2017年7月23日日曜日

【時習26回3−7の会 0662】〜「松尾芭蕉『猿蓑』から〔巻之二〕『夏』〔第2回〕」「072月8日:愛知県芸術劇場大hall『イングリッシュ・ナショナル・バレエ「コッペリア」』を見て聴いて」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0662】をお送りします。
 先ず最初にお届けするのは、前《会報》に引き続き松尾芭蕉の『猿蓑』についてである。
 早速ご紹介したい。

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之二〕『夏』〔第2回〕】

 猿蓑集 巻之二     夏

五月三日、わたまし(1)せる家にて
33()ね葺(ふき)と並(ならん)でふける菖蒲(しょうぶ)(かな)  其角
【意】前詞の「わたまし」というのは「転居」のこと。【前書】にある通り、此処に登場する人物は、端午の節句の前の三日に引越しをした / 処が、新居の屋根がまだ噴き終えてなかったのである / 引越後2日経った五月五日には「端午の節句」となったので、此の節句の行事である菖蒲葺きを、屋根葺きと一緒に行った
【季語】菖蒲ふく:夏
【解説】「五月三日、わたまし(1)せる家にて」の【前書】がある / 此の句に登場する人物は、意識的に「物語風」に語られている
(1) わたまし(移徙・渡座):御移転・御転居 / 当初、貴人が移転することの尊敬語 / 後に敬意を失い、単に「転居・移転」を意味する言葉となった

34(ちまき)()ふかた手にはさむ額髪(ひたひがみ)(1)  芭蕉
【意】粽を一所懸命作っている女性には、前髪のずれてくるのが気になるので耳の後ろに髪を差し挟んでいる‥そんな様(さま)は女性らしくて美しく感じられることだ
【解説】元禄04年夏、芭蕉が「『猿蓑』に「物語」の句が少ないというのでこの句を入れた」と『去来抄』にある /『源氏物語』に登場する女房が粽(ちまき)をテキパキと作っている甲斐甲斐しい女性像を想像して詠んだものとされる
(1)額髪(ひたひがみ):前髪で二つに分けて左右の頬(ほお)の辺りに垂らし、肩の辺りで切り揃えたもの〔源氏物語「総角(あげまき)」〕

35隈篠(くまざさ)の廣葉(ひろば)うるはし餅粽(もちちまき)  江戸 岩翁
【意】粽(ちまき)を包むクマザサの大きな葉は緑色で美しく香りもいい
【解説】―

36さびしさに客人(まらうど)やとふまつり哉(かな)  尚白
【意】誰も来てくれない祭りの日 / 寂しいので他家の客に来て貰い一緒に一杯やっている
【解説】―

  五月六日大坂うち死の遠忌を弔ひて
37大坂や見ぬよの夏の五十年(ごじゅうねん)  伊賀 蝉吟
【意】大阪夏の陣で亡くなられた祖父の50回忌法要が営まれたが、見たこともない人なのだ祖父は‥
【解説】「五十年」は五十年忌 / 蝉吟の祖父 藤堂良勝は大坂夏の陣で徳川方の武将として参陣したが、慶長20(1615)0506日に戦死した / 蝉吟は祖父を知らない / だから、「見ぬ世の人」

奥刕(=奥州)高館(たかだち)(1)にて
38夏草や兵(つはもの)(ども)がゆめの跡  芭蕉
【意】夏草が茂る義経ゆかりの高館の跡に立っていると、義経主従が儚く討死したその頃のことを想像して思い浮かべて仕舞う
【解説】元禄020513(16890629) 平泉での作 / 義経主従は藤原泰衡の軍勢に責められ全員討死した / その古戦場の跡に立ち回顧して詠んだ句
(1)高館:義経の館

39(はひ)(いで)よかひ屋(1)が下の蟾(ひき)の聲(こゑ)  同
【意】此処、清風亭は紅花摘みや養蚕がいま正に多忙な時期だ / 其処にのんびり訪れた自分には、「蟇蛙(ヒキガエル)よ出ておいで、お前が丁度よい話し相手だ」よ
【解説】元禄02051727日迄出羽国尾去沢の鈴木清風亭に泊した、その時の作
(1) かひ屋:養蚕室 / 芭蕉は「かひや」を「飼屋」と捉えて詠んでいる

  此境はひわたるほどゝいへるもこゝの事にや
40かたつぶり角ふりわけよ須广明石  同
【意】蝸牛(カタツムリ)の二本の角よ、須磨と明石は「這ひわたる」程の近距離だから、お前の角で片方は須磨、もう片方は明石を指し示してみてくれよ
【解説】『笈の小文』には収録されていないが、その紀行中に詠んだ句 / 須磨と明石はいずれも風光明媚の地、「その両方の景勝地を確り振り分けて見せてくれ」と戯れて詠んだ句

41五月雨(さみだれ)に家ふり捨(すて)てなめくじり  凡兆
【意】ナメクジが五月雨の雨の中を元気に這っている / 蝸牛(カタツムリ)が殻(=)を振り払い捨てて自由になったナメクジが‥
【解説】―

42ひね麥(むぎ)(1)の味なき空や五月雨(さつきあめ)  木節
【意】新麦の収穫時期である五月雨の季節‥、この五月雨が降る日にひね麦(=古麦)を食べると流石に不味い味だ
【解説】―
(1) ひね麦:古麦のこと

43馬士(うまかた)の謂(いひ)次第(しだい)なりさつき雨  史邦
【意】五月雨(=梅雨)の季節の雨の日に旅に出る際、馬を頼むと、運賃などは馬方(うまかた)の言いなりになって仕舞うことだ
【解説】―

奥刕(=奥州)名取の郡に入(いり)て、中将実方の塚はいづくにやと尋(たずね)侍れば、道より一里半ばかり左リの方、笠嶋といふ處に有(ある)とをしゆ(=)

  ふりつゞきたる五月雨いとわりなく打(うち)(すぎ)るに
44笠嶋やいづこ五月(さつき)のぬかり道  芭蕉
【意】藤中将実方の塚は何方だろうかと見やるだけで通り過ぎて仕舞うのは甚だ残念だが、このぬかり道ではやむを得まい
【解説】元禄020504(16890620) / 此の日のことを、曾良が旅日記で次の様に記している
 四日 雨少止。辰の尅、白石ヲ立。折々日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。(以下略)
 午前0 8時頃、白石出発 / 小雨もこの頃には止み、薄日も射し始めた / 岩沼で竹駒神社参詣 (以下略した処を現代訳して記す)
 その別当 真言宗寶窟山竹駒寺の後に武隈の松がある。竹垣で囲ってある。その辺りを見物。
 笠島は少し遠いというので見ずに通過。名取川を渡り、仙台の南となる長町・若林川を渡り、夕方仙台に到着。
 この夜は、仙台・国分町大崎庄左衛門宅に宿泊。
猶、『奥の細道』では、「笠嶋【は】いづこさ月(さつき)のぬかり道」と掲載されている

 大和紀伊のさかひはてなし坂(1)にて、往来の順礼をとゞめて奉加すゝめけ れば、料足(2)つゞくり(3)つゝみたる紙のはしに書つけ侍る
45つゞくり(2)もはてなし坂や五月雨(さつきあめ)  去来
【意】幾ら道普請をしても、この五月雨では文字通り「はてなし(=果てしない)坂」だ
【解説】元禄03(1690)年夏、叔母 田上尼と共に熊野巡礼に出た折の吟と伝わる
(1) はてなし坂:大和吉野郡南十津川村果無山に通じる坂道 / 熊野神社本宮への道 /「果てしがない」意味にも言いかけた
(2) 料足:銭
(3) つゞくり:道普請(=道路工事)

46髪剃(かみそり)や一夜(いちや)に金情(さび)(1)て五月雨(さつきあめ)  凡兆
【意】五月雨(=梅雨)の季節は、五月雨が降れば、剃刀は一夜で錆びて仕舞う
【解説】―
(1) 金情(さび)て:「金精て」の誤字

47日の道(1)や葵傾くさ月あめ  芭蕉
【意】五月雨が降っている / そんな雨降りの中、太陽は出ていないが、葵の花が太陽の方向を向いて咲いている
【解説】正確には、此処でいう「葵」が「向日葵(ヒマワリ)」か「蜀葵(タチアオイ)」か不明だが、江戸時代の元禄期では恐らく「蜀葵」を指しているものをみられる
(1) 日の道:太陽の通る道=黄道

48縫物(ぬひもの)や着()もせでよごす五月雨(さつきあめ)  羽紅
【意】何もかも黴(かび)て仕舞(しま)う五月雨の季節 / 仕舞って置いた着物が黴て汚れて仕舞った
【解説】―

七十余の老醫みまかりけるに、弟子共こぞりてなくまゝ、予にいたみの句乞ひける。
  その老醫(1)いまそかり(2)し時も、さらに見しれる人にあらざりければ、哀にもおもひよらずして、「古来まれなる年にこそ」といへど、とかくゆるさゞりければ
49六尺(ろくしゃく)(3)も力(ちから)おとしや五月(さつき)あめ  其角
【意】やゝ不謹慎な話だが、老医が亡くなり、彼専属の駕籠かき(=「六尺」)はさぞかし肩を落としているだろうなぁ、五月雨が駕籠かきたちの心情を代弁している様だ
【解説】70余歳で亡くなった老医を存命中も存じ上げなかったので、老医への手向けの句を依頼されたことを断り切れなかったの詠んだ、とある
  此処でいう「六尺」は、此の医者を生前乗せていた駕篭かきのこと /「【七】十」余と「【六】尺」と「【五】月雨」と数字を並べた語呂合せが面白い
(1) 老医:『五元集』に「村田忠庵が事也」と注記する
(2) いまそかり(=(いま)すがり):「あり」「居る」の尊敬語
(3) 六尺:老医お抱えの駕籠かき

50百姓(ひゃくしゃう)も麥(むぎ)に取(とり)つく(1)茶摘(ちゃつみ) (2)(うた)  去来
【意】夏の農作業である「茶摘み」の歌が聞こえて来る中、百姓たちの麦刈りも始まった
【解説】「茶摘」の次は農民たちに拠る「麦刈り」だ / 農作業にも季節の着実な移ろいがあることだ、と作者は詠んでいる
(1) 麥に取つく:麦刈りに取り掛かる
(2) 茶摘:夏の季語

51しがらき(1)や茶山(ちゃやま)しり行(ゆく) (2)夫婦(ふうふ)づれ  正秀
【意】此処信楽の地は、信楽茶で知られる‥その茶摘みに出掛ける夫婦ずれを見かけた
【解説】―
(1) しがらき:滋賀県甲賀郡信楽町 / 此処は焼き物「信楽焼」の名産地
(2) 茶山(ちゃやま)しり行(ゆく):少し隔たった所に茶摘みに出かけるの意

52つかみ合(あふ)子共(こども)のたけや麥畠(むぎばたけ)  膳所 游力
【意】子供達が麦畑でけんかをしている / 子供らの背丈と丁度同じ位の為、争っている子供らの頭が見え隠れする
【解説】この句は、『嵯峨日記』に所収の作

  孫を愛して
53麥藁(むぎわら)の家してやらん雨蛙(あまがえる)  智月
【意】雨蛙(アマガエル)に麦わらの家を作ってやろう
【解説】アマガエルと孫とを同じ目線で見ることで孫への愛情を表現している

54(むぎ)出來(でき)て鰹(かつを)迄喰()ふ山家(やまが)(かな)  江戸 花紅
【意】よほど麦の出来栄()えが良かったので、この山里の農家では、高価な鰹を食べている
【解説】作者花紅(かこう)は江戸の人だが詳細不詳 / 当時も初鰹が高価だった為、こういう表現になった / 山家:山中や山里にある()

  しら川の関こえて
55風流のはじめや奥の田植うた  芭蕉
【意】みちのくに入って耳にする田植歌は、俳諧風流の神髄だ
【解説】元禄020422(16890609) 芭蕉は矢吹から福島県須賀川市へ / 相良等躬宅へ
 此処で早速、「風流の初めや奥の田植歌」に始まる芭蕉・曾良・等躬の三吟歌仙

出羽の最上を過(すぎ)
56眉掃(まゆはき)を面影(おもかげ)にして紅粉(べに)の花  芭蕉
【意】尾花沢の名産である紅の花を見ていると、女性が化粧につかう眉掃きを想像させる艶(あで)やかさを感じる
【解説】尾花沢は紅花の特産地 / 紅の顔料は都に出て京紅となって女性の心を楽しませてくれる / この家の主人鈴木清風はその紅花の流通を生業としていた

法隆寺開帳 南無佛の太子を拝す
57御袴(おはかま)のはづれなつかし紅粉(べに)の花  千那
【意】太子は袴をはかれているが、その裾(すそ)が微(かす)かに紅が赤く残っている / その紅色は紅花の赤か‥
【解説】法隆寺の「南無佛太子像」をその御開帳で見て詠んだ句

58()の畝(うね)の豆(まめ)つたひ行(ゆく)(ほたる)かな  伊賀 万乎
【意】蛍が、田の(‥畦道に植えてある大豆の枝豆を食べたくて‥)畦伝いに飛んでいる
【解説】「畝」は「畦」の誤記か / 農家では、当時からよく田の畦道に大豆を植えていた / この句は芸術的にも深みがない駄作か‥

膳所曲水之樓にて
59螢火(ほたるび)や吹とばされて鳰(にほ)のやみ  去来
【意】蛍が飛び交っていた湖の湖面に風が出てきた。すると蛍は一斉に何処かに消えて漆黒の闇の湖となった
【解説】「鳰」は、此処では「鳰の湖」=「琵琶湖」を指す

  勢田の螢見二句
60(やみ)の夜()や子共(こども)(なき)()す螢(ほたる)ぶね  凡兆
【意】蛍見物の蛍舟では、大人たちは酒を入って上機嫌だが、闇夜の怖い子供たちはただ泣き出すばかり / 賑やかなことだ
【解説】次の芭蕉の作品と共に元禄03(1690)年の作 / 瀬田川の蛍見物の蛍舟での模様

61ほたる見や船頭酔ておぼつかな  芭蕉
【意】瀬田川に映る蛍の光の美しさはたとえようもないが、船頭が酔って船が揺れるのはなんとも覚束ない
【解説】蛍見舟の賑やかさと楽しさが弾(はず)んで伝わってくる句

  三熊野(1)へ詣ける時
62螢火(ほたるび)やこゝおそろしき八鬼尾谷(やきおだに) (2)  長崎 田上尼(3)
【意】八鬼尾谷に蛍が飛び交うのを見ると、これは鬼火かと思れて身の毛もよだつ
【解説】「八鬼尾谷」は熊野神社に至る「無終山(はてなしやま)」にある谷
(1) 三熊野:本宮・新宮・那智の熊野三社をいう
(2) 八鬼尾谷(やきおだに):錦江『七部通旨』に「八鬼山は紀州おわし(尾鷲)より三木へ超ゆる峠にて、登り五十丁、下り三十八丁、峠に日輪寺といふ寺あり、麓に入うみあり甚嶮路なるよし」とある
(3) 田上尼(たがみのあま):長崎郊外田上の別業に住む / 去来の弟 利文(俳号:牡年)の養母で去来の叔母に当たる / 享保04(1719)年没(享年75) /『続有磯海』に、「熊野に設ける比八鬼尾谷といふ処にふりこまれて」と前書した「逗留のまどに落るや栗の花」という去来の句が見える

63あながちに鵜()とせりあはぬかもめ哉(かな)  尚白
【意】鴎(カモメ)は、魚を獲るが、自分より欲深な鵜とは競り合わない様だ
【解説】あながち(=強ち):強引である様 / 此の句は、何処か意味深長な句 / 尚白には角逐問題があったか‥

64草むらや百合(ゆり)は中々はなの貌(かほ)  半残
【意】草叢に百合(ユリ)の花が咲いているが、凛としていて中々のものである

【小生comment
 芭蕉俳諧の集大成とも言える『猿蓑』の〔巻之二『夏』〕の〔第2回〕目の、今回は第3364句迄をご紹介したが、如何でしたか?
 芭蕉の作品は、『奥の細道』や『嵯峨日記』に出て来る作品を含めいずれも傑作だが、彼や蕉門十哲以外の作品には、秀作と言えない句も幾つかあった。
 皆さんは、ご覧になってどう感じられましたか?
 次号では、〔巻之二『夏』〕の〔第3(最終)回〕をご紹介するので、お楽しみに!

■さて次の話題は、昨日0720 After 5 に訪れた愛知県芸術劇場大 hallにて開演された、「イングリッシュ・ナショナル・バレエ『コッペリア」」についてである。
 本作品の作曲者 クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(1836-91)は、バレエ音楽や歌劇で知られるFrance ロマン派の作曲家で、「France ballet音楽の父」と呼ばれる。
 彼の作風は、迫力・壮大とは無縁の、優美で繊細な舞台音楽が真骨頂。
 だから、見ていて、「聴衆の多くが知っている甘美な名曲に酔い乍ら、美しいballetを見て楽しいひとときを過ごす」至福のひとときを心ゆくまで堪能出来た。

[01]愛知県芸術劇場大hall入口の『コッペリア』の案内看板の前にて

[02]本演奏会のキャスト一覧
                  
[03]『コッペリア』programより1

[04] 同上2
                  
 【後記】【時習26回3-7の会/クラス会】について、念の為に「開催要領」をこの《会報》にてもお示しする。
 現状、参加表明者は、小生を含め3人。
 一方、欠席表明者も5人と少なく、最終的には、6人前後位(←予約人数は8)を予想している。
 だから、参加者に話題が散漫にならず、美味しい食事と共に楽しいひとときを過ごせることをお約束出来ます。

  ※ 時習26回3-7の会/クラス会 開催要領 ※

1. 開催日時:20170812() 1800分~2030
2. 開催会場:Kings Kitchen
  http://www.kingskitchen.jp/
 住所:豊橋市駅前大通り1丁目61
 ℡ 0532-53-1147
3. 会費 : 5,000円〔@3,000円+Free Drink@2,000円〕(税・サ込)

※ ※ ※ ※ ※

 では、また‥〔了〕

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