■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
今日も【時習26回3−7の会 0639】お送りします。今日02月18日は二十四節気でいう『雨水』。
当地豊橋は、一週間前と様変わりで概ね暖かな一週間でした。
■さて今日は、前《会報》にて予告した通り、もう二週間前の話になるが、02月04日に3つの美術館と1つの歴史博物館を巡って来たうち、岐阜市 みんなの森 メディアコスモス『没後40年/熊谷守一』展、一宮市三岸節子記念美術館『‥一宮市所蔵作品による‥びじゅつ動物園』展の2つについてご紹介したい。
【みんなの森 メディアコスモス『没後40年/熊谷守一』展】
本展について、本展leafletから一部引用し乍らご紹介する。熊谷守一(1880-1977)は、97年間という長い生涯の中で、赤い輪郭線と簡明な色調に拠って構成された『モリカズ様式』と呼ばれる独自の様式を確立した洋画家。
蟻や猫、蝶といった小さな「いのち」を描いた作品は高い評価を得、1967年に文化勲章受章内定、1972年に勲三等叙勲の内示(いずれも辞退)を受けている。
岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)の事業家で初代岐阜市長を務めた熊谷孫三郎(1832-1902)の三男(第7子)として生まれた。
父が事業を営む岐阜市で、守一は3歳~17歳迄過ごした後、上京し東京美術学校西洋画科撰科に入学。同期生に青木繁等がいる。
在学中に父が死去、多額の借財があった為、窮乏の中で美術学校を首席で卒業。
暫く在京して画家業を続けるが、30歳の時、母を亡くし帰郷後、数年地元の製材所等で働く。
友人の薦めで東京に戻り画業に復し、42歳で結婚。
その後も貧困生活が続き、子供も亡くす等苦労を重ねるが、老境に至る頃から知名度も定着し生活も安定。
本展では、油彩画50点を中心に、熊谷の長い生涯を振り返る。
[01]岐阜市 みんなの森 メディアコスモス 外観
[02]メディアコスモス館内の本企画展『没後40年/熊谷守一』展banner[03]本展leaflet/左の絵は、熊谷守一『櫻』1968年
[04]熊谷守一
[05]熊谷守一(1880-1977)『父の像』1910-15年
[06]同『裸婦』1930-40年
[07]同『漆樹紅葉』1942年
[08]同『豆に蟻』1958年
[09]同『鬼百合に揚羽蝶』1960年
[10]同『白うさぎ』1962年
[11]同『仔猫』1952年
[12]同『あぢさい』1975年
【小生comment】
熊谷守一の絵は、ご覧の様に一見稚拙に見える。しかし、極端にデフォルメされた絵は、彼の鋭い観察眼が生み出した究極の絵の一つの到達点である。
色彩も、色自体、種類は少なく、塗り方も平面的なのであるが、不思議と見る者に安心感と癒しを与える。
熊谷作品は、絵の三要素である「色」「構図」「描写力(デッサン)」のいずれをも、究極に単純化した傑作であると言えよう。
熊谷守一は、小生、作品を見れば見る程どんどん好きになって行った画家である。
【一宮市三岸節子記念美術館『‥一宮市所蔵作品による‥ びじゅつ動物園』展】
本展では、一宮市が所蔵する作品の中から、日本画や洋画に描かれた虎や猿、狐、兎、犬、鳥などをはじめ、伊万里焼、瀬戸焼、犬山焼などの陶磁器に描かれた動物たちの姿を紹介する。〔本展leafletより引用〕
[13]一宮市三岸節子記念美術館入口の三岸節子像(左)と本展案内(右)
[14]本展leaflet
本展leaflet右側の絵について紹介する。
1. 左上(左側):喜田華堂『滝猿之図』/左上(右側):水谷芳年『初夏花鳥図』
2. 左中:鳳柳『月下狸之図』
3. 左下:狩野安信『萩兎図』
4. 中央:森狙仙『藤三猿之図』
5. 中央上:駒井源琦『岩上雉之図』
6. 右下:加藤英舟『ライオン之図』
[15]三岸節子『スペインの白い町』1972年
[16]同『白い花(ヴェロンにて)』1989年
【小生comment】
本展は、江戸時代から近代迄の日本画を中心に、洋画や陶磁器に描かれた花鳥図や動物画で、一宮市が所蔵するものの展覧会。結構可愛らしい動物たちが描かれていて面白かった。
当館にて、同時開催されていた常設展、三岸節子『身近な世界を見つめて』展も見た。
三岸節子の『自画像』をはじめお馴染みの傑作が幾つも展示されていて良かった。
■さて、今日最後の話題は、前回と前々回《会報》にてご紹介した、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の7回seriesの今日はその第3回《3.アドレナリン仕事術‥「怒り」と「興奮」を味方に変える》である。
今日は、本項目から一つご紹介しよう。
【最後に成功するのは、OFF
TIME の使い方が上手い人】
いわゆる「仕事人間」には、2つの type がある。1. バリバリと猛烈に仕事をこなし、仕事で大きな成功を手にし、長生きする人
2. 仕事人間で頑張り屋さんだったのに、正に働き盛りの40~50代で突然、心筋梗塞や癌等の大病で罹って仕舞う人
殆どの病気、特に成人病にかかる方は、「過労」「緊張の連続」「休息不足」「睡眠不足」「運動不足」「偏食」等、病気になってもおかしくない生活習慣をしている。
- のtype の人達は、「OFF の時間の使い方」が非常に上手い。『一流の仕事人』は『一流の趣味人』。
仕事だけを頑張るのではなく、OFF の時間に仕事以外の「遊び」や「趣味」に一生懸命になる。
その切り替え、そして、仕事以外の「OFF」の時間の良質な input が、結果として発想力や活力として生かされる。※ 成功者は、昼はバリバリと仕事を頑張り、OFF は確りと refresh する! ※
「Adrenaline 仕事術」の優秀な実践者なのである。〔P.151-153〕
【小生comment】
小生もこの成功者を見習って、バリバリ仕事を頑張り、好きな「絵画鑑賞」「classic音楽鑑賞」「読書」「俳句・短歌の鑑賞と作句と作歌」「現代詩・漢詩鑑賞」等に精を出して行きたい。
《3.アドレナリン仕事術/まとめ》
1.勝負物質
adrenaline は「興奮や怒り」と関連して分泌される2.Adrenaline は、身体機能を瞬間的に高めてくれる
3.腹の底から大声を出すと adrenaline が出る
4.Pinch に陥っても諦めるな / 勝負物質 adrenaline があなたを助けてくれるから
5.心臓がドキドキするのは成功の証拠
6.過剰な興奮や緊張は、深呼吸するだけでおさまる
7.満員電車は adrenaline を分泌させ、かなりの stress になっている
8.昼間はバリバリ働き、夜間はゆっくりと休み、adrenaline を off にしよう
9.Adrenalineを off にする7つの習慣は
「1 興奮系娯楽は程々に」
「2 風呂・shower は温度に注意する」
「3 入眠前に激しい運動をしない」
「4 遅く迄残業をしない」
「5 ゆるい時間を持つ」
「6 家族や仲間と過ごす」
「7 休息を意識する」〔P.169〕
【小生comment】
Adrenaline は、noradrenaline とdopamine と共に興奮系の神経伝達物質で「チロシン→
L-DOPA → dopamine
→ noradrenaline → adrenaline」の順に生合成される。〔P.132〕Adrenaline は、心臓や筋肉を中心に活躍する一方、「集中力増強効果」や「記憶の定着」等にも深く関与し、脳内の精神機能に於いても重要な役割を担っている。〔P.133〕
Adrenaline は、日本・欧州ではこの名が使われるが、米国では「エピネフリン」呼ばれる。
Adrenaline の発見者は、日本人の高峰譲吉(1854-1922)。彼は1900年、牛の副腎からadrenaline を世界で初めて結晶化することに成功。
高峰譲吉は、(財)理化学研究所の創立者の一人で、製薬会社三共の事実上の創業者。消化酵素「タカジアスターゼ」の発明者。
米国では、ジョン・ジェイコブ・エイベルが、高峰が adrenaline を発見したほぼ同時期に、羊の副腎から分離した物質に「エピネフリン」と名付けた。〔P.132〕
日本人の先輩には、立派な人が沢山いる。
本当に心強く感じる。
【後記】明日は、小生の亡父の三回忌法要がある。
母を亡くしたのが12年4箇月前の平成16年10月、父は一昨年2月に鬼籍に入った。両親との思い出の日々もどんどんと遠い昔の話になっていく‥
【 歳月は人を待たず 】である。
だからこそ、毎日を確りと生きていきたいと思うのだが‥
今日のお別れは、陶淵明「雑詩」をご紹介してお別れする。
『一度しかない人生を悔いなく生きたい〔 Because life is only one time, I want to live so as not to regret. 〕』と言う言葉が浮んで、更に東晋時代の詩人 陶潜(365-427) の五言古詩の傑作「雑詩」も続いて浮かんで来た‥
『雑詩』全十二詩 其二 陶淵明
人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風轉
此已非常身
落地爲兄弟
何必骨肉親
得歡當作樂、
斗酒聚比鄰
盛年不重來
一日難再晨
及時當勉勵
【歳月不待人】
人生は根蒂(こんてい)無く
飄として陌上(はくじょう)の塵の如し分散し風に逐(=追)って転じ
此れ已(すで)に常の身に非ず
地に落ちて兄弟(けいてい)と為る
何ぞ必ずしも骨肉の親のみならむ
歓を得ては当(まさ)に楽しみを作すべし
斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)む
盛年 重ねて来たらず
一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
時に及んで当に勉励すべし
【 歳月 人を待たず 】
【意】人生ってヤツは木根や果実の蒂(へた)の様な確りした拠り所がない
恰も宛もなく舞い上がる路上の塵の様なものさ風に吹き散らされて転がって行く
もはや元の自分の身を保つことさえ覚束ない(‥人生ってそんなものだよ‥)
(‥知り合った者たちとは‥)皆んな兄弟の様なものだから
親族のみに拘泥(こだわ)る必要もない
嬉しい時は大いに楽しみ騒ごうヨ
酒を沢山用意して近所の仲間と盃を酌み交わしてさ
人生の盛時は二度と戻って来ないし
一日に二度目の朝は遣って来ないのだから
楽しめる時こそ確り楽しもうヨ!
【 歳月は人を待ってはくれない 】のだから
d(^_^o)
安城市歴史博物館『本多正信』展、豊川市桜ヶ丘ミュージアム『冬の情景』展、の2つの美術館・博物館の模様は、次回《会報》にてお届けする予定である。
お楽しみに!(^-‘)b♪
一昨日02月16日に同じLCの仲間で時習26回生の同期、市原T弘君【3-3】と豊橋市内の hotel 一緒だった。
写真は、その時の two
shot である。
[17]市原T弘君【3-3】と
では、また‥。〔了〕
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