2017年7月31日月曜日

【時習26回3−7の会 0663】~「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之二〕『夏』〔第3回〕」「07月22日:浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展→名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展→碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展を見て」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0663】をお送りします。
 今日も最初にお届けするのは、前《会報》に引き続き松尾芭蕉の『猿蓑』についてである。
 今日は、『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第3回〕目で、『夏』の巻は今回の6594句で完了である。
 早速ご紹介したい。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第3()〕】

  猿蓑集 巻之二     夏

   病後
65(そら)つり(1)やかしらふらつく百合の花  大坂 何処
【意】私はいま病明けの所為で、恰も庭に咲いている百合(ゆり)の花の様にで頭がフラフラしている
【解説】―
(1) 空つり:のぼせて眩暈(めまい)がすること

66すゞ風や我より先に百合の花  乙刕
【意】涼風が私に吹き付けて来た / この涼風は、この私より先に庭の百合の花を揺らして来た風だ
【解説】「百合(ゆり)」と「揺()り」をかけている

  「焼蚊辞(1)」を作りて
67()やなかん其子(そのこ)の母も蚊()の喰(くわ)ン  嵐蘭(らんらん)(2)
【意】蚊に食われて子供が泣いている / その母親もきっと蚊に食われているに違いない
【解説】この句は、『萬葉集/巻三』山上憶良「憶良らは今は罷らむ子哭()くらむ 其の彼の母も吾を待つらむぞ/(【意】この山上憶良はお暇(いとま)しよう、(拙宅で我が)子が泣いているだろうし、その母(=)も私を待っているだろうから)」を俳諧にして詠んだもの
(1) 焼蚊辞(かをやくのじ):松倉嵐蘭の俳文の名 / 森川許六((1656-1715)近江国彦根藩士)の俳文集『本朝文選(ほんちょうもんぜん)』巻一所収(宝永03(1706)年刊)で、その文末にこの句を添える
(2) 嵐蘭:松倉嵐蘭(1647-93) 名:盛教、通称:甚兵衛/ 肥前国島原藩藩主松倉氏の氏族 / はじめ板倉氏に仕え、辞して江戸浅草に住み芭蕉門弟となる /「桃青門弟独銀二十歌仙(1680年刊)」に名を連ねる

  餞別
68(たち)ざまや蚊屋(かや)もはづさぬ旅の宿  膳所 里東
【意】早朝、宿屋では蚊帳も外(はず)さずに慌(あわ)ただしく旅人を見送っている
【解説】慌ただしく旅人の早朝の旅立ちを見送る句

  うとく(1)(なる)(ひと)につれて、参宮する從者にはなむけして
69みじか夜を吉次(きちじ)が冠者(かじゃ)(2)に名残(なごり)(かな)  其角
【意】短い夏の夜を若者と別れを惜しんだ、恰も牛若丸(源義經)が金売吉次と逢った時に時のことの様だ
【解説】前書「うとく(=有徳)(なる)人につれて」は「有徳と言われている人に付け人して」という意味 /「若者をこの有徳(=富裕)者につけて伊勢神宮を参詣させる」という設定
  『五元集』(3)には「或人の従者参宮しけるにはなむけすとて」と前書して「夏の夜を吉次が冠者に恨哉」とある
(1) うとく:有徳(うとく)=徳のある / 富裕
(2) 吉次が冠者:吉次は奥州産の黄金を京で商いし、巨利を得て長者になった金売吉次 / 鞍馬で牛若丸に逢い連れて奥州平泉に下った
  「冠者」とは、元服した男子 / 若者
(3)『五元集』:榎本其角(1661-1707)著の俳諧撰集(1747年刊) / 延宝・天和・貞享・元禄・宝永の五元に亘る発句集の意
 
70(ひま)(あく)や蚤(のみ)の出()て行(いく)(みみ)の穴(あな)  丈艸
【意】耳の中に入った蚤(のみ)が、隙間(すきま)を明けてやったら出て行ってくれた
【季語】「蚤」:盛夏

71下闇(したやみ)や地虫(じむし)ながらの蝉(せみ)の聲(こゑ)  嵐雪
【意】鬱蒼と茂る木々の下の薄暗い中から蝉時雨が地中に浸み込む様に聞こえて来る / それは恰も地中の虫が地中深くで鳴いている様だ
【解説】何となく湿っぽい俳句 ()

72(きゃく)ぶり(1)や居處(ゐどころ)かゆる蝉の聲  膳所 探志
【意】蝉(せみ)は鳴いては木を変えて別の木で又鳴くことを繰り返す / お客が一軒/\訪れる家を変えていく様子が蝉のそれに似ていて面白い
【解説】―
(1) 客ぶり:客らしい様子・態度

73(やが)て死ぬけしきは見えず蝉の聲  芭蕉
【意】地上に現れてからは短命の蝉だが、幻住庵でこの元気な蝉の鳴声を聞いていると、そんな儚さは伝わって来ない
【解説】元禄03(1690)年夏、幻住庵で秋之坊(1)に示した句 / 北枝編『卯辰集』(元禄04(1691)年刊)には「無常迅速」と前書し、中七を「けしきも」とする
 草稿時の『幻住庵記(写本『芭蕉文考』所収の文末に「先(まづ)たのむ椎の木もあり夏木立」の句と並べて、『卯辰集』と同じ句形で掲載
 元禄03年幻住庵滞在中の吟とされる
 支考『東西夜話』(元禄15(1702)年刊)に拠れば、金沢の秋之坊が幻住庵を訪れ、一夜の夢を結び、その帰り際に芭蕉はこの一句を与えて麓迄見送ったという
(1) 金沢蕉門の一人 /『奥の道』で芭蕉が金沢を訪れた折り、現地で入門 / 前田藩士、後に武士を捨て剃髪、秋之坊と称し、蓮昌寺境内に隠棲

74(あわれ)さや盲(めくら)(あさ)()る露(つゆ)のたま  伊賀 槐市
【意】盲人が朝露に濡れた麻を刈っている / 無常感と哀切さを感じる
【解説】露は朝日に消えるので「無常」感を表す /「盲人」は「人間一般」を指すと考えることも出来る / 見えない儘生きている哀れな生き物という意で /「露」は秋の季語だが、「巻之二『夏』」に入れた理由は不明

75(わた)り懸(かけ)て藻()の花のぞく流(ながれ)(かな)  凡兆
【意】清流に架かる橋を渡ろうとしてふと下を見ると、綺麗な川の水底に可憐な藻の花が見える / 美しい
【解説】―

76舟引(ふなひき)(1)の妻の唱哥(しょうか)か合歓(ねむ)の花  千那
【意】川岸を船頭夫婦が舟を曳いて上って行く / 妻の船曳歌が岸辺に響き、その岸辺には淡紅色の美しい合歓(ねむ)の花が咲いている
【解説】―
(1) 船引:川岸を綱で船を引いて上ることをいう

77白雨(ゆふだち)や鐘(かね)きゝはづす日()の夕(ゆふべ)  史邦
【意】夕刻の鐘を今日は聞き漏らして仕舞った / 何せ酷い夕立だったから
【解説】―

  素堂之蓮池(1)
78白雨(ゆふだち)や蓮(はす)一枚の捨(すて)あたま  嵐蘭
【意】夕立が来たら(素堂だったら)(はす)の葉を一枚坊主頭に被(かぶ)ればきっと雨よけ出来て事足りるよ
【解説】蓮(はす)をこよなく愛した山口素堂は、葛飾の蓮池に別邸を建て、蓮を見て過ごす毎日で作句に勤しんだという
(1) 蓮池(はすいけ):山口素堂(3) / 蓮池翁とも号した
(2) (すて)あたま:隠遁した人の頭
(3) 山口素堂(そどう(1642-76)):本名 信章 / 通称 勘()兵衛、市右衛門 / 甲斐国出身 / 20歳頃江戸に出て林鵞峰(林羅山の三男(1618-80))に漢学を学ぶ
 延宝02(1674)年 京都にて北村季吟(4)と会吟し和歌、茶道、書道等も修める
 延宝03(1675)年 松尾芭蕉と初めて江戸で一座する / 深川芭蕉庵に近い、上野不忍池や葛飾安宅に隠棲 / 芭蕉とは門弟ではなく友人として親交を重ねた
(4) 北村季吟(1625-1705):江戸期初期の歌人・俳人 / 飛鳥井雅章に和歌・歌学を学び幕府歌学方を務める一方、松永貞徳(1571-1654)門下として俳諧を学ぶ

79日燒田(ひやけだ)や時々(ときどき)つらく鳴く蛙(かはづ)  乙刕(=乙州)
【意】旱魃で水が干上がった田圃 / 此処から時々蛙(かえる)の辛そうな鳴き声が聞こえて来る
【解説】―
(1) 日焼田:旱魃(かんばつ)で水が干上がった田圃

80日の暑さ盥(たらひ)の底の蠛(うんか)(1)かな  凡兆
【意】猛暑に晒(さら)されている盥(たらい)の底に浮塵子(ウンカ)が群がり(死んで)いる
【解説】―
(1) (うんか):浮塵子(ウンカ) / 稲の害虫、体長5㎜程の蝉に似た格好をしている

81水無月(みなづき)も鼻つきあはす數奇屋(すきや)(かな)  同
【意】水無月という暑い最中(さなか)に男共が鼻付き合わせて座している
【解説】暑い水無月に句会の席で、男たちが真面目な顔をして鼻突き合わせる程近くに集い座っている様は、何処か滑稽である

82日の岡(をか)(1)やこがれて(2)暑き牛の舌(した)  正秀
【意】日の岡という所を牛が猛暑の暑い陽射しに照り付けられて歩いている / 嘸(さぞ)暑いことだろう、牛の舌の様子が暑さ程を物語っている
【解説】―
(1) 日の岡:京都市山科区日ノ岡〔京都の東粟田口から大津に向かう街道の峠で、三方山に囲まれ、ただ東の一方が展(ひら)けて朝日を受けることが早いので、この名があると言い、又昔は急坂で牛車等の難儀する所という(伊東月草『猿蓑俳句鑑賞』〕
(2) こがれて:「こがれる」は、暑い太陽の陽射しに照り付けられる様をいう

83たゞ暑し籬(まがき)によれば髪(かみ)の落(おち)(1)  木節
【意】只々暑い / 暑さを避ける為、日陰のある籬(=垣根)に寄って歩いていくと、その籬に絡み付いている髪の毛が顔に触れる
【解説】品が良くない俳句
(1) 髪の落(おち):落ち髪、抜け毛

84じねんご(1)の藪(やぶ)ふく風ぞあつかりし  野童
【意】じねんごが成った竹藪は、吹き通る風も暑苦しいことだ
【解説】―
(1) じねんご:自然秔 / 竹の実のこと / 竹は何年か(60年と言われる)に一回花が咲き、実が成り枯れると言われる / 竹の実は救荒食とされた

85(ゆふ)がほによばれてつらき暑さ哉(かな)  羽紅
【意】夕顔の干瓢づくりに精を出したが、酷暑の季節であり、その作業は暑くて辛いことだ
【解説】夕顔の実は、夏の土用の初めに採り、断割して干し干瓢をつくるが、雨天の日を避けてつくるので結構大変な作業で暑さが堪(こた)える / この大変暑く作業が辛い様を「夕がほによばれてつらき」と詠んだ / 幸田露伴著『評釈 猿蓑』で露伴は「特に夕顔にと置ける初五、誰によばるゝにもあらず、夕顔によばるゝとしたる、俳意十分にして、いと好きなり。暑さの句也」と評している

86青草(あおくさ)は湯入(ゆいり)ながめんあつさかな  江戸 巴山
【意】露天風呂の縁に茂っている青草は湯に入って眺めて風情が出るものである
【解説】作者巴山については詳細不詳

  千子(ちね)が身まかりけるをきゝて、みのゝ國より去来がもとへ、申しつかはし侍(はべり)ける
87無き人の小袖も今や土用干  芭蕉
【意】土用のこの時期は、衣類を出して虫干しをするのだが、千子の死んだこの夏は故人の小袖の整理をしていることだろう
【解説】貞亨05(1688)年夏 / 美濃から去来宛に送った書簡 / 千子(ちね)は去来の妹千代で芭蕉の門人 / 貞亨050515(1688.06.12)、婚家にて死去 / 辞世の句「もえやすくまた消えやすき蛍かな」/ 妹の死を悼んで去来は、「手の上に悲しく消ゆる蛍かな」と詠んでいる /「手の上に」は去来の細やかな愛情に溢れた、哀しい遣り取りである
 土用は、一年に4回あるが、ここでは立秋前の18日間を言う / この時期、衣類を出して虫干しをするが、千子の死んだこの夏は故人の小袖を処分していることだろう / 去来にとっては妹を亡くした哀しい土用干しとなったのである

 88水無月(みなづき)や朝(あさ)めしくはぬ夕すゞみ  嵐蘭
【意】酷暑の六月は寝苦しく夜確り眠れず、ついつい朝寝坊して仕舞い、勢い「朝飯抜き」になり、「夕涼み」するという結果に
【解説】―

89じだらく(1)にねれば涼しき夕べかな  宗次
【意】だらしなく寝ころべば涼しい夕べとなるだろう
【解説】『去来抄』に「猿蓑撰の時( )一句の入集を願ひて数句吟じ来れど取るべきなし。一夕、先師の、いざくつろぎ給へ、我も臥しなん」と宣(のたま)ふに、( )も、御許し候へ、じだらくに居れば涼しく侍ると申す。先師曰、是、發句なりと。今の句に作りて、入集せよと宣ひけり」とある
 作句の様子が確り伝わってくるが、作者宗次については不明
(1) じだらく:自堕落 / だらしない様(さま)

90すゞしさや朝草(あさくさ)門ン(もん)に荷(にな)ひ込(こむ)  凡兆
【意】馬に与える為の飼草として、朝露に濡れた草を朝早くから門内に担ぎ込む百姓家が見える / その勤勉さと涼しさが清々しい
【解説】農耕馬を飼う百姓家は、毎朝飼草を、夕方に夕草を馬に与える / 此処に出て来る百姓家は、その朝草を早朝に刈り取って来て自宅の門内に入れた、作者はその様子を詠んだ

91(くちびる)に墨(すみ)つく兒(ちご)(1)のすゞみかかな  千那
【意】寺子屋で手習い(=習字)を終えた子供が唇に筆を舐めた墨の跡が付いている儘、寺の縁側で涼んでいる
【解説】清々しく爽やかな一句
(1) (ちご):少年・子供

92月鉾(つきぼこ)(1)や兒(ちご)(2)の額(ひたひ)の薄粧(うすけはひ)  曾良
【意】山車の上の兒の額の薄化粧は何と色っぽいことか
【解説】―
(1) 月鉾:京都・祇園会(六月十七日)の山車(だし)の名 / 山鉾に付いている三日月の飾りのこと
 鉾には、長刀鉾、函谷鉾、鶏鉾、月鉾、放下鉾、船鉾がある
(2) 兒:鉾の上には優麗な10歳前後の男児が美しく粧(よそお)い、金冠を戴き、鞨鼓(かっこ)を打つ

93夕ぐれや屼(はげ)並びたる雲のみね  去来
【意】夕暮れの今見える(入道)雲は、禿頭を連ねた様な雲の峰だ
【解説】―

  はじめて洛に入て
94雲のみね今のは比叡(ひえ)に似()た物(もの)か  大坂 之道
【意】千変万化し乍ら浮かぶ雲の峰よ、今浮かんでいる雲は比叡山の形に似ているだろうか
【解説】―

【小生comment
 芭蕉俳諧の集大成とも言える『猿蓑』の〔巻之二『夏』〕を3 series でお届けしたが、如何でしたか?
 なかなか味のある俳句が多く、結構新しい発見をした。
 次号でからは、〔巻之三『秋』〕を、これも3 series でご紹介するつもりである。お楽しみに!

■さて次の話題は、昨日0722() 毎月一回、昔住んでいた名古屋市東区徳川にある歯科医院に歯の検診に行って来るついでに、[1]浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展→[2]名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展→[3]碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展と、3つの美術館を巡って来た。
 以下にその時の模様を順次お伝えする。
 その日の行程は以下の通り。

0810分 拙宅発→〔一般道 国道362号線他/48 75分〕→
0925分 浜松市秋野不矩美術館駐車場着
0930分 秋野不矩美術館着
1000分 同所発→〔浜松浜北IC→新東名→東名→名古屋瀬戸道路→長久手IC104 65分〕→

【浜松市秋野不矩美術館『画業の地平2 豊饒な水の恵み』展】
 本展は、当館所蔵の秋野不矩作品を『画業の地平』という題にて、
 0401日~0423日:第1回「遥かなる世界へ」
 0701日~0806日:第2回「豊穣な水野恵」
 0808日~0910日:第3回「陽光と灼熱の大地」
 1202日~0114日:第4回「古き日を想う」
 という4seriesで紹介する企画展の第2弾。
 以下に展示作品の幾つかをご紹介する。

[01]浜松市秋野不矩美術館駐車場脇の本展案内看板

[02]同美術館外観
                  
[03]秋野不矩『アフガニスタン風景』1972

[04]同『行者シヴァ』1978
                  
[05]同『海のコッテージ』1984

[06]同『回廊の壁画』1986
                  
[07]同『土の家(A)1987

[08]同『土の家(C)1987
                  
[09]同『朝の祈り』1988

[10]同『沼』1991
                  
 【小生comment
 本企画展seriesのうち、4月に開催された第1回は、旅行等他の行事が重なり小生は残念乍ら見られなかった。
 秋野不矩は、日本画京都画壇の泰斗として、インドやアフガニスタン、カンボジア等海外の風景を描く、面白い立ち位置で活躍した画家である。
 見る度に、彼女の作品の良さが解って来る様な気がする。

1105分 名都美術館着
1135分 同所発→〔一般道 北区大曽根2丁目/13 35分〕→

【名都美術館『響き合う美 近代日本画の精鋭たち【後期】』展】
 その日2つ目に訪れた名都美術館は、開館30周年記念の特別企画展を以下の通り3seriesで開催中
 特別企画展Ⅰ 響き合う美・近代日本画の精鋭たち【前期】0616日~0709日 【後期】0711日~0806
 特別企画展Ⅱ 見て、感じる!・美人画の粋(いき)と雅(みやび) 0822日~1009
 特別企画展Ⅲ 小山 硬展・画業60周年の軌跡をたどる 1020日~1210
 当美術館は、大学弓道部の一年先輩の小塩さんが美術館の責任者を務められている。
 其処で今回は小塩さんとの two shot を撮影して頂いた。

[11]名都美術館受付にて小塩先輩と

[12]小林古径『木実』制作年不詳
                  
[13]徳岡神泉『芙蓉』制作年不詳

[14]小倉遊亀『鉢と菫』1960
                  
[15]同『初夏の花』1962

[16]前田青邨『蔓梅擬(ツルウメモドキ)1973年頃
                  
[17]田淵俊夫『インド想 霧』1992

[18]片岡球子『富士』1990年頃
                  
【小生comment
 ご紹介した作品は、いずれも近代日本画の巨匠たちの傑作で、いずれの作品も大好きである。
 なかでも小生、小倉遊亀の作品が大好きである。
 当館の日本画は、美しい作品が多く、訪れる度に感動と共に癒しを感じる。

1210分 ラーメン 陣屋着〔昼食/味噌チャーシュー麺〕→
1300分 同所発〔一般道/0.9km 3分〕
1310分 車内にてwaiting
1400分 歯科医院にて歯の検診
1435分 同所発〔名古屋高速→知多半島道路→半田IC→一般道/45km 50分〕
1525分 碧南市藤井達吉美術館着

【碧南市藤井達吉現代美術館『スケーエン:デンマークの芸術家村』展】
 その日最後に訪れた美術館の本企画展は、開催期間(0606日~0722)中の初めの頃に、時習26回生の同期 岩瀬敏君が Facebook で紹介してくれたものである。
 本展は、日本・Denmark外交関係樹立150周年記念の企画展。
 本企画展について、本展leafletから引用して以下にご紹介する。

 潮風が舞う荒野、白い砂浜、何処までも広がる空と海。
 バルト海と北海に挟まれたユトランド半島の最北端に位置するスケ―エン(Skagen)は、19世紀のDenmarkの人々にとって、自国の中の異郷だった。
 しかし、1870年代から、首都Copenhagenで活躍していた若い画家達数人が此処を訪れ、その広漠とした自然の光景に惹きつけられる。
 Skagenの独特の風土は次第に芸術家達の間で関心を呼び、鉄道の駅も港さえなかった小さな漁村は、19世紀末から20世紀初頭にかけて、北欧の国から画家や詩人、作曲家等が集まる国際的な芸術家村として知られる様になった。
 Skagenを制作の拠点とした画家達は、Franceに発祥して欧州絵画の新しい潮流となっていた自然主義の考え方に立ち、漁師達の労働、海辺の風景、素朴な村人達の生活、芸術家達とその家族の日常を題材とした作品を描いた。〔後略〕
 本展で主に紹介されている画家、アンナ&ミカエル・アンカー夫妻や、マリー&ペーダー・クロヤ―夫妻が活躍したのは、丁度Franceで印象派・ポスト印象派が全盛だった時代と重なる。
 以下に彼等の作品を幾つかご紹介する。

[19]藤井達吉現代美術館外観1

[20]同上2
                  
[21]同美術館受付横の本展看板&藤井達吉像の横にて

[22]本展leaflet
                  
[23]ペーダー・セヴェリン・クロヤ―(Peder Severin Kreyer(1851-1909))『スケーエンの南海岸の画家たち』1882

[24]アンナ・アンカー(Anna Ancher(1859-1935))『明かりのついたランプの前の若い娘』1887
                  
[25]Peder Severin Kreyer『マリー・クロヤ―の肖像』1889

[26]同『ばら』1893
                  
[27]Marie Kreyer『縫い物をする少女のいる室内』制作年不詳

[28]Peder Severin Kreyer『浜辺の白いボート、明るい夏の夕べ』
            
[29]Michael Ancher(1849-1927)『海辺の散歩』1896

1610分 同館発
1745分 拙宅着

【小生comment
 Denmarkの近代美術を代表するSkagen派の絵画は、作風としてはFranceの自然主義と同根と言っていいが、同時代のFrance印象派・ポスト印象派とは矢張り違った魅力を感じる。
 皆さんは、どう感じましたか?

【後記】今日もお別れは【時習26回3-7の会/クラス会】について、念の為に「開催要領」をこの《会報》にてもお示しする。
 現状、参加表明者は、是迄の処、小生を含め3人の儘である。
 一方、欠席表明者も5人と変わらない。

  ※ 時習26回3-7の会/クラス会 開催要領 ※
1. 開催日時:20170812() 1800分~2030
2. 開催会場:Kings Kitchen
  http://www.kingskitchen.jp/
 住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
 ℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)

 ※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥〔了〕

 ブログへは【0626】号迄のback numberURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←ここをclickして下さい

0 件のコメント:

コメントを投稿