2017年6月10日土曜日

【時習26回3−7の会 0656】〜「松尾芭蕉『幻住庵記』〔第2回〕【五十年やや近き身は‥今年湖水の波にただよふ】」「06月02日:中部ガス名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を見て」「築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』を読んで」

■皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。今日も【時習26回3−7の会 0656】をお送りします。
 先ず前号から始まった『幻住庵記』の今日は〔第2回〕をお届けする。
 ご参考に、再度の繰り返しになるが、『野ざらし紀行』〜『嵯峨日記』に至る迄の経緯を以下に記す。
 松尾芭蕉は、貞享02(1685)年四月下旬に『野ざらし紀行』を終え、江戸に帰着した時から元禄04(1691)年四月十八日『嵯峨日記』を執筆した落柿舎へ。
  『野ざらし紀行』から『嵯峨日記』迄は、季節は同じだが6年の歳月が流れた。
 この間6年の芭蕉は、『笈の小文』『更科紀行』『奥の細道』『幻住庵記』等の傑作を生みだしている。
『幻住庵記』は、『嵯峨日記』からこれも丁度1年前の元禄三(1690)年四月六日から七月二十三日迄、膳所本多藩士 菅沼定常(曲水、のち曲翠)から借り受けた山荘での模様を記したもの。
 猶、『幻住庵記』の最後は、有名な句「先づたのむ椎の木もあり夏木立」で締め括り、「元禄三仲秋日」と記してあることから、八月下旬に脱稿したことを示している。
 以下に、『野ざらし紀行』を終え『嵯峨日記』の落柿舎へ行く迄の一連の芭蕉の動きを時系列的にごく簡単にご紹介すると‥
貞享02(1685) 12 (42)『野ざらし紀行』刊
貞享03(1686) 01 (43) 芭蕉庵にて 蛙の句二十番句合『蛙合』を興行/「古池や蛙飛びこむ水の音」
貞享04(1687) 01 (44) 幕府「生類憐みの令」発布
        0825日 芭蕉、曾良・宗波を伴い『鹿島詣』成る
        1025日 芭蕉、『笈の小文』の旅に出発
1112日 杜国・越人を伴い伊良子崎に遊ぶ「鷹一つ見付(つけ)てうれしいらご崎」
        12月下旬 伊賀上野に到着し越年
貞享05(1688) 0408 (45) 奈良・唐招提寺にて鑑真和上像を拝す「若葉して御めの雫(しづく)ぬぐはヾや」
        0420日 須磨・明石を廻って須磨に泊す/ 明石夜泊「蛸壺やはかなき夢を夏の月」‥『笈の小文』は此処で終わる
        0811日 芭蕉、越人を伴い美濃国を発ち、「更科の名月」を見に赴く
        0815日 姨捨山(をばすてやま)「俤(おもかげ)や姨(をば)ひとりなく月の友」
        0816日 善光寺に参拝 / 08月下旬 江戸帰着 / 0930日 元禄に改元
元禄02(1689) 0327 (46) 芭蕉、曾良を伴い『奥の細道』の旅に出発 / 千住「行春や鳥啼魚の目は泪」
        0513日 平泉「夏草や兵どもが夢の跡」/ 0527日 立石寺「閑さや岩にしみ入蝉の声」
        0603日 最上川「五月雨をあつめて早し最上川」/ 0616日 象潟「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」
        0712日 市振「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月」
        0725日 小松・太田(ただ)神社「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」
        0906日 大垣・芭蕉、伊勢神宮遷宮式参拝の為 如行宅を出発し『奥の細道』終わる /「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行く秋ぞ」
        0913日 伊勢神宮内宮参拝 / 0922日 伊賀上野へ帰郷
        1122日 服部土方の蓑虫庵にて伊賀門人九人吟五十韻俳諧
        秋〜冬:この頃【不易流行】を説く / 12月末 京都から膳所義仲寺へ / 同寺にて越年
元禄03(1690) (47) 0103日 膳所から伊賀上野へ帰郷 / 03月中旬迄 伊賀上野に滞在
        0401日 石山寺 参詣
【 ☆ 0406日 愛弟子の杜国死去(0320)の訃報を近江国・国分山「幻住庵」にて受け取る ☆☆ 】
【 ★★★ この頃より『幻住庵の記』執筆開始 ★★★ 】
     【 ☆ 06月上旬「幻住庵」から京都へ『猿蓑』を企画し18日迄滞在 / 0619日「幻住庵」へ帰着 ☆ 】
【 ☆ 0723日 大津へ移転 / その後、09月下旬迄 膳所「義仲寺」に滞在 ☆ 】
【 ☆ 0815日 膳所 義仲寺にて近江門人と「月見の会」を催す ☆ 】
【 ★★★ 〔 08月下旬『幻住庵の記』脱稿 〕★★★ 】
        0927日 一泊二日でへ、そして伊賀上野へ発つ / 11月上旬 伊賀上野から京都へ
        1223日 京都から大津へ、そして「義仲寺」にて越年
元禄04(1691) (48) 0106日 大津より伊賀上野へ〔伊賀上野に3か月滞在〕/3月下旬 伊賀上野から奈良へ〔曾良に再会?〕
        03月末 奈良から大津へ移動 / 0418日〜0504日迄 京都西嵯峨の「落柿舎」で過ごし『嵯峨日記』執筆開始

【幻住庵記】
《原文》
 予また市中を去ること十年(ととせ)ばかりにして(1)、五十年(いそぢ)やや近き身は、蓑虫の蓑を失ひ、蝸牛(かたつぶり)家を離れて、奥羽象潟(きさがた)の暑き日に面(おもて)をこがし(2)、高砂子(たかすなご) (3)歩み苦しき北海の荒磯にきびすを破りて(4)、今年湖水の波にただよふ。
 鳰の浮巣の流れ(5)とどまるべき葦の一本(ひともと)のかげたのもしく、軒端ふきあらため、垣根ゆひそへなどして、卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじと(6)さへ思ひそみぬ。

《現代語訳》
 私は又、江戸市中を引き払い深川の草庵に移ってから10年ほど経った頃、50歳近い齢になり、蓑虫が蓑を失い、カタツムリが家を離れる心境で、奥羽の象潟では暑い日に顔が日焼けし、深い砂地で歩行困難な北海の荒磯に踵(かかと)を破り、今年は琵琶湖の波に漂っている。
 カイツブリが浮巣を作るのに一本の葦の陰が頼もしく思われるが如く、(‥私にとってこの幻住庵は‥)軒端を葺き直し、垣根を結び添えたりして、卯月(四月)初旬、軽い気持ちで入山(=入庵)したのであるが、その儘山から降りたくないとさえ思い始め出した。

《語句》
(1) 市中を去ること十年ばかりにして:芭蕉(29)は寛文12(1672)年春、故郷伊賀上野から江戸に下った
   そして、それからほぼ10年目の延宝8(1680)年初冬、芭蕉(37)は江戸市中(=日本橋本舟町の名主卜尺方、小田原町の杉風方などの説がある)を引き払い深川・芭蕉庵に隠棲した
   更に、深川に隠棲後ほぼ10年後の元禄03(1690)年四月、芭蕉(47)は膳所の幻住庵に入庵した
   前年の元禄02(1689)年秋、奥の細道からの旅を終えた芭蕉は、大垣→伊勢→伊賀上野を経て、一時京都に滞在後、12月末に膳所の義仲寺の草庵にて越年、元禄03年正月03日に膳所から伊賀上野へ03月中旬迄滞在
   0401日 石山寺参詣後、0406日『幻住庵』に入庵する
(2) 奥羽象潟の暑き日に顔をこがし:元禄020616日『奥の細道』の旅で「象潟」を訪れた時のこと言っている
(3) 高砂子:深い砂地
(4) 北海の荒磯にきびすを破りて:北陸道の荒磯では踵(かかと)が破れて仕舞い / これも『奥の細道』の旅での出来事
(5) 鳰の浮巣の流れ:琵琶湖は「鳰の海」とよばれていた / 「鳰」はカイツブリ
(6) やがて出でじ:二度と(山を)出ない / 西行「吉野山やがて(A)出でじと思ふ身を花散りなばと人(B)や待つらん」(桜を愛でようと吉野山に入りその儘山から出るまい覚悟している我が身を、家族・友人たちは(西行は)花が散れば戻って来るだろうと思っている)による
    (A) やがて:その儘 / (B) 人:一般の人々ではなく、家族や知人等、特別な関係にある人をいう

【小生comment
 芭蕉が「行く春を近江の人とおしみける」(『猿蓑』)と著名な句を詠んだのも、『幻住庵記』が書かれた元禄03年か、落柿舎へ行き『嵯峨日記』を執筆した翌元禄04年春のいずれかの年である。
 この句については、近江の石・俳人・蕉門の江佐尚白(えさ しょうはく(1650-1722))が、「行く春を」を「行く歳を」に、「近江の人と」を「丹波の人と」にしてもよいのではないか、と議論した話が『去来抄』に載っている。
 矢張りこの句は「近江の人」でなければ当時の「琵琶湖の『春』色」という風流・風雅を解することは出来なかったであろう、というのが通説だが、それも頷ける。

■さて次の話題は、昨日私にとってこの幻住庵は0602日に中部ガスま名豊ギャラリーにて0611日迄開催中の中部ガス名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を見て来たのでその模様をお伝えする。
 本展の展覧会場である名豊ギャラリーは、今月からこれ迄の名豊ビルディング6階から小生が現在勤務している会社がある開発ビル9階に移った。
 同ギャラリーの移転後最初の企画展が本展である。
 日本水彩画会/豊橋支部三人展の三人とは、芳山家治、小出敏行、大竹良夫の3氏である。
 その中の 大竹良夫君は、我等が『時習26回生』【3-10】の同期生だ。
 以下に名豊ギャラリー・移転オープン記念展『日本水彩画会/豊橋支部三人展』を紹介している東愛知新聞のURLを記すので参照願いたい。
 http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/1101 ←此処をclickして下さい

[01]本展案内post card 絵は、芳山家治氏(第105回 日本水彩展)

[02]ギャラリー入口で紹介されていた大竹良夫君【3-10】の近影と彼のprofile
                  
[03]本展展示作品全26点一覧

[04]名豊ギャラリーでの小出()・芳山()・大竹()の各氏
                  
【小生comment
 三人展の作品は、大作が多く、見応えがあった。
 大竹君の作品は、9点出展されていた。
 彼の作品を同期の仲間としてこれから注目して行きたい。

■今日最後の話題は、築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』を最近読んだのでご紹介したい。
『脳が冴える15の習慣』とは具体的に以下の通りである。

[05]築山節『脳が冴える15の習慣~記憶・集中・思考力を高める』

【はじめに】良い習慣が脳を生まれ変わらせる P.03
【習慣01】生活の原点をつくる P.17 /脳を活性化させる朝の過ごし方 / 足手口をよくうごかそう
【習慣02】集中力を高める P.33 /生活のどこかに「試験を受けている状態」を持とう
【習慣03】睡眠の意義 P.47 /夜は情報を蓄える時間 / 睡眠中の「整理力」を利用しよう
【習慣04】脳の持続力を高めるP.59 /家事こそ「脳トレ」/ 雑用を積極的にこなそう
【習慣05】問題解決能力を高める P.73 /自分を動かす「ルール」と「行動予定表」をつくろう
【習慣06】思考の整理 P.85 /忙しいときほど「机の片づけ」を優先させよう
【習慣07】注意力を高める P.97 /意識して目をよく動かそう / 耳から情報を取ろう
【習慣08】記憶力を高める P.111/「報告書」「まとめ」「ブログ」を積極的に書こう
【習慣09】話す力を高める P.123/メモや写真などを手がかりにして、長い話を組み立てよう
【習慣10】表現を豊かにする P.135/「たとえ話」を混ぜながら、相手の身になって話そう
【習慣11】脳を健康に保つ食事 P.145/脳のためにも、適度な運動と「腹八分目」を心がけよう
【習慣12】脳の健康診断 P.153/定期的に画像検査を受け、脳の状態をチェックしよう
【習慣13】脳の自己管理 P.161/「失敗ノート」を書こう / 自分の批判者を大切にしよう
【習慣14】創造力を高める P.169/ひらめきは「余計なこと」の中にある /活動をマルチにしよう
【習慣15】意欲を高める P.129/人を好意的に評価しよう / 時にはダメな自分を見せよう
【番外】高次脳機能ドックの検査 P.195‥★最低限の脳機能を衰えさせていないか確認しよう

 本書は、15項目、全て納得出来る内容だった。例えば‥

【習慣04】脳の持続力を高める‥
・「若い頃の苦労は買ってでもしろ → 人の遣りたがらない雑用を自ら買って出て、コツコツとこなしていた人は、前頭葉が鍛えられ、意志的・主体的に行動する力の高い人に成り易い」
・「面倒くささ」に耐える力 → 「ロールスロイスを日本で一番売っていた営業マンの話 ‥ ★☆★ 彼は若い頃に奥さんに先立たれ、男手一つで2人のお子さんを育てざるを得なくなった / 仕事を出来るだけ早く終えて家に帰ると、食事をつくり、子供をお風呂に入れてから寝る / 洗濯やお弁当の用意もしなければならない / やがて子供達が成長してお父さんを助ける様になっていくが、仕事以外の雑用の為に使わなければならなかった時間は他の人より遥かに長かった筈 / それでいて、競争の厳しい業界でTopであり続けた / 凄いと思われるかもしれないが、脳の性質から考えると「必然的」と言える処がある / 遣らざるを得ないから毎日遣っていた家事が、いつの間にか膨大な基礎trainingの蓄積になり、「前頭葉の体力」が他の人とは違っていた / 同時に、仕事をする時間が限られて来るの(前頭葉の)基本回転数も上がり易く、専門的な知識や経験も蓄積されていくので、体力の上にtechnicも身についていく / 非常にbalance良く脳が鍛えられていたのである ‥ ★☆★
 実際、仕事が出来る人は、若い頃に苦労をしていたり、日常的に面倒な雑用を多くこなさざるを得ない場面を多く経験しているのではないだろうか
 ★「毎日自分を小さく律する」ことが、大きな困難にも負けない「耐性」を育てるP.64-65
 ☆脳を鍛えるときには、司令塔である「前頭葉」を鍛えることを意識するとよい
 ☆「前頭葉を鍛える」ときには、technic以前に「体力を鍛える」ことが大事
 ☆家事や雑用を積極的にこなすことは、「前頭葉の体力を高める」訓練委なる P.71

【後記】Facebookで、時習26回生【3-4】の岩瀬君が、一昨日の晩の「十四夜月」と昨晩の「Strawberry Moon」の写真を upした。
 それに小生がcommentしたので、その内容を以下にご紹介してお別れする。

20170608日付
【前書】今晩の月を「小望月(こもちづき)」とか「十四日月(じゅうよっかづき)」とも言うが、『待宵の月(まつよいのつき)』が趣があってボクは一番好きだ!

短夜(みぢかよ)に 君【待()宵の月】見事  悟空

[06]「十四夜月」(岩瀬敏君撮影)
                  
20170609日付
【前書】貴兄の此の写真をジッと見ていたら、シュールレアリスム(surrealisme)2人の画家の絵を合成したみたいダナァと彼等の作品を思い出した

[07]Strawberry Moon(岩瀬敏君撮影)

マグリット! デ・キリコ! の如(ごと) 夏の月  悟空

[08]岩瀬君の写真からinspirationを得て思い出したマグリット(2)とデ・キリコ(2)
                  
 では、また‥〔了〕

 ブログへは【0626】号迄のback numberURL:http://jishu2637.cocolog-nifty.com/blog←ここをclickして下さい


0 件のコメント:

コメントを投稿