今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。
今回は通算〔第19回〕目で、前回迄の「夏の部」から「秋の部」の〔第1回目〕へと変わる。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第73句~76句をお届けする。
では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第1句目からの4句をご覧頂きたい。
猿蓑集 巻之五
73 灰汁桶(あくおけ)(注1)の雫(しずく)やみけりきりぎりす 凡兆
【意】灰汁桶の水が滴り落ちる音が止んだ / 桶の下でコオロギが鳴き始めた / 秋の夜の到来だ
【解説】元禄03年08月下旬~09月頃興行の作品 / 季語:きりぎりす「秋」/
(注1)灰汁桶:洗濯や染物に用いる灰汁をとる為に、灰を浸した水の、桶の栓口から滴らせる様に仕掛けた桶
74 あぶらかすりて宵(よひ)寝(ね)する秋 芭蕉
【意】行燈の油が切れて仕舞ったので、秋の夜長を宵のうちから早寝をする
【解説】あぶらかすりて:行燈の油皿にあった油が尽きて仕舞ったので /
宵寝:宵(=日暮れからまだ間もない時間)のうちから寝て仕舞うこと
75 新疊(しんたたみ)敷(しき)ならしたる月かげに 野水(注1)
【意】(早寝とは言え寝入ってはなく‥)新しい畳の匂いを嗅ぎ乍ら窓から注ぎ込む秋月を眺めている
【解説】季語:月「秋」/ 新宅に月光が差し込んでいる様を詠んだ
前句の侘びを悠々たる境涯の楽隠居等に転じた付か‥
(注1)野水(やすい):岡田野水(おかだ やすい(1658-1743))
1858(万治(まんじ)元)年生まれ / 尾張国名古屋で呉服商 / 貞門派の吉田横船らに学ぶ /
1684(貞享元)年 松尾芭蕉が「野ざらし紀行」の旅の途中、自宅に迎えて「冬の日」の歌仙興行に加わった /
茶道にも通じた / 字:幸(行)胤 / 通称:佐次右衛門 / 別号:に宜斎・転幽
76 ならべて嬉(うれ)し十(とお)のさかづき 去来
【意】その結構な境遇の人が、今此処で月見の小宴を開こうとしている /
間もなく気の置けない仲間達が遣って来るので、十人の為の盃が縁側近くに用意されている
【解説】—
【小生comment】
連句もなかなか面白いデショ?!
次号《会報》では「秋の部」第2回(通算第20回)をお届けするのでお楽しみに!
■続いてお届けするのは、去る08月18日(土)、小生が月に一度の名古屋市東区にある歯科医院へ歯科健診の日での出来事。
健診のついでに4つの美術&貨幣資料館を見て来た模様のうち、最初に訪れた名古屋ボストン美術館『最終展/ハピネス~明日への幸せを求めて』展についてお伝えする
此の日の模様は、本《会報》から4回seriesでお届けして行く予定である。
その日の行程と共にご覧下さい。
【意】その結構な境遇の人が、今此処で月見の小宴を開こうとしている /
間もなく気の置けない仲間達が遣って来るので、十人の為の盃が縁側近くに用意されている
【解説】—
【小生comment】
連句もなかなか面白いデショ?!
次号《会報》では「秋の部」第2回(通算第20回)をお届けするのでお楽しみに!
■続いてお届けするのは、去る08月18日(土)、小生が月に一度の名古屋市東区にある歯科医院へ歯科健診の日での出来事。
健診のついでに4つの美術&貨幣資料館を見て来た模様のうち、最初に訪れた名古屋ボストン美術館『最終展/ハピネス~明日への幸せを求めて』展についてお伝えする
此の日の模様は、本《会報》から4回seriesでお届けして行く予定である。
その日の行程と共にご覧下さい。
08時10分 拙宅発→〔一般道78㎞〕→
09時55分 名古屋市中区金山にある名古屋ボストン美術館着
10時00分 名古屋ボストン美術館『最終展/ハピネス~明日への幸せを求めて』
[01]館内入口 本企画展看板前にて
【小生comment】
20年間続いて名古屋ボストン美術館も本年10月08日にて閉館する。
小生は、旧行時代の2000年7月1日~2002年6月30日迄、名古屋ボストン美術館と一緒のビルにあるホテルHGNに出向していたので、凄く思い入れの強い美術館だ。
凄い寂寥感を感じる。
最終企画展だけあって、入館の際、Bridge of Arts と題した当美術館の1999年~2018年全期間のposter一覧と各企画展の注目作品が掲載された図録がpresentされた。
そして、帰り際にMuseum Shopで記念に図録を買った。
其の際、図録のback numbers が1冊500円で売られていたので『オキーフとその時代』と『北海道近代美術館collection展~日本画逍遥』の図録2冊を購入した。
09時55分 名古屋市中区金山にある名古屋ボストン美術館着
10時00分 名古屋ボストン美術館『最終展/ハピネス~明日への幸せを求めて』
[01]館内入口 本企画展看板前にて
[02]館内2階入口横 本企画展看板前にて
[03]本企画展leaflet〔表〕
[04]同上〔裏〕
[05]William
Sergeant Kendall(1869-1938)『批評家たち』1910年
[06]Jim Dine(1935-
)『L. A. Eye Works』1982年
[07]Michael Mazur(マイケル・メイザー(1935-2009))『四季(Seasons)~春』1999年
[08]Scott Prior(スコット・プライア(1949- ))『Nanny & Rose』1983年
【小生comment】
20年間続いて名古屋ボストン美術館も本年10月08日にて閉館する。
小生は、旧行時代の2000年7月1日~2002年6月30日迄、名古屋ボストン美術館と一緒のビルにあるホテルHGNに出向していたので、凄く思い入れの強い美術館だ。
凄い寂寥感を感じる。
最終企画展だけあって、入館の際、Bridge of Arts と題した当美術館の1999年~2018年全期間のposter一覧と各企画展の注目作品が掲載された図録がpresentされた。
そして、帰り際にMuseum Shopで記念に図録を買った。
其の際、図録のback numbers が1冊500円で売られていたので『オキーフとその時代』と『北海道近代美術館collection展~日本画逍遥』の図録2冊を購入した。
[09]図録『Bridge of Arts』(左)と同『O’Keeffeとその時代』(右)
図録『Bridge of Arts』(左)は、今回の入館者全員に無料で配布された当美術館が1999年04月17日に開催された第1回『モネ、ルノアールと印象派の風景』展~今回第43回企画展『ハピネス‥明日の幸せを求めて』展迄の概要と掲示されたposter一覧が掲載されていた
[10]図録『北海道近代美術館collection展~日本画逍遥』
10時45分 名古屋ボストン美術館発→〔一般道6.3km〕→
〔以下、次号《会報》以降を乞うご期待!〕
図録『Bridge of Arts』(左)は、今回の入館者全員に無料で配布された当美術館が1999年04月17日に開催された第1回『モネ、ルノアールと印象派の風景』展~今回第43回企画展『ハピネス‥明日の幸せを求めて』展迄の概要と掲示されたposter一覧が掲載されていた
[10]図録『北海道近代美術館collection展~日本画逍遥』
10時45分 名古屋ボストン美術館発→〔一般道6.3km〕→
〔以下、次号《会報》以降を乞うご期待!〕
■今日最後の話題は、前日08月18日23時25分豊橋駅前発の関東バスの高速夜行バス「ほの国号」で上京した時の話をお届けする。
08月19日は、早朝05時15分に新宿駅西口に到着。
新宿から都営地下鉄大江戸線に乗り門前仲町へ。
同地の「深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元標→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館→三鷹市美術gallery」と6つの美術館を巡って来た模様を本《会報》から7回seriesにてお届けしていく。
今回はその〔第1回〕を、行程をご覧に入れ乍らご紹介する。
08月19日は、早朝05時15分に新宿駅西口に到着。
新宿から都営地下鉄大江戸線に乗り門前仲町へ。
同地の「深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元標→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館→三鷹市美術gallery」と6つの美術館を巡って来た模様を本《会報》から7回seriesにてお届けしていく。
今回はその〔第1回〕を、行程をご覧に入れ乍らご紹介する。
【08月19日】
05時15分 西新宿27番停留所着
[11]新宿西駅27番停留所にて
05時40分 地下鉄大江戸線新宿駅→門前仲町駅へ
06時10分 門前仲町駅着→徒歩100m→
05時15分 西新宿27番停留所着
[11]新宿西駅27番停留所にて
05時40分 地下鉄大江戸線新宿駅→門前仲町駅へ
06時10分 門前仲町駅着→徒歩100m→
[12]門前仲町駅入口前にて
[13]深川不動堂 旧本堂前にて
当寺は、成田山新勝寺 東京別院 が正式名称。
境内には、深川開運出世稲荷〔成田山出世稲荷を勧請〕もあった。
06時20分 深川不動堂着
[13]深川不動堂 旧本堂前にて
[14]開運出世稲荷社横にて
当寺は、成田山新勝寺 東京別院 が正式名称。
境内には、深川開運出世稲荷〔成田山出世稲荷を勧請〕もあった。
06時30分 富岡八幡宮着
[15]富岡八幡宮境内map
[15]富岡八幡宮境内map
[16]富岡八幡宮 本殿をbackに
[17]6柱が祀られている3社をbackに
[18]本殿賽銭箱横に掲示されていた昭憲皇太后の短歌
境内には、色々な社があったのには驚いた。
3つの社に2柱ずつ、計6柱の神様が祀られていた。
左から右へ「富士浅間社」「金刀比羅社」「大国主社」「恵比寿社」「鹿島神社」「大鳥神社」の順。
本殿の賽銭箱の横に、明治天皇の皇后、昭憲皇太后(1849-1914)の御歌(おうた)が記されていた。
3つの社に2柱ずつ、計6柱の神様が祀られていた。
左から右へ「富士浅間社」「金刀比羅社」「大国主社」「恵比寿社」「鹿島神社」「大鳥神社」の順。
本殿の賽銭箱の横に、明治天皇の皇后、昭憲皇太后(1849-1914)の御歌(おうた)が記されていた。
みがかずば 玉の光は いでざらむ 人のこころも かくこそあるらし
[19]七渡弁天社前にて
[19]七渡弁天社前にて
[20]横綱力士碑前にて1
[21]同上2
[22]横綱力士碑解説
[23]歴代横綱一覧碑1
[24]同上2
境内には、「横綱力士碑」がある。
この碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝える為、江戸時代最後の横綱第12代陣幕久五郎(1829-1903)が中心となり、明治33年に建てられた。
江戸幕府が初めて江戸で勧進相撲を認めたのが、貞享元(1684)年の此処、富岡八幡宮境内である為、江戸勧進相撲発祥の地と言える。
この碑は、横綱の顕彰と相撲の歴史を伝える為、江戸時代最後の横綱第12代陣幕久五郎(1829-1903)が中心となり、明治33年に建てられた。
江戸幕府が初めて江戸で勧進相撲を認めたのが、貞享元(1684)年の此処、富岡八幡宮境内である為、江戸勧進相撲発祥の地と言える。
[25]松尾芭蕉命を祀る「花本社」〔奥の社の向かって左端〕前にて
[26]伊能忠敬像前にて
[26]伊能忠敬像前にて
[27]伊能忠敬像解説
1800年06月11日(寛政12年閏04月19日) 早朝、伊能忠敬は富岡八幡宮に参拝して蝦夷地測量の旅に出かけた
[28]大関力士碑横にて
[29]富岡八幡宮鳥居前にて
[29]富岡八幡宮鳥居前にて
[30]門前仲町界隈
08時15分 富岡八幡宮発→地下鉄東西線 門前仲町駅→日本橋駅→地下鉄銀座線
三越前駅→地下鉄B5番出口すぐ
08時43分 日本橋欄干&日本道路元標着
[31]日本橋欄干にて
小生の後ろにある「マル越」markは、三越百貨店本店新刊ビル!
[37]里程標1
[38]同上2
08時43分 日本橋欄干&日本道路元標着
[31]日本橋欄干にて
[32]日本道路元標(replica)1
[33]同上2
[34]日本道路元標にて1
[35]同上2
[36]同上3
小生の後ろにある「マル越」markは、三越百貨店本店新刊ビル!
[38]同上2
日本橋の三越本店直ぐ傍にある『日本国道路元標』。
此処は、国道の7線の起点である。
その7つの国道は以下の通り。
・国道1号(終点:大阪市)
・同4号(同:青森市)
・同6号(同:仙台市(旧岩沼市)で国道4号線と合流)
・同14号(同:千葉市)
・同15号(同:横浜市)
・同17号(同:新潟市)
・同20号(同:塩尻市)
此処は、国道の7線の起点である。
その7つの国道は以下の通り。
・国道1号(終点:大阪市)
・同4号(同:青森市)
・同6号(同:仙台市(旧岩沼市)で国道4号線と合流)
・同14号(同:千葉市)
・同15号(同:横浜市)
・同17号(同:新潟市)
・同20号(同:塩尻市)
09時04分 三越前駅発→地下鉄銀座線→上野駅へ
09時10分 上野駅着→徒歩10分→
09時20分 東京都美術館着
09時10分 上野駅着→徒歩10分→
09時20分 東京都美術館着
【小生comment】
深川不動堂を訪れたのは、今回が初めてであった。
富岡八幡宮は、小生にとっては懐かしい神宮である。
旧行東京融資部事業調査室在勤(昭和61年04月~平成03年2月)時代、毎年正月に融資部の初詣先として昭和62年から5回連続参詣していた。
だから本当に懐かしい思い出ある神宮である。
では、また‥〔了〕
*
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深川不動堂を訪れたのは、今回が初めてであった。
富岡八幡宮は、小生にとっては懐かしい神宮である。
旧行東京融資部事業調査室在勤(昭和61年04月~平成03年2月)時代、毎年正月に融資部の初詣先として昭和62年から5回連続参詣していた。
だから本当に懐かしい思い出ある神宮である。
では、また‥〔了〕
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