さて今日は、松尾芭蕉(1644-94)の第一作目となる紀行文『野ざらし紀行』〔第7回〕は、今月下旬迄お休みをする。
前《会報》にてお届けした第6回が、今から332年前の1684(貞享元)年九月下旬(新暦11月07日~25日頃)に芭蕉一行が訪れた「熱田へ」についてだった。
其処から話は、芭蕉が彼の故郷「伊賀上野」での越年の処へと一月程飛ぶ。
ついては、次(第7)回の《会報》への掲載は今(12)月下旬を予定している。
お楽しみに。
■さて、11月22(火)~24(木)の三日間、小生、会社から祝日の23日(祝)を挟んで2日休暇を貰い、従前から計画していた晩秋の『古都奈良』を一人で巡って来た。
偶々家人がお友達とタイ国へ19日~23日迄海外旅行するので、一人暮らしの留守番も勿体ないと考え、半年程前の今年6月初旬にホテルを予約した。スーパーホテル奈良新大宮駅前というBusiness Hotel で、一泊朝食付き 6,700円(税込)+駐車料金一泊700円は良心的な価格で部屋も綺麗であった。
今回の『古都奈良一人旅』には、従前から是非見たかった、まだ見たことのない秋篠寺『伎芸天像』と浄瑠璃寺〔秘仏〕『吉祥天女像』に、美しい仏像として有名な興福寺国宝館『阿修羅像』と中宮寺『弥勒菩薩 半跏思惟像』を加えた。
これ等秀麗な仏像を初めとするいずれも「超」が付く多くの傑作選と由緒ある史跡の数々を堪能するのが今回の旅の目的だ。
更に、和辻哲郎(1889-1960)『古寺巡礼(初版:1919年)』、堀辰雄(1904-53)『大和路・信濃路(多恵子夫人宛手紙を元に執筆『大和路〔十月〕』:1941年10月)(1954年刊)』、亀井勝一郎(1907-1966)『大和風物詩(初版:1943年(執筆:1937-1942年冬))』の三篇の『古都奈良』の風物を描いた随筆と共に彼等の足跡を辿るのも今回旅の楽しみの一つ。
又、『古都奈良』の史跡の多くに、會津八一の句碑があった。
其処で、今回訪れた史跡関連で彼の短歌があるものについては、秀作の幾つかを随時紹介していきたい。
[01]和辻哲郎『古寺巡礼』・亀井勝一郎『大和古寺風物誌』・堀辰雄『大和路・信濃路』/原田清『會津八一
鹿鳴集評釈』
和辻、堀、亀井、各氏の『古都奈良』の足跡を彼等の著書を元に以下に記す。
【和辻哲郎『古寺巡礼』】1919年(初版)
「新薬師寺:本尊薬師&十二神将」→「浄瑠璃寺:九体阿弥陀」→「東大寺 戒壇院:四天王」→「東大寺 三月堂(=法華堂):不空羂索観音、日光&月光菩薩像」→「帝国奈良博物館〔1919年頃は、正面に「聖林寺:十一面観音」、裏面に「法隆寺:百済観音」が背中合わせに立っていた〕」→「法華寺:十一面観音」→「唐招提寺金堂:千手観音
講堂」→「薬師寺 講堂 金堂:薬師如来、日光&月光菩薩 東塔 東院堂聖観音」→「当麻寺 東&西三重塔」→「月夜の東大寺 南大門」→「法隆寺 金堂:壁画 五重塔
夢殿(秘仏:救世観音) 中宮寺(中宮寺観音=菩薩半跏像(寺伝/如意輪観音))」
【堀辰雄『大和路・信濃路』~『大和路』〔十月(1941年10月10日~27日)〕】
「10日:奈良ホテル」→「11日:唐招提寺」→「12日:転害門 → 海龍王寺」→「13日:飛火野 (帝国奈良)博物館〔阿修羅王〕→「14日:秋篠寺
伎芸天女 → 薬師寺 東塔・金堂周辺散策 → 唐招提寺 金堂・講堂等(夕闇迫る)境内散策」→「18日:奈良ホテル」→「19日:東大寺
戒壇院 三月堂(=法華堂):月光菩薩像」→「20日:生駒山を越え、河内国 高安の里 周辺を散策」→「21日:(帝国奈良)博物館、東大寺戒壇院:四天王像(特に広目天像)」→「23日:法隆寺
金堂(壁画模写中の画家達を見学) 宝蔵(百済観音)」→「24&25日:奈良ホテル(=25日は(帝国奈良)博物館も訪れている)」→「26日:法隆寺
夢殿 → 法輪寺 三重塔 → 法起寺 三重塔」→「27日:奈良→京都→琵琶湖湖畔」以下〔古墳〕〔浄瑠璃寺の春〕〔「死者の書」― 古都における、初夏の夕ぐれの対話〕の3編があるが、今回は省略する
【亀井勝一郎『大和古寺風物詩』】1937年~42年秋
「法隆寺 夢殿:救世観音」→「法隆寺 金堂 大宝蔵殿:百済観音」→「中宮寺:如意輪観音(=菩薩半跏像 天寿国曼荼羅)」→「法輪寺:薬師如来、弥勒、吉祥天、毘沙門、地蔵
三重塔」→「薬師寺 金堂:薬師如来、日光&月光菩薩 金堂 講堂 三重塔東塔」→「唐招提寺 金堂:廬舎那仏&千手観音、 鼓楼、舎利殿〔‥伽藍の交響楽‥〕」→「東大寺
大仏殿 三月堂(=法華堂):不空羂索観音 日光&月光菩薩像、戒壇院:四天王像」→「新薬師寺
金堂:薬師如来、十二神将」
それではこれから小生と共に『古都奈良』の旅をご一緒下さい。
【初日(11月22日(火))】
05時45分 拙宅
発〔東名豊川IC→伊勢湾岸→東名阪→松原IC→浄瑠璃寺へ(車188km)〕08時55分 浄瑠璃寺 駐車場 着
[02]浄瑠璃寺 山門
[03]此岸側から宝池越しに【国宝】本堂を望む
[04]本堂内の【国宝】九体阿弥陀仏と吉祥天女像
[05]【重文】吉祥天女像(拡大・部分)
吉祥天女像は、毎年春(3月21日~5月20日)・秋(10月01日~11月30日)・正月(01日~15日)の期間のみ特別公開される。
今回の旅は、この吉祥天女像を間近に拝顔するのが目的の一つであり、それが先ず実現出来たのが大変嬉しかった。さて、浄瑠璃寺で詠んだ會津八一の味わい深い短歌三首連作を、原田清著「會津八一 鹿鳴集 評釈」を引用してご紹介するので鑑賞されたい。
『観仏三昧』昭和14年10月‥會津八一58歳の時の作品
【前書】二十日奈良より歩して山城国浄瑠璃寺に至る寺僧は恰も奈良に買物に行きしとて在らず赤きジャケツを着たる少女一人留守を守りて偶々来るハイキングの人々に裏庭の柿をもぎて売り吾等の為には九体阿弥陀堂の扉を開けり子ひとり堂後の縁を巡れば一基の廃機あり之を見て歌を詠じて懐(ふところ)を抒(の)ぶ
やまでら の みだう の ゆか に かげろひて ふりたる はた よ おる ひと なし に
山寺の御堂の床に陽炎ひて 古りたる機よ織る人なしに【意】山寺の御堂の床の上に人目も立たない物陰に置かれ、織る人もなく、古びて仕舞った織機だなぁ
あしびき の やま の みてら の いとなみ に おり けむ はた と みる が かなしさ
足引の山の御寺の営みに 織りけむ機(はた)と見るが哀しさ【意】山寺の生活を維持する為に布を織ったであろう織機と思って見ると心に沁みて愛おしく感じられることだ
やまでら の ほふし が むすめ ひとり ゐて かき うる には も いろづき に けり
山寺の法師が娘ひとりゐて 柿売る庭も色づきにけり【意】山寺の住職の娘が一人居て柿を売っている庭も紅葉し始めたことだ
浄瑠璃寺と言えば、2011年12月04日に中嶋君【3-2】と谷山君【3-2】等と訪れている。
其処で、当院と共に訪れた岩船寺を一緒にして詠んだ拙歌があるので紹介させて戴きたい。2011年12月20日付【2637の会 0372】http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/26-0372120304-7.html ご参照
行く秋の 当尾 岩船 浄瑠璃寺 九体阿弥陀の慈悲 数多(あまた)充つ 悟空
09時30分 浄瑠璃寺
駐車場 発 →〔車10㎞〕→
10時05分 奈良登大路自動車駐車場
着10時15分 東大寺 着 →〔徒歩1.2km〕→
[06]東大寺三月堂への階段
10時30分 東大寺法華堂(三月堂) 入堂
法華堂内に入って驚いた。
堂内中央に不空羂索観音像があるのはいいが、脇侍(きょうじ)の【国宝】日光菩薩と月光菩薩がないのだ。係の人に尋ねたら、3年半程前に、法華堂の耐震工事があって、本尊の不空羂索観音像以下、堂内の仏像が東大寺ミュージアムに移動。
改修工事が完成後は、日光&月光菩薩を除く仏像は法華堂に戻ったが、両菩薩像は、塑像で耐震構造でない法華堂には戻らず、東大寺ミュージアム安置となった。
不空羂索観音像の荘厳さと、日光&月光菩薩像の上品な芳しさが魅力の三尊。
高校時代の日本史の教科書にも、法華堂と共に三尊がsetで紹介されていた。
小生、日光&月光菩薩像が無性に見たくなって東大寺ミュージアムへ向かった。
法華堂も東大寺ミュージアムも別々に入館料が必要だった。
「ウーム、東大寺も中々ヤルナァ!」と思った。(笑)
[07]東大寺【国宝】法華堂(三月堂)
[08]【国宝】不空羂索観音像
10時45分 東大寺法華堂
発 →〔徒歩0.4km〕→
11時00分 東大寺ミュージアム
入館
[09]【国宝】(左)月光菩薩像 &【国宝】日光菩薩像(右)
[10]東大寺 大仏殿をbackに
[11]東大寺【国宝】南大門
[12]東大寺南大門【国宝】金剛力士像:(左)阿形&吽形(右)
因みに余談だが、東大寺南大門の金剛力士像の)阿形&吽形は、位置が普通の寺院の仁王像とは左右が逆になっているのは有名な話。
12時15分 東大寺発→〔徒歩1.2km〕→
12時30分 興福寺
着
[13]興福寺【国宝】五重塔をbackに
12時50分 興福寺国宝館
入館
[14]【国宝】阿修羅像
[15]阿修羅像(部分・上半身)
13時25分 猿沢の池
散策
[16]猿沢の池と興福寺五重塔をbackに
13時45分 猿沢の池
発→〔徒歩0.3km〕→
14時00分 奈良登大路自動車駐車場
発→〔車2.3km〕→宿泊ホテルへ14時15分 スーパーホテル奈良新大宮駅前(駐車場) 着
14時25分 同所 発→〔徒歩1.2km〕→
14時45分 海龍王寺 着
[17]海龍王寺 山門
[18]【重文】十一面観音像
此処の十一面観音は、この後続いて訪れた法華寺の十一面観音と共に、奈良県の八十八面観音像の一つで、秋の特別公開期間(10月22日~11月10日)を過ぎて見られなかった。
が、当院では薄暗いけれども御尊顔を部分的に拝することが出来たのは嬉しかった。添付写真[18]をご覧頂ければ解る様に、大変上品で美しい観音像である。
因みに、次回特別公開は、2017年03月23日~04月07日、法華寺の方は同年03月20日~04月07日だ。
又、数年前から始まったとされる『大和路 八十八面観音巡礼』の8寺とは、3年前:長谷寺・室生寺・聖林寺の3院、今回:海龍王寺、法華寺、西大寺、大安寺、法輪寺の5院で、うち3年前に見た3院は、2013年12月08日、中嶋君等と見ている。
2013年12月21日付【2637の会 0478】http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/26-047812212640.html をご参照
[19]【国宝】五重小塔
15時00分 海龍王寺
発 →〔徒歩0.4km〕→
15時15分 法華寺
着
[20]法華寺 南門の奥に【重文】本堂
法華寺の十一面観音像と言えば、會津八一のこの短歌や大変有名である。
【前書】法華寺十一面観音
ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひ みる ごとく あかき くちびる
藤原の大き后をうつしみに 相見るごとく赤きくちびる
【意】藤原時代の立派な皇后であられた光明皇后を実際に目のあたりに相見ます程に生き生きとした紅い唇の色であることヨ
法華寺の【国宝】十一面観音像は、光明皇后をmodelにしたとされ、これも海龍王寺の十一面観音像に遜色ない大変美しい観音像である(添付写真[21]ご参照)。
今回の旅の目的の二つ目は、『大和路 八十八観音巡礼』の完結であったが、此処法華寺の十一面観音像だけ特別公開も11月10日で終了していて見られなかった。とても残念だったが、いつの日か必ず『古都奈良の旅』をして拝顔しようと心に誓った。
[21]【国宝】十一面観音像
15時35分 法華寺
発 →〔徒歩1.2km〕→
15時50分 平城宮跡の東端
着 →〔徒歩0.2km〕→16時00分 同所 大極殿 着
[22]平城宮 大極殿をbackに
[23]朱雀門をbackに
平城宮跡石碑
[24]夕陽に映える平城宮跡のススキ
晩秋の夕暮れに群生した綺麗なススキを見ると、必ず飯田蛇笏のあの名句が頭に浮かぶ‥
情景がスッと頭に浮かぶ、解説も全くいらない、それでいて品格ある素晴らしい句である。をりとりてはらりとおもきすすきかな 飯田蛇笏
16時15分 平城宮跡
朱雀門 着
16時25分 同所
発 →〔徒歩1.2km〕16時50分 イトーヨーカドー奈良 フードコーナーにて夕食
17時20分 ホテルcheck in〔泊〕
[25]スーパーホテル・奈良新大宮駅前
■続いての話題は、去る11月26日に、私用で名古屋へ行ったついでに、岐阜県美術館、稲沢市荻須記念美術館、松坂屋美術館、名都美術館と4つの美術館の企画展を巡って来た。
今日は、そのうち、前半の2つの美術館、岐阜県美術館と稲沢市荻須記念美術館、2つの企画展についてご紹介する。
【岐阜県美術館『知られざるPrivate Collection/Japan Beauty ‥描かれた日本美人‥』展】
本店は、浮世絵collectorとして知られる中右瑛(なか うえい)氏の主導で形成された「朝比奈文庫collection 」から、明治・大正・昭和の美人画の変遷を辿る。上村松園、鏑木清方、伊東深水、竹久夢二ら美人画の代表作家のみならず、幻の画家、知られざる画家達迄約80点を紹介する。〔以上、本展leafletより引用〕
本展展示作品のうち、小生好みの作品を当館 museum shop で売られていた post card からご紹介する。
[26]本展leaflet
[27]上村松園『美人観月図』明治25年頃
[28]上村松園『櫻可里之図』大正
[29]上村松園『夏の美人』1913年頃
[30]竹久夢二『宵待草』昭和
[31]梶原緋佐子『秋の夜』1940年
[32]伊東深水『ほたる』昭和
【小生comment】
日本画の美人画は、何といっても、「西の(上村)松園」「東の(鏑木)清方」、そして、伊東深水、伊藤小波の4人。彼等4人の作品が、質の高さと作品の多さで他の日本画の美人画作品で群を抜いている。
本展では、この4人以外では、寺島紫明『夕粧』、梶原緋佐子『秋の夜』が素晴らしく、竹久夢二『宵待草』も良かった。
猶、上記絵画のうち、[28]上村松園『櫻可里之図』は、本展用 postcard として売店にて販売されていたが、展示目録になかった作品。
小生も、本作品は見ていないような気がするが、既に記憶は定かでなくなった。
ただ、とても感じがいい作品なので掲載した。
【稲沢市荻須記念美術館『パリを生きる パリを描く ‥M氏秘蔵collectionによる‥』展
本展『ごあいさつ』にて、本企画展について次の様に紹介している。
この度の企画は、まさしくエコール・ド・パリを代表する藤田嗣治をはじめ、佐伯祐三、梅原龍三郎、海老原喜之助、荻須高徳、小磯良平等、Parisに生き、Parisを描いた日本の洋画家たちの足跡を、M氏秘蔵のcollection 70点を中心に紹介しようとするもの。
関西在住のM氏は1986年に開催された「 Parisを描いた日本人画家展」(神奈川県立美術館、三重県立美術館等)に影響を受け、以来30年に亘り、このTheme
に沿った蒐集を進め、珠玉のcollectionを形成された。
更に本展では、小野竹喬、荻須高徳、小磯良平を顕彰する、笠岡市竹喬美術館、稲沢市荻須記念美術館(=当館)、神戸市立小磯良平記念美術館の3館が所有する、3人の滞欧作品14点を加えた全84点が展示されている。
[33]本展leaflet
[34]藤田嗣治『Montparnasse通りの家、アルソンヴァル街』1953年
[35]梅原龍三郎『巴里風景』1965年
[36]安井曾太郎『町の裏(巴里)』1914年
[37]里見勝蔵『ネル・ラ・ヴァレのキャフェ』1924年
[38]佐伯祐三『オ―ヴェル風景』1924年
[39]荻須高徳『食料品店』1929年
[40]荻須高徳『鍵屋』1966年
[41]海老原喜之助『セーヌ川』1928年
[43]鴨居玲『パリ 一風景』1968年
【小生comment】
本企画展は感動ものだった。著名な日本の洋画家と日本画家が、France、なかでもParisの風景を描いた作品に焦点を当てた出色の企画展である。
【後記】次回《会報》【0630】号では、本《会報》に続き、11月23日:『古都奈良一人旅』〔二日目〕の模様を、具体的には「西大寺〔十一面観音像〕→
秋篠寺〔伎芸天像〕→ 松柏美術館 → 第13代 成務天皇陵 → 神宮皇后陵 → 第11代 垂仁天皇陵 → 唐招提寺〔鑑真和上像〕→ 大安寺〔十一面観音像〕→ 薬師寺」の順でご紹介する。;
又、これも本《会報》に続き、11月26日に巡った4つの美術館の残り2美術館、松坂屋美術館『第101回 再興 院展』、名都美術館『小倉遊亀』〔後期〕展の模様をお届けする。更に、12月02日:愛知県芸術劇場concert hallにて開催の『ランラン Piano Recital』の模様をお伝えする予定である。
お楽しみに!
ではまた‥。(了)
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