■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。【時習26回3-7の会 0672】をお送りします。
今日最初の話題は、前々回と前回の《会報》にてお届けした松尾芭蕉(1644-94)の紀行文集『鹿島紀行(鹿島詣)』の最終回の【第3回】「旅の句集」をお届けする。
※ 旅の句集 ※
《原文》和尚
おり/\にかはらぬ空の月かげも ちゞ(=千々)のながめは雲のまに/\
月はやし梢(こずゑ)は雨を持(もち)ながら 桃青
寺にねてまこと顔なる月見かな 同
雨に寝て竹起(おき)かへるつきみかな ソラ
月さびし堂の軒端(のきば)の雨しづく 宗波
《現代語訳》
和尚【意】季節が折々に遷っても変わらぬ天空の月影(=月の姿)は、流れる雲の随意(まにま)に様々に見え方を変化させて見せてくれることだ
【意】雲の流れが速い為、梢の雨滴(あましだり)の先に輝いて見える今夜の月影は、恰も天空を疾走している様に見える
【季語】月:秋
【意】寺に寝て月見をすると、寺の荘厳さが月見をする人々の顔つき迄厳粛に見えて来る
【季語】月見:仲秋
【意】雨に打たれ寝ていた様に横になっていた竹が雨が止むと再び立ち上がるが如く、我々も雨が止んだので再度月見をすることにした
【季語】つきみ:仲秋
【意】御堂の軒端から雨の滴が滴り落ちている / その状況が月影の寂しさを増幅している様だ
【季語】月:秋
《原文》
神前此松の実ばへ(=え)(注1)せし代や神の秋 桃青
ぬぐはゞや石のおまし(注2)の苔の露 宗波
膝折ルやかしこまり鳴(なく)鹿の声 ソラ
《現代語訳》
鹿島神宮の神前
【意】鹿島神宮神前に老松が聳えている / この老松が発芽した遥か神代の昔が偲ばれる
/ 神前に立つと、秋の気配が感じられる景色であることだ
【季語】秋
【意】鹿島明神が降臨(=おまし)されたという石を拝観した / その石の上の苔に露が降りているので拭(ぬぐ)おうか
【季語】露:秋
【意】此処、鹿島神宮境内では、鹿も恭(うやうや)しく膝を折って鳴くのかな‥ / 聞こえて来る鹿の鳴き声も畏まった感じがする
【季語】鹿:秋
《語句》
(注1) 実ばへ(=え):種から芽が出ること(注2) おまし:神の御座(おまし)所 / 鹿島明神が降臨した要石(かなめいし)
要石(かなめいし)は、鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)と香取神宮(千葉県香取市)にある霊石で、海に浮かぶ氷山の様に、石の大部分が地中に埋まっている
要石は地震を鎮めているとされる
鹿島神宮の要石は、「山の宮」、「御座石(みましいし)」「石御座(いしのみまし)」と呼ばれる
《原文》
田家(でんか)(注1)かりかけし(注2)田づら(=面)のつる(=鶴)や里の秋 桃青
夜田(やた・やだ)かり(=刈)(注3)に我やとはれん(注4)里の月 宗波
賤(しづ)の子やいねすり(注4)かけて月をみる 桃青
いもの葉や月待(まつ)里の焼(やけ)ばたけ(注5) タウセイ
《現代語訳》
田舎の家【意】稲を刈りかけにしている田の面に一羽の鶴の姿が見える / 美しい里の秋の一風景だ
【季語】秋
【意】多忙な稲刈りの時期、農家では明るい月夜の晩にも稲刈りをするが、私も稲刈りに雇われたいものだよ
/ こんな明るい月夜なら‥
【季語】月:秋
【意】貧しい農家の子も、こんな美しい月夜の晩には籾摺り臼の手を休めて月を眺めるのだ
【季語】月:秋
【意】日照り続きで枯れかけた畑に里芋の葉が靡(なび)いている / 恰も名月が出て来るのを待っている様子で‥
【季語】月:秋
《語句》
(注1) 田家:田舎の家(注2) かりかけし:稲を刈りかけた途中の儘にしている
(注3) 夜田刈り:農繁期の農家では明るい月夜の晩には夜でも稲刈りをする
(注4) 我やとはれん(我(われ)雇(やと)はれん):雇われてみたい
(注5) 稲摺り:籾摺り
(注6) 焼ばたけ:日照り続きで作物が枯れかけた畑
《原文》
野もゝひきや一花摺(ひとはなずり)の萩ごろも ソラ
はなの秋草に喰(くひ)あく野馬(のうま)哉(かな) 同
萩原や一(ひと)よはやどせ山の犬
《現代語訳》
野原で【意】萩野原を分け入って行くと、股引(ももひき)が萩色に染まり、恰も萩の花摺衣(はなずりごろも)を纏っている様な気分だ
【季語】萩:秋
【意】花盛りの秋、草を飽きる程食べた野飼いの馬が野原で遊んでいる
【季語】秋草:秋
【意】萩は「臥猪の床」といって歌にも詠まれる花だから、萩の花よ、野蛮な山犬である我々にも一夜の宿を貸してくれまいか
【季語】萩原:秋
《語句》
(注1) 一花摺:萩や露草の花を一度衣にこすり付けて染色すること(注2) 萩原や:萩は歌語に「臥猪(ふすい)の床」といわれる優雅な植物
《原文》
帰路自準(じじゅん)に宿(しゅく)す塒(ねぐら)せよわらほす宿の友すゞめ 主人
あきをこめた(注2)るくねの指杉(さしすぎ) 客
月見んと汐引(しほひき)のぼる船(注3)とめて ソラ
貞享丁卯仲秋末五日
《現代語訳》
帰り道、自準邸に泊まる。
【意】友雀たちよ、この干し藁の中にも巣を作り泊まったらどうかな
【季語】藁ほす:秋
【意】秋迄の成長をと期待して春に挿し木された生垣の杉が、順調に育ちましたネ
【意】「引き船」に乗っている人々も月を見ようと船を止めている
/ 此処は海に近いので川に海の汐が流れ込んで来ている
【季語】月:秋【解説】当時、利根川には川沿いの陸地から船を牽引する「引き船」があった
貞享04年 08月25日(新暦1687年10月01日)
《語句》
(注1) 自準(じじゅん):元大垣藩士本間道悦 /致仕して医師となり江戸に住んだ / 名は弥三郎 / のち常陸国潮来に隠棲 / 元禄10(1697)年没(享年75歳)
(注2) あきをこめたる:「秋をこめる」は秋に期待して(春のうちに植えた) /「くね」は「くね垣」で境の垣根 /「指杉」は挿し木した杉 / 主人の句を受けて挨拶としての脇句
(注3) 汐引きのぼる船:「引船」/ 利根川には、川岸から縄で船をひっぱって川をのぼる風習があった
【小生comment】
鹿島紀行は、松尾芭蕉は「芭蕉」の前の「桃青」と俳号を名乗っている。この《会報》を書いている10月01日は、丁度330年前、芭蕉が鹿島神宮を参詣した日に当たる。
紀行文として相応に魅力ある作品と言えるが、「奥の細道」の傑作と比べると作品に奥深さが感じられないのは致し方ないと言えよう。
来月、愚娘の長女の七五三が長女の夫君の実家がある船橋市であるので、折角だから鹿島神宮に迄足を延ばして参拝して「要石」を拝見して来ようと思っている。
■続いての話題は、去る09月21日(木)に、仕事で名古屋へ日帰り出張した帰途、池下の古川美術館で開催中の『逸品セレクション』展を見て来たのでその模様をお伝えする。
「逸品セレクション」〜為三郎の夢〜【後期】展である。以下にその展覧会の作品の幾つかをご紹介する。
[01]古川美術館入口の本企画展案内
[02]『ブシコー派の画家の時禱書』より「羊飼いへのお告げ」
[03]『同』より「ママリのアエリザベト訪問」
[04]嶋谷自然『夕焼け』
[05]鵜飼幸雄『白い道』2004年
[06]市野龍起『氾』
[07]朝見香城『名古屋名所図絵』原画より「一月 神宮雪旦(熱田神宮)」
[08]同『同』原画より「十月 八事秋月」
[09]木村光宏『桜爛』2009年
■今日最後の話題は、09月26日(火)に地元 think tank 主催の設楽ダム建設見学ツアー』に参加して来たのでその模様についてお伝えする。
その日は、仕事の一環として設楽ダム工事現場視察に行って来た。
09:00 豊橋駅前発
10:50 設楽町役場着~町長挨拶~ダム工事解説
[10]設楽町役場
[11]同役場内にて
[12]役場内にて解説に使われた工事進捗状況図
[13]同 埋没地域を紹介した資料
[14]設楽ダム周辺地域を紹介した資料
11:50 埋没する旧部落視察
12:15 昼食〔←天麩羅の一品ににスズメバチが‥〕
[15]昼食
[16]昼食に出たスズメバチの天ぷら
[17]昼食処 みのや
14:10 付替県道 設楽根羽線 2号橋建築現場視察
14:30 同 1号橋建築現場視察
[18]付替橋工事現場1
[19]同2
[20]同3
[21]同4
[22]同5
15:00 豊橋鉄道田口線 三河田口駅跡〔昭和43年9月1日廃線〕
[23]豊橋鉄道田口線 三河田口駅1
[24]同2
15:05 同所発 → 徒歩250m 5分 →
15:10 設楽ダム建設予定地着
[25]設楽ダム建設予定地へ向かう
[26]設楽ダム建設予定地付近にて
[27]設楽ダムの構造
[28]設楽ダム建設予定地〔写真中央のトンネル入口付近〕
※ 湛水線は、海抜448m
※ ダム軸は、最後の写真中央のトンネル辺り
15:30 同所発 →
17:55 豊橋駅前着〔解散(了)〕
【小生comment】
設楽ダムは、国土交通省中部地方整備局が、平成38年度の完成を目標に事業を進めている。宇連ダム、大島ダムに続く豊川流域人口58万院の水瓶として大きな期待がかかるプロジェクトである。
9年後の竣工を楽しみにしている。
小生の勤務先も、現在、三河湾の一地域の埋立をしている。
日本の国土を僅かとは言え増やして、三河港、延いては日本の国富を増やす一翼を担っているという気概を密かに矜持を感じている。
【後記】9月21日(木)に名古屋に出張した先は、昔旧行時代に2年間出張したことがあるHGNの7F会場にて開催された、佐藤優氏の講演会である。
この講演会は、小生が嘗て勤めていた旧行時代から続いている think tank が主催する講演会である。会場となっている HGN は、小生が2000年6月〜2002年6月の44〜46歳の時、業務出向していた所で縁ある所だ。
この日も、当時副支配人だった元部下が笑顔で出迎えてくれてとても嬉しかった!
現在日本を代表する知の巨人の佐藤優氏の90分間の講演会の方は、大半の時間が北朝鮮問題に割かれた。
そして最後の7〜8分間が北方四島の話でしたがスッゴク勉強になった。
[29]佐藤優講演会leaflet
[30]HGN時代の社員証等
では、また‥〔了〕
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