2018年4月8日日曜日

【時習26回3-7の会 0699】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第9回〕』」「03月17日:『深川芭蕉庵関連史跡と6つの美術館・企画展を見て〔第3(=最終)回〕』」「03月24日:三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『富士十二景』他/名古屋ボストン美術館『ボストン美術館の至宝』展を見て」「03月31日:『善住禅寺/ミツバツツジまつり』『豊川市 佐奈川堤の桜』『豊川市桜ヶ丘ミュージアム『新所蔵品展』を見て」

■時節は『清明』。すっかり春になりました。小生、花粉症で少々辛い毎日を過ごしています。
 皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0699】号をお届けします。
 今日最初の話題は、『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第9回〕目をお届けする。
 今回は、巻之四『春』も終盤である。
 発句全118句のうち第98句~107句についてお伝えするのでご覧下さい。

【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第9回〕】

   猿蓑集 巻之四
 
  葛城のふもとを過る

98 (なほ)見たし花に明行(あけゆく)神の顔  芭蕉

【意】一言主神様、顔を見せて下さい/この山の桜は全山満開、その美しいこと/
 貴方様もきっと美しいご尊顔を矢張り拝顔したく思います
【解説】昔、役(えん)の行者が葛城山から金峰山(きんぷせん)に橋を架けようと日本国中の神々に祈った処、一言主(ひとことぬし)の神が一夜の間に階(きざはし)を渡し始めた/
 同神は、容貌が悪いことを憚り作業をしなかった、という伝説を踏まえる/
  「岩橋のよるの契りも絶えぬべし 明くるわびしき葛城の神(拾遺集)/春宮女蔵人左近」の歌もある
 山本健吉『芭蕉全発句』で此の句を次の様に評している。
 芭蕉は未明に宿を発ち、葛城の麓を過ぎる頃夜が明けかかって来たのだろう。
 まだ明けない頃は、葛城の神がまだ立ち働いている時刻であり、明け離れて行くと共に、山々の絢爛たる花の顔が浮かび上がり、それは同時に、神の顔が消え失せて行くことでもあった。
 作者は、曙の花の美しさを賞し乍ら、消えていく神のイメージを呼び止めようとする。
 その哀惜の気持ちが、「なほ見たし」と、恰も呼びかける様な言葉の勢いとなったのだ。
 花が現われることは、神の顔が消えることであり、しかもその花は神が領しているものである。
 だから両者は一体で、花を賞する心は神を哀惜する心でもある。
  「花に明け行く神の顔」とは、その一体でもあるものの二つの貌が、一方に現れることによって一方が消え去るという、交替の時刻が縹渺たる感動を巧みに言い取った、美しい詩句である。

  いがの國花垣の庄は、そのかみ南良(なら)の八重櫻の料に(1)(つけ)られける
  と云傅え(~)はんべれば

(1)八重櫻の料に:奈良の八重桜を保つ為の料地として、花垣の荘を興福寺に付与された伝説が『沙石集』に見える


99 一里(ひとざと)はみな花守(はなもり)の子孫(しそん)かや  芭蕉

【意】「花垣の庄」と呼ばれる此の地が例の故事にもある通りの花の里であるとするならば、此処に住む人たちは皆花守の子孫ということだ/

 なんとゆかしいことではないか
【解説】「花垣の庄」は、現・三重県上野市予野/伊賀上野から南南西にある名張への途中にある/
  「花垣の荘」については『沙石集』によれば次のような故事「一条天皇(66)の中宮で、後一条天皇(68)、後朱雀天皇(69)の生母、上東(じょうとう)門院彰子(988-1074(清少納言が仕えた/
 藤原道長の娘))が、興福寺の八重桜を京の都に移植しようとした処、南都の僧等がこれに異を唱えた為、女院はこの計画を撤回。
 伊賀国余野の庄に花垣を造偃し桜を植栽。
 爾来此の地を「花垣の庄」と呼んだ。
 此の句は、元禄03年春、伊賀上野滞在中の芭蕉が此の花垣の荘に遊んだ折に詠んだ
 又、『沙石集((=しゃ)せきしゅう)』は、鎌倉時代中期、仮名交り文で書かれた仏教説話集/
 10巻/150前後の説話から成る/無住道暁が編纂/弘安02(1279)年に起筆し同06(1283)年成立
  『沙石集』の名は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことを指し、世俗的事象を踏まえ仏教の要諦を説くとされる

  亡父の墓東武谷中に有しに、三歳にて別れ、廿年の後かの地にくだりぬ
  墓の前に櫻植置(おき)侍るよし、かねがね母の物がたりつたへて、
  その櫻をたづね侘びけるに、他の墓猶さくら咲みだれ侍れば

100 まがはし(1)や花吸ふ蜂の往(ゆき)(かへ)リ  園風

【意】墓の際に桜木のある墓のが父の墓だ/
 が、どの墓の周りにも桜花が咲いていて紛らわしく、どれが父の墓なのか判然としない/
 折しも花々を行き来している蜂の様に私も右往左往して仕舞った
【解説】―
(1)まがはし:紛らわしい

101 (しる)(ひと)にあはじあはじと花見かな  去来

【意】花見に来て、知人には会わない様にと気遣う自分が、何処か滑稽に思われて来る
【解説】―

102 ある僧の嫌(きら)ひし花の都(みやこ)かな  凡兆

【意】いま桜花が満開の京‥/この都の華やかさを嫌って隠棲した僧侶がいたなぁ
【解説】—

  浪人のやどにて

103 鼠共(ねずみども)春の夜()あれそ(1)花靫(うつぼ)(2)  半残

【意】春の夜、風流にも花挿しに春の花を一輪活けたから、騒々しい鼠どもよ大人しくしてくれよ

【解説】―
(1)春の夜()あれそ:「春の夜、な暴れそ」の略
(2)(うつぼ):矢を入れる円形の筒

104 (なまぐさ)(1)はな最中(さいちゅう)のゆふべ哉(かな)  伊賀長眉(2)

【意】いま当に外では桜花が真っ盛りだ/
 あちこちで催されている花見の宴から、酒肴の生臭(くさ)い臭(にお)いが漂って来る春の夕刻だ
【解説】―
(1)腥き:食べ散らかした酒肴等の臭いをこう表現している
(2)長眉:伊賀の人以外の詳細不詳

  はなも奥有(あり)(1)とや、よしのに深く吟じ入(いり)

(1)はなも奥有:後鳥羽院宮内卿「見渡せば麓ばかりに咲きそめて花もおくあるみ吉野の山」〔続古今集〕を踏まえる

105 大峯(おおみね)(1)やよしのゝ奥の花の果(はて)  曾良


【意】大峯は、吉野の奥に花があるといわれるその花の最果てである
【解説】―
(1)大峯:大和国吉野郡十津川の東の山脈/修験者の修行した根本霊場/
  『嵯峨日記』五月二日の条に、「曾良来リテ よし野の花を尋て 熊野に詣侍るより」として、「くまの路や分つゝ入れば夏の海/曾良」の句と共にこの句を掲げる
 但し、中七「よしのゝ奥を」とする/この旅の記録は『曾良旅日記』元禄04年日記に見える

  道灌山にのぼる

106 道灌(どうかん)や花はその代()を嵐(あらし)(かな)  嵐蘭

【意】道灌の時代は、道灌山辺りは戦乱のるつぼだった/

 いま桜が咲き、一陣の嵐に狂ったように花が舞う
【解説】―

  源氏の繪を見て

107 欄干(らんかん)に夜(よる)ちる花の立すがた  羽紅

【意】源氏物語絵巻を見て/花散る夜の簾近く欄干に渡る光源氏の姿のなんとなまめかしいことヨ

【解説】『源氏物語』須磨の巻に「明けぬれば、夜ふかく出で給ふに、有明の月いとをかし、花の木ども、やうやう盛りすぎて、わづかなる木蔭のいとしろき庭に、うすく霧渡りたる、そこはかとなく霞みあひて、秋のあはれに多くたちまされり、隅の勾欄(=高欄)におしかかりて、とばかりながめ給ふ」とあるあたりを描いた絵巻か挿絵を見て作句したもの

【小生comment
 98 (なほ)見たし花に明行(あけゆく)神の顔/芭蕉
 99 一里はみな花守の子孫かや/芭蕉
 107 欄干に夜ちる花の立すがた/羽紅
 此れ等3作は、古典を踏まえて俳句にしているので、いずれも品格を感じる。
  『猿蓑』が俳句の古今集と呼ばれる所以はこんな處でもよく解る。
 さて、猿蓑「巻之四/春」も残す処伊予糸あと1回となった。
 次回の最終回〔第10回〕をどうぞお楽しみに!

■続いての話題は、前回と前々回の《会報》にて、去る0317()に『深川芭蕉庵関連史跡数か所と6つの美術館・企画展を見て来た模様の3series』も今日はその最終回(3回目)となる。
 今日お届けするのは、以下の全行程のうちの【 】の処である。
 1. 森下駅→八名川公園→「深川神明宮」→「霊巌寺」→尾車部屋→「萬年橋」→「深川・芭蕉庵跡=芭蕉稲荷神社」→「正木稲荷神社」→「芭蕉庵史跡展望公園」→【「江東区芭蕉記念館」】
 2. 東京都美術館『ブリューゲル』展→国立西洋美術館『プラド美術館』展→三菱一号館美術館『ルドン』展→国立新美術館『ビュールレ・コレクション』展→【山種美術館『桜・サクラ・SAKURA』展→中村屋サロン美術館『新恵美佐子』展】
 それでは、「深川芭蕉庵関連史跡と美術館巡り」3seriesの最終回〔第3回〕をご覧下さい。

0317()】‥続き‥
0923分 芭蕉庵史跡展望庭園発→〔北へ徒歩250m5分〕→
0928分 江東区芭蕉記念館着
0930分 同記念館開館

[01]江東区芭蕉記念館外観

[02]同記念館入口にて

                  
[03]企画展『子規が生きた時代「明治」』leaflet


※ 企画展展示物‥「子規を支えて人々」から‥

[04]夏目漱石
                  
[05]河東碧梧桐

[06]高浜虚子
                  

※ 常設展cornerから‥

[07]芭蕉の旅の句

[08]芭蕉遺愛の石の蛙〔伝〕
                  
[09]芭蕉旅姿〔モデル〕


1005分 江東区芭蕉記念館発→〔森下駅→都営大江戸線→上野御徒町駅〕→
1100分 東京都美術館着

 此の日5つ目に訪れた美術館は、広尾3丁目にある 山種美術館。


【山種美術館『桜・サクラ・SAKURA』展】
1605分 山種美術館着‥『桜 さくら SAKURA 2018』展

[10]山種美術館入口にて

                  
[11]本展leaflet

[12]菊池芳文(1862-1918)『花鳥十二ヶ月』制作年不詳
                  
[13]土田麦僊 (1887-1936)(1887-1936)『大原女』1915

[14]速水御舟 (1894-1935)『夜桜』1928
                  
[15]小林古径(1883-1957)『弥勒』1933

[16]川端龍子(1885-1966)『さくら』昭和時代                                                                 
                  
[17]橋本明治(1904-1992)『朝陽桜』1970

[18]奥村土牛(1889-1990)『吉野』1977
                  
[19]守屋多々志 (1912-2003)『聴花(式子内親王)1980

[20]石田武(1922-2010)『春宵』2000
                  
[21]石田武『吉野』2000

[22]千住博(1958- )『夜桜』2001
                  

 6つ目で今日最後の訪問先は新宿中村屋ビル3Fにある 中村屋サロン美術館。

【中村屋サロン美術館『新恵(しんえ)美佐子』展】
1712  中村屋サロン美術館着‥『新恵美佐子』展

 新恵美佐子氏の絵画は、日本画の墨絵の様な美しい抽象画。

 美術館を訪れたら、新恵美佐子さんご本人と、中村屋サロン美術館学芸員の太田美喜子さんがいらした。
 見学者が小生しかいない時を見計らって新恵先生との two shots をお願いしたら、快く応じて下さった。
 嬉しかったのは、新恵先生が「どの作品の前で撮影してもいいですよ」と!

[23]3階に中村屋サロン美術館が入居する新宿中村屋ビル外観

[24]中村屋サロン美術館入口にて

                  
[25]本展leaflet

[26]太田学芸員()と新恵美佐子さん()
                  
[27]新恵美佐子さんと1〔太田学芸員撮影〕

[28]同上2
                  
[29]新恵美佐子『花火』2016

[30]同『firework2016
                  
[31]同『赤い花』2016


1833  東京駅発→ひかり527号→
1956  豊橋駅着
2045  帰宅〔了〕

【小生comment
 山種美術館も中村屋サロン美術館もいい展覧会だった。 今度は、5月に東京都美術館『プーシキン美術館』展・東京国立博物館『名作誕生~つながる日本美術』展・山種美術館『琳派』展・世田谷美術館『高山辰雄』展他を見に行って来る予定だ。


■続いては、0324日:三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『富士十二景』他と名古屋ボストン美術館『ボストン美術館の至宝』展を見てである。
 前《会報》にてお伝えした通り、0324()は、1000分から、大学学生会館2階にて「大学弓道部のOB総会」が、そして1800分から大学南部食堂にて「大学弓道部女子部1部リーグ昇格祝賀会」が開催され、小生参加した。
 OB総会が終了した1115分から、祝賀会開催の1800分迄間は、OB射会があるのだが、小生はそれには不参加。
 従って、祝賀会迄時間があるので、三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『富士十二景』他と名古屋ボストン美術館『ボストン美術館の至宝』展を見て来た。
 
1115分 大学発→〔地下鉄〕→
1300  ラーメン陣屋発→
1310  徳川美術館の庭及び周辺散策

 名古屋市東区の木はモクレン。
 そのハクモクレンが、いま正に満開を迎えていた。

1330  三菱東京UFJ銀行貨幣資料館着

【三菱東京UFJ銀行貨幣資料館『富士十二景』他】
 歌川広重『富士十二景』『江戸八景』& 小林清親(1847-1915)『東京名所図』(抜粋)

[32]徳川美術館周辺のハクモクレン
                  
[33]三菱東京UFJ銀行貨幣資料館入口にて

[34]本展leaflet
                  
[35]歌川広重『富士三十六景~武蔵小金井』

[36]同『東海道五十三次~油井』
                  

1400  歯科医院着
1430  同所発→JR大曽根駅→JR金山駅へ
1530  JR金山駅→名古屋ボストン美術館
1535  名古屋ボストン美術館『ボストン美術館の至宝』展

[37]屋外の名古屋ボストン美術館入口の本展看板

[38]屋内の名古屋ボストン美術館入口にて1

                  
[39]同上2

[40]本展leaflet
                  
[41]ピサロ(1830-1903)『ポントワーズ、道を照らす陽光』1874

[42]セザンヌ(1839-1906)『卓上の果物と水差し』1890-94年頃
                  
[43]ゴッホ(1853-90)『郵便配達人 ジョセフ・ルーラン』1888

[44]オキーフ(1887-1986)『グレーの上のカラー・リリー』1928
                  
[45]チャールズ・シーラー(1883-1965)New Englandに不釣り合いなもの』1953


1610  名古屋ボストン美術館発→
1615  金山→地下鉄→
1645  大学着

【小生comment
 小生、広重の『富士三十六景~小金井』も、『東海道五十三次~油井〔薩埵峠〕』も大変気に入っている。
 又、名古屋ボストン美術館は1999年に開館したが、今年1008日に20年の歴史に幕を閉じる。
 大変寂しい。代わりに別の美術館が来てくれると嬉しいのだが、どうなるのだろう?

■今日最後にお届けするのは、0331()に見て来た花見2箇所と美術館1箇所についてである。
 その日は、豊川市音羽町にあるコバノミツバツツジの名所 善住禅寺 と、桜と菜の花の名所 豊川市の 佐奈川堤、そして、その帰り道に 豊川市桜ヶ丘ミュージアム にて開催中の『新収蔵品』展を見て来た。

08:45  拙宅発→〔一般道 12km〕→
09:25  善住禅寺着

[46]善住禅寺の看板

                  
[47]コバノミツバツツジの前にて1

[48]同上2
                  

10:05  同所発→〔一般道 10km〕→
10:35  佐奈川堤着

[49]佐奈川堤の菜の花と桜をback


[50]佐奈川堤の菜の花と桜
                  

11:00  同所発→〔一般道 2km〕→
11:05  豊川市桜ヶ丘ミュージアム着

[51]山本眞輔『街の朝』1994

 此の彫像は、ミュージアムの屋外に展示されている

[52]大森運夫『梅雨』1959
                  
[53]吉澤美香『ほ-861992


11:30  同所発→〔一般道 10km〕→
12:00  帰宅〔了〕

【後記】音羽町 善住禅寺のミツバツツジと豊川・佐奈川堤のソメイヨシノの綺麗な花を見た後だったが、拙宅の 花桃 と 海堂 の花が正に満開だった。
 其処で、綺麗な花桃と海棠の花に感動して拙句を一句‥

  花桃と海堂の花 極まらむ   悟空〔了〕

[54]拙宅の中庭に咲いた花桃の花
                  
[55]花桃の前にて

[56]同じく海棠の花
                  
[57]海棠の花の前にて


 では、また‥〔了〕

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