2018年2月25日日曜日

【時習26回3-7の会 0693】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第3回〕』」「02月17日:『掛川城』→『掛川市二の丸美術館』→『資生堂アートハウス』→『平野美術館』→『浜松・元城町東照宮〔浜松城の前身・引間城本丸跡〕』を巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0693】号をお届けします。
 今日最初の話題は、先日から再開した『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第3回〕目をお届けする。

 今回は、巻之四『春』の、発句全118句のうち第26句~38句についてである。
 では、どうぞ‥

【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第3回〕】

   猿蓑集 巻之四


  憶翁之客中

26 (はち)たゝき(1)こぬよとなれば朧(おぼろ)かな  去来

【意】鉢叩きが来なくなったと気付いた頃には、もう春の到来だ

【解説】―

(1)鉢叩き:空也念仏を唱え乍ら勧進(=寄付を募る)すること/陰暦1113日の空也忌から大晦日迄の48日間、鉦(かね)や瓢箪を叩き乍ら行った

27 (うぐひす)の雪(ゆき)(ふみ)(おと)す垣穂(かきほ)かな  伊賀一桐

【意】鶯が垣根に積った(春の)雪を踏み落とし乍ら飛んで行ったヨ

【解説】―


28 (うぐひす)やはや一聲(こゑ)のしたりがほ  江戸渓石

【意】春を告げる鳥、鶯/その鶯が「春到来」を得意そうに鳴いて告げている


【解説】―

29 うぐひすや遠路(とほみち)ながら礼(れい)がへし(1)  其角

【意】遠路遥々新年の挨拶に来てくれた友に返礼に行くと道すがら、鶯が鳴いている/春到来だ


【解説】―
(1) 礼がへし:年賀の挨拶の返礼
 
30 (うぐひす)や下駄(げた)の歯につく小田(おだ)の土(つち)  凡兆

【意】畦道(あぜみち)を歩いていくと下駄の歯に泥がへばりついて来る/困ったもんだと思い歩みを進めていると鶯の鳴く声が聞こえて来る
【解説】―



31 (うぐひす)や窓に灸(やいと)をすえながら  伊賀魚日

【意】窓の近くで灸をすえていると窓の外から鶯の啼き声が聞こえて来る/熱い灸を我慢し乍ら聴くのも春の一興か

【解説】―


32 やぶの雪(ゆき)(やなぎ)ばかりはすがた哉(かな)(1)  探丸


【意】薮の中はまだ残雪が少なからずある/でも、柳の枝だけは芽吹き、春到来を告げてくれている
【解説】―


(1) すがた哉(かな):春めいた趣(おもむき)を示している

33 (この)(こぶ)はさるの持(もつ)べき柳(やなぎ)かな  江戸卜宅

【意】柳の木に瘤(こぶ)がある/此れは猿が腰掛けたもか/柳は美人の暗喩か/さすれば猿はその美人の彼氏か?

【解説】柳の瘤(こぶ)をキノコの猿の腰掛に見立てた句か


34 (かき)ごしにとらへてはなす柳(やなぎ)(かな)  同遠水(1)

【意】垣根を越えて柳が枝を通りに垂れている/その柳の枝の葉を掴んでは放し乍ら通り過ぎた

【解説】―

(1)遠水:江戸の人/芭蕉の知人

35 よこた川(がは)(うゑ)(どころ)なき柳(やなぎ)かな  尚白

【意】田圃の脇に柳を植えたいと思うが、植えようと思う時には忽ち繁って植える場所はもうないヨ

【解説】「此(この)よこた川ハ田溝ヲイヘリ」(標注七部集)

 田圃のふちの小川と言う意味/近江国野洲川の上流を横田川というが、此処はその固有名詞ではない
 「横田川にほしき柳といは思へども、さて植るときは、たちまちに繁りて作物の邪魔たればこそ植所なきと句作りて、植たきといふ情を言外に聞せる手づまとしらる」
 と言い、「横田川と云草津と石部の間ニ有(ある)(それ)と別也」と記す(猿蓑さがし)

36 青柳(あおやぎ)のしだれや鯉(こひ)の住所(すむところ)  伊賀一啖(1)

【意】青柳の枝が水面に迄垂れて下がっている様な場所に鯉は棲んでいる/柳と鯉に暗喩があるかも‥

【解説】―

(1)一啖:伊賀の人という以外の詳細不明

37 雪汁(ゆきじる)(雪注1)や蛤(はまぐり)いかす場(には)(2)のすみ  同木白(3)


【意】土間に蛤を入れた雪解け水の入った桶がある/その中で生きた蛤(はまぐり)が蠢(うごめ)いている/此処でも「春到来」を感じることだヨ

【解説】蛤(ハマグリ)は、雪汁(雪解け水)と共に「春」の季語/生きた蛤が獲れて土間に置かれている


(1)雪汁:雪解け水
(2)(にわ):家の中の土間のこと
(3)木白:「苔蘇」のこと

38 待中(まつのうち)の正月(しゃうぐぁつ)もはやくだり月(1)  揚水

【意】待ち遠しかった正月も、あっと言う間にくだり月(廿日近辺の月)になって仕舞った

【解説】―


(1)くだり月:十八夜から二十三夜辺り迄、二十日近辺の月をいう

【小生comment
 二月も今秋後半には終わり、弥生が遣って来る。寒風の中にも陽射しは春到来を教えてくれる。

 次号も『猿蓑/巻之四/春(その4)』をお届けするつもりである。お楽しみに!

■続いての話題は、去る0217()に、3つの美術館と2つの史跡を訪ねた模様についてご報告する。
 その日から3日間は、家族が名古屋→大阪へ出かけ、小生は留守番!

 其処で、0217日は車で日帰り「掛川城→掛川市二の丸美術館→資生堂アートハウス→平野美術館→浜松・元城町東照宮〔浜松城の前身・引間城本丸跡〕」と巡って来た。

08:20 拙宅発→三ケ日IC〔→東名→〕掛川IC
09:20 掛川城(公園駐車場)



 最初に訪れたのが「掛川城」/この城の歴史を簡単に説明すると、
 1497(明応06)年~1501(文亀元)年 掛川古城が現在の所在地から東へ500mの所に築かれた


 駿河国守護大名の今川氏が遠江師範の拠点として重臣朝比奈泰熙に築かせたと伝わる

1512(永正09)年~1513(10)年頃 現在の地に掛川城が築かれた
1568(永禄11)年 武田氏に駿河を追われた今川氏真が掛川城に籠る


1568(永禄12)年 徳川家康が氏真と和睦し掛川城を開城させ、家康の重臣石川家成が入城
1590(天正18)年 徳川家康が江戸へ移封後、山内一豊が入城
1601(慶長06)年 山内一豊が土佐国へ移封後、松平(久松)定勝が入城

【掛川城】
 以後、安藤→松平(久松)→中野→朝倉→高室→青山→松平(桜井)→本多→松平(藤井)→北条→宮崎→本多→井伊→松平(桜井)→小笠原→太田(資俊以下7代にて明治維新を迎える)と数多くの城主が後退した。

 美しい天守閣は、幕末の1854(安政元)年の東海大地震により倒壊し、再建されぬ儘明治維新を迎え、1869(明治02)年 廃城となった。
 1994(平成06) 140年ぶりに木造にて再建され現在に至ったのである。
 確かに、掛川城天守閣はご覧の様にとっても美しい。
 掛川城天守閣周辺には、太鼓櫓や御殿、大手門、二の丸美術館、竹の丸(武家屋敷)等があり、一通り見るのに2時間程費やした。

[01]掛川城天守閣をbackに二の丸美術館前にて

[02]掛川城天守閣1

                  
[03]同城天守閣への参道1

[04]2
                  
[05]掛川城 御殿 入口

[06]掛川城 御殿 内部にて1
                  
[07]2

[08]3
                  
[09]大手門()から掛川城天守閣遠望

[10]掛川城天守閣をback
                  
[11]同城 太鼓櫓

[12]掛川市 竹の丸2階内部
                  

【掛川市二の丸美術館 / 『名品と出会う』展】
 天守閣に続いて訪れたのが、掛川城二の丸にある、掛川市二の丸美術館である。
 昨年1103日に一宮市三岸節子記念美術館で見た『名品と出会う』展を此の美術館で開催していた。
 20171108日付【時習26回3-7の会 0678】にてご紹介済
 https://si8864.blogspot.com/b/post-preview?token=1vSTzGEBAAA.Nuk549s6Lhu7vFOv5Di6XRYj0Pek28MvSFcqnCDSUDweKdKGNFXNFf-Rv3Uy3_rsK2XbdjuIfde73bsVlvDZMQ.WgpYcPUDmj_P76S4uJ_6sQ&postId=6199623577444100381&type=POST ←此処をclickして下さい
 小生、二度目となるが拝観料が200円と安価であることもあり見て来た。

[13]掛川市二の丸美術館前にて


11:45 掛川市二の丸美術館発→〔一般道2.2km 8分〕→


11:55 資生堂アートハウス着

【資生堂アートハウス / 開館40周年記念「後期」資生堂アートハウス名品展】
 資生堂のcollectionだけあって、珠玉の傑作ばかりであった。

 今回初めての訪問だが、これからは企画展開催の際には訪れてみようと思っている。


[14]資生堂アートハウスの前にて
                  

[15]同ハウス入口にて

[16]同ハウス入口
                  
[17]金山平三(1883-1964)『雪の風景』1950

[18]曽宮一念『けし』1954
                  
[19]梅原龍三郎( 1888-1986)『薔薇図』1979

[20]同『芥子図』1978
                  
[21]森芳雄(1908-97)『友達』1976

[22]小磯良平(1903-88)『婦人座像』1981
                  
[23]香月泰男(1911-74)『光芒』1974

[24]脇田和(1908-2005)KUKUIの鳥』1983
                  
[25]岡鹿之助(1898-1978)『塔』1975

[26]中谷泰(1909-93)『谷間の家』1978
                  
[27]同『春雪』1975

[28]野見山暁治(1920- )『忘れられない日』1992
                  

12:40 同所発→掛川IC〔→東名→〕浜松IC
13:45 平野美術館着

【平野美術館 / 佐々木信平回顧展】
 昨年05月 急逝された佐々木信平(1936-2017)の回顧展が開催されている平野美術館を訪れた。

 
[29]平野美術館入口

[30]同館入口横にて
                  
[31]佐々木信平『草を積む人』2008

[32]同『夏の日のバルサーナ』2009
                  
[33]同『日差しをうけて』2011

[34]同『天地』2012
                  
[35]同『マラムレシュよ永遠に』2005


  佐々木信平氏の作品を纏めて見たのは今回が初めてである。
  上記5点は、いずれも150200号の大画面でルーマニアの農村風景等を描いている。
  美術館の1F展示cornerでは、作品の展示即売会も開催されていた。

14:40 同所発→〔一般道 800m 3分〕→
14:45 元城町東照宮〔旧曳馬(=引間)城跡〕着


【浜松・元城町東照宮〔浜松城の前身・引間城本丸跡〕】
 此の東照宮は、由緒書(添付写真[37])に拠ると以下の通り。

 1884(明治17)年 旧幕臣井上八郎(延陵)が元城町古城(旧曳馬城跡)創建
 1936(昭和11)年 浜松市議会議員で弁護士の大石力が引き継ぎ、地域の神社とした
 1945(昭和20)年 戦災にて消失
 1959(昭和34)年 社殿・手水舎・社務所等を再建し現在に至る

[36]元城町東照宮 鳥居
                  

[37]同東照宮 由緒書

[38]同本殿
                  
[39]境内の一角にある徳川家康公と少年時代の豊臣秀吉公の像と共に

[40]浜松時代の徳川家康公像説明
                  
[41]浜松時代の少年豊臣秀吉像説明


15:10 同所発→〔一般道 38km 65分〕→16:20 自宅着〔了〕
【小生comment

 美しい作品を見て、由緒ある城や神社等の史跡巡り、往時を想像すると、心がワクワクして来る。
 さぁ、来週は何処へ行って来ようか?

【後記】先週0221()は、名古屋のウェスティン・ナゴヤキャッスルにて講演会があり聴いて来た。
 講演会終了後、ホテルの道を隔てた東側にある金城とも呼ばれる名古屋城を撮影したのが以下の写真である。

 美しい金城に魅せられて詠んだ拙歌一首と拙句一句をお披露目してお別れする

  金城(きんじょう)に 夕陽(ゆうひ)・早春! 美の極み  悟空

  金城の清洲櫓に射す夕陽 眺めて知るは春の訪れ  悟空〔了〕



[42]名古屋城 西北((戌亥)=清洲)櫓をback
                  

[43]清洲櫓と名古屋城天守閣

[44]清洲櫓
                  
[45]名古屋城天守閣


【小生comment
 夕陽に金色に輝く鯱が格段に美しい金城の天守閣も素晴らしいが、清洲城を移築した夕陽に染まる清洲城もいい!

 では、また‥〔了〕


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