今日最初の話題は、最近読んだ井上智洋著/『人工知能と経済の未来』についてご紹介したい。
著者の井上智洋氏は、東京都出身。
1997年慶應義塾大学環境情報学部卒業。IT企業勤務を経て早稲田大学大学院経済学研究科に入学。
2011年に同大学より博士(経済学)を取得。早稲田大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、
2017年4月から同大学准教授。
専門はマクロ経済学、貨幣経済論、成長理論。
人工知能(AI)と経済学の関係を研究する pioneer として学会や政府の研究会等にて活動中。
本書は、題名にある通り、人工知能が経済に与える未来像を予測し、その対処策を説明してくれている。
結論は、本書の最終章の「第5章/なぜ人工知能にベーッシクインカム(Basic income / 以下BIという)が必要なのか」の処で詳しく述べられている。
即ち、こう言うことだ。
[1] AIの進歩は、近未来に純粋機械化経済社会の到来を齎す
[2] すると、人間からかなりの数の職業を奪って仕舞い、AIを活用出来る資本家に富が集中する一方、大多数の人間は働く場を失う[3] その結果、社会は、ごく少数の大富豪と働く場を失った大多数の低所得者層に二極化する
[4] 従って、働く場を失った人、即ち「貧困者を支援する」の方法として、【全国民に一律に】月額7万円程度のBIを支給する
→・貧富の差関係なく年金の様な形で、全国民に一律に資金を供給する処がBI制度のpoint!
→・国民に一律支給するならば、現行の生活保護の様に、対象者のsegmentと差別意識がなくなる
→・財源問題もない / 即ちこれは、国民全体で、仮に総額100兆円必要なBIに係る財源も、国民全体で100兆円を享受することから、国民全体から見れば過不足ゼロとなる
→・観点を変えれば、労働者が働かく場がなくなったのは、AIの進歩に拠り「機械やロボット(Robot)が人間に代わって労働してくれるので、人間は働かなくて良くなった」と考えればいい
→・ただBI制度実現に向けては2つの大きな課題がある
(1) 財源を徴収する先は富を集中して享受した「富裕者層」である為、彼等が実質的な増税となるBI制度導入を認めにくい
(2) 一斉に月額7万円を支給するとhyper inflation が発生する懸念がある〔←これは、月額1万円から徐々に増やしていくという方法で解決可能〕
→・井上氏は言う / 一国の経済にとって実質的なcostというのは、お金を使うことではなく労力を費やすこと
→・BIも行政costがゼロではないが、給付の際の事務手続きに要する「労力(Basic income)」(=cost)も、全国民の銀行口座に月額給付金を振込みすればrunning costは殆ど不要となる
[5] その結果、月額7万円は年額84万円と、大した額でない様に見えるが、専業主婦と児童人を抱えた4人家族では、84万円×4人=336万円が国から支給されることとなる
→・増税額が仮に一人100万円としても、この4人家族の稼ぎ手は1人だけなので、増税額は100万円×1人=100万円で、実質(336万円―100万円=)236万円の増収となる
[6] このことは、このBI制度導入は、子供を産めば所得が増えるという有力な「少子化対策」のmotivation up にも繋がる
[01]井上智洋著/『人工知能と経済の未来
【小生comment】
本書は、示唆に富んだ興味深いものであった。ただ、制度として実現することはかなりの困難が伴うものと思料する。
何となれば、既得権益層となったestablishment(=富裕者層)が、自分達の税負担が増えることに猛然と反対することは火を見るよりも明らかだからである。
BI制度が導入されるには、高度な政治判断が必要となる訳で、英明で強力な指導力を備えた為政者の出現が待たれることとなる。
■続いては、前《会報》にてご紹介した、去る10月08日(日)に訪れた「名古屋市美術館『ランス美術館』展」「東京三菱UFJ銀行貨幣資料館『広重
蔦吉版 東海道』展」の後に訪れた1つの美術館と1つの演奏会、即ち「愛知県美術館『長沢芦雪』展」「日本特殊陶業市民会館『ウラディミール・ユロフスキ指揮/London P. O./ Piano : 辻井伸行』演奏会を聴いて」についてご紹介する。
13:15 愛知県美術館着『芦雪』展
【愛知県『長沢芦雪』展】
長沢芦雪((=長澤蘆雪)1754-99)は、江戸中期から京都で有名となった円山・四条派の祖、円山応挙(圓山應擧(1733-95))の高弟。四条派の祖、呉春(1752-1811)も影響を受けたと言われる丸山応挙の「写生を重視した親しみ易い画風」は、芦雪もその特徴を確り受け継いでいる。
芦雪は、写実性を重視しつつも、作品に拠っては「大胆な構図、斬新なclose-up を用い、奇抜で機知に富む画風を展開して行った。
本企画展では、芦雪の生涯と通して84点が展示されている。
日本の美術史学者で東京大学・多摩美術大学の名誉教授の辻惟雄(つじ のぶお(1932- ))の著作『奇想の系譜』で、伊藤若冲(1716-1800)、曾我蕭白(1730-81)等と共に長澤蘆雪も取り上げている。
著者が同書の中で述べている「『異端』ではなく、主流の中の前衛なのだ」という言葉が、芦雪の作品を見ていると強い説得力を持って迫って来る。
以下に展示作品から幾つかをご紹介するのでご覧頂きたい。
[02]愛知県美術館入口にて
[03]長沢芦鳳『長沢芦雪像』1830-44年(天保年間)
※ 長沢芦鳳は、芦雪の養子芦洲の息子
[04]丸山応挙『牡丹孔雀図』1774(安永03)年
[05]長沢芦雪『牡丹孔雀図』1781-85年(天明前期)
[06]同『薔薇蝶狗子図』1794-99年(寛政後期)
[07]同『松竹梅図』1789年~(寛政初期)頃
[08]同『富士越鶴図』1794(寛政06)年
[09]同『孔雀図』1794-99年(寛政後期)
[10]同『大原女図』1794-99年(寛政後期)
[11]同【重文】『虎図襖』(部分)1786(天明06)年/無量寺・串本応挙芦雪館蔵
[12]同【重文】『龍図襖』(部分)1786(天明06)年/無量寺・串本応挙芦雪館蔵
【小生comment】
伊藤若冲の再評価がされ、boomとなっているが、長沢芦雪も若冲に負けていない。これから評価が上がっていくことだろう。
有意義な展覧会だった。
話は変わるが、世間はホント狭く、セレンディピティ(serendipity)なことが起きることを実感した。
それは、芦雪展を見終え、常設展cornerに向かっていた時に起こった。
廊下の展示物の一つに昼食時、らーめん陣屋の店主夫人が話されていた、藤井聡太四段が大村愛知県知事にpresentした「二十一手詰」の詰将棋の譜面が掲示されていたのである。
Captionに、「解答を知りたい方は受付迄」とあったので、早速貰って来た。
以下に、「二十一手詰」の詰将棋の譜面を添付する。
猶、解答は、敢えて伏せておくことにする。(笑)
14:10 同所発 →〔地下鉄〕→ 金山 →
14:30 日本特殊陶業市民会館着15:00『Piano 辻井伸行/ウラジミール・ユロフスキ指揮 London P.O.』演奏会 開演
【日本特殊陶業市民会館『ウラディミール・ユロフスキ指揮/London P. O./ Piano : 辻井伸行』演奏会】
演奏曲目は以下3曲と
encore 2曲1. ワグナー/ニュルンベルクのマイスタージンガー 第1幕への前奏曲
2. チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第1番〔Piano独奏 : 辻井伸行 / encore : ショパン/ノクターン第20番 遺作〕
3. チャイコフスキー/交響曲第5番〔encore : チャイコフスキー/ 歌劇『エウゲニオネーギン』からポロネーズ〕
[14]フォレストホール入口にて
[15]本演奏会programとleaflet
[16]encore曲の紹介看板
【小生comment】
London P.O.
の演奏は初めて聴いた。同楽団は、1932年トーマス・ビーチャムに拠って創立された。
此の日の辻井伸行のチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏も素晴らしかった。
又、ウラジミール・ユロフスキ(Vladimir Jurowski(1972- ))はモスクワ生まれ。
1995年 アイルランド(Ireland)南東部のウェックスフォード(Wexford)で毎年10月~11月にかけて開催されるオペラの音楽祭「Wexford Festival Opera」に初登場。
その時ユロフスキがタクト(Takt)を振った リムスキー=コルサコフ『5月の夜』が大評判となった。
同年 英国Londonのコヴェント・ガーデン(Covent Garden)に所在するロイヤル・オペラ・ハウス(Royal Opera House / 略称:ROH)にてヴェルディの歌劇『ナブッコ』を指揮しdebut。
此の日最後に演奏した、チャイコフスキーの交響曲第5番の演奏は圧巻だった。
又、辻井伸行がencore曲として弾いた「ショパン/ノクターン(夜想曲) 第20番 遺作」は、映画「戦場のピアニスト」の実在のモデルとなったウワディスワフ・シュピルマンが、映画のopeningでラジオ局のstudioで演奏していた曲。
辻井は、哀愁を帯びたmelancholicな此の名曲を、情感豊かに且つ完璧な演奏で弾き切り満場の聴衆を虜にした。
【後記】今日のお別れは、此れも美術館巡りの話題。
先週半ばの11月18日(水) 小生が勤務する会社がある開発ビル9階にある名豊ギャラリーにて10月10日~11月02日迄開催中の、「所蔵品展『森清治郎』展」についてご紹介してお別れする。森清治郎(もり せいじろう)は(1921-2004)の略歴は以下の通り。
愛知県生れ / 東京美術学校・図画師範科を10年かけて卒業(左大腿部カリエス闘病生活の為)
寺内萬治郎(1890-1964)に師事 / 師の影響を受け、裸婦画を絵画活動の中心にstart /のち風景画(建物)に方向転換 / 光風会展、日展等多数入選、南薫造賞受賞
1958年以降数度渡欧し、藤田嗣治、荻須高徳、保田春彦等と親交を結ぶ
老境に至り、石仏と民家の作品が人気となる
[17]名豊gallery入口の本企画展案内看板
[18]本企画展leaflet / 写真の絵は、出品目録21『滑津宿雨後〔七ヶ宿中〕』1981年
[19]同 出品目録
彼の作品を見ていると、渡欧に拠り親交を結んだ荻須高徳(1901-86)が得意とする街中の建物や、向井潤吉(1901-1995)の十八番、農村の民家・宿場町の町並みを描いた作品が思い浮かんで来る。
展示作品総数は25点と多くないので昼休みのひととき名画鑑賞するには打ってつけの企画展である。
では、また‥〔了〕
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