2019年3月30日土曜日

【時習26回3-7の会 0750】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『冬の日』から〔第6回〕」「03月16日:『竹内街道歴史資料館』→『孝徳天皇陵』→『大道旧山本家住宅』→『長尾神社』→『竹内街道』→『當麻寺』→『聖林寺』を巡って」「03月20日:伊藤君【時習26回3-4】と」「03月27日:ユロフスキー指揮ベルリン放送交響楽団 & レイフ・オヴェ・アンスネスpiano 独奏に拠る演奏会を聴いて」「03月27日:拙宅の桃李の花&劉希夷『代悲白頭翁』」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。
 さて、今日も【時習26回3-7の会 0750】号をお届けします。
 先ず最初の話題は、松尾芭蕉「俳諧七部集」の第一集『冬の日』から〔第6回~49句~60句〕をお届けする。
 
49 小三太(こさうだ)(1)に盃(さかづき)とらせひとつうたひ  芭蕉
 
【意】明日の死の前に、訣別の夜宴を開き、近習の小三太にも盃(さかずき)を取らせて、自らも一曲謡(うた)い、最後の夜を盛り上げている
【解説】初裏七 / 前句の話を発展させて籠城戦に破れた城主の最後の宴の場面に転化した
(1)小三太:近くに使う小者(ex.近習の下級の家来)を惹起させる想像上の人物の名前
 
50  月は遅かれ牡丹(ぼたん)ぬす人(びと)  杜國
 
【意】見事に咲き誇る牡丹を暗闇に乗じて盗もうとする輩(やから)がいる / 其の盗人は「月の出は遅くあれ」と願うばかりである
【解説】初裏八 / 季語:牡丹=夏 / 前句の主演に興じる人達には待たれる月も此の人物にとっては邪魔ものである
 
51 (なは)あみのかゞり(1)はやぶれ壁(かべ)(おち)て  重五
 
【意】屋根は破損し壁も落ちた荒屋(あばらや)に漁網が被せてある
【解説】初裏九 / 雑 / 前句の豪奢な牡丹に対して貧しい荒屋の対比の妙
(1)縄あみのかゞり:破損した屋根の補強に漁網を被せ繕うこと
 
52  こつこつとのみ地蔵切(きる)(1)町  荷兮
 
【意】陋屋(ろうおく(=狭くむさ苦しい家))が続く寂しく貧しい漁村を通り過ぎていく / 辺りは静寂の中、石を刻む音のみが聞こえて来る
【解説】初裏十 / 雑 / 石を産出する海浜の街道沿いの昼間の光景
(1)地蔵切(きる):石地蔵を彫刻すること
 
53 (はつ)はなの世()とや嫁(よめり)のいかめしく  杜國
 
【意】其の様な貧村でも、嫁入りの花嫁(の行列)が威厳を以て進んでいる
【解説】初裏十一 / 季語:初はな=春 / 恋() / 前句の貧しく寂しい景色に対して華やかな婚礼の場面を表す
 
54  かぶろ(1)いくらの春ぞかはゆき  野水
 
【意】婚礼の座で花嫁の脇に待座している年端もいかない女の子の緊張した面持ちはいじらしく可憐である / 時節は春が到来した処だ
【解説】初裏十二 / 季語:春=春 / 恋(かぶろ)
(1)かぶろ:子供の髪型の一つで、髪の末を切り揃え結ばず垂らした、現代の「おかっぱ」に似たもの / 又は其の髪型をした少女(女の子)
 
55 (くし)ばこに餅(もち)すゆる(1)ねやほのかなる  かけい
 
【意】花魁の寝室の櫛箱を仮の台として鏡餅が備えてある / 其の花魁の寝室も仄かな感じで春めいて来た
【解説】名残表一 / 季語:餅すゆる=春 / 恋(ねや) / 前句の「かぶろ」は花魁(おいらん)につき従う世話係の「禿(かぶろ)」とした
(1)「餅すゆる」:餅を据える /「すゆる」は正しくは「据()う」の連体形「すうる」
 
56  うぐひす起(おき)よ紙燭(しそく)(1)とぼして  芭蕉

【意】春もまだ浅い正月 / 籠に飼っている鶯はまだ初音を聞かせてはくれない / 其処で早く鳴かせるべく紙燭に明かりを灯して朝が早くなった様に見せかけよう
【解説】名残表二 / 季語:うぐひす=春 /
(1)「紙燭」は紙を縒()って油に浸み込ませて蝋燭の様に用いた照明
 
57 (ささ=しの)ふかく梢(こずゑ)は柿の蔕(へた)さびし  野水

【意】深い篠竹藪(=笹)が生い茂った囲いの一角 / 柿の木の枝は既に葉も実も落ち尽くして、僅かに蔕だけが残っている
【解説】名残表三 / 季語:柿の蔕=冬 /
(1)「柿の蔕」:柿の実のガクのこと
 
58  三線(さみせん=さんせん)からん不破(ふは)(1)のせき人(びと)  重五
 
【意】此の篠竹に埋もれた不破の関跡に住む人よ、三味線あれば拝借したい / 関を越すのに一曲奏でて進ぜよう
【解説】名残表四 / 雑 /
(1)不破:美濃国の歌枕で、愛発・鈴鹿と共に古代三関(=関所)跡の一つ
 
59 道すがら美濃で打(うち)ける碁を忘る  芭蕉
 
【意】道中、相手でもいれば囲碁を打つことが出来るが、関所を通り過ぎたら棋譜なんかすっかり忘れて仕舞いそうだヨ
【解説】名残表五 / 雑 / 不破の関を越す際に三味線で一曲奏でて進ぜようと興じる飄逸(=のんき)な人物の旅心を付けた句
 
60  ねざめねざめのさても七十(しちじふ)  杜國
 
【意】老いては、流石に夜深いうちから目が覚めて仕舞う / 七十という歳は争えないものだヨ /
【解説】名残表六 / 雑 /「寝覚(ねざめ)」は古来、老いの哀感にいう / 前句の「物忘れ」から、「老人の回想」を付ける
 
【小生comment
 次回は『冬の日』の〔第7回〕61句~72句をお届けする。お楽しみに!

■続いての話題についてである。去る0316日、『竹内街道歴史資料館』『孝徳天皇陵』『大道旧山本家住宅』『長尾神社』『竹内街道』『當麻寺』『聖林寺』を巡って来たので、其の模様についてご紹介する。
 小生、少し前からずっと行ってみたい街道があった。
 司馬遼太郎が著書「街道をゆく1/湖西(こせい)のみち、甲州街道、長州路ほか」の「ほか」として紹介されていた『竹内(たけのうち)街道』である。
『竹内街道』~「葛城山」の処で司馬遼太郎は竹内峠の山麓について次の様に紹介している。
 
[01]司馬遼太郎『街道をゆく』「街道をゆく1/湖西(こせい)のみち、甲州街道、長州路ほか」&『竹内街道』が入ったDVD


「大和国北葛城郡竹内というのが、竹内峠の大和国側の山麓にある。車はそこをめざしているのだが、私事をいうと、私は幼年期や少年期には、竹内村の河村家という家で印象的にはずっと暮らしていたような気がする。そこが母親の実家だったからだが、母親が脚気であったためその隣村の今市という村の仲川という家で乳をのませてもらっていたから、竹内峠の山麓はいわば故郷のようなものである。
 村のなかを、車一台がやっと通れるほどの道が坂をなして走っていて、いまもその道は長尾という山麓の村から竹内村までは路幅も変わらず、依然として無舗装であり、路相はおそらく太古以来変わっていまい。それが竹内街道であり、もし文化庁にその気があって道路をも文化財指定の対象にするなら、長尾―竹内のほんの数丁の間は日本で唯一の国宝に指定されるべき道であろう。〔中略〕
 竹内峠を越えれば、河内国である。そのむこうに大阪湾がひろがっており、さらに瀬戸内海の水路を通じて九州から海外へつながっている。このルートをつたわって、鉄製の武器を〔中略〕ふんだんに―といってもせいぜい数百本?—もってきた連中が大和を制して古墳時代の王朝を樹立したにちがいない。それはともあれ、この道をまず鉄が通ったことが重大であった。〔後略〕」
 
 其の日の行程を以下に順次記す。

0315分 起床腹筋1,200回〔時間がなくて2,000回はやれなかった〕
0345分 木刀素振り30分〔時間がなくていつもの半分の時間した出来なかった〕
0420分 朝食
0455分 拙宅発一般道 233km 4時間20
 
[02]竹内峠にて
                  
[03]竹内峠にあった「竹内峠と竹内街道」解説板


0915分 竹内街道歴史資料館着入館
 
 開館は0930分だったので、其れ迄資料館入口や周辺を撮影していたら、女性の館員の方が出て来て次の様に言ってくれて、直ぐに館内に入れてくれたので嬉しかった。 
女性館員:「(車の No. plate を見て)遠くからお見えですね、もう準備出来ていますからどうぞお入り下さい」
 小生:「司馬遼太郎が好きで彼の著作『街道をゆく』の第1巻に日本最古の官道として此処の『竹内街道』が紹介されていて、以前から一度訪れてみようと思ってたんですヨ」
 女性館員:「では、始点の堺から全部ご覧になられるのですか?」
 小生:「今日は、日帰りで時間がないので、此の資料館を見た後、近くにある 大道旧山本家住宅を見た後は車ですけど竹内峠を引き返して竹内街道の終点の長尾神社へ行き、其処から竹内街道を3040分歩こうと思っています」
 女性館員:「山本家住宅は当館から徒歩 5分と直ぐ近く、道も狭いですから、どうぞ当館に車を置いて見て来て下さい。山本家住宅の道を挟んだ真向いに孝徳天皇陵がありますので時間があったら其方も是非どうぞ!」
 と周辺 map 等の関連するチラシを沢山くれた。
 因みに、孝徳天皇と言えば悲運の天皇だが話が尽きなくなるのでまたの機会にお話したいと思う。
 事程左様に、当資料館のある太子町は聖徳太子に関係する史跡が多く残っている万葉の里である。
 女性館員の方の過分な親切に心が癒され、いい一日が過ごせそうな嬉しい予感を感じた!
 
[04]竹内街道歴史資料館入口にて
                  
[05]同館入口付近にあった古代に鏃(やじり)用石器材料として用いられた「サヌカイト」

[06]同上解説
                  

1005分 同資料館発徒歩 10
1015分 孝徳天皇陵着
 
[07]孝徳天皇陵入口の案内石碑

[08]孝徳天皇陵前にて
                  
[09]大道旧山本家住宅1

[10]同上2
                  
[11]同上前にて

[12]同上 中庭
                  
[13]同上 家の中

[14]同上 家の中にて1
                  
[15]同上 同上2


1045分 竹内街道歴史資料館発→ 8km 15
1100分 長尾神社着徒歩50

 流石に本書が書かれた昭和46年当時から半世紀近く経っており、竹内街道の道路は全部舗装されていた。
 又、此の竹内街道沿いに、俳人松尾芭蕉が「野ざらし紀行」で立ち寄った千里(ちり)が住んでいたという「錦弓塚」もあった。
 小生、歴史的文化に触れると不思議と心が癒される。
 
[16]長尾神社の鳥居前にて
                  
[17]長尾神社脇にあった「竹内街道」の案内石碑横にて

[18]竹内街道の解説石碑
                  
[19]竹内街道の風景1

[20]竹内街道にて
                  
[21]竹内街道沿いにあった「錦弓塚」1

[22]同上2
                  
[23]同上前にて1

[24]同上2
                  
[25]同上 庭園

[26]同上 内部
                  
[27]同上 同上にあった松尾芭蕉の句「錦弓(きんきゅう)や 琵琶になぐさむ 竹の奥」


1220分 竹内街道発→ 2km 5
1225分 当麻寺着
 
 伽藍に日本最古の現存する東西両塔を持つのが當麻寺である。
 
[28]当麻寺【国宝】本堂前にて
                  
[29]同上【国宝】西塔

[30]同上【国宝】東塔
                  
[31]同上【国宝】東塔にて


 西塔は平成2833 5年間かけての改修工事中だった。
 
[32]當麻山口神社
                  
[33]同上前にて

[34]同上 由緒説明板
                  

1300分 当麻寺発→20km 時間
1400分 聖林寺着
 
[35]聖林寺 駐車場にて

[36]同上 山門にて
                  
[37]同上 山門から小倉の里遠望

[38]同上 山門から境内を望む
                  
[39]同上【国宝】十一面観音立像〔入江泰吉撮影の写真より〕1

 此の十一面観世音菩薩立像は、フェノロサが発見した
 Proportion は 女性の様に美しい!!

[40]同上 同上2
                  
[41]同上 山門近くにあった2体の地蔵菩薩

[42]同上 同上横にて
                  

1425分 聖林寺発→230 4時間30
1855分 拙宅着 / 走行距離計489㎞〔了〕
 
■続いての話題は、0320日、仕事の一環で豊橋駅前のホテルで産学官交流の集いがあり、久しぶりに時習26回生同期の伊藤君【3-4】に会った。
 因みに、彼と小生は、八町小学校→豊城中学校→時習館高校と同窓同期で、小学56年と、中学1年時代 classmates でった。
 で、その集いが終わってから場所を移して一献頂け乍ら楽しいひとときを過ごしました。
 ホント気のおけない友達っていいですヨネッ‼️

[43]伊藤君と1

[44]同上2
                  

0327日、小生仕事を終えてから、名古屋市栄にある愛知県芸術劇場コンサートホールにて開催された、ウラジミール・ユロフスキー(1972.04.04- )指揮ベルリン放送交響楽団 & レイフ・オヴェ・アンスネス(1970.04.07- ) piano 独奏に拠る演奏会を聴いて来た。
 コンサート会場で、偶然旧行時代の同期の佐藤君に会った。
 彼は、今日は奥様同伴だそうだったが、小生が彼から声をかけられたのは、奥様が来る前だった。
 演奏曲目は以下の 3曲と encore 曲が 2曲。
 
[1]Mozart “Le nozze do Figaro” Overture
[2]Mozart Piano Concerto No.21 in C Major K.467
[レイフ・オヴェ・アンスネスの piano 独奏 encore] Chopin Nocturne No.4 Op.15-1
[3]Beethoven Symphony No.7 in A Major Op.92( arr. G. Mahler)
[encore]J.S.Bach Orchestral Suite No.3 Air BWV 1068
 
[45]愛知県芸術劇場コンサートホール入口にて

[46]本演奏会leaflet
                  
[47]演奏曲目変更のお知らせ

[48]同ホールのホワイエにて
                  
[49]旧行時代の同期佐藤君と

[50]指揮者:ウラディミール・ユロフスキー
                  
[51]Pianist:レイフ・オヴェ・アンスネス

[52]開演前のコンサート会場
                  
[53]演奏会終了後掲示されたencore曲案内板

[54]同上 横にて
                  

 演奏曲目は、全て名曲中の名曲だ。
 Mozart Piano Concerto No.21 の第2楽章はスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』に使われた人気の高い名曲。
 又 Beethoven Symphony No.7は、Mahler 編曲版とあったが、浅学の小生には「木管とホルンが原曲の倍あったことと、第1&2楽章、第3&4楽章が休みなく演奏されたこと」くらいしか違いが解らなかった。
 今日は、小生の大好きな名曲ばかりを、ユロフスキー指揮ベルリン放送交響楽団とアンスネスのpiano 独奏で心ゆく迄楽しむことが出来た素晴らしいコンサートをだった。
 
【後記】今日最後の話題は、時間はやや遡り、同日(0327)の朝、出勤直前の拙宅の模様をお伝えしてお別れする。
 愈々春本番か‥拙宅の庭に花桃と李(スモモ)の花が咲き出した。
 桃李というと唐代の詩人 劉希夷『代悲白頭翁』の冒頭の4句が浮かぶ。

 洛陽城東桃李花
 飛來飛去落誰家
 洛陽女兒惜願色
 行逢落花長嘆息
 
  白頭(はくとう)を悲しむの翁(おきな)に代る
 洛陽城東桃李花(らくよう じょうとう とうりのはな)
 飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
 洛陽の女児(じょじ) 顔色を惜しみ
 行(ゆくゆ)く落花に逢いて長嘆息す
 
[55]拙宅の庭の花桃と李(スモモ)‥(0325日朝撮影)


【意】洛陽の街の東に咲く桃とスモモの花が風に誘われてあちらこちらに散っている。
 洛陽の娘達はその美しい容貌を愛(いつく)しみ、道すがら、移ろう春に散る花を見て長いため息を洩らす。
 冒頭の句を拙宅に変えると‥「吉田城東桃李花」かな‥
 矢張り此の詩は全文をどうしても詠みたくなる。
 上記にてご紹介した七言古詩 劉希夷「代悲白頭翁(白頭を悲代悲しむの翁に代る)」は、7×26=182字とvolumeこそ嵩む。
 が、とても rhythmical で詠み易く、「年年歳歳」や「紅顔の美少年」という人口に膾炙した名句が並ぶ。
 正に一気呵成に詠み通せる傑作中の傑作だ。是非音読して見て下さい。ではどうぞ‥

  代悲白頭翁  劉希夷
 洛陽城東桃李花  飛來飛去落誰家
 洛陽女兒惜願色  行逢落花長嘆息
 今年花落顔色改  明年花開復誰在
 已見松柏摧爲薪  更聞桑田變成海
 古人無復洛城東  今人還對落花風
【年年歳歳花相似  歳歳年年人不同】
 寄言全盛紅顔子  應憐半死白頭翁
 此翁白頭眞可憐【伊昔紅顔美少年】
 公子王孫芳樹下  清歌妙舞落花前
 光祿池臺開錦繡  將軍樓閣畫神仙
 一朝臥病無相識  三春行樂在誰邊
 宛轉蛾眉能幾時  須臾鶴髪亂如絲
 但看古來歌舞地  惟有黄昏鳥雀悲
 
  『白頭を悲代悲しむの翁に代る』
 洛陽城東  桃李の花 / 飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
 洛陽の女児  顔色を惜しみ / (ゆくゆ)く落花に逢いて長(ちょう)嘆息す
 今年(こんねん)花落ちて顔色改まる / 明年花開いて復()た誰(たれ)か在()
 已(すで)に見る  松柏(しょうはく)の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為()るを / 更に聞く 桑田(そうでん)の変じて海と成るを
 古人復()た洛城の東に無く / 今人(こんじん)(かえ)って対す落花の風
【年年歳歳(ねんねんさいさい) 花相(はなあ)い似たり / 歳歳年年(さいさいねんねん) 人同じからず】
 言(げん)を寄す  全盛の紅顔子(こうがんし) / (まさ)に憐れむべし  半死の白頭翁
 此の翁  白頭 真に憐れむ可() /【伊()れ昔 紅顔の美少年】
 公子王孫  芳樹(ほうじゅ)の下(もと) / 清歌(せいか)妙舞(みょうぶ)  落花の前
 光祿(こうろく)の池台(ちだい)  錦繡(きんしゅう)を開き / 将軍の楼閣  神仙を画(えが)
 一朝(いっちょう) 病に臥()して 相()い識()る無し / 三春(さんしゅん)の行楽  誰が辺(へん)にか在()
 宛転(えんてん)たる蛾眉(がび)  ()く幾時(いくとき) / 須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
 但()だ看()  古来  歌舞(かぶ)の地 / ()だ 黄昏(こうこん)  鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ
 
【意】洛陽の街の東に咲く桃とスモモの花が風に誘われてあちらこちらに散っている
 洛陽の娘達はその美しい容貌を愛(いつく)しみ、道すがら、移ろう春に散る花を見て長いため息を洩らす
 今年花が散り春が過ぎれば人の容貌も衰えてゆく / だから明くる年再び花開く時、誰が変わらずそれを見ることが出来ようか
 我々は既に見て来ている、常緑の松や柏の木がやがて薪にされて仕舞うことを / 又こうも聞く、桑畑が海にさえ変わって仕舞うということを
 昔此の洛陽の東で此の花を眺めた人は既に(この世に)いない / 今の世の人々がこうして風に舞う落花を眺めているのだ
【年々歳々、花は同じ様に咲き乍ら、歳々年々、それを見る人々は変わるのだ】
 青春真っ只中にある若人達よ、思いやってくれまいか、この半死の白髪頭の老人のことを
 此の痛ましい白髪の老人も【若い時代は紅顔の美少年だった】のだよ
 公子や王孫達と香しい樹々の下で遊び、舞い落ちる花の前で清らかに歌い舞ったのだった
 前漢の九卿王根(おうこん)邸にあった池の台(うてな)の様に錦を張り巡らせた宴に臨んだり、後漢の大将軍 梁冀(りょうき)の様に神仙を描いた豪勢な邸宅にも参上したのだよ
 しかし一たび病に臥すと知る人が誰もいなくなって仕舞った / あの華やかで楽しかった日々は何処へ行って仕舞ったのか
 なだらかで美しい(=宛転たる)その美しさもいつ迄持つだろうか / 忽ち(=須臾にして)鶴の白い羽の様白髪となり糸の様に乱れる時がやって来るのだ。
 御覧なさい、昔華やかに歌い舞った辺りは、今はただ黄昏の光の中、小鳥たちが哀しく囀っているのみである‥()
 
[56]花桃と李(スモモ)
                  

【小生comment
 高校の漢文の授業みたいになって仕舞ったけど、品格ある作品なので全文ご紹介させて頂いた。
 暗誦するには少々長い詩文だが、其の長さを感じさせない流麗さがあり、解り易く覚え易い名詩だと思う。
 拙宅には、海棠(かいどう)の樹もあるが、漸く蕾が膨らんで来た処だ。
 此方は週末には綺麗に咲くことだろう。
【前書】普段見窄らしい拙宅の庭も、美しい花木の花々が開花する春の此の一時期は流石に華やいで見える

  麗らかや 桃李/海棠 庭/爛漫    悟空

[57]拙宅の花桃1‥([57][64]0327日朝撮影)

[58]同上2
                  
[59]拙宅の李(スモモ)の花1

[60]同上2
                  
[61]拙宅の「桃李の花」手前のピンク色が花桃、其の奥の白い花が李

[62]拙宅の「海棠の花」まだ蕾
                  
[63]李の木の前にて

[64]花桃の木の前にて
                  

 では、また‥〔了〕

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