2016年12月9日金曜日

【時習26回3-7の会 0630】~「11月22日~24日:『古都奈良一人旅』〔二日日〕」「11月26日:4つの美術館巡り〔岐阜県美術館→稲沢市荻須記念美術館→松坂屋美術館→名都美術館〕から松坂屋美術館『第101回 再興 院展』&名都美術館『小倉遊亀』【後期】展を見て」「12月02日:愛知県芸術劇場コンサートホール『ランラン Piano Recital』を聴いて」「12月04日:ライフポートとよはし『第119回 豊橋交響楽団定期演奏会』を聴いて」

皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も《会報》【0630】号をお送りします。
 さて今日は、前《会報》【0629】号に引き続いて、1122()24()の三日間に亘る晩秋の『古都奈良一人旅』〔二日目〕の模様をお伝えする。
 それでは今日も暫くの間、小生と共に『古都奈良』の旅をご一緒下さい。

【二日目(1123(祝水))

0815分 スーパーホテル奈良・新大宮駅前 発 →〔(北北西へ車4km 15)
0830分 西大寺 駐車場 着.
 西大寺の創建は奈良時代の天平宝字08(764)年に称徳天皇(764-770)が鎮護国家と平和祈願の為に、7尺の金剛四天王像の造立を発願されたことに始まる。
 造営は、翌年の天平神護元(765)年から宝亀末(780)年頃迄続けられたが、当時の境域は東西11町、南北7町、面積31(48ha)に及んだ。
 盛時には110を超える伽藍が甍を並べ、正に東の東大寺に対する西の官大寺であった。
 その後、平安時代に再三の災害に遭い衰退したが、僧、興正菩薩叡尊(1201-90)が入山し本寺を再興、真言律宗の総本山として今日に至る。
[01]西大寺 本堂

 現堂は宝暦02(1752)年建立
[02]西大寺 四王堂
                  
 創建期の由緒を伝える唯一の堂だが、現堂は延宝02(1674)年建立
[03]西大寺【重文】十一面観音像

 四王堂本尊で、正応02(1289)年、亀山天皇の院宣に拠って京都から移安された本格的な藤原彫刻
 長谷式十一面観音だけあって、像高は5m45cmあり、見る者を圧倒する
[04]大茶盛式
                  
 大茶盛式は、延応元(1239)0116日に叡尊上人が八幡神社に献茶した余服を民衆に振る舞ったことに由来すると寺伝にある
 現在は、0115日、04月第2日曜日とその前日の土曜日、10月第2日曜日に、光明殿にて開催される
0905分 西大寺 駐車場 発 →〔北へ車2km 5分〕
0920分 秋篠寺 駐車場 着 →〔徒歩0.4km 5分〕
 秋篠寺の参道は狭く、麓の駐車場へ車を止めて400m程歩いた
[05]秋篠寺 南門(=正門)

[06]【国宝】秋篠寺 本堂
                  
 保延元(1135)年に一山消失した時、唯一火災を免れた講堂を本堂とする
 本尊は薬師如来座像
 西端に著名な「伎芸天立像」が安置されている
[07]【重文】伎芸天像

[08]【重文】同上(拡大・部分)
                  
 伎芸天というと、堀辰雄の『大和路〔十月〕』〔1014日〕の「午後、秋篠寺にて」のphraseが思い浮かぶ。

 いま、秋篠寺(あきしのでら)という寺の、秋草のなかに寐そべって、これを書いている。
 いましがた、ここのすこし荒れた御堂にある伎芸天女(ぎげいてんにょ)の像をしみじみと見てきたばかりのところだ。
 この【ミュウズ】の像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけてもお慕わしい。
 朱(あか)い髪をし、おおどかな御顔だけすっかり馨にお灼()けになって、右手を胸のあたりにもちあげて軽く印(いん)を結ばれながら、すこし伏せ目にこちらを見下ろされ、いまにも何かおっしゃられそうな様子をなすってお立ちになっていられた。‥‥
 此処はなかなかいい村だ。
 寺もいい。
 いかにもそんな村のお寺らしくしているところがいい。
 そうしてこんな何気ない御堂のなかに、ずっと昔から、こういう匂いの高い天女の像が身をひそませていてくだすったのかとおもうと、本当にありがたい。

【小生comment
 上文中の【ミュウズ】の【 】は小生が付した。
 堀辰雄が、この「このミュウズの像は‥」と表現した「ミュウズ」から【東洋のミュウズ】と称される様になったという。
 因みに、『ミュウズ』とはギリシア神話の9柱の女神達で、詩神とされるが、学芸全般をも司った。
 ギリシア語名はムーサイ(単数形はムーサ)で、ミューズはその英語形。
 ゼウスが、ティタンの一人で記憶の女神ムネモシュネとの間にもうけた9姉妹のことで、夫々守護する担当分野は以下の通り。
 クリオ:歴史/エウテルペ:抒情詩/タリア:喜劇/メルポメネ:悲劇/テルプシコレ:舞踊
 エラト:恋愛詩/ポリュムニア:賛歌/ウラニア:天文学/カリオペ:叙事詩
 但し、当該分担については諸説あり。〔以上、ブリタニカ国際大百科事典より引用〕

 秋篠寺を出た時、技芸天の面影が浮かび、拙歌が浮かんだ。

  秋篠の 御(=)堂のミュウズが 醸し出す 色馨(いろか)と共に 秋深まりぬ  悟空

1005分 秋篠寺 駐車場 発 →〔当南東へ車5.2km 20分〕
1025分 松伯美術館 着
[09]松伯美術館 入口

[10]松伯美術館『特別展「花鳥画の心」展』leaflet
                  
[11]円山応挙『白鷹図』江戸中期

[12]徳岡神泉『後苑雨後』1927
                  
[13]速水御舟『夜梅』1930

[14]福田平八郎『青柿』1938
                  
[15]山口華楊『玄花』1979

[16]上村松篁『水温む』1988
                  
[17]稗田一穂『春夜』1994

【小生comment
 本企画展は、江戸時代から現代迄の日本画の推移を簡潔に見ることが出来た。
 出品作品も古今の巨匠達の名作ばかりなので感動した。
1120分 同所 発 →〔南東へ車7km 25分〕
1210分 第13代 成務天皇陵 着
[18]成務天皇陵〔=佐紀石塚山古墳〕
                  
 この地域に点在する古墳群を、佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)(= 佐紀古墳群)と言う。
 当初予定では、神功皇后陵を訪ねるつもりで歩いて行ったら、御陵の正面に到着して初めて成務天皇陵だということが解った。
 御陵の正面は前方後円墳の前方(=)にあったのだが、それを知らない為、車を後円墳の近くに駐車して結構歩いた。
 この佐紀石塚山古墳は成務天皇陵に治定され、全長220mある。
 「日本書紀」でも佐紀石塚山古墳を神功皇后の狭城盾列後陵と間違えて伝えていた時期があったそうだ。
 実際、朝廷は、承和10(843)年、改めて北の五社神古墳を神功皇后陵、南の佐紀石塚山古墳(さきいしづかやまこふん)を成務天皇陵と治定された。

1215分 同所 発 →〔北北西へ車1km(大回り約5km) 15分〕
[19]神功皇后陵の一部

1245分 神功皇后陵 着
[20]神功皇后陵(=狭城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ))の案内板
                  
 神功皇后陵は、五社神古墳(ごさしこふん)と言って、実際の埋葬者は不明。
 成務天皇陵を発ち、車で神功皇后陵とされるこの古墳を南東側から反時計回りに廻ったが、結果的に遠回りに3/4周程廻ってやっと案内板を見つけた。
 神功皇后陵の全長は276mと、成務天皇陵より更に大きく、探し出すのに結構な時間が掛った。
 因みに、神功皇后陵とされる五社神古墳は全国第12位の大きさを誇る古墳という。
1255分 同所 発 →〔南へ車4km 10分〕
1310分 第11代 垂仁天皇陵 着
[21]垂仁天皇陵

1320分 同所 発 →〔南東へ車2 5分〕
1330分 唐招提寺 駐車場 着
[22]唐招提寺 金堂前にて
                  
[23]唐招提寺 金堂 内陣

[24]唐招提寺 金堂 千手観音立像
                  
[25]鑑真和上(身代わり)

[26]唐招提寺 境内の伽藍群‥【伽藍のsymphony】‥
                  
 唐招提寺は、奈良市西の京、五条町にある。
 名僧 鑑真が開山した寺院で、南都六宗の1つ律宗の総本山。
 唐招提寺と言えば、先ず、高校日本史の教科書か何かで見た開山「鑑真和上像」を思い浮かべる。
 そして、松尾芭蕉が、愛弟子の杜國と共に当寺を訪れ、その像を眺め感動して残したこの名句が思い出される。

  若葉して御(おん)めの雫(しづく)ぬぐはゞや 芭蕉

【意】今若葉が萌えたつ美しい季節である
   この清々しい若葉で、鑑真和尚(=尊像)の御目の涙の雫をお拭(ぬぐ)い差し上げたい
【解説】「若葉して」は、「若葉で以て」と「周辺は萌えたつ若葉の樹々で」の両方の意味を兼ねている
   又、『笈日記』では、上五を「青葉して」とある
   季語:「若葉」‥(春)

 20160513日付《会報》【0600】記念号の「松尾芭蕉『笈の小文』第14回【大和路】」ご参照
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2016/05/260600140501051.html ←此処をclickしてご覧下さい

 更に、唐招提寺と言えば、會津八一の次の名歌も浮かぶ。

【前書】唐招提寺にて

  おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそ おもへ

  大寺の円き柱の月影を土に踏みつつものをこそ思へ
 
【意・解説】唐招提寺のエンタシスの円い列柱が春の月の光で、大地にくっきりと影を落としている、その影を踏みながら、深い物思いに耽っている。
   (原田清著『會津八一鹿鳴集評釈』)
 20091129日付《会報》【0266】号
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/index.html ←此処をclickしてご覧下さい

 又、唐招提寺と言えば、奈良・天平時代に建立された金堂、講堂を始め、唐招提寺の荘厳な伽藍配置がとても美しい。
 評論家 亀井勝一郎(1907-66)が著書『大和古寺風物誌』の「唐招提寺‥秋‥」の末尾で次の様に書いている。

 ところで唐招提寺になると、かような配置への顧慮は一見なげやりにみえる。金堂の前に立つと、その威圧的な大屋根のうねりと円柱に圧倒されて、他の何ものもみえない。塔はないし、講堂は真うしろにかくれてしまう。鼓楼と舎利殿がわずかに右方に望見される。そこには均衡に対する顧慮が全くないようにみえる。しかし一歩ずつ歩みをすすめて、これら伽藍の周囲をめぐりはじめると、急にその優しい美しさがあふれ出てくるのだ。
 金堂だけであったならば、あまりにいかめしく重厚であろう。講堂のみを眺めると唐の宮殿のように華麗で、寺としての陰翳(いんえい)に乏しい。鼓楼はそれ一つを離すとあまりに華奢(きゃしゃ)であり、舎利殿は整備され過ぎて古典の重みに欠ける。ところがこの四つの堂が揃うと、互に不足なところを補いあって、遂に欠点を見出せない、という不思議な効果をもった配置なのである。金堂のいかめしさは、舎利殿の整然たる姿と鼓楼の華奢な面影によって和(やわら)げられ、云わば側面から適度の反射光を投げかけたように柔軟な相を帯びてくる。そして金堂自身のもつ蒼然たる陰翳は、後の講堂に反映し、講堂のもつ稍々(やや)浮いた明るさに適切な重厚味を与えている。つまり各々異なった光を持つ四つの堂が、互に光を交わしながら全体として壮麗な美を現出するという、不思議な効果をもっているのだ。鑑真の率いた弟子達がかような効果を当初から念願したのであろうか。或は大唐の文化に学び、数々の寺院を建てて、漸く円熟自在の境に入った天平建築家の感覚が、おのずからこうした状景をつくり出したのであろうか。乃至(ないし)はもっと後代の作為なのか。それとも秋の光の戯れなのか。
 ともあれ私はこれら伽藍の周囲をめぐりながら、様々の方角から眺めつつ、そのたびに変化する建築の妙味に陶然とするのである。これは【伽藍の交響楽】だ。透明な秋空にひびきわたるかと思われるほど鮮やかな輪郭をもってそびえている。 ― 昭和十七年秋 ―

【小生comment
 鑑真和上(身代わり)像を見ていると、松尾芭蕉が、鑑真和上像(‥芭蕉が見た像は本物‥)を見て感動して名句をつくったのも納得出来た。
 又、會津八一の「おほてらの‥」の名歌は、彼の作品の中でも最上級の名作だと小生は思う。
 猶、上記 亀井勝一郎『大和古寺風物誌』文中末尾近くにある【伽藍の交響楽】の【 】は小生が付した。
 亀井氏が言う『伽藍のsymphony』という言葉は実に言い得て妙である。
 添付写真[26]をご覧頂ければ納得頂けるのではないだろうか。
1400分 同所 発 →〔東へ車4km 15分〕
1440分 大安寺 着
[27]大安寺 南大門

[28]大安寺【重文】十一面観音像
                  
 日本最古の寺の一つとされる大安寺も往時の面影はあまり残っていない。
 ただその由緒から南都七大寺()の一つに数えられている。
 又、本尊の【重文】十一面観音像も特別開帳期間中(1001日~1130)とあって拝顔出来て良かった。
 ()南都七大寺:東大寺・興福寺・元興寺・西大寺・薬師寺・大安寺と唐招提寺〔or法隆寺(←同寺だけ斑鳩という遠隔地に在る為含めない)

1500分 同所 発 →〔西へ車5km 20分〕
1550分 大池の南西岸の奈良医療センター付近 着
 薬師寺東塔が改修工事中で遮蔽物に覆われ全く見られない為、境内に入るのを諦め、大池越しに写真を撮影するに止(とど)めた。
[29]大池の南西岸から薬師寺遠望

1600分 同所 発 →〔東へ車5.1km 20分〕
1745分 スーパーホテル奈良・新大宮駅前 着〔途中、外食「すき家」にて夕食を摂る〕

■続いての話題は、1126日に名古屋へ行った際見た4つの美術館のうち、前《会報》にてまだご紹介していない残り2つの美術館についてである。
 松坂屋美術館と名都美術館、2つの企画展についてご紹介する。

【松坂屋美術館『第101回 再興 院展』】
 日本美術院、前理事長の松尾敏男氏が本年0804日に90歳にて亡くなられた。
 後任の代表理事(理事長)田渕俊夫氏が就任。
 今回の院展展示作品から幾つかをご紹介する。

[30]101回 再興 院展/右の絵は 同人 高橋天山『紫上』
                  
[31]同人 後藤純男『夕秋大和』

[32]同人 那波多目功一『アイガー北壁』
                  
[33]同人 清水達三『潮騒』

[34]同人 小田野尚之『雪の朝』
                  
[35]並木功『皎』

[36]初入選 西川光子『廻廊へ』
                  
 この『廻廊へ』を見ていたら、唐招提寺 金堂の円柱を思い浮かべた。

【名都美術館『小倉遊亀』【後期】展】
 本展は、20161028日付《会報》【0624】号でお伝えした名都美術館『小倉遊亀 ― 明るく、温かく、楽しいもの ―』展の【後期】展である。
 【前期】展は、以下をご覧下さい。
 http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/26-06241016-101.html ←此処をclickしてご覧下さい

[37]本展leaflet

[38]小倉遊亀『葡萄』1959
                  
[39]同『観自在』1968

[40]同『舞妓』1969
                  
[41]同『姉妹』1970

[42]同『うす霜』1984
                  
[43]同『花三題()1985

【小生comment
 【前期】展と作品が半分以上入れ換わったので、数多くの初見作品を鑑賞出来て良かった。
 人物画は、『観自在』『舞妓』『姉妹』をご覧の様に、人肌の温かさを感じることが出来る人間味ある作品ばかり‥。
 当に小倉遊亀の真骨頂である。

■続いては、1202日 愛知県芸術劇場コンサートホールにて開催された『ランラン Piano Recital』についてである。
 ランランは2年振りとなる名古屋でのRecitalだ。
 演奏曲目は、当日会場のホワイエにて購入したCDと全く同じで、Tchaikovsky『四季』とChopinScherzo No.14』。
 Encore曲は、[1]ポンセ:感想曲 [2]ファリャ:火祭の踊り [3]ガーシュウィン:前奏曲第3番 の3曲。
 当日の演奏会終了後、CDprogram購入者にはランランにsignをして貰えるので、いそいそと出かけ添付写真[45]の様にsignをして貰った。
 そのsign会の時、係員より「彼とのTwo-shot は駄目だが、彼を撮影することは構わない」という許可が出たので喜んで撮影したのが添付写真[46][47]である。

[44]Recital leaflet
                  
[45]Recital Program & ランランのsign入り 本演奏会前曲目収録CD

[46]sign会場でのランラン1
                  
[47]sign会場でのランラン2

【小生comment
 ランランの最新CDに収録された曲が、今回のRecitalでの演奏曲目。
 だから、演奏会の全曲目が収められたCDに直接ランラン本人からsignをして貰えたことは六十路を越えた小生でも正直とても嬉しい。
 彼の演奏は、今回も自信に満ちた完璧な演奏で、その特徴は、Chopin4曲のscherzoのよく表れていた。
 至福の1時間半余りのRecitalであった。

■今日最後の話題は、1204日にライフポートとよはしにて開催された『第119回 豊橋交響楽団定期演奏会』についてである。
 本演奏会は、本演奏会で演奏する豊響 member で、金管楽器 section leader 且つ horn part leader 兼務の安形S二君から誘われていたものである。
 安形君は、時習26回【3-1】の同期生で、旧【1-4】の classmate でもある。
 本演奏会には、同じく時習26回【3-6】の同期生で、旧【1-4】&旧【2-8】のclassmateでもある水藤T詳君と一緒に聴きに行った。
 当日は、会場入口で、数分間開場を待っていた時、同じく時習26回【3-2】で、旧【2-8】のclassmateだった森田S子さんに偶然遭った。
 更に、小生は気が付かなかったが、水藤君や安形君から、ブラスバンド部の時習26回【3-3】の同期生の内藤Y典君も聴きに来ていたと教えて貰った。
 演奏者は、Pianist:市野あゆみさん/Guest Concert Master:安永徹氏
 安永氏は、元Berlin P.O. 第一concert masterという超一流のviolinist
 因みに、市野あゆみさんとは御夫婦。
 演奏曲目は、以下の2曲。

[1] J. Brahms : Piano Concerto No.1 in d minor Op.15
[2] P. Tchaikovsky : Symphony No.4 in f minor Op.36
encoreJ. S. Bach : G線上のアリア‥管弦楽組曲第3版より‥

[48]本演奏会leaflet
                  
[49]ライフポートとよはし foyer(ホワイエ)にて 水藤君と

【小生comment
 市野あゆみさん演奏による BrahmsPiano協奏曲第1番のPiano独奏は、実力通り抜群な技量を見せてくれた感動的な演奏だった。
 因みに彼女は、東京藝術大学で安川和寿子氏に師事。
 その後、各種の国際音楽コンクールで入賞を重ね、留学先のBerlin芸術大学の講師も務め、輝かしいcareerを重ねている Pianist の名手。
 Tchaikovskyの交響曲第4番も、第一楽章冒頭の horn fagotto fanfare motif から、最終楽章のFinale : Allegro con foco 迄素晴らしかった。
 Encore曲を演奏する前にguest コンマスの安永氏が、聴衆に向かって、「今日は重量級の2曲をみんなよく頑張って弾き切りました」と褒められていたが、ホントその通りだと思う。
 六十路を過ぎても、大好きな音楽と horn と共にある安形君を正直羨ましく思った。
 本演奏会は、上質で清々しい音楽会であった。
 名曲っていいナァ‥と改めて思った。

【後記】さて、次回《会報》【0631】号では、本《会報》に続き、1123日:『古都奈良一人旅』〔三日目=最終日〕の模様を、具体的には「法輪寺〔十一面観音像〕→ 法隆寺・中宮寺〔菩薩半跏思惟像〕→ 法起寺〔十一面観音像・三重塔〕→ 法隆寺・夢殿 → 法隆寺・五重塔 → 司馬遼太郎記念館 → 美術館「えき」KYOTO『マリ―ローランサン』展の順でご紹介する。
 又、1207日:愛知県美術館『日本で洋画、どこまで洋画』展、そして1210日:浜松市美術館『女性を描く』展の模様をお届けする予定である。
 お楽しみに!
 ではまた‥。()

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