2018年10月4日木曜日

【時習26回3-7の会 0725】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第25回〕』」「08月19日:深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元票→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→損保ジャパン日本興亜美術館→【三鷹市美術gallery】を巡って~〔最終回〕」「09月13日:三千院→寂光院→【京都国立近代美術館『東山魁夷』展→真如堂(真正極楽寺)】→白髭神社→満月寺 浮御堂→佐川美術館を巡って~〔第2回〕」「09月16日:豊川市桜ヶ丘ミュージアム『第33回 風景の会 瀬戸を描く』展を見て」「09月21日:熱田神宮→尾張四観音(荒子→甚目寺→龍泉寺→笠寺)&大須観音→萬松寺』を巡って〔前編〕」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0725】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。
 今回は通算〔第25回〕目で、「秋の部」の〔第7回〕目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第97句~100句をお届けする。
 では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第25句目からの28句をご覧頂きたい。
 
  猿蓑集 巻之五
 
97 夕月夜(ゆうふづきよ)(おか)の萱(かや)(1)の御廟(ごびょう)守る  ()
 
【意】狼の遠吠えが聞こえる茅の生い茂る山陵の荒れ果てた御廟(=霊屋)を墓守が守っている
【解説】前句の「狼の鳴く」を受けて、狼の遠吠えが聞こえる墓原をimageして詠んだ
(1)萱ね:「茅根」に同じ
 
98 人もわすれしあかそぶの水(1)  ()
 
【意】墓の手水(ちょうず)用の水が、訪れる人も無い為に赤渋の水になって仕舞った
【解説】前句を受け、荒涼とした山陵の風景として詠んだ
(1)あかそぶの水:「あかそぶ」は鉄分の多い酸化した赤渋の水 /
 
99 うそつきに自慢(じまん)いはせて遊ぶらん  ()
 
【意】大法螺吹きの彼の自慢話を聴いて暇つぶしを楽しむとするか /
【解説】前句の「恋」や「墓守」の話を法螺吹き者の自慢話として詠んだ

100 又も大事の鮓()を取(とり)出す  ()

【意】其の法螺吹き者に、自慢の寿司を出して食わせてやる
【解説】「前の嘘つきに自慢いはせて遊ぶ人が、大事の鮓乍らその嘘つきに振舞んと取出す付也」(猿蓑さがし)
 
【小生comment
 次回は、秋の部の第8回〔通算26回〕をお届けするのでお楽しみに!
 
■次にお届けする話題は、此れ迄7seriesでお届けして来た08182325分豊橋駅前発の関東バスの高速夜行バス「ほの国号」で上京した時の話も今日がその最終(7)回となった。
 0819日の早朝0515分に新宿駅西口着新宿駅都営地下鉄大江戸線門前仲町へ。
 同地の「深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元標→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館→【三鷹市美術gallery】」と6つの美術館を巡った7seriesの〔最終回〕【三鷹市美術gallery『横山操』展】をお届けする。
 
1630分 東郷青児記念ジャパン日本興亜美術館発新宿駅中央線三鷹駅へ
1650 JR三鷹駅着徒歩08
1700分 三鷹市美術ギャラリー着
1700分 三鷹市美術ギャラリー『横山操~Atelierより~』展
 
 彼の略歴は以下の通り。
1920(大正09)年 新潟県燕市(=西蒲原郡吉田町)に生まれた
1934(昭和09) 3月 吉田尋常小学校卒業して上京 / 銀座木挽町の光風会会員の画家 石川雅山(藤助)に内弟子として入門、版下やposter描きを習う
1938(昭和13)年 光風会展初入選
1939(昭和14)年 師の石川雅山の勧めで日本画に転向、川端画学校日本画部(夜間部)に入門
1940(昭和15)年 召集
1945(昭和20)年 ソ連(現・カザフスタン共和国)に抑留され、石炭採掘に従事
1950(昭和25) 2月 復員 / 4月 上京して石川雅山宅に寄宿
1953(昭和28)年『ショーウィンド』で第25回青龍展奨励賞受賞、以後毎年奨励賞受賞していく
1958(昭和33)年 第30回青龍展で、青龍社社人
1959(昭和34) 12月 加山又造、石本正と第1回轟会展開催 / 三鷹市大沢に自宅と atelier を新築
1965(昭和40)拈 多摩美術大学にて加山又造と共に実技指導
1966(昭和41)年 同大学日本画科教授就任
1970(昭和45)年 青梅の別荘に atelier 新築
1971(昭和46)拈 脳卒中で倒れる
1973(昭和48) 326日 再び脳卒中で倒れる / 41日 逝去(享年53)
 
[01]三鷹市美術ギャラリーが入居するJR三鷹駅南口正面のコラルミタカビル入口にあるギャラリー案内看板

[02]同ギャラリー入口近くの本企画展看板前にて
                  
[03]往年の横山操(1920-73)

[04]横山操(1920-1973)『梅に鶯』1951
                  
[05]同『舞妓』1956

[06]同『舞妓』1956
                  
[07]同『茜』1973


1730分 三鷹市美術ギャラリー発三鷹駅東京駅へ
1800分 東京駅着東海道新幹線へ
1833分 東京駅発ひかり527豊橋駅へ
1756分 豊橋駅着
2035分 帰宅
 
【小生comment
 三鷹市は、1959年 横山操(39) atelierを新築して、1950年に別荘のある青梅市に atelier を造る迄、絵画制作の拠点とした街である。
 本企画展は、一昨(2016)年に夫人の基子氏と長女の彩子さんが相次いで亡くなり、三鷹市大沢の atelier に調査に訪れたことがきっかけだという。
 小生、横山操の作品は昔から好きでずっと注目して来た日本画家である。
 53歳で亡くなっているが、もう10年でも長生きしていたら素晴らしい作品がもっと沢山世に出ていたことだろうと思われ、残念でならない。
 
■続いては、0913日、日帰りdriveで、「三千院寂光院【京都国立近代美術館『東山魁夷』展真如堂(真正極楽寺)白髭神社満月寺 浮御堂佐川美術館『田中一村』展を巡って~〔第2回〕」についてお伝えする。
 
 寂光院を後にして、一路岡崎公園駐車場へ向かった。
 同駐車場から『東山魁夷』展の会場である京都国立近代美術館迄は徒歩数分である。
 
0940分 寂光院発一般道16 30
1015分 岡崎公園駐車場着
1025分 京都近代美術館着
1030分 京都国立近代美術館『東山魁夷』展
 
【京都国立近代美術館『東山魁夷』展】
 
[08]京都国立近代美術館前の本企画展看板前にて1
                  
[09]同上2

[10]同美術館内の本企画展看板前にて
                  
[11]東山魁夷『唐招提寺/襖絵』1975-80

[12]同『白馬の森』1972
                  
[13]同『秋思』1988

[14]同『夕星』1999年〔絶筆〕
                  

【小生comment
 東山魁夷の作品は、「風景画」と「白馬を描いた心象画」が幻想的な雰囲気を醸し出していて矢張りいい。

1055分 京都国立近代美術館発徒歩
1105分 岡崎公園駐車場発〔駐車料金@500円〕一般道1.5km 5
1115分 真正極楽寺〔真如堂〕着〔入館料@500円〕
 
【真正(しんしょう)極楽寺(ごくらくじ)〔真如堂(しんにょどう)〕】
 当寺は、京都市左京区浄土寺真如町にある天台宗の寺院。
 通称:真如堂 / 山号:鈴聲山(れいしょうざん) / 本尊:阿弥陀如来 / 開山:戒算(かいざん)
984(永観02)年 比叡山の僧 戒算が比叡山常行堂の本尊阿弥陀如来を東三条院詮子(一条天皇生母)の離宮に安置したのが始まり(『真如堂縁起』)。
 992(正暦03)年 一条天皇の勅許を得、本堂創建。
 不断念仏の道場 / 念仏行者・庶民、特に女性の信仰を得て来た。
 応仁の乱を初め火災により堂塔は幾度も焼失したが、足利将軍家や豊臣秀吉の庇護の下、京都市内をの所在地を転々とし乍らも命脈を保った。
 1693(元禄06)年 現在地再建後今日に至る。
【社伝】本尊の阿弥陀如来は「頷(うなづ)きの()弥陀」とも呼ばれる。
 其の由来について、真如堂発行のleafletから引用する。
 ご本尊は、慈覚大師円仁(794-864)が近江国滋賀郡の苗鹿明神〔=那波加神社/現・那波加荒魂神社〕から賜ったという栢(かしは)の霊木で彫られたもので、その完成間際、大師が「比叡山の修行僧の為の本尊になり給へ」と眉間に白毫を入れようとすると、如来は首を振って「拒否」されたという。
「其れでは京に下り、全ての衆生を救ひ給へ、とくに女人を救ひ給へ」と言われると、如来は三度頷かれた処から、『うなづきの弥陀』と呼ばれている。
 其の後如来は、比叡山常行堂に祀られていたが、真如堂開祖戒算上人(963-1053)と、願主東三条女院(藤原詮子(962-1002)/ 藤原兼家の次女で一条天皇生母)の瑞夢に「早く京に下すべし」というお告げがあり、女人禁制の比叡山から東三条女院の離宮へ遷座された。
 脇士()の千手観音は天台宗開祖伝教大師最澄(767-822)作、同()の不動明王は平安時代の陰陽師安倍晴明(921-1005)の念仏仏と伝えられる。
 因みに、当寺は財閥の三井家の菩提寺でもある。
 近年は紅葉の名所としても人気が高い。

[15]真正極楽寺〔真如堂〕総門(赤門)前にて

[16]同寺 表参道前にて
                  
[17]同 三重塔前にて

[18]同 本堂前にて
                  
[19]同 本堂

[20]同 本堂中庭にある蹲(つくばい)
                  
[21]同 本堂 涅槃の庭〔1988年 曽根三郎 作庭〕

[22]同 同上 をback
                  
[23]同 同上 隨縁の庭〔2010年 重森千青(重森三玲の孫) 作庭〕

[24]同 同上 をback
                  

【小生comment
 当寺の案内人が、真如堂は四季折々の美しさがある。
 京都市内にあり乍ら喧騒とは無縁の静寂さに包まれていて案内をしている自分が癒されていると言っていたのが印象的だった。
 確かに、訪れた時は紅葉が色付く前で、しかも平日。
観光客は、小生を含めても10人ソコソコだったので、静寂の中で暫し癒しの時間を過ごすことが出来た。
 
1215分 真正極楽寺〔真如堂〕発一般道45 60
 
■次の話題は、0916() 17(振月)が企画展最終日だった豊川市桜ヶ丘ミュージアムにて開催中の『第33回 風景の会 絵画展瀬戸を描く』を見て来た。
「風景の会」は、東海地方在住の画家たちが、日本画・洋画・版画のgenreや所属する団体・会はを超えて集い、毎年風景をthemeにした作品を発表している。
 今回は、「瀬戸を描く」がthemeで、28人に拠る72作品が展示されていた。
 以下に、図録に掲載されていた本企画展展示作品の中から添付写真[30]以下の9点をご紹介する。
 
[25]桜ヶ丘ミュージアムの外に飾ってある山本眞輔『街の朝』1994

[26]同上の前にて
                  
[27]桜ヶ丘ミュージアム入口にて

[28]同 館内の本企画展看板前にて
                  
[29]同 本企画展『風景の会 絵画展瀬戸を描く』図録表紙

[30]飯田史朗『瀬戸残照』
                  
[31]片山宏『池映〔赤津、ねむの森〕』

[32]加藤勁『陶土の山と工場〔瀬戸市上陣屋町〕』
                  
[33]木村光宏『赤津〔瀬戸〕』

[34]金原テル也『デジタルタワーの見える街道〔瀬戸市菱野町谷田川沿い〕』
                  
[35]塚本英『新緑の岩屋堂〔瀬戸〕』

[36]中村英『瀬戸の坂道』
                  
[37]松村公嗣『風車』

[38]森岡完介『窯垣に建つ〔瀬戸市内〕』
                  

【小生comment
 ホント、名画って理屈抜きにいいヨネ!
 
■今日最後の話題は、0921() 今夏休暇5日間の最後の5日目を使って、所謂「尾張〔荒子・甚目寺・龍泉寺・笠寺〕四観音」に「熱田神宮」と「大須観音」&「萬松寺」を加えた7つの社寺を車で巡って来た。行程は、「熱田神宮」を出発点に、時計回りに「荒子観音甚目寺観音龍泉寺観音〔近距離の為この間だけは徒歩〕大須観音萬松寺笠寺観音」の順で巡った。
 其処で、今回は〔前編〕として【熱田神宮→荒子観音→甚目寺観音】の3社寺をご紹介する。
 因みに、今回も車の移動は高速道路は使わなかった。
 遠くない将来、年金生活者になってからのことを考え、其の予行練習ということで、最近は極力、高速道路を使わず一般道を利用して廻っている
 今日も、早朝600分に熱田神宮着を目指して、以下の行程で巡って来た

0445分 拙宅発一般道76 1時間35
0615分 熱田神宮駐車場着〔境内に無料駐車場があるので其処へ駐車した〕
 
【熱田神宮】
 駐車場から拝殿に向かう途中に「信長塀」を見つけた。
 織田信長が桶狭間の戦いに向かう途上、熱田神宮に立ち寄り戦勝を祈願して勝利したということで、信長が熱田神宮に寄進した塀で、ご覧の通り現在も確りと残っている。
 
[39]信長塀の前にて

[40]同上 解説板
                  

 熱田神宮も、平日の早朝6時台はご覧の通り、参拝者も少ない。
 
[41]熱田神宮 拝殿前にて1

[42]同 同上2
                  
[43]同 境内にて

[44]同 大樟前にて
                  

 最近は、京都の下賀茂神社・上賀茂神社、滋賀の多賀神社、東京の湯島天神・富岡八幡宮のいずれも早朝に訪れている。
「神社参拝は早朝がベストだ!」を確信して、今回も早朝の熱田神宮参拝となった次第だ。
 今日は、晴れ男の小生には珍しく小雨天だった。
 所謂「そぼ降る雨」で、寺社を訪れるのには、晴天よりむしろ此の方が似合っているかもしれない。
 因みに「そぼ降る雨」の言葉で嘗て拙歌を詠んだことがある。
 今から5年前に、高校の卒業40周年記念同期会を開催したが事前調査で訪れた京都 東福寺塔頭 光明院でのことだ。
 
  苔庭やそぼ降る雨に映ゆる君 想ひ起こさば恋しかるらむ  悟空

 其の模様は、同期会記念DVDにご覧の通り収めてある。

[45]時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行記念DVDより1

[46]同上2
                  

0650分 熱田神宮駐車場発一般道 6 20
0710分【荒子観音】浄海山圓龍院 着
 
【荒子観音〔浄海山圓龍院〕】
 当寺の正式名称は「浄海山圓院院観音寺」で、「尾張四観音」の一つとして有名。
 729(天平元)年 泰澄(682-767)が創建。
 1536(天文05)年 多宝塔再建(名古屋市内現存最古の多宝塔【国の重文】)
 1576(天正04)年 前田利家(1539-99)により本堂再建。
 延宝・貞享(1673-88)年間 円空(1632-95)が当寺を数回訪れ、山門の仁王像、1,200体を超える木彫仏像(円空仏:現存1255)を残した。

[47]荒子観音寺 本堂前にて

[48]同 山門前にて
                  
[49]同 多宝塔()と山門()back

[50]同 山門をback
                  
[51]同 多宝塔をback

[52]同 本堂側から山門()と多宝塔()back
                  

【小生comment
 名古屋の街は、戦国時代の織田信長・前田利家が歴史に確りと熱田神宮・荒子観音に彼らが活躍した足跡を残している。
 歴史は浪漫を感じる。

0735分【荒子観音】発一般道 9 30
0817分【甚目寺観音】着

 甚目寺(じもくじ)は、愛知県あま市にある真言宗智山派の寺院 / 山号:鳳凰山 / 通称:甚目寺観音

 尾張四漢音の筆頭〔‥と当寺案内に書かれてあった‥〕
 本尊:聖観音〔高さ一尺一寸五分の秘仏で 十一面観音像(50年に1回開帳)
 597(推古天皇05)年 伊勢国の漁師 甚目龍麿(甚目龍麻呂(はだめたつまろ))が漁をした際、観音像が網にかかり、其の観音像を安置したのが始まりという。

[53]鳳凰山 甚目寺 山門横の石碑

[54]同 同【重文】甚目寺 三重塔をback
                  
[55]同 同 同上 解説

[56]同 同 本殿をback1
                  
[57]同 同 同上2

[58]同 同 同上3
                  
[59]同 同 山門

0849分【甚目寺観音】発

【小生comment
 甚目寺観音は、小生、昭和56年か57年の1月に、旧行堀田支店在勤時代、始点の得意先係と融資係がその年の恵方の観音寺ということで参詣に伺った思い出がある。
 それ以来だから、三十数年ぶりの参拝となったが、当時の思い出は本堂の中でお参りした記憶が断片的に残っているだけで、境内の伽藍の様子は全く覚えていない。
 天気は良かったことは覚えている。
 此れも、今は昔の懐かしい思い出話である。

【後記】小生は、神仏のご加護を信じている。だから其の神仏の化身の御守りの類も頼りにしている。
 
  神仏の加護に感謝す永久(とこしへ)に 悟空

[60]小生の御守とpower stones
                  

 では、また‥〔了〕

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