2021年10月18日月曜日

【時習26回3−7の会 0883】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第101回/員外~第1005句~1016句〕」「10月15日:天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」→旧姫街道「三ヶ日一里塚」「大谷一里塚」「小引佐」「ダイダラボッチの足跡」「山田一里塚」「気賀関所」天龍浜名湖鉄道「気賀駅」 同「三ヶ日駅」→Cafe gradual gallery 「田中絵里加 作品展」を巡って」「10月16日:長男の二男の七五三と、同三男の初宮参り〔真清田神社〕」「10月17日:アクトシティ浜松大ホール「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」を聴いて」「我等が母校:愛知四中OB富安風生・豊橋中学OB冨安昌也・時習館OB野田弘志」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です
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 今日も【時習26回37の会 0883】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第101回/員外~第1005句~1016句〕」をご紹介する
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.                           野水
1005 初雪(はつゆき)やことしのびたる桐(きり)の木()
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【意】初雪が今年すっかり成長した桐の木に降り積もっていますヨ
【解説】《発句》《冬》:初雪 /「桐」は「梧」に通ずるので、相棒の「落梧」への賞賛を込めて詠んだ
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1006  日()のみじかきと冬(ふゆ)の朝起(あさおき)  落
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【意】冬の日は短いので朝は早起きを心掛け、私も今朝、桐の枯枝に積もった初雪の景を見ましたヨ
【解説】《脇》《冬》:日のみじかき / 野水の《発句》「のびたる」に対して、落梧も《脇》「みじかき」と対照的な句で応じている
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1007 山川(やまがは)や鵜()の喰(くひ)ものをさがすらん  仝
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【意】雪の日は餌が少ない / 山川の河鵜(カワウ)達は食い物を探そうと冷たい水の中に潜(もぐ)っていく
【解説】《第三》《雑》/「鵜」は夏の季語だが、此処では冬の情景につき、季語と扱わない / 此処に登場する「鵜」を鵜飼の「鵜」とする説もある
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1008  賤(しづ)を遠(をち)から見()るべかりけり  野水
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【意】ひもじく餌にも困窮している文字通りの「賤(しづ)」である / 雪の朝、こういう貧しい風景は、遠くから見るからこそ絵になるのであって、近くから見れば賤しく醜い下世話なものだ
【解説】《初表四》《雑》/ 前句で、餌を探しているのは「鵜」ではなくて鵜飼とした /
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1009 おもふさま押合(おしあひ)(つき)に草臥(くたびれ)つ  同
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【意】名月を見に月の名所に来てみたら、押し合いへし合いの大混雑で疲れて仕舞った
【解説】《初表五》《秋》:月
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1010  あらことごとし長櫃(ながびつ)の萩(はぎ)  落梧
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【意】長櫃に萩など入れて何と大袈裟な!/
【解説】《初表六》《秋》:萩 / 長櫃に萩を入れて川を渡るとは大袈裟なことだ、という見物人の率直な感想
(1)長櫃(ながびつ)の萩:歌人でも知られる陸奥守橘為仲(1014-85)が帰郷した折、宮城野の萩を長櫃に入れて帰京し、貴賤群集して見物した(無名抄)
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1011 川越(かはごし)(1)の歩()(2)にさゝれ(3)(ゆく)(あき)の雨(あめ)  水
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【意】今日秋雨の中、川越人足として徴用された / 何と運ぶ物は長櫃に入った宮城野の萩だヨ
【解説】《初裏一》《秋》:穐(あき)の雨 / 大河の近隣住民は、貴人の行列が川越をする際には人足に徴用される
(1)川越(かわごし):人や荷物を肩や台に載せて川を渡すこと / 又はその人足
(2)():夫() / 公家や大名等が多人数で通行するとき川越の人足の不足は周辺の集落の夫役(ぶやく)として徴発された
(3)さされ:指名され
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1012  ねぶと(1)(いた)がる顔(かほ)のきたなさ  梧
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【意】川越人足に徴用されたが、此の秋雨の中、下半身に腫物が出来、顔も歪む痛さで難儀なことだ / 同情するが滑稽でもある‥
【解説】《初裏二》《雑》:/
(
1)ねぶと(根太):腫物の一種 / 尻・太股裂き等に生じ易いという
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1013 わがせこ(1)をわりなくかくす縁(えん)の下(した)  水
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【意】私の彼氏が忍んで遣って来た / [解釈1] 根太が出来て仕舞い私(=)は痛くて会う訳にはいかぬので、彼氏を縁の下に隠して仕舞った / [解釈2] 彼氏を家の人に見つからぬ様に無理に縁の下に隠したが、ねぶとで痛がる彼氏が此の時は疎ましくみえる
【解説】《初裏三》《雑》:《恋》:せこ /
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1014  すがゝき(1)(なら)ふ比(ころ)のうきこひ  梧
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【意】此処は華街。前句の話は、すががきを習い始めの若い女郎が初恋のころにあった話
【解説】《初裏四》《雑》《恋》:うきこひ / 吉原の女たちが飾り窓の中で爪弾いて客を集めたという /「すががきの音に 引き寄せられて、つい居続けの 朝の雪」等という都都逸(どどいつ(=通常「七・七・七・五」句から成る流行俗謡))がある
(1)すがゝき:江戸初期の琴・三味線等を奏でること
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1015 (ふく)る夜()の湯()はむつかしと水(みづ)(のみ)て  水
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【意】若い女郎と一夜を過ごした深夜 / 夜更けに喉が渇いたが、湯を所望するのは気が引けるので枕元にある水で我慢した
【解説】《初裏五》《雑》
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1016  こそぐり起(おこ)す相住(あひずみ)の僧(そう)  梧
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【意】寺院の学寮 / 台所に水を取り行くついでに、相部屋の僧が居眠りを始めていたのでくすぐって起こしてやった / 夜を徹して坐禅・誦経(ずきょう・じゅきょう)に励む若い僧侶達の生活
【解説】《初裏六》《雑》
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から第101回 / 員外~第1017句~1028句〕をご紹介する / お楽しみに!
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続いての話題である
. 1015()は、平日週一回の公休日
. 其処で小生、此の日は、天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」→旧姫街道「三ヶ日一里塚」→同「大谷一里塚」→同「小引佐」→「ダイダラボッチの足跡」→同「山田一里塚」→同「気賀関所」→天龍浜名湖鉄道「気賀駅」→ 天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」→Cafe gradual gallery 「田中絵里加 作品展」と巡って来たのでお伝えする
. 因みに、歩行距離は17.7km、歩行歩数23,093歩だった
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0330分 起床→腹筋2,000回→
0430 2.5kg木刀素振り50分→
0520分 入浴→仕度→
0557分 拙宅発→一般道30 17km
0627分 天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」駐車場着
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【天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」】
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[01][左上]天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」駐車場 同所にて1
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[右上]同 同上2
[左下]
[右下]天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」前にて1
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[02][左上]天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」1
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[右上]同 駅前にて2
[左下]同 駅前 monument 同前にて
[右下]同 同 浜名湖案内看板
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0653分 天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」発→一般道19 650m
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【天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」→旧姫街道「三ヶ日一里塚」】
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[03][左上]Google 航空 map:天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」→旧姫街道「三ヶ日一里塚」への経路図
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[右上]天龍浜名湖鉄道「三ヶ日駅」2
[左下]同 駅前にて2
[中下]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:路傍の花「ニチニチソウ」
[右下]同〔同〕:旧姫街道1
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[04][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:路傍の花「セイタカアワダチソウ」
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[
右上]同〔同〕:同「センニチコウ」1
[中下]同〔同〕:同「同」2
[左下]同〔同〕:旧姫街道2
[右下]同〔同〕:路傍の花「アサガオ」
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0712分 旧姫街道「三ヶ日一里塚」
0723分 旧姫街道「三ヶ日一里塚」発→
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【旧姫街道「三ヶ日一里塚」】
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[05][左上]旧姫街道「三ヶ日一里塚」
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[右上]同 同所にて1
[中下]同 同上2
[左下]同 同上3
[右下]Google 航空 map:「三ヶ日一里塚」→「大谷一里塚」への経路図
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【旧姫街道「三ヶ日一里塚」→「大谷一里塚」へ】
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[06][左上] Google 航空 map:天龍浜名湖鉄道「三ヶ日一里塚」→旧姫街道「大谷一里塚」への経路図
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[右上]姫街道道標
[左下]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:路傍の花「コエビソウ」
[中下]同〔同〕:同「サルビア・ディビロラム」
[右下]同〔同〕:同「サルビア・コクシネア」
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[07][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:路傍の花「向日葵」
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[右上]同〔同〕:同「ムラサキシキブ」
[左下]同〔同〕:旧姫街道
[中下]同〔同〕:同「温州蜜柑」
[右下]同〔同〕:同「ランタナ」
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[08][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:天竜浜名湖鉄道 踏切近くの 線路
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[右上]同〔同〕:同 踏切を通過する 電車
[左下]同〔同〕:姫街道からの風景1
[中下]同〔同〕:姫街道近隣の風景「浜名湖」1
[右下]同〔同〕:同「同」2
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[09][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道近隣の風景「浜名湖」3
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[
右上]同〔同〕:同「同」4
[左下]同〔同〕:同「同」5
[中下]同〔同〕:姫街道脇の道祖神
[右下]同〔同〕:同 同所にて
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[10][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景2
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[右上]同〔同〕:同3
[左下]同〔同〕:同4
[中下]同〔同〕:同5
[右下]同〔同〕:路傍の花「琉球アサガオ」
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[11][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景6
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[右上]同〔同〕:同7
[左下]同〔同〕:街道の花「西洋アサガオ」1
[中下]同〔同〕:同「同」2
[右下]同〔同〕:路傍の花「セイタカアワダチソウ」
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[12][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景5「御殿道」解説板1
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[右上]同〔同〕:同「同」同上2
[左下]同〔同〕:同6「柿の実」
[中下]同〔同〕:同7 街道にて
[右下]同〔同〕:路傍の花「アキノノゲシ」
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[13][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景8
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[右上]同〔同〕:同9「六部様」入口
[左下]同〔同〕:同10「同」解説板
[中下]同〔同〕:同11「同」同所にて
[右下]同〔同〕:同12
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【旧姫街道「大谷一里塚」】
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[14][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:「大谷一里塚」解説板
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[右上]同〔同〕:「大谷一里塚」同所にて1
[左下]同〔同〕:「同」同上2
[中下]同〔同〕:「同」同上3
[右下]同〔同〕:Google 航空 map:「大谷一里塚」→「山田一里塚」への経路図
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【旧姫街道「大谷一里塚」→「山田一里塚」へ】
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[15][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景1
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[右上]同〔同〕:同上2
[左下]同〔同〕:同上3
[中下]同〔同〕:同上4
[右下]同〔同〕:同上5
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[16][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景6
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[右上]同〔同〕:同上7
[左下]同〔同〕:同上8「石投げ岩」解説板
[中下]同〔同〕:同上9「同」同所にて
[右下]同〔同〕:同上10
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[17][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景11
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[右上]同〔同〕:同12 同所にて
[左下]同〔同〕:同13「象鳴き坂」1
[中下]同〔同〕:同14「同」
[右下]同〔同〕:同15「同」2
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[18][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景16
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[右上]同〔同〕:同17
[左下]同〔同〕:同18
[中下]同〔同〕:Google 航空 map:「大谷一里塚」→「山田一里塚」への経路図
[右下]同〔同〕:姫街道の風景19「引佐峠」同所にて1
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[19][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景20「引佐峠」同所にて2
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[
右上]同〔同〕:同「同」3
[左下]同〔同〕:同「同」4
[中下]同〔同〕:同「引佐峠」解説板
[右下]同〔同〕:同「同」5
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[20][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道風景1 同所にて
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[右上]同〔同〕:同2
[左下]同〔同〕:同3
[中下]同〔同〕:同4
[右下]同〔同〕:同5 同所から浜名湖遠望1
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[21][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景6
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[右上]同〔同〕:同7 同所から浜名湖遠望2
[左下]同〔同〕:同8 同所にて
[中下]同〔同〕:同9 姫街道から浜名湖遠望3
[右下]同〔同〕:同10 小引佐の賽神
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[22][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景11「小引佐」解説板
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[右上]同〔同〕:同12「同」同所にて
[左下]同〔同〕:同13 姫街道から浜名湖遠望4
[中下]同〔同〕:同14 巨人伝説の池「ダイダラボッチの足跡」解説板
[右下]同〔同〕:同15 同「同」の池
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【旧姫街道「山田一里塚」】
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[23][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景16
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[右上]同〔同〕:同「山田一里塚」同所にて1
[左下]同〔同〕:同「同」同上2
[中下]同〔同〕:同「同」同上3
[右下]同〔同〕:同「同」同上4
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【旧姫街道「山田一里塚」→「気賀関所」へ】
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[24][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:姫街道の風景17 「山田修理」の墓 解説板
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[右上]同〔同〕:同18「堀川戦◯之碑」
[左下]同〔同〕:同19「同」同所にて
[中下]同〔同〕:同20「気賀関所」西門前にて
[右下]同〔同〕:同21「同」「制札」前にて
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【旧姫街道「気賀関所」】
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[25][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:「気賀関所」上の間
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[
右上]同〔同〕:「同」同所にて
[左下]同〔同〕:「同」東門 同所前にて
[中下]同〔同〕:「同」同
[右下]同〔同〕:「同」解説板
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【天竜浜名湖鉄道「気賀駅」】
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[26][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:天竜浜名湖鉄道「気賀駅」同所前にて
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[右上]同〔同〕:同「同」構内にて
[左下]同〔同〕:同「同」改札口
[中下]同〔同〕:同「同」platform にて
[右下]同〔同〕:同「同」に入線して来た電車
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【天竜浜名湖鉄道の電車内の車窓からの風景】
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[27][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:天竜浜名湖鉄道「寸座」駅
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[右上]同〔同〕:同「浜名湖佐久米」駅
[左下]同〔同〕:同「東都筑」駅
[中下]同〔同〕:同「都筑」駅
[右下]同〔同〕:同「三ヶ日」駅
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【天竜浜名湖鉄道「三ヶ日」駅】
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[28][左上]旧姫街道街並風景〔浜松市北区三ヶ日町〕:天竜浜名湖鉄道「三ヶ日」駅の電車1
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[
右上]同〔同〕:同「同「同上2
[左下]同〔同〕:同「同」同上3
[中下]同〔同〕:同「三ヶ日」駅看板
[右下]同〔同〕:同「三ヶ日」駅前にて
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café gradual gallery 田中絵里加 作品展】
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[29][左上]田中絵里加「Circus
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. 此の作品は、2019年 第69回豊橋市民展
[右上][]café gradual gallery 看板
[]本企画展leaflet
[左下]同〔同〕:2019年 第69回豊橋市民展 会場の豊橋市美術博物館内にて
[中下]田中絵里加さん
[右下] café gradual gallery
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. 現在、田中絵里加さんは、小生勤務先の障害者支援施設に来て頂き、毎週1回、利用者向け絵画教室の先生をして頂いている
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【小生 comments
. 今日は、田中絵里加さんの個展を開催している café gradual gallery がある豊川市蔵子に見学可能時間の1630分迄に到着する必要があったので時間調整に心掛けた
. 気が付いたら、walking は先週の本坂峠並みの引佐峠もあって結構起伏にとんだ17.7km23千歩を歩いていた
. 又、café gradual gallery では、田中先生ご自身居らしてお話も出来良かった
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続いての話題である
. 翌1016()は、長男の二男の数え三歳の七五三と、同じく三男の初宮参りを、彼等が住んでいる一宮市内にある、尾張国一宮「真清田(ますみだ)神社」で行った
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0445分 起床→腹筋2,000
0545 2.5kg木刀素振り60
0650分 入浴→仕度→
0810分 拙宅発→1時間10分 一般道→東名音羽蒲郡IC→ 高速道路 →名神一宮IC 100km
0940分 長男宅着→
1000分 写真屋着〔記念撮影〕
1100分 尾張国一宮「真清田神社」着
1740分 帰宅〔2時間40分 一般道103km/203km
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【孫の七五三と初宮参り at「真清田神社」】
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[30][左上]勢揃いした長男一家
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[右上]初宮参りを前に写真屋にて長男の三男と
[左下] 「真清田神社」拝殿
[中下] 「同」御由緒
[右下] 「同」御朱印
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[31][左上]数え三歳で七五三を迎えた長男の二男
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[右上]初宮参りを迎えた長男の三男
[左下]長男の二男()と長女の長女()
[右下]「同」手前左から長男・長男の二男・長男の長女
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【小生 comment
. 今日は、お宮参りには最高の天気だった
. 孫たちの健やかな成長を祈るばかりだ〔了〕
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続いての話題である
. 更に翌日1017()は、14時からアクトシティ浜松 大ホールにて「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」を聴いて来た
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【アクトシティ浜松「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」】
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. 今日は、1400分開演のアクトシティ浜松「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」を見て聴いて来た
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[32][左上]アクトシティ浜松大 hall 内にて1
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[右上]本演奏会 leaflet Ticket
[左下]アクトシティ浜松大 hall内部1
[中下]同上2
[右下]同上3
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[33][左上]アクトシティ浜松大 hall 内にて2
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[右上]「辻井伸行 音楽と絵画《印象派》」DVD & CD
[左下]今日の 座席と Ticket
[中下]アクトシティ浜松大 hall内部4
[右下] 「辻井伸行 音楽と絵画コンサート《印象派》」program
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. 印象派の名画を辻井伸行と言う超一流の pianist の演奏でドビュッシーの名曲の数々と共に心ゆく迄堪能出来た至福の matinée だった
. 心が癒された素晴らしい一日となった
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今日最後の話題は、我等が母校時習館高校のOBである、旧制愛知第四中学校OB冨安謙次(俳人:富安風生)氏、旧制豊橋中学校OB冨安昌也氏、時習館高校OB野田弘志氏の話題を、冨安昌也氏の著作『続・草木虫魚』を中心にお届けする
. 以下の記事は、20211012日、小生の Facebook up された丁度2年前のアーカイブ(archive)である
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.   ※   ※   ※
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【 冨安昌也著『続・草木虫魚』から 4-1
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. 今日(2019.10.12)は、今夕〜今晩にかけて大型の台風19号が静岡県~神奈川県に上陸するということで、当初予定していた、静岡市~浜松市にかけての史跡&美術館巡りは明日に順延した
. 時間が空いたので、我等が母校・時習館高校の元美術科教諭で、東三河を代表する西洋(=油彩・水彩)画家である冨安昌也(1918-2013) 先生の著書『続・草木虫魚』から「随筆三篇」と「オマケ1つ」をご紹介する
. 因みに、氏の大叔父が、昨日ご紹介した富安風生である
. 冨安昌也先生の略歴は、以下の通り
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《略歴》
1918  1107日 豊橋市関屋町に生まる
1941  東京美術学校油画科卒業(藤島教室)
1951  39回日本水彩展三宅氏賞 / 日本水彩画会会員推挙
1979 豊橋市美術博物館協議会委員
1990  豊橋文化協会副会長
1991年 『モスタルの道具屋』で、第79回日本水彩展内閣総理大臣賞
1992  日本水彩画会評議員
1993  豊橋文化賞
1994  日本水彩画会理事
2013  10月 逝去(享年94)
.
. 冨安先生は、小生が去る6月迄勤務していた会社の関係で、亡くなられた2013年迄三河港の産業基地・建築審査会の座長を長年務められていた
. 小生も其の審査会の委員を務めていた勤務先役員の上席としての関係から冨安先生と仕事上のお付き合いをさせて頂いた
. 更には、冨安先生が此れも長年日本水彩画会豊橋支部の支部長を務められていた関係から、先生の晩年の水彩画の愛弟子が小生の叔父兄であることもあって叔父兄経由でのご縁も頂いた
. そんなご縁から或る時、先生から平成187月に上梓されたご著書『続・草木虫魚』を頂戴した
. 此の本は、小生の蔵書の1冊になっている
. 因みに、此の後順次ご紹介するが、冨安先生は我等が母校・時習館高等学校の徽章(写真[34][]ご参照)を発案された方でもある
.
[34][]母校・愛知県立時習館高校 東門近くに掲示されている「校名と徽章(=校章)
.
[左下]在りし日・晩年の冨安昌也先生
[右下]冨安昌也著『続・草木虫魚』
.
. 其処で先ず「随筆1篇」目は‥【校章】(平成1011) ‥である
.
.「〔前略〕学校には校章がある。此れは必ず生徒が、体の何処かに付けているものだからなければならない。
. 新しい学校でも出来て、校章を決めるとなると大変だ。
. 一見して其の学校と解るものという先入観があって、其れを絵や文字で証言しようとするから、ややこしくなる。〔中略〕
. 徽章は単なる符号である。其れが見た目に感じよければ、今でいう design 的に出来ていればそれでいい。
. 私は経験がある。
. 私は1947(昭和22)01(小生【注】:冨安先生28(当時))に豊橋中学校(現・時習館高校)の教師になった。
.
. 当時は、「愛知県立豊橋中学校」という校名だったが、翌2304月、学校教育法施行に伴い「愛知県立豊橋高等学校」と改称した。
.
. さて困ったのは、生徒の徽章である。今迄は昔から使っていた「中学」という徽章を帽子につけていたが、学校が高等学校になっていて、中学の徽章はおかしいということで、早速新しい徽章を考えることになった。
. 一般募集することにして、職員、生徒から公募した。
. 沢山集まったが中々いいのがない。職員の私たちも考えた。
. 結果絞り込んで、二つの傾向に要約された。
. 一つは、昔から徽章というものは、symmetry な形に決っている。例えば一高(=旧制第一高等学校)〔中略〕は桑の葉、高等師範は桐の葉っぱだという説と、私をはじめ若い連中は、豊橋高等学校ならトヨハシのトとヨを綺麗に形良く組み合わせて(= monogram 2つの文字や書記素を組み合わせた記号)単なる mark とすればいい、という此の二派に分かれた。〔中略〕
. 投票で決を採ることになり、347 で、私の design に賛成多数という今の徽章に決定した。
. 「こんなものがどこの学校か解るか」
. という年配の教師もいたが、私は千人の生徒が此れを帽子に付けて」、街の中を歩けば、三日もすれば徹底しますよと言った。
. 珍しい、斬新な design だと言ってくれる市民が多かった。
. 其の後、県条例が縷々変って、校名が愛知県立豊橋時習館高等学校から愛知県立時習館高等学校になったが、誰も徽章の変更を言う人はなかった。」〔了〕
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【小生 comment
. 我等が母校・時習館高等学校の校章が決まったいきさつについて、制作者本人である冨安先生が思い出話としてお話しして下さったので確り理解出来た
. 冨安先生が亡くなられる迄の数年間、先生にお近づき出来て小生、大変光栄で嬉しかった
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【 冨安昌也著『続・草木虫魚』から 4-2
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. 「随筆2篇」目に入る前に「オマケ1つ」をお伝えする
. 其れは、冨安昌也先生が、晩年の愛弟子として可愛がった小生の叔父兄 今泉勇(1935- )が小生にしてくれた episode
. 叔父兄は、冨安先生が「富士山が見たい」と言えば、先生を車に乗せて富士山に連れて行き一緒に絵を描き、「中国・敦煌の莫高窟の絵を描きたい」と仰れば一緒に敦煌迄随行する、と言った具合だった
. 其の叔父兄が、或る時、小生に話してくれた冨安先生との思い出話を一つ‥
. 19952or 3月に、名古屋市の愛知県美術館にて開催された『アンドリュー・ワイエス』展に叔父兄が冨安先生と二人で見に行った時の話は次の様だった
.「先生が「ワイエスの絵はいい、こういう絵を描かなきゃいかんゾ。(時習館高校の)教え子は沢山いるが、俺を越えたのは野田弘志(1936.06.11- )だけだ!」と言っていたナァ」と
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[35][左上]アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth (1917.07.12-2009.01.16))
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[右上]ワイエス『亡霊(The Revenant)1949
[左下]野田弘志『娘の和香子』1983年‥加賀乙彦著「湿原」の挿画
[中下]同『掌を組む』
[右下]同『アナスタシア』
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【小生 comment
.  野田弘志氏の絵画技術力の高さを証明している Super Realism の絵は、写真と見紛う極めて精緻な絵画であるので、小生いつも見る度に驚かされる
. 先日(2021.09.12)、向山の文化会館で開催中の日本水彩画会豊橋支部主催の『秋の作品展』で会った同会豊橋支部長の大竹良夫君【時習26 3-10】曰く「今、欧州には野田弘志 level super realism の画家はゴロゴロいるヨ!」とのことだから、世界の画壇の level up も凄いものがある
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. とは言え、日本では野田氏が Super Realism の画家の第一人者であるとの定評は、平成上皇・皇太后両陛下の天皇時代の肖像画を見れば分かる
. 添付した野田弘志(1936.06.11- )の写真をご覧頂きたい
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[36][左上]野田弘志(1936.06.11- )1
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[右上] 野田弘志『平成上皇・皇太后両陛下の、天皇・皇后両陛下在位時代の肖像画』
[左下]『平成上皇・皇太后両陛下の、天皇・皇后両陛下在位時代の肖像画』公開ニュースでの野田弘志氏
[右下] 野田弘志氏2
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. 平成上皇・皇太后両陛下の、天皇・皇后両陛下在位時代の肖像画を野田弘志氏が描き皇居に納められた
. 宮内庁が20180521日、其の画像を公開した
. 両陛下の肖像画制作は即位後初で、大きさは縦横各2メートル
. 両陛下の承諾を得て宮内庁が野田さんに依頼し、2014年に撮影した両陛下の写真をもとに制作された
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【 冨安昌也著『続・草木虫魚』から 4-3
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. 続いて冨安昌也著『続・草木虫魚』「随筆2篇」目は‥【「風生文庫」について】(平成1251) ‥である
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[37][]【富安風生文庫】(愛知県立時習館高等学校内)

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[
右上]晩年の富安風生氏

[右下]風生句碑「松の芯 若ささながら 立ちそろふ」(時習館高等学校の一隅)

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. 「萬歳の三河の国へ帰省かな 風生」と刻まれた此の句碑は、昭和5111月、文協が主唱して豊橋公園の内堀の横に建立したものだ。

. 此の吉田城趾から北を見ると、豊川を臨み遠く弓張山系や風生の郷里の照山や本宮山も見える。

. 先年先生も此処に来られて所縁(ゆかり)の此の地に句碑の建つのを大変楽しみにしておられた。〔中略〕

. 昭和535月に、時習館の庭に「松の芯若ささながら立ちそろふ 風生」(小生【注】:添付写真[11])の句碑も建立された。〔中略〕

. 私は、晩年の先生にお目にかヽる機会は数多くあった。

. そんな或る時先生から「昌也君、僕の蔵書を時習館で貰ってくれるかね」

. と相談を持ち掛けられた。私は躊躇することなく即断で

. 「是非お願いします。願ってもない」とお応えした。〔中略〕

. 時を限定せずに私たちが運びますよということにした。

. 時習館の朝倉君や同窓会の三浦君にも手伝って貰って、豊橋と東京を自分達の車で往復した。〔中略〕

. 結果〔中略〕計五回戴(いただき)に上った。冊数は〔中略〕2,501冊になった。

. 此れを「時習館創立80周年記念事業」の一環として創設した「時習文庫」の中の corner に、新たに『風生文庫』として置くことにした。

. 処が昨(平成11)年秋、池袋のご遺族から電話があって、〔中略〕「一部の著作物を除いて残り一切を時習館に譲りたい」というお申出があった。

. 亡くなられてから既に20年経つが、本は相当量あった。〔中略〕

. 最晩年迄手元に置かれた豪華本や珍貴なもの、此れが全部俳句に関するものばかりだから凄い。特に俳人たちの出された本は、私家版で部数が限定されているから他に探してもないだろう。〔中略〕

. 段ボールに59梱包あった。

. 今回分の冊数は1,906冊、前回分2,501冊を合計すると4,407冊。此れが時習館図書館で保管する『風生文庫』の全容である。

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【小生 comennt

. 小生、恥ずかし乍ら、「萬歳の三河の国へ帰省かな 風生」「松の芯若ささながら立ちそろふ 風生」のいずれの句碑もまだ見ていない

. 近々是非訪ねて直(じか)に見てみたい

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【 冨安昌也著『続・草木虫魚』から 4-4()

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. 続いて冨安昌也著『続・草木虫魚』今回最後の「随筆3篇」目は‥【二人の師】(平成1281) ‥についてである
.

.〔前略〕運命と言えば、私の生涯で最も大きな影響を受けた二人の良き師に巡り合えたことである。此のことが私の今日を決定づけた。

. 私は小学校時代から絵が好きだった。絵の選手として学校から色々な競技会へ出された。

. 不景気のドン底の昭和06年、私は豊橋中学校に入り、一年の甲組だったが、其の甲組の担任が細島昇一(1895-1961)先生だった。〔中略〕

. 先生から教わったことは絵に関することは云う迄もないが、一般常識的な広い分野様々な人間としての在り方だった。

. 吸収力の強い柔らかな頭脳は骨の髄迄感化を受けた。例を挙げれば先生の字の書き方迄真似をしたものだった。

. 三年頃進学の話が出たが、先生は具体的には何も云われなかった。家で父に美術学校へゆきたい希望を打ち明けた時、父は反対も賛成もせず「ふーん」と云っただけだった。

. 父は開業医で、男の子は私だけ。父は今迄の私の育ってきた状況や、自分が養子で医者になったのも、岳父((=冨安昌也)の祖父)の云われる儘で自分の意に反したことなどひっくるめての全ての結論で、半ば諦めていたのかも知れない。

. 1936(昭和11)年豊中を卒業して東京美術学校を受験したが、勿論 straight では入れなかったので川端画学校へ入った。

. 此処での厳しい訓練で朝から晩迄毎日木炭で画く石膏 dessin を叩き込まれた。

. 此れはどの画学生も通る宿命みたいな道で本当に此れは身の為になった。

. 翌1937(昭和12)04月、入学出来た時の上野の桜の美しかったことは忘れられない。

. 美校では予科一年を過すと本科四年があって、自分が希望する教授の教室を選ぶことになる。

. 私は文句なしに憧れの藤島武二(1867.10.15-1943.03.19)教室を選んだ。

. 先生は週二回、火、金の二日教室に来られた。寡黙でしゃべらない。それだけに先生の一挙手一投足に注意し、生徒の絵を直す先生の筆先を見据えたものだ。

. 筆はどんなものがいいか、絵具は何を使ったらいいか何も云われない。

. そんな抹消なことよりも、「絵描きは正直でなければいかん」と言った。

. 何故か。自然が如何に美しくとも、絵描きの心が曲がっていれば曲がって映る。

だから心を磨けと云うことだ。其の時は真意が悟れなかった。

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[38][]同『モスタルの道具屋(ユーゴスラビア)1991
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. 『モスタルの道具屋』は第79回日本水彩展「内閣総理大臣賞」受賞作品である

[左下]冨安昌也『家族』1988

[右下]同『ドブロブニクの昼下り』1989

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【小生 comment

. 画家の道を選び、悔いのない生涯を全うされた冨安昌也先生が、出発点の青春期の思い出を強い共感をもって通読した

. 先生の謹厳実直なお人柄は、冨安家のご両親の躾だけでなく、東京美術学校の藤島武二教授からの薫陶もあったことを従前此の本『続・草木虫魚』を読んで知った

. 因みに藤島武二は、日本画家で京都画壇の雄 竹内栖鳳 (1864.12.20-1942.08.23)、同じく日本画家で日本美術院の巨匠 横山大観(1868.11.02-1958.02.26)、藤島武二と同じ東京美術学校教授で西洋画家の泰斗 岡田三郎助 (1869.01.22-1939.09.23)3人と一緒に、1937(昭和12)年に第1回文化勲章を受賞した日本の洋画界草創期の巨匠4人のうちの1人で、小生も大好きな洋画家である

. 冨安先生は、更に篤実で humor を持った心根の温かな人格者でいらっしゃった

. 其の事は、以下にご紹介する先生の作品 [04][] 同『モスタルの道具屋(ユーゴスラビア)』~[05][右下]『立春』をご覧頂ければ実感頂けると思う

.

[39][]冨安昌也『ラ・アルベルカの路地 2(スペイン)1997

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[
左下]同『ユーゴ―像と書籍』1999

[右下]同『立春』2000

. 此の絵は、我等が母校・時習館高等学校正門と玄関の間にある中庭に咲いた山茶花を描いたもの〔了〕

.

. では、また‥〔了〕

 


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