏の「木版画による〔鈴木其一『夕顔』1931年〕」である

. 破格の安値で入手出来、lucky だった!

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[26][左] 竹下金烏の「木版画による〔鈴木其一『夕顔』1931年〕」

[右上][右下]同 作品横にて

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今日最後の話題である

. 昨日(02月27日(日))は、10時過ぎに、豊橋市美術博物館へ開催中の『げん展』と企画展『コレクション名品展/プレイバック!』を見て来た

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. 帰り際に、美術博物館入口で作品の 出品者の一人である大竹君【時習26回 3-10】に偶然会った

. 大竹君は、自身の自画像と女性の胸像3展の計4展を出品していた

. いずれの作品も写実性と気品がある傑作ばかりでした

. 個人的には『初夏』が気に入った

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[27][左]豊橋市美術博物館 同内部ホワイエにて

[右上]同 館内前の企画展『コレクション名品展/プレイバック!』看板前にて

[右中]同 館内入口前の『げん展』看板前にて

[右下]同 本企画展 leaflet

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【豊橋市美術博物館企画展『コレクション名品展/プレイバック!』】

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[28][左上]松林桂月 (1876.08.18-1963.05.22)『葡萄栗鼠』1936年

[右上]冨安昌也(21918-2013)『モスタルの道具屋』1991年

[左下]平川敏夫 (1924.10.16-2006.05.14)『雪后閑庭』1985年

[右下]高畑郁子(1929- )『浄界』1978年

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. では、また‥(了)

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