2017年2月18日土曜日

【時習26回3-7の会 0640】~「02月04日:岐阜市みんなの森 メディアコスモス『没後40年/熊谷守一』展 & 一宮市三岸節子記念美術館『‥一宮市所蔵作品による‥びじゅつ動物園』展を見て」「樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる から 3.アドレナリン仕事術‥「怒り」と「興奮」を味方に変える』について」


■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
 今日も【時習26回3−7の会 0639】お送りします。
 今日0218日は二十四節気でいう『雨水』。
 当地豊橋は、一週間前と様変わりで概ね暖かな一週間でした。

■さて今日は、前《会報》にて予告した通り、もう二週間前の話になるが、0204日に3つの美術館と1つの歴史博物館を巡って来たうち、岐阜市 みんなの森 メディアコスモス『没後40年/熊谷守一』展、一宮市三岸節子記念美術館『‥一宮市所蔵作品による‥びじゅつ動物園』展の2つについてご紹介したい。

【みんなの森 メディアコスモス『没後40年/熊谷守一』展】 
 本展について、本展leafletから一部引用し乍らご紹介する。
 熊谷守一(1880-1977)は、97年間という長い生涯の中で、赤い輪郭線と簡明な色調に拠って構成された『モリカズ様式』と呼ばれる独自の様式を確立した洋画家。
 蟻や猫、蝶といった小さな「いのち」を描いた作品は高い評価を得、1967年に文化勲章受章内定、1972年に勲三等叙勲の内示(いずれも辞退)を受けている。
 岐阜県恵那郡付知村(現・中津川市付知町)の事業家で初代岐阜市長を務めた熊谷孫三郎(1832-1902)の三男(7)として生まれた。
 父が事業を営む岐阜市で、守一は3歳~17歳迄過ごした後、上京し東京美術学校西洋画科撰科に入学。同期生に青木繁等がいる。
 在学中に父が死去、多額の借財があった為、窮乏の中で美術学校を首席で卒業。
 暫く在京して画家業を続けるが、30歳の時、母を亡くし帰郷後、数年地元の製材所等で働く。
 友人の薦めで東京に戻り画業に復し、42歳で結婚。
 その後も貧困生活が続き、子供も亡くす等苦労を重ねるが、老境に至る頃から知名度も定着し生活も安定。
 本展では、油彩画50点を中心に、熊谷の長い生涯を振り返る。

[01]岐阜市 みんなの森 メディアコスモス 外観
[02]メディアコスモス館内の本企画展『没後40年/熊谷守一』展banner
                  
[03]本展leaflet/左の絵は、熊谷守一『櫻』1968

[04]熊谷守一
                  
[05]熊谷守一(1880-1977)『父の像』1910-15

[06]同『裸婦』1930-40
                  
[07]同『漆樹紅葉』1942

[08]同『豆に蟻』1958
                  
[09]同『鬼百合に揚羽蝶』1960

[10]同『白うさぎ』1962
                  
[11]同『仔猫』1952

[12]同『あぢさい』1975
                  
【小生comment
 熊谷守一の絵は、ご覧の様に一見稚拙に見える。
 しかし、極端にデフォルメされた絵は、彼の鋭い観察眼が生み出した究極の絵の一つの到達点である。
 色彩も、色自体、種類は少なく、塗り方も平面的なのであるが、不思議と見る者に安心感と癒しを与える。
 熊谷作品は、絵の三要素である「色」「構図」「描写力(デッサン)」のいずれをも、究極に単純化した傑作であると言えよう。
 熊谷守一は、小生、作品を見れば見る程どんどん好きになって行った画家である。

【一宮市三岸節子記念美術館『‥一宮市所蔵作品による‥ びじゅつ動物園』展】
 本展では、一宮市が所蔵する作品の中から、日本画や洋画に描かれた虎や猿、狐、兎、犬、鳥などをはじめ、伊万里焼、瀬戸焼、犬山焼などの陶磁器に描かれた動物たちの姿を紹介する。〔本展leafletより引用〕

[13]一宮市三岸節子記念美術館入口の三岸節子像()と本展案内()

[14]本展leaflet
 本展leaflet右側の絵について紹介する。
 1. 左上(左側):喜田華堂『滝猿之図』/左上(右側):水谷芳年『初夏花鳥図』
 2. 左中:鳳柳『月下狸之図』
 3. 左下:狩野安信『萩兎図』
 4. 中央:森狙仙『藤三猿之図』
 5. 中央上:駒井源琦『岩上雉之図』
 6. 右下:加藤英舟『ライオン之図』
                  
[15]三岸節子『スペインの白い町』1972

[16]同『白い花(ヴェロンにて)1989
                  
【小生comment
 本展は、江戸時代から近代迄の日本画を中心に、洋画や陶磁器に描かれた花鳥図や動物画で、一宮市が所蔵するものの展覧会。
 結構可愛らしい動物たちが描かれていて面白かった。
 当館にて、同時開催されていた常設展、三岸節子『身近な世界を見つめて』展も見た。
 三岸節子の『自画像』をはじめお馴染みの傑作が幾つも展示されていて良かった。

■さて、今日最後の話題は、前回と前々回《会報》にてご紹介した、樺沢紫苑著『脳を最適化すれば能力は2倍になる』の7seriesの今日はその第3回《3.アドレナリン仕事術‥「怒り」と「興奮」を味方に変える》である。

 今日は、本項目から一つご紹介しよう。

【最後に成功するのは、OFF TIME の使い方が上手い人】
 いわゆる「仕事人間」には、2つの type がある。
 1. バリバリと猛烈に仕事をこなし、仕事で大きな成功を手にし、長生きする人
   2. 仕事人間で頑張り屋さんだったのに、正に働き盛りの40~50代で突然、心筋梗塞や癌等の大病で罹って仕舞う人

殆どの病気、特に成人病にかかる方は、「過労」「緊張の連続」「休息不足」「睡眠不足」「運動不足」「偏食」等、病気になってもおかしくない生活習慣をしている。

  1. type の人達は、「OFF の時間の使い方」が非常に上手い。『一流の仕事人』は『一流の趣味人』。

 仕事だけを頑張るのではなく、OFF の時間に仕事以外の「遊び」や「趣味」に一生懸命になる。
 その切り替え、そして、仕事以外の「OFF」の時間の良質な input が、結果として発想力や活力として生かされる。
 ※ 成功者は、昼はバリバリと仕事を頑張り、OFF は確りと refresh する! ※
Adrenaline 仕事術」の優秀な実践者なのである。〔P.151-153

【小生comment
 小生もこの成功者を見習って、バリバリ仕事を頑張り、好きな「絵画鑑賞」「classic音楽鑑賞」「読書」「俳句・短歌の鑑賞と作句と作歌」「現代詩・漢詩鑑賞」等に精を出して行きたい。

3.アドレナリン仕事術/まとめ》
1.勝負物質 adrenaline は「興奮や怒り」と関連して分泌される
2.Adrenaline は、身体機能を瞬間的に高めてくれる
3.腹の底から大声を出すと adrenaline が出る
4.Pinch に陥っても諦めるな / 勝負物質 adrenaline があなたを助けてくれるから
5.心臓がドキドキするのは成功の証拠
6.過剰な興奮や緊張は、深呼吸するだけでおさまる
7.満員電車は adrenaline を分泌させ、かなりの stress になっている
8.昼間はバリバリ働き、夜間はゆっくりと休み、adrenaline off にしよう
9.Adrenaline off にする7つの習慣は
1 興奮系娯楽は程々に」
2 風呂・shower は温度に注意する」
3 入眠前に激しい運動をしない」
4 遅く迄残業をしない」
5 ゆるい時間を持つ」
6 家族や仲間と過ごす」
7 休息を意識する」〔P.169

【小生comment
 Adrenaline は、noradrenaline dopamine と共に興奮系の神経伝達物質で「チロシン→ L-DOPA dopamine noradrenaline adrenaline」の順に生合成される。〔P.132
 Adrenaline は、心臓や筋肉を中心に活躍する一方、「集中力増強効果」や「記憶の定着」等にも深く関与し、脳内の精神機能に於いても重要な役割を担っている。〔P.133
 Adrenaline は、日本・欧州ではこの名が使われるが、米国では「エピネフリン」呼ばれる。
 Adrenaline の発見者は、日本人の高峰譲吉(1854-1922)。彼は1900年、牛の副腎からadrenaline を世界で初めて結晶化することに成功。
 高峰譲吉は、()理化学研究所の創立者の一人で、製薬会社三共の事実上の創業者。消化酵素「タカジアスターゼ」の発明者。
 米国では、ジョン・ジェイコブ・エイベルが、高峰が adrenaline を発見したほぼ同時期に、羊の副腎から分離した物質に「エピネフリン」と名付けた。〔P.132

 日本人の先輩には、立派な人が沢山いる。
 本当に心強く感じる。

【後記】明日は、小生の亡父の三回忌法要がある。
 母を亡くしたのが124箇月前の平成1610月、父は一昨年2月に鬼籍に入った。
 両親との思い出の日々もどんどんと遠い昔の話になっていく‥
 【 歳月は人を待たず 】である。
 だからこそ、毎日を確りと生きていきたいと思うのだが‥
 今日のお別れは、陶淵明「雑詩」をご紹介してお別れする。
 『一度しかない人生を悔いなく生きたい〔 Because life is only one time, I want to live so as not to regret. 〕』と言う言葉が浮んで、更に東晋時代の詩人 陶潜(365-427) の五言古詩の傑作「雑詩」も続いて浮かんで来た‥

  『雑詩』全十二詩 其二 陶淵明

 人生無根蒂
 飄如陌上塵
 分散逐風轉
 此已非常身
 落地爲兄弟
 何必骨肉親
 得歡當作樂、
 斗酒聚比鄰
 盛年不重來
 一日難再晨
 及時當勉勵
【歳月不待人】

 人生は根蒂(こんてい)無く
 飄として陌上(はくじょう)の塵の如し
 分散し風に逐(=)って転じ
 此れ已(すで)に常の身に非ず
 地に落ちて兄弟(けいてい)と為る
 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならむ
 歓を得ては当(まさ)に楽しみを作すべし
 斗酒  比隣(ひりん)を聚(あつ)
 盛年  重ねて来たらず
 一日(いちじつ)  再び晨(あした)なり難し
 時に及んで当に勉励すべし
【 歳月  人を待たず 】

【意】人生ってヤツは木根や果実の蒂(へた)の様な確りした拠り所がない
 恰も宛もなく舞い上がる路上の塵の様なものさ
 風に吹き散らされて転がって行く
 もはや元の自分の身を保つことさえ覚束ない(‥人生ってそんなものだよ‥)
 (‥知り合った者たちとは‥)皆んな兄弟の様なものだから
 親族のみに拘泥(こだわ)る必要もない
 嬉しい時は大いに楽しみ騒ごうヨ
 酒を沢山用意して近所の仲間と盃を酌み交わしてさ
 人生の盛時は二度と戻って来ないし
  一日に二度目の朝は遣って来ないのだから
 楽しめる時こそ確り楽しもうヨ!
 【 歳月は人を待ってはくれない 】のだから
 d(^_^o)

 安城市歴史博物館『本多正信』展、豊川市桜ヶ丘ミュージアム『冬の情景』展、の2つの美術館・博物館の模様は、次回《会報》にてお届けする予定である。
 お楽しみに!(^-)b

 一昨日0216日に同じLCの仲間で時習26回生の同期、市原T弘君【3-3】と豊橋市内の hotel 一緒だった。
 写真は、その時の two shot である。

[17]市原T弘君【3-3】と

 では、また‥。〔了〕

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