今日最初の話題は、前《会報》【0682】号に引き続き、12月02(土)~03(日)の両日開催された社員旅行『奈良市内散策と橿原人愚&宇治平等院周辺散策』の二日目の模様をお伝えする。
以下、行程に従ってご紹介する。
二日目は 朝一番から自由行動!
06:10 朝食
07:10 コンフォートホテル奈良発→〔徒歩300m 5分〕→
[01]コンフォートホテル奈良 外観
[02]JR奈良駅
07:15 JR奈良駅着→〔TAXI 6.7km 21分〕→
07:32 若草山山頂駐車場→〔徒歩300m 5分〕→07:38『若草山』山頂
[03]若草山三重目(標高342m)にて
[04]同 鹿たちと
[05]若草山(有料)散策路から奈良市街遠望1
[06]若草山二重目より奈良市街遠望
[07]若草山散策路より奈良市街遠望〔手前の大伽藍の建物は東大寺大仏殿〕
[08]若草山登山口(南route)から若草山を見上げて
07:58 同所発→〔徒歩 2km 25分〕→
08:25 若草山(南)登山口着08:27 若草山(南)登山口発→〔徒歩400m 6分〕→
[09]若草山登山口近くの「春日大社」他の案内標識
08:30『春日大社』〔→「水谷(みずや)神社」→「一言主(ひとことぬし)神社」→「総宮(そうぐう)神社」→「阿倍仲麻呂望郷の石碑」→
08:37「【重文】回廊」→08:45「青榊(あおさかき)神社&辛榊(からさかき)神社」→「井栗(いぐり)神社」→
08:47「中門・御廊」→
08:55「本社大杉」→「岩本神社」→
[10]一言主神社
[11]春日大社 廻廊〔創建:治承03(1179)年〕
[12]春日大社 本殿前の中門・御廊
[13]同 御廊に吊り下げられた燈籠〔左:舘林藩主時代(寛文07(1667)年)の徳川綱吉寄進/右:藤堂高虎(慶長14(1610)年)寄進〕
[14]同 中門・御廊前にて
[15]同 本社大杉と杉の傍に鎮座する岩本神社
春日大社は、中臣氏(のちの藤原氏)の氏神を祀る為に768年に創設された。
旧官幣大社で、現在は神社本庁の別表大社。神紋は「下り藤」。全国に約1,000社ある春日神社の総本社で、鹿を神使とする。
08:58「捻廊(ねじろう)」→
09:00「藤浪之屋」→09:09「ニ之鳥居」→
[16]同 捻廊
[17]同 二之鳥居
09:30「飛火野」〕←此処迄が「春日大社」境内
[18]飛火野
09:30 同所発→〔徒歩500m 5分〕→
09:35『浮見堂』着
[19]浮見堂1
[20]浮見堂の内部2
[21]浮見堂をbackに
09:45 同所発→〔徒歩500m 5分〕→
09:50『天神社』着→〔徒歩500m 5分〕→
[22]天神社
天神社を含むこの丘陵一帯は、8世紀 平城(なら)の飛鳥(あすか)と呼ばれた聖地だった。
最初に祀られたのが、少彦名命(すくなひこなのみこと)で、手間天神と呼ばれ、医薬や学問の神と崇(あが)められた。
平安時代、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が全国に奉祭されるに伴い、此の社も道真公(天満天神)が併せ祀れた。その後、元興寺禅定院、興福寺大乗院の鎮守となり、近世では奈良奉行や近郷の信仰を集め現在に至っている。
〔「天神社略縁起」より引用〕
10:00 同所発→〔徒歩700m 10分〕→
10:10『元興寺 塔阯』着→徒歩→
元興寺と奈良町の辺りは、8世紀の元興寺・金堂や塔、南大門等主要な伽藍があった地域と推定されている。
中世以降、元興寺の寺地は宅地化した。此処、芝新屋町の元興寺は、現在は華厳宗の寺院で、境内には奈良時代の元興寺の塔跡がある。
[23]史跡 元興寺(がんごうじ)
塔阯 入口
[24]元興寺塔阯
10:17 同所発→〔徒歩270m 3分〕→
10:20『元興寺 極楽堂』着
用明天皇03(588)年
蘇我馬子が仏寺建立に着手したのが法興寺。
法興寺は地名に拠り飛鳥寺とも云われる寺で、この寺が元興寺の前身である。養老02(712)年 法興寺は平城京に移された。
その際、寺名が元興寺と改名されると共に、此の寺地が平城(なら)の飛鳥と呼ばれることとなった。
[25]元興寺 入口
[26]同【国宝】極楽坊本堂 前にて
[27]同【国宝】極楽坊 禅室(僧坊)(=手前)と同 本堂(=奥)前にて
[28]同【国宝】極楽坊 禅室傍に咲いていた四季桜
10:50 同所発→〔徒歩 1.3km 20分〕→〔昼食 30分〕→
11:53 JR奈良駅→〔JR奈良線〕→12:24 宇治駅着→〔観光案内所にて情報入手〕→
12:55 観光案内所発→〔徒歩 800m 10分〕→
13:05『宇治 平等院〔鳳凰堂〕』着
13:39『源三位頼政公之墓所』着
永承07(1052)年
平等院は、関白藤原頼道に拠り父道長の別荘を寺院に改め創建された。
天喜元(1053)年
鳳凰堂は、阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂として建立された建物のこと。此の堂は経典に描かれる浄土の宮殿を image した優美で軽快な建物。
〔「平等院」leafletより引用〕
平等院の拝観routeは、「JR宇治駅」から東南東へ進み、時計の針で11時の処が「平等院表参道」→「表門」となる。
「表門」から真っ直ぐ道なりに70~80m歩くと阿字池(あじいけ)に至る。其処に「鳳凰堂」がある。
阿字池のstart地点を時計の12時とすると阿字池を半周して時計の6時の所でミュージアム鳳翔館入口に至る。
其処から、館内の展示物を見、鳳翔館を出て、残りの道を北上し、途中、「源三位頼政の墓所」を経由して、表門に至り一周りしたことになる。
[29]【国宝】平等院鳳凰堂をbackに1
[30]同2
[31]同3
[32]源三位頼政公墓所の墓
[33]平等院と宇治上(うじがみ)神社の間を流れる宇治川
[34]宇治上神社入口にて
[35]【国宝】宇治上神社本殿
[36]源氏物語ミュージアム 外観
[37]館内に掲示されていた「源氏物語」の中の宇治 想像図
[38]源氏物語の舞台にもなった王朝時代の寝殿造りでの一scene
13:43 宇治平等院発→〔徒歩 800m 15分〕→
14:00『宇治上神社』〔世界遺産〕着14:10 同所発→〔徒歩 150m 2分〕
14:14『源氏物語ミュージアム』着
14:45 同所発→〔徒歩 950m 15分〕→
15:29 JR宇治駅発→〔JR奈良線/京都行き〕→
15:54 JR京都駅着
16:00 同駅発→〔JR琵琶湖線・新快速/敦賀行き〕→
16:54 JR米原駅着
17:00 同駅発→〔JR東海道本線・新快速/豊橋行き〕→
18:12 JR名古屋駅着→〔徒歩4分〕→
18:18 名鉄名古屋駅→〔名鉄名古屋本線・快速特急〕→
19:07 豊橋駅着
19:45 拙宅着〔了〕
【小生comment】
あっという間の楽しい一泊二日の社員旅行だった。東大寺大仏殿の「毘盧遮那仏」をbackに記念撮影出来たこと
法華堂(三月堂)の「不空羂索観音像」を一年ぶりに拝顔出来たこと
「橿原神宮」と「春日大社」という旧官幣大社で心願成就のお詣り出来たこと
「早朝の若草山から見た奈良市街風景」を初めてみることが出来たこと
「元興寺・極楽坊」「同 五重小塔」、大改修なった宇治の「平等院鳳凰堂」という名だたる【国宝】史跡の数々を見ることが出来たこと
此れ等は全てが、小生にとって貴重な思い出・無形財産となった。
「古代への憧憬」が直に史跡を見ることで、年甲斐もなく恋をした時の様な「ときめき」を感じた充実の二日間、至福のひとときを過ごすことが出来た。
■さて今日最後の話題は、一昨日の12月12日(火)、名古屋へ(株)吉野家ホールディングス会長安部修二氏講演会を拝聴に行って来た折、会場と同じ建物にある名古屋ボストン美術館で開催中の『鈴木春信』展と、矢場町にある松坂屋美術館『創画会70周年記念展』、そして伏見にある電気文化会館ギャラリー『第44回 創画展』の3つの企画展を見て来たのでその模様を夫々簡単にお伝えする。
12:50 名古屋ボストン着→『ボストン美術館 浮世絵名品展/鈴木春信』
鈴木春信(1725?-70)は、錦絵創始期の第一人者として知られる浮世絵師。
若い恋人たち、母と子、さりげない日常、古典主題から発想された「見立絵(みたてえ)・やつし絵(注)」等、春信は小さな画面の中に詩的で洗練されたimageを豊かに表現。又、江戸の評判娘や名所を主題に取り入れ、錦絵の大衆化にも貢献。
今回は、世界最高の「春信collection」を誇るボストン美術館の所蔵品から選りすぐりの約150点を展示。
(注)「見立」:異なるものを「連想」で結びつけること/(例)落語家が扇子を咥(くわ)えてキセルに見せること
「やつし」:古典的題材が当世風に姿を変えること/(例)小野小町が江戸の娘に姿を変え登場すること
此れ等2つは、伝承性、重層性を絵画に投影させた表現技法で江戸時代に開花した絵画技法
〔以上、本展leafletより一部引用〕
以下に、鈴木春信の作品を5点ご紹介するが、いずれも彼が亡くなる僅か数年前の晩年の作品
[39]名古屋ボストン美術館入口の本企画展案内
[40]美術館内ホワイエにて春信の錦絵poster前にて
[41]本展leaflet(表)
[42]同(裏)
[43]鈴木春信『流れのほとりで菊を摘む女(見立菊慈童(みたてきくじどう))』1765(明和02)年頃
[44]同『鷺娘』1766-67(明和03-04)年頃
[45]同『見立渡辺綱と茨木童子』1767(明和04)年頃
[46]同『五常「智」』1767(明和04)年頃
[47]同『女三宮と猫』1767-68(明和04-05)年頃
13:35 同所発
13:40 ホテルグランコート名古屋着14:00 (株)吉野家ホールディングス会長 安部修二氏 講演会『ミスター牛丼の経営学』
[48]安部修二氏 講演会leaflet
15:35 同所発
16:30 松坂屋美術館『創画会 70周年記念展』
本企画展の模様は、今春の2017年05月07日(日)付の《会報》【0651】号にてご報告しているものと同じなので、以下のURLをご覧下さい。
【時習26回3-7の会
0651】~「松尾芭蕉『野ざらし紀行』〔最終回〕【熱田】【甲斐山中/江戸】」「04月29日:日帰り南信州・飯田の史跡と女城主の街岩村の旅「元善光寺→飯田城跡→飯田市美術博物館→飯田市美術博物館→桜丸御門(『赤門』)→経蔵寺 山門→飯田城址 八間門→湯多利の里 伊那華→岩村城跡→岩村城下町→佐藤一斎像『三学戒』→湯~らんど
パルとよね」を巡って」http://si8864.blogspot.jp/2017/05/26-06510429.html ←此処をclickして下さい
[49]松坂屋美術館入口の本企画展安愛看板の前にて
[50]本展leaflet/写真の絵は 上村松篁『春宵』
17:00 同所発→〔徒歩 1.2km 17分〕→
17:20 電気文化会館ギャラリー着17:25 『第44回 創画会展』
[51]荒木享子『卓上の静物』
[52]梶岡百江『まちはいつも』
[53]松本祐子『今朝の秋』
[54]真鍋 修『オートバイ』
[55]吉川 弘『春愁』
創画会は、1948年「我々は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」という理念で、日本画家の福田豊四郎、吉岡堅二、山本丘人、小松均、秋野不矩、上村松篁等が集い設立。
その後新制作協会日本画部と改名、現在、社団法人創画会となる。 現代日本画の展示、制作、発表を主な活動としている。従来の伝統的な日本画の枠にとらわれることなく、より実験的で新しい表現を追い求めた作品が多い。
他の日本画の画壇と比べ作風の自由度が高いとされ、注目を集める画家が多数在籍している。
【創画会の略歴】
1948年01月26日「我等は世界性に立脚する日本絵画の創造を期す」と宣言し「創造美術」を結成創立会員13名:秋野不矩 上村松篁 奥村厚一 加藤栄三 菊池隆志
沢 宏靱 高橋周桑 橋本明治 広田多津 福田豊四郎
向井久万 山本丘人 吉岡堅二
09月 創立第1回創造展を東京都美術館にて開催
1951年09月10日「新制作協会日本画部」に改名
1974年05月25日「創画会」を結成:新制作協会を離脱し日本画部会員37名全員により発足
【小生comment】
東三河出身の創画会membersは、故人を含めると、平川敏夫、大森運夫、高畑郁子の3人。このほか小生が好きな日本画家の秋野不矩は創立memberであり、堀文子も早期にmemberになっている。
18:00 同所発→帰路へ
【後記】小生、明日15日(金)は休暇を貰い、二泊三日の旅に出る。その模様は次回《会報》をお楽しみに!
Facebook仲間で時習26回生の同期 織田(亀井)M幸さん【3-2】が「侘助」の写真をupした。侘助は独特の情緒を醸し出して「侘(わび)」を感じさせる名花である。
小生、その趣ある写真に触発されて拙句を即興で詠んでみた。
【前書】「侘助」は日本人の心の琴線に触れる名花と思ひ一句‥
侘助に 大和心の 奥を知る 悟空〔了〕
[56]織田さんがFacebookにupした「侘助」
では、また‥〔了〕
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