2018年10月14日日曜日

【時習26回3-7の会 0726】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第26回〕』」「09月13日:三千院→寂光院→京都国立近代美術館『東山魁夷』展→真如堂(真正極楽寺)→【白髭神社→満月寺 浮御堂→佐川美術館】を巡って~〔最終(第3)回〕」「09月21日:熱田神宮→尾張四観音(荒子→甚目寺→【龍泉寺→笠寺)&大須観音→萬松寺』】を巡って〔後編〕」「09月29日:桑山美術館→古川美術館主催『ジュディ・オング・講演会』を聴いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0726】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。
 今回は通算〔第26回〕目で、「秋の部」の〔第8回〕目。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第101句~104句をお届けする。
 では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第29句目からの32句をご覧頂きたい。
 
  猿蓑集 巻之五
 
101 (つつみ)より田()の青やぎていさぎよき  ()
 
【意】川辺の土手より一面の青田が見える / その風景に勢いがあって良い
【解説】季語:青田=夏 / 鮨(すし)に酒を汲みつつ、土手から青田を一望している様(さま)を詠む
 
102 加茂(かも)のやしろは能()き社(やしろ)なり  ()

【意】加茂の(上賀茂と下鴨の二つの)神社は良い神社である
【解説】前句で詠んだ堤を、賀茂川堤辺からの眺望として詠む /
 其の堤からは山城国の共に一宮である、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)がある
 
103 (もの)うりの尻聲(しりごゑ)(1)高く名乗(なのり)すて  ()

【意】賀茂神社近くの町を振売りが、品の名を尻上がりに甲高く呼び棄てていく声が聞こえて来るヨ
【解説】場所は、賀茂の社家町の辺り、振(ふり)売り(2)の商人が品物の名を尻上がり声に呼び棄てて通り過ぎていう様を詠む
 (1)尻声:物売りなどが呼び声の後ろの方をはねあげること
 (2)振売り:荷物を下げ、又は担って、声を上げ乍ら売り歩く人

104 雨のやどりの無常迅速(むじょうじんそく)(1)  ()

【意】俄雨が降って来て、物売りは急ぎ雨宿りの為建物の軒下に逃げ込んだ / 其の様は正に、「無常迅速也、生死事大也、暫く存命の間」(正法眼蔵随聞記)【解説】『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』:孤雲懐奘(こうんえじょう(1198-1280))が記した曹洞禅の語録書 / 嘉禎(1235-37)年間に成立 /
 孤雲懐奘は、曹洞宗開祖道元(1200-53)禅師の2歳年長の弟子 / 永平寺第2世貫主
 (1)無常迅速:人の世の移り変わりが極めて早いこと / 歳月は人を待たず、人の死の早く来ること
「しばしの雨舎りせしが、空晴て立出物売の呼行、宗祇(そうぎ(1421-1502):連歌師)の句にも 世の中はさらに時雨のやどりかな とありて、生死事大、無常迅速とかや、人間万事束の間の雨舎りの如しとなん」〔猿蓑付合考〕

【小生comment
 次回は、秋の部の最終(9)回〔通算27回〕をお届けするのでお楽しみに!
 
■続いては、0913日、日帰りdriveで、「三千院→寂光院→京都国立近代美術館『東山魁夷』展→真如堂(真正極楽寺)→【白髭神社→満月寺 浮御堂→佐川美術館『田中一村』展】を巡って~〔最終(3)回〕」についてお伝えする。
 
1215分 真正極楽寺〔真如堂〕発→一般道45 60分→
1315分 白髭神社着〔参拝料 無料〕

【白鬚(しらひげ)神社】
 琵琶湖に浮かぶ大鳥居が有名な、近江国最古の大社。
 白洲正子(1910-1998)は、著書「近江山河抄」の「比良の暮雪」で白髭神社について次の様に紹介している。
「白鬚神社は、街道とぎりぎりの所に社殿が建ち、鳥居は湖水の中にはみ出てしまっている。厳島でも鳥居は海中に立っているが、あんなゆったりとした趣は此処にはない。が、それははみ出た訳ではなく、祭神が何処か遠くの、海の彼方から来たことの記憶を止めているのではあるまいか。信仰というものは、その内容を失って、形骸と化した後も生き続ける。〔中略〕
 古い神社であるのに、式内社でもなく、「白鬚」の名からして謎めいている。猿田彦命は、比良明神の化身とも云われるが、神様同士も交じり合うので、信用はおけない。〔中略〕
 お能にも「白鬚」という曲がある。此処でもシテは老翁に化身した明神で、本地垂迹説()が中心になっている。〔中略〕
 ― 未だ神代の頃、釈迦が日本に渡来して、仏法流布の霊地を探していたが、琵琶湖の畔で、釣り糸を垂れている翁に会い、土地を譲ってくれないかと交渉したが、翁は六千年前から、この山の主として住んでいるので、釣りをする場所がなくなるから嫌だといって断った。其処へ薬師如来が現われ、自分は二万年前から住んでいるのに、この老人はそれを知らない。早々に開闢(かいびゃく)し給え。その時我も山の王となって、仏法を守護するであろうと誓い、釈迦共々去って行った。老翁はその時以来仏法に転向し、白鬚明神として祀られるに至った、と物語る。―〔中略〕
 ()本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ):日本の神は、衆生救済の為に本地である仏・菩薩に姿を変え、此の世に出現し(=(あと)を垂())たものだとする神仏同体説。平安時代に始まり、明治初期の神仏分離に拠り衰えた。〔広辞苑〕
 白鬚神社が建つ岬を、「権現崎」と呼ぶが、〔中略〕古くは安曇(あずみ)族の根拠地であった。〔中略〕漁業に携わる特殊な集団で、越前の方から流れ着いた外来民族ではないかと言われている。〔中略〕
 暖流に乗って来れば、訳なく朝鮮から流れつくそうで、越前と朝鮮の距離は、歴史的にも地理的にも、私たちが想像する以上に近い。太古の昔に流れ着いた人々が、明るい太陽を求めて南へ下り、〔中略〕初めて琵琶湖を発見した時の彼らの喜びと驚きを想像せずにはいられない。其処に彼らの神を祀ったとしても不自然とは思えない。三井寺には「新羅明神」と名づける不思議な神像があるが、シラヒゲはシラギの訛ったものではあるまいか。確かその神像も、老人の姿をしていたように記憶している。有史以前に住み着いた神が、老翁の姿で象徴されるようになって、シラギがシラヒゲに転じたのではないか。六千年とか二万年というのは、安曇族の古さを誇張しただけで、釣りをする翁が、彼らの生活の姿であったことは言う迄もない。〔後略〕」

[01]白鬚神社1

[02]同上2
                  
[03]白鬚神社前にて

[04]琵琶湖の中に佇む白鬚神社一の鳥居をback
                  

1340分 白髭神社発→一般道24 40分→
1420分 天然図画亭着〔臨時休館中にて拝観できず〕
1425分 天然図画亭発→一般道 1km 10
1435分 海門山 満月寺 浮見堂着〔拝観料@300円〕
 
【満月寺 浮御堂】
 臨済宗大徳寺派 満月寺。
 此の龍宮門を潜ってほぼ正面、琵琶湖湖面に突き出た所にあるお堂が、有名な「堅田の浮御堂」。
 松尾芭蕉が、この浮御堂を詠んだ大変有名な俳句がある。
 
  鎖(じょう)あけて 月さし入れよ 浮御堂 松尾芭蕉(1644-94)

 1691(元禄04)年 此の句が詠まれたのは、中秋の名月の翌日 八月十六夜。
 芭蕉は、舟で堅田の門人 成秀竹内茂兵衛の家の裏の湖岸に立ち寄り、酒宴を催した後、門人たちと再び舟で「浮御堂」を訪れ、此の句を詠んだ。
 当時芭蕉は大津膳所の義仲寺(ぎちゅうじ)境内にある無名庵(むみょうあん)で起居していた。
 奥の細道以後の芭蕉の足跡を簡単に紹介すると、
 1689(元禄02) 0906(新暦1018) 芭蕉は奥の細道の旅を終えた芭蕉は、伊勢神宮へ向かうべく、舟で伊勢長嶋へ向かった。
 伊勢神宮参拝した後、故郷の伊賀上野へ向かい、実家で越年。
 此の伊勢から伊賀上野へ向かう途上で詠んだ「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」が『猿蓑』の巻頭を飾る名句である。
 1690(元禄03) 03月頃から、芭蕉は膳所の義仲寺無名庵に滞在。
 同年 0406日~0723日迄、膳所藩中老で、芭蕉門人の 菅沼曲水(1)が提供した小庵「幻住庵」に4ヶ月間弱隠棲した小庵『幻住庵記』を著した。
 此の『幻住庵記』が『猿蓑』の最後の巻「巻之六」に収録されている。
 1691(元禄04)04月 京都嵯峨野にある向井去来(1651-1704)の別荘「落柿舎」に滞在。
 同年0504日より京都の野沢凡兆(1640-1714)宅に移り、凡兆・去来と共に『猿蓑』の編纂。
 同年0703日『猿蓑』刊行
 (1)菅沼曲水(1659-1717):本名 菅沼定常 / 通称 外記 / 膳所藩本多家中老を務める。家康に従い関東へ下った菅沼定盈(すがぬまさだみつ)の曾孫 /
 曲水が芭蕉に提供した『幻住庵』は、元は曲水の伯父 菅原定知(幻住老人)の別荘だったもの
 因みに、曲水の曾祖父菅原定盈の孫に一人 菅沼定実(さだざね(1629-91))が石高7千石で交代寄合となり新城領主として菅沼家は明治維新迄続いた
 此の「鎖あけて」の句以外にも、境内や浮御堂近くの湖の中に以下の句碑が建っている。

  比良三上 雪さしわたせ 鷺の橋  松尾芭蕉

  湖も この辺にして 鳥渡る  高浜虚子

  五月雨の 雨だればかり 浮御堂  阿波野青畝

[05]満月寺(浮御堂)龍宮門前にて

[06]浮御堂をback
                  
[07]境内の「鎖あけて‥」の芭蕉の句碑の横にて

[08]同じく「比良三上‥」の芭蕉の句碑の横にて
                  
[09]同じく「五月雨の‥」の阿波野青畝の句碑の横にて


 高浜虚子「湖も‥」の句碑は湖の中にあり、石碑の横に立つことが出来なかった。()

1505分 満月寺 浮見堂発→一般道5.6km 20分→
1520分 佐川美術館着〔満車で15分程駐車場前にて waiting

【佐川美術館『田中一村』展】

1540分 佐川美術館入館〔入館料@1,000円〕
1543分 同館『田中一村』展 →常設展『平山郁夫』展&『佐藤忠良』展
 
 館内のホールや通路には、平山郁夫と共に当美術館の看板作家である、彫刻家の佐藤忠良(1912-2011)の作品が数多く展示されてあった。
 小生は、一連の女性像は実に魅力的で大好きだ。
〔添付写真でいうと、佐藤忠良『帽子・夏』1972年作 に代表される〕
 因みに、彼の娘が女優の佐藤オリエ(1943 )であることも有名な話。

[10]佐川美術館入口にて
                  
[11]同美術館 企画展『田中一村』展corner入口にて

[12]本企画展leaflet()
                  
[13]本企画展leaflet()

[14]佐川美術館前の 佐藤忠良『萌』前にて
                  
[15]佐川美術館をback

[16]同美術館内通路に展示されている 佐藤忠良『帽子・夏』1972
                  
[17]同上 の横にて

[18]田中一村『秋晴』(部分)
                  
[19]同『放牧』

[20]同『僻村暮色(1)〜恵良駅』
                  
[21]同『黄昏野梅』

[22]同『初夏の海に赤翡翠』
                  
[23]同『アダンの海辺』(部分)


【小生comment
 田中一村の作品をこんなに沢山見たのは今回が初めてである。
 彼が最後に行き着く 奄美大島 での作品を眺めていたら、フランスのアンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(仏:Henri Julien Félix Rousseau 1844.5.21-1910.09.02)の作品を思い出した。

[24]アンリ・ルソー(1844-1910)『エキゾチックな風景』1910
                  

 確かに、田中一村の絵は、じっと見ていると其の絵に惹き込まれる魅力がある。
 とくに有名になった奄美大島以上の作品は‥。

1635分 佐川美術館発→一般道200 4時間40分〔トイレ休憩をコンビニにて1回を含む〕→
2115分 帰宅〔走行距離 計 489km ()

■次の話題は、0921() 今夏休暇5日間の最後の5日目を使って、所謂「尾張〔荒子・甚目寺・龍泉寺・笠寺〕四観音」に「熱田神宮」と「大須観音」&「萬松寺」を加えた7つの社寺を車で巡って来た。行程は、「熱田神宮」を出発点に、時計回りに「荒子観音→甚目寺観音→龍泉寺観音→〔近距離の為この間だけは徒歩〕→大須観音→萬松寺→笠寺観音」の順で巡った。
 其処で、今回は〔前編〕として【熱田神宮→荒子観音→甚目寺観音】の3社寺をご紹介する。

0849分【甚目寺観音】発→一般道 19 55分→
0942分【龍泉寺】着

【龍泉寺観音】
 龍泉寺(りゅうせんじ)は、愛知県名古屋市守山区竜泉寺にある天台宗の寺院。「松洞山大行院」と号する。
 また「竜泉寺」とも表記される。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ
 弘法大師空海も、熱田神宮参籠中に熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したといわれ、これより龍泉寺は熱田の奥の院とされてきた。
 龍泉寺城は、織田信長の弟・信行の居城。
 又、小牧・長久手合戦でも砦として利用された。

[25]参道より仁王門(正面)と多宝塔()を望む

[26]龍禅寺観音 本堂をbackに/右手奥:龍泉寺城

                  
[27]同 本堂前にて1

[28]同 同上2
                  
[29]同 多宝塔前にて

[30]尾張四観音、一「龍泉寺縁起」説明版の横にて
                  

1007分【龍泉寺】発→一般道 13km 40分→
1057分【大須観音】着

【大須観音】
 大須観音は、愛知県名古屋市中区大須2丁目にある真言宗智山派の別格本山 / 本尊:聖観音 /
 寺号:北野山真福寺宝生院(ほうしょういん)
 慶長17(1612)年 徳川家康の命で犬山城主の成瀬正茂に拠って現在地に移転した。

[31]大須観音 本堂 階段前にて1

[32]同 同上2
                  
[33]同 本堂をback

[34]同 仁王門
                  
[35]同 樹木の中に隠れていた大須観世音菩薩石碑

[36]同 大須観音参道脇の寄進者名が刻まれた石柵1
                  
[37]同 同上2

 仁王門の脇の石柵にの中に今はもうない会社の名前を見た時には、一寸複雑な気持ちになった

[38]芭蕉の句碑にて
                  
 松尾芭蕉の句碑には、「いざさらば 雪見にころぶ 所まで 芭蕉」とあった
 此の句について、山本健吉は著書「芭蕉全発句」で次のように解説している。

「真蹟によって掲げたという(横井)也有(やゆう(1702-83))の『鶉衣(うずらころも)』に、「丁卯臘月初、夕道何がしに送る」と付記してあり、貞享四年十二月(168801)初めと知れる。同書には、「書林風月ときゝし其名もやさしく覚えて、しばし立寄てやすらふ程に、雪の降出ければ」と前書があり、初五「いざ出む」の形になっている。おそらく初案で、『笈の小文』や『曠野』に「いざ行(ゆか)む」と改め、さらに「いざさらば」の形に決定したのである。
 書林風月は、名古屋本町の書肆(しょし)風月堂で、主は長谷川孫助、号夕道。〔後略〕」

1115分【大須観音】発→一般道350m 9分→

[39]大須観音通 arcade 入口

[40]大須仁王門通 arcade 入口
                  
[41]大須万松寺通 arcade 入口

[42]富士浅間神社前にて
                  

1124分「KAPITAL 名古屋店」

[43]KAPITAL 名古屋店」前にて

 ジーンズでズボン135万円が売れる仕組みを知りたいものだ(笑・汗)

1128分「KAPITAL 名古屋店」発→一般道 430m
1136分【萬松寺】着

【萬松寺】

 織田信長の父 信秀の菩提寺 萬松寺 は、3年前(2015)から改築が始まり、昨(2017)年に現在(=添付写真)の様なビルに変わった。
 お寺のビル入口横に万松寺通りに面して、御守り販売 corner 迄あって購入したが、なんか「御利益(ごりやく)」という言葉が「ご利益(りえき)」に見えて来た()

[44]萬松寺入口をback1
                  
[45]同所2

[46]萬松寺 御守 販売 corner
                  

1148分【萬松寺】発→一般道100m 2分→
1150分「お好み焼き・焼きそば/鈴木商店」にて昼食「焼きそば:大盛 肉・玉子入り 490円」

[47]鈴木商店

[48]鈴木商店の大盛肉・玉子入り焼きそば
                  
[49]壁に掲示されていた「お品書き」

 懐かしい昔のソース焼きそばの味、美味しかった!

1203分「鈴木商店」発→一般道600m 7分→
1215分【大須漢音】至近距離にある駐車場着
1225分 同所発→一般道 9km 30分→
1300分【笠寺観音】駐車場着

 笠覆寺(りゅうふくじ)は、愛知県名古屋市南区笠寺町にある十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院。
 山号:天林山 / 笠寺観音で知られる / 尾張四観音の一つ
 天平05(733)年 僧 善光(or禅光)が浜辺に打ち上げられた流木で十一面観音像を彫り、天林山小松寺を建立したのが始まり。

[50]笠寺観音の正式名:天林山笠覆寺の石碑と仁王門(正面奥)
                  

[51]笠寺観音 西門前にて

[52]同 本堂前にて
                  
[53]同 多宝塔前にて

[54]同 玉照姫前にて
                  

1340分【笠寺観音】発→一般道73 1時間45分→
1525分 帰宅〔了〕= 走行距離計 204km =

【小生comment
 一日に「熱田神宮」「荒子観音」「甚目寺観音」「龍泉寺観音/龍泉寺城」「大須観音」「萬松寺」「笠寺観音」と7つの社寺仏閣を尋ねた強行軍だったが、楽しかった。

■今日最後の話題は、0929()台風24号が来襲する直前の日だったが、まだ大丈夫だろうということで、桑山美術館→ジュディ・オング ・倩玉講演会→歯科健診と巡って来た。
 以下、時系列にお伝えする

0818分 拙宅発→一般道82km 2時間30分→
1048分 桑山美術館着
1050分 桑山美術館『茶の湯と文芸』展

【桑山美術館『所蔵茶道具展/茶の湯と文芸~和歌に託した茶の心~』展】

[55]桑山美術館入口にて

[56]同美術館 企画展leaflet
                  

1115   同美術館発→6.5km 20
1135   陣屋着〔昼食〕

[57]小生の定番 味噌チャーシューメン

[58]らあめん専門店 陣屋入口前にて
                  

1215分 らあめん専門店 陣屋発→一般道4km 15分→
1230分 古川美術館駐車場着
1230分 同所である発→徒歩300m 5分→
1235分 ホテル ルブラ王山着
1335分 ジュディ・オング・倩玉講演会

 ジュディ・オング (本名 帰化名:翁ジュディ「帰化当時 翁玉恵(おきな たまえ)」、旧台湾名:翁倩玉(Ong chhià-ge̍k)、英語名:Judy Ongg(1951.01.24- )は、台湾 台北市出身の歌手・女優・木版画家(版画家雅号 : ジュディ・オング倩玉) / 上智大学国際学部卒

[59]ジュディ・オング・倩玉展 & 本講演会 leaflet

[60]講演会開演前の会場
                  
[61]ジュディ・オング・倩玉『椿』1976

此の作品が、25歳で木版画を開始したジュディさんの処女作!

[62]同『揚屋』1985年‥第17回日展入選
                  
[63]同『緑葉翠歌』1997年‥第73回白日会展

[64]同『雨過苔清〔木版画〕』1999
                  
[65]同『紅楼依緑〔木版画〕』2005年‥第37回日展特選受賞作品

此の建物は、名古屋市中村区の中村日赤病院近くにある 料亭 旧稲本楼 である

[66]同『銀閣瑞雪〔木版画〕』2006年‥第38回日展無鑑査
                  
[67]同『紅楼迎賓〔木版画〕』2014年‥改組新 日展入選作品

 此れも、旧稲本楼である

[68]同『涼庭忘夏〔木版画〕』2008年‥日展入選作品
                  
[69]同『祇園白川〔木版画〕』2004年‥第80回記念白日展〔同上〕

 桜花の下部にある赤い提灯があるので、桜花の色が引き立つと、ジュディさんが解説してくれた

[70]講演会終了後、ジュディ・オング さんの sign を貰って
                  

1545分 古川美術館駐車場発→一般道4km 15分→
1600分 歯科医院着
1630分 同院発→一般道80km 2時間25分→
1855分 拙宅着

【小生comment
 ジュディ・オング ・倩玉さんは、小生より丁度 58箇月先輩だけど、ホント若々しく知的で美しい女性だった。
 講演会の後、sign会があったので年甲斐もなく sign して貰い、握手迄してくれて最高の気分だった。
 Sign会は、70-80人のファンが並んだが、半分くらいの人は、東海地区のファンクラブの方々だと思う。
 何となれば、ジュディさんが sign をする際に「お久しぶり‥」と笑顔で話される姿が沢山あったからだ。
 彼女は、美人で、講演会でも話が上手く、歌は上手(レコード大賞受賞者)、日中英西の4ヶ国語に堪能で、木版画では白日会正会員で日展特選受賞者と凄い人ダヨネ!!
 木版画が何故上手くなれたかと言うと、自身曰く、
25(1975)から始めてからは「魅せられて(1979 release)」を歌っていた3年間の休止期間を除いた40年間(←歳がバレちゃう)と笑ってた())続けて来れたから‥更に、
 (1)木版画が好きなこと
 (2)途中一時的に止めたことがあっても継続して来れたこと
 (3)作品創作には毎回絶えず少しずつでも新しいことに挑戦して来たこと
 ‥から成長出来た」と分析されたていた。
 Comment も流石ダネ!!

【後記】今日最後にお届けするのは、三連休最終日の108日の午前中、拙宅での小生の筋トレの模様の写真である。
「継続は力なり」を最近実感している。
 平成080807日に10回から始めた腹筋も、現在では1時間かけて2,000回と、此れも同じく1時間かけての腰掛けた儘での2.5kgの木刀の素振りを毎朝05時から継続している為か、昔より腹は凹み、持久力が付いたと思う。

[71]Facebook up した拙宅での小生の筋トレscenesnap写真


 では、また‥〔了〕

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