今日最初の話題は、08月11日(祝金)に訪れた4つの美術館〔浜松市秋野不矩美術館、鞍ヶ池アートサロン、古川美術館、碧南市藤井達吉現代美術館〕のうち後半の古川美術館『逸品セレクション【前期】』展、碧南市藤井達吉現代美術館『リアル〔写実〕のゆくえ~高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの』展についてご紹介する。
14:10 古川美術館着『財団設立30周年記念~逸品 セレクション・為三郎【前期】』展
添付写真[02] 本展leafletと展示作品の postcardsは、当日 Facebookに up する為、車内で撮影したもので、日本画の『西(京都画壇)の(上村)松園/初秋』と『東(東京画壇)の(鏑木)清方/夏の日盛り』、それに彼等と共に人気を共有する『伊藤小坡/浴後美人』と『伊東深水/ほたる』、洋画は 鬼頭鍋三郎『バレリーナ』etc.
14:35 同美術館発→徒歩3分→
14:38 古川為三郎記念館着
為三郎記念館の方では、茶器や陶器、蒔絵、甲冑・刀剣の鞘や鐔(つば)の類の名品が展示されていた。
同記念館は、為三郎の終の棲家であり、侘び・寂びの世界を堪能出来る。此処は、館内全て撮影禁止なので撮影したのは添付写真[14][15]の外観・入口の門だけ。
【古川美術館『逸品セレクション【前期】』展】
古川為三郎が所有していた逸品の一挙展示である。先ずはご覧頂きたい。
[01]古川美術館入口~本企画展案内
[02]本展leafletと展示作品の postcards
[03]竹内栖鳳『秋雨』
[04]東山魁夷『若葉の渓』
[05]福田平八郎『鴛鴦』
[06]鏑木清方『夏の日盛り』
[07]上村松園『初秋』
[08]伊東深水『ほたる』
[09]伊藤小坡『浴後美人』
[10]前田青邨『薔薇』
[11]和田英作『薔薇』1939年
[12]鬼頭鍋三郎『バレリーナ』
[13]鳥海青児『埴輪~踊る男』
[14]為三郎記念館を同館駐車場から望む
[15]為三郎記念館入口
[16]為三郎記念館内部と中庭の postcards
【小生comment】
本展は、古川為三郎が所蔵していた作品の中でも逸品と言われる作品の展示であり、流石素晴らしい作品が目白押しで、大満足の企画展であった。
15:00 同記念館発→名古屋高速 吹上IC東→知多自動車道 半田中央IC→一般道→
15:55 碧南市藤井達吉現代美術館着『リアル(写実)のゆくえ』展
【南市藤井達吉現代美術館『リアル〔写実〕のゆくえ~高橋由一、岸田劉生、そして現代につなぐもの』展】
本展について、leafletから一部引用してご紹介する。
「鮭」の絵でしられる日本洋画の先覚者、高橋由一。
彼は江戸時代より徐々に将来された西洋画の迫真の写実表現に感動し、洋画家を目指した。以来、〔中略〕彼の写実技法が受け継がれていった。
一方、明治中期には、黒田清輝が「外光派風」の作品を発表。〔中略〕
彼の写実絵画は穏健な叙情性を重んじ、日本の官展 academism の主流となる。
爾来、日本の近代美術史は、「外光派風写実」 v.s. それに反発する「印象派以後の美術(modernism)」の流れで語られる。〔中略〕
写実主義は、大正期の岸田劉生等の諸作に引き継がれるものの、美術史の表舞台からは後退した感が拭えない。〔中略〕
近年、「細密描写による写実」が注目を集めている。
其処で本展は、日本に移入され150年を経た「写実」表現の変化に注目し、日本独自の写実が生まれたか否か、を作品により検証する。
[17]碧南市藤井達吉現代美術館 外観
[18]当館入口にて
[19]当館内に掲示された高橋由一(1828-94)の「鮭」制作ねン不詳(右)と礒江毅(1954-2007)『鮭―高橋由一へのオマージュ(hommage)―』2003年(左)
[20]本展leafletと展示作品の postcards
[21]原田直次郎(1863-99)『神父』1885年
[22]岸田劉生(1891-1929)『麗子肖像〔麗子五歳之像〕』1918年
[23]野田弘志(1936- )『パンジー 其の参』1975年
[24]水野暁(あきら)(1974-
)『The Volcano ―大地と距離について/浅間山―』2012-16年
【小生comment】
本展は、日本の近代美術史の変遷を写実主義の観点から確り勉強させて貰った。ただ一つ言えることは、『美しいもの』が好きな小生は、「写実主義」は、「醜悪なもの」も作品となっているので、「醜」が前面に出て来る作品には、小生は共感出来ない。
添付写真[23]は、我等が時習07回卒の大先輩である。
美術科教諭で、長らく日本水彩画会豊橋支部長をされていた冨安昌也先生が、生前ご自身の高校時代の教え子の話の中で野田弘志氏について「俺を超えたのは彼だけだ」と称賛・評価されていたことを思い出す。
美術作品は『美しいもの』が小生は矢張り好きだ!
16:35 同美術館発→一般道→
18:15 帰宅
■続いては、08月15日に西尾市歴史公園『西尾城跡&旧 近衛邸』と、岡崎市美術博物館『歌川国芳~水滸伝の世界』展を見て来たので、その模様についてご紹介する。
此の日は、拙宅では送り火を玄関とお墓で済ませた。因みに京都五山の送り火は明日08月16日なのだが‥。
午前中から午後にかけて、以下の通り一人で自家用車を使い史跡と美術館を訪ねた。
【西尾市歴史公園『西尾城跡&近衛邸』】
07時40分 拙宅発→一般道→08時55分 西尾市歴史公園 駐車場着
[25]西尾市歴史公園 案内看板
[26]同公園駐車場より本丸丑寅櫓遠望
[27]西尾城二之丸 鍮石門(ちょうじゃくもん)
09時00分 同公園内一画にある西尾市資料館へ
館員の方が一人で拝観者は小生一人、09時45分頃になって漸く1組のcoupleが入館して来た。
其れ迄館員の方が小生に man to man で、西尾藩6万石の歴史と吉良上野介義央((よしひろ)1641-1703)、大給松平氏の話など教えてくれた。70分間もの充実した時間(笑)(汗)を過ごすことが出来た。
10時10分【 西尾城跡 】丑寅櫓
[28]お濠より本丸丑寅櫓を望む
[29]資料館側からの丑寅櫓
[30]西尾城 丑寅櫓
[31]丑寅櫓の内部
[32]西尾城 二之丸跡案内
【小生comment】
西尾城というと、矢張り田中吉政(1548-1609)が先ず頭に浮かぶ。天正18(1590)年 小田原の役後、関東へ移封になった後、秀吉の命により、岡崎城主と西尾城主を兼ねたのが田中吉政。
現存する岡崎城の石垣は田中吉政時代のもので、彼は西尾城も大手門や櫓門を増築している。
吉政は、関ケ原の戦で戦功をあげ、柳川藩32万5千石の大大名になって転封となる。
慶長06(1601)年 初代西尾藩藩主で西尾城主になったのが、徳川四天王筆頭 酒井忠次の次男で、伊奈本多氏の本多忠次の嗣子となった本多康俊(1569-1621)。
本多康俊は2万石で入封。その後、近江国税所藩6万石初代藩主となり、本多膳所藩は幕末迄続く。
一方西尾藩は、天領→太田氏→天領→井伊氏→増山氏→土井氏→三浦氏と、藩主が次々と入れ替った。
その後、大給松平氏の松平乗佑(1715-69(藩主1745-69))から乗秩(のりつね(1839-73))迄5代続き明治維新を迎えた。
10時22分 旧 近衛邸
旧近衛邸は、江戸末期、摂関家筆頭として左大臣を務めた近衛忠房(1838-73)邸に、夫人の縁で島津家に拠って建てられた建物。
近衛家が東京に移った後、小松宮晃仁親王、山科宮晃親王の宮家別邸として使用された。昭和60年、西尾文化協会が部材を解体移送して西尾市に寄贈、西尾市が平成07(1995)年移築復元。
建物は、数寄屋風意匠の書院と茶室から構成されている。
因みに、近衛忠房の長男が近衛篤麿(あつまろ(1863-1904))で、篤麿の長男が近衛文麿(1891-45)。
[33]旧近衛邸 外観1
[34]旧近衛邸 外観2
[35]旧近衛邸 案内
[36]旧近衛邸 門
[37]旧近衛邸 玄関外観
[38]旧近衛邸玄関に飾られていた棟方志功の作品
[39]旧近衛邸内部 書院1
[40]旧近衛邸内部 書院2
[41]旧近衛邸内部 書院からの中庭の眺め
[42]旧近衛邸内部 書院3
[43]旧近衛邸内部 書院4 床の間前にて
[44]旧近衛邸内部 書院で頂いた冷たい抹茶
[45]旧近衛邸内部 書院5
[46]旧近衛邸内部 書院6
[47]旧近衛邸内部 書院7
[48]旧近衛邸内部 書院と茶室を繋ぐ畳の廊下
[49]旧近衛邸内部 茶室
10時50分 同所発
11時15分 岡崎・故義父邸着12時30分 同所発
【小生comment】
旧近衛邸での冷えた一服の抹茶は美味だった。五摂家筆頭の近衛家の茶室兼書院の旧邸宅は、気品があって凄く感じが良かった。
【岡崎市美術博物館『歌川国芳~水滸伝の世界』展】
13時00分 岡崎市美術博物館着『歌川国芳/水滸伝の世界』展
[50]岡崎市美術博物館『歌川国芳』展入口にて
【小生comment】
歌川国芳(1797-1861)は、同じく浮世絵画家の歌川(安藤)広重(1797-1858)と同い年。
本企画展は、それなりに面白かったが、錦絵の構図は小生にはどうも合わないナと思った。
13時45分 同所発→一般道→
14時40分 帰宅16時45分 拙宅送り火
【後記】今日最後は、08月24日:豊橋市美術博物館『第7回トリエンナーレ(triennale)豊橋~星野眞吾賞』展をご紹介してお別れしたい。
今日、業務の一環で豊橋市役所の教育長室を訪ねた帰り、市役所の東隣、豊橋公園内にある豊橋市美術博物館にて開催中の『星野眞吾賞』展を見た。先日、中学校時代の同期生で、絵画に造詣の深い朋友で Facebookの仲間の富安君が見て来て、「若い作家の自由な日本画の表現に驚いたな」と新進の日本画家の作品を高く評価していたので、小生、好奇心を唆られた訳だが、実際に見て彼の言う通り確かに良かった。
今回は、当美術博物館が粋な計らいをしてくれている。
即ち、(1) 拝観料 無料、(2) フラッシュを使わなければ、第1〜3展示室迄 撮影OK〜と言う訳で添付写真をご覧の通り撮影させて貰った。
今回の 第7回 triennale 豊橋『星野眞吾賞(大賞)』作品は、当美術博物館入口の本企画展案内看板の cover の絵になった山形市出身の 財田(たからだ)翔悟(1986- )『かさねがさね』だ。
本作品は、super realism と言っていい日本画で、「この作品は絵画と工芸、ハイテクとローテク、バロックとポップアート、自己と他者、普遍と特殊等々、二重三重の Kategorie を横断し乍ら一つに抱き込んだ、かなり重層的な作品」と選評は述べている。
[51]豊橋市美術博物館入口の本企画展案内看板
[52]当館展示会場1
[53]同上2
[54]同上3
[55]同上4
[56]同上5
[57]同上6
[58]米蒸千穂(1984- )『手が届く程近くて声が届かない程遠い』
【小生comment】
本作品以外でも、ご覧の様に質の高い日本画の秀作が全国から
当地豊橋に集まった。当地の日本画の巨匠 星野眞吾 氏の面目躍如である
※ ※ ※ ※ ※
では、また‥〔了〕
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