今日最初の話題は、先日から再開した『猿蓑』〔巻之四〕『春』の〔第6回〕目をお届けする。
今回は、巻之四『春』の、発句全118句のうち第63句~74句についてである。
では、どうぞ‥
【 松尾芭蕉『猿蓑』〔巻之四〕『春』〔第6回〕】
猿蓑集 巻之四
高山に臥(ふし)て
63 春雨(はるさめ)や山より出(いず)る雲の門(もん) 猿雖
【意】山で一夜を過ごし、一夜明けて下山する際、春雨に遭遇した/
丁度其処が山で雲の生じる場所を雲門と言うが、正にその雲門を通って私は里に降りて来た【解説】―
64 不性(=無精(ぶしょう))さや掻(か)き起(おこ)されし春の雨 芭蕉
【意】春雨が降る朝、無精にも朝寝坊をして、(家人の誰かに)掻き起されて仕舞った
【解説】元禄04(1691)年2月頃 芭蕉48歳、伊賀上野の兄 半左衛門の家での作/同年二月廿二日付「珍夕(珍碩(ちんせき))宛書簡」が初案で、「不精さや抱(だ)起(おこ)されるる春の雨」にて掲出/
此の句からは、芭蕉が故郷へ帰ってのんびり寛(くつろ)いでいる感じが伝わって来る
65 春雨(はるさめ)や田簔(たみの)のしまの鯲賣(どじょううり) 史邦
【意】春雨が降る中を、田蓑のしまに泥鰌(ドジョウ)売りが売り歩いているヨ
【解説】―(注1)田蓑のしま:淀川河口付近の小島で歌枕
66 はるさめのあがるや軒(のき)になく雀 羽紅
【意】春雨が止んで、雀がチュンチュンと鳴き出した/巣作りに精を出していることだろう
【解説】―
67 泥亀(どろがめ)や苗代(なえしろ)水の畦(あぜ)つたひ 史邦
【意】苗代に水がはられ、畦伝いにスッポンがノソノソと歩いていく
【解説】―(注1)泥亀:スッポンのこと
68 蜂(ハチ)とまる木舞(こまひ)の竹や虫の糞(ふん)ン 昌房
【意】壁が崩れて木舞が露出している/それが虫に食われて糞(ふん)が付いている/丁度其処に蜂が飛んで来た/此れも眼前の春の一情景‥
【解説】―(注1)木舞:木舞は当て字/土壁の下地に編(あみ)状に組まれた竹の骨のこと
69 振舞(ふるまひ)(注1)や下座(しもざ)になをる去年(こぞ)の雛(ひな) 去来
【意】今年用意した新しい雛人形が上座に座った所為で去年の雛は下座に座らされている
【解説】『去来抄』に、此の句について、「此句は予おもふ処有(あり)て作す。五文字、古烏帽子(ゑぼし)・紙衣(ぎぬ)等は謂(いひ)過たり。景物は下心徹せず。あさましや・口惜(を)しやの類は果敢無(はかな)しと、今の冠を置て窺ひければ、先師曰、五文字に心をこめておかば、信徳が人の世や、成(なる)べし/十分ならずとも振舞にて堪忍有るべしと也」と記す
此れについて、幸田露伴「評釈/猿蓑」は、「これに拠れば『人の世や下座(しもざ)になほる去年の雛』としたい処であるが、それでは蕉風でなくなって仕舞う/此処は矢張り「振舞や」だろう」と述べている
元禄時代の雛人形は、紙製の粗末なもので、その分毎年新しく作り直して飾る/したがって、古くなった雛人形は格が下がり翌年には下座に置かれる定めとなる
(注1)振舞:身の処し方の意
70 春風(はるかぜ)にこかすな(注1)雛(ひな)の駕籠(かご)の衆(しゅう)(注2) 伊賀萩子
【意】春風に吹き飛ばされて転んで仕舞うなヨ/雛人形の駕篭舁(か)きさんたちヨ!
【解説】『去来抄』(先師評)に此の句について「先師、此句を評して曰、伊賀の作者、あだなる処を作して、尤なつかしと也」と記す(注1)こかすな:転倒する勿れという意
(注2)雛の駕籠の衆:三月(桃)の節句の頃、小型の駕籠に載せた雛人形、雛の諸道具を吊台でつって親戚等に贈る風習があり、それを担ぎ上げ又は付き添う者のこと
元々は、餅や甘酒等、桃の節句の祝品を籠に積み親類に配った処から始まった風習
71 桃柳(ももやなぎ)くばりありくやをんなの子 羽紅
【意】節句の祝に、女の子が桃花や柳の小枝を配り歩いている‥
【解説】これも「桃の節句」の一情景‥
72 もゝの花(はな)境(さかひ)しまらぬかきね哉(かな) 三川烏巣
【意】隣家との境に丁度桃の木があるので、花の盛りにはどちらの家からも鑑賞出来る/
両家の境がはっきりしない儘、楽しんで見ているのだ【解説】―
(注1)境しまらぬ:隣家との境界もはっきりしない意
73 里人(さとびと)の臍(へそ)落(おと)したる田螺(たにし)かな 嵐推(注1)
【意】田螺(タニシ)が田圃(たんぼ)の中を這っている/田螺はきっと里人落として行ったが臍(へそ)だ
【解説】―(注1)嵐推:作者については詳細不詳。
74 蝶(てふ)の來(き)て一夜(ひとよ)寝(ね)にけり葱(ねぎ)のぎぼ(注1) 半残
【意】朝、畑に行ってみると葱帽子に蝶が羽を休めている/きっと一晩此処に泊まったのだ
【解説】「春の野にすみれつみにと來し吾ぞ 野をなつかしみ一夜寝にける/山部赤人〔萬葉集
巻八〕」を踏まえるか‥(注1)葱のぎぼ:葱坊主/葱の花
【小生comment】
猿蓑「巻之四/春」を詠んでいると、元禄時代の当時から「俳句の『古今集』」だと評価されていたのが解る気がする。2月11日(日)から毎週お届けして来た「巻之四/春」も回を重ねて今回で第6回目、陽気もめっきり春めいて来たおり、次回お届けする時は『春分』の時節になっている。
■続いての話題は、去る03月03日(土)に、時習26回生の同期 中嶋君【3-2】らと「三河城郭史談会/日帰りbus旅行」で、「越前を旅する/金ヶ崎城&鶴ヶ城/天狗党の乱顚末〔武田耕雲斎墓所・松原神社〕/永賞寺〔大谷吉継菩提寺〕他」の史跡も巡って来た。
07時00分 豊橋公園発→豊川IC〔東名→名神→米原JCT→北陸自動車道〕若狭IC→
[01]上郷SA にて
途中、バスに右手前方に雪を頂いた 伊吹山 が見えて来た
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを / 藤原実方朝臣(51番)
[02]バスの車窓から伊吹山遠望
08時56分 大垣市難波野町辺りの名神高速道路を走るバスから撮影
此のお城巡りの会(日本城郭史談会)会長の高橋先生の話の中で、江戸城〔皇居〕周辺の今昔を比較した地図が配られた。
それに拠ると、現在の八重洲の辺りに 吉田藩邸〔大河内松平家七万石〕、赤坂辺りの三宅坂に 田原藩邸〔三宅家一万二千石〕、古地図の左(西の)端に、西大平藩邸〔大家越前守 大岡忠相が立藩/陣屋跡は、岡崎市大平町〕が見える。
[03]江戸城周辺の古地図
[04]現在の皇居(=旧江戸城)周辺の地図
10時15分 金ヶ崎城 到着
10時42分 金崎宮 を参拝して黄金色した御守を手にした
[05]金ヶ崎城跡・天筒山城跡碑 案内
[06]金ヶ崎案内看板にて
[07]金ヶ崎城址にて(参加者記念写真)
[08]金ヶ崎古戦場 石碑前にて
[09]金ヶ崎城跡から敦賀市街遠望
[10]金崎宮 本殿前にて
11時10分 敦賀 赤レンガ着
[11]敦賀赤レンガ 案内看板
[12]敦賀赤レンガ
11時20分 永賞寺着〔←大谷刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)吉継(1565(?)-1600)の菩提寺〕
大谷吉継の母親は豊臣秀吉の正室(お弥、高台院)の侍女「東殿」で、その出自は不明だが、豊臣秀吉の長浜城主時代には吉継と共に秀吉夫妻に仕えていたとされる。父親は不明だが、近江出身とも云われ、京都青蓮院門跡の坊官(寺務担当僧侶)大谷家の系図に吉継の名がある。
1589(天正17)年09月 前領主の蜂屋頼隆死去の後を受け、同年12月に大谷吉継が敦賀入りし、敦賀の町立て(都市整備)を開始し、敦賀城主となる。
1600(慶長05)年 徳川家康に従い、上杉征伐へ向かう途中、石田三成と佐和山で会談し、西軍につくことを決意。
同年09月15日(新暦同年10月21日) 関ケ原の戦では、東軍の藤堂高虎軍らと激突、善戦するが、小早川秀秋・脇坂安治らの裏切りに拠り隊が壊滅、自刃(享年36歳)。
辞世歌:契りあらば 六つの巷に 待てしばし 遅れ先立つ ことはありとも / 大谷吉継
[13]永賞寺門前にて
[14]同寺本堂前にて中嶋君と
11時35分 昼食処「建(たけし)」着
[15]食事処「建」入口
[16]昼食の御膳
12時40分 洲崎(すざき)(=荘山(しょうやま))の高燈籠〔1802年建立〕着
[17]洲崎の高燈籠前にて
[18]同燈籠の解説
13時15分 真宗大谷派 眞願寺着
[19]敦賀城跡のあった真宗大谷派 眞願寺 門前にて
[20]同寺境内の敦賀城跡石碑にて
13時35分 来迎寺 表門着
[21]敦賀城 中門が移築された来迎寺表門
[22]来迎寺表門(=敦賀城 中門)前にて
13時45分 水戸天狗党 首領 武田耕雲斎の墓陵前着
[23]武田耕雲斎之像&墓陵前にて
[24]武田耕雲斎以下353名の刑死の解説板
13時55分 武田耕雲斎の天狗党の353人が斬首される前に押し込まれていた 鰊倉 着
[25]鰊倉
[26]鰊蔵内部に掲示されていた「水戸天狗党の『水戸~敦賀』1,100kmの行程図」
14時25分 浄土宗鎮西派中本山 西福寺(さいふくじ)着
本寺は、1368年
後光厳天皇の勅願により建立御影堂、阿弥陀堂、書院、庫裏が国の重要文化財で、書院庭園が国の名勝に指定されている
[27]書院庭園1
[28]書院庭園2
[29]御影堂
[30]阿弥陀堂
[31]総門前にて
15時15分 敦賀市若葉町「さかなまち」着
[32]お土産に買った「地酒と若狭の塗り箸と、何故か静岡県川根茶」
[33]同じくお土産に買った「魚の日干しの開き8尾/キンメダイ2尾・鯵3尾・鯖3尾」
写真の キンメダイの開き 2尾 \1,500円を見ていたら、鯖の開き 3尾 を付けて \2,000! と言われ、悩んでいたら、鯵の開き 3尾を追加して、2,000円‼︎
あとで早速食したがとても美味しかった。
[34]お土産を手に「さかなまち」前にて
16時00分 北陸自動車道 若狭IC に乗り、朝来たcourseを逆に一路 豊橋公園へ向かい、19時30分着
[35]若狭市で仕入れた夕食の鯛寿司弁当
とても美味だった。
19時50分 帰宅〔了〕
■翌日の03月12日(月)は、14:00から名古屋のホテルにて開催された 寺島実郎講演会を聴いて来た。
そして、講演会終了後、松坂屋美術館『文化庁新進芸術家 海外研修制度 50周年記念』展「洋画」「日本画」「版画」を見て来たので、75名の展示作品の中から5点紹介する。
[36]寺島実郎講演会leaflet
[37]同講演会にて使用された資料集
[38]松坂屋美術館『文化庁新進芸術家 海外研修制度 50周年記念』展入口にて
[39]本展leaflet
[40]北 久美子(1945- )『風の景色…U』2017年
[41]山内和則(1949- )『室内』2017年
[42]川村悦子(1953- )『黄いろい花』2017年
[43]西田俊英(1953- )『月と孔雀』2017年
[44]入江明日香(1980- )『La foret noire』2017年
【後記】そして、松坂屋美術館を出て再び金山へ戻り、18:00から旧行時代の同期 佐藤君と一献傾けて、2時間程旧交を温めた。
[45]会場の9階から小生が2000年07月~2002年6月迄業務出向していたホテル遠望
[46]旧行時代の同期 佐藤君と
持つべきものは「友」ですネ!
即興にて拙句を一句‥
黄昏に 朋友(とも)と寛ぐ 彼岸前 悟空
では、また‥〔了〕
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