今日最初の話題は、12月15(金)~17(日)二泊三日西安旅行『行こまい♪西安 3日間』の全行程の模様をお伝えする。
以下、行程に従ってご紹介する。
【初日】
05:10 拙宅発→豊川IC→〔東名高速〕→06:30 セントレア駐車場着
[01]中部国際空港24番GATEにて
[02]同24番GATEの「中国東方航空MU292便/西安ゆき」案内掲示
08:55 セントレア発→〔日本航空共同運航便・中国東方航空MU292/名古屋⇔上海:1,550km
2時間30分〕→
[03]「名古屋→上海」間で出された機内食〔09:55に出された早い時間の昼食〕
10:50 上海浦東国際空港着〔現地staffが入国審査並びに西安ゆきに登場する迄誘導〕
[04]上海浦東国際空港着陸後のMU292便
[05]同空港で西安行きを待つ小生、同行の中野さんご夫妻と
[06]空港での「中国東方航空MU292便/西安行き」
12:30 上海発→〔中国東方航空:名古屋⇔上海と同じMU292が中国国内線として運行/座席も国際線と全く同じ席〕→
15:20 西安咸陽(せいあんかんよう)国際空港着〔出口にて現地guideの王さんが待機:大変日本語が流暢な男性(38歳)〕
[07]西安咸陽国際空港
[08]貸切busの中での西安現地guideの王さん
西安咸陽空港は、西安(旧長安城)の中心地から北西に約30㎞の所に位置する。
15:52 西安発→〔貸切bus〕→
16:10 漢陽陵博物館着
漢陽陵博物館は、西安の中心地から北へ約20㎞の西安市の北隣、咸陽市渭城区にある。
前漢 第4代(第6代)皇帝 景帝(紀元前188-141(在位:同157-141))の陵墓の近く、東へ約2㎞の所にある。景帝は、父の第3代(第5代)皇帝文帝と共に善政を敷き、前漢興隆の基礎を固めた。
中国の史跡・博物館は写真撮影がOKであり、多くの貴重な品々を撮影出来嬉しかった。
Guideの王さんは、日本に住んだことがないのに大変流暢な日本語を話すうえ、日本人観光客が舌を巻く程の深い知識量で解説してくれた。
彼曰く「陽陵が、秦の時代「咸陽」と言っていた地名が唐の時代には「渭城」と呼ばれ、此の地で西域に旅立つ人を見送った。
王維の「送元二使安西(元二(げんじ)の安西(あんせい)に使(つかい)するを送る)」は有名です」と述べ、日本語の書き下し文で諳(そら)んじたのには感心した。
渭城朝雨浥輕塵 渭城の朝雨(ちょうう) 軽塵(けいじん)を浥(うるお)し
客舍青青柳色新 客舎(かくしゃ) 青青(せいせい) 柳色(りゅうしょく)新たなり 勸君更盡一杯酒 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒
西出陽關無故人 西のかた 陽関を出(い)づれば故人無からん
【意】渭城の街に降る朝の雨が黄土の道の塵をしっとりと濡らす
旅館の傍らにある柳も青々と目に染みるさあ君に勧めよう、もう一杯此の酒を飲んでくれたまえ
西方の陽関を出て仕舞えばもう酒を交わす親しい友もいないだろうから
[09]陽陵をbackに
[10]漢景帝陽陵博物館内発掘遺跡
[11]陽陵をbackに「西漢帝陵/陽陵」石碑の横にて
17:00 同所発→〔貸切bus〕→
18:00 長安城 西の門着
[12]長安城 西の門前にて1
[13]同2
18:20 同所発→〔貸切bus〕→
18:25 鐘楼 付近着
東西南北の大通りの交差点に立つ木造3層(高さ36m)の歴史的建造物の楼閣。
1384(洪武17)年 西大街の広済街口に建立
1582(万暦10)年 現在地に移転
添付写真にある様にlight
upされた姿がとても美しい。
[14]電飾された鐘楼1
[15]鐘楼をbackに1
18:38 同所発→〔徒歩〕→
18:40 徳發長〔=餃子専門店老舗〕にて夕食
[16]徳發長 外観
[17]夕食に出た餃子1
[18]同2
[19]Tourで一緒になったご家族達と
19:50 同所発→〔鐘楼近くを散策〕→〔貸切bus〕→
[20]電飾された鐘楼2
[21]鐘楼をbackに2
[22]Tour guideの王さんと
20:10 同所発→〔貸切bus〕→
20:25 ホテル着→泊
[23]連泊したホテルの部屋内部
【二日目】
06:30 朝食
[24]朝食
07:30 ホテル発〔貸切bus〕→
07:45 西安郊外 Silk Road 起点〔=絲綢(しちょう)之路起点〕着
長安城の西門の1つである玉祥門から西へ約4km、大通りの中央分離帯の公園にある。
1988年 Silk Road交流2100周年を記念して造立された全長約56mの古代caravanの石像群。ラクダ14頭、馬3頭、犬2匹を連れ旅する5人から成っている。
[25]古代caravanの石像
08:00 同所発→〔貸切bus〕→
08:55 秦始皇兵馬佣博物館着→〔1号館・2号館・3号館・銅車馬館〕
兵馬俑は、長安城の中心から北東へ約30㎞の所にある。
1974年に楊志發氏はじめ3人の農夫が井戸掘りの作業中に偶然発見した。兵馬佣の西1.5kmには秦の始皇帝(紀元前259-210年(在位:246-210))の陵墓がある。
兵馬俑は、秦始皇帝陵を取り巻くように配置され、2万㎡余りの規模を有する。
1~3号館に戦車100台強、陶馬約600体、武士俑は成人男性よりやゝ大きく(173~196cm)8000体弱あり、いずれも東方を向いている。
因みに当時の成人男性の身長は140cm程だったという。
[26]秦始皇帝兵馬佣博物館入口前にて
[27] 1号坑内風景1
[28]同2
[29]同3
[30]同4
[31]一号坑内部にて1
[32]同2〔兵馬佣修理場所〕
[33] 3号坑内部風景1
[34]同2
[35]将軍佣
[36]立射佣
[37]銅車馬館の4頭立て馬車
10:45 同所発→〔徒歩〕→
11:15 秦始皇兵馬佣発見者 楊志發 さんと
[38]兵馬佣の図録にsignする楊志發さん
[39]楊志發さん
11:40 同所発→〔貸切bus〕→
12:00 秦の始皇帝陵着
司馬遷の「史記」には始皇帝の遺体安置場所近くに「水銀の川や海」があったと述べられている。
1981年調査で此の周辺から水銀の痕跡が確認され、当該記述の信憑性が高まった。
[40]秦の始皇帝陵前にて〔小生の真後ろにある小山が始皇帝陵〕
12:10 同所発→〔貸切bus〕→
12:25 昼食会場着
[41]昼食の一皿
[42]昼食のsoup
13:10 昼食会場発→〔貸切bus〕→
14:20 絨毯工場着〔絨毯・襟巻等即売〕
絨毯は高価なので見学しただけだったが、襟巻とscarfを土産に数枚購入した。
14:50 同所発→〔貸切bus〕→
15:10 青龍寺着
582(開皇02)年 霊感寺として創建
621(武徳04)年 一度廃寺となる662(龍朔02)年 観音寺と改名され再建
711(景雲02)年 青龍寺と改称
805(永貞元)年 02月 長安・西明寺にて入る
同年05月 青龍寺に恵果を訪ねて以後半年に亘り真言密教・奥義を伝授される
同年06月 大悲胎蔵の学法灌頂(かんじょう)
同年07月 金剛界の灌頂
同年08月 伝法阿闍梨位の灌頂を受け、「この世の一切を遍く照らす最上の者」(=大日如来)を意味する遍照金剛(へんじょうこんごう)の灌頂名を与えらる
空海以後も円行・円仁・恵遠・円珍等が青龍寺で密教を学んだ
845(会昌05)年 会昌の廃仏に拠り再び廃寺
846年 復興され護国寺と改名
855年 07月 青龍寺の名に復すが、唐末から五代十国の動乱に拠り長安自体が急速に寂れると共に青龍寺も衰退
1086年 寺は歴史から姿を消した
1982年 西安市と日本の香川・徳島・愛媛・高知の四国4県は共同して遺跡に空海記念碑を建立
1984年 西安市と日本の真言宗が此の地に恵果空海記念堂を建立
〔以上、青龍寺発行の図録及び朱印帳記載の青龍寺大事記より抜粋〕
[43]青龍寺の境内にて
[44]空海記念碑前にて
[45]青龍寺の門の前にて
[46]青龍寺の朱印帳1〔西安旅行で無料配布されたもの(参拝日(2017年12月16日)記入済)〕
[47]同2〔売店で10元で購入(参拝日(平成29年12月16日)記入済)〕
15:50 同所〔工芸展でのshopping見学〕発→〔貸切bus〕→
16:15 長安城 南門着
16:23 南門を出発して散策開始→
城壁の上を3㎞散策〔南門→西へ 2㎞ 40分→南西の角→北へ 1㎞ 20分〕現存する西安の城壁は、唐の長安城を基礎に明の洪武(1370-78)年間にかけて、レンガを積み重ねて築城。
城壁の高さ12m、城壁の底の幅18m、城壁上部の幅15m、同じく道幅12m、城壁は一周(=東西南北の全長) 13,912ある。
長安は、唐の時代に人口は世界初の100万人都市と成ったが、明代には30万人迄減少し、城壁も唐代より小規模に再建された。
因みに、現在の西安の人口は戸籍登録者数だけで830万人。
北京・上海より所得水準は低いが、物価も安く人質はおっとりしている。
西安は、日本の京都・奈良と姉妹都市となっている。
西安古城壁は、完全に保存されている世界最大の古代城壁で、世界で最も整備された古代の軍事砦として有名。
南門(永寧門)、西門(安定門)、北門(安遠門)、和平門、東門(文昌門)などから城壁に上ることが出来る。
西安城壁の中で最大の西門(安定門)から更に西へ数キロの所に唐代には城壁があった。
現在、其処に絲綢(しちょう)之路(Silk Roadの)起点として、古代caravanの石像がある(上記添付写真[25])。
[48]長安城 南門前にて
[49]長安城 城壁の上の道〔南門から西へ向かう〕
[50]唐長安城時代の城壁で囲まれた街域を示した図
[51]城壁の内側風景
[52]城壁の外側風景
[53]城壁上の内側に立って
[54]城壁の南西角付近の城壁上からの城外風景
[55]西門(安定門)近くの城壁上から西門をbackに
[56]西門(安定門)前にて
17:15 長安城 西門着
17:20 同所発→〔貸切bus〕→18:00 夕食会場〔精進料理〕
[57]夕食会場入口
[58]夕食の中の一皿
18:50 同所発→〔貸切bus〕→
19:15 陽光麗都大劇院着
[59]陽光麗都大劇院入口
[60]劇場内部の観覧席にてtour同行者の中野さんと
[61]歌舞showの一scene1
[62]同2
[63]同3
[64]同4
19:30 唐歌舞show〔70分間の演舞/入場料optional fee 280元〕
20:45 同所発→〔貸切bus〕→21:05 ホテル着→泊
【三日目(最終日)】
06:30 朝食
[65]朝食
07:30 ホテル check out 発→〔貸切bus〕→
07:55 陝西省美術博物館着〔美術工芸品の見学とshopping〕
当美術館は国立で、当館職員の一人の男性は名古屋の南山大学に留学した経験がると話していた。
08:35 同所発→〔貸切bus〕→
09:00 大雁塔(だいがんとう)着〔=大慈恩寺〕→〔書の掛軸shopping〕652年 玄奘三蔵が印度から持ち帰った経典・仏像等を保存する為、唐第3代皇帝高宗(628-83(在位:649-83))に申し出て建立。
塔の高さは7層64mあり、登楼への入館料はoptional fee 20元(夏期は30元)。
大慈恩寺は、西安市南東郊外約4kmにある仏教寺院で玄奘三蔵法師(602-64)所縁の寺。
648(貞観22)年 隋の大興城にあった無漏寺(別説:浄覚寺)の故地に皇太子の李治(唐 第3代皇帝 高宗)が、亡母(文徳皇后)追善のために建立。
寺名は「慈母の恩」に由来する。
玄奘は、当寺にて658(顕慶03)年迄の11年に及び40部余の経典を漢訳。
玄奘三蔵法師の弟子 基(き(窺基(きき)))が師から相承したの法相宗で、彼は「慈恩大師」と尊称された。
法相宗は、日本の奈良・興福寺と薬師寺、この宗派から独立した北法相宗は京都・清水寺が有名。
因みに、小生がguideの王さんに「法相宗は日本では奈良の薬師寺がそうだネ?」と話しかけた。
そうしたら、彼が「京都の清水寺もそうです」と即答したので彼の碩学に吃驚した。
652(永徽03)年 大雁塔建立。
此の塔は、玄奘が印度・西域から持参した仏像・経典を収蔵する為の塔に建てられた。
[67]同2
[68]大雄寳殿
[69]釈迦三尊像 at 大雄寳殿
[70]千手観音 at 観音殿
[71]間近に見上げる大雁塔
[72]大雁塔の内部の階段
[73]大雁塔7層最上階からの四方の眺望1
[74]同2
[75]同3
[76]同4
[77]購入した掛軸を販売担当したオジサンと
10:10 同所発→〔貸切bus〕→
[78]空港近くの昼食会場へ向かう貸切busの車窓の景色1
[79]同2
11:15 昼食会場着〔四川料理←空港直ぐ近くにある〕
[80]AIRPORT
RESTAURANTと記された昼食会場入口
[81]昼食の中の一皿
11:50 同所発→貸切bus〕→
11:55 西安咸陽国際空港着
[82]西安咸陽国際空港「名古屋ゆき」を示す掲示板
[83]同E04GATE
[84]同 帰りの飛行機 中国東方航空MU291
13:30 同所発→〔中国東方航空
MU291便〕→
[86]同2
[87]同3
15:45 上海着
[88]日没間近の上海浦東国際空港と中国東方航空MU291便
17:15 同所発→〔中国東方航空
MU291便〕→
[89]19時過ぎに出された機内食
20:15 名古屋・中部国際空港着〔Starbucks Coffeeにてcoffee break→帰路へ〕
23:10 帰宅〔了〕
【小生comment】
正に弾丸tourの二泊三日の西安旅行だったが、大変充実した素晴らしい旅行だった。夢に迄見た、「秦始皇兵馬佣」や、恵果と空海所縁の「青龍寺」、玄奘三蔵法師所縁の寺「大慈恩寺」と「大雁塔」を眼前で見ることが出来、ワクワク・ゾクゾクの感動連続の3日間だった。
長安城壁の上を南門から西門迄3㎞walkingしたり、塔の高さは7層64mの大雁塔を1階から階段で登ったりと、忙しい中にも健康的な運動も入っていて、充実の3日間でもあった。
この西安旅行を思い返して拙い句を一句詠んでお別れする。
【前書】遣唐使をはじめ、飛鳥時代以降の日本人が憧れた中国の旧都長安(=西安)を訪れ、往時を想ひ敬意を表す‥
歴史ある 西安の冬 踏み締めぬ 悟空
【後記】昨日の12月21日(木)、豊橋駅東口近くの居酒屋「宴湊」にて、時習26回生の同期、中嶋良行君【3-2】と柴田佳久君【3-8】の2人とミニミニ同期会兼忘年会を開催した。
中嶋君は内科循環器系、柴田君は外科の夫々doctorで、色々と興味深い話を聞かせて貰った。同期生二人の豊かな知見を基にした話は大変勉強になり、美味しい酒と食事を頂き乍らの楽しい2時間はあっという間に過ぎ去った。
[90]宴湊にて〔中嶋君(左)、柴田君(中)、小生(右)〕
[91]同入口にて〔小生(左)、中嶋(中)、柴田(右)〕
では、また‥〔了〕
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