2021年8月9日月曜日

【時習26回3−7の会 0873】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第91回/員外~第891句~902句〕」「08月06日:旧東海道五十三次一人旅「JR吉原駅→「依田橋一里塚跡」→「妙法寺(毘沙門天)」→「沼田新田一里塚跡」→「立圓寺」→JR東田子の浦駅→「原、一本松一里塚跡」→「松蔭寺」→「白隠慧鶴誕生地→JR原駅」を歩いて」「08月08日:長女一家の帰省来訪」「少し前の想い出~2019年11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第3回】上野の森美術館『ゴッホ』展→パナソニック汐留美術館『ラウル・デュフィ』展を巡って」「女流は員人「四T」の前の二人のうちの一人竹下しづの女」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
 今日も【時習26回37の会 0873】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第91回/員外~第891句~902句〕」をご紹介する
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891 ()ふ柿(かき)も又(また)くふかきも皆(みな)(しぶ)し  同
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【意】仕事も片付き腹がへったので食べようと持参した柿の実 / しかし、どの柿も皆渋柿ばかりだった / 今日はついていない一日だった
【解説】《初裏七》《秋》:柿 /
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892  秋のけしきの畑(はたけ)みる客(きゃく)  人
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【意】此処は渋柿しかないのかと思い、辺りを不満そうに見渡す客 / 周辺の畑からは、秋の実りの作物が沢山生()っているのが見える
【解説】《初裏八》《秋》:秋 /
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893 わがまゝに(1)いつか此世(このよ)を背(そむ)くべき  同
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【意】平生は忙しい時が経っていく / しかし、こうして田園の秋景色を見ていると、いつの日にか自分の心の儘に俗世間から遁世したいものだと沁み沁み思う
【解説】《初裏九》《雑》
(1)わがまゝに:我が思いの儘に
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894  寐()ながら書(かく)か文字(もじ)のゆがむ戸()  下
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【意】戸口に貼られた表札の文字は酷い字だ / 書いた人は、世の中に背を向けて生きている、万事が不精な人物なんだろう / 寝床で寝乍ら書いた様な歪(ゆが)んだ文字になっている
【解説】《初裏十》《雑》
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895 (はな)の賀()(1)にこらへかねたる涙(なみだ)()つ  同
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【意】(前句を受けて‥)手も不自由な程老いた此の老人 / 長寿を祝われ感涙に咽せんでいる
【解説】《初裏十一》《春》:花の賀 / 前句の「歪んだ文字」を書いたのは、此の「花の賀」を祝って貰う長寿者 /
(1)花の賀():「賀」は、「古稀」「喜寿」等の長寿の祝いで、春の花の季節に祝う「賀」の祝いを言う
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896  着()ものゝ糊(のり)のこはき春風(はるかぜ)  人
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【意】祝宴に臨んで着せて貰った着物は、少し糊が効き過ぎて、春風に裾が揺れる度にちくちくと痛む
【解説】《初裏十二》《春》:春風 / 前句の「長寿の賀宴」から、洗濯して糊付けされた清潔な着物を出す / 糊付けされた着物は、老体には少し着心地がきついか‥
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897 うち群(むれ)て浦(うら)の苫屋(とまや)の塩干(しほひ)()よ  同
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【意】さぁ、連れ立って、春風の吹く海辺に浦の苫屋の風景を眺めよう
【解説】《名残表一》《春》:塩干 / 前句を「狩衣姿」の貴人と見たものか /「浦の苫屋の秋の夕暮(藤原定家)(新古今和歌集)を裏返しにした俳諧の妙
(1)苫屋:苫で屋根を葺いた粗末な小屋 /「苫(とま)」は、菅(すげ)や茅(かや)を菰(こも)の様に編んだもの
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898  内(うち)へはい(=)りてなほほゆる犬  下
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【意】潮干を見ている見慣れぬ都人たちに向かって、浦の苫屋の犬が盛んに吠えることを止めない / 土間の中に引き入れられてもまだ吠えている
【解説】《名残表二》《雑》/ 前句を「浦の苫屋の塩干」なるものを見に来た都人たちとして、浦里の犬を出した
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899 (ゑひ)ざめの水(みづ)の飲(みに)たき比(ころ)なれや  同
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【意】主人が家の中に入ってもまだ飼い犬は外で吠えている / 其の犬の鳴き声で酔いも少し覚めた / 酔い覚めの水でも飲みたい処だ
【解説】《名残表三》《雑》/ 前句で家に入って来たのは、この家の主人で酔って帰宅した場面
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900  たヾしづかなる雨(あめ)の降(ふり)()し  人
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【意】酔い覚めの水を飲みたくて起きてみると、外では春雨が降り出した様だ / 音も無く雨の湿った空気が肌に感じられる
【解説】《名残表四》《雑》
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901 (うた)あはせ(1)獨鈷(とくこ)(2)鎌首(かまくび)(3)まい(=)らるゝ  同
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【意】雨の日に、連歌の会を開催したら、独鈷や鎌首のような歌人が集まって来た / 恐らく閑な暮らしをしている僧侶らなのであろう
【解説】《名残表五》《雑》/「歌合せ」の論争が始まる期待感を詠む
(1)歌あはせ:建久四(1193)年の「六百番歌合せ」の時、顕昭と寂蓮は連日に亘って論争を重ねた
.「六百番歌合せ」:後京極(ごきょうごく(九条(良経(よしつね)))主催の歌合 / 1192年(建久3)良経が企画・出題し、12人の歌人に各百首を詠出させ、翌93年秋から披講評定に入り、藤原俊成(しゅんぜい)の加判を得て完成 / 歌題は四季題50、恋題50の百題百首で、四季題のうち25題は非正統的組題で知られる『永久百首』(1116)と共通し、恋題も歌学的体系性に基づいた文芸性の濃厚な空前の組織題となっている / 歌人は、保守的歌風の六条家から季経(すえつね)、顕昭(けんしょう)、経家、有家、新風の御子左(みこひだり)家から隆信、寂蓮(じゃくれん)、家隆、定家、それに権門の良経、慈円、家房、兼宗(かねむね)と、家系、身分の配慮された構成であった / おりしも建久年間(1190-99)は良経、定家ら新進歌人の新風開拓の高揚期にあたり、六条家側との論争を通じての歌風の相違が際やかに現れている / 抑制を求めつつも新風に理解を示す俊成の判詞は委細を極め、此れに反論した顕昭の『六百番陳状』と共に新古今時代の文芸批評の到達点と言える(「日本大百科全書」より引用)
(
2)独鈷:密教で用いる仏具の一 / 種々の金属・象牙などを主材料とし、中央に握り部分があり、両端がとがっている杵形(きねがた)の仏具 / とこ / 独鈷杵(とつこしよ)
(3)鎌首:蛇が頭を持ち上げたときの鎌に似た曲線的な首の形
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902  また献立(こんだて)のみなちがひけり  下
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【意】今日も又歌合せの論争が長引き、料理献立の手筈が違って仕舞った
【解説】《名残表六》《雑》/ 延々と続く難陳歌合せ(=「歌合」で判者が勝負を決する前に、左右互いに論難・陳弁すること)の一方では、此の様なこともあっただろうと、俳諧的に想像したもの
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第92回 / 員外~第903句~914句〕をご紹介する / お楽しみに!
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■さて、続いての話題である
. 先週末0806日は、週一回の平日公休日
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0250分 拙宅発→一般道 2時間31 154km→る
0521 JR吉原駅近隣駐車場着
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【拙宅→ JR吉原駅近隣駐車場】
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[01][左上]由比西倉澤からの富士山遠望1
. 今日は、富士山が綺麗に見えた
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右上]同上2
. 写真右上には、有明の月が美しい!
[左下]同上3
[中下]JR吉原駅近隣駐車場にて1
[右下]同上2
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0628分 沼川着
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【沼川の boat harbor
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[02][左上]沼川の boat harbor 1
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[
右上]同上2
[左下]同上3
[中下]Google 航空 map : JR吉原駅→依田橋一里塚跡への経路図
[右下] : 沼川の boat harbor
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0631分 絶景の富士山を発見!
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【「吉原宿」からの富士山遠望】
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【詞書】絶景の富士山
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. 赤富士に負けぬ雄々しさ夏の富士 此れを名付けて【青富士】と言ふ  悟空
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[03]絶景の【青富士】
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0648分 左富士神社&依田橋一里塚跡着
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【依田橋一里塚跡&左富士神社】
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[04][]依田橋一里塚跡石碑にて
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[]左富士神社鳥居前にて
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0702分 同所発→
0735分 旧東海道〔依田橋〕脇の松着
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【依田橋一里塚跡→沼田新田一里塚跡】1
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[05][左上]Google 航空 map : 依田橋一里塚跡→沼田新田一里塚跡への経路図

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[右上]旧東海道街並〔富士市〕風景:旧東海道1
. 写真右側の道が旧東海道
[左下]同〔同市〕同:旧東海道にて
[中下]同〔同市〕同:旧東海道の松
[右下]同〔同市〕同:同所にて
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0747 JR吉原駅(北西〔鈴川本町〕)近隣駐車場に再び到着
. 忘れ物を取りに立ち寄る
0825 JR吉原駅東近くの踏切 着→
0829分 富士市鈴川東町 着
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[06][左上]旧東海道街並〔富士市鈴川本町〕風景:路傍の花「ポーチュラカ」
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[右上]同〔同市同町〕風景:同「ムラサキルエリア」
[左下]同〔同市同町〕同:路傍の花「ニチニチソウ」
[中下]同〔同市今井〕同:旧東海道が東海道本線を跨ぐ踏切傍にて
[右下]同〔同市鈴川東町〕同:旧東海道にて1
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0913分 香久山「妙法寺〔毘沙門天〕」着
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[07][左上]旧東海道〔富士市鈴川東町〕風景:旧東海道にて2
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[
右上]同〔同市同〕風景:同上2
[左下]同〔同市今井〕同:路傍の花「薔薇」
[中下]同〔同市同〕同:香久山「妙法寺」鳥居
. 何故か寺院に鳥居が !??
[右下]同〔同市〕同:妙法寺境内の花「テッポウユリ」
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【依田橋一里塚跡→妙法寺〔毘沙門天〕→沼田新田一里塚跡】
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[08][左上]旧東海道街並〔富士市今井〕風景:「妙法寺〔毘沙門天〕」「参道から本堂を望む」
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[右上]旧東海道街並〔富士市〕風景:「妙法寺〔毘沙門天〕」境内の「手水舎」
[左下]同〔同市〕同:「同」「本堂」
[中下]同〔同市〕同:「同」本堂前にて
[右下]同〔同市〕同:「同」「御朱印」
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0932分「妙法寺〔毘沙門天〕」発→
1002分 大野新田着→
1035分 田中新田着→
1058分「沼田新田一里塚跡」着→
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【依田橋一里塚跡→〔今井→大野新田→田中新田〕→沼田新田一里塚跡】
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[09][左上]旧東海道街並〔富士市今井〕風景:旧東海道にて1
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[右上]旧東海道街並〔同市同〕風景:同上2
[左下]同〔同市大野新田〕同:旧東海道にて
[中下]同〔同市田中新田〕同:旧東海道脇の道標にて
[右下]同〔同市同〕同:旧東海道にて
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1058分「沼田新田一里塚跡」着→
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【沼田新田一里塚跡】
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[10][左上]旧東海道街並〔富士市沼田新田〕風景:「沼田新田一里塚跡」にて1
.
[
右上]同〔同市同〕風景:同上2
[左下]同〔同市同〕同:同上3
[中下]同〔同市同〕同:同上4
[右下]同〔同市同〕同:同上5
.
1104分「沼田新田一里塚跡」発→
1109分「増田平四郎の像碑」着→
1120分 正法山「立圓寺」着→
.
【沼田新田一里塚跡→増田平四郎の像碑→正法山「立圓寺」】
.
[
11][左上]旧東海道街並〔富士市沼田新田〕風景:「増田平四郎の像碑」にて
.
[右上]同〔同市同〕風景:「同」解説碑
[左下]同〔同市同〕同:路傍の花「テッポウユリ」
[中下]同〔同市西柏原新田〕同:旧東海道から富士山遠望
[右下]同〔同市同〕同:正法山「立圓寺」「望嶽の碑」
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【正法山「立圓寺」】
.
[12][左上]旧東海道街並〔富士市西柏原新田〕風景:正法山「立圓寺」山門
.
[
右上]同〔同市同〕風景:同「同」「本堂」前にて
[左下]同〔同市同〕同:同「同」「本堂」外陣と内陣
[中下]同〔同市同〕同:同「同」「本堂」外陣にて
[右下]同〔同市同〕同:同「同」「本堂」「立圓寺」扁額
.
1130分 正法山「立圓寺」発→
1138 JR東田子の浦駅前交差点 着→
1141 JR東田子の浦駅 着
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JR東田子の浦駅】
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[13][左上]旧東海道街並〔富士市中柏原新田〕風景:JR東田子の浦駅前交差点
.
[
右上]同〔同市同〕風景:「JR東田子の浦駅」駅舎前にて
[左下]同〔同市同〕同:東海道線「同」開駅70周年記念解説板
[中下]同〔同市同〕同:同「同」駅舎後方に見える富士山を back
[右下]同〔同市同〕同:同「同」駅舎後方に見える富士山
.
1155分「JR東田子の浦駅」発
1230分 富士市と沼津市の境に到着
1253分 沼津市桃里 着
1321分 沼津市一本松 着
.
【旧東海道街並風景〔富士市中柏原新田→沼田新田→沼津寺桃里→同市一本松〕】
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[14][左上]旧東海道街並〔富士市中柏原新田〕風景:路傍の花「百日紅」
.
[
右上]同〔同市同〕風景:「富士市中柏原新田」から「沼津市」に入る所の旧東海道にて
[左下]同〔沼津市桃里〕同:旧東海道にて1
[中下]同〔同市同〕同:同上2
[右下]同〔同市一本松〕同:路傍の花「アメリカフヨウ」
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1329分「原、一本松一里塚跡」着→
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【旧東海道街並風景〔沼津市原〕「原、一本松一里塚跡」】
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[15][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「原、一本松一里塚跡」解説碑
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[
右上]同〔同市同〕風景:「原、一本松一里塚跡」にて1
[左下]同〔同市同〕同:同上2
[中下]同〔同市同〕同:同上3
[右下]同〔同市同〕同:「原、一本松一里塚跡」 4
.
1336分「原、一本松一里塚跡」発→
1351分「旧東海道を横切る沼川から富士山遠望を back に」着→
.
【旧東海道街並風景〔沼津市原〕「原、一本松一里塚跡」】
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[16][左上]Google 航空 map : 「原、一本松一里塚跡」→「臨済宗建長寺(白隠(はくいん))派/鵠林山(こくりんざん)松蔭寺(しょういんじ)」への経路図
.
[
右上] 旧東海道街並〔沼津市原〕風景:旧東海道1
[左下]同〔同市同〕同:同上2
[中下]同〔同市同〕同:旧東海道から富士山遠望
[右下]同〔同市同〕同:旧東海道を横切る沼川から富士山遠望を back 1
.
1355分「旧東海道を横切る沼川から富士山遠望を back に」着→
1422 JR原駅前を通過→
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【旧東海道街並風景〔沼津市原〕「旧東海道を横切る沼川から富士山遠望を back に」→ JR原駅前】
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[17][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:旧東海道を横切る沼川から富士山遠望を back 2
.
[
右下]同〔同市同〕同:同上3

[左下]同〔同市同〕同:同所(旧東海道)から富士山遠望
[中下]同〔同市同〕同:「白隠正宗」高嶋酒造
[右下]同〔同市同〕同:JR原駅前を通過
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1437分「松蔭寺」着
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【臨済宗建長寺(白隠(はくいん))派大本山/鵠林山(こくりんざん)松蔭寺(しょういんじ)1
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1279(弘安02)年 鎌倉円覚寺無学祖元(1226-86)の流れを汲む天祥西堂の開山と伝わる
1624(寛永元)年 沼津大聖寺の大瑞宗育が、京都臨済宗妙心寺派大本山妙心寺を本山、先日訪れた興津清見寺(せいけんじ)を中本山とする本末関係を結び再興
1649(慶安02)1017日 将軍家光から高十四石六斗五升の朱印状を下賜され、原宿(東海道)の禅宗寺院として公許された
. 臨済宗中興の祖 白隠慧鶴(1686-1769)が住職になり松蔭寺は全国に知られるようになった
. 白隠(幼名:岩次郎)は、駿河原宿(現・沼津市原)の商家・長澤家の三男として生まれた
1699(元禄12) 15歳で松蔭寺3世単嶺住職の元で得度、慧鶴と命名された
1716(享保元)年末に原宿に帰郷
1717(享保03)年 松蔭寺に入山
1718(享保03)年 白隠と号し正松蔭寺5世住職に就任
. 白隠の名声が高まるにつれ松蔭寺には門弟が集い、数百人に及ぶ大集団を形成した
.
[18][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「松蔭寺」全景
. 「松蔭寺」山門の反対側(東側・海寄り)」から墓地越しの全景
. 墓地中央の松の下に白隠慧鶴(はくいんえかく(1686-1769))の墓がある
.
[
右上]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「山門」前にて
[左下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」山門横にある「白隠禅師の墓」碑にて
[中下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」山門を入って左手にある「開山堂・山門」解説板
[右下] 同〔同市同〕同:「松蔭寺」「開山堂・山門」解説板右横にある「摺鉢の松」の幹〔樹齢350年〕
. 当該幹の更に右横に朽ちて2010年に伐採された「摺鉢の松の幹」がある〔今回は写真撮影してない〕
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[19][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「松蔭寺」境内にある「良寛さんの句碑〔白隠禅師の句を良寛が書したもの〕」
. 石碑には「君看雙眼色/不語似無憂」とある
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[右上]「良寛さんの句碑」解説
[左下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「圓通殿」を back
[中下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「圓通殿」から「本堂」を望む
[右下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「圓通殿」から「山門」()初め境内を望む
.
[20][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「松蔭寺」「圓通殿」前にて「本堂」を back
. 小生と本堂屋根の間には「天辺の松」が見える
. 松の天辺(てっぺん)に清水焼きの摺鉢が被さっている
.
【摺鉢の松逸話】
. 境内には摺鉢を被った黒松があった
. 岡山藩主 池田継政(1702-76)は参勤交代を終え東海道を下る途中、当寺に白隠を訪問し所望の品を問うと、ちょうど小僧が割って欠かしていた摺鉢を望んだ為、継政は備前焼の大摺鉢を届け、白隠はそれを境内の台風で折れた松の枝の傷口を覆う様に被せた
. 摺鉢は松脂に接着され、枝から落ちることなく松の成長と共に高さを増し、名所となった
1985(昭和60)年 が、白隠生誕300年を記念して清水焼きのものに交換
2010(平成22)913日 松が枯れ倒壊の恐れが出たことから伐採された
.
[右上]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「圓通殿」内陣を望む
[左下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「『根信大』の 扁額」
[中下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「圓通殿」外陣から内陣を望む
[右下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」墓地にある白隠禅師の墓解説板
.
[21][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「松蔭寺」白隠禅師の墓1
. 三基ある向かって左側の墓が白隠禅師の墓
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[右上]同〔同市同〕同:「松蔭寺」同上2
[左下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」同上3
[中下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」同所前にある3人の墓の caption の石碑
[右下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」「御朱印」
.
[22][左上]「松蔭寺」leaflet()
.
[
右上]「松蔭寺」同()
[左下]Google 航空 map : 「松蔭寺」→JR原駅への経路図
[中下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」山門前にあった白隠の里案内看板
[右下]同〔同市同〕同:「松蔭寺」山門前の参道
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1528分「松蔭寺」発→
1532分「白隠慧鶴誕生地」着
1548 JR着原駅
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【「白隠慧鶴誕生地」→ JR原駅】
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[23][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:「白隠慧鶴誕生地」にて
.
[
右上]同〔同市同〕同:「白隠慧鶴誕生地」解説板
[左下]15:52 JR原駅発→15:59 JR吉原駅着への時刻表
[中下]同〔同市同〕同:JR原駅前にて
[右下]同〔同市同〕同:JR原駅 platform にて
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1552 JR原駅発→
1559 JR吉原駅 着
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JR吉原駅→帰宅】
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[24][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:JR吉原駅 platform から同駅近隣駐車場に駐車中のマイカー
. 駐車料金@500/日の案内も見える
.
[
右上]JR吉原駅近隣駐車場にて
[左下]1611JR吉原駅近隣駐車場発
[中下]1946分 帰宅〔走行距離:復路154km/走行時間 3時間32(3分の誤差は途中コンビニにてのトイレ休憩〕
[右下]此の日の歩行距離 20.4km / 歩行歩数 26,705
.
1552 JR原駅発→
1559 JR吉原駅 着
.
【小生 comments
. 此の日も楽しく充実した1 walking だった
. 松蔭寺を訪れ、白隠慧鶴の往時に想いを馳せたひとときが特に良かった
. 今後の旧東海道五十三次 walking 一人旅は、蔓延防止措置追加8県に静岡県も入っている為、「沼津宿」→「三島宿」迄踏破したら、9月以降に解除される迄見合わせ、変わって今度は、地元の姫街道「見附宿」→「市野宿(浜松宿)」→「「気賀宿〔気賀関所〕」→ 「三ヶ日宿」→ 「嵩山宿」→「御油宿」を歩いてみようと思っている〔了〕
.
続いての話題である
. 昨日(088)は「思い立ったが吉日」で、新城市の湯谷温泉郷の『湯の風 HAZU』に日帰りで行って来た
.
 【湯谷温泉郷『湯の風 HAZU』】
.
. 暑い日中での温泉♨️と鮎をはじめとする川魚と山菜のランチは格別
. 拙宅から、マイカーで一般道を1時間で行ける三河国旧吉田(=豊橋市)はいい街だ
.
[25][]湯谷温泉郷の『湯の風 HAZU』前にて長女一家と
.
[
右上]ランチの席で(まだ昼食が用意される前)
[右中]『湯の風 HAZU』の直ぐ下を流れる豊川の 支流「宇連川」
[右下]昼食会場
.
[26][左上]食事処「望川」の宇連川添いのdeckにて〜孫たちと
.
[
右上]同「同」同〜孫たち
[左下]『湯の風 HAZU』入口のコノハズクの置物
[中下] 食事処「望川」入口
[右下]『湯の風 HAZUlobby 近くにて〜寛ぐ長女一家4
.
[27][左上]食事の前と後に温泉♨️で寛ぐ
.
[
右上]食後の入浴入口の案内
[左下]温泉♨️の露天風呂〜温泉の向こうは宇連川1
[中下]同上1
[右下]食事処「望川」の昼食の お品書と dessert
. 写真 up の構成上、食事処「望川」を最初に掲載
.
[28][左上]前菜
.
[
右上]絹姫salmon(向う側の赤身肉)と鮎(手前)の刺身
. 絹姫salmonは、虹鱒とアマゴの交配種
[左下]手巻き寿司
[中下]鮎塩焼き
[右下](鮎つみれ)&御飯・吸物・香物
. 鍋(鮎つみれ)のお汁(つゆ)がとっても美味しかった(^^;
.
[29][左上]宇連川を back
.
[
右上]『湯の風 HAZU』を back
[左下]『湯の風 HAZU』から宇連川を望む
[中下]「愛知県民の森」の小川で遊ぶ孫たち1
[右下]同上2
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️■続いての話題である
. 少し昔の思い出から、「20191109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第1回】「柴又帝釈天」→「浅草寺」、【第2回】東京都美術館『コートールド美術館』展に続いて訪れた【第3回】上野の森美術館『ゴッホ』展→パナソニック汐留美術館『ラウル・デュフィ』展を巡って」についてである
. 以下、20191129()【時習26回37の会 0785】から引用する
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1120分 上野の森美術館着
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【上野の森美術館『ゴッホ』展】
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. 本企画展について、主催者に拠る《ごあいさつ》から引用してご紹介する
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. 「〔前略〕Van Gogh (1853-90)の画業は僅か10年に過ぎませんが、現在知られている独自のstyleを確立する迄には多くの試行錯誤がありました
. 聖職者への道を閉ざされ画家を志した1880年以降には〔中略〕Maris兄弟といった Hague (= The Hague School )の作家との出会いから、日々を生きる農民の姿を丁寧に描写し、自然の人々のありの儘を写し取ることを学びました
. Paris に出た1886年頃からは、印象派の Pissarro Monet、或いは後に Van Gogh と共に Post-印象派(= Impressionists )と呼ばれることになる Gauguin や、Signac といった画家たちと親しく交流しました
. 其の中で取り入れることになった原色を対比させる明るい色濃いと筆触を明確に残す描画方法は、Van Gogh style を決定づけることになったのです
. 本展では、こうした19世紀後半に Holland で活躍した「Hague 派」と、France で新たに興った「印象派」の二つの芸術家 group との出会いと交流から、Van Gogh の画風の変化と発展を紐解いて行きます。〔後略〕」
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[30][左上]上野の森美術館本企画展看板前にて1
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右上]同上2
[左下]Van Gogh『農婦の頭部』1885
[右下]同『器と洋梨のある静物』1885
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[31][左上]Camille Pissarro(1830-1903)『エラニ―の牛を追う娘』1884
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[右上]Paul Cézanne(1839-1906)『オワーズ河畔の風景』1873-74
[左下]Van Gogh『麦畑とPoppies1888
[右下]同『麦畑』18886
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[32][左上]同『男の肖像』188810月末から12月中旬
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右上]同『糸杉(Cypresses)18896(サン・レミ(Saint-Remy))
[左下]同『夕暮れの松の木』18896(サン・レミ(Saint-Remy))
[右下]同『薔薇』18905(サン・レミ(Saint-Remy))    
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【小生comment
. Hague (= The Hague School )は、19世紀後半 Holland の都市 Hague を拠点に活躍した画家、ヤコブ、マティス、ウィレムの Maris 三兄弟やマウフェ、ウェイセンブルフ等が中心となった group のこと
. Van Gogh は、彼等との直接的な交流は1885年頃には途絶した
. が、Goghが此の時期に彼等から教わった画材の扱い方や眼前のmotifを直向きに観察する姿勢は、彼の画家としての土台を形成した
. 1886228 Van Gogh は、弟テオが住む France Paris Montmartre のアパートに同居を始めた
. 本企画展では、Van Gogh の他、添付写真[02][左上][右上]にある様に、Pissarro Cézanne の他、Sisley (1839-99)Monet (1840-1926) Renoir (1841-1919)Gauguin (1848-1903)Signac (1863-1935)の絵も見ることが出来、嬉しかった
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1200分 上野の森美術館発→徒歩→
1203分 上野公園『西郷隆盛像』着
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[33][]西郷隆盛像
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右上]西郷隆盛像の前にて1
[左下]同上2
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1207分 同所発→上野駅→東京メトロ銀座線→
1238分 銀座駅着→徒歩16分→
1254分 パナソニック汐留美術館着
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【パナソニック汐留『ラウル・デュフィ』展】
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. 華やかで明るい色彩と軽妙な筆致の作品で、現代でも多くの人々を引き付ける画家ラウル・デュフィ(1877-1953)。本展では、modernで優美な絵画と、〔中略〕デュフィのtextile design関連作品を一堂に展示する。陽光溢れる穏やかな南仏の海と活気ある室内を描いた『ニースの窓辺』を始め、音楽や社交をthemeにした油彩画等、生きる喜びに満ちた作品を描いたデュフィ‥〔後略〕〔本企画展leafletより引用〕
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[34][左下]パナソニック汐留美術館入口の本企画展看板前にて
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]Raoul Dufy(1877-1953)『花(4色展開のdesign原画の1)1913-23年頃
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[右下]同館本企画展leaflet
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[35][]同『公式Reception1942
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[左下] 同『ニースの窓辺』1928
[右下]同『Mozartに捧ぐ』1915
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[36][右上]同『赤いViolin1946
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[
]同『Concert1948
[右下]同『Console1949年頃
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【小生comment
. 小生、ラウル・デュフィを知った約四半世紀前から、彼の原色を使った奇抜で鮮やかな色彩感覚と、サヽヽっと書き付けた様な軽妙で洗練された筆致が大好きで、拙宅の廊下に数点  postcard をミニ額縁に入れて飾っている
. 上記添付写真[05][右下][07][右下]の絵を見乍ら、beer wine を飲むと一寸いい気分になる
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1320分 パナソニック汐留美術館発→徒歩2分→
1322分 旧新橋停車場〔初代新橋駅〕=鉄道歴史展示室=日本の鉄道発祥の地 着
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【旧新橋停車場〔初代新橋駅〕=鉄道歴史展示室=日本の鉄道発祥の地】
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. 1872(明治05)年 我国初の鉄道が「新橋~横浜」間に開通
. 当時の新橋停車場は、現在の新橋駅からは東へ350m程の汐留地区にあったものを2003年に復元
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[37][右上]旧新橋停車場外観1
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[
]同上2
[右下]同上3
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[38][]同上4
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[
右上]旧新橋停車場解説
[右下]鉄道歴史展示室案内看板
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1327分 旧新橋停車場発→徒歩→新橋駅→東京メトロ銀座線→日本橋→東京メトロ東西線→竹橋→
1404分 東京国立近代美術館着
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【小生comment
. 復元された旧新橋停車場は、なかなか立派な建物である
. 此処が、鉄道唱歌第一番「汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり 愛宕の山(1)に入り残る 月を旅路の友として」と唄われた初代の新橋駅である
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(
1)愛宕山(あたごやま):東京都港区愛宕にある丘陵 / 標高25.7m / 天然の山としては東京23区内最高峰
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. 次回は、「1109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第4回】東京国立近代美術館『鏑木清方~幻の《築地明石町》特別公開』展→郷さくら美術館東京『現代日本画の精華』展を巡って・見て」をお届けする
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今日最後の話題は、四Tの前の2人の女流俳人のうちの1人、竹下しづの女(1887-1951)についてである
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. 竹下しづの女(本名:静廼(シズノ))の略歴は以下の通り
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1887(明治20) 0319日 竹下宝吉・フジの長女として福岡県京都郡稗田村(現・行橋市)に生まれる
1903(明治36)年 福岡女子師範学校(後の福岡教育大学)入学
1906(明治39)年 福岡女子師範卒業(京都郡久保小学校訓導となり1908(明治41)年 稗田小学校に転任
. 女子師範在学中に末松房泰に小説と「漢詩」の指導を受ける
1911(明治44)年 小倉師範学校助教諭 / 音楽国語担当
1912(大正元)年 水口伴蔵(福岡県立福岡農学校教諭)と結婚 / 23女を儲ける
. 育児の傍ら本格的に句作を始め、吉岡禅寺洞(1889-1961)・高浜虚子(1874-1959)に師事
1920(大正09) 08月「短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎」が「ホトトギス」の巻頭句に
. 中央の俳壇でも認められるようになり、杉田久女・長谷川かな女と共に大正期の女流黄金時代を創出
1928(昭和03)年 高濱虚子と会い俳句再開 / 同人に推挙
1931(昭和06)年 夫 伴蔵が粕屋農学校校長に
1933(昭和08)年 夫 伴蔵が48歳で急逝 / 福岡県立図書館に司書として勤務
1935(昭和10)09月「緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的」が再び「ホトトギス」の巻頭を飾った
1937(昭和12)年 機関紙「成層圏」を指導
1949(昭和24)年 九大俳句会の指導を始める
1951(昭和26) 0803日 賢臓病で逝去(享年64)
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[39][左上]竹下しづの女
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[
右上]「短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎」を image した画像
[左上]「緑蔭や矢を獲ては鳴る白き的」を image した画像
[右下]昭和55年 大学弓道部OB射会で的を狙う小生(左端)
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[40][左上]「痩せて男肥えて女や走馬灯」を image した画像
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[
右上]「鶲来て母は毎日不在なり」を image した画像
[左下]「苺ジャム男子はこれを食ふ可らず」を image した画像
[右下]「女人高邁芝青きゆゑ蟹は紅く」をimageした画像
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. 以下に、竹下しづの女の代表作を、小生がimageした画像と共に6句ご紹介する
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. 第1句目は‥
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.  短夜や乳ぜり啼く児を須可捨焉乎(すてつちまをか)  竹下しづの女
.            大正09年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
.
. 師範学校を出て、小説を書くことを志したこともあるしづの女は、当時二女二男の母親として多忙の中にあった
. 其の様な中での思いが書き留められた此の句は、「母親失格」「鬼の様な母親」「万葉仮名を使用した知識のひけらかし」等と、主として男性作家からの攻撃の矢を浴びた。此れ等〔中略〕いわれなき非難に対して、「瞬時の叫び」である、としづの女は書いている
. 「捨てっちまおか・否捨てられない」という思いの一句なのだ、と
. しづの女の代表作となった〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」(角川学芸出版)より引用〕
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【小生comment
. 漢籍の素養があった竹下しづの女らしい一句
. 「ホトトギス」に投稿して数か月で同誌の「巻頭」を飾る才能は流石である
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. 第2句目は‥
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.  緑蔭や矢を獲()ては鳴る白き的  竹下しづの女
.            昭和10年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
.
. 緑世界の中に立った真っ白な的
. 其の的に矢が命中した瞬時を描き切って見事な一句である〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」」(角川学芸出版)より引用〕
. 暗い緑陰に据えられた真新しい白い的にひょうと射られた矢は見事に命中した
. 其の快音を活写した作であるが、的中した瞬間、パシッと鳴る快音が、再び其の的を被うている緑陰に弾ね返っている点に注意したい〔中略〕
. 此の句の場合、的其のものを擬人的に扱っている効果も見逃すことは出来ない〔楠本憲吉『昭和秀句Ⅰ』(春秋社)より引用〕
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【小生comment
. 小生、学生時代に弓道をやっていたので、此の句が大好きだ
. 緑陰と白い的の色彩や、静寂の中で矢が的に中る音、弓を射る人物の勇姿が3次元空間に存在するbalance の妙が、凄く知的にそして爽やかに詠み手に迫って来る名句である
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. 第3句目は‥
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.  痩せて男肥えて女や走馬灯  竹下しづの
.            昭和10年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
.
. 此の一句の「肥えて女や」に、多くの苦労を背負い乍らも丸顔でふっくらしたしづの女の容姿を重ねる
. ゆったりと寛いだ着物姿
. 「痩せた男」は現実の男というよりも、今は亡き夫かと思われるのは「走馬燈」の力によろう
. 追っても追っても辿り着けぬ姿‥〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」」(角川学芸出版)より引用〕
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【小生 comment
. 「痩せた男」と「走馬燈」‥ / しづの女の脳裏には、もう二度と戻って来ない嘗て共に暮らした昔日の夫の面影が過(よぎ)った瞬間を「走馬燈」で表している処が此の句の妙‥
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. 第4句目は‥
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.  鶲(ひたき)来て母は毎日不在なり  竹下しづの女
.            昭和10年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
.
.
 此の句の前に「母帰るや否や鶲が来しといふ」がある
. 次男健次郎は16歳、三女淑子はまだ14歳、自身の疲れより何より、待ちかねて「鶲」のことを伝える子の寂しさに心を痛めているしづの女〔中略〕
. 其の「鶲」を(一緒に)並んで眺めたならば、という思い
. 叶わぬ願いを籠めた一句であるが、確りと、子の思いを受け止めた一句でもある〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」」(角川学芸出版)より引用〕
.
【小生 comment
. 可愛らしい「鶲」を見たことを帰宅した母に伝えようとする我が子の健気さが堪らなくいじらしく感じられる句‥
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. 第5句目は‥
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.  苺ジャム男子はこれを食ふ可らず  竹下しづの女
.            昭和10年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
.
. 「女子専門学校父兄会に出席して」の【前書】の「苺ジャム」三句。〔中略〕此の【前書】を知ると、女子専門学校という空気感や、若い女生徒と共にいる楽しさの様なものも伝わって来る〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」」(角川学芸出版)より引用〕
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【小生 comment
. 漢籍や万葉仮名を駆使するしづの女とは別の女性らしさの一面を知る一句で、なかなかいい
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. 第6句目は‥
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.  女人高邁芝青きゆゑ蟹は紅く  竹下しづの女
.            昭和13年作 句集『颯』(昭和1510月刊行)所収
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. 此の年8月、橋本多佳子の北九州小倉の櫓山荘で、多佳子一家が此の地を離れる別れの宴が開かれた〔中略〕
. 此の宴に招かれたしづの女は多佳子の一回り上の亥年
. 夫を亡くしたという同じ境涯で、多佳子を慮ったであろう
. 「女人高邁」という賛辞は、多佳子への、そして「女人は斯くありたきもの」というしづ女自身の思いであろう〔中略〕
. 「芝青きゆゑ蟹は紅く」は、漢詩にも強いしづの女の自然な発語であろうが、緑の中に紅を見せる
. 強く鮮やかな対比が、「女人高邁」を更に引き締めたものにしている〔後略〕〔鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~「激しく瞬時を生きて〔寺井谷子(1944- )〕」」(角川学芸出版)より引用〕
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【小生 comment
. 橋本多佳子と竹下しづの女が此処で結び付いている
. 橋本多佳子は、「ホトトギス」先ず杉田久女に師事したが、彼女と通して、「四T」の先駆けとなる、竹下しづの女と杉田久女(1892-1946)が繋がる〔了〕
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【後記】湯谷温泉郷に出かける前の話‥
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. 長女の処の孫娘(小学1年生(65ヶ月))は、帰省先の拙宅でも violin のお稽古を欠かさない
. 立派な心掛けと実行力だ
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.[41][左上][右下]5枚:孫娘のviolin のお稽古
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. では、また‥〔了〕


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