2023年12月30日土曜日

【時習26回3−7の会 0979】〜2023/12/25帰省して来た孫娘の弾くクライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』/【『雑詩』全十二詩 其二 陶潜(淵明)】/2023/12/27今は少し昔の物語から「2007/05/22【時習26回3-7の会 0092】~「『大連・上海・蘇州』紀行」 〜05/18日-21日:中国 大連(05/18) → 上海(05/18-19) → 蘇州(05/19)→上海 (05/19-20) → 大連 (05/20-21) の小旅行の懐かしい想ひ出」/ 2023/12/27「2008/09/09「杜甫の『登高』」」/2023/12/28)「2006/08/21【時習26回3−7の会 0046】〜張九齢『照鏡見白髪(鏡に照らして白髪を見る)』/2023/12/29「武帝(劉徹)『秋風の辞』」2023/12/30「曹操『歩出夏門行』」

◼️今日(2023/12/25)横浜に住んでいる長女と孫娘、孫息子が帰省して来て、小生に「ジィジ、ヴァイオリン🎻買ってくれてありがとう😊」と言われて、現在発表会に向けて練習中のクライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』を演奏してくれた

【孫娘の弾くクライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』(部分)】

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[01] クライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』(部分)を弾く孫娘

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. 3/4 violin だが 1890年製には驚いたが、値段を見て更に驚いた(×_×;)(^^;;!

. でも素晴らしい音色だ!!!

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【孫娘と】

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[02][左][右上]孫娘と

[右下]Made in France Mirecourt(ミルクール) 1890(年)の納品書

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【小学3年生の孫娘の弾くクライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』scene】1

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[03][左]Made in France Mirecourt(ミルクール) 1890(年)

[右上][右中][右下] クライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』を弾く孫娘

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【小学3年生の孫娘の弾くクライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』scene】2(完)

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[03][左上][右上][左下][右下] クライスラー作曲『プレリュードとアレグロ』を弾く孫娘

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【『雑詩』全十二詩 其二 陶潜(淵明)】

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[左]三岸節子『スペインの白い町』1972年

[右上]同『白い花(ヴェロンにて)』1989年

[右下]中国・蘇州

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. 時の移ろいは実に早い 

. 今年、令和5年もあと5日になった

. つい昨日の出来事も泡沫(うたかた)の思い出の一コマとなり、どんどんと遠い昔へと遠ざかっていく‥ 

. 人生もこうやってあっと言う間に過ぎ去って仕舞うのか‥と pessimistic になるのではなく、一寸 刹那的ではあるけど次の詩の様に optimistic でありたいものだ 

 【歳月 人を待たず】と謳った東晋の詩人陶潜(=淵明(365-427))の「雑詩」がそれだ 

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.  『雑詩』全十二詩 其二 陶潜(淵明)

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. 人生無根蒂 / 飄如陌上塵 

. 分散逐風轉 / 此已非常身 

. 落地爲兄弟 / 何必骨肉親 

. 得歡當作樂 / 斗酒聚比鄰 

. 盛年不重來 / 一日難再晨 

. 及時當勉勵 /【歳月不待人】 

. 人生は根蒂(こんてい)無く / 飄として陌上(はくじょう)の塵の如し 

. 分散し風に逐(=追)って転じ / 此れ已(すで)に常の身に非ず 

. 地に落ちて兄弟(けいてい)と為る / 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならむ 

. 歓を得ては当(まさ)に楽しみを作すべし / 斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む 

. 盛年 重ねて来たらず / 一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し 

. 時に及んで当に勉励すべし / 【 歳月 人を待たず 】 

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【意】

. 人生ってヤツは木根や果実の蒂(へた)の様な確りした拠り所がない / 恰も宛もなく舞い上がる路上の塵の様なものさ 

. 風に吹き散らされて転がって行く / もはや元の自分の身を保つことさえ覚束ない(‥人生ってそんなものだよ‥) 

. (‥知り合った者たちとは‥)皆んな兄弟の様なものだから / 親族のみに拘泥(こだわ)る必要もない 

. 嬉しい時は大いに楽しみ騒ごうヨ / 酒を沢山用意して近所の仲間と盃を酌み交わしてさ 

. 人生の盛時は二度と戻って来ないし / 一日に二度目の朝は遣って来ないのだから 

. 楽しめる時こそ確り楽しもうヨ! / 【 歳月は人を待ってはくれない 】のだから 

. ※『一度しかない(‥だからこそ‥)人生を悔いなく生きたい / 

〔 Because life is only one time, I want to live so as not to regret! 〕』〔了〕

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■今日(2023/12/27)最後は、今は、少し、と言っても16年半余りのかなり昔の物語から、2007/05/22【時習26回3-7の会 0092】~「『大連・上海・蘇州』紀行」 〜2007年05月18日(金)~05月21日(月)迄、中国 大連(05/18) → 上海(05/18-19) → 蘇州(05/19)→上海 (05/19-20) → 大連 (05/20-21) と小旅行して来たことについての懐かしい想ひ出をお伝えする

. 長女が、2007年当時、中国大連市にある大連外国語大学に1年間留学しており、その陣中見舞いを兼ね訪問した

. そのついでに長女の道案内で上海と蘇州の旅行も‥と一寸欲張った3泊4日の旅になった

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. 予算を切り詰め、名古屋~大連間はKALでソウル・仁川空港経由の空の旅とした為、初日は中部新国際空港→ソウル・仁川→ 大連(長女と合流し寄宿舎見学と大連の街を散策) → 中国南方航空で上海へ

. 上海行きの出発時間まで余裕があったので娘に市内観光を頼み、大連駅前辺りを散策(写真[01][左上])

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【大連駅→上海の街】

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[01][左上]大連駅前にて長女と

[右上]上海の夜景1

[左下]同上2

[中下]同上3

[右下]同上4

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. 上海に 05月18日&19日と2泊

. 上海は訪問した2007年から3年後の2010年に万博を控え、急ピッチで近代化を進めていた

. 人口は当時1,600万人と大都会東京をも凌ぎ、高層ビル群もご覧の通り(写真[01][右下])屹立していた

. 日本が1964年東京五輪、1970年大阪万博と経験したことを、今度は中国が来年2008年北京五輪、2010年上海万博と、日本で6年要した event を中国は2年で実現

. 中国の急成長ぶりを前年(2006年05月)訪れた北京、此の(2007)年05月の上海と、目の当たりにし実感した

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【蘇州『拙政園』→『寒山寺』】

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[02][左上] 『拙政園』入口の案内板

[右上]『同』庭園

[左下]『寒山寺』中国清代末期の学者・文人 兪樾(ゆ えつ(1821/12/25-1907/02/05))の筆に拠る張継『楓橋夜泊』碑の横にて

[右下]『寒山寺』鐘楼

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. 蘇州へは、05月19日 上海でJTBのoptional tour に参加し、日帰りバス旅行で行って来た

. 中国四大庭園のうち2つは蘇州にあり、その一つ「拙政園」を訪ねた(写真[02][左上][右上])

. 因みに、蘇州にあるもう一つは「留園」、あとは前年訪れた北京の「頤和(いわ)園」、「承徳 / 避暑山荘」だ

. 拙政園に続いては、森鴎外の小説「寒山拾得」でも有名な「寒山寺」を訪ねた

. 此処には有名な漢詩、張継「楓橋夜泊」の石碑(写真[02][左下])と「鐘楼」(写真[同][右下]) がある

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【蘇州『東洋のヴェニス・水郷地帯風景』&『大連の街風景』】

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[03][左上] 『東洋のヴェニス・水郷地帯風景』1

[右上]『同上』2

[左下]大連の街風景1

. 前の古風な建物は、旧横浜正金銀行大連支店

[中下]同上2

[右下]同上3

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. 蘇州最後の訪問地は、「東洋のヴェニス」として有名な水郷地帯の風景

. 遊覧船に乗り25分の船旅を堪能した(写真[03][左上][右上])

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. 最後に添付した写真 ([03][左下][中下][右下]) は、「大連の街」の模様だ

. 大連は、日露戦争後から第二次世界大戦終戦迄日本の植民地として栄えた街

. ロシア風の建物もあり、何処となく洋風な佇まいで、落ち着いた綺麗な街だった(添付写真)

. 人口560万人の大都会乍ら、ゆったりした雰囲気の、日本で言うと札幌の街のような感じだった

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【後記】今日は、張継「楓橋夜泊」で締め括る

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.  楓橋夜泊    張継

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月落烏啼霜満天 月落ち烏啼いて 霜 天に満つ

江楓漁火対愁眠 江楓(こうふう)漁火 愁眠に対す

姑蘇城外寒山寺 姑蘇城外の寒山寺

夜半鐘声到客船 夜半の鐘声 客(かく)船に到る

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【意】

. 月は沈み、烏は啼き、冷たい霜の気配が夜空に満ち亘る

. 既に紅葉した川辺の楓樹が、ちらちら燃える漁火(いさりび)が、旅愁に眠られぬ私の目に映る 

. 姑蘇城(=蘇州の街)外の寒山寺

. その夜半を告げる鐘の音が、旅寝する私の船まで聞えてくる(了)

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◼️今日(2023/12/27)は、七言律詩の最高傑作として名高い、杜甫の「登高」を今から15年前の2008/09/09に blog に up した記事からご紹介する

. 此の詩は、以前から何回もご紹介している

. が、いいものは何度読み返していいのでどうぞ!

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【杜甫『登高』】

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. 登高   杜甫 

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. 風急天高猿嘯哀

. 渚淸沙白鳥飛廻

. 無邊落木蕭蕭下

. 不盡長江滾滾來

. 萬里悲秋常作客

. 百年多病獨登臺

. 艱難苦恨繁霜鬢

. 潦倒新停濁酒杯

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. 風 急に 天 高くして 猿嘯哀し

. 渚淸く 沙(すな))白くして 鳥 飛び廻る

. 無邊の落木 蕭蕭(しょう/\)として 下り

. 不尽の長江は 滾々(こん/\)として来たる

. 万里 悲秋 常に 客(かく)と作(な)り

. 百年 多病 独り 台に登る

. 艱難 苦(はなは)だ 恨む 繁霜の鬢(びん)

. 潦倒(ろうとう))新たに停(とど)む 濁酒の杯

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【意】

. 風は激しく吹き寄せ、天は高く澄み、野猿がしきりに哀しげに鳴く

. 川辺の水は清く、砂は白く、辺りには鳥が飛び廻る

. 果てもなく続く落葉の木々は、嘯々として物寂しげに枯葉を散らし、

. 尽きることなき長江の水は、滾々と湧き返る様に流れて来る

. 万里遠く故郷を離れ、この悲しみを誘う秋景色の中で、私は常に旅人の生活を続けて来た

. 来る年も来る年も、絶えず病気がちであった我が身は、今只一人高台に登っている

. 耐え難い様々な苦しみ、めっきり白くなった鬢の毛が嘆かわしい

. 老い衰えた最近は、心を楽しませる濁酒さえ、もはやその杯を断つことになって仕舞った

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【解説】此のの詩は、767(大暦二)年 杜甫56歳の秋、九月九日夔(き)州(四川省奉節県)での作

. 漢詩の泰斗、石川忠久氏は「漢詩をよむ 秋の詩100選」で次の様に評している

. 「前半の叙景は、もはや単なる秋景色ではない。 風も、空も、葉を落とす木々も、湧き返る長江も、限りなく悲壮な大自然の鳴動である。後半は、この景より導きだされる心境の表白となる。全対格(ぜんついかく:四聯合とも対句)という技巧を意識させない高まりが全篇を覆い、胸を打つ。ことに最後の句に至っては、思わずその哀切さに涙を溢さずにはいられない。明(みん)の胡応麟はこの詩を、「万丈(=【筆者注】非常に高いことの意)の光と千鈞(【同】=極めて重い)の重みをもつ古今七律の第一」と賞賛したが、まことに尤もである。」

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◼️今日(2023/12/28)も又、今は少し、と言っても今から17年4ヶ月昔の2006/08/21【時習26回3−7の会 0046】にup した張九齢(ちょうきゅうれい(673-740))の『照鏡見白髪(鏡に照らして白髪を見る)』をご紹介する

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.  照鏡見白髪  張九齢(注1)

. 宿昔靑雲志

. 蹉跎白髪年

. 誰知明鏡裏

. 形影自相憐  

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.  鏡に照らして白髪を見る

. 宿昔(しゅくせき) 青雲(せいうん)の志

. 蹉跎(さた)たり 白髪の年

. 誰か知らん 明鏡(めいきょう)の裏(うち)

. 形影(けいえい) 自ずから相(あい)憐(あわ)れまんとは

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【意】

. 遠い昔の若かりし頃は大志を抱いていた

. だが挫折を重ね今は白髪を頂く齢になって仕舞った

. あの頃、誰が考えたろう、鏡に向かって

. 吾れと吾が身を憐れむことになろうとは‥

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【張九齢『照鏡見白髪』の image 画像】

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[01][左]張九齢(673/8-740)

[右上]Image 写真「青雲志」

[右中]同「白髪年」&「明鏡裏」

[右下]同「老境を夕暮れの里道に重ねて」

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. 令和5年の年も師走も残り僅か、小生齢六十九の年も暮れようとしている

. 小生もあと四日もすれば愈々古稀を迎える
. ふと、中国 唐の政治家 張九齢の七言絶句の名句が浮かんだ

. 小生にとって「青雲(の)志」とはいったい何だったのだろうか?

. そして小生、「白髪(の)年」を感じさせない様に毎日 Anti-Aging 努めているが‥
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(注1)張九齢(ちょう きゅうれい(673/8-740)):中国 唐の政治家・詩人 / 韶州曲江県の出身 / 702年 進士に及第、のち玄宗の信任を得、宰相の張説に引立てられた

【生涯】702年 進士に及第 / 宰相 張説(注2)に認められ校書郎・右拾遺・中書侍郎を歴任、733年以降は尚書右丞相 / 科挙官僚のため貴族官僚 李林甫等との仲が悪く、のち玄宗の皇太子問題を巡り衝突し荊州に左遷 / 左遷後も玄宗は張九齢を高く評価 /安禄山の「狼子野心」を見抜き、「誅を下して後患を絶て」と玄宗に諫言した人としても知られる /「開元最後の賢相」として名声高い / 明・清朝の思想家・儒学者 王夫之(1619-92)は其の『読通鑑論』の中で「貞観の時には才臣はいたが、清廉な者はいなかった。ただ開元の時に出た宋璟・盧懐慎・張九齢は清貞という徳を以て宰相に昇った。張九齢は清にして和、名声を追わず富を絶ち、朝廷に廉恥の心を知らせ、開元の世を盛んにした」と絶賛している。

(注2)張説(ちょうえつ(667-730)):中国 唐の政治家・詩人 / 文官・武官として官職を重ね、工部侍郎・同中書門下平章事・中書令(注3)・巡察使・節度使、三度宰相を歴任

【生涯】667年 洛陽生まれ / 688年 科挙及第、太子校書郎 / 703年 9月 武則天に魏元忠が謀反を誣告された際、張説は告発は虚偽で魏元忠は無実である旨主張して欽州に流罪 / 此の事から後に中宗や玄宗の信頼を得た / 713年 玄宗(685-762(在位:712-756))に刀を送り太平公主(665-713.08.01)に対する挙兵を決断させ、その功績で燕国公に封じられた / 詩人としても著名で、作品に『張説之文集』

(注3)中書令:中国の前漢から明代にかけて存在した官職名 / 隋と唐初には、皇帝が出す詔勅の起草を行うという役職から、非常に強い権限を持ち、「実質的な【宰相】職」となっていた / 唐の太宗の治世では、中書令は参議朝政などの名で国政に参与するようになった(了)

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◼️ 今日(2023/12/29)は、前漢第7代皇帝武帝((劉徹)(前156-前87(在位:前141-87)))の七言古詩の名詩『秋風の辞』をご紹介する

. 此の詩は、第8句と9句「歓楽極兮哀情多 / 少壮幾時兮奈老何〔歓楽極まりて哀情多し / 少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん〕」〔《現代訳》楽しみが極まれば哀しみが胸に迫る/ 若く元気な日々が続くのはあとどの位か、やがて来る老いをどうしたらいいだろう〕が名高い

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【前漢・武帝『秋風辞』】

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[01][左]Image 画像『奈老何(老いを奈何(いかん)せん)』

[右上]同『秋風起兮白雲飛(秋風起こって白雲飛ぶ)』

[右中]同『蘭有秀兮菊有芳(蘭に秀有り 菊に芳しき有り)』

[右下]前漢・武帝

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. 『秋風辞』は前漢の絶頂期をつくった武帝44歳の詩 / 治世30年近く経ち、漢王朝絶頂期であり乍ら秋風にふと感じた寂しさ、老いの予感が詠われている

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.  秋風辞   武帝 

. 秋風起兮白雲飛

. 草木黄落兮雁南帰

. 蘭有秀兮菊有芳

. 懐佳人兮不能忘

. 汎楼船兮済汾河

. 橫中流兮揚素波

. 簫鼓鳴兮発棹歌

. 歓楽極兮哀情多

. 少壮幾時兮奈老何

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.  秋風の辞

. 秋風起こって白雲飛ぶ

. 草木(そうもく) 黃落(こうらく)して雁(かり)南に帰る

. 蘭に秀(はな)有り 菊に芳(かんば)しき有り

. 佳人を懐(おも)ひて忘るる能(あた)はず

. 楼船を汎(うか)べて汾河(ふんが)を済(わた)り

. 中流に横たわりて素波(そは)を揚(あ)ぐ

. 簫鼓(しょうこ)鳴りて棹歌(とうか)発す

. 歓楽極まりて哀情多し

. 少壮幾時(いくとき)ぞ 老いを奈何(いかん)せん

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《現代語訳》

. 秋風が吹き白い雲が飛んでいく

. 草木は黄ばんで散り、雁は南に帰る

. 蘭は美しい花を咲かせ、菊には芳香がある

. 出会ってきた佳人の面影は消えることがない

. 屋形船を浮かべて汾河を渡ろうと

. 河を横切れば白波が立つ

. 船の中では笛や太鼓の音、舟歌の声

. 楽しみが極まれば哀しみが胸に迫る

. 若く元気な日々が続くのはあとどの位か、やがて来る老いをどうしたらいいだろう

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【解説】

表題:「辞」は韻文の一種

第1句:「兮」~調子を整える言葉 / 中国語の発音は「シー」/ 漢詩では読まない

第2句:「黄落」~木の葉が黄葉となり落ちること

第3句:「秀」~花

第4句:「佳人」~朝廷の美女説、賢臣説、土地を守る女神説などがある / 此処では、美女説を採る / 美しい花や宮廷の美女達は人生の歓楽を象徴するもの

第5句:「楼船」~二階建仕様の船/「汎」~浮かぶ /「汾河」~山西省を流れる川 /「済」~渡る

第6句:「素波」~白波

第7句:「簫鼓」~縦笛と太鼓 /「棹歌」~舟歌

第8句:「哀情」~哀しみ

第9句:「少壮」~若く血気盛んな年頃 /「幾時」~何時迄続くことか /「奈~何」~をどうしたらいいのだろう

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1~2句:此の詩はもの寂しげな秋の情景で始まる

3句:やがて美しい蘭の花や菊の香り

4句:宮廷の美女達の面影

5~6句:更に汾河を渡る豪勢な屋台船と其処で奏でられる蕭や太鼓の音、舟歌の朗々たる声

7句:土地神への祈りの行事が終わり、安堵した帝王や臣下達の宴の音が賑やかに聞こえる

8句:お酒も入って大いに笑い楽しんだ其の時、ふと哀しみが込み上げて来る

9句:歓楽の時も必ず終わり、我が命も必ず終焉を迎える / 充実した気力で国を動かせるのもあとどのくらいだろう / 老いを迎えたらどうしたらいいものか

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. 武帝は16歳で即位し69歳で没している / 武帝44歳の時は其の治世の丁度真ん中 / 活力もまだ充分漲っていた頃 / 前漢大帝国最盛期の皇帝として全権掌握し、衛青や霍去病等、自身が抜擢した天才将軍の活躍で、強敵匈奴との戦さにも勝ち、張騫に拠り西域との交流も本格化、領土も最大に増え、正に順風満帆の時 / 其の最中に此の詩は書かれ、正に「歓楽極まって哀情多し」、歓楽の極みに不幸な晩年の予感が過(よぎ)った様な詩 / 武帝は、此の頃から神仙思想に傾注して行く / 老いへの不安が其れを一層搔き立てたのか‥ /

兎に角此の詩最後の2句は、齢を重ねた者の誰もが多少とも抱く感慨と言える(了)

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◼️今日(2023/12/30)は、三国志の英雄 実力No.1 曹操『歩出夏門行』をご紹介する

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【曹操『歩出夏門行』】

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[01][左]Image 写真『老驥伏櫪 / 志在千里』

[右上]同『神龜雖壽 / 猶有竟時』

[右下]同『騰蛇乘霧 / 終爲土灰』

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. 此の名詩は、第5〜8句「老驥伏櫪 / 志在千里/ 烈士暮年/ 壯心不已〔老驥は櫪に伏すも / 志は千里にあり / 烈士暮年 壮心やまず〕」が有名である

. 小生も、正月を迎えると、齢七十歳、詩聖杜甫が「古来稀なり」と詠んだ【古稀】だ

. だがまだまだ青春をずっと続けていたいナ

. では、どうぞ‥

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.  歩出夏門行  曹操
. 神龜雖壽 / 猶有竟時
. 騰蛇乘霧 / 終爲土灰
. 老驥伏櫪 / 志在千里
. 烈士暮年 / 壯心不已
. 盈縮之期 / 不但在天
. 養怡之福 / 可得永年
. 幸甚至哉 / 歌以詠志

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.  歩出夏門行(ほしゅつかもんこう) 曹操
. 神亀(じんき)は寿(いのちなが)しといえども / なお竟(おわ)る時あり
. 騰蛇(とうだ)は霧に乗ずるも / 終(つい)には土灰(どかい)となる
. 老驥(ろうき)は櫪(れき)に伏すも / 志は千里にあり
. 烈士暮年(れっしぼねん) / 壮心(そうしん)やまず
. 盈縮(えいしゅく)の期(き)は / 但(ただ)に 天のみに在(あ)らず
. 養怡(ようい)の福(ふく)は / 永年(えいねん)を得(う)べし
. 幸(こう)甚(はなは)だ至れる哉(かな) / 歌いて以て志を詠ず

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《現代語訳》

. 伝説上の亀は、きわめて長寿であるというが、
それでも命に終わりはある

. 龍は霧に乗って舞い上がるというが、最後は土くれになってしまう。

. しかし千里を駆ける駿馬は、たとえ老いて馬屋にあっても志は千里を駆け巡っている

. 男児たるもの、年老いたからといって熱い気持ちを止められるものではないのだ

. 寿命の長い短いは、ただ天のみが決めるわけではない

. 自ら楽しみ幸福であるように心がければ、長寿を得るだろう

. なんという幸いの極みか / 歌って、志を詠じよう

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《語句》

「神亀」〜伝説上の長寿の亀は /「騰蛇」〜「騰」は空に上がる / 伝説上の空に上がる蛇 /「老驥」〜年老いた駿馬 / 「櫪」〜馬屋 /「烈士」〜信念をつらぬく男児 /「壮心」〜熱い気持ち /「盈縮」〜長短 / 屈伸 / 出たり引っ込んだりすること /「期」〜寿命 /「不但在天」〜其れを決めるのは天だけという訳ではない /「養怡之福」〜自ら喜び幸福である様に心がけるなら‥ /「可得」〜得ることが出来る /「永年」〜長寿 /「幸甚至哉」〜甚だ幸いの極みであるヨ /「詠志」〜志を歌う

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【2023年を振り返って、Facebook が見せてくれた想い出写真】1

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. 写真[左上][右上][左下]は、晩秋の余呉湖

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【2023年を振り返って、Facebook が見せてくれた想い出写真】2

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【2023年を振り返って、Facebook が見せてくれた想い出写真】3

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【2023年を振り返って、Facebook が見せてくれた想い出写真】4

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【2023年を振り返って、Facebook が見せてくれた想い出写真】5(完)

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【前書】年の暮に心境を詠る

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. 暮れゆくは 年 吾は春 常(とこ)しへに 悟空

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. 次回は、明後日(2024/01/01)元旦に又お会いしましょう!♪(了)

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