2021年8月20日金曜日

【時習26回3−7の会 0874】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第92回/員外~第903句~914句〕」「08月13日:旧東海道五十三次一人旅「JR原駅→「原宿 渡邊本陣跡」→「松蔭寺」→「大諏訪・松長一里塚跡」→「沼津宿 中村脇本陣跡」→「同 高田本陣跡」「同 清水本陣跡」→「同 間宮本陣跡」→「沼津日枝一里塚跡」→「潮音寺」→JR沼津駅」を歩いて」「少し前の想い出~2019年11月09日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第4回】東京国立近代美術館『鏑木清方』&『常設』展→郷さくら美術館東京『現代日本画の精華』展を巡って」「女流は俳人「四T」の前の二人のうちのもう一人『杉田久女』」

◼️皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です

. 今日も【時習26回3-7の会 0874】号をお届けします

. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第92回/員外~第903句~914句〕」をご紹介する

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903灯臺(とうだい)(1)の油(あぶら)こぼして押(おし)かくし  同

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【意】要領を得ない其の料理人は、灯台の油を補給して置く様に命じられたが、其の油をすっかり溢(こぼ)して仕舞ったが、其の事を押し隠して黙っていた

【解説】《名残表》《》/ 前句、家の料理人として採用した男の注文通りで出来たことのない仕事ぶりの悪さを詠んだものとした / 前々句の延々と続く難陳の一方で、此の様なこともあっただろうと、俳諧的に空想した句

(注1)灯臺(とうだい):屋内照明用の灯(ともしび)

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904  臼(うす)をおこせばきりぎりす飛(とぶ)  人

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【意灯油を溢した上に臼を起こして持っていこうと動かすと、臼の下からコオロギ飛び出した / もう秋だ

【解説】《名残表》《》:きりぎりす /

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905 ふく風(かぜ)ゑのころぐさ(注1)のふらふらと  同

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【意】今はもう秋 / 庭のエノコログサが秋風に靡(なび)いて揺(ゆ)れている

【解説】《名残表》《》:ゑのころぐさ /

(注1)ゑのころぐさ(狗尾草):イネ科の一年草 / 路傍に普通に見られる雑草 / 高さ 30~50cm / 夏、茎頂に緑色の円柱状で芒(のぎ)の多い、子犬の尾に似た花穂をつける / 別名「ネコジャラシ

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906 半(なかば)はこはす築(つき)やま(注1)の秋(あき)  下

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【意】築山を改造しようと一部分を壊して工事中である / 其の庭山でもエノコログサが秋風に揺れている

【解説】《名残表》《》: /
(注1)(つき)やま(=築山):底本では「筑やま」/ 庭園等に山に見立てて土砂又は医師等を用いて築いたもの

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907 むつむつと(注1)(つき)みる顔(かほ)の親(おや)に似(に)て  同

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【意】/ 月を眺めるのも、楽しいという様子もなく、むっとした顔親に似た顔の不愛想な男 / 気に入らないと代々受け継がれて来た築山も壊して仕舞う程の頑固な男である

【解説】《名残表十一》《》: / 前句の築山は改造中ではなく「壊(こわ)す」した
(注1)むつむつと:口数が少なく愛嬌のない様(さま)

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908  人(ひと)の請(うけ)(1)にはたつこともなし  人

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【意】人付き合いなどしたことがない程の親譲りの頑固な男 / 他人の保証人に立つなど、元より眼中にない

【解説】《名残表十二》《》/
(注1)請(うけ):連帯保証人・身元引受人

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909 にぎはしく瓜(うり)(1)や苴(あさ)(2)やを荷(にな)ひ込(こみ)  下

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【意】瓜だ麻だと小商いに来る男 / 陽気で騒がしい / 此れでは人様の保証人など頼まれる人間ではない

【解説】《名残》《》: /
(注1)瓜(うり):底本では「爪」と誤記
(注2)苴(あさ)「苴(かいしき)=掻敷=皆」は、食物を盛る器や神饌の下に敷く木の葉 / 檞(かしわ)・南天の葉等常緑樹の葉を用いた / 後代、紙も用いた

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910  干(ほ)せる疊(たたみ)のころぶ町中(まちなか)  人

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【意】土用干しの畳を路上に並べていると、瓜や麻など様々な商品が運び込まれて来る / 騒々しく、畳が商品や道具に当たって倒れる

【解説】《名残》《》:干(ほ)せる畳 / 繁盛している街の様子が伝わって来る

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911 おろおろと(注1)小諸(こもろ)の宿(しゅく)の昼(ひる)時分(じぶん)  

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【意】干した畳が風でバタンと倒れた / 何処か間の抜けた信濃国小諸の町の真昼時の風景だ

【解説】《名残》《》/ 一転して寂しい宿駅の真昼時の様子に転じた
(注1)おろおろと:疎略である / 緊張感に欠ける

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912  皆(みな)同音(どうおん)(1)に申(まうす)念佛(ねんぶつ)  人

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【意】小諸の街を、信濃国善光寺参りの旅人団体が声を合わせて念仏を唱え乍ら通り過ぎて行く

【解説】《名残》《》/

(注1)同音(どうおん):異口同音 / 一斉に

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913 百万(ひゃくまん)(1)くるひ所(どころ)(2)よ花(はな)の春(はる)  下

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【意】能「百万」が愈々climaxを迎えた / 女主人公「百万」が最も華やかな処を見せる場面だ / 地謡(ぢうたひ(=謡曲の地(ぢ)の文を大勢で謡うこと))も一斉に称名(=「南無阿弥陀仏」)を唱和する

【解説】《名残》《》:花の春 /

(注1)百万(ひゃくまん)「百万」は、能の一 / 四番目物 / 現行曲は世阿弥の改作 / 奈良の女曲舞師(くせまいし)百万が、我が子の行方知れずに狂乱し、嵯峨(さが)の釈迦堂の大念仏に紛れ入り、僧に伴われた我が子に巡り会うという話 / 此の能「百万」は、春三月に舞われる
(2)くるひ所(どこ):歌舞などの芸をすること

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914  田楽(でんがく)(1)きれてさくら淋(さび)しき  人

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【意】能の興行が終わったら、田楽も品切れになった / の花見此れではちと淋し

【解説】《挙句》《》:さくら /

(注1)田楽(でんがく)豆腐田楽のこと

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【小生 comment

. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第93回 / 員外~第915句~926句〕をご紹介する / お楽しみに!

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続いての話題は、旧東海道五十三次一人旅 walkingJR原駅→JR沼津駅」についてである

. 08月13日(金)は、週一回の平日公休日

. 先週に引き続き、旧東海道五十三次一人旅 walking「JR原駅→「旧東海道 原宿 本陣跡」→「松蔭寺」→「長興寺」→「JR片浜駅」→「松長一里塚跡」→「八幡神社(神明神社・金山彦神社)」→「沼津藩領境榜示〔従是東〕」→「丸子神社・浅間神社」→「旧東海道 沼津宿 中村脇本陣跡→高田本陣跡→清水本陣跡→間宮本陣跡」→ 「玉砥石」・「沼津 日枝一里塚跡」→「潮音寺」→「沼津藩領境榜示〔従是西 沼津領〕」→「御菓子処 光来堂『沼津黄瀬川 源氏 双柿(ふたがき)』」→JR沼津駅」を巡って

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01時15分 起床→腹筋2,000回

01時50分 2.5kg木刀素振り25分→入浴→朝食→

02時47分 拙宅発→一般道3時間03分 162km→

05時50分 JR原駅近隣駐車場着

06時12分 同所発→徒歩→

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【拙宅→JR原駅→同駅近隣駐車場着】

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[01][左上]02時47分 拙宅発

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[右上]Google 航空 map : JR原駅近隣駐車場→「旧東海道 原宿 本陣跡」への経路図

[左下]JR原駅

[中下]JR原駅前にて

[右下]JR原駅近隣駐車場にて

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06時19分「旧東海道 原宿 本陣跡」着

06時31分「大本山 松蔭寺 山門前」着

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【旧東海道街並〔沼津市原〕風景 :「旧東海道 原宿 本陣跡」→「松蔭寺」】

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[02][左上]旧東海道 原宿 本陣跡にて

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[右上]同 同 本陣跡解説碑

[左下]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:旧東海道

[中下]Google 航空 map :「旧東海道 原宿 本陣跡」→「松長一里塚跡」への経路図」

[右下]大本山 松蔭寺 山門前の参道にて

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【大本山 松蔭寺】

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[03][左上]摺鉢松の幹前にて

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[右上]摺鉢松の幹1

[左下]同上2

[中下]現在の摺鉢松1

[右下]同上2

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06時41分「長興寺」着

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【旧東海道街並〔沼津市原〕風景】

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[04][左上]旧東海道街並〔沼津市原〕風景:旧東海道

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[右上]白隠禅師の宿坊「長興寺」の看板

[左下]「長興寺」山門

[中下]「同」山門脇の「白隠禅師の宿坊」解説碑

[右下]「同」同「同」解説碑にて

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07時22分 沼津市大塚着

07時36分 沼津市今沢着

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【旧東海道街並〔沼津市大塚〕風景】

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[05]旧東海道街並〔沼津市大塚〕風景:東海道本線

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[右上]同〔同市同〕同:旧東海道

[左下]同〔同市同〕同:同所にて

[中下]同〔同市今沢〕同:旧東海道

[右下]同〔同市同〕同:同所にて

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08時00分 JR片浜駅 着

08時05分 同所 発

08時14分 旧東海道街並〔沼津市松長〕風景 : 海鼠壁土蔵のある街道添い民家 着

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【JR片浜駅】

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[06][左上]旧東海道街並〔沼津市今沢〕風景:街道脇民家の小ざっりした庭先に咲いていた可憐な「テッポウユリ」

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[右上]同〔同市同〕同:旧東海道に示された「JR片浜駅」の道標

. 「JR片浜駅」は、国鉄が分割民営化される直前1987(昭和62)年3月に開業した駅

[左下]同〔同市同〕同: JR片浜駅前にて1

[中下]同〔同市同〕同:同上2

[右下]同〔同市松長〕同:同所近くにあった海抜5.5mの標識.

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【旧東海道街並〔沼津市松長〕風景】1

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[07][左上]旧東海道街並〔沼津市松長〕風景:旧東海道路傍の花「百日紅」

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[右上]同〔同市同〕: 街道添い民家の海鼠壁土蔵1 同所前にて

[左下]同〔同市同〕: 同上2

[中下]同〔同市同〕: 同上3 同所にて1

[右下]同〔同市同〕: 同上4 同上2

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08時39分 松長一里塚跡 着

08時45分 同所 発

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【旧東海道街並〔沼津市松長〕風景2:「松長一里塚跡」】

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[08][左上]旧東海道街並〔沼津市松長〕風景:「松長一里塚跡」碑

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[右上]同〔同市同〕: 同所にて

[左下] 同〔同市同〕: 同所にて

[右下] 同〔同市同〕: 同所にて

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08時55分 旧東海道街並〔沼津市大諏訪〕着

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【旧東海道街並〔沼津市大諏訪〕風景】

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[09][左上]Google 航空 map:「松長一里塚」→「沼津宿本陣跡」への経路図

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[右上]同:「沼津宿本陣跡」→「玉砥石」・「沼津日枝一里塚跡」への経路図

[左下]同:「沼津日枝一里塚跡」手前→「潮音寺」方面への経路図

[中下]旧東海道街並〔沼津市大諏訪〕風景:旧東海道添い民家

[右下]Google 航空 map:「沼津日枝一里塚」→ 「従是西 沼津領」碑・「潮音寺」への経路図

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09時23分 旧東海道街並〔沼津市小諏訪〕着

09時37分 同〔同市西間門〕着

09時42分 同〔同市同〕八幡神社・「従是西 沼津領」碑 着

09時50分 同所 発

【旧東海道街並〔沼津市大諏訪→同市小諏訪→同市西間門(にしまかど)〕風景】

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[10][左上]]旧東海道街並〔沼津市大諏訪〕風景:旧東海道にて

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[右上]旧東海道街並〔沼津市小諏訪〕風景:旧東海道にて

[左下]同〔同市西間門〕同:旧東海道にて

[中下]同〔同市同〕同:八幡神社〔神明神社・金山彦神社〕参道・鳥居

[右下]同〔同市同〕同:「従是西 沼津領」碑と解説板

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【旧東海道街並〔沼津市西間門〕風景:「従是西 沼津領」碑】

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[11][左上]旧東海道街並〔沼津市西間門〕風景:「従是西 沼津領」碑にて

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[右上]同〔同市同〕同:「従是西 沼津領〔沼津藩領境榜示〕」解説板

[左下]同〔同市同〕同:八幡神社〔神明神社・金山彦神社〕参道・鳥居前にて

[中下]同〔同市同〕同:同〔同〕社殿前にて

[右下]同〔同市同〕同:路傍の花「ヤノネボンテンカ」

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10時02分 旧東海道街並〔沼津市東間門〕着

10時07分 同〔同市同〕旧東海道添いの築地塀の民家 着

10時28分 同〔同市浅間町〕「丸子神社・浅間神社」着

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【旧東海道街並〔沼津市東間門〕風景】

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[12][左上]旧東海道街並〔沼津市東間門〕風景:街道脇にあった「間門」由来解説板

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[右上]同〔同市同〕風景:新中川に架かる旧東海道「間門橋」

[左下]同〔同市同〕同:旧東海道添い民家の築地塀と百日紅はじめ立派な庭木群

[中下]同〔同市同〕同:同所前にて

[右下]同〔同市浅間町〕風景:「丸子神社・浅間神社」鳥居

. 元々「浅間神社」だったが、1877年「丸子神社」が此の地に移り「一扉社」となった

【旧東海道街並〔沼津市東間門〕風景「丸子神社・浅間神社」】

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[13][左上]旧東海道街並〔沼津市東間門〕風景:「丸子神社・浅間神社」御由緒碑

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[右上]同〔同市同〕同:「同」拝殿にて

[左下]同〔同市同〕同:「同」拝殿

[中下]同〔同市同〕同:「同」御朱印

[右下]同〔同市同〕同:「同」御由緒 leaflet

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10時47分 同〔沼津市浅間町〕「丸子神社・浅間神社」発

11時03分 同〔同市本町〕「沼津宿中村脇本陣跡」着

11時08分 同〔同市本町〕「沼津宿高田本陣跡」着

11時13分 同〔同市下本町〕「沼津宿清水本陣跡」着

11時08分 同〔同市下本町〕「沼津宿間宮本陣跡」着

11時11分 同〔同市下本町〕「沼津宿間宮本陣跡」碑前のコンビニ7/11 着

11時23分 同所発

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【旧東海道街並〔沼津市本町・下本町〕風景「沼津宿 中村脇本陣跡・高田本陣跡・清水本陣跡・間宮本陣跡」】

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[14][左上]Google 航空 map:「沼津宿1脇本陣跡&3本陣跡」経路図

. 実際には、経路図より1本東側狩野川添いのさんさん通りを北上して通横町交差点を御成橋通を70m程西進、旧東海道迄戻り南進、「高田本陣跡」に気付かず通過して最初に「中村脇本陣」に到着

. 其の後、3本陣跡の位置をGoogle map で確認

. 中村脇本陣跡の同じ旧東海道東側を50m北にある「高田本陣跡」を訪れた

. 再び中村脇本陣跡前を通過して更に120m程南にあった北上開始する前の 旧東海道迄戻り、旧東海道を西側の下本町側へ横切り今度は再び北上、「清水本陣跡」着

. 同宿最後に清水本陣跡から北に50mの「間宮本陣跡」着

. 記念撮影の後、間宮本陣跡前(西側)がコンビニ7/11だったので此処で軽食を摂った

先に為「丸子神社・浅間神社」→「沼津宿脇本陣&本陣跡」→「沼津日枝一里塚跡」への経路図の通りには歩かなかった

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[右上]旧東海道街並〔沼津市本町〕風景:「中村脇本陣跡」にて

[左下]同〔同市同〕同:「高田本陣跡」にて

[中下]同〔同市下本町〕同:「清水本陣跡」にて

[右下]同〔同市同〕同:「間宮本陣跡」にて

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11時48分 狩野川 着

12時10分「玉砥石」・「沼津日枝一里塚跡」着

12時18分 同所 発

12時48分「潮音寺」着

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【旧東海道街並〔沼津市上土町→平町〕風景】

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[15][左上]Google 航空 map:「沼津宿本陣跡」→「沼津日枝一里塚跡」への経路図

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[右上]旧東海道街並〔沼津市上土町(あげつちちょう)〕風景:「狩野川」

[左下]同〔同市平町(ひらまち)〕同:「玉砥石」解説板

[中下]同〔同市同〕同:「同」

[右下]同〔同市同〕同:「同」同所にて

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【旧東海道街並〔沼津市平町〕風景:「沼津日枝一里塚跡」】

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[16][左上]旧東海道街並〔沼津市平町〕風景:「沼津日枝一里塚跡」にて1

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[右上]同〔同市同〕同:「同」同上2

[左下]同〔同市同〕同:「同」同上3

[中下]同〔同市同〕同:「同」解説板

[右下]同〔同市大岡〕同:右側が「潮音寺」へ続く旧東海道

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【旧東海道街並〔沼津市大岡〕風景:「潮音寺」】

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[17][左上]旧東海道街並〔沼津市大岡〕風景:「潮音寺」解説板

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[右上]同〔同市〕同:「潮音寺」山門前にて1

[左下]同〔同市〕同:「潮音寺」同上2

[中下]同〔同市〕同:「潮音寺」同上3

[右下]同〔同市〕同:「潮音寺」本堂にて

. 本堂の扁額「東海山」が心に温かく感じられる

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13時10分「潮音寺」発

13時11分「和菓子屋『光来堂』」着

. 此処で「従是西 沼津領〔榜示石〕」碑 所在地を教えて貰った御礼に御当地銘菓「沼津黄瀬川 源氏『双柿(ふたがき)』」を一つ購入

13時21分 「従是西 沼津領〔榜示石〕」碑 着

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【旧東海道街並〔沼津市大岡〕風景:「従是西 沼津領〔榜示石〕」碑】

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[18][左上]旧東海道街並〔沼津市大岡〕同:「従是西 沼津領〔榜示石〕」碑にて1

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[右上]同〔同市同〕同:「同〔同(同)〕」同上2

[左下]同〔同市同〕同:「同〔同(同)〕」解説板

[中下]同〔同市同〕同:御当地銘菓「沼津黄瀬川 源氏『双柿(ふたがき)』」

[右下]同〔同市同〕同:同「同」を手に取る小生

. 御当地銘菓「沼津黄瀬川 源氏『双柿(ふたがき)』」がとても美味しかったので再び「光来堂」に立ち寄り10個拙宅への手土産として購入

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13時45分 和菓子屋「光来堂」発

14時17分 JR沼津駅 着

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【和菓子屋「光来堂」→「JR沼津駅」】

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[19][左上]旧東海道街並〔沼津市大岡〕風景:路傍の花「ハツユキカズラ」越しに「和菓子屋『光来堂』」の看板

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[右上]「和菓子屋『光来堂』」

. 「和菓子屋『光来堂』」は「潮音寺」の斜向かいにある

[左下]Google 航空 map:「和菓子屋『光来堂』」→JR沼津駅迄の経路図

[中下]旧東海道街並〔沼津市大手町〕同:「JR沼津駅」前にて

[右下]同〔同市同〕同:「同」platform にて

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【JR沼津駅→JR原駅→拙宅】

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[20][左上]14時36分JR沼津駅 発→東海道本線〔運賃@200円〕→ 14時43分 JR原駅 着時刻表

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[右上]JR原駅 platform にて

[左下]同駅前にて

[中下]此の日の歩行距離計19.9km / 26,060歩

[右下]此の日の走行距離計復路161kmと走行時間 2時間56分

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【小生 comments 】

. 今日は、思ったより雨量も少なく、旧東海道は、静岡県も蔓延防止措置が8月31日迄出ていたこともあって沼津駅前を除いて殆どひと気がなかった

. なので、安心して「旧東海道五十三次一人旅 walking を満喫出来た一日だった

. 帰途、マイカーで豊橋市に到着した辺りから急に雨足が酷くなったので「小生は『晴れ男』」を今日も確信した〔了〕

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少し昔の物語から、今日からは、「20191109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第4回】東京国立近代美術館『鏑木清方~幻の《築地明石町》特別公開~』→郷さくら美術館東京『「空-模様」日本画展』を巡って・見て」をお届けする

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14時02分 東京国立近代美術館着

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【東京国立近代美術館『鏑木清方~幻の《築地明石町》特別公開~』】

. 当美術館の今回の注目企画展は、『鏑木清方~幻の《築地明石町》の44年ぶりの特別公開~』だ。

[21][左上]東京国立近代美術館前にて

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[右上]同館前の本企画展看板前にて

[左下]同館入口『鏑木清方~《築地明石町》』ポスター前にて

[右下]原田直次郎(1863-99)【重文】『騎龍観音』1890年

[22][左上]中村彝(1887-1924)【重文】『エロシェンコ氏の像』1920年

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[右上]藤田嗣治(1886-1968)『五人の裸婦』1923年

[左下]佐伯祐三(1898-1928)『ガス灯と広告』1927年

[右下]中沢弘光(1874-1964)『夏』1907年

[23][左上]和田三造(1883-1967)【重文】『南風』1907年

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[右上]荻原守衛(1879-1910)『女』1910年

[左下]梅原隆三郎(1888-1986)『桜島(青)』1935年

[右下]奈良美智(1959- )『Harmless Kitty』1994年

[24][左上]鏑木清方(1878-1972)『築地明石町』1927年
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[右上]同『築地明石町』〔拡大図(部分)〕

[左下]同『新富町』1930年

[右下]同『浜町河岸』1930年

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【小生comment】

. [21][右下]原田直次郎『騎龍観音』~[23][右下]奈良美智『Harmless Kitty』の9点は、撮影可の作品で、久しぶりに見ることが出来、嬉しかった

. 鏑木清方『築地明石町』は、過日、現在『鏑木清方』展を開催中の名都美術館責任者の小塩さんから教えて頂いたもので、確かに素晴らしい傑作だった

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14時50分 東京国立近代美術館発→徒歩→

14時55分 竹橋→東京メトロ東西線→15時01分九段下→東京メトロ半蔵門線→

15時17分 渋谷→徒歩→15時24分東横線渋谷発→東横線→

15時28分 中目黒着→徒歩→

15時40分 郷さくら美術館東京着

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【郷さくら美術館東京『「空-模様」日本画展』】

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[25][左]目黒川に架かる別所橋
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[右上]郷さくら美術館東京前にて1

[右下]同上2

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[26][左上]齋藤満栄『管菊』2006年

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[右上]那波多目功一『昇陽菊図』1999年

[左下]中島千波『峻嶺 マッターホルン』2014年

[右下]下田義寛『モン・サン・ミッシェル』2000年

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[27][左上]土屋礼一『夕映』
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[右上]平松礼二『路・かまくら 装秋曲』1993年

[左下]水戸 童『焼陽富士』

[右下]竹内邦夫『落日の景』1992年

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[28][左上]伊達良『湿原』1994年
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[右上]仲 裕行『大理三塔』

[左下]林潤一『富士暮色』2005年

[右下]岩永てるみ『パリの休日』

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【小生comment】

. 本展は、『「空-模様」日本画展』と題する企画展

. 日本画の水準も高く、美しい風景がの on parade で満足出来る展覧会だった〔了〕

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さて、「四T」より前に活躍した近代俳句に於ける最初期の二人の女性俳人として、前号にて先ず一人目として竹下しづの女をご紹介させて頂いた

. 今回は、其の【第2回】として、もう一人の女流俳人、杉田久女(1890-1946)をご紹介させて頂く。

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【杉田久女】

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[29][左上]杉田久女1
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[右上]同上2

[左下]杉田久女(左)と杉田宇内(右)

[右下]晩年の杉田久女

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. 杉田久女(本名:久)の略歴は以下の通り‥

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1890(明治23)年 05月30日 大蔵省書記官・赤堀廉蔵と妻・さよの三女として鹿児島県鹿児島市で生まれた

. 父の転勤に撚り、12歳になるまで沖縄県那覇市、台湾嘉義県、台北市と、転居して過ごした

1908(明治41)年 東京女子高等師範学校附属高等女学校(現 お茶の水女子大学附属中学学校・同高等学校)卒業

1909(明治42)年 旧制小倉中学校(現 福岡県立小倉高等学校)美術科教諭(=画家)の杉田宇内と結婚

. 杉田宇内は、愛知県西加茂郡小原村(現 豊田市松名町)の素封家の跡取りで、東京美術学校(現 東京藝術大学)西洋画科出身

. 夫の任地である福岡県小倉市(現 北九州市)に転居

1911(明治44)年 長女 昌子(後の俳人石昌子)誕生

1916(大正05)年 次女 光子誕生

. 此の年、久女の家に寄寓した次兄 赤堀月蟾(げっせん)から俳句の手解きを受ける

1917(大正06)年「ホトトギス」1月号に初出句 / 同年5月に飯島みさ子邸の句会で高濱虚子に初めて出会う

. 私生活では、画家としての成功を期待していた夫が画を描かなくなったことに失望する一方、高浜虚子への崇敬の念を高め俳句で頭角を現していく

. 宇内・久女夫婦の実情を知った久女の実家から離婚が言い出されるが、宇内は承諾せず、久女自身も離婚を思い留まった

1920(大正09)年 腎臓病に罹患、俳句を一時中断する

1922(大正11)年 キリスト教に入信するも、やがて協会から離れ、再び俳句に専念する

. 中村汀女と交流し、橋本多佳子に俳句を教えた

1931(昭和06)年「谺して山ほととぎすほしいまゝ」が帝国風景院賞金賞20句に入選

1932(昭和07)年 女性専門俳誌『花衣』を創刊し主宰するも5号で廃刊に

1934(昭和09)年 中村汀女・竹下しづの女らと共に「ホトトギス」同人に

. 久女は句集の出版を切望し、高濱虚子に序文を依頼するも黙殺された

1936(昭和11)年 日野草城、吉岡禅寺洞と共に「ホトトギス」同人を除名される〔←除名の理由は不明の儘〕

1945(昭和20)年 10月 終戦直後の食料難で栄養障害となり福岡県立筑紫保養院に入院

1946(昭和21)年 01月21日 持病の腎臓病悪化により同病院で死去(享年55歳)

. 久女の墓は杉田家墓地にある

. 彼女が切望していた句集の出版が実現したのは、彼女の長女 石昌子に撚り『杉田久女句集』(1952年10月)以降で、石昌子の依頼に撚り、「序」は高濱虚子が寄稿している

. 高濱虚子は、其の「序」で、久女の作風を「清艶高華」と評している

1957(昭和32)年 長野県松本市の赤堀家墓地に分骨された  

. 此処の「久女の墓」の墓碑銘も長女・昌子の依頼に撚り虚子が書いている

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. 其れでは、杉田久女の俳句作品も6句を当該俳句をimageした画像と共に順次ご紹介していきたい

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[30][右上] 冬の朝道々こぼす手桶の水 を image  した画像

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. 第1句目は‥

.  冬の朝道々こぼす「手桶(おけ)」の水 杉田久女

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. 1917(大正06)年「ホトトギス」一月号「台所雑詠欄」所収・『杉田久女句集』(昭和27年10月角川書店刊)所収

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. 大正時代の日本では、まだ多くの家が共同の井戸で水を汲み、家の台所の水瓶迄運ぶことが主婦の毎日の仕事の一つであった

. 冬の寒い朝は、主婦にとって厳しい仕事だったに違いない

. 此の句は、「ホトトギス」誌『台所雑詠欄』に掲載された久女のdebut作である

【小生comment】

. 典型的な「台所俳句」からstartした杉田久女の俳句は、第2句以降を見ても解る様に、大きな変遷を遂げていくので、小生、いつ詠んでも興味が尽きなくて大好きだ!

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[30][右下] 熟れきつて裂け落つ李紫に を image  した画像

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. 第2句目は‥

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.  熟れきつて裂け落つ李紫に 杉田久女

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.      『杉田久女句集』(昭和27年10月 角川書店刊)所収

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. 熟れ過ぎた李(スモモ)が紫色に変色して落下した

. 普通の題材だが、此の句が久女の作品だと知って詠むと妖艶さを意識して仕舞うのは小生だけだろうか? 

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【小生comment】

. 此の句は、詠めば詠むほど艶っぽさを感じる句だ。

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[30][左]足袋つぐやノラともならず教師妻 を image  した画像

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. 第3句目は‥

.  足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女

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. 1921(大正10)年作・1922(大正11)年「ホトトギス」二月号所収・『杉田久女句集』(昭和27年10月角川書店刊)所収

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. 此の句は、次の様な変遷がある。

.  足袋つぐや【醜(しこ)】ともならず教師妻
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. 1952(昭和27)年「杉田久女句集」

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. 足袋つぐや【ノラ】ともならず教師妻

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. 1969(昭和44)年「杉田久女句集」〔再版本〕

. 此れは久女の代表作の一つ

. イプセン『人形の家』の女主人公のノラが、「では、さようなら」と言って夫ヘルメルのもとを去っていった

. 愛知県の小原村の素封家の跡取り息子で、画家を目指し乍ら中学教師に甘んじている夫の妻である久女

. 夫の赴任先の北九州・小倉で二児の母として、善良だが保守的な教師である夫に仕え、破れた足袋を繕い乍ら自嘲して詠んだ問題作

. 此の句は、俳誌「ホトトギス」誌上に掲載され、当時もかなり物議を醸した様だ

. 当時久女は32歳

. 夫との間も冷めた関係になった一方で、俳人としての知名度は上がって行った

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【小生comment】

. 此の夫婦間の冷めた関係とも受け取られる様な俳句を「ホトトギス」に投句する久女とは、当時としては破天荒な女性だったと思う

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[31][右上]朝顔や濁り初めたる市の空 を image  した画像

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. 第4句目は‥

.  朝顔や濁り初めたる市の空 杉田久女

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. 昭和02年作『杉田久女句集』(昭和27年10月角川書店刊)所収

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. 此れも久女の代表作で、38歳の作である

. 下五(座五)ぶある「市(いち)」とは、久女が暮らしていた小倉の街のこと

. 当時の久女は、女学校で図画と国語を教えたり、手芸やフランス刺繍の講習会の講師をしたり、充実した日々を過ごしていた様だ

. だからか、此の句は、気品があり格調高く凛とした響きを感じさせる傑作だ

. 此処で「鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~ 坂本宮尾(1945- )『美と格調』」(角川学生出版)から俳人杉田久女について、文章が一寸長くなるがご紹介したい

. 「杉田久女は天才型の詩人であった

. 彼女には鋭い直感と感受性、並外れた集中力、更に思いを的確に表現する言語能力という天賦の才が具わっていた

. 其れと同時に、向学心に富んだ猛烈な努力家でもあった。日本の古典、特に『萬葉集』『源氏物語』、又聖書を始めとする西洋文化句にも造詣が深かった

. 彼女は心ならずも小倉という地方都市で長年暮らすことになったが、古典に所縁のある筑紫の風景は、その詩心を刺激し続けた

. 中央俳壇から離れた此の地にあって、古今の俳書を渉猟して貪欲に学び、自身で句境を開拓して行った

. 師、高濱虚子に宛てた「夜あけ前に書きし手紙」で、久女は作句の基本姿勢を、「自分の生活にふれ、目に見、耳にきいた事

. 心の叫びを作句すること。とにかく拙くとも、自分の性格なり、生活にふれたことをつくり度いと思ひます〔中略〕深い魂の感銘を基礎としたまことの写生をして見たうございます」と述べている

. 彼女の創作の根底には、美しいものへの憧れ、深い感動、人生の詠嘆があり、普遍性を持つ作品に仕上げようと推敲を重ねて、表現技法を磨いて行った

. 久女作品は、豊かに情感を湛えた内容於いて浪漫派であり、韻文固有の美と格調を追求した端正な句姿という意味では古典派と言える。虚子が、久女の遺句集の序文で「清艷高華」と評した通り、清らかにして華麗であり、句柄が大きく、格調高い、独自の俳句世界を創り上げたのである」

【小生comment】

. 清々しい朝の情景が浮かんで来る名句だ

. そう言えば、竹下しづの女は現在の行橋(ゆくはし)市出身、杉田久女と橋本多佳子は現在の北九州市小倉に住んでいた

[31][左] 谺て山ほととぎすほしいまゝ を image  した画像
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. 第5句目は‥

.  谺(こだま)して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女

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. 昭和05年作『杉田久女句集』(昭和27年10月 角川書店刊)所収

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. 久女の俳句で最も著名な句として知られている

. 此の句は、福岡県田川郡英彦(えひこ)山で詠まれたもので、昭和05年秋に「ホトトギス」で採用されなかった為、大阪毎日・東京日日新聞社主催の虚子選「日本新名勝俳句」に応募した処、最優秀句20句の中に選出され、風景院賞を受賞した作品

. 久女は此の句について、「此の下五のほしいまゝ」の五字がどうしても出ず、何とか神社にお参りした帰りに白蛇を見たんですよ

. 其の日、家に帰ったら「ほしいまゝ」の五字を感得しました」と述懐しているが、如何にも俳句に一身を賭した「焔の女」らしい言葉であると思う〔以上、楠本憲吉『昭和秀句Ⅰ』より引用〕

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【小生comment】

. 初夏を表す季語である「ホトトギス」が鳴く山は、花々と新緑が目に染みる美しい季節だ

. そんな雰囲気を此の名句は高らかに詠う

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[31][右下]風に落つ楊貴妃櫻房のまゝ を image  した画像

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. 最後、第6句目は‥

. 風に落つ楊貴妃櫻房のまゝ 杉田久女

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. 昭和07年07月「ホトトギス」雑詠欄巻頭句『杉田久女句集』(昭和27年10月 角川書店刊)所収

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. 此れも、久女の絶頂期(1932年)の作品で著名な一句だ

. 「楊貴妃桜(ようきひざくら)」は八重桜 / 豊満な女性の肢体を想像させる濃艶な色彩を放つ

. 其の楊貴妃桜が盛りの儘、房ごと、風に折れて地に伏している様は、久女の本情に適うもので、山本健吉は、此の句を「ナルシスムの極致」と言っているが、至言であろう〔楠本憲吉『昭和秀句Ⅰ』より引用〕

. 春爛漫の雰囲気を醸し出している。叙景句であり乍ら、久女ならではの濃艶な抒情がある

. 楊貴妃桜の2句と仏生会の3句で、久女は「ホトトギス」昭和07年七月号で初巻頭となった 〔「鑑賞 女性俳句の世界 第1集 女性俳句の出発 ~ 坂本宮尾(1945- )『美と格調』」(角川学生出版)〕

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【小生comment】

. 前句【谺して山ほととぎすほしいまゝ】に次ぐ著名な句

. 久女が詠むと、此の句も艶っぽさを感じるから不思議だ〔了〕

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【後記1】今日は、旧行時代経験した「中日ドラゴンズ激励会」の写真と「平成7年1月2日 / 時習26回卒業 第3回同窓会 / 於 ホテル白豊」の記念写真を見つけたので、此れをご紹介して締め括ることとする

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[32][上] 平成07年1月2日 / 時習26回卒業 第3回同窓会 / 於 ホテル白豊

[下]平成05年03月24日 / 中日ドラゴンズ激励会にて高木守道監督(当時)との two shot

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[33]平成05年03月24日 / 中日ドラゴンズ激励会にて、小生(左)の右隣から川又・立浪選手、右端が仁村選手

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. 今は昔、27年前(満39歳)の皆さんの若々しい姿である

. 因みに小生は、最後列左から7番目に居る

. 我等が【3-7】は、市川君・伊東君・井上君・菰田君・下浦(原田)さん・林(恭)さん・山中(高木)さん・渡辺さんの8人、それに小生の全部で9人の顔が見える

. 会場のホテル白豊は既にない

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【後記2】08月13日(金)に walking を決行したことは大正解だった

. SNSで沼津市の天気予報を見たら、翌日の14日(日)より13日の方が圧倒的に降雨量が少なかったからだ

. 14日は、当地豊橋市も前日来かなりの雨が降った

. 其の14日未明に豊橋市→沼津市原迄の162kmをマイカーで走り続けるのはちと不安だし、傘さしただけの walking だったら14日だったらきっとずぶ濡れになっていただろう

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. 14日の朝、改めて walking が身体に与える健康の素晴らしさを確信した!

. 前日20km近く歩いたのだが、14日の朝は05時にスッキリした気分で目覚めた

. 背筋こそ疲労感があるが、昔決まって経験した運動した翌日に起こる頭のボーッとした感じや、首筋や手足の凝りがないのだ〔←老化に拠る感覚機能の低下かもしれないかもしれないけどネ(笑)〕

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[34]小生の08月14日朝の血圧ほか

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. 起きて早速血圧を測ってみたら、ご覧の通り126 / 86の数値で安心した

. 昨日と其の前最近2ヶ月間のほぼ毎週末計9回歩いた時の歩行記録をお示しする”Continuation is power “かな

. 因みに、左の「従是西 沼津領」の写真は、昨日訪れた旧東海道沼津宿の街道筋の一コマ

. 大好きな史跡を実際に自分の目で見、昔に思いを馳せることも、旧東海道五十三次一人旅 walking の醍醐味だ

. 此れから順次 up していく写真から漏れたものからの一枚

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. では、また‥〔了〕

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