2021年9月27日月曜日

【時習26回3−7の会 0880】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第98回/員外~第975句~986句〕」「09月25日:旧姫街道一人旅 walking「和田辻東」→「嵩山宿」→「本坂峠」を往復して]「09月18日:豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展~『草土社の作家たち』を見て」「09月18日:『亡父の想い出』から」

 ■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
. 今日も【時習26回37の会 0880】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第98回/員外~第975句~986句〕」をご紹介する
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975 夕鴉(ゆふがらす)宿(しゅく)の長(なが)さに腹(はら)のたつ  仝
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【意】ねぐらに帰るカラスが飛んでいく / 私も宿場の宿に帰るのだが、此の宿場は細長くて、町のとば口(=入口)から目的地の宿(やど)迄中々到着しない /
【解釈】《名残表七》《雑》
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976  いくつの笠(かさ)を荷(にな)ふ強力(がうりき)(1)  人
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【意】強力が幾つも先輩の笠を背負わされて歩いている / 宿場の長さに自分も腹立たしさを感じるが、あの山伏の従僕(=強力)には同情を禁じ得ない
【解釈】《名残表八》《雑》
(1)強力:山伏の従僕
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977 (あな)いち(1)に塵(ちり)うちはらひ草枕(くさまくら)  仝
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【意】(‥前句で「強力」をしていたのはまだ子供だった‥)其の強力は荷を下ろすなり穴一に興じている
【解釈】《名残表九》《雑》
(1)穴いち:近世の子供の遊び / 地面にあけた小穴に、1m程離れた線外から銭、或いは小石等を投げ、穴に入ったものを勝ちとする / 穴打ち / 銭(ぜに)打ち〔『大辞林』〕
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978  ひい(=)(1)かざりて伊勢(いせ)の八朔(はっさく)(2)  角
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【意】流石伊勢国は他国と異なる / 八朔の祝いに家々に雛人形を飾っている / 前句「草枕」から、諸国者の眼から見た伊勢道者への観察を出した / 但し、伊勢の八朔の習俗は未詳 / 前句の「穴いち」が男児の遊戯、此れに対して女児の「雛遊び」を引き合いに出したか‥
【解釈】《名残表十》《秋》:八朔 /
(1)ひいな:雛
(2)八朔:陰暦八月朔日(ついたち)の祝い / 古く農家で、新穀の贈答や豊作祈願・予祝などの行事が行われ、のち一般化して、四民共に白(しろ)帷子(かたびら(=裏地を付けない夏衣))着て贈答往来する慣習を生んだ
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979 滿月(まんげつ)に不斷櫻(ふだんざくら)(1)を詠(なが)めばや  仝
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【意】八朔に雛飾りを見て、八月十五夜は伊勢国白子神社の不断桜を見られれば、風流の極致だ
【解釈】《名残表十一》《秋》:満月 /
(1)不断桜(ふだんざくら):サトザクラの一品種 / 10月頃~4月頃迄咲き続ける / 三重県鈴鹿市の白子不断ザクラは天然記念物〔『大辞林』〕
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980  念者(ねんじゃ)法師(ほふし)(1)は秋(あき)のあきかぜ  人
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【意】私の男色相手の兄貴は秋になってつれない / あの不断桜の様にいつも変わらぬ心であって欲しい
【解釈】《名残表十二》《雑》:秋のあきかぜ /《恋》:念者法師
(1)念者法師:男色関係の兄貴分/念友/念人/⇔若衆(わかしゆ)〔『大辞林』〕
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981 (ゆふ)まぐれまたうらめしき帋子(かみこ)夜着(よぎ)  仝
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【意】秋の夕暮れに男色相手は、なんと紙子を着て寝ている / ガサゴソ音がするので密会は不向きな夜着である / 此れは明らかな拒絶のサインだ
【解釈】《名残裏一》《雑》《恋》:うらめしき /
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982  弓(ゆみ)(1)すゝびたる突(つき)あげのまど  角
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【意】付き揚げて開けるだけの粗末な窓 / 支えの竹迄煤(すす)けている /
【解釈】《名残裏二》《雑》/ 前句を貧しい浪人暮らしの落ちぶれた恨めしさと見て、其の侘住居を付けた
(1)弓:突き上げ窓の支えの竹
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983 (みち)ばたに乞食(こじき)の鎮守(ちんじゅ)(かき)ゆひて  仝
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【意】路傍に沿って乞食村の様な寒村に鎮守社があり、垣根で一応囲われている / 其処の窓も、煤けた支え竹の突き上げ窓だ
【解釈】《名残裏三》《雑》
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984  ものきゝわかぬ馬子(まご)の鬮(くじ)とり  人
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【意】街道風景 / 前句の神社の中で馬子たちが集まり博打を始めた / 物の道理や正邪の分別が分からない者達だから‥
【解釈】《名残裏四》《雑》
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985 (はな)の香()にあさつき(1)(なます)みどり也(なり)  仝
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【意】花の香りの中に混じって浅葱葱のナマスの緑の匂いが心地よく漂って来る
【解釈】《名残裏五》《春》:花 / 駅道の休み茶屋の景か‥
(1)あさつき(浅葱):あさつきのひる / 葱(ネギ)より細く、ニラに比べて臭気が少ない / 三月三日の食事に、根葉ともに膾(なます)にあえて食すという
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986  むしろ敷(しく)べき喚續(よびつぎ)(1)の春(はる)  仝
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【意】あの歌枕「喚續」の浜に一席設けて、一度お招き致したい
【解釈】《挙句》《春》:春 / 前句を御馳走料理の体として、尾張国の越智越人が、江戸の宝井其角に挨拶したもの
(1)喚續(=呼続(よびつぎ)):東海道鳴海宿付近の歌枕 / 千鳥の名所
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第99回 / 員外~第987句~998句〕をご紹介する / お楽しみに!
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続いての話題である
. 0926日は、昼から walking した
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1400分「和田辻東」着
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【「姫街道」風景:「和田辻東」→「嵩山宿」へ】
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[01][左上]「姫街道」豊鉄バス停「和田辻東」にて
. 出発地のバス停「和田辻東」の北側にある豊橋市立石巻中学校を back
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[右上]Google 航空 map:「和田辻東」→「姫街道/本坂峠」経路図
[左下]「姫街道」風景:路傍の花「Helenium amarum
[中下]「同」〔豊橋市嵩山町〕同:姫街道にて1
[右下]「同」〔同〕同:同上2
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【「姫街道」風景:「嵩山町」1
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[02][左上]「姫街道」〔同〕風景:豊鉄バス停「二軒屋」
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[右上]「同」〔同〕同:路傍の花「ベビーマラカス」
[左下]「同」〔同〕同:豊鉄バス停「嵩山市場」
[中下]「同」〔同〕同:「姫街道」の「本坂トンネル」への案内看板
[右下]「同」〔同〕同:「姫街道」の「嵩山」交差点
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【「姫街道」風景:「嵩山町」2
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[03][左上]「姫街道」〔同〕風景:「嵩山町」にて1
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[右上]「同」〔同〕同:「同」常夜燈前にて
[左下]「同」〔同〕同:「同」街並1
[中下]「同」〔同〕同:「同」旧家「萬屋」跡
[右下]「同」〔同〕同:「姫街道案内図」1〔嵩山町〕
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【「姫街道」風景:「嵩山町」3
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[04][左上]「姫街道」〔同〕風景:「姫街道案内図」にて〔嵩山町〕
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[右上]「同」〔同〕同:「同」2〔部分・拡大〕同〔嵩山町〕
[左下]「同」〔同〕同:「同」3
[中下]「同」〔同〕同:「同」同所にあった「嵩山宿本陣」跡碑
[右下]「同」〔同〕同:「同」同「御油←嵩山宿→三ヶ日」道標
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【「姫街道」風景:「嵩山町」4
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[05][左上]「姫街道」〔同〕風景:「嵩山町」にて

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右上]「同」〔同〕同:路傍の花「キバナ秋桜(手前)」「百日紅(後方)
[左下]「同」〔同〕同:嵩山宿街並2
[中下]「同」〔同〕同:旧「姫街道()
[右下]「同」〔同〕同:同「同」石碑にて
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【「姫街道」風景:「嵩山町」5
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[06][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」〔嵩山町〕1
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[右上]「同」同:同「同」〔同〕2
[左下]「同」同:同「同」案内看板
[中下]「同」同:同「同」同上〔部分・拡大〕
[右下]「同」同:同「同」同所にて
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【「姫街道」風景:「嵩山町」6
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[07][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」道標〔嵩山町〕

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右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕3
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕4
[中下]「同」同:同「姫街道」「嵩山一里塚」跡にて〔嵩山町〕
[右下]「同」同:同「同」「同」解説板〔嵩山町〕
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【「姫街道」風景:旧「姫街道」(「嵩山一里塚」)〔嵩山町〕7
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[08][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」「嵩山一里塚」跡にて〔嵩山町〕
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[右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕5
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕6
[中下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕7
[右下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕道標横にて
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【「姫街道」風景:旧「姫街道」8→「嵩山自然歩道」1〔嵩山町〕】
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[09][左上]「姫街道」風景:旧「姫街道」8
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[右上]「同」同:同「同」〔嵩山町〕9「姫街道」道標石碑
[左下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕10
[中下]「同」同:同「同」〔嵩山町〕11
[右下]「同」同:同「嵩山自然歩道」〔嵩山町〕
. 此処辺りから「嵩山自然歩道」に道標が変わっていたので道を間違えたのか‥()
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【「姫街道」風景:旧「嵩山自然歩道」2〔嵩山町〕】
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[10][左上]「嵩山自然歩道」風景:「嵩山自然歩道」1

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 どんどん道は狭く厳しくなっていく‥
[右上]「同」同:「同」2
[左下]「同」同:「同」3‥「嵩山自然歩道」も「行きどまり」!
. 時間も1639分、辺りも薄暗くなってきたので「本坂峠」到達は断念し、帰ることにした
[中下]Google 航空map:現在位置を確認
. 確認したら「旧本坂トンネル」南方200m地点に居たことになるが、本坂トンネルへ続く道らしいものがなかった
[右下]同:「旧本坂トンネル」の南方200mの現在位置から今日のstart地点「和田辻東」への経路図
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1641分「旧本坂トンネル」の南方200mの現在位置発→来た道を戻る‥
1702分「浅間神社・原川社」着
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【「姫街道」風景:旧「嵩山自然歩道」(「浅間神社・原川社《腹浅間》」)3〔嵩山町〕】
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[11][左上]「嵩山自然歩道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景1

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[
右上]「同」同:同風景2「浅間神社/タブノキ」解説板
[左下]「同」同:同風景3「同/同」
[中下]「同」同:同風景4 社殿(=本殿)脇の「浅間神社縁起」解説板
[右下]「同」同:同風景5 社殿前にて
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【「姫街道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」〔嵩山町〕】2
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[12][左上]「嵩山自然歩道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景6「参道」から「社殿」を望む
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[右上]「同」同:「同」風景7
[左下]「同」同:「同」風景8
[中下]Google 航空 map:「浅間神社・原川社《腹浅間》」→「和田辻東」への経路図
[右下]「嵩山自然歩道」風景「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景9「参道」から見下ろした風景
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【「姫街道」風景:「浅間神社・原川社《腹浅間》」〔嵩山町〕3→「和田辻東」へ】
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[13][左上]「嵩山自然歩道」風景「浅間神社・原川社《腹浅間》」風景10「参道」から振り返り見上げた風景
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[右上]「同」同「同」風景11「参道」から「鳥居」を見上げる
[左下]「同」同「同」風景12 同所にて‥1717
[中下]Google 航空 map:「浅間神社・原川社」から「和田辻東」へ向かう途上1728分頃
[右下]「姫街道」風景:路傍の花「曼殊沙華」
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1718分「浅間神社・原川社《腹浅間》」発→「姫街道」→「和田辻東」へ
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【「姫街道」風景:路傍の花々】
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[14][左上]「姫街道」風景:路傍の花「キバナコスモス」1
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[右上]同「同」同:同「同」2
[左下]同「同」同:同「フヨウ」
[中下]同「同」同:同「稲穂」1
[右下]同「同」同:同「同」2
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【和田辻東周辺】
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1819分 豊鉄バス停「和田辻東」着
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[15][左上]和田辻から西方の夕暮れを望む
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[右上]「姫街道」常夜燈1
[左下]「姫街道」常夜燈2
[中下]豊鉄バス「和田辻バス停」1819分着
[右下]歩行距離13.8km 歩行歩数18,018
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1832分 和田辻東発→一般道 15 7/ 走行距離計14
1847分 帰宅〔了〕
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【小生 comment
. 「本坂峠」に到達出来なかったのは残念だった
. きっと道標が「姫街道」から「嵩山自然歩道」に変わった所から道を間違えたのだと思う
. ま、「姫街道」と道標があった場所でも、かなり獣道の険しい道になっていたので、無理して道に迷うよりは次回の三ヶ日側から「本坂峠」に向かう際に検証してみようと思っている〔了〕
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続いての話題である
. 0818日日は、台風14号到来の為「姫街道」walking は中止
. 其処で今日は、Walking の代わりに見て来た豊橋市美術博物館の美術展と亡父と叔父兄と写真他とお伝えする
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【豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展】1
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[16][左上]豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展看板横にて

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右上]岸田劉生 (1891-1929)『高須光治君之肖像』1915
[左下]同『卓上林檎葡萄之図』1918
[右下]木村荘八 (しょうはち 1893-1958)『自画像』1916
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【豊橋市美術博物館『秋のコレクション』展】2
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[17][左上]椿貞雄『砂利の敷いてある道』1916
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[右上]同『冬瓜図』1925
[左下]横堀角次郎『田舎の道』1929
[右下]中川一政 (かずまさ)(1893-1991)『静物』1924
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【小生の亡父の想い出】
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[18] [左上]叔父兄 今泉勇が描いた亡父「譲」(:水彩画)・晩年の亡父(:写真)

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右上]亡父が描いた自画像1946年〔22歳当時〕
[左下]197071(4546)当時の愛知県立豊丘高等学校時代の亡父
[中下]20120513日:国立西洋美術館にて87歳の亡父と[右下]20120513日:東京芸術大学大学美術館前にて亡父と
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【尊敬する祖父今泉文治】
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[19][左上]小生の長男を抱く曾祖父 文治1
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[右上]同上2
[左下]昭和33(1958)8月、祖父宅庭にて、祖父と211か月の小生
[中下]『豊橋市市勢功労者一覧』1
. ~第25回顕彰者の中に小生の祖父「今泉文治」の名前がある / 久曽神 昇氏は、愛知大学学長
[右下]『同』2
. 〜第37回 山本孝之氏は、現在、小生がお世話になっているさわらび会の理事長、第44回 神野信郎氏は小生の時習26回生の同期加藤(神野)朋子さんの実父で中部ガス社長・会長、豊橋商工会議所会頭を勤められた、第48回 冨安昌也氏は、時習館高等学校美術家教諭で長年 日本水彩画会豊橋支部長を勤められた
. 祖父文治は、昭和55年に長らく民生委員を務め、民生安定に寄与したとして「第25回豊橋市『市勢功労者』」として顕彰されている
. 祖父の略歴は、小木曽法律事務所の小木曽大伯父の異母弟として生まれ、生まれた経緯から幼くして市内細谷に里子に出され、成人して祖母の婿養子となった
. 当時は豊橋市の東方の荒野であった、新切、のち向郷、更に春日町となった土地の開墾を重ね、地元の地主・名士になり、長年民生委員を務めた
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【叔父兄 今泉勇の水彩画家としての活躍】
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[20][左上]2013/04/17 豊橋市美術博物館にて開催された「日本水彩画会豊橋支部展」にて

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 今泉勇叔父と、時習館高校の先生であった芳山家治先生が一緒に写っている東日新聞の写真
. 以下に小生自身の叔父貴今泉勇が描いた小生の亡父の写真を中心にお届けする
. 亡父 譲(1924-2015)は長男、叔父貴 勇(1930- )は三男になる
[右上]【豊橋市美術博物館『第42回豊橋美術展』を見て】
. [左上]豊橋市美術博物館 本企画展看板前にて
. [左下]同 館内入口の本企画展 banner 前にて
. [右上]同 展示されていた小生叔父貴の作品 今泉勇(1930- )『宮島大鳥居』
.  以下に、叔父貴の水彩画作品2点を紹介する
. [右中]今泉勇『面の木 紅葉』〔光生病院へ寄贈〕
. [右下]同『面の木 紅葉』〔拙宅蔵〕
. 叔父貴は、冨安昌也先生の弟子だけあって矢張り確かな技量を感じさせる
[左下]勇叔父兄が、小生に送ってくれた自身の個展の案内状
[中下]今泉勇『獅子舞〔黒澤田楽〕』
[右下]同『面の木紅葉』〔光生会病院へ寄贈〕
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19588月:亡父母との思ひ出】
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[21][左上]19588月 小生211か月の祖父の実家中庭にて日産ダットサンのボンネットにて
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[右上]同年同月 34歳の亡父と
[左下]195855日 浜名湖「今切」浜の亡母〔当時271か月〕1
[中下]1958105日 小生の手形・足形
[右下]同園55日 浜名湖「今切」浜の亡き母2
.
. では、また‥〔了〕

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