2019年2月26日火曜日

【時習26回3-7の会 0746】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『冬の日』から〔第1回〕」「02月16日:『拙宅の庭の花々』→『向山梅林公園』→『貰い物のレモネーディア』→『愚娘の孫息子』」「02月17日:『岐阜公園』→加藤栄三・東一記念美術館『日展出品作と下絵展』→大垣市守屋多々志美術館『武士の魂』展→『大垣城』→『大垣藩々祖 戸田一西・初代藩主 氏鐵・第11代藩主氏共の余談』→『高浜市やきものの里かわら美術館『森克徳』展』→『碧南市藤井達吉現代美術館『佐藤玄々(1888-1963)』展』」「02月20日:アクトシティ浜松/スワロフスキー指揮 チェコ国立ブルノP.O.演奏会」「02月21日:アクトシティ浜松/ユリアンナ・アヴデーエヴァ Piano Recital」「ヤマザキ・マザック美術館『春の所蔵品展』」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さて、今日も【時習26回3-7の会 0746】号をお届けします。
 今回からは、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第一集『冬の日』お届けする。
 新日本古典文学大系『芭蕉七部集』巻頭で校注者の一人上野洋三氏は次の様に述べている。
 
〔編者〕荷兮とする説が有力だが、未詳。
〔書名〕(越智)越人著『俳諧 冬の日 槿花翁之抄』に「冬の日出来し時、十月より十一月迄の間、連中寄合たる云々」とある様に、其の成立が初冬から中冬にかけてであったので名付けられたか。
 原題簽(だいせん)「冬の日 尾張五歌仙 全」に従えば、ある年の冬、尾張の国で作られた歌仙五巻、と、淡々と事実を書名としたものと見える。(中略)
 蕉門の人々も、また中興期の蕪村・暁台・麦水などの蕉風復興を説いた人々も、本書を、芭蕉たちの新風の第一番目の書物として挙げることが多い。
 
  芭蕉俳諧七部集 冬の日 より 「こがらし」の卷
 
 笠は長途(ちゃうど)の雨にほころび、紙衣(かみこ)(1)はとまり/\のあらしにもめたり。
 侘(わび)つくしたるわび人(びと)(2)、我(われ)さへあはれにおぼえける。
 むかし狂歌の才士、此國(このくに)にたどりし事を、不図(ふと)おもひ出(いで)て申侍(まうしはべ)る。
(1)紙衣:紙製の衣服 / 防寒衣 / 俳諧では冬の季語 /
(2)わび人:世に用いられなぬ人

【意】笠は長旅の雨に打たれて破れ、紙衣はよれよれ、
 世捨て人の様な自分は、情けない限りだ。
 聞けば、かの狂歌の才子と謳われた竹斎も流浪の途上、当地(尾張国名古屋)立寄られたとのことをふと思い出したので、次の様にご挨拶申し上げる。
 
01. 狂句(きゃうく)こがらしの身()は竹齋(ちくさい)(1)に似()たる哉(かな)  芭蕉
 
【意】俳諧の道を歩んだが為に身を持ち崩したのは、かの狂歌の才子竹斎と似た境遇の私ですが、名古屋連衆の皆さん、どうぞ宜しく!
【解説】〔発句〕/ こがらし:「冬」の季語 / 俳諧のことを中国風に狂歌と言った /
(1)竹斎:仮名草子「竹斎」の主人公 / 医者として失敗し、流浪して江戸へ下る / 各地で狂歌を詠んだ
 
02 たそや(1)とばしる(2)かさの山茶花(さんざか)  野水
 
【意】木枯しの風に吹き散る山茶花の花びら / 其の中を旅笠を傾けていらっしゃった風狂の御仁はいったいどなたでしょう?
【解説】〔脇〕/ 山茶花:「冬」の季語 /
(1)たそや:誰か
(2)とばしる:飛び散る /「迸(ほとばし)る」の意
 
03 有明の主水(もんど)(1)に酒屋つくらせて  荷兮
 
【意】早発ちの人が行く夜明け / 西空に主水星が見える時節になった /
 そろそろ酒を仕込む頃となったので其の仕度に取り掛かった
【解説】〔第三〕/ 有明(の『月』):「秋」の季語 /
(1)主水:主水司の略 / 水星の別名
 俳諧式目では、人倫の句は普通は二句迄だが、役職名は人倫から除外されのでOK。
 
04 かしらの露をふるふあかむま(1)  重五

【意】酒造りの小屋の前では赤毛(の駄)馬が繋がれて、頭(かしら)を振って露を払い落としている
【解説】〔初表四〕/ 露:「秋」の季語 / 新酒を此の赤毛の駄馬に積み出荷する情景 /
 新酒と露を「甘露」に見立てているか
(1)あかむま:赤毛馬
 
05 朝鮮のほそりすゝきのにほひなき  杜國

【意】馬が侘し気に露を振う / 其の背景には朝鮮渡来の痩せて色艶のない薄が萎(しお)れた様に揺れている
【解説】〔初表五〕/ すゝき:「秋」の季語 /「露」に「薄」は付合
「露」は赤馬(=朝鮮馬)に掛り、此処で「朝鮮のほそりすすき」に転換し、(酒の)匂いを消している

06 日のちり/\(1)に野()に米(こめ)を苅(かる)(2)  正平

【意】日が暮れる直前の夕暮れ迄稲刈りの精を出している
【解説】〔初表六〕/ 米を刈:「秋冬」の季語 /
(1)ちりちり:日の光が薄れ僅かに残っている様(さま)
(2)米を刈:「稲を刈る」というべき処を新趣向でこう詠んだか
 
07 わがいほは鷺にやどかすあたりにて  野水
 
【意】私の住む辺りは、田家の真っ只中にあり、鷺も我家に宿を借りに来る
【解説】〔初裏一〕/ :「雑」/ やどかす:「鷺」を擬人化して言う処が俳諧の妙
 
08 髮はやすまをしのぶ(1)身のほど  芭蕉
 
【意】切った髪が元に戻る程迄長い間しのぶ事情があって隠棲していた
【解説】〔初裏二〕/「雑」/しのぶ:「恋」/
(1)「しのぶ」原因に「恋」があるか/ 鷺(=尼鷺)から「恋」に転じた付句

09 いつはりのつらしと乳をしぼりすて  重五

【意】男に裏切られたのか、女は張って来る乳を搾って捨てている
【解説】〔初裏三〕/「雑」/いつはり:「恋」/ 諸事情から女性の置かれた哀れな状況が詠みとれる句
「乳をしぼりすて」は俳諧ならではの即物的表現
 
10 きえぬそとば(1)にすご/\(2)となく  荷兮
 
【意】墨跡の文字も消えてない真新しい卒塔婆の前でうちひしがれて泣いて悲しんでいる母親
【解説】〔初裏四〕/「雑」/ 前句の「いつはり」を、子供が母親に先立って亡くなった不条理に転じた
(1)そとば:卒塔婆
(2)すご/\:うちひしがれた様(さま)

11 影法(かげぼう)(1)のあかつきさむく火を燒(たき)て  芭蕉

【意】寒い夜明けに焚火をしている人物がいる /
 其の人影が頼りなく揺れて冬の薄明かりの寒さの程が伝わって来る
【解説】〔初裏五〕/ さむく:「冬」の季語 / 卒塔婆を死者の影法師と見て詠んだ
(1)影法:影法師のこと
 
12 あるじはひん(1)にたえし虚家(からいへ)(2)  杜國
 
【意】貧しさ故か一家離散して空き家となった家に焚火が見える / 人影が見える
【解説】〔初裏六〕/「雑」/
(1)ひん:貧
(2)虚家:空き家のこと
 
 以上、最近手に入れた中古本の岩波書店刊の新日本古典文学大系『芭蕉七部集』を参考書として活用して紹介させて頂いた。
 
[01]新日本古典文学大系『芭蕉七部集』


【小生comment
 次回は『冬の日』の13句~24句をお届けする。
 お楽しみに!

■続いての話題は、去る0216日に撮影した拙宅の庭の花々についてである。
 昨夜は峯田君【37】等と一献傾けて帰宅が遅かったので今日は安息日。
 昼近くに起床して筋トレを2時間して軽く汗を流す。

【拙宅の庭の花々】
 15時過ぎに、今拙宅に咲いている花々を撮影したあと、50年来お世話になっている(‥といっても途中に故郷を離れていたので31年間は中抜け‥)拙宅から徒歩数分の所にある自転車屋さんに新しい自転車を買いに行って来た。

[02]数年ぶりに買い替えた自転車と共に
                  
[03]拙宅の中庭に咲いた「薩摩紅梅」

[04]同上白梅
                  
[05]食べごろになったザボン

[06]拙宅の赤い椿
                  
[07]同上 白い椿

[08]同上 サクラソウ
                  
[09]同上 キンギョソウ

[10]拙宅に咲いた花々一覧
                  

【向山梅林公園】
 ついでに、徒歩20分南にある「向山梅林園」に行ってきた。
 ほぼ満開の八分咲きかな。
 売店もやっていたので、暖をとるべく軽く一杯!

[11]向山梅林公園入口にて

[12]白梅「乙女」前にて
                  
[13]売店でちょいと一杯!

[14]売店横の紅梅「寒紅梅」前にて
                  
[15]白梅「小梅」前にて

[16]白梅「青梅」前にて
                  
[17]白梅「乙女」前にて1

[18]同上2
                  
[19]紅梅「未開紅」前にて

[20]白梅「花香実鶯宿」と紅梅「寒紅梅」
                  
[21]紅梅「紅乙女」前にて

[22]向山公園の梅林一覧1
                  
[23]同上2


【貰い物の レモネーディア】
 今日、貰い物があった
 今、全国的に有名になった豊橋名産「河合農園の『無農薬レモン』」だ。
 写真は、ネーブルに近い甘さがある レモネーディア。
 買うと 1 300円するそうだが、皮も食べられるんですヨ!
 
[24]レモネーディア
                  

【愚娘の孫息子】
 同じく0216日の話
 愚娘が孫息子の写真を送って来た。
 チョットピンぼけだけど‥。
「ほっぺが落ちそう!」とは彼の顔のことを言うのだと実感!

[25]ほっぺが落ちそうな孫息子1

[26]同上2
                  

【岐阜公園】
 前日、確りと休養を摂って refresh した小生、其の日(0217)の朝は時間が切迫していたので、いつもより少ない腹筋45分と木刀素振り50分をして朝食と入浴を済ませて車で4つの美術館を巡って来た。
 
0610分 拙宅発一般道122km 1時間20
0830分 岐阜公園駐車場着
 
 岐阜公園を散策

[27]岐阜公園から金華山山頂の岐阜城遠望

[28]発掘中の織田信長居館発掘現場前にて
                  
[29]同上解説板

[30]山内一豊と千代 婚礼の地石碑前にて
                  
[31]「千代の鏡と一豊」解説板

[32]「若き日の織田信長像」前にて
                  
[33]加藤栄三・東一記念美術館前にて


【加藤栄三・東一記念美術館『日展出品作と下絵』展】
 今日最初に訪れたのは、岐阜県を代表する日本画家、加藤栄三(1906-72)・東一(1916-96)兄弟を顕彰した記念美術館を訪れた。
 
[34]加藤栄三・東一記念美術館Ticket()と同美術館外観写真がcoverの利用の手引き
                  
[35]加藤栄三・東一記念美術館『日展出品作と下絵』展leaflet

[36]加藤栄三『雷神』
                  
[37]加藤東一『風神』

[38]加藤栄三『BANTING()
                  

 以下の2点は今回の展示作品ではないが、気に入った postcards だったので購入したのでついでに up した。

[39]加藤栄三『フィレンツェの夜明け』

[40]加藤東一『春の息吹』
                  

0922分 岐阜公園駐車場発一般道 22km 38
 
【大垣市守屋多々志美術館『武士の魂』展】

1005分 大垣市守屋多々志美術館『武士の魂』展

[41]大垣市守屋多々志美術館入口にて

[42]本企画展leaflet ・右の絵は 守屋多々志『部将図』
                  
[43]守屋多々志(1912-2003)『無明』1984

[44]同『悔過(けか(持統天皇))1987
                  
[45]同『赤穂の灯』1996

[46]同『願わくば』1998
                  
[47]同『金太郎』2001


1025分 大垣市守屋多々志美術館発徒歩100m 2
 
【大垣城】
 
1030分 大垣城着

[48]大垣藩初代藩主 戸田氏鐵(とだ うじかね(1576-1655))像の前にて1
                  
[49]同上2

[50]大垣城の前にて1
                  
[51]同上2

[52]大垣城解説板
                  
[53]天主閣4階から西(伊吹山方面)を望む

[54]同上(冠雪した山が伊吹山)
                  
[55]同上(解説の写真)


【大垣藩:藩祖 戸田一西・初代藩主 氏鐵・第11代藩主 氏共】
 以下は余談‥
 大垣藩戸田氏10万石初代藩主は戸田氏鐵が1635年~1651年迄務めた。
 彼は、父戸田一西(とだかずあき(1541-1603))の死後、其の跡を継ぎ膳所藩第2代藩主(1604-1616)→尼崎藩主(1616-1635)を経て戸田氏大垣藩初代藩主に就いた。
 したがって、戸田一西は、初代藩主氏鐵の父ということで、戸田氏大垣藩の藩祖と敬われている。
 氏鐵の父、戸田一西は、ご当地三河国渥美郡多米(現・豊橋市多米町)の領主で、家康関東移封に伴い、武蔵国鯨井(現・埼玉県川越市鯨井)5,000石を領した。
 関ケ原戦後の1601年 近江国大津藩主となり、家康から膳所城築城を命じられ膳所藩初代藩主となった。
 膳所藩は、戸田氏の跡を、1621年 現・豊川市伊奈町の領主だった伊奈本多家の嫡流の本多俊次(1595-1668)3万石で継いだ。
 本多俊次は、其の後、三河国西尾藩(1621-36)→伊勢国亀山藩(1636-51)と移封後、1651年 再び膳所藩を7万石に加増され継ぎ、以後此の伊奈本多氏が明治維新迄藩主を務めた。
 一方、大垣戸田氏10万石の最後の藩主 戸田氏共(うじたか(1854-1936))は以下の経歴を重ねた。
 1871(明治04) 2月 明治維新の元勲岩倉具視(1825-83)の三女極子(きわこ(1858-1936))と結婚
 1884(明治17)年 伯爵を授爵
 1886(明治19) 3月 公使館参事官任官
 1887(明治20) 5月 弁理公使に昇進、同年6月にオーストリア=ハンガリー全権公使就任
 戸田極子が、夫氏共と共にオーストリアのウィーンに駐在していた時、極子が音楽家の巨匠ヨハネス・ブラームスの面前で琴の名曲六段を弾いたという。
 戸田極子は、陸奥宗光の妻 亮子と並び鹿鳴館の華と持て囃された美人。

[56]守屋多々志『ウィーンに六段の調べ』
                  
[57]大垣藩初代藩主・戸田氏鐵()と同藩藩祖・戸田一西()

[58]大垣藩第11代藩主 戸田氏共(うじたか)
                  
[59]戸田氏共の妻 極子

[60]陸奥宗光の妻 亮子
                  

1055分 大垣城発一般道 77km 2時間35分〔途中、コンビニで10分程軽食を摂る〕

【高浜市やきものの里かわら美術館『森克徳』展】

1330分 高浜市やきものの里かわら美術館着

 森克徳氏は、1955年 三州瓦の産地である高浜市に、陶器製造業の次男として生まれた。
 多摩美術大学彫刻科卒。
 森氏は、いびし瓦の焼成技法から作り出す「いぶし銀」を際立たせた幾何学的な構成、熔解する釉薬の特性を生かした緩やかな造形、三河土の温かみを引き立たせる彩色等、夫々の素材の特徴を組み合わせた、独自の世界観を表現している。
〔以上、本企画展図録「ごあいさつ」より引用〕
 森氏は、小生と同い年。
 初めて知った陶芸家だが、写真をご覧頂ければ納得して頂けると思うが、modern且つ上品な表現で、全体的に柔らかな表現が彼の真骨頂だと思う。
 小生、森氏に「1つの作品は作成にどのくらいの日数がかかるのですか?」と尋ねてみた。
 森氏曰く「作品は一つひとつ作るのではなく、同時に3個前後作り、作品の形が出来ると乾燥させるだけでも1箇月程かかるので、だいたい23箇月ですね」との由。
 森克徳氏のmodernで上品で美しい作品を見ることが出来、大変有意義なひとときを過ごすことが出来た。

[61]高浜市やきものの里かわら美術館入口『森徳展~しなやかま陶志~』案内看板前にて

[62]本企画展leaflet()
                  
[63]館内にて拝観者に展示作品の解説をする森克徳氏1

[64]同上2
                  
[65]森克徳氏の作品群1

[66]同上2
                  
[67]同上3

[68]同上4
                  
[69]同上5

[70]同上6
                  
[71]同上7

[72]同上8
                  
[73]本企画展leaflet()


1430分 高浜市やきものの里かわら美術館発一般道 6km 14
 
【碧南市藤井達吉現代美術館『佐藤玄々(1888-1963)』展】
 
1444分 碧南市藤井達吉現代美術館着
 
 横山大観らから天才と呼ばれた稀代の彫刻家 佐藤玄々(本名:清蔵/旧号:朝山)
 1888年 福島県宇多郡中村町(現・相馬市)の宮彫刻師の家に生まれた玄々は、17歳で上京し、山崎朝雲に師事。
 1914年 日本美術院が再興されると彫刻部に参加し活躍。
 1922年 渡仏し、ブールデルに学ぶ。
 彫刻はあまりよく知らない小生、勉強になったひとときだった。
 
[74]碧南市藤井達吉現代美術館『佐藤玄々(1888-1963)』展案内看板前にて
                  
[75]同美術館内 本企画展corner 1階入口にて

[76]同上 同2階入口にて
                  
[77]本企画展leaflet

[78]佐藤玄々『密教徒(婆羅門僧像)1914
                  
[79]同『筍』1929

[80]同『蜥蜴(とかげ)1940年代
                  

1533分 碧南市藤井達吉現代美術館発一般道48km 1時間30
1705分 帰宅〔走行距離計 275km〕〔了〕
 
【小生comment
 今日は、大変コスパの良い美術館・史跡巡りをすることが出来た。
 何となれば‥
 加藤栄三・東一記念美術館:入館料300円〔岐阜公園駐車場は1時間以内だったので無料〕
 大垣市守屋多々志美術館:入館料300円〔近隣のコイン駐車場1時間以内だったので200円〕
 大垣城:拝観料100
 高浜市やきものの里かわら美術館:入館料(半額割引券使用につき)250(駐車料金無料)
 碧南市藤井達吉現代美術館:入館料(招待券につき無料・駐車料金無料)
 美術館入館料計950円+4美術館関連駐車場料金計200円=合計1,150
 交通費:全て一般道につき有料道路料金ゼロ、ガソリン代275km÷13.1km/L≒21L×146(ハイオク)3,066円〔了〕

■続いての話題は、0220日 レオシュ・スワロフスキー指揮 チェコ国立ブルノP.O.演奏会を聴いて来た模様についてである。
 其の日は、仕事を終えてから、アクトシティ浜松中ホールで開催された レオシュ・スワロフスキー指揮 チェコ国立ブルノP.O.演奏会を聴いて来た。
 Tchaikovsky Zyklus で曲目は以下の 3曲。
 
[1] Tchaikovsky 歌劇「エフゲニー・オネーギン」より Polonaise
[2] Piano Concerto No.1 in b♭ minor Op.23
[3] Symphony No.6 in b minor Op.74 “Pathetic”
 
 全曲が名曲中の名曲で素晴らしいひとときを過ごすことが出来 happy だった。
 Concert 終了後、CD購入者には サイン会で指揮者のレオシュ・スワロフスキーの sign が貰えるということだったので sign と写真撮影もして貰ってもう最高な気分に浸ることが出来た!充実した soirée(ソワレ) だった。

[81]アクトシティ浜松中ホール入口にて

[82]本公演 leaflet
                  
[83]本演奏会 program を胸に

[84]program ticket
                  
[85]Encore曲の案内看板の横にて1

[86]演奏会終了後のサイン会でスワロフスキー氏にsignして貰う小生
                  
[87]スワロフスキーとの two shot

[88]sign会場でのレオシュ・スワロフスキー氏
                  
[89]スワロフスキー氏にsignして貰ったCD


■続いては、0221日 ユリアンナ・アヴデーエヴァ Piano Recital を聴いて来た模様についてお伝えする。
 今日も昨日に引き続いて、アクトシティ浜松(中ホール)に来ている。
 現代ロシアを代表する Pianist ユリアンナ・アヴデーエヴァ((Yulianna  Avdeeva)1985- ) Piano Recital を聴きに来たのだ。
 2010年 マルタ・アルゲリッチ(1941- )以来45年ぶりの Chopin 国際 concours 女性優勝者だけあって流石に素晴らしい演奏だった。
 演奏曲目は、以下の 4

[1] Chopin(1810-49) Mazurka Op.59-1, 2, 3
[2] Piano Sonata No.3 in b♭ minorOp.58
[3] Schumann(1810-56) Fantasiestücke (幻想小曲集 全 8) Op.12
[4] Schubert(1797-1828) Fantasy in C MAjor D.760 “Wandererfantasie(さすらい人)”
[Encore] Chopin Nocturne No.20 in c# minor “Lento con gran espressione(遺作)”
 此の Encore の名曲は、ユダヤ系 Poland 人 ウワディスワフ・シュピルマン(1911-2000) の半生を描いた映画『戦場のピアニスト』の導入曲として一躍有名になった曲。
 哀愁に満ちた mellow な佳曲である。
 Chopin の作品の中では、小生、Piano Sonata No.3 が最高傑作の一つだと思う。
 アヴデーエヴァの演奏はホント素晴らしかった!
 連日の名曲鑑賞で、小生、寿命が 1年くらい伸びたかも。

[90]アクトシティ浜松中ホール入口にて
                  
[91]本公演leaflet

[92]本演奏会programを胸に
                  
[93]programticket

[94]演奏会場のpiano
                  
[95]Encore曲の案内看板の横にて1

[96]ユリアンナ・アヴデーエヴァ
                  
[97]ウワディスワフ・シュピルマン1

[98]同上2
                  
[99]映画「戦場のピアニスト」1

[100]同上2
                  
[101]JR浜松駅からアクトシティ浜松へ行く通路と夜景


■続いては0222日 ヤマザキマザック美術館『春の所蔵品展』の模様についてお伝えする。
 今日は、午後から仕事の関連で講演を聴きに名古屋へ。
 予定時間より少し早めに名古屋へ行き、新栄町にあるヤマザキマザック美術館に立ち寄り『春の所蔵品展』を見て来た。
 同美術館4Fで時習26回生同期の杉原(小林)K子さん【3-9】に偶然出会った。
 在名のお嬢さん宅へお孫さんのお世話によく来るのだそうだ。
 所蔵品展なので展示作品は皆見たことがあるものばかりだったが、名画は何回見ても又見たくなる。
 心が癒されるのだ、ホント!(^-^)♭

[102]ヤマザキ・マザック美術館前にて1
                  
[103]同上2

[104]エドゥアール・ヴュイヤール(仏:Édouard Vuillard 1868-1940)『書斎にて』1927-28
                  
[105]同上横にて

[106]ジュール・パスキン(ブルガリア:Jules Pascin 本名 ユリウス・モルデカイ・ピンカス Julius Mordecai Pincas 1885-1930)『椅子に座る女』制作年不詳
                  
[107]モイズ・キスリング(波蘭:Moïse Kisling 1891-1953)『ミモザとヒヤシンス』1946

[108]パスキン『椅子に座る女』とキスリング『ミモザとヒヤシンス』の前にて
                  
[109]シャイム・スーティン(露::Chaim Soutine 1893-1943)『緑の木々』1923-24年頃

[110]同『ふしのある木』1921-22
                  
[111]スーティン『緑の木々』と『ふしのある木』の前にて

[112]フェルナン・レジェ(仏:Fernand Léger 1881-1955)『サンパ』1953
                  
[113]ピエール・ボナール(仏:Pierre Bonnard 1867-947)『赤いローブの女』1918

[114]エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(仏:Marie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun 1755-1842)Princess Catherine Feodorovna Dolgorouky1797年頃
                  
[115]キース・ヴァン・ドンゲン(蘭:Kees Van Dongen 1877-1968)『オレンジのサングラス』制作年不詳

[116]マリー・ローランサン(仏:Marie Laurencin 1883.10.31-1956.06.08)『シェシア帽を被った女』1938
                  
[117]ルイス・カムフォート・ティファニー(1848-1933)『ケシ文ランプ』1900-10

[118]シャルル・マルタン・エミール・ガレ(仏:Charles Martin Émile Gallé 1846-1904)ペン皿『緑色の善良な小市民』1900
                  
[119]同『アザミ文花器』1890年代

 Art Flower : 飯田恵秀(深雪Art Flowers 主催)

[120]同『アイリス文花器』1900年頃
                  
[121]同『蝶にカラスムギ文花器』1890年代

 Art Flower : 飯田恵秀(深雪Art Flowers 主催)

【後記】本《会報》blogでは、添付写真を121upしたので、blogをご笑覧下さい。
 又、0301日~03日は、二泊三日で創立50周年記念の社員旅行に行って来ます。
 其の土産話は、次々回の《会報》をお楽しみに!
 では、また‥〔了〕

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