2017年7月9日日曜日

【時習26回3−7の会 0660】〜「松尾芭蕉『幻住庵記』〔第6(最終)回〕【先づ頼む 椎の木も有り 夏木立】」「07月08日:岡崎市美術博物館『家康と東照宮信仰』展を見て」「水野和夫著『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』を読んで」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0660】をお送りします。
 先ず最初にお届けするのは、『幻住庵記』の今日はその〔第6(最終)回〕をお届けする。
 ご参考に、今回も従前からの繰り返しになるが、『野ざらし紀行』〜『嵯峨日記』に至る迄の経緯を以下に記す。
 松尾芭蕉は、貞享02(1685)年四月下旬に『野ざらし紀行』を終え、江戸に帰着した時から元禄04(1691)年四月十八日『嵯峨日記』を執筆した落柿舎へ。
  『野ざらし紀行』から『嵯峨日記』迄の6年間の歳月は、芭蕉の人生に於いても最も脂が乗った時代だった。
 この間6年の芭蕉は、『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』『幻住庵記』等の名作を生みだしている。
  『幻住庵記』は、『嵯峨日記』からこれも丁度一年前の元禄三(1690)年四月六日から七月二十三日迄、膳所本多藩士 菅沼定常(曲水、のち曲翠)から借り受けた山荘での模様を記したもの。
 猶、『幻住庵記』の最後は、有名な句「先づたのむ椎の木もあり夏木立」で締め括り、「元禄三仲秋日」と記してあることから、八月下旬に脱稿したことを示している。
 以下に、『野ざらし紀行』を終え『嵯峨日記』の落柿舎へ行く迄の一連の芭蕉の動きを時系列的にごく簡単にご紹介する‥

貞享02(1685) 12 (42)『野ざらし紀行』刊
貞享03(1686) 01 (43) 芭蕉庵にて 蛙の句二十番句合『蛙合』を興行
                「古池や蛙飛びこむ水の音」
貞享04(1687) 01 (44) 幕府「生類憐みの令」発布
         0825日 芭蕉、曾良・宗波を伴い『鹿島詣』成る
         1025日 芭蕉、『笈の小文』の旅に出発
         1112日 杜国・越人を伴い伊良子崎に遊ぶ
               「鷹一つ見付(つけ)てうれしいらご崎」
         12月下旬  伊賀上野に到着し越年
貞享05(1688)0408 (45) 奈良・唐招提寺にて鑑真和上像を拝す
               「若葉して御めの雫(しづく)ぬぐはヾや」
         0420日 須磨・明石を廻って須磨に泊す 明石夜泊
               「蛸壺やはかなき夢を夏の月」
               ‥『笈の小文』は此処で終わる
         0811日 芭蕉、越人を伴い美濃国を発ち、「更科の名月」を見に赴く
         0815日 姨捨山(をばすてやま)「俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友」
         0816日 善光寺に参拝
         08月下旬 江戸帰着
         0930日 元禄に改元
元禄02(1689) 0327 (46) 芭蕉、曾良を伴い『奥の細道』の旅に出発
               千住「行春や鳥啼魚の目は泪」
         0513日 平泉「夏草や兵どもが夢の跡」
         0527日 立石寺「閑さや岩にしみ入蝉の声」
         0603日 最上川「五月雨をあつめて早し最上川」
         0616日 象潟「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」
         0712日 市振「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」
         0725日 小松・太田(ただ)神社「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」
         0906日 大垣・芭蕉、伊勢神宮遷宮式参拝の為 如行宅を出発し『奥の細道』終わる
               「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ」
         0913日 伊勢神宮内宮参拝
         0922日 伊賀上野へ帰郷
         1122日 服部土方の蓑虫庵にて伊賀門人九人吟五十韻俳諧
         秋〜冬:この頃【不易流行】を説く
         12月末 京都から膳所義仲寺へ / 同寺にて越年
元禄03(1690) (47) 0103日 膳所から伊賀上野へ帰郷
         03月中旬迄 伊賀上野に滞在
         0401日 石山寺 参詣

     【 ☆ 0406日 愛弟子の杜国死去(0320)の訃報を近江国・国分山「幻住庵」にて受け取る ☆☆ 】
     【 ★★★ この頃より『幻住庵の記』執筆開始 ★★★ 】
       【 ☆ 06月上旬「幻住庵」から京都へ『猿蓑』を企画し18日迄滞在 / 0619日「幻住庵」へ帰着 ☆ 】
       【 ☆ 0723日 大津へ移転 / その後、09月下旬迄 膳所「義仲寺」に滞在 ☆ 】
       【 ☆ 0815日 膳所 義仲寺にて近江門人と「月見の会」を催す ☆ 】
       【 ★★★ 〔 08月下旬『幻住庵の記』脱稿 〕★★★ 】
         0927日 一泊二日でへ、そして伊賀上野へ発つ / 11月上旬 伊賀上野から京都へ
         1223日 京都から大津へ、そして「義仲寺」にて越年
元禄04(1691) (48) 0106日 大津より伊賀上野へ〔伊賀上野に3か月滞在〕
         03月下旬 伊賀上野から奈良へ〔曾良に再会?〕
         03月末 奈良から大津へ移動
         0418日〜0504日迄 京都西嵯峨の「落柿舎」で過ごし『嵯峨日記』執筆開始

【幻住庵記】
《原文》
 斯()く言へばとて、頓(ひた)ぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。
 やゝ病身、人に倦()みで、世を厭(いと)ひし人に似たり。
 つら/\年月の移り来し拙き身の料(とが)を思ふに、ある時は任官懸命の地(1)をうらやみ、一たびは仏離祖室の扉(とぼそ)に入らむ(2)とせしも、たどりなき風雲に身をせめ(3)、花鳥に情を労じて、暫(しばら)く生涯のはかり事(ごと)とさへなれば(4)、終(つひ)に無能無才にしてこの一筋につながる(5)
  「楽天は五臓の神(しん)を破り(6)、老杜は痩せたり(7)
 賢愚文質の等しからざるも(8)、いづれか幻の住みかならずや(9)」と、思ひ捨てて臥しぬ。

  先づ頼む 椎の木も有り 夏木立

《現代語訳》
 この様に言うからといって、専ら静かで寂しいことを好み山野に身を隠そうというのではない。
 病気がちになって、人との付き合いが面倒になって、この世の中避けて隠棲している人に似ている。
 つくづく長い歳月を過ごしてきた拙い自分の罪を思ってみると、ある時は任官して領地を得ることを羨み、ある時は仏門に入ろうともしたが、行き先定まらぬ風雲の旅に身を駆り立てられ、花鳥を愛でることに心を使い、かりそめが生涯のこととなり、とうとう無能・無才乍らもこの俳諧の道という一本に繋がることとなった。
  「(詩作については)白楽天は苦しんで全身を弱らせ、杜甫は苦しみ痩せたという。
 私は白楽天や杜甫の才能には遠く及ばないが、どちらも幻の住まいの様なものだ」と思いうっ ちゃって寝た。

【意】(幻住庵の)庭を見ると夏木立の中に椎の木がすっくと立っている
   心を安心して預けるには先ずこの椎の木かな、さぁ夏木立の木陰でゆっくり寛(くつろ)ぐとしよう
【季語】「夏木立(なつこだち)」:夏

《語句》
(1) 任官懸命の地:任官して懸命に守るべき領土を得ること
(2) 仏離祖室の扉に入らむ:仏門に入ること
(3) たどりなき風雲に身をせめ:行方定まらぬ風雲の旅に身を駆り立てられる
(4) しばらく生涯のはかり事とさへなれば:かりそめが生涯のこととなって仕舞い
(5) つひに無能無才にしてこの一筋につながる:とうとう無能無才乍ら俳諧の道の一本に繋がる /このphraseは『笈の小文』にも同趣旨の感慨が記されている
(6) 楽天は五臓の神(しん)破り:旧を思ふ「詩は五臓の神を役し、酒は三丹田を泪(みだ)る」拠り
(7) 老杜は痩せたり:李白の「戲贈杜甫」拠り

    戲贈杜甫  李白
   飯顆山頭逢杜甫
   頂戴笠子日卓午
   借問別来太痩生
   總為从前作詩苦

 戯れに杜甫に贈る 李白
   飯顆山頭杜甫に逢ふ
   頭に笠子を頂き日卓午
   借問す 別来太だ痩生
   総べて従前詩を作る苦の為なり

(8) 賢愚文質の等しからざるも:白居易や杜甫の才能に遠く及ばない私だが
(9) いずれか幻の住みかならずや:何方が幻の住まいの様なものでないことがあろうか / どちらも幻の住まいの様なものだ

【小生comment
  『幻住庵の記』の発句「先づ頼む 椎の木も有り 夏木立」は、巻末に記されている。
 芭蕉が、安住の地を得てとても満足して過ごしている様子が目に浮かんで来る。
 さて、松尾芭蕉の作品は、貞享040825日『鹿島詣』成る、とあるので、今秋9月にご紹介したいと思っている。
 お楽しみに!

■さて次の話題は、昨日0708日に訪れた2つの美術(博物)館、愛知県芸術劇場concert hallの模様の中から、今日は一番最初に訪れた岡崎市美術博物館『家康の肖像と東照宮信仰』展についてお伝えする。
 昨日の一日の行程は以下の通り。
 Facebookには、「今日は、岡崎市と名古屋での文化を楽しみました」との書き出しで以下の行程をupした。

08:55 自宅発
10:00 岡崎市美術博物館『家康の肖像と東照宮信仰』展
11:20 名都美術館『響き合う美/近代日本画の精鋭たち』展
12:45-13:30 陣屋〔←藤井聡太四段が常連の美味しいラーメン屋〕にて昼食
14:00 松坂屋 本店&北館〔野暮用〕
15:00 愛知県芸術劇場 concert hall『ガラCo. 宮田大(Vc) 植村太郎(Vn) 小山実稚恵(Pf)
 [1] J. Brahms/ 大学祝典序曲 Op.80
 [2]同/ Violin Violoncello の為の協奏曲 イ短調 Op.102
 [3] F. Chopin Piano協奏曲第1番 ホ短調 Op.11
17:10 演奏会終了後、Concert hall ホワイエでの小山実稚恵サイン会でprogramと著書『点と魂と〜スイートスポットを探して〜』にsignをして貰い、握手迄して貰った。

  家康と歴代将軍の肖像画を見て、
  近代日本画 の名作の数々を見て、
  美味しくて超人気のラーメンを食べて、
  Classicの名曲を聴いて、
  一流artist 小山実稚恵さんにsignを貰って、今日も充実した一日だった

【岡崎市美術博物館『家康の肖像と東照宮信仰』展】
 本展では、徳川記念財団の所蔵資料を中心に、京都知恩院をはじめ家康ゆかりの寺社に伝わる家康の肖像を展示し、図様の変遷や制作意図を探ると共に、歴代将軍の肖像がを一堂に会し、その実像に迫る。
 更に日光東照宮をはじめ、大樹寺や滝山東照宮など県内寺社の資料に拠り、東照宮信仰のあり方について紹介する。
 〔以上、本展leafletより引用〕

[01]岡崎市美術博物館入口

[02]本展leaflet/絵は 四代木村了琢筆『東照大権現像』(部分) 天海賛 江戸時代(17世紀) 徳川記念財団
                  
[03]『東照大権現坐像』江戸時代前期 大樹寺

[04]『東照大権現像』1702(宝永02)年 愛知・瀧山寺
                  
[05]『徳川家康坐像』【重文】江戸時代(17世紀) 京都・知恩院

[06]『東照大権現像』江戸時代(慶安04(1651)年 徳川家光の命により幕府により建立された鳳来山東照宮の正遷宮の際、幕府より奉納されたと伝わる) 愛知・鳳来山東照宮
                  
[07]伝 狩野探幽筆『東照宮御影(霊夢) 四月十七日拝礼』江戸時代(慶安元(1648) 1216) 徳川記念財団

【小生comment
 徳川家康像が沢山現存するのは、東照大権現として神格化され各地に東照宮が建立されたからである。
 家康像を一つひとつ見乍ら、実際の家康に最も似ていたのはどれなんだろうと考えを巡らした楽しいひとときであった。

■今日最後にお届けするのは、最近読んだ水野和夫著『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』についてである。
 本書は、以下の6つの章からなる。

第一章/「国民国家」では乗り越えられない「歴史の危機」(P. 015)
※ 利潤追求の企業が社会秩序を乱す(P. 041)‥国民国家の黄昏が何を示すかと言えば、国家が資本の下僕となり、国民と国家が分離するという状態 / 利潤が低下する現代に於いて、国家をも支配下に置きつつある資本が権力を握っている訳だから、国民国家を強化する道は困難を極める(P. 043)
※ 18世紀の動力革命が民主主義を成功させた(P. 060)17世紀の科学革命で生まれた「合理性」と、18世紀後半~19世紀の「動力革命」に拠って実現した「より遠く、より速く」を合わせた「より遠く、より速く、より合理的に」という理念こそが近代資本主義の本質 /「産業革命=動力革命」に拠って、近代資本主義は成長の為の3条件を手にした / これは、「相次ぐ驚異的な発明・応用という技術の驚異的進歩が、倫理・政治・社会・経済の諸問題を解決するのだ」というC. シュミットの言う「技術進歩教」の始まりでもあった(P. 061)
民主主義か資本主義かの二者択一(P. 065)‥「つくれば売れる」という「セイの法則」が成立しない現代では、資本主義と民主主義が結合することはない / 成長を追い求めれば、そのツケは民主主義の破壊となって現出する / 国家の中で「国家の民」と「市場の民」が分断されて仕舞った今、民主主義が機能する筈はない(P. 065)

第二章/ 例外状況の日常化と近代の逆説(P. 071)
※ 平和時の金利はおよそ25(P.072)5%以上の金利は「戦争」という例外状況の時に実現し、2%以下となる時は、資本主義にとっては投資先がないという例外 / 日本の高度成長は、第二次世界大戦からソ連解体迄の「戦時下」で(あった為)、高度成長を実現出来た(P. 076)
※「便利さ」と「合理性」追求のなれの果て(P. 092)‥ゼロ金利は、13世紀に始まった資本の自己増殖の停止を意味する / 此処に「資本主義」は大きな矛盾を抱えることになる / 即ち、「資本主義」は資本が自己増殖していくprocessなのに、債券市場はむこう10年間、資本は増えないと予想しているからだ
【※ 195070年代前半の米国の黄金時代を現出したのは戦争だった!】(P. 98-99)1950年代から1970年代前半にかけて現出した「黄金時代」は、その直前に第二次世界大戦があり、その時に(1)富裕層所有の機械設備が戦争で破壊された外的shock(2)国家総動員をsloganにしたからこそ可能ならしめた富裕層への課税強化、という格差を縮小する動きがあった為だ /「近代の理念が実現」して「中産階級」が生まれたのではなく(中略)、「戦争」があったからだった / 近代が生み出した「合理性」という概念は、資本が「合理性」を独り占めし(て仕舞っ)

第三章/ 生き残るのは「閉じた帝国」(P. 101)
※ 日本の超低金利が示す近代システムの終焉(P. 108)‥利潤を得る為の「実物投資空間」は必ずいつか「有限」となる(中略) / 私たちは「実物投資空間」が「無限」であるという「幻想」を抱き、信じて来た / しかし、それが21世紀になって「幻想」であったことがあらわになって来た(P. 111)

【ゼロ金利が意味するもの】‥ゼロ金利は「これ以上投資して資本を増やす必要がない」というsign (中略)/ 金利は消費者からすれば、almightyである貨幣を手放す報酬、即ち消費を我慢する代わりに受け取る報酬、だから「金利ゼロ」は「理想の社会が実現」したことになる / このことはKeynes(1883-1946)が『一般理論』の中で、金利生活者、即ち「資本家階級の『安楽死』」と称している(P. 137)
※ 秩序とは何か―生命の安全・財産保護・信義―(P. 137)‥西ローマ帝国滅亡の原因となったフン族に追われたゲルマン民族の大移動は、当然最も豊かな地へ向かった (中略) / この最初の「歴史における危機」からの教訓は、「中心」と「周辺」からなるsystemが、「周辺」が「中心」に入ってくれば維持出来なくなり崩壊するということ(語っている) / これは20世紀末以降の現代でも同じ(=シリア難民のEUへの移民問題など)(P. 140)
※ 米国「無限(金融・資本)」帝国とEU「有限」帝国(P. 140)‥経済圏が閉じない儘、世界のglobalizationが更に深化し、「資本帝国」が世界中で富を収奪すればする程、経済どころか、安全や秩序が脅かされる /「資本帝国」の収奪を防ぐ為には、経済圏を「閉じる」方向に舵を切る必要がある(P. 141)

第四章/ ゼロ金利国・日独の分岐点と中国の帝国化(P. 143)
(中国の)設備bubbleの崩壊はこれから遣って来る(P. 164)
※ 近代を始めたばかりの中国(P. 170)globalizationの進んだ現代では、新興国のcatch upも早い / 1997年から日本のデフレが始まっている為、中国が今デフレになっても不思議ではない / 現に中国の消費者物価は2011年 前年比5.4%増→2016年 同2.0%増迄鈍化 / 近代化最後の国 中国がデフレになる時、資本主義はその最終局面に入ることになる(P. 171) / 先進国は既にデフレ状態だから、此処にBRICsが加われば、世界デフレはほぼ完成 / その時、中国を含めて世界の金利がゼロ、ないしminusとなる時代が到来するだろう / その時、中国は近代=成長の時代が終わる可能性が高い(P. 174)

第五章/「無限空間」の消滅がもたらす「新中世」(P. 175)
※「無限空間」の消滅が齎す「新中世」(P. 193)‥コペルニクス革命が「無限空間」を用意し、全ての国民の欲求を表に出すことが許される市民革命起きたからこそ、「主権国家system」と「資本主義」が両立していた / 翻ってfrontierが消滅した現代は、「無限空間」という前提条件が崩れているから、「近代system」はもう成立しない / それでも「近代system」を続ければ、「国民国家」と「資本主義」が本来抱えている矛盾がより激化した形で現れる / 即ち国境を越えて不平等やそれに起因する紛争が拡大し、「主権国家system」という枠組みを破壊して仕舞う(中略) /「無限空間」を失った私たちにとってのhintは「有限空間」を前提にしている「中世」にあるのではなかろうか
※ 多発する中世的現象(P. 195)‥先進各国の人口減少、経済の長期停滞、ゼロ成長も実に中世的である / 西ローマ帝国滅亡(475)~中世が終わる(16世紀)迄の約1000年間の、世界の一人当たりGDP成長率は、僅か年率0.03%、これは1000年間で1.35倍の成長でしかなかった / 中世は成長しない社会だったのである(P. 196)
※ 東芝とフォルクスワーゲンが示した逆説(P. 210)‥これ等日本とドイツを代表する二つの大企業ですら、最早不正をしないと株主が期待するlevelの利益を得られなくなっている / アベノミクスも同様 / 経済成長を目指した結果、労働者の実質賃金は一貫して下がり続け、儲かったのは資本家と経営者だけ / GDPも上がっていない / もう近代は終焉を迎えているのだから、近代の目標を掲げた処で、事態は益々悪化するばかり / だから私たちは、自覚的に定常状態を目指していくべき(P. 211)
※ 地域帝国の時代(P. 212)
※ 地域帝国と地方政府の二層system(P. 214)
※ 資本主義でない「市場経済」を取り戻す(P. 216)

第六章/ 日本の決断―近代システムとゆっくり手を切るために(P. 221)
※「定常状態」実現の為の3つのハードル(P.237)(1)財政の均衡/(2)energy問題=脱石化燃料→生成可能energyへの転換/(3)「地方政府」を視野に入れた地方分権化
※「より近く、よりゆっくり、より寛容に」(P. 240)

[08]水野和夫著『閉じていく帝国と逆説の21世紀経済』
                  
【小生comment
 水野氏の分析は明快で、多くの文献を読み込み、歴史的根拠を基に述べているので説得力がある。
 Keynesが『一般理論』の中で、金利生活者、即ち資本家階級の「安楽死」と称している(P. 137)点を引用している処も興味深い。
 「経済成長を目指した結果、労働者の実質賃金は一貫して下がり続け、儲かったのは資本家と経営者だけ / GDPも上がっていない / もう近代は終焉を迎えているのだから、近代の目標を掲げた処で、事態は益々悪化するばかり」という、この指摘も尤もである。
 そして、今後、私たちが目指す道として水野氏が示された「定常状態」・「閉じていく帝国」という言葉で直ぐ頭に浮かんだのが「徳川幕藩体制」と「鎖国」である。
 「徳川幕藩体制」なら「定常状態」を260余年維持出来たし、「鎖国」で「閉じた帝国」を更に完全なものに出来た。
 ただ、この「定常状態」を実現していくことは、他国も「定常状態」を目指し進んでいくという担保を取らない限り、現実的には極めて難しいであろう。
 何となれば、それは日本の幕藩体制が、ペリー来航で不平等条約を締結させられ、植民地化の危機に瀕した歴史的事実を見れば明白である。
 今後の日本の進むべき途は、此れからも引き続き真面目に考えて行きたい。
 その第一歩を今回示唆してくれた水野和夫氏に改めて敬意を表したい。

【後記】【時習26回3-7の会/クラス会】は、既に別のmailでご案内した通りであるが、念のためにこの会報にてもお示しする。

   ※ ※ ※ ※ ※ 

【0812()】に変更 並びに 会場決定のお知らせ

時習26回3-7の会 Members各位

 今泉悟です
 掲題の件、お知らせします
 今朝、金子T久君からmailを頂戴し、
 「お盆休みは0812()16() 11(祝金)は会社は休みでない
 それ故、クラス会が11(祝金)なら出席出来ない」旨連絡を頂戴しまふした
 金子君は、更に
 「12()16()もまだ予定が立たないので、当該5日間でも確約はできないけど‥」
 と教えてくれました
 其処で、万年幹事の専権として開催日を0812() 1800分~に変更させて頂きます
 従いまして、今夏8月の【2637の会/クラス会】は以下の要領にて開催させて頂きます
 ご承知おき下さい
 皆さんとの再会を楽しみにしています
 因みに、10周年の昨年の参加者数が11人でしたので、今年は自然体で68人位ではないかナァ‥と思っています
 勿論、9人以上でも大歓迎ですが、過去のクラス会開催実績及び万年幹事の直感では上記人数位になれば万々歳だとみています
 それに、参加者数が8人以下ならば、全員が一つの話題で纏まり易く、クラス会に一体感が出て盛り上がると思います

  ※ 時習26回3-7の会/クラス会 開催要領 ※

1. 開催日時:20170812() 1800分~2030
2. 開催会場:Kings Kitchen
         http://www.kingskitchen.jp/
      住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
      ℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)

※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥〔了〕

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