2018年2月11日日曜日

【時習26回3-7の会 0691】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之四 春〔第1回〕』」「02月03日:大垣市守屋多々志美術館『西域の美』展 & 一宮市三岸節子記念美術館『三岸節子 マチエールの魅力』展 & 豊橋市美術博物館『生誕100周年 森緑翠と白士会』展を巡って」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0691】号をお届けします。
 今日最初の話題は、20171201日《会報》【0681】号にてご紹介した『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第1回〕目をお届けする。
 巻之四『春』には、発句全118句が収められているので、今回から晩春の4月に亘り何回かに分けてお届けする。
 先ず今(1)回は第1句~12句迄をご紹介したい。
 では、どうぞ‥

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第1回〕】

  猿蓑集 巻之四

     春

 
01 梅咲(うめさき)て人の怒(いかり)の悔(くい)もあり  露沾(ろせん)(1)

【意】真っ白に咲く清らかな梅の花を眺めていると、人に対し怒り覚えたことへの悔恨の念を感じることもあることだ
【解説】路通編『勧進牒』(元禄04(1691)年刊)に「正月二十九日月次興行、通題梅」として収める題詠句
 露沾は、以下(1)にある様に、磐城国平藩主内藤義概の嫡子であったが廃嫡させられ謹慎中の頃の作品の所為か、「人の怒の悔もあり」という言葉が重く響いてくる発句である
(1) 露沾(1655-1733):磐城国平藩7万石第3代藩主 内藤義概(よしむね(1619-85)/諡号 風虎)の次男の義英(よしひで)
 露沾(義英)は、義概の嫡男だったが、家臣の讒言や病弱を理由に廃嫡され蟄居
 1685年 義概の死に拠り、義英の弟 義孝(1669-1713)が平藩第4代藩主に
 義孝の死(1713)後、義孝の次男義稠(よししげ(1697-1718)が平藩第5代藩主となるも早世
 1706年 露沾(義英)の長男 政樹(まさき(1706-66))が第6代藩主となった
 因みに磐城国平藩初代藩主は内藤政長(1568-1634)
 1622年 前藩主鳥居氏の山形転封を受けて磐城国平に入封
 1747年 政樹の代に日向邦延岡藩7万石に転封となり、内藤家は同藩で明治維新を迎える

  上臈(じやうらふ)の山荘にましましけるに候し奉りて(1)

02 (うめ)が香()や山路(やまじ)猟入(かりいる)ル犬のまね  去来

【意】恰も梅の微香が匂い立つ様な上臈の人にお仕えしていると、自分が匂いを辿って山へ狩猟に入る犬になった様な気持ちになる
【解説】『去来発句集』には中七「山路分入る」とする
(1)前書にある上臈が誰であるかは不明
 上臈とは、身分・地位の高い人物(摂関家か?)の意
  「高貴な人物が山荘に滞在している処へ訪問して」の意

03 むめが香()や分入里(わけいるさと)は牛の角(つの)  加賀句空

【意】梅の香に釣られて梅林の中に分け入ってみる/すると、其処(梅の花咲く村里)では、その辺りに居る牛の角からも梅の香りが匂い立って来るかの様だ
【解説】北枝編『卯辰集』(元禄0405月刊)には、「匂ふらし梅さく里の牛の角」の句形とある
 又、此の句は芭蕉の「『奥の細道』那古の浦(元禄02071314)」の中にある「早稲の香や分け入る右は有磯海(1)」を踏まえる
(1)有磯海:新湊辺りの奈古の浜で詠まれたというのが通説
 最近では、親知らず・市振を越えて富山に入って直ぐの場所という説も有力
 芭蕉の此の句は、「早稲の『黄金(こがね)色』」と「有磯海の『青』」の色の対比がポスト印象派のゴッホの絵を見る様で明るく輝いている様で美しい

  庭興(1)

04 (うめ)が香()や砂利(じゃり)しき流す(2)谷の奥(おく)  土芳

【意】枯山水の砂利の川を敷き詰めたら、山奥の方から梅の香が下りて来た
【解説】此の句は、服部土方(1657-1730)の自選句集『蓑虫庵集』(写本)、元禄04年の条に収録
(1)庭興:庭前の即興の意
(2)砂利しき流す:玉砂利を敷き渡すの意
 枯山水である為、此れが谷川を象(かたど)った景色を表している

05 はつ蝶(てふ(=ちょう))(1)や骨なき身()にも梅(うめ)の花  半残

【意】羽化したばかりの柔らかい蝶にも梅の花の香りは分かるのだなぁ
【解説】「たづねくるはかなき羽()にも匂(にほ)ふらむ軒端(のきば)の梅の花の初蝶(はつてふ)/藤原家隆(1158-1237)〔壬ニ集〕」を踏まえたとする
(1)はつ蝶:羽化したばかりの蝶のこと

06 (うめ)が香()や酒のかよひ(1)のあたらしき   膳所蝉鼠(2)

【意】梅の香の匂う新春の酒屋でのこと/真新しい通い帳が配られた/こういうことで新鮮な気分になるものだ
【解説】―
(1)かよひ:通い帳のこと/酒屋など売り手が買い手に発行する売り掛け帳面
(2) 蝉鼠:膳所の人/詳細不詳

07 むめの木や此(この)一筋(ひとすじ)を蕗(ふき)のたう  其角

【意】梅の木に梅の花が咲いている/梅木の下の小径に目を遣れば蕗の薹(フキノトウ)も見える/春だなぁ
【解説】其角句集『五元集』には上五「梅がゝや」
 露沾亭での会合の句は、露沾以下11人の句が『勧進牒』に収録されている
 が、それに続き「饗応に侍る由、その日はことに長閑(のどか)にて、薗中に芳艸をふみ、入口面白かりけるよし、うらやましさに追て加り侍る」と前書があり、この其角の句がみえる
 即ち、其角は、この会合には不参加で、会合の様を想像して詠んだ句

  子良館(こらのやかた)の後(うしろ)に梅(うめ)(あり)といへば

08 御子良子(おこらご)(1)の一(ひと)もと床(ゆか)し梅の花  芭蕉

【意】((芭蕉)は見つけたヨ!)御子良子達の館の裏に奥ゆかしく(=ひっそりと)一本だけ梅の木があることを!
【解説】芭蕉の『笈の小文』に、「神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと、神司などに尋()侍ば、只何とはなし、をのづから梅一もともなくて、子良の館の後(うしろ)に一もと侍るよしをかたりつたふ」として、この句を記す
  『真蹟懐紙』・『蕉翁全伝附録』に「梅稀に一もとゆかし子良の館」とあるのが初案
(1)御子良子:伊勢神宮に奉仕する少女で、神楽や神饌の事を司った

09 痩藪(やせやぶ)や作(つく)りたふれ(1)の軒の梅  千那

【意】痩せ薮に見すぼらしい貧家の軒先に其れこそ相応しいというか貧相な梅の花が咲いている
【解説】―
(1)作りだふれ:作り損/手入れする甲斐もない

10 灰捨(はひすて)て白梅(しらうめ)うるむ垣(かき)ねかな  凡兆

【意】垣根に灰を捨てたら、灰の粉がパアッ立ち上って白梅の姿がうるんだ様に見えた
【解説】―
(1)うるむ:透明でない/ぼうっとくもる意/情景が不鮮明になること

11 日當(ひあた)りの梅咲(うめさく)ころや屑(くづ)牛房(ごばう)  膳所支幽

【意】秋に収穫したゴボウを土中にいけて保存して置いても、日当たり良い場所の庭の梅が咲き始める時分になると、屑ばかりとなって仕舞っているヨ
【解説】―
(1)屑牛房:不揃いなゴボウの意

  暗香(あんこう)浮動(ふどう) 月(つき)黄昏(こうこん) (1)

12 入相(いりあひ)の梅(うめ)になり込(こむ)ひゞきかな  風麥

【意】(此の句の動機である)黄昏の晩鐘の音は、梅園の梅の香の中を伝わって響く
【解説】―
(1)前書の「暗香動月黄昏」は、北宋の林逋(りんぽ(967-1028))の七言律詩「山園小梅」の第四句句からとる採る
 林逋:北宋の詩人/字:君復(くんぷく)/諡号:和靖/錢塘(せんとう(=浙江省杭州))の人/若年時代から江淮(こうわい)地方を放浪・遊行していたと伝わる/西湖の孤山に20年程隠棲/生涯仕官・妻帯せず/詩風は穏やか・淡泊で、西湖とその周辺の風景を詠じたもので知られる/著に「林和靖詩集」

  山園小梅 / 林逋

衆芳搖落獨暄妍
 占盡風情向小園
 疎影横斜水清淺
 暗香浮動月黄昏
 霜禽欲下先偸眼
 粉蝶如知合斷魂
 幸有微吟可相狎
 不須檀板共金尊

  山園(さんえん)小梅(しょうばい)

衆芳(しゅうほう)(1)搖落(ようらく)して 獨(ひと)り暄妍(けんけん)(2)
 風情(ふうじょう)を占()め盡()くして 小園(しょうえん)に向()かう
 疎影(そえい)横斜(おうしゃ)(3) 水(みず)清淺(せいせん)
 暗香(あんこう)(4)浮動(ふどう) 月(つき)黄昏(こうこん)
 霜禽(そうきん)(5)(くだ)らんと欲(ほっ)して 先()ず眼()を偸(ぬす)(6)
 粉蝶(ふんちょう)(7)()し知らば 合(まさ)に魂(こん)を斷()つべし(8)
 幸いに微吟(びぎん)の 相(あい)()るべき有り
 須(もち)いず檀板(だんぱん)(9)と 金尊(きんそん)(10)を共にするを

(1)衆芳:多くの芳(かぐわ)しい花々
(2)暄妍:温かく美しい
(3)横斜:斜めに伸びた枝
(4)暗香:何処からとも漂って来る香り
(5)霜禽:霜枯れ時の鳥/白い鳥
(6)偸眼:盗み眼で見る
(7)粉蝶:白い蝶々
(8)斷魂:驚く
(9)檀板:歌の調子をとる板で楽器の一つ/栴檀の木が材料
(10)檀板:黄金の酒樽/立派な酒樽のこと

【意】他に多くの芳しい花々が揺れて落ち枯れ枝となっている時
 温かく美しい梅花だけが此の小園で風流な趣を独占している
 疎(まば)らな枝は清流の水に斜めに影を映して
 仄(ほの)かな香りが月が昇る黄昏時に何処からともなく漂ってくる
 霜枯れ時の鳥は、梅の枝に下ろうとして定まらず辺りを盗み目で見廻し
 白い蝶も今もし美しい梅花があることを知れば驚くことだろう
 幸い静かに詩を吟ずる私の声が此の(梅の)花とよく狎()れ合うので
 檀板で拍子をとったり、黄金の酒樽を用意する必要もないのだ

【小生comment
   『猿蓑集』は、半紙本「『乾』:巻之一()・二()・三()・四()」「『坤』:巻之五(連句篇=四歌仙()()()())・六(幻住庵記)・几右日記(幻住庵記訪問客の句等)・跋」の2冊からなる。
 今回の「巻之四『春』」からは、『坤』に収録されている順序に従ってご紹介していくつもりである。
 猶、「巻之四『春』」を締め括る第118句は、大変名高い芭蕉の句「行(ゆく)春を近江の人とお(=)しみける」は正に晩春の発句であり、丁度その頃にこの巻之四が終わる様に進めていく所存。
 乞うご期待!

■続いての話題は、去る0203()に月一回名古屋市東区にある歯科医院に通うついでに巡った3つの美術館についてご紹介する。
 此の日は、月に一度の名古屋市東区の歯科医院での歯科健診。
 いつもの様に、巡って来る美術館は今回は以下の3館。
 1. 大垣市守屋多々志美術館『西域の美』展
 2. 一宮市三岸節子記念美術館『三岸節子 matière の魅力』展
 3. 豊橋市美術博物館『生誕100年/森緑翠と白士会』展

07:25 拙宅発→豊川IC〔東名→名神〕→大垣IC
08:57 大垣市守屋多々志美術館着
09:00 同美術館『西域の美』展

【大垣市守屋多々志美術館『西域の美』展】

[01]大垣市守屋多々志美術館前にて1

[02]2
                  
[03]本企画展leaflet

[04]守屋多々志 (1912-2003)『水灔』1973
                  
[05]同『天平の楽人』1985年頃

[06]同『楊四娘』1969
                  
[07]同『繭の傳説』1994

[08]同『悔過(持統天皇)1987
                  
[09]同『牡丹燈記』1971

 
09:30 同所発→〔一般道 200m 2分〕→
09:35 大垣城着

[10]大垣城の前にて
                  
[11]大垣城前の戸田氏鉄像1

[12]同2
                  
 
 銅像は、大垣藩10万石 初代藩主 戸田氏鐵(うじかね(1576-1655))
 氏鉄の父、戸田一西(かずあき(1543-1604))は、現在の豊橋市多米町の領主で、徳川家康配下の武将として活躍。
 関ヶ原合戦の際は、秀忠軍に従い、上田城攻めで唯一上田城攻略に反対、関ヶ原へ急ぐべきと進言。
 合戦後、家康からそれを評価され、山城国膳所城築城を命じられ、膳所藩3万石の藩祖となる。
 その膳所藩2代藩主を一西の嫡子の氏鉄が継いだ。
 氏鉄は、大坂夏の陣では、居城膳所城の守備に徹し、戦後の1616(元和02)年に摂津尼崎5万石へ移封、更に1635(寛永12)年美濃大垣10万石へ転封された。
 因みに、時代は下って、第11代大垣藩主は戸田氏共(うじたか)伯爵。
 彼の妻、極子は、明治の元勲・岩倉具視の長女。
 
[13]戸田極子


【小生comment
 陸奥宗光の妻女亮子と共に「鹿鳴館の華」と並び称された美人(写真[13]参照)
 又、極子は、箏・山田流の名手でもあった。
 戸田氏共伯爵は188790年迄、AustriaHungarySwiss特命全権大使を務め、一家がViennaに滞在した折、Brahmasは極子の箏の演奏を聴いた。
 守屋多々志は、此の模様を絵画『ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)』という作品にしている。
 
09:45  大垣城発→〔一般道〕→
10:25   一宮市三岸節子記念美術館着

【一宮市三岸節子記念美術館『三岸節子 matière の魅力』展】

[14]一宮市三岸節子美術館前にて1
                  
[15]2

[16]同館内のフジイ・フランソワ展の看板前にて
                  
[17]三岸節子(1905-99)『自画像』1925

[18]三岸節子『花と魚』1952
                  
[19]三岸節子『花(黄色)1971

[20]三岸節子『アルカディアの赤い屋根』1989
                  
 
【小生comment
 三岸節子の作品は大好きだ。
 同時開催の企画展『日本画家/フジイフランソワ』展は、妖怪の絵が描かれたりした面妖な作品ばかりで好きになれなかった。

11:10  同所発→一宮IC〔名神→名古屋高速〕→
11:55  陣屋〔昼食 ラーメン〕
14:00 歯科健診
14:55 歯科医院〔名古屋市東区〕発→名古屋IC〔東名〕豊川IC
16:20 豊橋市美術博物館着
16:22 同美術館『生誕100年/森緑翠と白士会』展

【豊橋市美術博物館『生誕100年/森緑翠と白士会』展】

[21]豊橋市美術博物館前にて1

[22]2
                  
[23]本企画展leaflet

[24]森緑翠(1917-99)『こども』1947
                  
[25]同『佛山小径』1968

[26]同『燈』1974
                  
[27]同『倫敦寒灯』1982

[28]中村正義(1924-77)『斜陽』1946
                  
[29]浅田蘇泉(1911-2001)『陽』1963

[30]伊東隆雄 (1928-2015)『飾窓』1951
                  
[31]同『冬の日』1955

[32]同『再見』1971
                  
 
【小生comment
 森緑翠をはじめとする 白士会 の members の作品は、いずれも気品があって素晴らしいと思う。

【後記】二月初旬の立春の頃になると、蕉門十哲の一人で宝井其角(1661-1707)と共に江戸蕉門の高弟、服部嵐雪(1654-1707)の次の名句が浮かぶ。

  梅一輪 いちりんほどの あたたかさ  嵐雪

 1 説:「梅が一輪咲いている姿を見ると、僅かではあるが、一輪程の温かさが伝わって来る」
 2 説:「梅の花が一輪、又一輪と花開いて来るに連れ、段々と暖かさが増して行く」
 皆さんは、嵐雪の名句、1説と2説の何方を選ばれますか?
 因みに、小生は何方も正しい解釈だと思う。

【前書】Facebookのお友達が0206日に撮影された向山緑地 梅林園の梅に魅せられて一句‥

  梅の華()や 寒さの中に 春を見る  悟空

[33]Facebookのお友達撮影の豊橋市向山緑地の梅林園の梅花


 では、また‥〔了〕

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