2018年1月14日日曜日

【時習26回3-7の会 0687】~「01月07日:「松坂屋美術館『ミュシャ~運命の女たち~』展→「日本特殊陶業市民会館〔フォレストホール〕/ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団『ニューイヤーコンサート2018』を聴いて」「出口治明「座右の書『貞観政要』」& 呉兢(守屋洋 訳)『貞観政要』&湯浅邦弘 訳『貞観政要』を読んで」「杜甫『旅夜書懷〔旅夜 懷ひを書す〕』」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0687】号をお届けします。
 今日は先ず0107()に、15:00開演のウィーン・フォルクスオーパー交響楽団 ニューイヤー・コンサート2018 を聞きに名古屋・金山のフォレストホールへ行って来たことについてお伝えする。
 小生、ただ此の concert だけに名古屋へ行くのは勿体ないので、松坂屋美術館で開催中の『ミュシャ〜運命の女たち〜』展を concert 前に見て来た。
 ミュシャの描く女性たちは、官能的で気品ある美人揃いで、時々見ると心が洗われる思いがするのでとても好きな作品群である。

【松坂屋美術館『ミュシャ~運命の女たち~』展】

[01]松坂屋美術館『ミュシャ~運命の女たち~』展入口にて

[02]本企画展leaflet
                  
[03]ミュシャ『calendar/四季~冬()・秋()(部分)1896

[04]同『poster/黄道十二宮』1896 lithograph
                  
[05]同『poster/ジョブ』1896 lithograph

[06]同『poster/スラヴィア保険会社(部分)1907 lithograph
                  
[07]同『poster/ヒヤシンス姫』1911 lithograph

 
【日本特殊陶業市民会館〔フォレストホール〕「ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団『ニューイヤーコンサート2018
 小生、年中行事の様になって2009年来10年連続で拝聴して来ている音楽の都ウィーンの調べを聴く concert である。
 演奏曲目は‥
  「ポンキエルリ/歌劇『ジョコンダ』より時の踊り」
  「ロッシーニ/歌劇『ウィリアム・テル』序曲」
  「レハール/オペレッタ『メリー・ウィドウ』よりヴィリアの歌」
  「J. Strauss Jr.(2)/ワルツ『美しき青きドナウ』」
  「ヴェルディ/歌劇『椿姫』より乾杯の歌」
  「J. Strauss l/ラデツキー行進曲」等々‥
 超がつく名曲を披露してくれ至福の2時間を過ごすことが出来た。

 
[08]フォレストホール入口にて
                  
[09]フォレストホール営巣会場入口に掲示された本演奏会のleaflet

[10]CD販売cornersignをしてくれたフォルクスオーパー交響楽団楽団員5名の皆さん1
                  
[11]同上2

[12]2017年版 フォルクスオーパー交響楽団演奏会CDprogram
                  
[13]本会陰総会 program 演奏曲目一覧

[14]同上 soloistと指揮者
                  
[15]同上 encore

 
【小生comment
 美しい絵を見て、美しい音楽を聴く、日頃仕事で溜まる stress を発散するには此れ等に勝る良薬はない。(^^;;

■続いての話題は、最近読んだ出口治明「座右の書『貞観政要』」& 呉兢(守屋洋 訳)『貞観政要』&湯浅邦弘 訳『貞観政要』の3冊についてである。
 今回は、3冊の中から business 社会でも通用する出口治明氏の「座右の書『貞観政要』」を一部ご紹介する。

【『貞観政要』に凝縮された「ビジネスリーダー」5つの要諦】

●理想を「演じ続けた人」は、やがて本物になる〔P.65
 兄弟を殺した李世民が、暴君ではなく中国史上で有数の名君と讃えられる様になったのは、正史を脚色したことだけが理由ではない。
 立派な leader になる以外に汚名は消えないと考え、心を入れ替えたからである。
  「玄武門の変」に拠って帝位に就いたことの minus 面を打ち消そうとして、李世民は本気で変わろうと思った。
 だからこそ、房玄齢(578-648)と杜如晦(585-630)2人を任用して政治に真剣に取り組み、敵方の臣下だった魏徴(580-643)を登用して彼の諫言を用い、常に自らを律する様に努めたのである。
 李世民は、歴史は残るという前提の中で、理想の leader を演じようと考えた。「演じる」というと、表面的に聞こえるが、そんなことはない。
 Leaderを演じるとは、自分の position に対して深く自覚することである。
 美味しいご飯は食べたいけれども、皇帝になったんだから、美女にうつつを抜かしている場合ではない。酒に溺れる leader はかっこ悪いから、この辺で飲むのを辞めた方がいい‥。
 自分の立ち位置を確認し、それに見合った振る舞いを演じ続けていれば、それはやがて、その人の本性になると思う。
 李世民は、必死になって理想の leader を演じ続け、そして、名実共に理想の leader に変わることが出来たのである。

1300年前からる「最良の case study」〔p.66
  『貞観政要』は、business に於ける最良の case study である。
 この本を読めば、人間と人間がつくる社会はどの様なものか、皇帝(leader)と臣下(部下、follower)の関係はどうあるべきか、理想の leader になる為に何をなすべきかを予行練習することが出来る。
  『貞観政要』を読み解いていくと、組織の management を考える上で大切な5つの hint を受け取ることが出来る。勿論、此れは僕(=出口)が独断と偏見で選んだもの。〔中略〕

①組織は leader の器以上のことは何一つ出来ない。
 であれば、有限の「器」の大きさしか持てない生身の人間( leader )に出来ることは、自らの器を捨てる、或いは必死に消すことしかない。

Leader は、自分にとって都合の悪いことを言ってくれる部下を傍に置くべきである。
 部下の諫言(苦言)を受け入れる努力を常に怠らない様にしないと、裸の王様となり、自分の本当の姿が見えなくなって仕舞う。

③臣下(部下)は、茶坊主になってはならない。上司に阿(おもね)ってはならない。
 天知る、地知る、人知る(『後漢書』)。他人は知るまいと思っても、悪事()は必ずいつかは露見する。だから部下は、自分の信念に従い、勇気を持って正しいと思うことをを上司に諫言すべきである。
 良き leader ship には良きfollower が不可欠だと言われているので、「②」と「③」は set で考えるべき問題だろう。

④君は舟なり、人は水なり。水はよく舟を載せ、またよく舟を覆す。
 君主( leader )が舟で、人民(部下)が水。舟は水次第で、安定もすれば転覆もする。
 Leader は、部下に支えられているということを片時も忘れてはならない。どれ程の権力を持とうとも、部下に見放された leader は役に立たない。つまり、leadershipとは、人(部下)が付いて来ることである。

leader は常に勉強し続けなければならない。
  『貞観政要』自体が古典であるが、当時から見た古典から多数引用されているのは、抽象論では人を動かすことは出来ないからである。
 又、具体的な事例を持ち出して話をする為には、leader は様々な case study について勉強しなければならない。
 人間の脳は、約13,000年前から進化していないと考えられている。
 僕たちが2,500年前に書かれたギリシャ悲劇に涙を流すのも、同じ失敗を何度も懲りずに繰り返すのも、脳が同じである以上、どの様な時代であっても、人間が思いつくことや喜怒哀楽は同じだからだ。
 だからこそ『貞観政要』は、今に通じる leadership 論、或いは組織論の教科書として世界中で高く評価されているのである。

[16]出口治明「座右の書『貞観政要』」
                  
[17]呉兢(守屋洋 訳)『貞観政要』&湯浅邦弘 訳『貞観政要』

 
【小生comment
 日本でも、古来、北条政子や徳川家康、近代では明治天皇が愛読した「君子論」である『貞観政要』。
 殺さなければ殺されるという切羽詰まった状況だったとは言え、兄・李建成(589-626)と弟・李元吉((げんきつ)603-626)を自ら射殺した〔「626年『玄武門の変』」〕李世民(598-649)
 李世民の父、唐の高祖・李淵(566-635)の母は、隋の第2代皇帝・煬帝((ようだい)569-618)の母の姉で、李淵と煬帝は母同士が姉妹の従兄弟同士であった。
 李淵は、隋の都・長安を制圧した後、煬帝の孫・恭帝(きょうてい)「揚侑((ようゆう)605-619)」を隋の皇帝として擁立。
 煬帝が滞在先の揚州で殺されると、李淵は恭帝・楊侑に帝位を禅譲させ、618年「唐」を建国。
 その楊侑も、619年 李淵の承認の下、李世民が殺害している。
 この様に、父・李淵と共に「唐」を建国した太宗・李世民は、「唐」建国の立役者であるが、皇帝の位に就くには血塗られた経歴を持つ。
 その李世民が、後の世に迄「名君」と讃えられる為には、「人格者たる名君を演じ続ける」必要があった。
 が、「人格者たる名君を演じ続ける」ことが出来た李世民は、「本物の名君」となり、後世の人々から名君として崇められたのである。
 その「人格者たる名君を演じ続ける」為の言行録が『貞観政要』なのである。

■今日最後の話題は、最近読み返している詩聖・杜甫(712-770)の漢詩の中から「旅夜書懐(旅夜懐ひを書す)」をご紹介する。

  旅夜書懷
 細草微風岸
 危檣獨夜舟
 星垂平野闊
 月湧大江流
 名豈文章著
 官應老病休
 飄飄何所似
 天地一沙鴎

  旅夜(りょや) (おも)ひを書(しょ)す  
 細草(さいそう) 微風の岸
 危檣(きしょう)(1) 獨夜(どくや )の舟
 星垂()れて 平野 闊(ひろ)
 月(つき) ()いて 大江(たいこう) (2)流る
 名は 豈()に 文章もて 著(あら)はれんや
 官は 應(まさ)に 老病(ろうびょう)にて 休()むべし
 飄飄(ひょうひょう) (3)として 何の似る所ぞ
 天地の 一沙鴎(いちさおう) (4)

(1)危檣(きしょう):高い帆柱
(2)大江(たいこう):長江のこと
(3)飄飄(ひょうひょう):彷徨う様(さま)
(4)一沙鴎(いちさおう):砂場にいる鴎(カモメ)

【現代語訳】
 か細(ぼそ)い草を微(かす)かな風が揺らす此の岸辺
 高い帆柱の立った舟の上で私は独りが独り夜を過ごしている
 星空が地に垂れる様に平野は広々として
 月影が水面に乱れ湧き長江は流れていく
 誉は果たして文学に拠り表すべきでない
 官職の方は老病で辞めなければならなくなった
 此の流離いの身は何に似ているかと言えば
 天地の間を漂う一羽の浜辺の鴎(カモメ)

【小生comment
 この傑作は、765年 杜甫54歳の詩。
 756年 杜甫は安史の乱(755-763)で都・長安が賊軍に拠って陥落すると長安城内に幽閉される
 757年 前年皇帝位に就いた粛宗(711-762)から左拾遺の位を授かる
 758年 皇帝粛宗の怒りを買い、華州に左遷される
 759年 官職を捨て、秦州(甘粛省天水市)3か月→同谷(甘粛省成県)1か月滞在後、成都に赴く
 760年 成都で杜甫草堂を立て、高適(こうせき(-765))らの支援も得て平穏な生活が高適が亡くなる765年迄続いた
 765年 成都を去り、長江を下る
  「星垂れる」が「星の下に押し潰される非力でちっぽけな自分」を、「月湧いて」が「長江を滾々(こんこん)と流れる『永続性』」を表している。
 自分を「天地の『一沙鷗』」に譬(たと)え、自分の現在の立ち位置をclose-upしている。
 即ち、自然の雄大さを視覚的に描き、作者という人間が大自然に比べ如何に非力であるかを絶妙に表現した傑作である。
 此の「一沙鷗」がいま小生の心境と境遇が重なる。

【後記】
 0110()は、地元社会奉仕団体の2018年最初の例会の為、羽田八幡宮社で祈祷をして貰った。
 今年もいい年であります様に!
 では、また‥〔了〕

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