2017年11月19日日曜日

【時習26回3-7の会 0679】~「松尾芭蕉『猿蓑集 ~ 巻之一 ~ 冬〔その1〕』」「鈴木壮一『明治維新の正体‥徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』を読んで」「11月10日:鹿島神宮→香取神宮→伊能忠敬記念館→佐原町並み交流館→ホキ美術館→水戸『偕楽園』を巡って」「11月11日:東京都美術館『ゴッホ』展→東京国立博物館『運慶』展→パナソニック汐留ミュージアム『ルオーとカンディンスキー』展→東郷青児記念/損保ジャパン日本興亜美術館『東郷青児』展」「11月12日:孫娘の七五三&孫息子の初宮詣り」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回3-7の会 0679】号をお届けします。
 20170819日付《会報》【0666】号にて次の様に申し上げていた。
  「今回の『猿蓑』〔巻之三〕『秋』〔第3回〕で、秋の巻は終わり。
 次回は、『猿蓑』の〔巻之四〕『冬』になるのですが、up するのはやはり「冬」を考えているので、今秋1107日『立冬』頃にしたい」と。
 前《会報》【0678】号にて早速お伝えしたかったが、他にお伝えする内容が多かった為、今回に順延させて頂いた。
 それでは、今回も全部で94句ある「松尾芭蕉『猿蓑集 / 巻之一 / 冬 』」を3つに分け、130句迄を〔その1〕としてお届けする。
 では、どうぞ‥

【松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之一〕『冬』〔第1回〕】

 猿蓑集 巻之一        冬

01 初しぐれ猿も小蓑をほしげ也  芭蕉
【意】山中の樹上(or岩頭)に猿が濡れ乍ら蹲(うずくま)っている / その猿も我々が来ている蓑を欲しがっている様にみえる
【解説】元禄02年作 /『猿蓑』冒頭の発句 /『猿蓑』の題号の元となった発句
 芭蕉が「奥の細道」の旅を終え、0913日に伊勢神宮外宮の遷宮を拝し、山越して同月20日過ぎ頃伊賀上野の兄半左衛門宅に到着
  「初時雨」の季語は「初冬」/ そして、芭蕉が実際にこの句を詠んだのも元禄020924日が 『立冬』なので間違いなく「初冬」の句である
 山本健吉は、著書『芭蕉全発句』の中で、「此の句は、軽快なrhythmの奥に、単に子猿への哀憫には止まらない、人間存在の根源から発する何処か厳粛な観念を匂わせるものがある」と評している

02 あれ聞けと時雨(しぐれ)()る夜()の鐘の聲(こゑ)  其角
【意】時雨の降る夜、「あの鐘の音()を聞いて‥」と遠くの寺から聞こえて来る鐘の音に耳を澄ます二人
【解説】―

03 時雨(しぐれ)きや並びかねたる魦(いさざ)ぶね  千那
【意】時雨が突然遣って来たので、いさざ漁の船団の動きに乱れが出ている
【解説】作者は遠くからこの情景を眺めている
(1)時雨きや:「時雨けり」の意 /
(2)(いさざ):琵琶湖で採れる鯊(ハゼ)に似た小魚

04 幾人(いくたり)かしぐれかけぬく勢田(せた)の橋  僧 丈艸
【意】突然の時雨の襲来に慌てた何人かが瀬田の唐橋を大急ぎで駆けていく
【解説】此の句も前句と同様に遠景の情景を眺めている

05 鑓持(やりもち)の猶(なほ)(ふり)たつるしぐれ哉(かな)  膳所 正秀
【意】大名行列に時雨がやってきた。先頭の槍持ちは一層高らかに天高く槍を振り上げる
【解説】芭蕉はこの句を正秀宛書簡で褒めている
(1)膳所 正秀:水田正秀(みずた まさひで(1657-1723)) / 近江蕉門の一人 / 菅沼曲水(1659-1717)の伯父と伝えられる
   近江国 膳所生まれ / 近江蕉門 江左尚白(1650-1722)に師事
  芭蕉は近江在住時代、正秀に金銭面で世話になっていたことが、芭蕉の正秀宛書簡から解る

06 廣沢(ひろさわ)やひとり時雨(しぐ)るゝ沼太良(ぬまたろう)  史邦
【意】広沢に時雨がやってきた。一羽の雁が濡れている
【解説】沼太良という人間的な名前に擬人化して「ひとり」といった。
(1)広沢は歌枕で、嵯峨野の遍照寺山南麓の池
(2)沼太良は鳥の名前でヒシクイの一種 / 大型の雁とも

07 舟人(ふなびと)にぬかれて乗(のり)し時雨(しぐれ)かな  尚白
【意】船頭の巧みな言葉に載せられて舟に乗ったら時雨がやってきた
【解説】―

 伊賀の境に入て

08 なつかしや奈良の隣(となり)の一時雨(ひとしぐれ)  曾良
【意】此れから伊賀上野にいらっしゃる芭蕉先生に久しぶりにお会い出来ると思うと懐かしさがこみあげて来る / 道中、折から時雨が一降りした
【解説】奈良の隣は伊賀 / 伊賀にはなつかしい師匠芭蕉が居る
 曾良は、「奥の細道」旅の後、伊勢長島から元禄02107日に伊賀に滞在中の芭蕉を訪ねた / その折の道中の作

09 時雨(しぐ)るゝや黒木(くろき)つむ屋()の窓あかり  凡兆
【意】時雨の通る山里の民家 / 黒木が窓の下に高く積まれて、その窓から灯りが漏れている
【解説】―
(1)黒木:京都大原辺りで産する燻製の生木 / 燃料用の薪として用いた

10 (うま)かりて竹田(たけだ)の里や行(ゆく)しぐれ  大津乙州
【意】駄賃馬を借りて荷物を運んでいると、竹田の里を通過する時分に時雨が来た
【解説】―
(1)竹田の里:京都伏見

11 だまされし星の光や小夜(さよ)時雨(しぐれ)  羽紅
【意】床に入る前にはあんなに星が輝いていたというのに窓を打つ時雨の音 / 星にだまされたとしか言いようもない
【解説】時雨が突如として遣って来た様を詠んだ

12 新田(しんでん)に稗殻(ひえがら)(けむ)るしぐれ哉(かな)  膳所昌房
【意】開墾したばかりの新しい畑に稗を耕作してそれを収穫したのであろう
   ひえがらを燃やしているところへ時ならぬ時雨の襲来 / 煙がもうもうと地を這っている
【解説】―
(1)膳所昌房:茶屋与()兵衛 / 膳所の芭蕉門人

13 いそがしや沖(おき)の時雨(しぐれ)の眞帆(まほ)片帆(かたほ)  去来
【意】時雨が降って来て、舟の帆を満帆にしたりたたんだりして忙しいことだなぁ
【解説】「真帆片帆」は、舟の帆を満帆にしたりたたんだりしている様 / 時雨が来て漁舟が慌てている様
 この句については、去来抄に
  「去来曰、猿蓑は新風の始め、時雨は此集の美目なるに、此句し損ひ侍る。
 たヾ、有明や片帆にうけて一時雨といはば、いそがしやも眞帆もその内にこもりて、句の走りよく心の粘り少なからん。
 先師曰、沖の時雨といふも又一ふしにてよし。されど句ははるかに劣り侍ると也」
 と書いている

14 はつ霜(しも)に行(ゆく)や北斗(ほくと)の星の前  伊賀百歳
【意】初霜の降りた冬の早暁、北斗七星が地平低くかかるなか、私は旅立つ
【解説】―
(1)伊賀百歳:西島百歳(にしじま ひゃくさい(1668-1707)) / 伊賀上野の城代 藤堂良重の長男で、西島家の養子となる / 芭蕉門下伊賀三十一人衆の一人 / 名は之寛 / 通称:十郎右衛門

15 (ひと)いろも動く物なき霜夜(しもよ)かな  野水
【意】厳寒の霜の夜 / 動くものとて何一つない
【解説】極限的寒さを描いた句

 淀にて

16 はつしもに何(なん)とおよる(1)ぞ船の中(なか)  其角
【意】初霜の降りる寒い朝 / 船中で人々はどう眠ったのだろう?
【解説】京都伏見にて詠んだ句 / 淀川の三十石舟が大坂から上がってきた
(1)およる:「寝る」の尊敬語

17 歸花(かへりばな)それにもしかん莚切(むしろぎ)()  同
【意】そんな花がちらほら咲いている小春日和の日 / 庭に筵(むしろ)を敷いて花見と洒落こもうかな
【解説】―
(1)帰花(かえりばな):返り咲きの花のこと

18 禅寺(ぜんでら)の松の落葉(おちば)や神無月(かんなづき)  凡兆
【意】時節は初冬神無月だ / 静謐な禅寺の庭に松の落ち葉が落ちている
【解説】―

19 百舌鳥(もず)のゐる野中(のなか)の杭(くひ)よ十月(かんなづき)  嵐蘭
【意】時は初冬の十月 / 野中に一本杭が立っている / 其処に一羽の百舌がとまり劈(つんざ)く様な鋭い声で鳴いている
【解説】―

20 こがらしや頬腫(ほほばれ)痛む人の顔  芭蕉
【意】木枯しが吹き、寒さの厳しい通りを、耳下腺炎(おたふく風邪)で頬を腫らした人が歩いていく
【解説】木枯しに拠って、おたふく風邪の痛そうな様子が一層強調されて詠み手に伝わって来る

21 砂よけや蜑(あま)のかたへ(1)の冬木立(ふゆこだち)  凡兆
【意】冬の漁師の家 / 激しく吹きつける砂嵐を避けようとて小屋の傍らの木立に筵をかけて砂よけとしている
【解説】―
(1)かたへ(かたえ):傍らの意

 ならにて

22 棹鹿(さをしか)のかさなり臥(ふせ)る枯野かな  伊賀土芳
【意】晩秋の奈良の鹿たちは重なるように臥せって眠っている
【解説】芭蕉は、これらの句に対して半残宛書簡でほめた
(1)棹鹿(さをしか):小牡鹿 / 此処では単に「鹿」をいう

23 渋柿を眺めて通る十夜(じゅうや)(かな)  膳所裾道
【意】夜店で灰汁(あく)抜きした渋柿を眺めて歩く / 十夜祭の一情景である
【解説】陰暦1010日の安居院の祭 / この日には、人家では渋柿のあく抜きをする習慣があったという
    この祭を十夜祭というが、夜店でこのあく抜きした渋柿を売っていたのである

24 ちやのはな(1)やほるゝ(2)人なき霊聖女  越人
【意】茶の白い花が咲いている / その清楚な姿はあの中国の霊照女にも似て、まるで彼女に恋する人さえ居ないほど毅然と咲いている
【解説】霊聖女:正しくは霊照女(れいしょうじょ) / ある陰士の娘が禅に帰依し、その父を助けて生涯を送ったという中国唐の故事
『日本永代蔵』(巻三ノ五)に「兎角美形はないものに極れり。是をおもふに、唐土龐(←マダレに龍)居士が娘の霊照女は悪女なるべし。美形ならば、よもや籠は売せてはおかじ」とある
(1)ちやのはな:茶の花
(2)ほるる(惚るる):恋する

25 みのむしの茶の花ゆへ(=)に折(をら)れける  伊賀 猿雖
【意】茶の花があまりに綺麗なので一枝折って花入れにさした / 其処にとまっていた蓑虫も一緒に折られてしまった
【解説】―

26 古寺(ふるでら)の簀子(すのこ)も青(あを)し冬がまゑ  凡兆
【意】風除けなど防寒に忙しい古寺の、スノコ縁の妙に新しいのが目に付く
【解説】不調和を面白がっている

 翁の堅田に閑居を聞て

27 雑水(ざふすい)のなどころ(1)ならば冬ごもり  其角
【意】芭蕉翁が堅田に冬籠りと風の頼りに聴いたが、あそこは温かい雑炊の名所だからさぞや暖かい冬を過ごしておられることであろう
【解説】「雑水」は「雑炊」のこと / 「千鳥なく真野や堅田の菜雑水」(千那)がある
 其角にとって堅田は父の郷里で、元禄元年10月に千那の案内で堅田を訪れている
 此の句は、元禄3年の作 / 芭蕉は元禄3916日に堅田に行き、そこで風邪を引いて、25日には義仲寺に戻っていて冬ごもりにはなっていなかった
(1)などころ:「名所」

28 この寒き杜丹のはなのまつ裸(ぱだか)  伊賀車來
【意】冬の真っ最中だというのに牡丹の花が鮮やかに咲いている / まさに真っ裸というにふさわしい姿形である
【解説】―

 草津

29 晦日(つごもり)も過行(すぎゆく)うばがいのこかな  尚白
【意】―
【解説】元禄三年1030日の作 / この日は晦日で亥の日。近江の草津では「姥が餅」という餅が名物
    特にこの餅を十月の亥の日に食べると無病息災子孫繁栄と云われていた /「いのこ」はその別名

30 神迎(かみむかへ)水口(みなぐち)だちか馬の鈴  珍碩
【意】神迎えの今朝早く鈴の音を響かせながら出発した駅馬は水口の宿場立ちなのであろう
【解説】神無月で出雲に集合していた神々が再び各所の神社に帰ってくる故事に因む
(1)神迎え:10月の晦日の行事

【小生comment
 巻頭を飾る芭蕉の発句「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」はあまりにも有名だ。
 流石に、芭蕉の俳句の集大成と言っていい『猿蓑集』巻之一を飾るに相応しい、情景性・侘び(寂び)・軽みの全てを備えた含蓄ある句であると思う。

■続いての話題は、最近読んだ鈴木壮一著『明治維新の正体‥徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』についてである。
 本書の面白い処は、此れ迄の幕末維新に於ける江戸幕府第15代将軍徳川慶喜と、官軍の雄 西郷隆盛の評価を覆している点である。
 詳細は、皆さんが直接本書を読んで頂くのが一番だが、本書の終章を一部を紹介して、徳川慶喜が明治維新後の日本の発展に果たした大きな役割の一端を理解して頂ければと思う。
 因みに、本書は以下の9つの章から成っており、終章の一部を続けてご紹介しよう。

[01] 鈴木壮一著『明治維新の正体‥徳川慶喜の魁、西郷隆盛のテロ』


 第一章 / 維新の先駆者 徳川慶喜
 第ニ章 / 日米和親条約を容認した徳川斉昭
 第三章 / 通商条約の違勅調印
 第四章 / 吹き荒れる攘夷の風
 第五章 / 慶喜が条約勅許を得る
 第六章 / 英国が薩長を支援
 第七章 / 徳川慶喜の登場
 第八章 / 大政奉還の思想
 終 章 / 万民平等の実現

     ※ 今なお残る(幕府の)主戦論
 
 鳥羽伏見の戦の緒戦で敗れた幕府軍だったが、幕府側の主戦派は、幕府軍はその時点で圧倒的な海軍力を持ち、且つ、大阪城に23千人の兵力があった。
 従って、薩長軍の大砲・小銃の弾丸の打ち尽くしを待てば必ず勝てたとしている。
 要するに薩長軍の補給を絶てば勝てたということである。〔中略〕
 長州藩は、食料が豊富だった為「補給」という概念が育たなかった。
 後に、「長()の陸軍」と呼ばれた長州人脈が日本陸軍を牛耳ったが、日本陸軍の補給軽視は長州藩の此の様な伝統に遠因がある。〔中略〕

※ 「万民平等の思想」としての水戸尊皇論

 鳥羽伏見の戦を子細に検討すれば、幕府が簡単に負ける戦ではなかったことがわかる。
 しかしそうすれば、外国勢力も介入した激しい内戦となり、どちらが勝っても、我が国の独立は制約を受けたかもしれない。〔中略〕
 慶喜が奉じた水戸尊皇論の本質は、絶対権力の存在を認めない「万民平等の思想」であるから、国民平等を前提とする議会制度と最も馴染む思想だった。
 その意味で、「万民平等の思想」である水戸尊皇論を奉じた慶喜こそ帝国議会開設への道を開いたのだた、といえる。

【小生comment
 確かに、薩長(=官軍)の勝利に終わった鳥羽伏見の戦を緒戦とする戊辰戦争が幕府側の予想以上に速い敗北で比較的早期に収束したことは、換言すれば日本国内の内戦の早期終結を意味する。
 このことは、英米仏露等の欧米列強の日本侵略を防いだことに直結した訳であり、我が国にとっては天恵であったと言えなくもない。

又、西郷隆盛を私心のない大人格者の様に美化して評価する向きが多い昨今だが、著者は西郷はそんな人格者ではないと一刀両断に切り捨てている。

何となれば、西郷は、赤報隊をさんざんテロリストとして利用しておき乍ら、用が済んだ途端、犯罪者として断罪に処したし、恭順を示す会津藩に対して飽くまでも朝敵の汚名を着せ続けたということも、西郷隆盛の間違いない汚い人格的一面であったことを留意しておく必要があろう。

■今日最後の話題は、 11/12() 愚娘の孫娘の3歳の七五三祝いに、夫君の実家のある船橋市に伺うついでに、前々日1110()に一日休暇を貰い、次の日11()2日間と合わせに泊三日の小旅行を行った。
 行程は以下の通りで、4つの史跡〔2神社と1町並み、1庭園〕と4つの美術館、1つの博物館を巡って来た。

1110()
02:00 自宅→301km 5:2007:55水戸 偕楽園
08:00 偕楽園08:40 と行くつもりだったが、そそっかしい小生、ナビの設定を間違えて、その日の最終目的地である 千葉市緑区の ホキ美術館 に07:00に到着して仕舞った。
    当然、到着時間が早い時間の為、同美術館は開館していない(開館時間:10:00)
    次善の策として、今日2番目に訪問する予定の鹿島神宮に向かった。
07:00 ホキ美術館→
08:35 鹿島神宮着〔拝殿/本殿/要石/御手洗()

[02]鹿島神宮入口
                  
[03]同 楼門前にて

[04]同 拝殿前にて
                  
[05]同 拝殿()と本殿()

[06]同 同神宮案内看板前にて
                  
[07]同 御手洗と要石の案内看板

[08]同 要石の解説
                  
[09]同 要石

[10]同 御手洗にて
                  
[11]同 芭蕉の句碑案内

[12]同 奥宮前にて
                  

09:40 同所発→17.4km 23分→
10:05 香取神宮着〔本殿/要石〕12:05

[13]香取神宮入口にて

[14]同 同神宮由緒書
                  
[15]同 楼門前にて

[16]同 拝殿前にて
                  
[17]同 拝殿()と本殿()前にて

[18]同 要石の前にて
                  
[19]同 要石

[20]同 奥宮
                  

10:50 同所発→3.3km 9分→
11:05 伊能忠敬記念館着

[21]伊能忠敬銅像前にて

[22]伊能忠敬記念館入口にて
                  
[23]佐原の町並みを流れる利根川支流「小野川」

[24]小野川川下りの船着き場
                  
[25]ジャージャー橋とも呼ばれる『樋橋(とよはし)


12:25 同所発→〔177m 1分〕→
11:25 伊能忠敬旧宅

[26]「伊能忠敬旧宅」前の石碑
                  
[27]「同」入口にて

[28]「同」内部1
                  
[29]「同」同2

[30]「同」同3
                  
[31]「同」同4

[32]香取市観光案内板
                  
[33]「佐原の町並」解説


11:35 佐原町並み交流館

[34]「佐原町並み交流館〔旧三菱銀行〕」
                  
[35]「同館」入口付近の案内板

[36]「佐原町並」のsketch postcards
                  
[37]「佐原町並み交流館」と「伊能忠敬記念館」で貰った観光資料の各種


11:45 同所発→〔80.6km 72分〕
13:00 ホキ美術館着

[38]ホキ美術館前にて
                  
[39]同 入口にて

[40]同 外観
                  
[41]同 ホキ美術館leaflet

[42]森本草介『未来』2011
                  
[43]島村信之『日差し』2009

[44]野田弘志『摩周湖・夏天』1999
                  
[45]原雅幸『マナーハウス(Manor House)2012

[46]石黒賢一郎『Vista de Najera2005
                  

【小生comment
 ホキ美術館の()写実絵画collectionは、1998年に、美術館創設のtriggerとなった森本草介氏の『横になるポーズ』1998年作 に始まり、2010年の開館時に約300点、現在では450点程になった。
 森本草介(1937-2015)、野田弘志(1936- )、島村信之(1965- )、中山忠彦(1935- )の作品が特に秀逸だと思った。
 野田弘志氏は、吾等が母校時習館高校の先輩で、同じく先輩で同行美術科教諭をされた冨安昌也先生が「俺を超えていった教え子は野田弘志だけだ」と言わしめた巨匠である。
 この美術館の()写実主義の絵画群を見ていたら、日本の絵画のlevelの高さを改めて実感した「大満足!」の1時間だった。

14:00 同所発→170km 2時間45分→
16:45 水戸・偕楽園〔梅園/好文亭〕

[47]水戸・偕楽園入口の案内看板

[48]同 入口にて
                  
[49]同 好文亭案内看板

[50]同 好文亭 遠望1
                  
[51]同 好文亭 遠望2

[52]同 園内の情景1
                  
[53]同 園内の梅園


17:15 同所発→
19:45 アパホテル千葉八千代緑が丘着 宿泊

[54]アパホテル 温泉 入口
                  
[55]同 内部1

[56]同 温泉分析表
                  
[57]同 外観(夜景)


1111()
8:15 アパホテル千葉八千代緑が丘〔‥温泉付きがいい!〕→東葉高速鉄道〔メトロ東西線乗入れ〕→メトロ銀座線〔35.3km 52分〕→09:15上野
09:30 東京都美術館『ゴッホ』展~10:15

[58]東京都美術館前にて
                  
[59]本企画展leaflet1

[60]2
                  
[61]Gogh『花魁(溪斎英泉による)1887

[62]同『エゾ菊、サルビアを生けた花瓶』1886
                  
[63]同『アイリス(Irises)の咲くアルル(Arles)風景』1888

[64]同『糸杉の見える花咲く果樹園(Orchard Bordered by Cypresses)1888
                  
[65]同『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』1888

[66]同『水夫と恋人(Two Lovers)1888
                  
[67]同『寝室(The Bedroom)1888

[68]同『アルルの公園の入口(Entrance to the Public Gardens in Arles)1888
                  
[69]同『ポプラ林の中の二人(Undergrowth with Two Figures)1890


【小生comment
 1888年、Goghは南仏のアルルに赴き、数々の代表作を描くと共に、芸術家の共同体をつくろうと奮闘する。
 彼は屡々、Arlesを日本と重ね合わせている。
 この画家にとって日本は、創意の源であり、夢に迄見た理想郷だった。〔以上、本企画展『ごあいさつ』より引用〕
 江戸末期の浮世絵画が、「ジャポニスム」として France絵画に与えた影響は小生の予想を超えたものであった。
 逆に、Goghが日本を理想郷と見做していたことを光栄に思う。

10:20 同所発→徒歩5分→
10:30 〔‥事前に ticket 購入済だったが、既に入館迄に 40分待ちの混雑‥〕11:10 入館→東京国立博物館『運慶』展~11:40

[70]東京国立博物館 平成館 入口付近の混雑状況1
                  
[71]2

[72]同館 入口にて
                  
[73]同館 入口 本展案内看板にて

[74]同館 前にて
                  
[75]運慶作/円成寺【国宝】『大日如来坐像』1172年作

[76]同/興福寺【国宝】『無著菩薩立像()&世親菩薩立像()像』1212年頃
                  
[77]同/金剛峯寺【国宝】『八大童子立像~恵光童子立像() & 制多伽同寺立像』1197年頃


【小生comment
 本展覧会は、運慶(生年不詳~1223)20代半ば頃に造ったとみられる安元02(1172)年の円成寺大日如来坐像から、晩年の建保04(1216)年の作である光明院大威徳明王坐像迄運慶作の仏像を一堂に集め、その造形の特色をご覧頂こうという目論見である。
 大日如来坐像、無著菩薩立像・世親菩薩立像、八大童子立像を夫々見ようとすると、夫々、円成寺、興福寺、高野山・金剛峯寺に行かねばならないことを考えると、素晴らしく効率的な企画展である。
 しかも、誰もが頷く【国宝】【重文】の運慶の作品群だから、猶更魅力的である。
 素晴らしいの一言に尽きる企画展であった。

11:45 同所発→JR上野→〔JR山手線〕→
12:15 新橋着→
12:25 パナソニック汐留ミュージアム『ルオー(1871-1958)&カンディンスキー(1866-1944)』展12:40

[78]パナソニック汐留ミュージアム前にて
                  
[79]2

[80]同入口前の本企画展案内看板
                  
[81]本企画展leaflet

[82]Kandinski『商人たちの到着』1905
                  
[83]同『水門』1902

[84]Rouault『ヒンデンブルク(Hindenburg)1930年頃
                  
[85]同『冬 / 人物のいる風景』制作年不詳

[86]同『リュドミラ』1930年頃
                  
[87]同『飾りの花』1947

[88]同『マドレーヌ』1956
                  
[89] Klee『内なる光の聖女』1921

[90]同『橋の傍らの三軒の家』1922
                  

【小生comment
 Rouault Kandinskiは、1907年にRouault1903年の開館以来、学芸員(館長)を務めていた ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau)美術館に於いてであったという。
 本企画展は、RouaultKandinskiに、Klee(1879-1940)を加えた3人の作品が中心の興味深い美術展覧会だった。

12:45 昼食〔新橋汐留周辺〕13:40
13:45 新橋発→〔JR山手線〕→14:25 新宿着
14:45 損保ジャパン日本興亜美術館着/『東郷青児(1897-1978)』展15:30

[91]東郷青児記念/損保ジャパン美術館入口にて

[92]本企画展leaflet()
                  
[93]()

[94]東郷青児『サルタンバンク』1926
                  
[95]同『超現実派の散歩』1929

[96]同『窓』1929
                  
[97]同『静物(百合の花)1930

[98]同『平和と団結』1952
                  
[99]同『バイオレット』1952

[100]同『望郷』1959
                  

15:50 新宿→〔都営新宿線〕→16:15 九段下→〔メトロ東西線〕西船橋→〔東葉高速鉄道〕→
16:55 八千代緑が丘着〔了〕

1112()
 今日が、二泊三日の旅の Main event
 愚娘の夫君の実家がある千葉県船橋市の 二宮神社〔三山明神〕にて「孫娘の七五三」と「孫息子の初宮詣り」を開催
 最初の写真2枚は、お詣りを無事終了して、昼食会に招ばれた際、孫娘と孫息子との Two shots

[101]孫娘と

[102]孫息子と
                  
[103]愚娘一家4

[104]いつもヒョーキンな孫娘は、千葉のジイジとの写真でも此の performance
                  
[105]此れがいつものヒョーキンな孫娘

[106]二宮神社〔三山明神〕
                  
[107]写真展にて、明後日に生後5か月を迎える孫息子と

[108]ヒョーキンな孫娘も撮影前でチョット緊張!?
                  
[109]顔のお化粧が終わり、此れから着物を着る孫娘

[110]お参りが終了後、昼食会での愚娘と孫2人
                  
[111]昼食会場が用意してくれた 孫娘の七五三 & 孫息子の初宮参り の祝言葉


【後記】先週の1115()NHKの ガッテン! 最新版 コレステロール特集! を見た。
 其処で解説していた Non-HDLコレステロール値を早速確認したら、(=cholesterol 139 HDLcholesterol 54) = 85 150 だったんで安心した。

[112]小生の直近の血液検査dataから「総cholesterol値とHDL cholesterol
                  
では、また‥〔了〕

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