2017年11月26日日曜日

【時習26回3-7の会 0680】~「松尾芭蕉『猿蓑集 巻之一 冬〔その2〕』」「11月17日:ナカジマアート『堀文子』展&新宿中村屋サロン美術館『描かれた女たち』展&東京ステーションギャラリー『シャガール〔三次元の世界〕』展を見て」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0680】号をお届けします。
 今日最初の話題は、前《会報》に引き続き『猿蓑』〔巻之一〕『冬』の今日は〔第2回〕目をお届けする。
 今回は、全94句ある「巻之一 冬」の31句~62句迄をご紹介する。
 では、どうぞ‥

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之一〕『冬』〔第2回〕】

  猿蓑集 巻之一        冬

 霜月朔旦(しもつき さくたん)

31 (ぜん)まはり外(ほか)に物(もの)なし赤柏(あかがしは)  伊賀良品
【意】赤飯「赤柏」以外におかずになるものすらないが、兎も角も、無病息災を願って赤飯を食べよう
【解説】霜月朔旦(しもつきさくたん)11月は「一陽来復」の月として、これを賀すが、その01(朔日)が冬至に当たる日のことを「朔旦冬至」と呼び祥瑞とする
 尚、「朔旦冬至」のみならず、毎年11月朔日(の朝)は、小豆の赤飯赤飯を炊き祝い、疫記鬼を払う習わしがあった

32 水無月(みなづき)の水を種(たね)にや水仙花(すいせんか)  羽州坂田不玉
【意】水仙がまだ寒いこの季節に瑞々しく咲いている
 これは水無月のような水の無い季節に敢えて水を吸って育った為なのだろうか?
【解説】―

33 今は世()をたのむけしきや冬の蜂(はち)  尾張旦藁
【意】冬の寒さの中で、あの夏に自信満々に活動していた蜂も今ではヨタヨタ歩くのがやっとだ
 世間に向けて、自分を恃(たの)(=誇る)気概は最早ない
【解説】前出の句の「水仙」の元気さとの対比している

34 尾頭(おかしら)のこゝろもとなき海鼠(なまこ)(かな)  去来
【意】海鼠(ナマコ)を見ても、どっちが頭と尾がなのか解らないなァ
【解説】この句は、去来の代表作として知られる

35 一夜一夜(ひとよひとよ)さむき姿や釣干菜(つりほしな)  伊賀探丸
【意】一夜毎、軒端に吊るされている干し菜が水分が抜けて段々と細って来るを見ているだけで寒さを感じる
【解説】―

36 みちばたに多賀(たが)の鳥井の寒さ哉(かな)  尚白
【意】多賀神社の背の高い鳥居が寒々と屹立している
 冬の風が、琵琶湖から吹きつけて寒さを一層掻き立てる
【解説】多賀大社は彦根市郊外滋賀県多賀町にある神社 / 本殿より31丁離れた道端に大きな石鳥居がある

37 茶湯(ちゃのゆ)とてつめたき日にも稽古(けいこ)(かな)  江戸亀翁(1)
【意】茶道の数寄者は大したものだ / 厳寒の中でも茶の湯の稽古に余念がない
【解説】此の句は、文字通りではなく、本気では感心していない様だ
(1) 亀翁:其角門の岩翁の子

38 炭竈(すみがま)(1)に手負(ておい)の猪(しし)の倒(たお)れけり  凡兆
【意】猟師に撃たれた猪が山中を苦し紛れに駆け巡り、終に炭竃の所へ遣って来て倒れたというのである
【解説】「炭竃」が題になっていた為この句が作られた
(1)炭竈:炭を焼く竈(かまど)

39 住みつかぬ旅のこゝろや置火燵  芭蕉
【意】(弟子が用意してくれた)置炬燵で温まっていると、仮の居住まいの感情が一入(ひとしお)心に迫って来る
【解説】元禄03(1691)年師走の作で、元禄04(1692)年『膳所歳旦帖』に掲載 / 元禄040105日付曲水宛書簡にも掲出 / 京都での作
 漂白の詩人芭蕉は、季節毎に漂白の心境が表われる
 次掲の江戸在住の其角の句が、京都に居る芭蕉の許に送られて来たのに触発されて詠んだと伝わる

40 ()ごゝろや火燵(こたつ)蒲團(ぶとん)のさめぬ内(うち)  其角
【意】炬燵(こたつ)にかけていた布団で寝ると暖かく気持ちが良い / 冷めないうちに寝るのが一番だ
【解説】―

41 門前(もんぜん)の小家(こいえ)もあそぶ冬至(とうじ)(かな)  凡兆
【意】冬至の日 / 禅寺の山門前の庶民の小家でも家族は仕事をせずに終日遊んでいる
【解説】芭蕉の時代、「冬至」には仕事の忌日とされていた

42 木免(みみづく)やおもひ切(きつ)たる(1)昼の面(つら)  尾張芥境
【意】夜の鵂(ミミヅク)は実に精悍な顔をしているが、昼間の面構えは何とも思い切ったというか、思い憂えている様な何処か間抜けな面構えをしているヨ
【解説】―
()おもひ切たる:物我自他の分別なき意也/〔中略〕昼は終日眼のうとくして小鳥にも侮らるゝその様自他を思ひ切て大悟観念の禅僧ともいふべき面つき也〔猿蓑さがし〕

43 みゝづくは眠る處(ところ)をさゝれけり  伊賀半残
【意】昼は冴えない木兎だからか、昼寝している処を吹き矢で刺し殺されて仕舞ったことだ
【解説】―

 貧交(1)
(1)貧交:杜甫の詩

  貧交行 杜甫

 翻手作雲覆手雨  手を翻せば雲となり 手を覆えば雨となる
 紛紛軽薄何須数  紛紛たる軽薄 何ぞ数うるを須(もち)いん
 君不見管鮑貧時交 君見ずや管鮑貧時の交わり
 此道今人棄如土  此の道 今人(こんじん)棄てて土の如し

【意】手のひらを上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となる。
 此の様に、クルクル変わるのが世間の人情の常である
 この様な軽薄な者が多くて数え立てて問題にする迄もない
 諸君見給え、春秋時代の管仲と鮑叔牙の貧しい時の友情を
 今の人は、管鮑の交わりを泥の様に棄てて仕舞っているではないか

44 まじはりは紙子(かみこ)の切(きれ)を譲(ゆず)りけり  丈艸
【意】私と友人との関係は、紙子の切れ端を遣り取りするような貧しく慎ましいものだ
【解説】本句は、「貧交」という題を用い、杜甫の名詩「貧交行」を念頭に置いている
 又、「紙子」は旅に携行する寝具 / 軽くて保温性がある

45 浦風(うらかぜ)や巴(ともゑ)をくづすむら鵆(ちどり)(1)  曾良
【意】一陣の強い海風が吹いて来た為、巴状に輪を描いて綺麗に飛んでいた千鳥達の輪を搔き乱した
【解説】「巴」は物が円形を描く様に一方に巡り巻く、換言すれば、渦巻状に巻く形をいう
(1)むら衛:千鳥の群れている状態をいう

46 あら礒(いそ)やはしり馴(なれ)たる友鵆(ともちどり)(1)  去来
【意】ごつごつした荒磯で、波が迫って来る度に、つがいの千鳥達は慣れた調子で波を避けている
【解説】―
(1)友衛(ともちどり):仲の良いようにみえるつがいの千鳥

47 (おほかみ)のあと蹈(ふみ)()すや濱千鳥(はまちどり)  史邦
【意】波打ち際に打ち上げられた魚や海鳥の死骸を求めて夜は狼が彷徨する浜だが、昼にはその足跡を掻き消す様にに浜千鳥が群れている
【解説】―

48 背戸口(せどぐち)の入江にのぼる千鳥かな  丈艸
【意】漁師の家の裏口は入り江に面し、其処へ入っていく様に千鳥の群れが水に浮かんで寄せていく
【解説】漁村の一風景を詠んだもの

49 いつ迄(まで)か雪にまぶれて鳴(なく)千鳥(ちどり)  千那
【意】雪が降り続く中、千鳥が鳴き乍ら飛んでいる / いつ迄もずっと飛び続けている

50 矢田(やた)の野()や浦(うら)のなぐれに鳴(なく)千鳥  凡兆
【意】雪降る矢田野を行く先に迷った千鳥が不安そうに鳴き乍ら飛んでいる
【解説】「矢田野」は、滋賀県湖北から敦賀にいたる越前の歌枕
(1)なぐれ:はぐれること

51 筏士(いかだし)の見()かへる跡や鴛(をし)の中(なか)  木節
【意】渓流を下るいかだを操る筏士が見上げる、高い梢にはオシドリのつがいが寄り添っている
【解説】「鴛」は鴛鴦(オシドリ) / 仲の良い夫婦の代名詞

52 水底(みなそこ)を見て来た貌(かほ)の小鴨(こがも)(かな)  丈艸
【意】子鴨が水中からヒョイと水面(みなも)に顔を出した / たった今、水底を見て来たという顔をして

53 鳥共(とりども)も寝入(ねいつ)てゐるか余吾(よご)の海  路通
【意】旅の途中で余吾の湖の畔(ほとり)の旅籠(はたご)に泊まった
 夜更けに目覚めてみると一面の静寂だ
 恰も余吾湖の水鳥迄もが熟睡しているかの様だ
【解説】「余吾の海」は、滋賀県伊香郡余呉町にある湖で余吾湖

54 (すぬる)まで操(みさを)(なる)らん鷹(たか)のかほ  旦藁
【意】鷹の顔を見ていると、あの誇り高い表情は死ぬまで意地を通しそうだ
【解説】鷹は、肉食の鳥なので当然なことだが、その真剣な顔つきから、古来より鷹は死ぬ迄穂を啄ばまないと言われてきた

55 襟巻(えりまき)に首(くび)(ひき)(いれ)て冬の月  杉風
【意】冬の月夜の中、襟巻きに首を巻き込んで歩いて行くが、実に寒い
【解説】―

56 この木戸(きど)や鎖(じやう)のさゝれて冬の月  其角
【意】冬の月夜も更けた頃、江戸の街々にある木戸迄来たら、錠が下ろされて通れない
【解説】江戸の木戸は、卯の刻(午前6)に開けて、亥の刻(午後10)に閉める
 木戸の傍住むに木戸番の家族が開閉を担当
 又、『去来抄』に、「猿みのの撰の時、此句を書おくり、下を冬の月・霜の月、置煩ひ侍るよしきこゆ。然るに初は文字つまりて「柴(シバノ)戸」と読たり。先師曰、角が冬・霜に煩ふべき句にもあらずとて、冬月ト入集せり。其後大津より先師の文に、柴戸にあらず、此木戸也。かゝる秀逸は一句も大切なれば、たとへ出板に及ともいそぎ改むべしと也。凡兆曰、柴戸、此木戸させる勝劣なし。去来曰、此月を柴の戸に寄て見れば尋常の気色也。是を城門にうつして見侍れば、其風情あはれに物すごくいふばかりなし。角が冬・霜に煩ひけるもことはり也」と記されている

57 からじり(1)の蒲團(ふとん)ばかりや冬の旅  長崎暮年(2)
【意】からじりの馬が歩いているが、見ると布団だけを背負っている
【解説】―
(1)からじり:軽尻馬をいう
 一駄40貫を乗せる馬を「本馬」と言い、旅人を乗せる時は5貫迄の手荷物をつけ、但し人を乗せない時は20貫迄の荷を運ぶ駄馬を「軽尻」と言った
(2)長崎 暮年:去来の次弟 / 久米氏 / 利文 / のち牡年と改号 / 享保12(1727)年没、享年70

58 見やるさえ旅人さむし石部山(いしべやま)(1)  大津尼智月(2)
【意】(路通さんの)冬の旅も難儀そう / 寒々とした石部山を見るだけで寒さが吾身にも染みて来そうな感じがすることだワ
【解説】此の句は、智月が大津に居て、路通を見送る際、行く手にある石部山を思い詠んだ句
(1)石部山:滋賀県甲賀郡石部町の山 / 草津の東南3里、石部宿付近の山
(2)大津尼智月(ちげつ):河合智月(かわい ちげつ/寛永10(1633)-享保0303(1718.04))17184月))
 江戸時代初期の女流俳人 / 近江蕉門 / 智月尼
 山城国 宇佐に生まる / 大津の伝馬役兼問屋役河合佐右衛門に嫁ぐ
 貞享03(1686)年頃 夫と死別し尼となる
 後、自身の弟 乙州 を河合家の養嗣子とした
 蕉門No.1 の女流俳人
 元禄02(1689)12月以降、智月は松尾芭蕉を自宅に迎える機会が多かった
 元禄04(1691)年 智月は、江戸へ帰る芭蕉から『幻住庵記』を贈られている
 智月は、膳所滞在中の芭蕉の身辺の面倒をよく見た
 芭蕉が屡々湖南方面へ出向いたのは、智月や曲水を始めとする温かく芭蕉を迎える近江蕉門の存在があったことが大きい

 翁行脚のふるき衾(1)あたへらる 記あり 略之
(1)翁行脚のふるき衾:奥の細道の旅中、芭蕉が出羽最上で得た紙製の夜着

59 (くび)出してはつ雪(ゆき)見ばや此(この)(ふすま)  美濃竹戸(1)
【意】此の芭蕉翁から頂いた紙衾を着て、首を出して雪見をしよう
【解説】―
(1)美濃竹戸:美濃大垣の鍛冶工で、如行の門人 / 曰人『芭蕉諸生全伝』に「竹戸ハ貧乏鍛冶也 / 翁奥行脚の時持あるかれし、紙衾ヲ得たり / 朝暮如行ノ処へ行通て、翁の肩腰あんまとり、深切ニつかへしものなれば也」とある

 題竹戸之衾(竹戸の衾と題す)

60 (たたみ)めは我が手のあとぞ紙衾(かみぶすま)  曾良
【意】竹戸さんよ、其の紙衾にある折り目は私が芭蕉翁に毎朝畳んで差し上げた折目の痕なのですヨ
【解説】『奥の細道』の旅の際の紙子であり、此の紙衾は曾良にとっても思い出の品

61 (うを)のかげ鵜()のやるせなき氷(こほり)(かな)  探丸
【意】氷の張った川の、その氷の上に鵜がいて魚を見て狙っている 魚影は氷の下なので、鵜に獲れずやるせないことだろう
【解説】―

62 しずかさを數珠(ずず)もおもはず網代守(あじろもり)  丈艸
【意】此の網代守の翁は、静寂な夜中黙っているが、(網代の)番をし乍ら来世を思うでもなく、お経の一つ上げるでもない
 でも、その網代守翁の姿が超然として見え頼もしさすらを感じられる
【解説】―
(1)數珠(ずず)もおもはず:「後生、仏心をも思わず」の意

【小生comment
 猿蓑は「俳句の『古今集』」というだけのことはある。
 入集されている俳句の品質が高いものが多い。
 次回は、「巻之一 冬」の最終回である。お楽しみに!

■続いての話題は、1117()に仕事で上京した時のことをお伝えする。

勤務先の主力取引銀行の2行〔‥2行共に千代田大手町にあり、ほぼ隣接しているか‥〕に、中間決算報告と現在進行中の大型 project に係る案件説明の為である

[01] 1行目のMBKの遠景

[02]道路越しの同BK前にて
                  
[03]BKが入居する29F restaurant での昼食

[04]BK 1F floor に掲示されている 平山郁夫『宇治平等院鳳凰堂』
                  
[05]此の絵の大きさを実感して貰う為に小生が絵の横に立ってみた


 2行目のNBKは、1行目のMBKの直ぐ北にある〔左上の写真の中央の高層ビル〕

[06]NBKの外観
                  
[07]NBK32階から皇居・新宿方面の遠景1

[08]2
                  
[09]3

[10]NBK応接室の絵画
                  
 
 同BK応接室は地上32Fにあるので、眼下に皇居が、遠景に新宿の高層ビル群が見える
 14:40 に仕事を終えて、地下鉄丸ノ内線で銀座駅出口B5番出口至近の銀座5丁目にある ナカジマアート を訪れた。
 今年7月満99歳を迎えた 堀文子展 を見る為だ。
 ご覧の様に彼女の絵は洗練されていていつ見ても何回見ても心が癒される。

[11]丸ノ内線で銀座駅B5番出口を上がった銀座5丁目の風景

[12]ナカジマアートがある銀座5丁目の通り
                  
[13]ナカジマアート入口1

[14]2
                  
[15]堀文子『鳥達の歌』2002

[16]同『洛北の紅葉』1970年代
                  
[17]同『牡丹図』1980年代

[18]同『藤』制作年不詳
                  
[19]同『桜』制作年不詳

[20]同『利尻富士』1970年代
                  
[21]同『睡蓮の花』1970年代

[22]同『雪国』制作年不詳
                  
[23]同『狐』制作年不詳

[24]同『ジョウビタキ』制作年不詳
                  
 
 次に銀座駅から同じく地下鉄丸ノ内線で新宿駅迄行き、出口A6番を上がった所の 新宿中村屋ビル3F にある 新宿中村屋サロン美術館を訪れた。
  『描かれた女たち〔女性像に表された現実と夢〕』展を見る為だ。

[25]地下鉄丸ノ内線で新宿駅A6番出口を上がった所の 新宿中村屋ビル elevator

[26]新宿中村屋サロン美術館入口の本企画展案内看板前にて/絵は 鴨居 玲(1928-85)『裸婦』1979 1
                  
[27]2

[28]中村彝(1887-1924)『小女』1914
                  
[29]藤島武二(1867-1943)『婦人像』1927年頃

[30]佐分 真『婦人像』1930年頃
                  
[31]梅原龍三郎(1888-1986)『竹窓裸婦図』1937

[32]原 精一(1908-86)H婦人像』1975年年
                  
[33]新宿中村屋ビル外観


 今日最後に訪れたのは、東京駅丸の内北口にある 東京ステーションギャラリー『シャガール〔三次元の世界〕』展である。
 シャガールの作品は、見る者に、非現実的で 幻想的な 彼独自の空間世界を提供してくれる。

[34]東京ステーションギャラリー入口にて
                  
[35]Marc Chagall(1887-1985)『家の前の自画像』1914

[36]同『黒い手袋』1923-48
                  
[37]同『青い羽根の振り子時計』1949

[38]同『天蓋の花嫁』1949
                  
[39]同『《紫色の裸婦》のための下絵』1967

[40]同『紫色の裸婦』1967
                  
 
【小生comment
 小生は好きな画家である。
 が、本展の Main Theme の三次元作品である 彫刻や relief は小生に感動を与えてくれなかったのがチョット残念だったカナ。

【後記】1119() 小生は、時習26回同期生の2人の、中嶋Y行君【3-2】、市原T弘君【3-3】と、小生の大学の20年大先輩となる鈴木S右さんと岡崎にある 額田GC にて Golf を楽しんだ。

[41]額田ゴルフ倶楽部 東コース IN course 10番ホールにて

[42]昼食休憩での一コマ ~ 同 restaurant にて
                  

 4人は色々個別に関係があって面白い。
 例えば、小生と市原君とは同じ LC membersである。
 鈴木さん、中嶋君と小生の 3人は お城巡りの会 の仲間である。
 又、中嶋君の高3の時のクラス担任 松井先生とSさんは高校時代からの同期の親友で Golf を今もご一緒されている‥とかとか‥。
 同期の 3人は、「20年後の82歳になっても、今日の鈴木大先輩(現在 満82)の様に矍鑠と20年々下の若造等と一緒に Golf が出来る様に元気でいたいモノだネ」と誓い合った次第。
楽しい一日だった。!(^^)v

では、また‥〔了〕
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