2022年1月17日月曜日

【時習26回3−7の会 0896】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『ひさご』から〔第08回 / 第43句~48句〕」「01月08日:JR戸塚駅→旧東海道「戸塚宿」「吉田一里塚跡〕」「品濃一里塚」「焼餅坂」「権太坂上」「保土ヶ谷一里塚跡」→JR保土ヶ谷駅 を歩いて」「今は少し昔の物語『2011年07月17~18日:中嶋君【3-2】との京都旅行『南禅寺』『鈴木章北大名誉教授ノーベル化学賞受賞記念講演 at 京都大学』『高桐院』『龍安寺』『仁和寺』『妙心寺・退蔵院』『広隆寺』巡り& 同年08月13日【2637の会】クラス会& 2007年05月『大連小旅行』」「坪田一男『人は誰でも「元気な100歳」になれる』& 日野原重明『いのちと勇気の言葉』を読んで」「2022年01月12日&16日:栗原信『南佛の農家(カーニュ)』&宮川魏『寒椿』1976年を入手して」「01月16日:大竹良夫君【3-10】『そら』2022年を見て」

 ■皆さん、今日も【時習26回37の会 0896】号をお届けします

.  今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『ひさご08回 / 43句~48〕」をご紹介する

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043 (あき)の色(いろ)(みや)(1)ものぞかせ給(たま)ひけり  通

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【意】やんごとなき宮が秋色を探っての郊行で、偶然娘の美しさに心惹かれてそっと垣間見られた / 美しい秋月の夜の出来事

【解説】《初折裏一》《秋》:秋の色 / 前句の親子の「子」貧しくも見目麗しいとした / 昔物語を俤(おもかげ)にした「向付(むかいづけ)」で転じた /「のぞく」は《恋》の呼び出し

(注1)宮(みや):止事無(やんごとな)き身分(=身分・地位の極めて高い)の人の意

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044  こそぐられてはわらふ俤(おもかげ)  仝

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【意】こそぐられて笑い声を漏らしている女の媚態が、御簾越しに窺われる、の意

【解説】《初折裏二《雑》《恋》:俤(おもかげ のぞかれる側を描いた「向付」/「打越(=「付句」の前々句)と「観音開き」になる

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045 うつり香(か)の羽織(はおり)を首(くび)にひきまきて  碵

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【意】女のうつり香の残る羽織を首に巻きつけて其の残り香をら朝帰り /

【解説】《初折裏三》《雑》《恋》:うつり香 / 前句を、華街帰りの遊び人として、「俤」を回想に取り成し、雅を俗に転じた「向付」

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046  小六(ころく)(注1)うたひし市(うつ)(注2)のかへるさ  仝

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【意】市からの帰り道、小六節が鼻歌混じりに口をついて出て来る、の意

【解説】《初折裏四》《雑》《恋》:小六ふたひ /

(注1)小六(ころく):関東小六のことを歌った当時流行の小唄 / 小六は小唄の名手と言われた美男の馬追い / 女性にもてた

(注2)市(いち):前句に付けて吉原仲野之町の草市等が思い浮かぶが、特定しない / 市に盛り場の雰囲気があったのは昔からで、「よき人々市に行きてなむ色好むわざはしける」(大和物語103段)という

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047 (はえ)(つり)のちいさく見ゆる川の端(はた(orはし))  通

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【意】川沿いの道を行くと、遠くに川端で鮠(はや)を釣っている釣り人の姿小さく見える

【解説】《初折裏》《雑》 前句の人の目を借りて郊外の景に転じた /「小六」と「小さく」は差し合う為、仮名表記にした

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048  念佛(ね(ん)ぶつ)(まうし)ておがむみづがき(注1)  仝

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【意】社寺仏閣を見れば念仏を唱えて合掌する愚直で信心深い老人の様(さま)/ 前句を賀茂の河原等に見立てた「付句」か

【解説】《初折裏》《雑》/

(注1)みづがき:「瑞垣(瑞籬)=神社や宮殿の周囲の垣根」のこと神社仏閣に掛かる「枕詞

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【小生 comment 

. 次回は、『ひさご』第09回 / 第49句~54をお届けする / お楽しみに!

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■続いての話題である
. 一昨日(2022年01月15日(土))は、旧東海道街並「戸塚宿」→「保土谷宿」を巡って来た

. 戸塚宿は戸塚区、保土谷宿は保土ヶ谷区、いずれも横浜市の区になっていて、「もう『横浜』に来たんだーっ」と実感した一日だった

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【旧東海道「戸塚宿」→「保土ヶ谷宿」walking digest 】

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. 今日は、昨日歩いた「戸塚宿」→「保土ヶ谷宿」を此れから順次お届けする

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[01][左上]江戸から40km、10番目の戸塚宿「吉田一里塚跡」にて


[右上]吉田一里塚跡の手前(南)の柏尾川に架かる「吉田大橋」北側の「吉田大橋」交差点

. 我が故郷豊橋〔旧吉田の街〕は城下町で、吉田藩の象徴「吉田城」の直ぐ北を流れる豊川(とよがわ)に架かる「吉田大橋」から見れば小さいちいさい橋だった!

[左下]江戸から36km、9番目の戸塚宿「品濃一里塚跡」にて

[中下]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道にて〔江戸から32km、8番目の保土ヶ谷宿「保土ヶ谷一里塚跡」は此の digest では割愛〕

[右下]此の日の歩行距離 18.8km / 歩行歩数24,582歩

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【小生 comment 】

. 今日も天候に恵まれた日中で、旧東海道五十七次〔五十三次〕の walking も、残る宿は「神奈川宿(現・横浜)」「川崎」「品川」の 3宿と起点の「日本橋」迄の32km となった

. 日本橋到着が待ち遠しい!

. 余談だか、小生が昨日着た薄い臙脂色のブレザーは、小生が大学4年22歳になったばかりの時に買った既製服!

. 生地の持ちや保管もいいが、小生22歳の時の slim な体型が崩れていないのかな?

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01時05分 起床→腹筋2,000回

01時50分 2.5kg木刀素振り40分

02時30分 仕度

02時47分 拙宅発→一般道→愛鷹SIC〔トイレ休憩15分〕05時02分発→東名→海老名JCT→藤沢IC→一般道3時間47分264km→

06時40分 旧東海道「戸塚宿」コイン駐車場〔料金1,200円〕

. 今回の「戸塚宿」は、先週の「藤沢宿」より7km遠く到着迄に25分更に時間を要し、コイン駐車料金も400円高くなった

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【拙宅発→旧東海道「戸塚宿」駐車場】

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[02][左上]拙宅出発時の出発地豊橋市(左)と到着地横浜市(右)の天気と気温


[右上]02時47分拙宅発→05時02分愛鷹SIC発→06時40分旧東海道「戸塚宿」コイン駐車場着時点での車の掲示板

[左下]Google 航空map:「戸塚宿コイン駐車場」→「澤邊本陣跡」→「吉田一里塚跡」への経路図

[中下]コイン駐車場にて

[右下]Google 航空map:「コイン駐車場」→「戸塚宿 澤邊本陣跡」→「脇本陣跡」→「戸塚宿 内田本陣跡」→「吉田一里塚跡」への経路図

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07時05分 駐車場発→徒歩

07時10分 戸塚宿「澤邊本陣跡」着

07時18分 戸塚宿「内野本陣跡」着

07時25分 同所発

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区戸塚町〕風景:旧東海道「澤邊本陣跡」「内野本陣跡」】

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[03][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区戸塚町〕風景:旧東海道「澤邊本陣跡」同所にて


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」同 

[左下]同〔同市同区同町〕同:同にて

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「内田本陣跡」解説板

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所ににて

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07時43分 吉田大橋着

08時47分 戸塚宿 吉田一里塚跡着

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【旧東海道〔横浜市戸塚区吉田町〕風景:旧東海道「吉田大橋」「吉田一里塚跡」】

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[04][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区戸塚町〕風景:旧東海道「吉田大橋」欄干にて


. 背景の絵は、広重「東海道五十三次『戸塚』」

[右上]吉田大橋交差点〔既出[01][右上]〕

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「戸塚〔吉田〕一里塚跡」解説板

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所にて〔既出[01][左上]〕

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」解説板

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08時21分 戸塚宿「江戸方見付跡地」着

08時25分「宝蔵院」着

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【旧東海道〔横浜市戸塚区吉田町〕風景:旧東海道「江戸方見付跡地」「宝蔵院会館」1】

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[05][左上]Google 航空map:「吉田一里塚跡」→「品濃一里塚跡」への経路図


[右上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区吉田町〕風景:旧東海道「江戸方見付跡地」

[左下]同〔同市同区同町〕同:「宝蔵院会館」碑にて

[中下]同〔同市同区同町〕同:「同」解説板

[右下]同〔同市同区同町〕同:「本堂」同所前にて

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08時35分「宝蔵院」発

08時39分「ブリヂストン横浜工場」前着

08時58分「不動坂」着

09時27分「提灯立場蹟」着

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区吉田町→柏尾町→上柏尾町〕風景:旧東海道「宝蔵院」2→「不動坂」「提灯立場跡」】

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[06][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区吉田町〕風景:旧東海道「宝蔵院」「六地蔵」前にて


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」「慈母観世音」

[左下]同〔同市同区柏尾町〕同:旧東海道にて〔 Back に「川崎」「保土ヶ谷」への道標〕

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「不動坂」同所にて

[右下]同〔同市同区上柏尾町〕同:同「提灯立場跡」解説板

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09時40分「海道橋」着

 

【旧東海道街並〔横浜市戸塚区上柏尾町→平戸町→〕風景:旧東海道「提灯立場跡」「海道橋」】

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[07][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区上柏尾町〕風景:旧東海道「提灯立場跡」にて


[右上]同〔同市同区平戸町〕風景:旧東海道「海道橋」同所にて

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」解説板

[中下]同〔同市同区品濃町〕同:旧東海道

[右下]同〔同市同区同町〕同:同所にて

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸町〕風景1】

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[08][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸町〕風景:旧東海道1


[右上]同〔同市同区同町〕同:同上2

[左下]同〔同市同区同町〕同:旧東海道にて

[中下]Google 航空map:旧東海道「平戸町」→「品濃一里塚跡」への経路図

[右下]旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸町〕風景:旧東海道

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸町〕風景2】

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[09][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸町〕風景:旧東海道


[右上]同〔同市同区同町〕同:旧東海道「品濃坂」解説板

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所にて

[中下]同〔同市同区品濃町〕同:旧東海道にて1

[右下]同〔同市同区品濃町〕同:旧東海道にて2

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10時31分「品濃一里塚跡」着

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸→品濃町「品濃一里塚跡」1〕風景】

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[10][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区平戸〕風景:旧東海道「電柱の道標」


[右上]同〔同市戸塚区平戸〕同:旧東海道1

[左下]同〔同市同区同〕同:同上2

[中下]同〔同市同区品濃町〕同:旧東海道「品濃一里塚跡」碑

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町〕風景「品濃一里塚跡」2】

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[11][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町〕風景:旧東海道「品濃一里塚跡」同所にて1


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」解説板

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所にて2〔既出[01][左下]〕

[中下]Google 航空 map:「品濃一里塚跡」→「保土ヶ谷一里塚跡」への経路図

[右下]同〔同市同区平戸〕同:旧東海道

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10時54分「焼餅坂」着

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町)〕「焼餅坂」】

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[12][左上]旧東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町〕風景:旧東海道「焼餅坂」解説板にて1


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」同上2

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」解説板1

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所より戸塚宿方面を振り返って

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「品濃焼餅坂公園」看板横にて

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11時05分 旧東海道「焼餅坂」発

11時08分 旧東海道「武相国境之木」着

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【旧東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町→保土ヶ谷区境木本町〕風景:旧東海道「境木地蔵」1】

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[13][左上]東海道街並〔横浜市戸塚区品濃町〕風景:旧東海道「品濃焼餅坂公園」の熊笹


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「焼餅坂」解説板2

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「左旧東海道」道標

[中下]同〔同市保土ヶ谷区境木本町〕同:同「武相国境之木」

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「東海道保土谷宿周辺散策案内図」

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11時12分 境木地蔵堂着

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区境木本町〕「境木地蔵堂」】

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[14][左]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区境木本町〕風景:旧東海道「武相国境之木」にて


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「境木地蔵由来」碑

[右中]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所にて

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「境木地蔵堂」同前にて

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」内陣

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11時26分「境木地蔵堂」発

11時38分「権太坂上」バス停着

11時50分「同」交差点着

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区境木本町→権太坂〕風景:「境木地蔵堂」→「権太坂上」】

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[15][左上]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区境木本町〕風景:旧東海道「境木地蔵堂」本堂前にて


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」境内の地蔵尊前にて

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」本堂を back に

[中下]同〔同市同区権太坂〕同:同「権太坂上」バス停

[右下]同〔同市同区同〕同:旧東海道街「権太坂上」交差点

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12時02分「狩場交差点」着

12時35分 旧東海道「保土谷宿 松並木と復元事業」解説板着

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区狩場町→保土ヶ谷町〕風景】

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[16][左上]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区狩場町〕風景:「狩場交差点」にて


[右上]同〔同市同区同町〕同:「狩場インター」陸橋にて

[左下]同〔同市同区保土谷町〕同:「保土谷宿 松並木と復元事業」解説板

[中下]同〔同市同区同町〕同:「同」同所にて

[右下]同〔同市同区同町〕同:旧東海道

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12時44分 旧東海道「保土ヶ谷一里塚跡」「上方見附跡」着

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「保土ヶ谷一里塚跡」「上方見附跡」】

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[17][左上]旧東海道街並〔横浜市保土谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「保土ヶ谷一里塚跡」「上方見附跡」


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」「同」解説板

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」「同」同所にて1

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「同」「同」同上2

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」「同」同上3

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13時05分「旅籠屋〔本金子屋跡」

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「旅籠屋〔本金子屋(ほんかねこや)〕跡」】

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[18][左上]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「旅籠屋〔本金子屋〕」外観と記念碑1


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「同」同上2

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同所前にて1

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「同」同上2

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「同」外観と庭木「クチナシの実」

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13時30分「保土谷宿 本陣跡」着

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【旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「保土ヶ谷宿〔脇本陣〕」等】

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[19][左上]旧東海道街並〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道にて〔左手後方に左「川崎」「東神奈川」、右「鎌倉」の道標〕〔既出[01][中下]〕


[右上]同〔同市同区同町〕同:同「脇本陣〔水屋〕跡」同所にて

[左下]同〔同市同区同町〕同:同「保土ヶ谷宿の宿泊・休憩施設」解説板

[中下]同〔同市同区同町〕同:同「道標」

[右下]同〔同市同区同町〕同:同「〔保土ヶ谷宿〕本陣跡」解説板

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13時39分「保土ヶ谷橋」着

13時22分 JR保土ヶ谷駅発→東海道本線〔運賃@168円〕→

14時31分 JT戸塚駅着

15時36分「旧東海道 戸塚宿 コイン駐車場」発→一般道→藤沢IC→海老名JCT→厚木IC→東名→愛鷹SIC〔トイレ休憩12分〕→一般道→

20時00分 帰宅〔了〕

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【旧東海道〔横浜市保土ヶ谷区保土谷町〕風景:旧東海道「〔保土谷宿〕本陣跡」】

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[20][左上]旧東海道〔横浜市保土ヶ谷区保土ヶ谷町〕風景:旧東海道「〔保土谷宿〕本陣跡」解説板横にて


[右上]帷子川(かたびらがわ)に架かる「保土ヶ谷橋」にて

. 此の写真を撮影した処で、又スマホの画面が freeze して仕舞い、JR保土ヶ谷駅が撮影出来なかった

. スマホを放電させて、帰宅する頃には使用出来る様になってホッとした

[左下]時刻表「14時22分 JR保土ヶ谷駅→16時31分 JR戸塚駅着」

[中下]20時00分 帰宅〔走行時間 4時間12分 / 走行距離 復路266㎞ / 走行距離計531.4km〕

[右下]此の日の歩行距離 18.8km / 歩行歩数 24,852歩〔既出[01][右下]〕

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16時48分「旧東海道 戸塚宿 コイン駐車場」発→一般道→藤沢IC→海老名JCT→厚木IC→東名→

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【小生 comment 】

. 今日も楽しい walking だった

. 次回は、旧東海道「保土谷宿」→「神奈川宿」を歩く予定である〔了〕

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■続いての話題である

. 今は少し昔の懐かしい想い出から‥

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【時習26回3-7の会 0351】~「《クラス会》出欠表明状況(07月23日現在)」「07月17日:京都市美術館『フェルメールからの love letter 展』『南禅寺』の方丈・三門と二つの塔頭を巡り、京都大学時計台記念館『鈴木章 Nobel 化学賞受賞記念講演』を聴いて」

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. さて、今日最初の話題です。実は、小生一週間前の07月17日(日)~18(祝月)の二日間、中嶋良行君(旧【3-2】)と京都に行って来た

. 今日は、そのうち初日17日の模様をお伝えしたい

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. 実は小生、縁あって『鈴木章先生ノーベル化学賞受賞記念講演会』の ticket を2枚入手した

. 〔中略〕中嶋君に相談した処、「両日は空いているからいいよ」と了解を頂き決行となったのでした

. その時中嶋君から「丁度いい。京都方面なら、次回の『時習26回卒業40周年記念旅行』の route & 宿泊候補探ししよう!」と逆提言を受け一泊二日の旅行になったという次第

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. 以下に、旅行初日の模様を行程と共に以下に記す

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【旅行第一日目(07月17(日))

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05:00 拙宅発

05:25 中嶋宅着 05:30

  〔東名高速・音羽蒲郡IC→伊勢湾岸・第二名神〔土山SA:小休止20分〕・名神・京都東IC〕

08:35 京都・岡崎公園地下駐車場着

08:40 京都市美術館着〔フェルメールからの love letter 展、拝観@1,500円〕

09:35 京都美術館発〔徒歩800mにて東山南禅寺へ〕

09:50 金地院着〔拝観:@400円、方丈(本堂)・庭園(特別名勝「鶴亀の庭」)・東照宮拝観〕

10:40 南禅院着〔拝観:@300円、庭園〕& 琵琶湖疎水『水路閣』を観る

10:58 南禅寺・方丈着〔拝観:@500円、方丈・法堂・方丈庭園〕

11:25 南禅寺・三門着〔拝観:@500円、楼閣に登り京都市内遠望〕

.   南禅寺だけで、拝観料は4件@1,700円となる‥「ウ~ム、高い!」(笑)

11:35 南禅寺発 徒歩で岡崎公園近くにある「グルメ・ナビで調べたラーメン店『一番星』」へ

11:55 昼食〔チャーシューメン大盛 @750円〕‥ soup が美味だった

12:45 昼食後、車で講演会会場の京都大学百周年時計台記念館近くにある京大病院の喫茶cornerにて時間調整

14:10 京都大学百周年時計台記念館着

14:30~16:30 鈴木章北大名誉教授記念講演「ノーベル化学賞を受賞して」を受講

16:45 講演終了後、駐車場の京大病院へ、そして宿泊場所の大津プリンスホテルへ

17:53 大津ブリンスホテル着、そして check in

※ 夕食をとった和食 restaurant「清水(36階)」や、spirits を嗜んだ「sky lounge "The top of Otsu"(38階)」は眺望も絶景で良かった

00:30 就寝

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【小生comment】

. とにかく暑かった  17日京都の最高気温は35.7度Cを記録

. 京都市美術館や京大病院、京大講堂(記念館)の中は冷房が効き涼しかったが、美術館→南禅寺→岡崎公園地下駐車場、京大病院と京大講堂の往復の「徒歩」は無茶苦茶暑くて堪らなかった(笑)

. 大津プリンスホテルは、琵琶湖の眺望も素晴らしく食事も良かった

. しかし、この hotel には大浴場がない

. 卒業記念旅行参加者は、相部屋で宿泊するので、各個室の風呂を順番に使用することとなり不便である

. 同窓会用の宿泊場所としては不適格であるとの結論に達した

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【京都市美術館『フェルメールからの love letter展』を見て】【南禅寺と同寺塔頭】

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. まず最初に我々が向かったのが、京都市美術館にて06月25日~10月16日迄開催中の『フェルメールからの love letter展』

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[21][左上][上][下]京都市美術館『フェルメールからの love letter 展』看板前にて中嶋君と小生


[右上][上][下]南禅寺境内案内図前にて中嶋君と小生

[同][左下][上][下]金地院「山門」前にて中嶋君と小生

[同][中下]金地院の風景から3 scenes

[同][右下]南禅寺 琵琶湖疏水 水路閣 前にて中嶋君と小生

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[22][左上]南禅院の風景から4 scenes


[同][右上]南禅院の風景から5 scenes

[同][左下]南禅寺[上]【重文】三門(山門) / [左下][中下][右下]同所にて中嶋君と小生

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【『鈴木章 Nobel 化学賞受賞記念講演』を聴いて】

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[22][中下][左]鈴木章Nobel化学賞受賞記念講演会 poster / [右上][右下]百周年時計台記念館 at 京都大学 前にて中嶋君と小生

[右下][左]大津プリンスホテル前にて / [右上]大津プリンスホテル36階 restaurant「清水」での中嶋君 / [右中][右下]応援に駆けつけてくれた山中さん

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. 琵琶湖の夜景は本当に綺麗だった

. 琵琶湖の鳥と言えば「鳰((にお)カイツブリ)」

. 其処で琵琶湖は昔から「鳰の海」とも呼ばれている

. そこで拙句を一句‥

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.  鳰(にほ)の海 君と語らふ 大暑の夜(よ)  悟空

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■二日目は、以下の様に行動した

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【18(月祝)】

06:00 起床

06:30 朝食〔06:30~10:00:37階 restaurant New York " Viking(和・洋選択) "〕

08:00 大津ブリンスホテル

09:05 大徳寺駐車場〔車25台@100円/30分〕

09:15 大徳寺高桐院〔拝観@400円〕

09:50 高桐院発

10:20 龍安寺着〔拝観@500円/駐車100台@1時間無料〕

10:55 龍安寺発

11:07 仁和寺前〔駐車500円(時間無制限)〕

11:10~11:50 仁和寺〔境内を散策:仁王門、国宝・金堂、五重塔〕

11:40 仁和寺発

.   南東へ約700m徒歩にて妙心寺北総門へ向かう。

11:50 妙心寺北総門から更に徒歩で南へ400~500m歩く

11:57 妙心寺退蔵院着〔拝観:@500円/駐車料金無料〕~元信の庭園、瓢鮎図~

12:20 妙心寺発

.   再び徒歩で仁和寺の駐車場迄歩く

12:40 仁和寺駐車場発

13:05 広隆寺着〔拝観@700円/駐車料金無料〕~国宝・弥勒菩薩~

13:30 広隆寺発〔→帰途へ、刈谷SAにて小休止、夕食をして〕

17:30 中嶋宅着

18:00 拙宅着

.

【小生comment】

. 二日目は大津プリンスホテルを出発した頃から雲行きが怪しくなり、大徳寺に着いた頃には雨となった

. 前日の天候と違い雨天なのだが、湿気が多くとにかく暑かった

. 車の中はエアコンが効いて涼しいのだが、車から出て歩くと直ぐに汗が噴き出て来るのには閉口した

. 右京区にある龍安寺・仁和寺・妙心寺周辺は、37年前、中嶋君が大学教養部時代に下宿していた場所である

. 龍安寺の鏡容池の周りを散策している辺りから中嶋君が俄然雄弁になった

. 昔日の青春時代、勉学に勤しんだ頃の懐かしい思い出が、彼の脳裏を走馬灯の様に駆け巡っているのを感じ取ることが出来た

. 彼曰く、「昔、よくここを散歩したよ。石庭は数回しか見ていないが、寺の境内は週に何回も散歩したんだ」

. 仁和寺から妙心寺へ向かう道すがらでは、狭い路地を横切った際、また曰く、「確かここを曲がるとクリーニング屋があったんだが‥。あーっ、まだあるよー!」

. 妙心寺は46もの塔頭がある大寺院だが、北総門から南総門に程近い退蔵院迄の境内数百米を歩き乍ら曰く、「バイトで家庭教師していた時、いつもここを歩いたんだ。でも退蔵院に入ったことはなかったなぁ」

. 37年前、小生も彼の下宿に一週間以上泊めて貰った時の懐かしい想い出の断片が頭の中を去来した

. 小生にとっても、龍安寺・仁和寺・妙心寺いずれも37年ぶりの再訪である。実に懐しかった

.

. 以下に、訪れた5つの寺院・塔頭についてご紹介したい

.

【大徳寺・高桐院】

.

. 大徳寺の塔頭の一つである「高桐院」は、小生これで4回目の訪問となる

. 最初がやはり37年前(=2022年01月現在からでは48年前‥)の昭和49年06月

. 大徳寺の塔頭の中でも『大仙院』が、高校の日本史でも必ず出て来る代表的な枯山水庭園の名所である

. が、小生個人的には高桐院の方が好きである

. 玄関への長い石畳の参道や客殿(本堂)から望む庭園が、初夏には新緑の、晩秋には真っ赤に紅葉した楓に彩られて本当に美しい

. 当院は、細川藤孝(幽斎)の長男忠興(三斎)により1601(慶長06)年に建立

. 庭の一角には三斎とガラシャ夫人の墓所〔石灯籠〕がある

. ガラシャ夫人と言えば、細川護煕氏が首相辞任の際、引用したことでも有名な辞世の歌がある

.

.  散りぬべき時知りてこそ 世の中の花も花なれ人も人なれ

.                      細川ガラシャ〔享年38歳〕

.

[23][左上][左]高桐院 解説板 / [右上][右下]参道にて中嶋君と小生


[右上]同 本堂の 3 scenes

[左下][上]同 細川忠興(三斎)&ガラシャ夫人の墓〔石灯籠〕/ [左下][右下]本堂の 2 scenes .

【龍安寺】〔臨済宗・妙心寺派〕

.

[23][中下]龍安寺 石庭の 5 scenes

[右下][上][左下]同「吾唯足知 (われ ただたるを 知る)」蹲(つくばい)解説板 / [中下][右下]石庭を back に中嶋君と小生

.

. 次に向かったのは龍安寺

. 此処は、史跡・特別名勝「方丈庭園、所謂『龍安寺の石庭』」が著名

. 幅22m、奥行10mの敷地に帚(ほうき)目を付けた白砂に15個の石を5箇所に配置した simple な庭園。作庭年代、表現意図共に定かでないが、室町時代末期に優れた禅僧の作庭と伝えられる

. 此処で「龍安寺」という前書のある名句を一句ご紹介する

. 寺院の大庇(おおひさし)と蝶の「大・小」、大庇の高みから庭へ舞い降りて来る蝶の「上(→)下」移動、方丈の大庇と舞う蝶の「静・動」

. これ等の contrast が秀逸である

. 実に絵画的な作品である。添付した「龍安寺の石庭」を見乍ら、大庇から石庭へ舞い降りて来る蝶を想像してみて下さい‥「ほらっ、そこに蝶々が‥」

.

.  方丈の大庇より春の蝶  高野素十

.

【仁和寺】〔真言宗・御室(おむろ)派総本山〕

.

. 『仁和寺』と言えば、まず思い出すのが高校時代の古文の時間

. 吉田兼好の徒然草第52段「仁和寺にある法師」である〔勿論、仁和寺に居た僧侶が出かけた先は『石清水八幡宮』であるが‥(笑)〕

.

. そして次に思い浮かべるのは、『宇多天皇(867-931(在位:886-897)年)』

. 仁和寺の創建は888年で、開基が宇多天皇

. 宇多天皇は、一度臣籍降下したが藤原基経の計らいで天皇となった

. 『阿衡(あこう)事件※』で勅書を改作させられた関白藤原基経が死去した891年以降、宇多天皇が親政した寛平年間(889-898年)の政治を理想化し『寛平(かんぴょう)の治』と呼ぶ

. 基経の死後、宇多天皇は菅原道真を重用

. 894年道真が遣唐使廃止したことは有名

. 『阿衡事件』とは、宇多天皇即位後、藤原基経を関白とした時の勅書に「宜以阿衡之任為卿之任」とあったので、基経は、「阿衡は地位だけで職務がない」と言いがかりをつけ、天皇が勅書を改作させられた事件

. 「金堂」は、1613(慶長18)年建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624-44年)に移築・改造したもので、近世の寝殿造遺構として重要

.

[24][左上][左][右上]仁和寺【重文】五重塔 / [右中][右下]【国宝】金堂


[右上]同 [左][右中]仁王門 / [右上]中門にて仁王門を back に / [右下]由緒書

.

【妙心寺・退蔵院】

.

. 此の塔頭は、応永11(1404)年創建

. 足利4代将軍義持の命で如拙(じょせつ)が描いた水墨画、【国宝】『瓢鮎(ひょうねん)図』(制作念:1415年以前)が著名

. 「瓢箪で鮎(なまず)」を押さえるという禅の「公案」を描く

. 因みに、ナマズは、今は「鯰」と書くがこれは国字

. 中国由来は「鮎」を使う

. 退蔵院には、画聖「狩野元信(1476-1559)」作庭の方丈庭園(枯山水庭園)と、昭和40年に中野金作作庭の池泉式庭園「余香苑」があるが、いずれも典雅で見る者を魅了する

. 因みに、狩野永徳(1543-90)は、元信の孫になる

 

[24][左下][上]妙心寺・退蔵院【国宝】『瓢鮎(ひょうねん)図』/ [下]同・同 前にて

.

【広隆寺】

.

. 小生、前々から日本の【国宝】第1号(注1)の廣隆寺の弥勒菩薩を見てみたかったのである

. 此の像は、【国宝】第1号として紹介されているが、指定された昭和26年6月9日付の物件は他にも多数あ

. 此れは、本像が【国宝】指定時の「指定書及び台帳番号」が【彫刻第1号】であることから由来している〔以上は余談!〕

. 猶、制作時期は7世紀とされるが、制作地は日本、朝鮮渡来等、定まっていない

. 小生、本像を念願叶って初めて拝顔したが、実に美しい半跏思惟像〔=左脚を垂れ、右脚を屈げ左の膝頭に乗せて腰をかけ、右手を頬の辺りに挙げて思考に耽る姿〕である

. 以前、法隆寺の中宮寺・弥勒菩薩は見たことがあるが、両像とも本当に美しく素晴らしい像である

. さて、皆さんはどちらの弥勒菩薩がお好きですか?

. 小生は『‥ヒ・ミ・ツ‥』(笑)

. 車で行って初めて判ったことだが、広隆寺は、正に太秦の映画村の隣りに立地する

.

[24][右下][左]広隆寺・弥勒菩薩 / [右上]広隆寺と中宮寺の弥勒菩薩

.

【後記】お別れに、(2011年)07月25日、夏の高校野球選手権愛知県大会4回戦で、2年連続優勝校中京大中京に3-2で逆転勝ちした時習館高校野球部9の勝利の瞬間の写真をお届けしたいと思う

.

[24][右下][右下]中京大中京に3-2で逆転勝ちした時習館高校野球部9(ナイン)

.

. 痛快ですね!

. ところが二日後の27日、5回戦が行われ、我等が時習館高校は吉良高校に 2-9 で敗れて仕舞った、残念!

. では、また‥(了)

.

続いての話題である

 

. 今日も、今は少し昔の懐かしい想い出から‥

.

2011年8月17日 (水)【時習26回3-7の会 0355】~「2011年度『【2637の会】《クラス会》Part1』開催報告」「坪田一男著『人は誰でも「元気な100歳」になれる』を読んで」をお届けする

.

■皆さん、忙中閑の『お盆休み』も終わり、また酷暑の中、仕事に諸々の行事に振舞わされる毎日となりましたが、お元気にお暮らしですか?

. 今泉悟です / 今日も【2637の会】《会報》【0355】号をお送りする

. 去る08月13日(土)18時00分より、豊橋駅前大通り開発ビル地下1階「トライアゲイン」にて、「2011年度【2637の会】《クラス会》Part1」を開催しました

. 今日は、その《クラス会》開催の模様をお届けする

.

. 当日は、数日来続く炎暑の夕暮れ05時半に万年幹事の小生がまず到着

. 会場のトライアゲインは通常は喫茶店であるが、今日は我等【2637の会】《クラス会》開催の為「貸切」

. layout し直した食卓 table は、確定した参加予定人数13名が、6名ずつが相対に向き合い、扇の要に1名という配席に

. 定刻の開始時間である18時には、【2637の会】members 11名のうちの10名が、そして程無く11名全員が集い、《クラス会》が start した

. カラオケのTV画面では、《会報》【0340】【0341】号でご案内させて頂いた、今春05月に豊川高校 ground にて開催された全国総合体育大会愛知大会 soccer 東三河支部予選会決勝「時習館 v.s.豊橋東」と愛知県大会本線第1回戦「時習館 v.s.春日井」の試合の写真集を夫々30分程度に編集したDVDを放映させて頂いた

. 但し、あくまでBGM的感覚で放映したので、小生を含め殆どの人は見ていなかった様であるが‥(笑)

.

. 添付写真は、全体写真2枚である

. 如何ですか? みんなとっても元気そうでしょう!

.

[25][上]【2637の会】members 11名と、谷山君【3-3】の計12名


[下]二次会の時間になってからの写真で、井上君と彦坂君が中座され、中嶋君【3-2】が加わった11名

.

. 18時に始まった《クラス会》も、ホント、あっと言う間に22時10分を回り、4時間余りが経過

. 楽しい時間が過ぎ去るのは本当に速いものだ。早過ぎるヨ!(笑)

. 大変名残惜しかったのですが、またの再会を約束して楽しい《クラス会》は閉会となった

. 尚、今回参加者で、昨年2010年2回開催した《クラス会》のいずれかに参加してくれた人々に、小生が撮影した snap shots を収録した DVD を present させて頂いた

.

さて続いての話題である

. 小生、このお盆休みの間に読んだ本の中から1冊ご紹介させて頂きたい

. 《クラス会》でもかなりの weight で話題となった「健康」についての本である

. 小生の目標「100歳まで現役」と趣旨を一にする、小生お気に入りの本である

.

[26]坪田一男『人は誰でも「元気な100歳」になれる』


.

. 著者の坪田一男氏は、慶應義塾大学医学部眼科教授で、日本抗加齢医学会副理事長。1955年生まれというから我々と同年である

. 新書版で、どうしたら100歳まで元気に生きていけるかを、医学的根拠と実際に数多くの百寿者に interview した事例から導き出してくれる説得力のある推論を繰り広げ、簡潔に解り易く説明してくれている

. 一気呵成に1~2時間で通読できる how to本である

. 今日は、氏の同書からごく一部であるが『ボケ防止』をご紹介したい

.

【脳への刺激をサボるな!】

. 好奇心は、五感を刺激し、脳を刺激して、認知症も予防する

. 脳の神経細胞(ニューロン(neuron))は、20歳を過ぎた頃から毎日10万個も死滅するとも言われるが、神経細胞と神経細胞を結ぶ神経回路(シナプス(synapse))の数はむしろ年齢を重ねる毎に増えていく

. そして細胞同士の network( neuron network )を広げ、脳をどんどん発達させていく

. また脳は、〔中略〕一つの細胞が死滅しても〔中略〕別の細胞が同じ働きをする様になる等、驚異的な修復力を持っている

. この neuron network にとって不可欠なのが、脳の energy 源となる栄養と、五感からの刺激だ

. (視・聴・嗅・触・味)覚からなる五感は、脳の大切な情報入力器官だ

. 五感からの情報入力が減ると、神経細胞は暇を持て余して冬眠したり、アポトーシス(apoptosis =細胞の自殺)を起こしてしまう

. 逆に五感から刺激が多ければ多い程、neuron network は発達していく

. 脳細胞は増やせないが、刺激次第では、その network は幾つになっても増やすことが出来る

. つまり、脳を鍛え、老化を予防するには、好奇心や探究心を持ち、五感をどんどん刺激して、神経細胞を退屈にさせない様にすることが大切なのだ

. そこで point となるのが、「五感のうちの幾つかを一度に刺激する」ということ

. 例えば花を生けるとしよう

. 色や形を見て、柔らかな花弁にに触れ、香りを嗅ぐだけでも、(視・嗅・触)覚の3つの感覚を刺激出来る

. 公園に散歩に行く時も、〔中略〕意識的に五感を研ぎ澄まそう

. 風だって香りがあるし、樹木の色は天気によって違って見えると気付くだけでも、刺激になる〔中略〕

. 人間は、必要な、欲しい情報だけ選択して、不要と思ったものは無視するという得意技を持っている

. だから、日常の routine work〔中略〕等からは十分な刺激を受けにくい〔中略〕

. 五感から脳に「入力」した情報を、日記や手紙、詩や俳句を書いて言葉として「出力」すると、更に良い

. 絵や彫刻等で表現するのも良いが、言葉で表現すると情緒的な感覚に論理的思考が加わって、脳を更に広範囲に活性化出来るからだ

. 百寿者の中には、詩や essay、自伝等を書いておられる方も多かった

. そういう方は、常に情報の「入力」と「出力」を行い、脳への刺激をサボらないから、ずっと元気でいられるのだろう

.

【後記】お別れに、これも上掲坪田氏の「元気な100歳」から「元気な100歳になる為」の《心構え》と《人生設計》の point をご紹介させて頂く

. これ等は、小生も全く同感である

.

《心構え》

①ごきげんに過ごす‥自分の生活を楽しむ工夫を。ごきげんな人と多く過ごし、不機嫌な人を避ける

②五感を鍛える‥好奇心は五感を刺激し、脳を刺激する

③笑顔を増やす‥作り笑いするだけでも効果あり、普段から笑顔を心がけよう

④愚痴らない、怒らない‥怒ると体内で活性酸素が大量発生し、細胞を炎症させ、老化や病気の原因に

⑤お洒落を楽しむ‥見た目が若い人は実際に長生きする。身体的な若さだけでなく、見た目の若さも重要

.

《人生設計》

①家族や地域、仲間等、周りの人を大事にする

②なるべく人の役に立つことをする‥人の役に立ちたい、助けたいという気持ちで行動・気配りすることが長生きに繋がる

③「生涯現役」を目指し、出来ることを考えてみる‥会社を辞めても自分にできる仕事や volunteer 等を定年前から考えてみよう

④老後の人生設計を考え、お金の管理を確りする‥但し、現状に満足し、感謝する気持ちも忘れずに

⑤長い時間を上手に利用する‥長く生きることで得られる豊富な時間を上手に活用。勉強や情報収集に

.

. 如何ですか?

. 少なからず元気で百寿を迎える希望が湧いてきませんか!(^_^)/

. では、また‥(了)

.

0112日夜、0109日に此れもヤフオクにて運良く落札出来た、風景画「栗原信『南佛の農家〔カーニュ〕』」が届いた

. 今年に入って、4作品目である

. 4点の中で、小生、此の作品が一番好きな絵であった為、購入を決意した

. 南仏の温かな雰囲気が パステル調の色彩からほんわり伝わって来て、魅せられて仕舞ったのである

. 栗原信〔本名:信賢(1894.03.24-1966,07.04)〕の略歴は以下の通り

.

1894年 03月24日 茨城県東茨城郡生まれ

1912年 茨城師範学校卒

1916年 二科展に「木」初入選

1928-31年 渡仏 / アカデミー・グランショミェ―ルに籍を置く

1947年 05月 旧二科会の政宗得三郎(1883-1962)、宮本三郎(1905-1974)らと第二紀会を創設

1950年 新潟大学 芸能学科洋画科教授就任

1958年 中南米へ写生旅行

1961-62年 欧州へ写生旅行

1964年 欧州・中東へ写生旅行

.

【小生 comment】

. ヤフオクの写真で見ていた通り、素晴らしい作品だった

. 此の絵の素晴らしさは、「パステル調の穏やかで温かな色調が、景の舞台である南仏の気候風土と match して、見る者を思わずホッコリさせる」魅力なのだろうと感じた
. 本作品は、栗原氏が欧州旅行した1961~62年の作品であろうと推察する

. 大満足である

.

[27][左]栗原信『南佛の農家〔カーニュ〕』作品前にて


[右上][右中]同『同〔同〕』1&2

[右下][上]本作品裏側 [左下]本作品右下のsignature [右下]本作品 caption .

.

続いて、今は少し昔〔‥といっても148箇月前‥〕の懐かしい想い出から‥ 日野原重明著『いのちと勇気のことば』をご紹介しようかと思ったら、同じ2007 05月に訪れた成長著しい中国の『大連・上海・蘇州』紀行の写真に目が止まった

. なかでも、大連市の美しい街並は是非見て頂こうと思って日野原先生の言葉と一緒にご紹介させて頂くことにした

. 大連市は、日本で言えば北海道旭川市の様に、夏は涼しく、冬は氷点下15-20℃と寒い所だが、戦前は南満洲鉄道の南玄関口にあり、初代満鉄総裁は、台湾で児玉源太郎第4代総督の右腕の民政長官として活躍した後藤新平で、彼や、彼の後任の2代総裁中村是公の尽力で理想的な都市が創造されただけあってホント綺麗な街でしたヨ!(^-) / ♪ . 日野原先生の言葉と共にご笑覧下さい

.

2007年05月17日(木)【時習26回3-7の会 0091】〔前略〕「日野原重明『いのちと勇気のことば』」

.

[28][左上]日野原重明『いのちと勇気のことば』


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2007年05月22日(火)【時習26回3-7の会 0092】〔前略〕「『大連・上海・蘇州』紀行」から‥

.

今日は、最近(200705月当時‥)購入した日野原重明著「いのちと勇気のことば」(添付写真ご参照)から「5.人生午後の、歩き方」の中から抜粋してお贈りする

. 日野原氏は1911年生まれ〔1911.10.04-2017.07.18〕

. 人格者として著名な氏の言葉は、輝かしい実績と相俟ってズシーンと心に響く鐘の音のようだ

.

. 五十歳になったからにはこれから人生の午後が始まる‥

.  リンドバーグ夫人(1906生-2001没)のこの言葉には美しく穏やかな海の夕景が浮かんできませんか

.  豊かな時間の光景が浮かんできませんか

.  ‥生きている、とは、時間が与えられている、ということ

.  そうして、その時間の中身を最終的に決めているのは、他ならぬあなた自身

.

. 減ってゆく残り時間を惜しみ怯えるのではなく、また新たな一日をもらったと、感謝の思いで人生の午後に臨みたいものです

.  ‥あなたがこれまでに得てきた知識や体験を子どもや若者たちに伝えるのは、人生の先輩として大切な仕事です

.

. 財産や時間にどれほどの時間があっても、

.  一日に三時間、などと前もって決めて勉強や趣味に取り組むようにすると、人生の午後は豊かになります

.  ‥新しいことにチャレンジするという気持ちに、年齢制限はありません

.

. 齢をとっていて、体が老いていても、

.  新しいことに興味を持てる人は、本質的に若い人、若いのに、未知のことに興味を持てない人は、もう心の老人

.  ‥人生の明け方、すなわち第一の人生において、人は受動的、かつ利己的です

.  人生の午前、すなわち第二の人生において、人は能動的、かつ少々利己的です

.  しかし、人生の午後、すなわち第三の人生は、自由に解き放たれた時間です

.  世間や家庭のことに、それほどとらわれず、自身の本当の生きがいに向かって進むのに、他者のために自己を提供もできてしまう境遇だからです〔了〕

.

続いての話題は〔‥今から148カ月前の2007年‥〕0518()~昨日0521()迄、中国の大連(5/18)→上海(5/18-19)→蘇州(5/19)→上海(5/19-20)→大連(5/20-21)と小旅行して来た中から大連での話を少し‥

.

. 愚娘が、現在中国大連市にある大連外国語大学に1年留学しており、その陣中見舞いを兼ね訪問したという次第

. そのついでに上海と蘇州の旅行も‥、とちょっと欲張った3泊4日の旅だった

. 予算を切り詰め、名古屋~大連間はKALで仁川空港経由しての空の旅とした為、初日は中部新国際空港→ソウル・仁川→大連へ

. 大連で娘と合流し寄宿舎と大連の街を散策した後、大連空港から中国南方航空で上海へ向かう前、上海行きの出発時間まで余裕があったので娘に市内観光を頼み、大連駅前辺りを散策

. 繰り返すが、南満洲鉄道で初代総裁(1906-08)後藤新平(1857.06.04-1929.04.13)と2代総裁(1908-13)中村是公(よしこと(1867-1927))以降、大連市は計画的に造られて行き、今も美しく整然としている大連市となって訪れる者を魅了する

. 写真は、小生が撮影したものだがホント綺麗な街デショッ!

.

[28][右上]大連駅を back に愚娘と

[左下]大連市街風景1〔旧横浜正金銀行大連支店〕

[中下][右下]同上2&3

.

続いての話題は 【拙宅応接間の絵画群】についてである

.

[29][上][左下][右下]拙宅応接間の絵画群


.

. 昨年から今年1月にかけて蒐集した油彩画の肉筆画を中心に充実した拙宅の応接間

. 此処に写っている応接間の絵画のうち、肉筆画でないのは、上の写真の右下の ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(仏:Jean-Baptiste Camille Corot 1796.07.17-1875.02.22)『ボーヴェ近郊の朝』1855-65年頃 油彩画模写と、右下の写真の左側の 小倉遊亀 (1895.03.01-2000.07.23)『寒椿』日本画の lithograph : 原画 1981年〔 lithograph 2000年 制作〕の 2点のみ

.

【後記】今回は、以下3つの話題で締め括ることにする

.

【後記1】豊橋は、常春の半島「渥美半島」の付け根にあって滅多に雪は降らないが、今朝、新聞を取りに玄関に出たら小雪が降っていてうっすらと門灯や南天の葉に雪が積もっていた

. 時節は、二十四節気で【小寒】、七十二候で【水泉動(しみずあたたかをふくむ(1月10日~1月14日))】の寒中だからこその一寸した surprise !

.

[30][左上]拙宅玄関の門灯と植栽「南天」に薄っすら積もった雪


[右上]拙宅中庭の雪化粧した「南天の実」

[左下]同じく「金柑」

[中下]同じく「紅葉した楓」

[右下]拙宅2階から見た近隣の家々の屋根に降り積もった雪

.

【前書】雪景は、雪の降らない三河国の平地の人には美しい感動を与えてくれる

.

.  常春の地 豊橋はいま 雪化粧 悟空

.  小寒や 改めて知る 我家の美 悟空

.

【後記2Facebook のお友達の内藤さんが、up されていたご自身の「内藤勲の似顔絵展『カムカムエヴリバディ』1/17()2/4(の案内を見ていたら、偶然、「日本水彩画会豊橋支部『新春作品展』」が、今日(1/16())迄、市民文化会館にて開催中である旨の案内記事に目が止まった

. ひょっとしたら前回同様、同会豊橋支部長の大竹良夫君【3-10】がいるかもと、15時頃会場の文化センターに行ったら矢張り居たので、彼の展示作品『そら』の横で記念撮影した

. 大竹君曰く、「さっき高田君【3-5】が見に来てくれていたんだヨ」

. 小生が「小生、高田君にはもう10年くらい会ってないけど元気そうだった?」と尋ねたら

. 大竹君「うん、元気ダヨ / 彼には経理のことで色々世話になって此処30年来親しくさせて貰ってるんだ」との由

. 小生も「小生も大腸癌を罹患した時、相談したのが中嶋君【3-2】、そして彼が紹介してくれたK病院長の金子君【3-4】立会いで10時間に及ぶ手術を成功させ、今年で足掛け8年間再発なく元気に生きているんだ」

. 大竹君・小生ともいみじくも「持つ者は、良き友ダヨネ!」と意見が一致した次第!

. 其れにしても、大竹君の絵画の技量は素晴らしい、水彩画でグァッシュを使わずに茜色の陽光を確り描いている、流石だと思った〔了〕

.

[31][左上]自身の展示作品『そら』/ 作品横にて大竹君1


[右上]同 / 同上2

[左下]同 / 小生

[中下]同

[右下]豊橋市市民文化センター「日本水彩画会豊橋支部『新春作品展』」看板後ろにて

.

【後記3】. 今日、ご縁があって、「宮川魏『寒椿』1976年」と色紙油彩画が描かれた静物画を入手した

. 因みに、色紙裏面に「宮川魏『寒椿』1976年」と記されていた

.

[32][上]宮川魏『寒椿』1976年

[左下][右下]宮川魏『寒椿』を back に

.

. では、また‥〔了〕

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