2018年10月18日木曜日

【時習26回3-7の会 0727】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第27回〕』」「10月05日:国立新美術館『ボナール』展→損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展→中村屋サロン美術館『會津八一』展を巡って見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0727】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。今回は通算〔第27回〕目で、「秋の部」の〔最終(9)回〕。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第105句~108句をお届けする。
  では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第33句目からの36句をご覧頂きたい。

  猿蓑集 巻之五

105 (ひる)ねぶる青鷺(あをさぎ)の身()のたふとさよ  ()

【意】世の中は「無常迅速」が定めだが、「我関せず」と、真昼間を無心に寝ている青鷺の姿こそ尊く感じる /

【解説】季語:青鷺は、後世は「夏」季に扱うが、此処では「雑」

106 しょろしょろ水に藺()(1)のそよぐらん  ()

【意】青鷺の眠っている小川では、藺草(イグサ)がいっぱい生えている
【解説】しょろしょろ水:ちょろちょろ流れる水の様
(1)():藺草(=イグサ) / 一名「鷺の尻刺」

107 糸櫻(いとざくら)(はら)いつぱいに咲(さき)にけり  ()

【意】枝垂桜が野原いっぱいに咲いている
【解説】季語:糸桜=「春」/「桜」は連句で通常「花」の句とはしない /
 しかし、此処では特別に、「花」の賞味があって、「花」の句と取り扱われた例〔去来抄 故実篇 参照〕

108 (はる)は三月(さんがつ)(あけぼの)のそら  ()

【意】時は春、三月(弥生)の曙(あけぼの)の空だ
【解説】―
 
  凡兆 九/ 芭蕉 九/ 野水 九/ 去来 九

【小生comment
 猿蓑もあと「春」の部の109144句迄の36連句を残すだけとなった。
 次回「春の部」〔第1回〕、通算〔第28回〕を乞うご期待!

■今日は、仕事で1005日に上京した際、3つの美術館の企画展を見て来た模様をお伝えする。
 其の日は、勤務先の主力取引銀行の中の2(IBJDBJ)10時半からと13時から説明をした。
 1445分に解放されて、国立新美術館『ピエール・ボナール』展→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展→中村屋サロン美術館『毒往の人 會津八一』展を巡って来た。

0846分 豊橋駅発→新幹線→
1011分 東京駅着
1027分 最初の銀行着
 
[01]平山郁夫『宇治平等院鳳凰堂』の横にて1

[02]同 同上2
                  
 此の絵は、同行1floorに掲示されていた
 
1305 2つ目の銀行着

[03]同行の32回応接室から皇居方面遠望


1445分 同行発→大手町駅→千代田線→乃木坂駅へ

[04]2つ目の銀行前にて
                  
[05]同行近くの monument 前にて


1512分 国立新美術館着

【国立新美術館『ピエール・ボナール』展】
 本企画展について、オルセー美術館・オランジュリー総裁のローランス・デ・カール(Laurence des Cars)の「ごあいさつ」から引用して紹介する。

「ピエール・ボナール(Pierre Bonnard(1867-1947))は、ナビ派の活動的な画家として、一時期 Japonism の装飾的な洗練さに魅せられ乍らも、生涯を通じて20世紀初頭の avant-gardes とは一線を画す独自の道を歩んだ。
 長きに亘り形象を描くことに拘(こだわ)りを持ち続けた彼は、19世紀から20世紀への転換期の重要な画家として、次第に再発見される様になり、今や20世紀の芸術に於ける彼の位置付けは、絶えず見直されている。
 ボナールは、何よりも光と色彩の比類なき巨匠として、後世に其の名を留めている。凝縮されたほんの一瞬の中に生を描き取ろうとした此の画家は、気に入った motif を光と色彩の移ろいの中で変化させる。〔中略〕此の画家の有名な最後の作品、即ち、尊厳と痛ましい程の美を湛えた「最期の(in extremis)」絵画である《花咲く almond の木》に到る迄、死の影がボナールに忍び寄る程に、彼の絵画は揺らめくのである。〔後略〕」

[06]地下鉄乃木坂駅よりの国立新美術館入口近くにて
                  
[07]国立新美術館内『ピエール・ボナール』展会場入口にて

[08]同美術館外の本企画展看板
                  
[09]ピエール・ボナール 1890

[10]同『黄昏(クロッケーの試合)1892
                  
[11]同『大きな庭』1895

[12]同『逆光の女性の頭部』1906
                  
[13]同『セーヌ川に面して開いた窓、ヴェルノンにて』1911年頃

[14]同『猫と女性』1912
                  
[15]同『バラ色のローブを着た女』1918

[16]同『並木道』1918
                  
[17]同『静物(皿と果物)1921

[18]同『ノルマンディー風景』1925
                  
[19]同『浴盤にしゃがむ裸婦』1928

[20]同『果物、濃い調和』1930年頃
                  
[21]同『花』1933年頃

[22]同『花咲くアーモンドの木』1946-47
                  

1540分 国立新美術館発→六本木駅→大江戸線→都庁前駅へ
1625分 損保ジャパン日本興亜本社ビル着→同ビル42階へ

【東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展】
 本企画展について、主催者の「ご挨拶」から引用してご紹介する。
「この度、日本と Sweden の外交関係樹立150周年を記念し19世紀後半から20世紀初頭に活躍した Swedenを代表する画家 Carl Larsson(1853-1919)の画業と、妻カーリンと共に作り上げた理想の暮らしを紹介する展覧会を開催する。Carl Larsson は「日本は芸術家としての私の故郷である」という言葉を残している様に、日本美術の影響を受けた Japonism の画家である。
 Stockholm に生まれた Carl Larsson は王立美術学校に通る傍ら、雑誌や新聞、本の挿絵画家として働き始める。France 留学中にParis 郊外の芸術家村 グレー=シュル=ロワン(Grez-sur-Loing)で女性画家カーリン・ベーリエー(Karin Bergoo(1859-1928))と出会い結婚。画家としても大きな転期を迎え、印象派や JaponismArt Nouveau の影響を受けて、繊細な線描の水彩に拠る日常風景や暮らしを描く作風に変化する。Sweden 帰国後は、新しい芸術運動に参加し、のちに Stockholm の国立美術館やオペラ座等の壁画も手掛ける画家となった。
 1888年、Karin の父からダーラナ地方スンドボーン(Sundborn in Dalarna Country)にある家を譲り受けた夫妻は増改築を重ね、暮らしの中でアーツ・アンド・クラフツ運動(the Arts & Crafts movement)を実践した。〔後略〕」

[23]損保ジャパン日本興亜美術館が42floorにある損保ジャパン日本興亜本社ビル

[24]損保ジャパン日本興亜本社ビル前の損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展の看板前にて
                  
[25]損保ジャパン日本興亜本社ビル内の損保ジャパン日本興亜美術館『カール・ラーション』展leaflet群の前にて

[26]損保ジャパン日本興亜美術館内にsetされたGogh『ひまわり』のimitationの絵の前にて
                  
[27]本企画展leaflet

[28]カール・ラーション『家庭菜園で』1883得年
                  
[29]同『ダーラナ地方のランプのある室内』制昨年不詳

[30]同『Karinの命名日のお祝い』1899
                  
[31]同『自画像』1905

[32]同『史跡巡りをする夫婦』1905
                  
[33]同『アザレアの花』1906


1700分 東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館発→西新宿駅→丸の内線→新宿駅へ
1710分 新宿中村屋ビル着→3階へ
1312分 中村屋サロン美術館着

【中村屋サロン美術館『独往の人 會津八一』展】
 本企画展について、図録の「はじめに」で、新潟市會津八一記念館 主査学芸員 喜嶋奈津代氏が次の様に紹介している。

「會津八一(1881-1956)は、新潟市出身で、誕生日(81)に因んで「八一」と名付けられた。會津の75年の生涯は書、歌、学問に異彩を放ち、各分野で卓越した業績を残す道程であった。會津の書に《独往》と揮毫した掛軸がある。「他人に頼らず自分の力で歩み進める」という意味は、會津の生き方を象徴した言葉である。會津の生涯を辿り乍ら、独自の視点で切り開いた学問と芸術について紹介してみたい」

[34]中村屋サロン美術館が3階にある新宿中村屋ビルBF入口にて
                  
[35]中村屋サロン美術館入口

[36]同上にて
                  
[37]會津八一の揮毫に拠る「中村屋」看板 1951 & 同じく「中村屋」1948-54

[38]會津八一『水仙図・はなすぎて』1947-56
                  
[39]會津八一書「あらしふく」&杉本健吉画『飛天図』1954

[40]會津八一『鉢・書籍』1929年〔油彩画〕
                  
[41]同『筆洗・水滴』1929年〔油彩画〕

[42]同『書帙(しょちつ)・燭台・マッチ箱』1929年〔油彩画〕
                  

1735分 中村屋サロン美術館発→JR新宿駅→中央線→東に京駅へ
1833分 東京駅発→新幹線→豊橋駅へ
1956分 豊橋駅着→自転車→
2040分 帰宅〔了〕

【小生comment
 ボナールもカール・ラーションも、Japonism の画家であることは興味深かった。
 ボナールは、見る度に高感度が up する画家である。
 會津八一の多彩ぶりに感銘を受けた。
 3つの美術館の企画展は、夫々面白く、楽しいひとときを過ごすことが出来た。

【後記】昨日(1017)の夕刻、横浜在住の愚娘が、孫息子と孫娘の動画を送ってくれた。
 其れをsnap shots にして Facebook up したものを2枚ご紹介して今日はお別れする。

[43]Facebook up した孫息子と孫娘


[44]同じく孫息子の snap shot
                  

 では、また‥〔了〕

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