■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0661】をお送りします。
先ず最初にお届けするのは、松尾芭蕉の俳諧芸術の集大成となる『猿蓑』についてである。「俳諧の『古今集』也。初心の人、(向井)去来が「猿蓑」より当流俳諧に入べし」(『宇陀法師』)とは、芭門十哲の一人である森川居六が『猿蓑』を評した言葉である。
森川許六の此の言葉は、当時芭蕉直門の人々一般の『猿蓑』に対する評価であった。(以上、宮本三郎著『ひさご・猿蓑』~『猿蓑』解説より)
『猿蓑集』の構成は以下の通りである。
巻之一~四が発句集で、巻之五が四季を歌仙の連句集、そして巻之六が前《会報》迄お伝えしていた「幻住庵記」他が収められている。
巻之一~四では、巻之一は『冬』で、巻頭に「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」を据え、巻之四は 『春』で、その末尾に「行く春を近江の人とお(=を)しみける」という2つの傑作で締め括っている。
巻之一『冬』以下、巻之二『夏』、巻之三『秋』、巻之四『春』という順に掲載されているのである。
季節の掲載順が、通常の「春夏秋冬」でなく、「冬夏秋春」という順にしていることに、作者の明確な意図が反映されている。
その意図とは、宝井其角が本書の序「晋其角序」で、師芭蕉翁が「猿に小蓑を着せて俳諧の神(しん)を入れ」たので、この猿が生きてたちまち「断腸のおもひを叫び」出した様だと記している。
更に其角は、本集の署名もこれに基づくし、又本集の性格もこの一句に象徴されている(‥以上、宮本三郎 校註「ひさご・猿蓑」解説(P16)より引用)と述べている。
因みに本集の性格とは、蕉風の持つ5つの理念「わび・さび・しおり・細み・軽(かる・かろ)み」のことであり、この理念が「初しぐれ猿も‥」の句に全て凝縮されている、と其角は言うのである。
※ 晋其角序
《乾》【発句集】382句‥A
※ 巻之一『冬』94句
※ 巻之二『夏』94句
※ 巻之三『秋』76句
※ 巻之四『春』118句
《坤》
※ 巻之五【連句集】『冬・夏・秋・春』4歌仙:発句4句‥B
※ 巻之六『幻住庵記』‥発句1句〔先(まづ)たのむ椎の木も有夏木立〕‥C
『題芭蕉翁國分山幻住庵記之後』〔七言律詩〕
『几右日記』35句 ‥D
※ 跋
※ 発句総数は、連句4歌仙の発句4つを含め全422句(=A382句+B4句+C1句+D35句)に及ぶ
前《会報》迄6回seriesでお届けした『幻住庵記』は、『猿蓑集』巻之六
に収録されている。
本《会報》から来春にかけて、季節に合わせて順次ご紹介して行こうと考えている。今日は、『猿蓑集』の『晋其角序』と、巻之ニ『夏』の全94句を3回に分けてその〔第1回〕としてお届けする。
【松尾芭蕉『猿蓑』〔晋其角序〕】
《原文》晋其角序
俳諧の集つくる事、古今にわたりて此道(このみち)(注1)のおもて(=面)起(おこす)(注2)べき時なれや。
幻術(注3)の第一として、その句に魂の入(いら)ざれば、ゆめにゆめみる(注4)に似たるべし。
久しく世にとゞまり(注5)、長く人にうつりて、不變の變(注6)をしらしむ。
五徳(注7)はいふに及ばず、心をこらすべきたしなみなり。
彼(かの)西行上人の、骨にて人を作りたてゝ、聲(こゑ)はわれたる笛を吹(ふく)やうになん侍ると申されける(注8)。
人に成て侍れども、五の聲(注9)のわかれざるは、反魂の法(注10)のをろそかに侍(はべる)にや。
さればたましゐの入(いり)たらば、アイウエヲよくひゞきて、いかならん吟聲(ぎんせい)(注11)も出(いで)ぬべし。
只(ただ)俳諧に魂の入(いれ)たらむにこそとて、我翁(わがおきな)行脚(あんぎゃ)のころ(注12)、伊賀越(いがごえ)(注13)しける山中にて、猿に小蓑を着せて、俳諧の神(しん)を入(いれ)たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ(注14)。
あたに懼(おそ)るべき(注15)幻術なり。
これを元として此集をつくりたて、猿みのとは名付(なづけ)申されける。
是が序もその心をとり魂を合せて、去来凡兆のほしげなるにまかせて書(かく)。
(‥俳諧は幻術(人の心を惑わす(=感動させる)術)を持っている‥)
その幻術の幻術の第一として、その俳諧に魂が入っていないと、夢の中で夢を見る様な中身のない俳句になって仕舞う。
一方、詠み手の魂が確り入った俳諧であれば、長く世に留まり、世の中の人々に認められ、「不易流行」となって、根本は不変であり乍ら時々の新風が取り入れられていくのだ。
俳諧の道を進むには、俳諧の五徳は言う迄もないことだが、嗜(たしな)み(=習熟していること)が求められる。
あの西行上人が、人の骨を集めて人を作りあげてみたものの、声は割れた笛を吹く様にヒューヒューとか言ったという。
人の姿になっても、アイウエヲがはっきり発音出来なかったのは、死者に魂を入れることが出来なかったからだ。
だから魂を入れれば、アイウエヲの発音もよく響いて、どの様な詩歌・俳諧も生まれて来よう。
純粋な気持ちで俳諧に魂を入れようと、我々の師匠 芭蕉翁が、俳諧行脚に伊賀越えをしている最中、その山中にて、寒そうに蹲(うずくま)っている猿に小蓑を着せることを着想し、俳諧の心を集中させると、瞬時に断腸の声を上げたのだった。
芭蕉俳諧は、正に甚だ恐ろしい幻術なのだ。
この猿に小蓑を着せる想像上のepisodeを元にして此の俳諧集をつくり、この俳諧集の名を『猿蓑(さるみの)』とすると芭蕉翁(1644-1694)は申された。
私(宝井其角(1661-1707))が筆を執ったこの序文もその芭蕉翁の心を慮(おもんぱか)って、心を翁と一体にして書いた(つもりである)。
猿が小蓑を欲しがった様に、向井去来(1651-1704)と野沢凡兆(1640-1714)が、此の俳諧集を欲しそうにしているのを横目に見乍ら‥。
《語句》
(注1) 此通:「俳諧」のこと(注2) おもてを起こす:面目を施す
(注3) 幻術:人の目をくらます妖術 / 手品
(注4) ゆめにゆめみる:「旅の世にまた旅寝して草枕【夢のうちにも夢を見る】かな(千載集八)」より‥正体ない句を指す
(注5) 久しく世にとゞまり:「魂の入ざれば、ゆめにゆめみるに似たるべし」に呼応し、「魂の入れば、久しく世にとゞまり」と解釈する
(注6) 不變の變:不変は「不易」、変は「流行」/ 芭蕉の説く「千歳不易、一時流行」の節を指す
(注7) 五徳:「俳諧の五徳」のこと
斎藤徳元著『俳諧初学抄』に、「俳諧には連歌の徳の外に、五つまさりたる楽しみ侍るとかや
第一、俗語を用(ふ)る事
第二は、自讃し侍りてもおかしき事
第三、取りあへず興をもよほす事
第四、初心のともがら学び安くして和歌の浦なみに心をよせ侍る事
第五には、集歌・古事・来歴分明ならずとも、一句にさへ興をなし侍らば何事をも広く引寄せて付け侍るべき事
是、五の徳なり」とあるのを一般に「俳諧の五徳」とする。
猶、斎藤徳元(さいとう とくげん(1559~1647))は、江戸初期の俳人 / 美濃国出身 / 織田信長の摘孫 織田秀信(1580-1605)(幼名:三法師)に仕えたが、関ヶ原の戦に敗れ、後、江戸にて俳諧に専念
(注8) 彼西行上人の、骨にて人を作りたてゝ、聲はわれたる笛を吹やうになん侍ると申されける:『撰集抄/高野参の事 付 骨にて人を造る事』に
「鬼の人の骨取集て、人に作なす様、可レ信人のおろおろ語侍しかば、其まゝにして広野に出て、骨をあみ連ねて、造て侍れば、人の姿には似侍しかども、色あしく、すべて心もなく侍き。声は有ども、絃管声のごとし。げにも人は心がありてこそは、声はとにもかくにもつかはるれ。たゞ声の出べきはかりごとばかりをしたれば、ふきそんじたる笛のごとし。大かた是程に侍るもふしぎなり。」
と西行がその後都にて、伏見前中納言師仲卿のもとに参り事の次第を語って尋ねると、それは「反魂の秘術」の修行がまだ未だ浅いのだと言われ、その法を教えられたことが見える
猶、『撰集抄』(せんじゅうしょう)は、作者不詳の説話集 / 跋文に寿永02(1183)年 讃岐国善通寺にて作成とある / 江戸時代迄は西行の自作と信じられた
(注9) 五の聲:アイウエオの五音をいう / 五音を確り発音出来なかったというのは、死者に魂を入れることができなかったからだ。
(注10) 反魂の法:死者の霊魂を呼び反(かえ)す秘術・秘法
(注11) 吟聲(ぎんせい):詩歌・俳諧のこと
(注12) 我翁行脚のころ:芭蕉は元禄02年09月24日、伊勢から伊賀越えの折に「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句を得た / この句を巻之一の巻頭句とし、集名も『猿蓑』と名付けた
(注13) 芭蕉は、奥の細道の旅の後、元禄02年09月、伊勢神宮外宮の遷宮式に参詣後、同月下旬伊勢国久居を経て、伊賀上野へ帰郷した
その途上、長野峠付近で、「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」の句を詠んだ
(注14) 猿に小蓑を着せて、俳諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ:寒そうにしている猿に小蓑を着せることを想像し、俳諧の心を集中させると、瞬時に断腸の声を上げた
(注15) あたに懼るべき:「あたおそろし」等の「あた」は、「甚だしい」の意
(注16) 元禄辛未歳五月下弦:元禄04年05月下旬 / 下弦:下旬
(注17) 雲竹:北向氏 / 京都の書家 / 通称:八郎右衛門 / 名:正実 / 諱:林観 / 号:大虚庵など / 剃髪して雲竹法師
大師流の書家として芭蕉の書風に影響を与えた / 元禄16年05月12日(1703年06月25日)没 (享年72歳)
【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第1回〕】
猿蓑集 巻之二 夏
01有明の面(おもて)おこすやほとゝぎす 其角
【意】春の有明に西の空を見れば有明の月が山の端に残っている
/ 時鳥の鳴き声が聞こえる方を眺めれば‥と、百人一首の情景を思い起こしていたら、本当に時鳥の声がした / 有明の月が面子をほどこした様だ【解説】小倉百人一首81:後徳大寺左大臣 藤原實定(1139-91)「時鳥鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる」(『千載集』夏・161)に典拠
02夏がすみ曇り行衛(ゆくゑ)や時鳥(ほととぎす) 木節
【意】夏霞が曇っている / その霞の中にホトトギスが吸い込まれる様に飛んで行き、行方が見えなくなった
03野を横に馬牽(ひき)むけよほとゝぎす 芭蕉
【意】折からホトトギスが、一声けたたましく鳴きながら野原を横切った
/ そのホトトギスの声がした方向へ「馬の轡(くつわ)を牽き向けよ」【解説】芭蕉は、黒羽(大関氏18千石)にて「奥の細道」の旅中で最長の14日間逗留 / 城代家老・浄法寺図書高勝(俳号:桃雪・秋鴉)・翠桃兄弟宅を拠点に数々の名所・旧跡を訪ね巡った / 元禄02年04月16日 下野国の黒羽から那須野の原を横切り、殺生石を見に行く途中での即興の作品
04時鳥けふ(=きょう)にかぎりて誰もなし 尚白
【意】ホトトギスがしきりと鳴く声が聞こえて来る / こんな格好な日に限って誰も居合わせないのだから勿体ないことだ
05ほとゝぎす何もなき野ゝの(=の)門ン構(もんがまへ) 凡兆
【意】ホトトギスが見渡せど何も無い野原に鳴いている / そんな野原に堂々とした門構えの家が一軒在る
06ひる迄はさのみいそがず時鳥 智月
【意】昼頃迄は然程忙しそうに鳴くこともないナ、ホトトギスは‥
07蜀魂(ほととぎす)なくや木(こ)の間(ま)の角櫓(すみやぐら) 史邦
【意】ホトトギスが鳴いている方を目を遣ると、木々の間から城郭の隅櫓が見える
08入相(いりあひ)のひゞきの中やほとゝぎす 羽紅
【意】入相地の鐘の響きに調和す様にホトトギスが鋭く鳴いて飛び去って行った
09ほとゝぎす瀧(たき)よりかみのわたりかな 丈艸
【意】瀑布の流れ落ちる轟音に負けない、けたたましいホトトギスの鳴き声が聞こえ、そして消えて行った
/ 上流の方へ飛び去って行った様だ
10心なき代官殿(どの)やほとゝぎす 去来
【意】ホトトギスが鳴く風情のある季節だというのに、職務に忠実な代官殿は、風流とは縁遠く無縁な方であることだナ
11こひ死(いな)ば我(わが)塚(つか)でなけほとゝぎす 遊女 奥刕(=奥州)
【意】私が失恋して死んだなら、ホトトギスよ、私の墓に来て鳴いておくれ【解説】白雪編『俳諧曽我』(元禄12年刊)に、この句と「人に顔 見られて化粧ふ 暑さ哉 / つた」なる句を番(つが)えた句合(注1)を収め、「かれは嶋原の太夫、これは赤坂の出女、なさけは同じ女武者」とある
(注1)句合(くあわせ):俳諧の発句を左右の両組から1句ずつ出して、判者がその優劣を決める催し / 又、衆議判(しゅぎはん)の場合もある
松嶋一見の時、千鳥もかるや鶴の毛衣(けごろも)とよめりければ
12松嶋や鶴に身をかれほとゝぎす 曾良 【意】松島の島々を鳴き乍ら渡って行くホトトギスよ、この素晴らしい景色に相応しくある為には、鶴に姿を借りて飛んでくれたらなぁ
【解説】「前書」は、鴨長明『長明無名抄』の中の逸話に拠る /『猿蓑』の最古の全注釈書『猿蓑さがし』(柯坊空然著(文政11(1828)年刊))には「前書」の典拠となる祐盛法師の歌を「身にぞしる 真野の入江に 冬の来て 千鳥もかるや鶴の毛衣」としている
この句は『奥の細道』「松島(元禄02年05月9~10日(1689年06月25~26日))」に載っている
13うき我をさびしがらせよかんこ鳥 芭蕉
【意】心憂いている私を、一層寂しくさせくれ、閑古鳥よ【解説】西行の「とふ人も 思ひ絶えたる 山里の さびしさなくば 住み憂からまし(【意】訪れる人もないと断念した山里であるが、この淋しさがなかったら住みにくいことであろうなぁ(←「さびしさ」があるので、山里も住み憂くない、と山里の閑寂な暮らしを愛する歌))」(山家集)を踏まえる
猶、初案は、「憂き我を さびしがらせよ 秋の寺」だった / 季題:「【秋】の寺」→【夏】「閑古鳥」へ / 『奥の細道』の旅を終えた芭蕉は、大垣から伊勢神社外宮遷宮に向かう途上、「大智院(三重県長島町)」に立ち寄りこの句を詠んだ / かんこ鳥:郭公(カッコウ)
2017年5月14日付【時習26回3-7の会 0652】~「松尾芭蕉『嵯峨日記』〔第1回〕【元禄四年辛未卯月十八日~廿二日】」ご参照
http://si8864.blogspot.jp/2017/05/26-065210504-1.html
旅館庭せまく、庭草を見ず
14若楓(わかかえで)茶(ちゃ)いろに成(なる)も一(ひと)さかり 膳所曲水【意】楓の若芽がうす茶色に光っている / やがていまが盛りと燃え立つ新緑に伸びていく、それも一時のことだが
【解説】『嵯峨日記4月22日』の条に、「廿二日 朝の間(あひだ)雨降(あめふる)。〔中略〕乙州(おとくに)(注1)ガ武江(ぶかう)(注2)より歸(かへ)り侍(はべ)るとて、旧友(きういう)・門人の消息(せうそこ)(注3)共(ども)あまた届(とどく)。其内(そのうち)、曲水(きよくすい)(注4)状(じやう)ニ、予(よ)ガ住(すみ)捨(すて)し芭蕉庵(ばせうあん)(注5)の旧(ふる)き跡、尋(たずね)て、宗波(そうは)(注6)に逢(あふ)由(よし)。〔中略〕又いふ、「我が住(すむ)所、弓杖(ゆんづゑ)二長(ふたたけ)(注7)計(ばかり)にして、楓一本(ひともと)より外(ほか)は青き色を見ず」と書(かき)て、」に続いてこの句がある。つまり、膳所藩江戸藩邸内の菅沼曲水の住居も狭いこと述べ、庭の木は楓の木が一本あるだけだと言う文を【前書】に見立てている。
(注1) 乙州:大津の門人川井又七 / 荷問屋 / 江戸・金澤などを商用で往来した / (注2) 武江:武蔵国江戸 / (注3) 手紙 / (注4) 曲水::記述の膳所本多藩士菅沼曲水 / この頃は江戸詰 / (注5) 芭蕉庵:江戸深川の芭蕉庵 / 元禄02年3月 奥羽への旅立ちの際、人に譲ったもの / (注6) 宗波:芭蕉庵近くの禅僧で芭蕉と交流があった/江戸本所の定林寺の住職か / 貞享04 (1687)年『鹿島詣』の旅に曾良と共に同行 / (注7) 弓杖二長:弓二張分長さ / 弓一張の長さは普通7尺5寸、二長は一丈(=10尺)五尺
四月八日詣慈母墓(注1)
15 花水(はなみず)にうつしかへたる茂(しげ)り哉(かな) 其角【意】母が眠る墓を覆う様に若葉の茂りがある / その茂りが手桶の水に映っている / 私はその水を汲み墓石の花入れに移しかえた
【解説】其角の母は貞亨04年04月08日死去
(注1) 四月八日詣慈母墓:四月八日は其角の母の命日(享年57歳)・妙務尼、麻布二本榎上行寺に眠る
16葉(は)がくれぬ花を杜丹(ぼたん)の姿(すがた)哉(かな) 江戸 全峯
【意】葉隠れ(=葉陰)に牡丹の花がそっと咲いている / 此んな花のほど可憐で美しいものはない【解説】全峯は江戸の人 / 人物については不詳
別僧
17ちるときの心やすさよ米嚢花(けしのはな) 越人【意】散り際の良さで知られる芥子(けし)の花だ / そんな芥子の花が散る様な潔い別れであることよ
【解説】前詞の「別僧」は「僧に別れる」の意 / この「僧」は路通(=八十村(やそむら)露通(ろつう))だと言われている
向井去来『旅寝論』に「越人、路通に別るる時の句と聞ぬ / 猿蓑撰候比、越人、路通を忌む / 此故に別僧の二字に改て先師にささぐ / 先師もことに興じ給ひ侍る也」とある
18知恵の有る人には見せじけしの花 珍碩
【意】散り際の良さが特徴の芥子の花だ / その理屈を十分理解解している知恵ある人に芥子の花を見せて人生の儚さを嘆かせても意味が無いので見せられない
翁に供(ぐせ)られてすまあかし(須磨・明石)にわたりて
19 似合(にあわ)しきけしの一重(ひとえ)や須磨の里 亡人 杜國【意】一重咲きの芥子花の儚さは、此処須磨の里の寂しさに似て実に似つかわしい
【解説】杜國は元禄03年03月20日(1690年04月28日)没 /『笈の小文』の旅で芭蕉と須磨明石を同行した折の吟 / この時芭蕉は、「海士(あま)の顔先(まづ)見らるるや芥子の花」と詠み芥子の花が主題となっている
20青くさき匂(にほひ)もゆかしけしの花 嵐蘭
【意】芥子の花の青臭い匂いもいいものだ
21井(い)のすゑ(注1)に浅浅(あさ/\)清(きよ)し杜若(かきつばた) 半残
【意】井戸の脇で朝露に濡れた杜若(カキツバタ)が咲いている / 実に風情があって美しい(注1) すゑ:すそ
(注2) 「浅浅」は「朝朝」の誤りか
起出て物にまぎれぬ朝の間の
22 起起(おき/\)の心うごかすかきつばた 仙花
【意】朝起きて真っ先に私の心を虜(とりこ)にするは杜若の花だ
題去来之嵯峨落柿舎二句
23 豆植(まめうえ)る畑(はた)も木(き)べ屋(や)(注1)も名処(めいしょ)哉(かな) 凡兆【意】何の変哲もない豆畑も薪部屋も、此処が歌枕・嵯峨の地であると知ると、名所に思えて来る
【解説】『嵯峨日記4月22日』の条にこの句はある
(注1)木部屋:薪を入れておく場所のこと
24破垣(やれがき)やわざと鹿子(かのこ)のかよひ道 曾良
【意】垣根(かきね)が破れた場所を繕いもせずにいるのは、此処を鹿たちが通れる様に破れた儘にしているのだろう
南都旅店(注1)
25 誰(たが)のぞくならの都の閨(ねや)の桐(きり) 千那【意】―
【解説】三上千那は元禄03年05月12日、近江堅田本福寺を発ち、大和法隆寺の南無佛の聖徳太子の開帳に参詣、その手記に、「南都に入」と「前書」した「橘や奈良の都の屋根の桐」と見えるのが初案か(杉浦正一郎『新注猿蓑』参照)。但し、初案は「橘」で季語は夏季だが、単に「桐」は無季で、「桐の花」なら夏季となる
(注1) 南都旅店:奈良の旅宿
26洗濯(せんたく)やきぬ(注1)にもみ込(こむ)柿の花 尾張 薄芝
【意】若葉の季節だ / 柿の木の下で洗濯をしていると柿花が落ちて来た
/ 丁度、柿花を洗濯物の衣服の中に揉み込む様な具合に【解説】尾張 薄芝については不詳
(注1) きぬ:「衣」=衣服
豊国にて
27 竹の子の力(ちから)を誰(たれ)にたとふべき 凡兆【意】豊国廟の跡地周辺に、筍がニョキニョキ生えて来ている / この筍の逞しさを誰にたてようか、勿論、太閤さんだ!
【解説】「前詞」の「豊国」とは言うまでも無く豊臣秀吉を祀った「豊国廟」/ 京都東山阿弥陀ヶ峰の裾にあったが、徳川家光によって破壊された / 此の句は、その荒廃した豊国廟跡に生えた筍の底力に感嘆した句
28たけの子や畠隣(はたけどなり)に悪太郎(あくたろう)(注1) 去来
【意】我が家の竹薮に筍が顔を出し始めた / 近所にいたずら小僧がいるので、筍を抜いたり折ったりしないだろうか心配だ(注1) 悪太郎:いたずら小僧
29たけのこや稚(をさな)き時の繪(え)のすさび(注1) 芭蕉
【意】筍を見ると、手習いで竹の子を描いた懐かしい子供時代が思い出されることだ【解説】「嵯峨日記 四月廿三日の条」にこの句はある
(注1) すさび:「手遊び(てすさび)」=てあそび、てなぐさみ、てすさみ
30猪(いのししに)に吹(ふき)かへさるゝともしかな 正秀
【意】夏の夜、鹿狩りをしていると吃驚した猪が照射(=ともし)の炎を吹き消す様な凄い勢いで逃げ去って行った【解説】夏の夜、山中の木陰に篝火(かがりび)を焚き、又は火串(ひぐし)に松明を灯して、寄って来た鹿を物陰から射る「鹿狩り」
(注1) ともし:「照射」「灯し」 / 夏の夜に鹿狩りをするのに使う松明のこと
明石夜泊
31 蛸壺やはかなき夢を夏の月 芭蕉
【意】夏の月が照らす明石の海底で、明朝には捕らわれる運命とは知らぬ蛸が、蛸壺の中で短夜の儚い夢を見ていることだろう【解説】『笈の小文』所収 /蛸の滑稽味と、明日の命も知らぬ蛸の身の悲哀が、この句を昇華させている / 貞享05年04月25日付、惣七宛芭蕉書簡に拠れば、芭蕉はこの旅で、須磨一巡後、明石迄行き、又須磨に引き返して一泊しているので、明石には泊まっていない / 蛸は明石の名産 / 「夏の月」は、夏の短夜の明け易い月だから、古俳諧では「儚さ」を言葉自身に纏っている(山本健吉『芭蕉/全発句』)
32君が代や筑摩(つくま)祭も鍋(なべ)一(ひと)ツ 越人
【意】今上天皇の御世は、風俗改まり、女性たちの操正しく、女たちは皆土鍋一つしかかぶっていないことだ【解説】「筑摩祭」は、陰暦四月一日に行われる近江坂田郡筑摩明神の祭礼 / 村の女たちが自分が契った男の数だけ土鍋を被(かぶ)って奉納するという風習があった
今上天皇治世の良し悪しなど村の女たちには無関係だったと思われるが‥
【小生comment】
芭蕉俳諧の集大成とも言える『猿蓑』の逐条解説になるが、小生自身も大変勉強になる。これから、巻之四『春』を来春お届けし終える迄、折々ご紹介して行こうと考えている。
一年間程のお付き合いとなるが、宜しく!
■さて次の話題は、昨日07月08日に訪れた2つの美術(博物)館、愛知県芸術劇場concert hallの模様の中から、まだご紹介してなかった2つ、名都美術館『響き合う美/日本近代日本画の精鋭たち【前期】』展と、同日15時00分から愛知県芸術劇場concert hallにて開演された「名古屋国際音楽祭/ガラ・コンサート」についてである。
【名都美術館『響き合う美/近代日本画の精鋭たち【前期】』】
本展は、「近代日本画の中心地として花開いた東京画壇、京都画壇を、当館が誇る所蔵品の優品に拠って紹介する企画展」と、《ごあいさつ》で自信を以て紹介しているだけあって、流石粒よりの傑作展であった。訪れた07月08は、当企画展【前期】展の最終日一日前で、【後期】展が07月11日(火)~08月06日(日)にかけて総入れ替えに近い状態で開催される予定である。
[01]名都美術館入口の本企画展案内
[02]本展leaflet
[03]山口華楊『制空』1944年
[04]川合玉堂『清流雪景(清流釣魚・雪山蒼崖)』1942年頃
[05]富田渓山『月下紅白梅』制作年不詳
[06]橋本関雪『玄猿図』1940年
[07]横山操『朱富士』1965年頃
【小生comment】
本展の展示作品は、思っていた通りの傑作ばかりであった。こうなると【後期】も是非見たくなった。
07月22日(土)に歯の検診に行く予定であるので、その時、見て来るつもりである。
【愛知県芸術劇場
concert hall『ガラCo. 宮田大(Vc) 植村太郎(Vn) 小山実稚恵(Pf)』】
演奏曲目は、以下の3曲。2曲目のBrahmsのdouble concertoのsoloistにviolin植村太郎、violoncello宮田大を、3曲目のChopin の Piano Concerto No.1 のPianistに小山実稚恵の3氏を迎えての演奏会。
川瀬健太郎の指揮、名古屋フィルハーモニー交響楽団がorchestra。
3氏共に大変上手い演奏で、楽しいマチネを堪能した。
[1] J. Brahms/ 大学祝典序曲 Op.80
[2]同/ Violin と Violoncello の為の協奏曲 イ短調 Op.102
[3] F. Chopin/ Piano協奏曲第1番 ホ短調 Op.11
[08]愛知県芸術劇場concert hall入口にて
[09]小山実稚恵さんのsign入りのprogramと著書『点と魂と』
17:10頃から、小山実稚恵氏のCD・書籍・program購入者にsign会がBuffetにほど近い Concert hall ホワイエにて催された。
この歳で結構ミーハーの小生、小山実稚恵さんにprogramと著書『点と魂と〜スイートスポットを探して〜』にsignをして貰い、握手迄して貰った。
この日は、「家康と歴代将軍の肖像画」を見て、「近代日本画 の名作の数々」を見て、「美味しくて超人気のラーメン」を食べて、「Classicの名曲」を聴いて、「一流artist 小山実稚恵さんのsign」を貰って、充実した一日を過ごすことが出来た。
旧行時代の同期生の結束力は結構強く、正月明けの新年会と、07月の暑気払いの飲み会を年2回、ゴルフコンペを5月と11月のこれも年2回、もう20年以上前から開催し続けている。
気の置けない同期生24人が一堂に会して、束の間の楽しいひとときを過ごした。
最近の話題は、専ら健康についてである。
皆、銀行員時代は、結構頑張った面々なので、身体の其処此処にガタが来ている者が大半だからの様だ。
かく言う小生も、心房細動と大腸癌が既往症である。
一病息災で、健康長寿を全うしたいと、同機の仲間と会う度に語り合い、又の再会を約束して散会している。
[10]53の会 記念写真 at 金山・名古屋 20170714
【後記】【時習26回3-7の会/クラス会】について、念の為に「開催要領」をこの《会報》にてもお示しする。
※ 時習26回3-7の会/クラス会
開催要領 ※
1. 開催日時:2017年08月12日(土) 18時00分~20時30分
2. 開催会場:King’s
Kitchenhttp://www.kingskitchen.jp/
住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)
では、また‥〔了〕
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