2018年7月29日日曜日

【時習26回3-7の会 0715】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第15回〕』」「07月14日:メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展→名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展を見て」「07月21日:豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展→豊橋市美術博物館『岸田劉生』展&『みかわの城』展→田原市博物館『豊川用水通水50周年記念/渥美半島の農業の歩みと豊川用水』展→豊橋市二川宿本陣資料館『とよはしの旗本たち』展を巡って~から〔前編〕」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0715】号をお届けします。
 今日最初の話題は、今夏8月開催予定の【2637の会 クラス会】開催予定日3日間の参加表明者をお伝えします。
 前《会報》にてお知らせしてから変化はない。
 ・0811(祝土)1800分~:石田()、伊東、菰田、金子()
 ・0812()1130分~:石田()〇、伊東、菰田、金子()△
 ・0812()1800分~:石田()??、伊東、菰田、金子()〇〔以上、mail到着順・敬称略〕
 という状況です。
 熟慮中の皆さん、上記3つの候補日時のご都合をお聞かせ下さいネ。
 朗報をお待ちしています。

■さて、今日『猿蓑』〔巻之五〕連句集は〔第15回〕目。今回は「夏の部」の第6回目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第57句~60句をお届けする。
 では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第21句目からの4句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

57 (おっ)たてゝ早き御馬(おんま)の刀持(かたなもち)  ()

【意】足袋を汚し乍ら走っていくのは、馬で駆けていく主人を追う刀持ちの従者/刀を担(かつ)いで走っていく
【解説】前句の「足袋ふみよごず人」を、「早馬に遅れまいと急ぐ徒(かち)の従者の刀持」と見た付句/
 真蹟草稿は「お馬には やり持(もち)(ひとり)(つけ)ぬらむ」/
「追(おひ)たてゝ早き」は馬上の主が馬を早く駆(かけ)る意/
 幸田露伴『評釈 猿蓑』は「刀持は殿に従ひて其刀を持てる者、御馬は殿の其馬上にあることも明らかなるが、一句拙く碎けて、後の床屋俳諧に似たり。前句へのかゝりも妙無きにちかし」と評す

58 てつ稚()が荷(にな)ふ水こぼしたり  ()

【意】風のように駆けていく侍主従の姿に驚いた丁稚が、びっくりした拍子に担いでいたバケツの水をこぼして仕舞ったので一層道はぬかるんだ。
【解説】此の句の主語は「でつち(丁稚)」/前句に対して向付(むかひづけ)(1)となる/
 真蹟草稿は「わつぱがこゑを打(うち)こぼしけり」/
『去来抄』(先師評)に、この句について、「初(はじめ)は糞(こゑ)なり。凡兆、尿糞の事申(まうす)べきか。
 先師曰、嫌(いとふ)べからず。されど、百韻といふとも二句に過ぐべからず。一句なくてもよからむ。凡兆、水に改()」とある
 幸田露伴『評釈 猿蓑』では「駛(はや)り馬にあひて水こぼしたるは聞えたれど、興も乏しく、前句と同じく床屋俳諧の祖となれるものなり」と、厳しい評価をしている
(1)向付(むかひづけ):俳諧の付合(つけあひ)の一つ/前句中から趣向を求めず、別の方面から求めて対立させ、しかも前句に連ねる様に付けること

59 戸障子(としょうじ)もむしろがこひの賣屋敷(うりやしき)  ()

【意】〔雰囲気を変えて‥〕其の道には一軒の売家がある/
 其の家は、往時の勢いを失い、藁囲(むしろがこ)いをして売り家の札を下げてい/
 なんとも侘しい姿であることだ
【解説】売屋敷内にいい水が出る井戸でもあって、近所の人が勝手に汲みに来ると見た付/
 幸田露伴『評釈 猿蓑』には「佳()き水の井ある大屋敷の購入なくて久しきなり」とある

60 てんじやうまもりいつか色づく  ()

【意】ヤツブサが秋になって色づいていく様に、この家も古びていくことだ
【解説】「てんじやうまもり」は、『天上守』と、「唐辛子の『八房(ヤツブサ)』」の別名である『テンジョウマモリ』の両者をかけている/
 秋〔てんじやうまもり〕/真蹟草稿は「天上まぼり いろ付(つけ)にけり」
 幸田露伴『評釈 猿蓑』には「神仏の守護札、門に貼るを門守りといひ、天井に貼り又は挿(さしはさ)むを『天井守り』といふ。
 蕃椒(ばんしょう(=唐辛子の別称))は天井より吊下げて乾し貯へ置くを常とするものにて、〔中略〕謔称に『天井守り』といひ、訛りて天井まぶりともいふ。
 此の句秋の季の什(じふ)にして、蕃椒の紅に色づきて売れぬ屋敷に遣り居たるを云へること論無けれども、天井守りといへる語を用ゐたるは前句の戸障子等に因みたるならん、
 いつか色づくと云へるもをかし」とある

【小生comment
 次号《会報》では「夏の部」の第7(通算第16)をお届けするのでお楽しみに!
 
■続いての話題は、0714日に、月に一回の名古屋へ歯科健診に行って来たついでに拝観した2つの美術館、メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展と名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展についてである。
 名古屋市東区にあるのでかかりつけの歯科医院としては一寸遠いが、初診は旧行時代の平成0508月と記憶しているので、来月で満25周年となる。
 お陰様で、歯科健診が奏功し、現在も親知らず全4本を抜いた他は奥歯4本が保険適用の「被せもの」だが、幸い全28本は健在である
 其の日は、車で全て一般道を通って「メナード美術館」→「陣屋/昼食」→「歯科検診」→「名都美術館」と巡って来た。

0845分 拙宅発〔一般道87km
1215分 メナード美術館着『え! からはじまる、ストーリー』展

【メナード美術館『え!からはじまる、ストーリー』展】

[01]メナード美術館入口にて

[02]本企画展leaflet(表面)
                  
[03]同上(裏面)

[04]Dante Gabriel Rossetti『肖像(A Portrait)1869
                  
[05]Henri-Edmond Cross『木陰のある浜辺(The leafy Shaded Beach)1902

[06]Henri Matisse『コリウール(Landscape at Collioure)1905-06年頃
                  
[07]Lyonel Feininger『プロポーズ(The Proposal)』1907

[08]Maurice de Vlaminck『花瓶の花(Vase of Flowers)1905-06年頃
                  
[09]Gerhard Richter『アブストラクト・ペインティング(Abstract Painting)1992

 
1240分 メナード美術館発〔一般道12km
1305分 らあめん専門店『陣屋』着

[10]陣屋自慢のらあめん「味噌チャーシュー」ムチャ美味!
.....................................................
[11]陣屋の入口にて

 
1325分 陣屋発〔一般道 0.6km
1330分 歯科医院着
1400分 歯科治療
1430分 歯科医院発〔一般道 13km
1500分 名都美術館着『富山県水墨美術館所蔵名品展/墨に五彩あり』展

【名都美術館『富山県水墨画所蔵名品展/墨に五彩あり〔後期〕』展】
 本企画展は、前期展を0602日に見ていて、《会報》【0708】にてご紹介している。
 http://si8864.blogspot.com/2018/06/26-0708-805120601stradivarius-summit.html此処をclick して下さい

[12]名都美術館入口にて
                  
[13]本企画展leafet

[14]竹内栖鳳『烏図屏風』1899
                  
[15]石崎光瑤『花鳥の図』1935

[16]川端龍子『桜夜』1938
                  
[17]川端龍子『寒雷』制作年不詳

 
1530分 名都美術館発〔一般道 65km
1735分 拙宅着
 
【小生comment
 訪れた2つの美術館、メナード美術館も名都美術館もなかなかの名品揃いであった。
 名画ってホントいいと思う。!o(^-^)♪

■今日最後の話題は、0721()に、豊川市桜ヶ丘ミュージアム豊橋市美術博物館田原市博物館豊橋市二川宿本陣資料館と、4つの美術館&博物館を巡って来たことについてである。
 其の日も酷暑だったが、「家にジッとしているのは勿体ない」と思った小生、近隣で開催中の4つの美術&博物館を巡って来た。
 ただ、お伝えする volumeが多いので、本《会報》:前編「桜ヶ丘ミュージアム」「豊橋市美博」と次回《会報》:後編「田原市博」「二川宿本陣」の2回に分けてお伝えする。

0840分 拙宅発〔一般道11km 23分〕
0905分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム着
0908分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展

【豊川市桜ヶ丘ミュージアム『豊川海軍工廠』展】
 豊川海軍工廠の大空襲は、昭和200807日、グァム島基地、テニアン島西基地、同島北基地、サイパン島イスレイ基地の各米軍基地を発したB29戦略爆撃機124機と護衛のP51戦闘機100(目的地到達は97)が飛来。
 1013分~1039分の26分間に500ポンド爆弾(添付写真ご参照)3,256発投下し、その8割以上が海軍工廠敷地内に正確に着弾した。
 学徒動員の学生を含め2,500人以上が犠牲となり、1万人以上が負傷したという。
 昭和0603月生まれの小生の亡母(平成16年没)も学徒動員で、此の海軍工廠で銃弾製造に携わって、この大空襲に遭遇した。
 母は、本能的に「街に逃げては駄目、山(本宮山)に逃げないと!」と必死に走って本宮山に向かって逃げた。
 逃げる途中、爆弾がすぐ傍に落ちて、咄嗟に地面に伏せたら、爆弾が母の直ぐ後ろ側に着弾した。
 そうしたら、爆弾の破片が自分の頭上を通り過ぎて行き、自分は命拾いした代わりに自分より先を走って逃げていた人々に当たって沢山の方々が亡くなられたと言っていた。
 2006(平成18)年、豊橋市制施行100年記念に上映された浅丘ルリ子主演の映画『早咲きの花』でも豊川海軍工廠爆撃の模様を再現した。
 其の時、小生の高校の同窓同期のS(旧姓K)さんは母親同士が高女の同窓同期なのだが、其の海軍工廠空襲の時の話をしたことがある。
 Sさんが「(『早咲きの花』を見ていた)母が、あの時の(=豊川海軍工廠の)爆撃なんてあんなもんじゃない、もっと酷かった」と言っていたワ」と言っていたことが記憶にある。
 0721()の夜は、当地豊橋は、祇園祭の花火大会だったが、亡母から「花火が上がる際に鳴る「ヒュルヒュル‥」という音を聞く度に、海軍工廠で受けた爆撃弾が落下して来る時の音を思い出して怖くてたまらない」と何度か聞かされたことを覚えている。
 今の平和な日本は、先人の方々の犠牲の上にあることを我々は忘れてはなるまい。

[18]山本眞輔『街の朝』1994年の彫像前にて                    
....................................................
[19]豊川市桜ヶ丘ミュージアム入口前にて

[20]本企画展leaflet
                  
[21]展示された米軍500ポンド爆弾の横にて

[22]米軍500ポンド爆弾の破片
                  
[23]豊川海軍工廠大空襲:『空襲の計画』『昭和2087日』解説板

[24]同:『空襲による被害』『空襲を受け破壊された工廠の様子/写真』解説板
                  
[25]豊川海軍工廠に学徒動員した学校(『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より)

[26]豊川海軍工廠 従業員数(昭和208月頃)
                  
 添付写真[26]の表は、八七会発行『豊川海軍工廠の記録 陸に沈んだ兵器工場』より一部改変して引用した資料だが、現在も実数は不明

[27]豊川海軍工廠 でのレンズ研磨作業風景

 
0935分 豊川市桜ヶ丘ミュージアム発〔一般道8.7kn 18〕分
1005分 豊橋市美術博物館着
1007分 豊橋市美術博物館『岸田劉生展&みかわの城』展

【豊橋市美術博物館『岸田劉生展&みかわの城』展】 『岸田劉生』展は、彼の37年という短い生涯ではあるが、日本の近代洋画界にその名を残した巨匠としての生涯を見ることが出来るなかなか優れものの企画展であった。
 ご当地の老舗書店「豊川堂(ほうせんどう)」現社長の大叔父に当たる画家・高須光治(みつじ)氏が劉生の家を訪ねたのは、光治氏が17歳の1915年だという。
 
[28]豊橋市美術博物館入口前にて
                  
[29]同館内で2つの企画展 banner 前にて

[30]企画展『みかわの城』入口前にて
                  
[31]企画展『岸田劉生』展leaflet

[32]同『みかわの城』leaflet
                  
[33]岸田劉生『落合村ノ新緑』1907(東京国立近代美術館蔵)

[34]同『虎ノ門風景』1912(東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館蔵)
                  
[35]同『日比谷の木立』1912(下関市立美術館蔵)

[36]同『自画像』1913(下関市立美術館蔵)
                  
[37]同『武者小路実篤像』1914(東京都現代美術館蔵)

[38]同『高須光治君之肖像』1915(豊橋市美術博物館蔵)
                  
[39]同『椿君に贈る自画像』1914(東京都現代美術館蔵)

[40]同『静物(物質可愛)1923(刈谷市美術館蔵)
                  
[41]同『路傍初夏』1920(埼玉県立近代美術館蔵)

[42]同『石垣のある道(鵠沼(くげぬま)風景)1921
                  
[43]企画展『みかわの城』/吉田城の構造 地図

[44]同/織田信長と吉田城
                  
[45]同/東海の名城・吉田城

 
【後記】ほんと、毎日猛暑が続いています。お互い確り休養と栄養と水分を摂って夏バテを防ぎましょう!
2637の会members」の皆さん、8月の11()12()のクラス氣での再会を楽しみにしています。
 朗報をお待ちしています。

  クラス会 皆(みな)で猛暑を 吹き飛ばさむ!  悟空

 では、また‥〔了〕

 ブログへは【0626】号迄のback numberURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog ←此処をclickして下さい

2018年7月22日日曜日

【時習26回3-7の会 0714】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第14回〕』」「06月24日:「湖東~湖北」日帰りdrive~第4回『伊吹山山頂』を訪れて」「07月12日:国立新美術館『ルーヴル美術館展/肖像芸術‥人は人をどう表現してきたか』→国立西洋美術館『ミケランジェロと理想の身体』展を拝観して」「07月16日:大学弓道部有志同窓会『暑気払い2018 in 豊橋』開催報告」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0714】号をお届けします。
 今日最初の話題は、今夏8月開催予定の【2637の会 クラス会】開催予定日2日間の参加表明者をお伝えします。
 前号にて経過をお伝えしてから金子T久君から0811(祝土)12()12()OKという連絡があった。
 其処で、12()は、今回昼の開催だけを考えていたが、既に返事を頂戴している、石田君、伊東君、菰田君にも0812()1800分~の都合を聞いてみた。
 その結果が以下の通りである。
 ・0811(祝土)1800分~:石田()、伊東、菰田、金子(T)
 ・0812()1130分~:石田()〇、伊東、菰田、金子(T)△
 ・0812()1800分~:石田()??、伊東、菰田、金子(T)〇、という状況です。
 即ち、開催候補日時の選択肢が一つ増え、3通りの中から決定することにした。
 熟慮中の皆さんも、上記3つの候補日時のご都合をお聞かせ下さい。
 朗報をお待ちしています。

■さて、今日『猿蓑』〔巻之五〕連句集は〔第14回〕目。今回は「夏の部」の第5回目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第53句~56句をお届けする。
 では、「夏〔夏の月〕」の連句全36句の第17句目からの4句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

53 さる引(ひき)(1)の猿と世()を経()る秋の月  ()
 
【意】(前句の僧が寺へ帰る様を踏まえ)猿引は猿とつましい生活をし乍ら歳月を過ごして来た/
 秋の月が貧しい猿引の家を包み込む様にしっとりと照らしている/
【解説】前句の僧侶の侘びた隠遁生活と猿引(=猿回し)のつましい生活を対比させて詠んだ/
 秋()/前句(まへく)との付合(つけあひ)について、『三冊子』()に「二句別に立たる各也。人の有様を一句として、世の有様を付とす」というのは、一句としては、前句は僧、付句(つけく)は猿引と、異なった人の生活を対立させた向付(むかひづけ(2))だが、二句付け合わせると、其処に或る世相が描き出されることを言ったもの。
 幸田露伴も、著書『評釈 猿蓑』で、「僧と猿曳の行合ひたる、何とおもしろし。猿の無心にして人の背上にある、ことにおもしろからずや。一句の仕立柄にて、おのづからに幽なる感慨の潜(ひそ)めるやう聞ゆる処、説破すれば、即ち差(たが)ふ。味はふべし、説くべからず。(中略)芭蕉の月の猿、飛脚の林の鹿よりはおもしろし」と評価している。
(1)さる引:猿回しのこと
(2)向付(むかひづけ):連句の付合(つけあい)手法の一つ/前句の趣向に対立する趣向で付句すること

54 (ねん)に一斗(いっと)の地子(じし)はかる也(なり)  ()

【意】「猿引も年に一斗の些少乍らの地子(じし)を測り定る世なりとなり。前句の世を経るの一語より此句生れたり」(幸田露伴『評釈 猿蓑』)
【解説】―
(1)地子:田租/いまの固定資産税

55 五六本(ごろっぽん)生木(なまき)つけたる瀦(みづたまり)  ()

【意】(猿引たち貧しい人々が住む貧しい町では)水溜りに生木を並べて歩けるようにしている。
【解説】「五六本の生木を漬け置ける小さき水たまりとなり。写実の句、自ずから景趣分明、解を要せず。材木商の圍ひばにはあらじ、山里の農間かせぎに欅樫など漬け置ける小さき潴(みづたまり)にて、此れにも地子のかゝる世なりとなり」(幸田露伴『評釈 猿蓑』)

56 足袋(たび)ふみよごす黑(くろ)ぼこの道(みち)  ()

【意】こんな汚い道にふさわしくない白足袋姿の人が歩いている/みれば足袋は泥で黒ずんでいる
【解説】「此れも理屈の煩はしきに墜ちぬ写実の句なり。黒ぼこの黒き野土にて、江戸にては黒ぼくといふ、壚(くろつち=土へんに盧)なり。黒ぼこの地、やゝもすれば雨上りなど浅き水たまりを生ず、土細かに弱くして、水に腫(はら)み膨(ふく)ればなり。此れの道悪しき済はんとて生粗朶(なまそだ(=細い木の枝を集めて束状にした資材))なんどを横たへ置くこと、村里に時に見る景にして、前句を其儘一転して、其の漬かりたる木の上を歩きたる男の足袋をよごしたる体を伝へる、まことにおもしろし。黒ぼこと云ひ、道といひたる、眼到り意到り手到りたる鮮やかさ流石なり」(幸田露伴『評釈 猿蓑』)と、露伴も芭蕉の力量を絶賛している。

【小生comment
 矢張り、猿蓑は芭蕉俳諧の最高峰に位置づけられる、芭蕉と蕉門俳人に拠る傑作選集である。
 次号《会報》では「夏の部」の第6(通算第15)をお届けするのでお楽しみに!

■続いての話題は、前々々回《会報》から3回に亘って、0624()に、『多賀大社』『滋賀県立安土城考古博物館&安土城天主 信長の館』『安土城跡&摠見寺』『向源寺〔渡岸寺観音堂〕:【国宝】十一面観音立像』『石道寺:【重文】十一面観音立像』『伊吹山山頂』の順で巡って来た日帰り drive の今回はその最終回、第4回『伊吹山山頂』をお届けする。

1450分 石道寺駐車場発〔一般道 1840分〕→
1530分 伊吹山ドライブウェイ入口(料金所)着・発→〔伊吹山drive way 1625分〕→
1555分 伊吹山 drive way 山頂駐車場(標高:1260m)

 山頂へは、西登山course(距離1,000m 所要時間40)、中央登山道course(距離500m 20)、東登山道course(下り専用:距離 1,500m 60)3courseがある。
 そのうち、登りは西登山道か中央登山道になる。
 小生、琵琶湖を見乍ら登りたかったので、西登山courseを選択して、歩く速度を早めて約25分弱で登頂した。

[01]伊吹山drive way山頂駐車場脇にある標高1,260m の標識

[02]芭蕉句碑「そのままよ 月もたのまし 伊吹山」
                  
 松尾芭蕉は、元禄02年秋、5箇月間2,400kmに及ぶ俳諧紀行「奥の細道」を結びの地「大垣」で終えた。
 そして、更に伊勢へ旅立つ迄の2週間程、その大垣の地で旅の疲れを癒した際、この句を詠んだ。
 句意は、「伊吹山は月の力など借りなくても、其の儘で立派な山であるヨ」で、伊吹山の姿の美しさを讃えている。
 猶、此の句碑は、2005(平成17)04月、伊吹山drive way 全線開通40周年を記念して建立された、解説板に記されていた。

[03]芭蕉の句碑にて1

[04]同上2
                  
[05]西登山courseを登り始め200m程登って駐車場スカイテラスを振り返って

[06]西登山course途中から琵琶湖方面を望む(湖上の島は「竹生島」)
                  
 
1618分 伊吹山山頂(標高:1,377m)
 
[07]伊吹山山頂と日本武尊像をback1

[08]同上2
                  
[09]同上3

[10]伊吹山山頂から北東方面をback                                                       
                  
[11]伊吹山山頂から南東方面をback

[12]伊吹山山頂から西方面(琵琶湖・竹生島)back1
                  
[13]同上2


1700分 同所発〔関ケ原IC→名神高速道路岐阜羽島IC→一般道 150km 5時間20分〕

名神岐阜羽島IC→一宮ICが追突事故の為、岐阜羽島ICで高速道路を下ろされ一般道へ
 国道23号線バイパス 幸田IC→幸田芦谷IC が事故の為、幸田ICでバイパスを下ろされ一般道で国道1号線へ

2220分 帰宅

【小生comment
 行き帰りの途上、色々あったが、前日に行かずに一日順延して大正解だった。
 快晴という絶好の天候に恵まれ、多賀大社安土城 信長の館&滋賀県立安土城考古博物館安土城跡&摠見寺渡岸寺(向源寺 観音堂の【国宝 十一面観音立像】)→石道寺【重文 十一面観音立像】伊吹山山頂【日本武尊立像】と見ることが出来た。
 特に、伊吹山山頂からは360度全てを見晴るかすことが出来たことは大変嬉しかった。

■今日続いての話題は、0712()に仕事で上京し、大手町にある取引銀行2行に決算報告をして来た。
 それを終えてから、乃木坂にある国立新美術館『ルーヴル美術館/肖像芸術‥人は人をどう表現してきたか』と国立西洋美術館『ミケランジェロと理想の身体』展を見て来たので、それ等の模様についてお伝えする。

【国立新美術館『ルーヴル美術館/肖像芸術‥人は人をどう表現してきたか』】
[14]国立新美術館入口近くの通路にて
                  
[15]同館企画展入口にて

[16]本企画展leaflet
                  
[17]ヴェロネーゼ『女性の肖像/通称:美しきナーニ』1560

[18]アントワーヌ=ジャン・グロ『アルコレ橋のボナパルト(17961117)1796
                  
[19]アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房『戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像』1812年以降


【小生comment
 本企画展は、Louvre美術館にある肖像の傑作を、古代から19世紀迄の絵画、素描・版画、彫刻等で約110点展示する面白い企画。
 ただ、美しいモノが好きな小生には、興味・関心を引かない作品も少なからずあった。(笑・汗)

【国立新西洋美術館『ミケランジェロと理想の身体』展】
 Leafletには、本企画展について、次の様に記されていた
 Italy Renaissanceの巨匠 Michelangelo Buonarroti(1475-1564)は、彫刻・絵画・建築の各分野で傑出した作品を残したが、Michelangelo自身は自らを「彫刻家」と呼んだ。
 システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)の天井画について、「天井画は私の本業ではないので、時間の浪費です」と父親への手紙に記し、「我は画家にあらず」という心の深い悲しみを謳った詩を友人に書き送っていることからも解る通り、Michelangelo 芸術の神髄は彫刻にある。
 Leafletには、又、「空前絶後!世界に40点しか現存しない Michelangelo の大理石彫刻から、傑作2点が初来日」とsensational な言葉で『ダヴィデ=アポロ』と『若き洗礼者ヨハネ』を紹介している。
 又、1506年 ローマ皇帝Nero(ネロ(37-68))の大宮殿 ドムス・アウレアの近くから出土した『ラオコーン像』を Michelangelo 出土現場で見ている。
 その『ラオコーン像』が撮影可能 corner に展示されていたのも嬉しかった。

[20]国立西洋美術館入口近くの本企画展看板前にて
                  
[21]同館入口近くのエミール・アントワーヌ=ブールデル(1861-1929)『弓をひくヘラクレス』像の前にて

[22]同館入口前にて
                  
[23]同館内企画展会場入口近くにて

[24]本企画展leaflet
                  
[25]撮影OK corner のラオコーン像

[26]同上 前にて
                  
 ずっとラオコーン像を鉛筆社製している女性がいたのでご覧の様な写真となった

[27]Michelangelo『ダヴィデ=アポロ』1540年頃

[28]Michelangelo『若き洗礼者ヨハネ』1495-96年頃
                  

■今日最後の話題は、0716(祝月) 11:30-14:30 豊橋駅近くの喫茶店で、大学弓道部時代の1年先輩4人、同期生7人、1年後輩2人の 計13人が集い「暑気払い」をした。
 気の置けない仲間たちとの楽しい語らいは、時間が過ぎ去ることを忘れさせて予定時間の3時間があっと言う間に過ぎ去った。
 次回は、名古屋で1229()に開催することが決った。

  大学の仲間達との語らひは 余生を照らす道標(みちしるべ)かな  悟空

[29]参加者全員の一覧表

[30]参加者13人全員揃った処で乾杯1
                  
[31]同上2

[32]小生のsnap shot
                  

【小生comment
 此の同窓会の良さは、「昔を懐かしむだけでなく、元気に生きている今をお互い確認出来ることがいいネ」と出席者の一人が話していたことが印象的だった。

【後記】今回は、0708日付《会報》【0712】号でお示しした拙宅に咲いた百日紅の白い花に加え、濃桃色・桃紫の2つの百日紅も咲いたのでお示しする。
 なかなか綺麗デショ! !(^-^)b

[33]左から「濃桃色」「白色(但し、淡い桃色が入っている)」「淡桃色」の三色の百日紅

[34]同上2
                  
[35]同上3

[36]百日紅の前にて
                  

 では、また‥〔了〕

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