2017年は、十干十二支でいうと丁酉(ひのととり/ていゆう)。
丁は「陰の火」、酉は「陰の金」。
火は金を熔かすので「相克」の関係にあり、丁酉の年は、酉が革命を表すことから、大きな変革期に移行する過渡期だという。
過去の「丁酉」の事象を振り返ってみると‥
1597年 慶長の役(=二度目の朝鮮征討)
1657年 01月18~20日(=03月02~04日) 明暦の大火(江戸市中が3日間燃える大火災)
1717年 大阪大丸百貨店の前身 大文字屋 と 小野薬品工業 が創業
1777年 01月03日 アメリカ独立戦争 プリンストンの戦いで三連勝し アメリカが独立へ大きな前進を果たした
1837年 06月20日(~1901年01月22日/在位 63年7か月) 大英帝国 ヴィクトリア女王 即位
1897年 日本が日清戦争に勝ち、日露戦争へと突き進む「坂の上の雲」の時代
1957年 10月04日 ソ連が世界初の人工衛星「スプートニク1号」の打上げ成功 → 西側諸国に『スプートニク・ショック』が起きた
2017年 さて、今年は何が起こるか!???
■少し前の話になるが、12月18日 浜松市美術館『女性を描く』展を見てから、浜松市天竜区にある 秋野不矩美術館へ『第4回所蔵品展/秋野芸術の軌跡ⅠⅤ~インドにて-人々の暮らし~』を見て来たので、その模様をお伝えする。
秋野不矩(1908-2001)の後半生は、インドと切り話せない。
秋野は、インドとの縁を次の様に回想している。
1961年当時
私(=秋野不矩)は京都市立美術大学で日本画を教えていた。
或る時、仏教美術の研究でインドから帰られたばかりの佐和隆研先生が日本画の研究室に来られ、「日本画の先生でインドの大学に行って下さる方はありませんか」と聞かれた。私は即座に「私、行きます」と言って仕舞った。
英語もろくに出来ないし、インドのことを知らない自分がなぜインドと聞いて、待ち構えていた様に行く気になったのかは、我乍ら不思議であった。
こうして私はインド、西ベンガル州 シャンチニケータンにあるビスババーラティ大学に客員教授として渡印することとなる。
[01]秋野不矩美術館 入口の案内看板
[02]秋野不矩美術館 外観
[03]秋野不矩『海辺のコッテージ』1984年
[04]同『土の家(生命の樹)』1985年
[05]同『土の家[A]』1987年
[06]同『土の家[B]』1987年
[07]同『廃墟Ⅰ』1989年
[08]同『廃墟Ⅱ』1989年
[09]同『村落(カジュラホ)』1994年
[10]同『帰牛』1995年
【小生comment】
日本画とインドという、一見何の連関もない様に見える結び付きが、秋野不矩の渡印に拠って多くの作品として遺された。一つひとつの作品が、灼熱のインドの風土を秋野の日本画と通して見る者に新鮮に訴え掛けて来る。
皆さんは、どう感じましたか?
近々「秋野芸術の軌跡Ⅴ/インドにて-寺院と神々を巡る~」展を見て来る予定である。
■今日最後の話題は、この年末から正月にかけて読んだ3冊の文庫本、佐藤伝『50代から強く生きる法』・保坂隆『50歳からの人生を楽しむ老後術』・外山滋比古『50代から始める知的生活術』について、夫々ご紹介する。
[11]佐藤伝『50代から強く生きる法』・保坂隆『50歳からの人生を楽しむ老後術』・外山滋比古『50代から始める知的生活術』
【佐藤伝『50代から強く生きる法』】
第1章/50代はこの「心構え」でうまくいく。強くなる※ イライラしたら「掌(たなごころ)を触る」〔P.24〕
普段から私が行っている、取って置きの「イライラ防止法」。
それは、「イラっ」と来たら、『直ぐに右手と左手を合わせる』というもの。〔中略〕
兎に角両方の手をくっつけると、自分の中の攻撃性が鎮まっていく。〔中略〕
商人が、よく揉み手をして「はいはい/ご尤もで御座居ます」と頭を下げ、愛想笑いをし乍ら、両手を揉み揉み。
無理難題を言って来るお客に対して、自分が怒って仕舞ったら商売にならない。
揉み手で掌(たなごころ)を刺激し、激昂する気持ちを収めている訳である。
※ イヤなことは「through」する習慣〔P.28〕
相手のイラっと来る態度を見てカリカリ来たらあなたが損。〔中略〕
「起こることは全て必然」と思えたら、感じの悪い態度を取られても「そうか、そうか、そう来たか」と悠然と構えられる筈。
その姿勢こそが、沢山の縁を引き寄せる〔中略〕コツなのである。
※「感謝する様ないいこと」が沢山ある〔P.62〕
意識的に感謝の言葉を口にする。〔中略〕ありとあらゆる相手に「ありがとうございます」。
この「有難う御座居ますの感謝powerが、「つまんない」日常を変革していく。〔中略〕
「感謝の習慣」こそが、不足感と欠乏感に塗(まみ)れた不平・不満人生を変えていく、たった一つにして最強の方法論である。
第2章/人生後半、「運を味方につける」生き方
※ もっと「私は私」で生きる〔P.88〕「私は私」と答えられる生き方を、50代から模索しよう。〔中略〕
「和して同ぜず」‥調和するが同調しない。
周囲と仲良く遣っていくが、決して付和雷同することなく、自分軸を持って楽しく愉快に生きていく。〔中略〕
50を過ぎたら〔中略〕確り軸を持って自然と調和し乍らactiveに行動していこう。
【保坂隆『50歳からの人生を楽しむ老後術』】
第3章/疲れない人間関係をつくる/『人づき合い』のちょっとしたコツ※「程よい距離感」を保って付き合う〔P.115〕
※ 基本は「ひとりで楽しめる人」になる〔P.117〕
人を誘って断られても「残念/次の機会にまたご一緒に!」とさらりと受け、ひとりで行ってくればいい。ひとりで楽しめる人には、この軽やかさがある。
これが相手にとっても快い印象になる。
第5章/いつまでも元気な体をつくる!/健康になる『食べ方』『体の動かし方』の秘訣
※「ありがとう力」で幸せを呼び込む〔P.228〕人は生まれたその瞬間から、死の瞬間迄、自分ひとりの力だけで生きることは出来ないのだ。
人生を支えてくれた様々な人々に、その都度、丁寧に心を込めて「ありがとう」と感謝の思いを言葉で伝える。
これをちゃんと行っていれば、それだけで幸せになれる。〔中略〕
身の回りのこと、起こることの一つひとつに感謝できる、〔中略〕「ありがとうの達人」〔中略〕になると、まず何より自分が幸せになる。
そして、ことある毎に、周りの人に「ありがとう」と口にするので、そう言われた人も幸せになっていく。〔中略〕
口にした「ありがとう」の数だけ、老後の幸せは深まっていくと私(=保坂)は信じている。
【外山滋比古『50代から始める知的生活術』】
第3章/つきあいの作法※ 義理を欠く〔P.97〕
〔前略〕岸信介元首相は「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」という養生訓を残したが、この「義理を欠け」は、この浮世の人間関係を考えるうえで傾聴に値する。〔中略〕
義理を欠くというのは、中々思い通りには行かない。
どうしても柵(しがらみ)に縛られることになる。
しかし、年をとったら、時に浮世の柵を振り切る勇気が要る。〔中略〕
柵と言えば、その最たるものが夫婦関係。〔中略〕
妻に頼り切りでは、二毛作人生は難しいかもしれない。
男子たるもの、熟年離婚、おそるるに足らずという気概は欲しい処。〔中略〕
覚悟だけでなく、鍛錬もして置くべき。〔中略〕
炊事、洗濯、掃除も自分で出来なくてはならない。〔中略〕
自分のことは自分でする力をつける必要がある。
第5章/新しい人生を切りひらく
※ 第二の天性〔P.153〕英語に「Habit is second nature.」という言葉がある。〔中略〕
人間は生まれつき、生まれ乍らの力、能力、性質を持ってこの世に現れる。
これが 第一の nature 。〔中略〕
人間は若くして(第一の)天性、天分を失う。ではどうするか。〔中略〕
第一の天性が失われた後、「その代わりの力を自力で生み出す」という考えを生み出した。
それが「習慣」。
「『習慣』は第二の天分、天性である」という訳だ。〔中略〕
生活は続けていると習慣になる。〔P.118〕
この習慣が、生まれつきの天性に近い力を持つと言っているのが、「習慣は第二の nature である」という言葉。〔中略〕
人生を二度生きる。
二度目の人生をみじめなものとならない様にする人生二毛作の考えは、この「第二の天性」に注目しなくてはならない。
つまり、知識中心、生まれつきの儘、という生き方を変え、毎日の生活を規則正しく、思慮深く、人に迷惑をかけず、自らを成長させていく生活を続け、生活習慣をつくれば、それが即ち、その人の「第二の天性」となるという訳だ。
習慣は、一日にして成るものではない。〔中略〕
生活習慣が威力を発揮するには少なくとも五年、十年もかかる様に思われる。〔中略〕
遅くとも50代になったら、第二の人生の為、第二の天性の為に、新しい生活習慣づくりに踏み出すべき。〔中略〕
私(=外山)は、毎日、二時間近く、一万二、三千歩歩くのを日課にした。〔中略〕
はっきり生活習慣であると言うことが出来る。
自分で、人生二毛作の生き方をして来たかどうか、はっきりしたことは言いかねるが、散歩という生活習慣に拠って、年を取ってから、元気で、仕事をしていられるのだということは自信を以て言うことが出来る。
「習慣は第二の天性」を信じている。
【小生comment】
「習慣」と言えば、小生も平成08年08月07日に10回/日からstartした毎朝の腹筋が、現在迄20年4か月続いていて、その回数も所要時間も丁度1時間で2千回/日に増えている。腹筋の後、20分間程の休憩後、2.5㎏の木刀の素振りを丁度1時間/日を、これは7~8年続けている。
お陰様で此処10年以上風邪をひいたことがない。
副次効果として、お腹も引っ込んで、胸筋と上腕二頭筋が太くなったのは予想外の収穫だった。(^^;
【後記】今年も皆さん【時習26回3-7の会】を宜しく!
今日は、正月なのでこの時期の名句を一つご紹介してお別れする。
去年今年 貫く棒の 如きもの 高浜虚子
【季語】去年今年(こぞことし):新年
では、また‥。〔了〕
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