2023年7月24日月曜日

【時習26回3−7の会 0956】〜2023/07/22 「JR米原駅→琵琶湖線→JR京都駅→奈良線→JR東福寺駅→徒歩→『今熊野観音寺』→徒歩→『泉涌寺(楊貴妃観音堂)』→徒歩→『東福寺』→徒歩→『光明院』→徒歩→JR東福寺駅→JR米原駅」と巡って / 2023/07/16 叔父今泉勇著「明治・大正・昭和と懸命に生きた わが父 わが母』」から

. 皆さん、お元気ですか? 今泉悟です

. クラス会についてのご意見をお聞かせ下さい
. Mail をお待ちしています
. サァ、今日も【時習26回3−7の会 0956】をお届けします
.

◼️先ずは、最初の話題である

. 一昨日(2023/07/22)は、いつもの JR豊橋駅⇔米原駅間の青空フリーパスを利用した琵琶湖岸 walking は、琵琶湖岸ではなく、「JR米原駅→琵琶湖線→JR京都駅→奈良線→JR東福寺駅→徒歩→今熊野観音寺→徒歩→泉涌寺→徒歩→東福寺→徒歩→(東福寺塔頭)光明院→徒歩→JR東福寺駅→JR米原駅」と巡ることにした

.

【最近巡った西国三十三所観音巡礼 第十一番〜第十四番札所&第三十一番札所」】

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. 小生、最近2年余りの間に以下の 5つの西国三十三所観音巡礼札所を巡っている

. 其処で、琵琶湖岸に比較的近い西国三十三所観音巡礼 第十五番札所「今熊野観音寺」が京都東福寺近隣にあるので訪れることにした

. 小生、此処はまだ訪れたことがない

.


[01][左上]2021/03/20 西国三十三所観音巡礼 第十一番札所「上醍醐 准胝堂(=醍醐寺)」:同所にて(上)・御朱印&御守

[右上]2023/07/08 同 第十二番札所「正法寺」:本堂・納経所を back に

[左下]2023/06/05 同 第十三番札所「石山寺」:東大門を back に

[中下]2023/08/25 同 第十四番札所「園城寺(三井寺)」:観音堂を back に

[右下]2023/07/02 同 第三十一番札所「長命寺」:御朱印&御守

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[注]上記数値は、西国三十三所観音巡礼札所訪問日

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[コメント欄1]2021/03/20 西国三十三所観音巡礼 第十一番札所「上醍醐 准胝堂(=醍醐寺)」の【国宝】五重塔1 同所にて

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[コメント欄2]同上2

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03:45 起床→腹筋2,000回

04:35 2.5kg木刀素振り30分

05:05 支度

05:15 拙宅発→自転車→

05:27 豊鉄「競輪場前」発→豊鉄東田本線→

05:45 豊橋駅着

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[注]上記数値は、西国三十三所観音巡礼札所訪問日

[コメント欄1]2021/03/20 西国三十三所観音巡礼 第十一番札所「上醍醐 准胝堂(=醍醐寺)」の【国宝】五重塔1 同所にて

[コメント欄2]同上2

.

03:45 起床→腹筋2,000回

04:35 2.5kg木刀素振り30分

05:05 支度

05:15 拙宅発→自転車→

05:27 豊鉄「競輪場前」発→豊鉄東田本線→

05:45 豊橋駅着

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【拙宅→JR豊橋駅】

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[02][左上]京都市と豊橋市の今日の天気

[右上]JR豊橋駅→JR東福寺駅迄の時刻表

[左下]出発前拙宅玄関前にて

[中下]豊鉄東田本線「競輪場前」にて

[右下]今日の切符:青空フリーパス JR豊橋⇔JR米原 ¥2,620 / 米原⇔東福寺 ¥1,170×2=¥2,340 / 計 ¥4,960

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06:35 JR豊橋駅発→東海道本線特別快速米原行き→

08:48 JR米原駅→琵琶湖線→09:43 JR京都駅着

10:00 JR京都駅発→奈良線→10:02 JR東福寺駅着

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JR豊橋駅→JR米原駅→JR京都駅→JR東福寺駅へ】

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[03][左上][右上 ]JR豊橋駅 platform にて1&2

[左下]JR米原駅 platform にて

[中下]Google 航空 map:JR石山駅→JR大津駅への経路図

[右下]同:JR大津駅→JR京都駅経由→JR東福寺駅への経路図

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10:13 JR東福寺駅発→徒歩→

10:36 今熊野観音寺着

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JR京都駅→JR東福寺駅→今熊野観音寺へ】

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[04][左上]JR京都駅 琵琶湖線 platform にて

[右上]同駅 奈良線 platform にて

[左下]Google 航空 map:JR京都駅駅→JR東福寺駅→今熊野観音寺への経路図

[中下]JR東福寺駅→今熊野観音寺への経路図

[右下]JR東福寺駅 platform にて

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10:29 御寺泉涌寺山門着

10:36 今熊野観音寺山門着

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JR東福寺駅→今熊野観音寺1】

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[05][左上]JR東福寺駅 同駅前にて

[右上]今熊野観音寺へ向かっていたら「御寺泉涌寺山門」が眼前に→同山門を潜り更に進む

[左下]今熊野観音寺 同山門前にて

[中下]同 参道

[右下]同 境内全景

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【今熊野観音寺】2

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[06][左上]今熊野観音寺 参道1 同所にて1

[右上]同 同上2 同上2

[左下]同 同上3 同上3

[中下]同 同上4 同上4

[右下]同 同上5 同上5

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【今熊野観音寺】3

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[07][左上]今熊野観音寺 本堂前の階段前の子まもり大師像前にて

[右上]同 本堂1 同所前にて1

[左下]同 同上2

[中下]同 同上3

[右下]同 御守(左)・西国三十三所第十五番御詠歌(中)・御朱印(右)

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. 当院は、825年頃、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開創

. 御本尊は、弘法大師が熊野権現より授かった一寸八分の観音像を体内物として大師自ら彫刻されたと伝わる一尺八寸の十一面観世音菩薩

. 後白河上皇は、当山を新那智山と号し、今熊野観音寺と称された

. 西国三十三所第十五番霊場、厄除開運の寺として知られる

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11:29 御寺泉涌寺 大門着

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【今熊野観音寺4(完)→御寺(みてら)泉涌寺1】

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[08][左上]今熊野観音寺 leaflet

[右上]Google 航空 map:今熊野観音寺から御寺泉涌寺への経路図

[左下]今熊野観音寺 本堂4 同所前にて2 

[中下]御寺泉涌寺 大門前にて

[右下]同 楊貴妃観音堂 同所入口前にて

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【御寺泉涌寺(せんにゅうじ)】2

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[09][左上]御寺泉涌寺 楊貴妃観音堂 同所前にて

[右上]同 同 解説板

[左下]同 楊貴妃観音(絵葉書)1

[中下]同 同(同)2 

[右下]同 楊貴妃観音堂入口前から【重文】仏殿を望む

.

. 泉涌寺を「御寺(みてら)」と称する理由は、皇室の菩提寺・香華院であるからに他ならない

. 仁治3(1242)年正月25日に四条天皇を泉涌寺月輪陵へ奉葬して以降の長きに亘る

. また当院は、【重文】楊貴妃観音像が安置されている楊貴妃観音堂も有名

. 寛喜2(1230)年、湛海律師が南宋から請来した木造の聖観音(楊柳観音)は、其の容貌の美しさから、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の面影を写させ造像したとの伝承を生み、江戸時代初め頃より「楊貴妃観音」呼ばれ信仰され、多くの女性から美人祈願の観音様として親しまれている

.

【御寺泉涌寺】3

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[10][左上]御寺泉涌寺【重文】仏殿 同所解説板

[右上]同 舎利殿

[左下]同 同所 解説板

[中下]同 御座所内から中庭を望む

[右下]同 御座所 庭園1

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【御寺泉涌寺】4

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[11][左上]御寺泉涌寺 御座所 庭園2 同所にて1

[右上]同 同 同上3 同所にて2

[左下]同 同 同上4 同所にて3

[中下]同 同 同上5 同所にて4

[右下]同 同 同上6

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【御寺泉涌寺】5

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[12][左上]御寺泉涌寺 御座所 庭園7

[右上]同 同 同上8

[左下]同 同 同上9

[中下]同 同 同上10

[右下]同 同 同上11 同所にて5

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【御寺泉涌寺】6

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[13][左上]御寺泉涌寺 leaflet1

[右上]同 同上2

[左下]同 同上3

[中下]同 御朱印:楊貴妃観音(左)&御本尊 霊明殿(右)

[右下]同 御座所から望む境内風景

. 青天に白雲、白砂の敷地に立派な伽藍が整然と並んでいる
. 亀井勝一郎(1907-66)が、著書『大和古寺風物詩』「唐招提寺」最後の処で、昭和17年秋訪れた唐招提寺の伽藍を見て表現した『伽藍の交響楽』という言葉を彷彿とさせる心地良い風景だ

.  亀井勝一郎著『大和古寺風物詩』「唐招提寺」締め括りの phrase は以下の通り‥

.

. ともあれ私はこれら伽藍の周囲をめぐりながら、様々な方角から眺めつつ、そのたびに変化する建築の妙味に陶然とするのである。これは【伽藍の交響楽】だ。透明な秋空にひびきわたるかと思われるほど鮮やかな輪郭をもってそびえている。

(注)猶、文中の【 】は小生加筆

.

12:20 泉涌寺発→徒歩→

12:41 東福寺臥雲橋着

.

【御寺泉涌寺7(完)→東福寺へ】

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. 東福寺は、平成26(2014)0607()~08(日)に一泊二日で開催された時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行の二日目の Optional Tour の最初に訪れた場所
. 同催事の代表幹事を担当した小生にとっては、大変想い出深い寺院である

.


[14][左上]Google 航空 map今熊野観音寺→泉涌寺→東福寺への経路図

[右上]御寺泉涌寺 境内図

[左下]泉涌寺から東福寺に向かう途中咲いていた路傍の花「鬼百合」

.

【前書】路傍の鬼百合酷暑の青天下可憐に咲くを愛でる

.

.  鬼百合や 京都の空に 染まる朱(あか) 悟空

.  鬼百合や 萬緑を背に 輝けり 悟空

.  真夏日に 鬼百合の朱(あか映え亙る 悟空

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[中下]大本山東福寺 名称『通天橋』道の道標前にて

[右下]同 臥雲橋「臥雲」扁額前にて

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東福寺1

.

. 此処東福寺臥雲橋から通天橋を望む景色は、1997(平成09)年秋のJR東海「そうだ京都、行こう」で紹介されていて有名な風景である

. [コメント欄]をご笑覧下さい

. 此の写真は、2014年06月07~08日に開催した「時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行 in 京都」の Optional Tour の訪問先にもした東福寺の事前訪問踏査の時のもので、2012/12/01 16:05 に此の通天橋を back に撮影したものである

. 紅葉の peak が過ぎた処だが、地面が紅葉に覆い尽くされ、此れも又最高の紅葉の一つの scene だった

.


[15][左上]東福寺 臥雲橋より通天橋を望む1 通天橋を back に1

[右上]同 同上2

[左下]同 同上3

[中下]同 同上4 通天橋を back に2

[右下]同 同上5

.

[コメント欄]

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東福寺2

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. 東福寺は、京都市東山区本町十五丁目にある臨済宗東福寺派の大本山の寺院 / 山号慧日山(えにちさん)/ 京都五山の第四位 / 25寺の塔頭を有する大寺院

. 本尊釈迦如来 / 創建:嘉禎02(1236) / 開山円爾(えんに(1202-80)) / 開基:九条道家(1193-1252) / 正式名慧日山 東福禅寺

.


[16][左上]東福寺 臥雲橋より通天橋を望む6 通天橋を back に3

[右上]同 同上7

[左下]同 同上8 通天橋を back に4

[中下]同 同上9

[右下]同 同上10 通天橋を back に5

.

東福寺3

.


[17][左上]東福寺 臥雲橋より通天橋を望む11 通天橋を back に6

[右上]同 臥雲橋より日下門へ到る道にて

[左下]同 大本山 東福寺 山内案内図

[中下]同 日下門前にて

[右下]同 日下門を潜り広がる伽藍風景1

.

東福寺4

.


[18][左上]東福寺 日下門を潜り広がる伽藍風景2 同所にて1

[右上]同 同上3 同上2

[左下]同 同上4

[中下]同 同上5 通天橋へ到る回廊前にて

[右下]同 同上6 左手奥に「方丈」を望む

.

東福寺5

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[19][左上]東福寺 方丈 八相庭園 解説板

. 八相庭園は、重森三玲(1896-1975)が昭和14(1939)年に作庭した名園

. 北斗七星、蓬莱(ほうらい)、瀛洲(えいじゅう)、壺梁(こりょう)、方丈、(京都)五山、八海井田市松(せいでんいちまつ)の八つの意匠を盛り込み、これが釈迦の生涯の八つの重要な出来事を表す八相成道因み【八相の庭され
. 方丈庭園で東西南北全てに庭園があるのは、全国でも東福寺のみ

[右上]同 同 同 東庭:北斗七星1

[左下]同 同 同 同上2 同上2 同所にて

[中下]同 同 同 南庭1左手手前から奥へ、瀛洲蓬莱壺梁方丈、五山、右手に八海

[右下]同 同 同 同上2 同上2 同所にて1

.

東福寺6

.


[20][左上]東福寺 方丈 八相庭園 南庭3同所にて2

[右上]同 同 同 同上4

[左下] 同 同 同上5同所にて3

[中下] 同 同 同上6方丈の扁額を back に

[右下] 同 同 同上7同所にて4

.

東福寺7

.


[21][左上]東福寺 方丈 八相庭園 南庭5:五山

[右上]  同 同 同上6瀛洲・蓬莱・壺梁

[左下]  同 同 西庭1井田市松

[中下]  同 同 同上2同所を back 

[右下]  同 同 同上3通天橋を望む1

.

東福寺8

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[22][左上]東福寺 方丈 八相庭園 西庭4:通天橋を望む2同所にて1

[右上]  同 同 同上5同上3 同上2

[左下]  同 同 同上6同上5

[中下]  同 同 同上7通天台にて通天橋を back 

[右下]  同 同 北庭1小市松1 同所にて

.

【東福寺】9

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[23][左上]東福寺 方丈 八相庭園 5小市松2

[右上]同 同 回廊にて1

[左下]同 同 同上2

[中下]同 同 東庭3:北斗七星3

[右下]同 同 同上4:同上4 同所にて

.

東福寺10

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[24][左上]東福寺 御朱印:通天橋(左)・厄除御守(中)大佛寶殿(右)

[右上]同 本堂(仏殿兼法堂)1

[左下]同 同上2 同所にて

[中下]同【国宝】三門1

[右下]同【同】同上2 同所を back に1

.

東福寺11

.


[25][左上]東福寺【国宝】三門3 同所を back に2

[右上]同【同】同上4

[左下]同【同】同上5

[中下]同【同】同上6 解説板

[右下]同【同】同上7

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東福寺12

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[26][左上]東福寺 本堂(仏殿兼法堂)3

[右上]同 東福寺解説板

[左下]同 本堂(仏殿兼法堂)4 本堂内部:釈迦如来立
. 脇侍摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像

. 本尊の釈迦三尊像は、1881(明治14)年に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された像(鎌倉時代の作)

[中下]同 同上5 天井図:堂本印象(1891-75)作「龍図」
. 八方睨みの龍と謂われる

[右下]同【重文】禅堂1

.

東福寺13

.


[27][左上]東福寺 禅堂2 同所解説板

[右上]同 同上3 同所を back 

[左下]同【国宝】三門1同所を back に3

[中下]同【同】同上14 同上4

[右下]同【同】同上15 同上5

.

東福寺14

.


[28][左上]東福寺【国宝】三門16

[右上]同【同】同上17

[左下]同【同】同上18

[中下]同【同】同上19

[右下]同【同】同上20 同所を back に4

.

14:00 東福寺六波羅門発→徒歩→

14:02 東福寺塔頭 光明院着

.

東福寺15()→光明院1

.


[29][左上]東福寺【国宝】三門21 同所を back に5

[右上]同 六波羅門

[左下]Google 航空 map:東福寺六波羅門から東福寺塔頭光明院への経路図

[中下]東福寺塔頭光明院 解説板

[右下]同 山門前にて

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光明院2

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. 光明院も、庭園が東福寺方丈庭園と同じ重森三玲の作庭に拠るもので、大変美しい

. 此の光明院も、9年前の時習26回生卒業40周年記念懇親会&旅行の Optional Tour 訪問先に選び訪れた懐かしい寺院である

.


[30][左上]光明院 山門を潜り境内を back 

[右上]同 境内の鬼百合

[左下]同 境内の桔梗

[中下]同 境内石碑横にて

[右下]同 丸窓から境内を望む

.

光明院3

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[31][左上]光明院 床の間を back

[右上]同 庭園風景1

[左下]同 同上2 縁側にて1

[中下]同 同上3 同上2

[右下]同 同上4

.

光明院4

.


[32][左上]光明院 庭園風景5 庭園を back に1

[右上]同 同上6 同上2

[左下]同 同上7

[中下]同 同上8

[右下]同 同上9 同上3

.

光明院5

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[33][左上]光明院 庭園風景10 庭園を back に4

[右上]同 同上11 同上5

[左下]同 同上12

[中下]同 同上13

[右下]同 同上14

.

光明院6(完)

.


[34][左上]光明院 庭園風景15 庭園を back に6

[右上]同 同上16 縁側にて3

[左下] 同上17 同上4

[中下]同 同上18 庭園を back に7

[右下]同 同同19

.

14:30 光明院発→徒歩→

14:50 JR奈良線「東福寺」駅着

.

JR東福寺駅→JR京都駅→JR野洲駅

.


[35][左上]JR東福寺駅 platform にて

[右上]JR京都駅〔奈良線〕platform にて

[左下]Google 航空 map:JR京都駅から米原駅方面への経路図

[中下]同:JR膳所駅辺りの鳥瞰図

[右下]停車した車窓からJR膳所駅の駅名が見えた

. 知らない人には膳所(ぜぜ)とはなかなか読めないだろう
. ただ東三河と膳所は、江戸時代開闢以来縁が深い

. 初期の藩主家は、関ヶ原の戦い後の慶長06(601)年、徳川家康は大津城に代わる城として、膳所崎に天下普請で膳所城を築城し、渥美郡多米町(現・豊橋市多米町)の領主から武蔵国高麗郡鯨井5石の領主になっていた譜代の戸田一西(かずあき)が3万石封、膳所藩立藩
. 一西が死去嫡男戸田氏鉄(うじかね)が跡を継、元和02(1616)大坂の陣武功を賞され摂津尼崎藩に、更に大垣藩10万石初代藩主となり、明治維新を迎えた

. 代わって譜代の名家伊奈本多家の本多康俊が3万石で入封 / 本多康俊の跡を継いだ本多俊次の代元和07(1621) 三河西尾藩に移

. 代わって伊勢長島藩より菅沼定芳が3万1千国で入封するも、寛永11(1634)年に  定芳は丹波亀山藩へ移封 / 代わって石川忠総(大久保忠隣の次男)が下総佐倉藩より7万石で入封 / 忠総の次代憲之の慶安04(1651) 憲之は伊勢亀山藩に移

. 本多家の再入部代わって、本多俊次が7万石で膳所に再入封し、以後(伊奈)本多家の領地として明治維新迄13代続いた

.

15:38 JR野洲駅 platform にて

16:30 JR米原駅発→東海道本線新快速→

18:40 JR豊橋駅着

19:30帰宅(了)

.

JR野洲駅→JR米原駅→JR豊橋駅

.


[36][左上]JR野洲駅 platform にて

[右上]JR米原駅 platform にて

[左下]JR米原駅→競輪場前迄の時刻表

[中下] JR豊橋駅 platform にて

[右下]今日の歩行距離 10.4km / 歩行歩数 13,657

.

【小生 comment 】

. 今日は、暑い京都での今熊野観音寺→泉涌寺→東福寺→光明院だったが、折り畳み用傘を日傘に、水分を2.5L飲み補給したので、体調も崩れることなく、充実した一日を過ごすことが出来た

. 帰りの豊橋駅で豊鉄の市電に乗ろうとしたら、豊橋祇園祭を見る人たちでごった返し、結局3台後の電車にやっと乗れた(了)

.

【後記】小生、2023/07/16の正午、去る今年5月末に亡くなった義叔母の四十九日忌法要が今泉の本家と菩提寺「全九院」にて執り行われたので参列したが、今日は其のことに関連した話題で締め括ることとする

. 法要閉式後、懇親会場「松寿し」にて、故・義叔母配偶者今泉勇叔父から「今般(2023/07/23)、皆さんに読んで頂こうと、我が両親「文治&一實(かずみ)」と兄弟姉妹10人の生い立ちを記した『明治・大正・昭和と懸命に生きた わが父 わが母』を著しました」と挨拶があり、頂戴して持ち帰った本が 写真として up した5

.

【叔父今泉勇著「明治・大正・昭和と懸命に生きた わが父 わが母』」から】

.


[01][左上]叔父今泉勇の両親(=小生の祖父&祖母)()・昭和551103日「豊橋市勢功労者」賞を授与される祖父今泉文治(文治)(当時79)()

[右上][左下][中下][右下]三男今泉勇叔父の長兄になる小生の亡父譲(ゆずる)の想い出「14.兄の出征(部分)&「兄の軍隊生活(部分)

.


[コメント欄]1. 豊橋市勢功労者一覧に載っている我が祖父今泉文治〔赤枠内〕

.


[コメント欄]2. [右下]文中「いなむら」の写真の例

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【小生 comment 

. 自作農であった祖父母の家(=小生の父方の実家)は、三河で最初の土地区画整理事業で春日大社と同じ読み方の春日(かすが)町になり、現在では豊橋市内でも屈指の人気住宅地区になった所である

. しかし、祖父母が結婚した大正10年代から昭和20年代の実家周辺は「新切(しんきり)「向郷(むかいごう)」と呼ばれ、豊橋市街と当時から美田として知られた多米(ため)町に挟まれた荒野の寒村だった

. 祖父母は、毎日田畑を牛と自らの鍬鋤で耕して、10人の子供を育てていた大変生活が苦しい時代であった

. で、亡父譲の高等小学校の担任の先生が、級長・副級長を務めていた譲を進学させようと両親(=小生の祖父母)を説得に訪れて、二人に受験を承諾させた

. が、もう其の時、愛知県内の岡崎師範は募集を締め切っていたので、浜松師範学校の募集最終日に担任の先生が願書を持参して申し込んでくれ、受験出来た

. 合格した父譲は、毎期末、其のお世話になった先生に成績結果を報告し続けたという

. 浜松師範学校に入り、勉学等に勤しんだのも束の間、第二次世界大戦の戦況悪化もあり、3年で繰上げ卒業し、「どうせ死ぬなら将校で死にたい」と陸軍特別操縦見習士官〔陸士特操第4期生〕に応募して入隊、大正1397日生まれの亡父は19歳の若さだった

. 因みに陸士特操第4期生同期生に元内閣総理大臣竹下登がいる

.

【前書】故・義叔母の四十九日忌法要に参列し、亡祖父母と亡父の想い出記を読み往時を忌明けに改めて懐しく振り返る

.

.  祖父母・父 在し日想ふ 小暑哉 悟空()

.

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