今日最初にお届けするのは、3月の三連休の初日の03月18日(土)に上京して日帰り美術館巡りをしたお話から、東京都美術館→国立西洋美術館→三菱一号館美術館→森アーツセンターギャラリーの次、5番目に訪れた中村屋サロン美術館『中村彝/生誕130周年記念~芸術家たちの絆展~』についてお届けする。
本展について、本企画展leaflet 及び 本展図録 から引用してご紹介する。先ずは彝の略歴から‥。
1893年 (06歳) 04月 水戸市上市尋常小学校(現・私立五軒小学校)に入学
1898年 (11歳) 09月 母 死去 / 同年秋 祖母・姉と共に上京 / 新宿区の長兄 直 のもとに転居
1899年 (12歳) 01月 公立 愛日小学校高等科転入 / 同級の野田半三(1886-1946)と住居が近く親交を結ぶ
1900年 (13歳) 04月 早稲田中学校入学
1901年 (14歳) 09月 名古屋陸軍地方幼年学校に入学 / 次兄 死去
1902年 (15歳) 09月 長姉 死去
1904年 (17歳) 06月 肺病を罹患 / 07月 名古屋陸軍地方幼年学校卒業し東京中央陸軍幼年学校へ入学するが退校 / 10月 長兄の 直 日露戦争にて戦死
1905年 (18歳) 08月 千葉県北条湊に転地療養、多胡実輝を知り、水彩で風景をsketchする / 11月 この頃野田半三と再会し水彩の手ほどきを受ける
1906年 (19歳) 03月 白馬会研究所(注1)に入門 / 本郷菊坂の第二研究所へ、同年秋 赤坂溜池の研究所へ通う
この時、中原悌二郎(1888-1921)や鶴田吾郎(1890-1969)と知り合う
(注1) 白馬会:黒田清輝(1866-1924)を中心に発足した洋画団体
1907年 (20歳) 03月 太平洋画会研究所(注2)に移り、中村不折((1866-1943)や満谷国四郎((1874-1936)に師事する
(注2) 太平洋画会:1889年 小山正太郎(1857-1916)と浅井忠(1856-1907)が創立
創立当初の名は「明治美術会」/ 1902(同35)年「太平洋画会」に改称
09月 祖母 死去 / 次姉 結婚し、彝はひとりとなる
1908年 (21歳) 06月 この頃より帰国したばかりの荻原守衛(1879-1910)訪問 / 秋 大久保に転居
1909年 (22歳) 02月 日暮里に転居1910年 (23歳) 10月 第4回文展に入選 / そのうちの1点を実業家 今村繁三が購入
1911年 (24歳) 05月『麦藁帽子の自画像』を描く / 12月 中村屋裏のatelierに移る
1912年 (25歳) 春 この頃より喀血が始まる
1913年 (26歳) この年から翌年にかけて中村屋の相馬愛蔵・黒光夫妻の長女 俊子 をmodelにした作品を多く描く
1914年 (27歳) 10月 第8回文展に相馬俊子をmodelにした(添付写真[05])『少女』を出品し3等賞受賞
1915年 (28歳) 04月 中村屋のatelierを出て日暮里へ移る / 07月 谷中へ移る
10月 今村繁三の援助を受ける様になる / 12月 今村の紹介で曾宮一念(1893-1994)を知る
中村屋の裏のatelierに約3年間暮らし、その間、上述した通り、中村屋の創業者 相馬愛蔵(1870-1954)・黒光(1876-1955)夫妻の長女 俊子をmodelに多くの作品を描いた。
中村屋を出てからは下落合にatelierを構える。/ 体調は悪化しつつも仲間に支えられ、制作活動を続けた。中村彝は、彫刻家 荻原守衛(碌山(1879-1910))亡き後の中村屋salonの中心人物であった。
本展は、中村彝の生誕130周年を記念して、彝と、彼の37年という短い生涯のうちに絆で結ばれた芸術家たちの作品を紹介する。
[01]中村屋サロン美術館入口にて
[02]本展leaflet
[03]Atelierでの中村彝1917年
[04]中村彝(1887-1924)『自画像』1911年
[05]同『少女』1914年
[06]同『花と果実』1917年頃
[07]同『静物』1918年
[08]同『中村悌二郎像』1922年
[09]野田半三(1886-1946)『神田上水』1912年
[10]中村悌二郎(1888-1921)『若きカフカス人』1919年
[11]鶴田吾郎(1890-1969)『盲目のエロシェンコ』1920年
[12]曾宮一念(1883-1994)『妹の像』1924年
[13]同『阿蘇秋色』1960年頃
[14]宮芳平(1893-1971)『ガウンを纏った女』1915年
[15]同『諏訪湖(立石より)』1930年
[16]同『黒い太陽』1967-71年(絶筆)
[17]鈴木金平(1896-1978)『コンポート(compote)のある生物』1960年年代
[18]鈴木良三(1898-1996)『桜島』19制作年不詳
【小生comment】
中村彝の周りに集まった若い芸術家たちの作品を見ると、夫々に青春の息吹を感じられ、ホント清々しい気持ちになった。名画を見る喜びを実感出来た『中村彝~芸術家たちの絆展~』だった。
■続いての話題は、04月06日(木) 名古屋出張の帰りでのこと。名古屋城の桜を見に行く前に名都美術館にて開催中の『白寿記念/堀文子』展を見て来た。
開館30周年となる名都美術館に於いて『堀文子(1918- )展』開催は今回で第5回目と回を重ねる程、堀文子との結び付きは強い。今回は、当館初公開作品を含め約80点を展示、画歴80年の足跡を辿る企画展。
[19]本展leaflet 表紙の絵は 堀文子『名もなきシリーズ 土筆とすぎな』2013年
[20]堀文子『朝』1948年
1948年
東京・京都の画家たち13人に拠って創造美術が旗揚げされた。
その創立memberの一人
福田豊四郎(1904-70)に私淑していた堀文子は、本作品『朝』をはじめ4点を出品し、全て入選を果たした。
[21]同『八丈島』1950年
[22]同『海辺』1950年
[23]同『高原』1952年
[24]同『夏』1967年
[25]同『鶴がわたる、ヒマラヤを越えて』2010年
[26]同『霧氷』1982年
[27]同『名もなき草達』1915年
本作品は、2015年
銀座の画廊ナカジマアートから lithograph の展示販売の案内が来たので上京した折、気に入って購入を決めた。
我が家にある著名画家に拠る唯一の lithograph (No.33/150) であるが、名都美術館には本作品の原作が展示されていたので改めて感動した。
[28]同『花霞』1973年
【小生comment】
本展は、小生の好きな日本画家 堀文子 の個展。『朝』『八丈島』『海辺』等、これ迄一度も目にしたことのなかった彼女のごく初期の作品を見ることが出来、新しいモノを発見した様な嬉しい気分に浸ることが出来た。
■続いての話題は、前《会報》に引き続いて04月08(土)~09(日)の両日、時習26回の同期生の中嶋良行君【3-2】と谷山健君【3-3】等4人での小旅行の二日目の模様についてである。
二日目は、宿泊地のある上山田温泉と同じ千曲市にある『あんんずの里』と、千曲市より北方20km程の長野市内にある『水野美術館』を巡ったので、その模様をお届けする。前回同様、以下の行程表をご覧頂き乍ら小旅行をご紹介する。
【二日目】4月9日(日)
07時45分 朝食[29]朝食でのsnap shot
[30]朝食
深夜のうちに「男風呂と女風呂」が入れ替わったので、朝食後、check out 迄の時間を使って入浴した。
[31]男湯に変わった「乙姫の湯」の内風呂
[32]同上「露天風呂」
[33]ホテル亀屋本店 正面玄関にて 記念撮影
09時30分 千曲市内の杏子畑の最も眺望の良い場所へ〔千曲市内走行距離推定10km/累計521.8km〕
〔千曲市 あんず 予想開花日:04月06日〕http://www.shinshu-tabi.com/kousyoku.html
※このURL に「あんずマップ〔表〕〔裏〕」があるので、必ずお目通し下さい
〔あんずの里:千曲市更埴森(予想開花日:04月07日/予想満開日:04月12日)〕
URL : http://www.shinshu-tabi.com/kousyoku.html
〔日本気象協会「あんず開花予想:平年並み 04月06日」〕
[34]あんずの里 上平展望台から 情景1
[35]同上2
[36]同上3
[37]同上4
[38]同上 にて snap shot
11時30分 同所発→〔21.2km
40分〕→累計543.0km
12時25分 水野美術館 着〔長野市若里6丁目2-20 ℡026-229-6333/駐車料金:無料/駐車可能台数80台〕〔水野美術館 Home〕URL : http://www.mizuno-museum.jp/index.php
〔水野美術館 入観料:@800円 企画展『春を謳う~横山大観・河合玉堂から松尾敏男・中嶋千波まで~』展※〕
[39]水野美術館 外観
[40]水野美術館 レストラン「四季彩 MIZUNO」から中庭の日本式庭園を望む
※ 添付写真[40]は、本企画展leaflet で、表紙の桜の写真の絵は、中島千波『臥龍櫻』1989年
〔水野美術館/開催中の展覧会〕URL : http://www.mizuno-museum.jp/exhibition/
[41]レストラン「四季彩 MIZUNO」にて記念写真1
[42]同上2
[43]昼食の前菜
[44]昼食の四季彩弁当
当館は、日本画の日本美術院の三羽烏 横山大観・下村観山・菱田春草の絵を中心に、現代に至る日本画の本流の傑作選を所蔵
12時30分 水野美術館restaurant
〔レストランとのお得なセットmenu《アート&グルメ》:
入館料@800円+昼食:四季彩弁当@1,580=2,398円 → @2,100円/累計@16,760円〕
〔水野美術館 レストラン「四季彩 MIZUNO」〕URL : http://www.mizuno-museum.jp/guide/restaurant.php
同/企画展『春を謳う』展
leaflet
同/同上 展示目録
04月09日(日) 12:30/4人で【アート&グルメ】を予約済/当該(拝観&食事)ticketは入館時に美術館受付で購入
13時30分 美術館内の日本絵画 鑑賞[45]菱田春草(1874-1911)『紅梅に鶯』1909年
[46]同『双美摘草』1901年
[47]横山大観(1868-1958)『江山春景』(左隻)1909年
[48]同『同上』(右隻)1909年
[49]菊池契月(1879-1955)『落花』(部分)1904年
[50]鏑木清方(1878-1972)『花ふゞき』1939年
[51]同『落葉時雨』1939年
[52]川合玉堂(1873-1957)『渓村春雨』1942年
[53]山口蓬春(1893-1071)『留園駘春』1958年
[54]加山又造(1927-2004)『朧』1972年
[55]堅山南風(1887-1980)『朝の月』1968年
[56]加山又造『猫と牡丹』1990年頃
[57]川端龍子(1885-1966)『唐獅子牡丹』1935-45年頃
[58]横山大観『あまご』1943年
13時30分 水野美術館発→〔312.4km
4時間05分+トイレ休憩15分×2回+夕食40分(五味八珍‥)=5時間15分【高速道路料金:4,720円÷4人=1@17,940円】〕→ 累計855.4㎞
18時45分 谷山宅着〔9.6km
20分〕→ 累計865.0km19時05分 今泉宅着〔1.7km 05分〕→ 累計866.7km
19時10分 青木宅〔中岩田〕着〔11.3km〕→【累計 878.0km≒880㎞】880km÷11㎞=80Ł @128円×80(L)=10.240円 / 10,240÷4人=@2,560円 / 累計 @19,320円 ≒ 20,000円
※ 《 旅行費予算 総合計 20,000円 》
19時40分 中嶋宅着〔了〕
【小生comment】
『あんずの里』の杏花の素晴らしかった。中嶋君・谷山君もとても喜んでくれた。水野美術館は、期待通りの日本画の名画の宝庫であった。
本物の春爛漫の花々と、日本画の名画に拠る春の花々、二日目も夫々の春を堪能出来た至福の一日だった。
次回のこの小旅行は、今秋10月に「熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社(「青岸渡寺」)」「丸山千枚田」「赤木城跡」「志摩国 波切城跡」を巡る旅を予定している。
今からとても楽しみにしている。
■続いての話題は、04月13日(木) 仕事を終えた後、愛知県芸術劇場Concert hall にて開催された 鈴木雅明指揮 Bach Gollegium
Japan『マタイ受難曲(Matthauspassion)』を聴いて来たのでその模様についてご報告する。
マタイ受難曲は、1727年04月11日 ライプツィヒの聖トーマス教会にて初演。1829年03月11日 作曲家のメンデルスゾーンが歴史的復活上演をして、バッハの再評価に繋がった名曲である。
この曲は、新約聖書「マタイによる福音書」の第26・27章のイエス・キリストの受難を題材にし、聖句、伴奏つきレチタティーボ、アリア(独唱)、コラール(合唱)に拠って構成された音楽作品。BWV244。
イエス・キリストが弟子のユダに裏切られ、磔刑に処せられ復活する前迄の生涯が、tenorのエヴァンゲリスト(Evangelista=福音史家)に拠るレチタティーボ(Recitativo)というmelodyのついた解説を中心に独唱・合唱に拠って楽器演奏の伴奏付きで語られていく。
曲の構成は、第1部:第1~29曲/第2部:第30曲~68曲の2部構成の全68曲から成る。
演奏時間は、18時30分から、第1部と第2部の間に15分間の休憩を挟んで予定通り21時40分少し前に終了した。
大曲だが、内容が充実しているのと、透き通る様な声のtenorのエヴァンゲリストや男性のアルト独唱者の独唱が続き、終曲迄聴衆をひとときも飽きさせない。
小生、68曲の中では、第15・17・44・54のコラール(Choral)がmelodyが同じであることもあって大好きである。
因みに、この曲の原曲は、ハンス・レオ・ハスラー(Hans Leo Hassler(1562-1612))作曲『わたしの心は千々に乱れ』である。
昨年正月に開催した、中学校時代の還暦祝い同窓会記念のDVDで、物故者を紹介するsceneのBGMにこのコラール第44曲を使用した思い出ある名曲である。
[59]愛知県芸術劇場Concert hall 入口にて
[60]本演奏会leaflet と
program
【小生comment】
小生、鈴木雅明指揮 Bach Gollegium Japan『マタイ受難曲(Matthauspassion)』は、丁度3年前の2014年04月20日にこの愛知県芸術劇場concert hallで聴いて以来2回目の経験である。2014.05.04付【時習26回3-7の会 0497】http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/26-049726402res.html ご参照
鈴木雅明指揮のBCJの『マタイ受難曲』は、本国のドイツでも高い評価を得ている。
実に素晴らしい演奏会だった。
■続いての話題は、04月16日(日) 10時00分から名古屋市不老町にある大学学生会館にて年1回開催される弓道部のOB窓会に参加して来た後、松坂屋美術館『第72回 春の院展』、トヨタ鞍ケ池記念館/鞍ケ池art salon『生命の花たち~春から夏へ』展、岡崎市美術博物館『京都市美術館名品展/京の美人画100年の系譜』展と3美術館の企画展を見て来たのでその模様についてお伝えする。
【松坂屋美術館『第72回
春の院展』】
横山大観・下村観山らに拠って1914年10月に「第1回 再興院展」が開催され、今年(2017年) 102回を迎える(猶、昭和19&20年は戦時中の為中止)。「春の院展」は、再興院展が始まって暫くして、春期に「試作展覧会」を屡々開催し、戦後は「小品展」の名で復興して開催した。
その後、昭和34年以降は「春期展」に、更に昭和45年からは「春の院展」と名を変え現在に至り、今春(2017年) 第72回目を迎えた。
[61]本展leaflet/coverの絵は:吉村誠司(同人)(1960- )『春奏』2017年
[62]小山硬(同人)『朝霧富士』2017年
[63]那波多目功一(同人)『水面の春』2017年
[64]齋藤満栄(同人)『ダリア』2017年
[65]小田野尚之(同人)『到着』2017年
【小生comment】
現在、同人は35人。夫々個性豊かな素晴らしい日本画を描いている。今回ご紹介した、吉村誠司、小山硬、那波多目功一、齋藤満栄、小田野尚之、5氏の作品をご覧になって如何ですか?
本当に素晴らしい絵を描かれていますね。
【トヨタ鞍ケ池記念館/鞍ケ池Art salon『生命の花たち~春から夏へ』展】
本展leaflet に次の様に記されてあった。本展では、私ども(鞍ヶ池アートサロン)が所蔵する中から欧州と日本夫々の画家達が、春と夏、正に百花繚乱のときを描いた作品群を展覧いたします。
過行く春と迎える夏。二つの季節の移ろいと共に、存分にお楽しみ頂ければと思います。
[66]トヨタ鞍ヶ池記念館/鞍ヶ池アートサロン 外観
[67]本展leaflet
[68] /01.アルベール・ルブール(1849-1928)『芍薬』1907年
02.ジョルジュ・デスパーニャ(1870-1950)『二つの花瓶のバラ』1920年代
03.ボリス・シェルバコフ(1916-1995)『リンゴの花盛り』1961年04.コルジェフ G.M. (1925-2012)『朝』1970年頃
05.エミール・ベルナール(1868-1941)『陽射しの中の花』1922年
[69] /06.キスリング(1891-1953)『花』1948年
07. ミッシェル・ブシェリー(1925- )『窓辺の花束』1992年
08.ベルナール・ビュッフェ(1928-1999)『花』1959年09.アンドレ・ブラジリエ(1929- )『白いアネモネ』1987年
10.マルク・シャガール(1887-1985)『春から夏へ』1973年
11.ジャン・ピエール・カシニョール(1935- )『幸せの予兆』1988年
12.鬼頭鍋三郎(1899-1982)『戸隠早春』1962年頃
13.彼末宏(1927-1991)『薔薇』1988年
14.三岸節子(1905-1999)『花〈軽井沢山荘にて〉』1960年代
15. 山下新太郎(1881-1966)『奈良公園新緑』1957年
[70]/16.和田英作(189-19)『カーネーション(carnation)』1939年
[71]/17.藤島武二(1867-1943)『帽子の婦人像』1908年
18.宮本三郎(1905-1974)『花』1960年
19. 東郷青児(1897-1978)『初夏』1960年頃20.高梨芳実(1954- )『白い花』2003年
21.笠井誠一(1932- )『花(グロリオサ アンセイム等)』2002年
22.田辺至(1886-1968)『紫陽花』1950年代
23.中川一政(1893-1991)『ひまわり』1958年
【小生comment】
添付写真の絵[68]&[70]の Post card を貰う為に書いたアンケートでの感想を転記する。素晴らしいの一言である。
コルジェフG.M.の『朝』が中々いいなと感じ乍ら、ベルナール『陽射しの中の花』とキスリングの(添付写真[69])『花』に感心し、次の部屋に移った途端、傑作選の数々に眼が釘付けになった!
鬼頭、彼末、三岸の作品に魅せられ、大秀才の和田英作の(添付写真[70])『carnation』で感激の為に息が止まり、藤島武二の(添付写真[71])『婦人像』に感動し、宮本三郎のクリムト風の『花』の色彩に惹きつけられた。
お決まりの美人画 東郷青児『初夏』も「イイナァッ」と思いつつ、高梨芳実のsuper realism(写実主義)の『白い花』に癒された。
そうしたら、大好きな筈の中川一政『ひまわり』の存在が何故か小さく見えた。
それ程、展示作品の数々が全て正真正銘のmasterpiece だっということである。
【岡崎市美術博物館『京都市美術館名品展/京の美人画100年の系譜』展】
京都市美術館が所蔵する美人画の数々を地元愛知県でジックリ見られるのは実に素晴らしいことだ。「美しいものはいい」と改めて確信した企画展である。
代表作品をいくつかご紹介するのでご覧下さい。
[72]本展leaflet
[73]上村松園(1875-1949)『春光』昭和戦前期
[74]同『晴日』1941年
[75]菊池契月(1879-1955)『少女』1932年
[76]同『友禅の少女』1933年
[77]秋野不矩(1908-2001)『朝』1940年
[78]梶原緋佐子(1896-1988)『鏡』1948年
[79]由里本景子(1906-2000)『婦人像』1935年頃
[80]同『大原女』昭和戦前期
[81]丹羽阿樹子(1900-1988)『遠矢』1935年
[82]広田多津(1904-1990)『裸婦』1989年
【小生comment】
江戸時代、浮世絵で描かれる美人画は、美人画とは呼ばれず「女絵」と呼ばれた。それを確固たる「美人画」として確立したのは、上村松園である。
松園の美人画は、何度見ても、いつまで見ても、美しくて秋が来ない、本当に質の高い、気品ある絵である。
小生、「西の(上村)松園、東の(鏑木)清方、そして人気の伊東深水」の美人画人気TOP3の中でも、上村松園が圧倒的に大好きである。
とは言え、ご覧のの様に、菊池契月、秋野不矩、梶原緋佐子、広田多津も夫々に個性があって傑作揃いである。
【後記】04月16日(日) 二年ぶりに母校を訪れた。
校舎の大半は耐震補強が成され、外観は新しい建物の様に昔の面影はなくなって大きく変貌していた。が、そんな中で、弓道部のOB総会会場となった学生会館は、古びて綺麗とは言えない佇まいが在学時代の昭和49~53(1974-78)年頃の面影を残しており懐かしく感じられた。
写真は、現在の学生会館の外観と、会館近くに掲示されていた現時点での「国立七大学総合体育大会」大学別順位表である。
[83]大学の学生会館 外観
[84]2017年04月16日に掲示されていた「国立七大学総合体育大会」大学別順位表
後輩たちは昨年のリーグ戦は、男子が2部優勝、女子も2部2位。
男子は、岐阜大学との1部・2部入替戦で敗れはしたものの、的中率0.675(13.5中/20射換算) と1部・2部併せても第4位。女子も、的中率 0.6417(12.8中/20射換算)、リーグ戦の後半の第3&第4の2試合に限れば 0.733(14.7中/20射換算) とこれも1部・2部併せても第4位。
今年こそ、男女共に1部への昇格を期待したい。
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