2018年9月9日日曜日

【時習26回3-7の会 0721】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之五〔第21回〕』」「08月18日:名古屋ボストン美術館→古川美術館→三菱UFJ銀行貨幣資料館→碧南市藤井達吉現代美術館を巡って~〔第3回〕」「08月19日:深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元標→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館→三鷹市美術galleryを巡って~〔第3回〕」「08月25日:徳川四天王のうち3人の生誕地他を巡って〔第2回〕」「08月30日:アクトシティ浜松『Broadway Musical / A CHORUS LINE』を視聴して」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0721】号をお届けします。
 今日最初にお届けするのは、『猿蓑』〔巻之五〕連句集についてである。
 今回は通算〔第21回〕目で、「秋の部」の〔第3回目〕である。
「冬〔初時雨〕→夏〔夏の月〕→秋〔きりぎりす〕→春〔梅若菜〕」の全144句の第81句~84句をお届けする。
 では、「秋〔きりぎりす〕」の連句全36句の第9句目からの12句をご覧頂きたい。
 
  猿蓑集 巻之五

81 ゆふめしにかますご喰()へば風薫(かぜかほる)  ()

【意】夕飯にかますごを食べていると初夏の凉風が吹いて来た
【解説】季語:「風薫」=夏 / 摩耶山に夏雲がかかるのが見える夕暮れ時の麓の田家での農民の夕食風景を付けた
(1)かますご:イカナゴ(=コウナゴ(小女子))
 江戸時代の当時から今日に至る迄、この季節、摩耶山の麓の須磨明石兵庫の海岸ではかますご(小女子)を獲り、煮干・佃煮煮にして季節の味覚とされている

82 (ひる)の口處(くちど=くひど)(1)をかきて氣味(きみ)よき  ()

【意】蛭(ヒル)に吸われた食跡(くいど)を掻くと気持ちが良い
【解説】季語:「蛭」=夏 /

 前句で、「かますご」を食べているのは農民として、春の田作りに一日中働き、蛭に沢山食われて仕舞った、とを詠んだ
(1)口處=口処(くちど)=食後(くひど):虫(=此処では蛭(ヒル))に食われた跡(あと)のこと

83 物おもひけふ(=今日)は忘れて休む日に  ()

【意】物思いは忘れてゆっくりと休む日としよう!
【解説】人を恋して心悩むのも、又逆に、恋のいきさつから人に恨み妬まれ等して心が晴れやかでないのも「物思ひ」であり、此処では後者を指す /
 此の「物思ひ」は絶える間がないが、「宿下がりの暇を乞ひ得て親の里で寛ぎゆったりとしている様」が「今日は忘れて休む日」に表されている /
 此の句を「嫁の小姑ども煩さき中より親の里へ遊びに戻りし体」と解するのが甚だ好し〔以上、幸田露伴「評釈 猿蓑」〕

84 (むかへ)せはしき殿(との)よりのふみ  ()

【意】此の心労は恋の悩みに拠るので、宿下がりをさせて頂き気分転換している処に、お殿様からは戻って来る様にとの催促の恋文が来た
【解説】前句を主君の寵愛を得ている女性と見た付
 
【小生comment
 前号でご紹介した4句も良かったが、今回ご紹介した4句もなかなか味があっていい。
 師匠の芭蕉に、凡兆、去来、野水という蕉門の上足(じょうそく(=高弟))3人に拠る付け合いは流石に見事である。
 さて、次号《会報》では「秋の部」第4(通算第22)をお届けするのでお楽しみに!

■続いてお届けするのは、前回&前々回《会報》に続いて去る0818()、小生が月に一度の名古屋市東区にある歯科医院へ歯科健診の日での出来事の〔第3回目〕。
 健診のついでに4つの美術&貨幣資料館を見て来た模様のうち、3つ目に訪れた三菱UFJ銀行貨幣資料館『廣重 名所江戸百景 夏・秋』展についてである。

1300分 らあめん陣屋発〔一般道500m
1308分 三菱UFJ銀行貨幣資料館着
1310分 三菱UFJ銀行貨幣資料館『廣重/名所江戸百景 夏・秋』展

[01]三菱UFJ銀行貨幣資料館入口にて

[02]同上館内入口 風除室にて
                  
[03]本企画展leaflet

[04]歌川広重(1797-1858)『夏/45 鎧の渡し 小網町』
                  
[05]同『夏/53 大はし あたけの夕立』

[06]同『夏/54 両国橋 大川ばた』
                  
[07]同『夏/63 八ツ見のはし(現在の呉服橋交差点付近)

[08]同『秋/76 神田紺屋町』
                  
[09]同『秋/95 真間(まま)の紅葉(手古那の社継はし)

真間(=まま (旧東葛飾真間村現千葉県市川市))

[10]同『虎之門外の図』~江戸勝景より
                  
[11]同『木母寺 秋月』~東都名所之内 墨田川八景より


※ 常設展cornerより
[12]ローマ帝国の貨幣1
                  
[13]ローマ帝国の貨幣2‥皇帝ネロや五賢帝の一人ハドリアヌスの横顔の鋳造貨

[14]同上3
                  

1325分 三菱UFJ銀行貨幣資料館発〔一般道300m
1330 N歯科医院着
1400 N歯科医院〔歯科健診〕

【小生comment
 歌川(安藤)廣重の作品は、ご覧の様にいずれも気品漂う美しい多色刷りの木版画である。
 いつ見ても新鮮さを感じる。
 小生、廣重は葛飾北斎(1760-1849)と共に大好きな浮世絵師である。

■次にお届けする話題も、前回&前々回《会報》に引き続き、08182325分豊橋駅前発の関東バスの高速夜行バス「ほの国号」で上京した時の話をお届けする。
 0819日の早朝0515分に新宿駅西口着新宿駅都営地下鉄大江戸線門前仲町へ。
 同地の「深川不動堂→富岡八幡宮→日本道路元標→東京都美術館→ホテルオークラ美術館→山種美術館→郷さくら美術館東京→東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館→三鷹市美術gallery」と6つの美術館を巡った7seriesの〔第3回〕をお届けする。

1015分 東京都美術館発上野駅地下鉄銀座線虎ノ門駅へ
1053分 虎ノ門駅着徒歩7
1101分 虎ノ門 金刀比羅宮着
1115分 金刀比羅宮発徒歩13
1130分 ホテルオークラ別館・ホテルオークラ美術館着
1135分 ホテルオークラ美術館『動物たちの息吹』展

[15]虎ノ門 金刀比羅宮 社殿前にて

[16]同上2
                  
[17]会場のホテルオークラ別館 外観

[18]同上 lobby
                  
[19]ホテルオークラ別館内の同美術館入口

[20]サイモン・ファン・ロイスダール(1602-70)『二台の馬車と渡し舟のある風景』1661
                  
[21]浅井忠(1856-1907)『牛追い』1906

[22]山口華楊(1899-1984)『黒豹』1961
                  
[23]菱田春草(1874-1911)『黒猫』()・『柿に猫』()2作共1910

[24]小林古径(1883-1957)『暖日』1929
                  
[25]山口蓬春(1893-1971)『新冬』1962

[26]植村松篁(1902-2001)『樹下幽禽』1966
                  

【小生comment
 古今の西洋画・日本画の巨匠たちが描いた動物たちの展覧会。
 大変見応えのあるいい展覧会だった。
 
[27]ホテルオークラ別館の地下鉄日比谷線「神谷町」方面案内


1305分 ホテルオークラ別館発神谷町駅地下鉄日比谷線恵比寿駅へ
 
■続いての話題は、前《会報》にて3seriesにて「0825日:徳川四天王のうち3(榊原康政・本多平八郎忠勝・坂井忠次)の生誕地他を巡って」のお届けを開始した処である。
 今日はその〔第2回〕をお届けする。
 
1200分 上野城址(榊原康政 生誕地)〔一般道 4㎞〕
1223分 本多平八郎忠勝 生誕地着〔現・岡崎市西蔵前峠〕
 
[28]本多平八郎忠勝誕生地の石碑横にて1
                  
[29]同上2

[30]同上3
                  
[31]本多平八郎忠勝誕生地についての解説板

 
 本多平八郎忠勝(1548-1610)は、1548(天文17)年 安祥松平家(徳川本家)最古参の安祥譜代の本多氏 本多忠高の長男として三河国額田郡蔵前(此の地 現・岡崎市西蔵前町峠)に生まれた。
 1549(天文18)年 父・忠高が戦死した為、叔父・忠真の許で育った。
 幼少より家康に仕え、1560(永禄03) 13歳の時、桶狭間の戦 前哨戦の大高城兵糧入れが初陣し、此の時元服。
 1590(天正18)年 家康の関東移封後は、上総国夷隅郡大多喜(現・千葉県夷隅郡大多喜町)10万石を与えられた。
 因みに、10万石の石高は、譜代家臣団では、井伊直政の12万石に次ぐ榊原康政と共に家臣団中第2位だ。
 榊原康政は真田氏や上杉氏に対する備えに、本多忠勝は安房国の里見氏に対する備えに封された。
 1610(慶長15) 1018日 桑名で死去(享年63)
 
1230分 本多平八郎忠勝 生誕地発〔一般道 2.5㎞〕
1240分 大樹寺着
 
[32]成道山 大樹寺 三門前横の石碑の傍らにて
                  
[33]大樹寺 三門 をback1

[34]同上2
                  
[35]大樹寺 本堂前にて

[36]大樹寺本堂前をback
                  
[37]三門から総門を望む

[38]三門から本堂を望む
                  
[39]本堂前脇の大樹寺沿革解説板

[40]本堂内部(此処迄は撮影可)
                  
[41]総門の向こうに見える岡崎城


 浄土宗寺院で、山号は成道山。
 寺の正式名称は成道山松安院大樹寺(じょうどうさん しょうあんいん だいじゅ())
 1475(文明07)年 戦死者供養のため松平家宗家第4代親忠の開基、勢誉愚底(せいよぐてい)の開山により大樹寺が創建。
 因みに、「大樹」とは征夷大将軍の唐名。
 松平氏から将軍が誕生することを祈願して、勢誉愚底により命名されたと伝わる。。
 親忠により大樹寺は安城松平氏の菩提寺とされ、松平郷の高月院にあった墓から分骨され、初代~第3代迄の松平親氏・泰親・信光の墓が大樹寺に作られた。
 1535(天文04)年 岡崎松平宗家第7代当主松平清康により再興され、一層方形二層円形の多宝塔を建立【国の重文】。

1335分 大樹寺発〔一般道 1.3km
 
【後記】0830日には、仕事を終えてから一旦帰宅し、車でJR二川駅へ。
 そして、東海道本線で浜松駅へ、そしてアクトシティ浜松で開催された本場「Broadway Musical CHORUS LINE」を視聴して来た。
 流石に本場の Musical Dancers 達の歌と踊りは素晴らしかった。
 1900分の開演で、2100分迄の丁度2時間、休憩なしで演技されたが、ホント魅力的な演奏・歌唱力であっと言う間の至福の時間を過ごすことが出来た。
 
[42]本演奏会leaflet(表面)
                  
[43]同上(裏面)

[44]会場のホワイエにて本programを手にして
                  
[45]会場のホワイエにて1

[46]同上2
                  
[47]同上3

 
 では、また‥〔了〕

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