2021年7月7日水曜日

【時習26回3−7の会 0868】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第86回/員外~第841句~850句〕」「06月25日:旧東海道五十三次一人旅「JR清水駅→「江尻一里塚跡」→「袖師ヶ浦」→「清見寺」→「興津宿」→「興津一里塚跡」→JR興津駅を歩き、→〔東海道本線〕→JR清水駅→〔マイカー〕→「薩埵峠」→「由比 西倉澤一里塚跡」を巡って」「少し昔の想い出~(1)2016年09月15~19日『中&北九州旅行〔二日目〕:「鬼山地獄」「岡城跡」「熊本城」「熊本県立美術館」「柳川藩主立花邸 御花」「柳川川下り」』・(2)2019年11月08~09〔その1〕:『「柴又帝釈天」「浅草寺」』・(3)2019年11月13日『「豊橋市美術博物館『9/ナイン・ストーリーズ』展」「女流俳人『四T〔第3回目〕:橋本多佳子』」』」

  
■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0868】号をお届けします
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第86回/員外~第841句~850句〕」をご紹介する
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841 きさらぎや曝(さらし)(1)をかひに夜()をこめて  冬文
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【意】夏の需要期を前提に、春二月、晒布を仕入れに出かける / 夜もまだ明けないうちから / 父親は、子供の寝顔にもう一度別れを告げに戻って来た
【解説】《名残裏五》《春》:きさらぎ /
(1)(さらし):曝して白くした綿布・麻布
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842  そら(=)面白(おもしろ)き山口(やまぐち)の家(いへ)  荷兮
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【意】夜明け前から歩いて来て、漸く山麓の一軒家の前に辿り着き、其処の軒先を借りて一服する / 空が白み、やがて朝霞が山の端をはじめ其処此処に微妙な色彩の変化を見せる /
【解説】《挙句》《雑》:/「長閑(のどか)な春の早朝の清々しい風景」で、此の連句の歌仙(36)を締め括る
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.                 荷兮
843 ほとゝぎす待(また)ぬ心(こころ)の折(をり)もあり
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【意】ホトトギス鳴き声を待ち焦がれるのは、古来の和歌世界以来の伝統 / だが人の心は様々だ / 此の私の様に「ホトトギスの鳴き声を待つ気持ちのない心もある」のだよ
【解説】《発句》《夏》:ほとゝぎす/ 時鳥の鳴き声など待っていない、という(‥実は待ち遠しい‥)痩せ我慢の句
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844  雨(あめ)のわか葉()にたてる戸()の口(くち)  野水
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【意】新緑の時節 / 外は雨 / 私は、ホトトギスの鋭く悲しい鳴き声を聞かずに済む様に戸を閉めている
【解説】《脇》《夏》:わか葉 /「昔思ふ草の庵の夜の雨に 涙な添()へそ山ほととぎす / 藤原俊成」(「新古今和歌集」夏)〔() 昔の優雅な暮らしを思い出し寂しくしている夜、此の草庵に雨が降っている / 山で鳴くホトトギスよ、悲しい鳴き声で、更に私に涙の雨迄降らそうとさせないでくれよ〕を踏まえた句
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845 (ひき)(すて)し車(くるま)は琵琶(びは)のかたぎ(1)にて  同
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【意】乗り捨てられた車は、枇杷の堅い木で作ってある
【解説】《第三》《雑》/ 前句の「門前」の風景を詠む
(1)琵琶(びは)のかたぎ:枇杷の木は質が堅い(和漢三才図絵)
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846  あらさがなくも(1)(ひと)のからかひ(2)  荷兮
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【意】変わった車だと意地悪い言葉を浴びせられ情けないことだ
【解説】《初表四》《雑》/ 源氏物語「葵」の「車争い」の面影
(1)さがなくも:口さがないことだ
(2)からかひ:嘲弄(ちょうろう)し揶揄すること
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847 (つき)の秋(あき)(たび)のしたさに出(いづ)る也(なり)  同
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【意】月の美しい秋の時節 / 旅の途上で月を眺めたいと、純粋に其れだけの気持ちで出発する / 其れを世間の人々は、何かと口汚く罵る /
【解説】《初表五》《秋》:月の秋 / 超然と風流に生きる人物の心意気を詠む
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848  一荷(いつか)(1)になひし露(つゆ)きくらげ(2)  野水
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【意】木耳の乾物を一荷担いで、朝露に濡れて出発する /
【解説】《初表六》《秋》:露 / 前句の風流人の旅を行商人の旅商いに詠み換えた
(1)一荷:天秤棒で前後二つを担(かつ)ぐこと
(2)きくらげ(木耳):キノコの一つ / 乾物として売る / 吸物・和物等の材料
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849 (はつ)あらし(1)はつせ(2)の寮(れう(=りょう))(3)の坊主(ばうず)(ども)  水
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【意】長谷寺の学僧たちが風の中を行く
【解説】《初裏一》《秋》:初あらし / 前句を学僧たちの精進食の材料として、自分たちで運び行く様(さま)とした /「うかりける人を初瀬の山颪 はげしかれとは祈らぬものを」で「初あらしはつせ」と句作りする
(1)初あらし:初秋に吹く強風
(2)はつせ:大和国なある寺院 / 真言宗豊山派の総本山 / 長谷寺 / 歌枕 /
(3)寮:寺院の学寮
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850  菜畑(なばた)ふむなとよばり(1)かけたり  兮
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【意】寺院に付属する野菜畑を行く農民に対して、学寮の僧が、「小さく伸び始めた菜を踏みつけるな」と大声を出して叱りつけている
【解説】《初裏二》《雑》/ 前句の「坊主『共』」に憎たらしさを感じ取り、大寺の僧侶の権柄ずくを表した
(1)よばり:よばはりの転化 / 大声で呼びたてる
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔第87回 / 員外~第851句~860句〕をご紹介する / お楽しみに!
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■さて、今日続いての話題は、20210625() 旧東海道「江尻宿」→「興津宿」を踏破したことについてである
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. 今日0625()は、週一回の平日公休日
. 其処で、旧東海道「江尻宿」→「興津宿」を walking し、「薩埵峠」をマイカーで事前視察して来た
. 踏破距離 10.2㎞、歩数 13,390歩だった
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0230分 起床→腹筋2,000
0320 2.5kgの木刀素振り50
0410分 入浴→朝食
0513分 拙宅発→一般道2時間43127km〔駐車料金:500/日〕→
0756 JR清水駅近隣駐車場着
0815分 同所発→徒歩→
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 此の駐車場一帯が、旧江尻宿、辻で一里塚があった
. ただ今では、其の場所は特定出来ない
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08
23分 旧東海道「長沼一里塚跡」着
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JR清水駅近隣駐車場→ 旧東海道街並「江尻宿」風景】
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[01][左上]JR清水駅近隣駐車場にて
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[右上]同所の駐車場料金看板
[左下]Google 航空 map : 同所→興津一里塚跡へ向かう経路図
[中下]JR清水駅近隣駐車場近くにあった海抜1.7m標識
[右下]JR清水駅を back
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【旧東海道街並〔静岡市清水区辻→本郷町〕風景】
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[02][左上]JR清水駅から西へ2-3分の静岡市清水区江尻東交差点
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[右上]Google 航空 map : 同所→興津一里塚跡へ向かう経路図
[左下]旧東海道街並〔静岡市清水区本郷町〕風景 旧東海道
[中下]同〔同市同区辻〕風景 旧東海道が現東海道に合流
[右下]旧東海道街並〔同市同区西久保〕風景 路傍の道祖神にて
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0934分 「袖師ヶ浦」道標着
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【旧東海道街並〔静岡市清水区袖師町〕風景】
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[03][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区袖師町〕風景 旧東海道にて
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[右上]同〔同〕風景「袖師ヶ浦」道標にて1
[左下]同〔同〕風景「同」同上2
[中下]同〔同〕風景「同」道標
[右下]同〔同〕風景 旧東海道
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【旧東海道街並〔静岡市清水区横砂中町→同市同区横砂本町→同市同区興津清見寺町〕風景】
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[04][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区横砂中町〕風景 旧東海道
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[右上]同〔同市同区横砂本町〕風景 旧東海道
[左下]同〔同市同区興津清見寺町〕風景 旧東海道
[中下]同〔同市同区同〕風景 旧東海道「興津宿」案内看板
[右下]同〔同〕風景 同「同」同所にて
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1214分「清見寺」着
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【旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町「清見寺」〕風景】1
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[05][]旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町〕風景「清見寺」外観1
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[右上]同〔同〕風景「同」同上2
[右中]同〔同〕風景「同」境内 伽藍
[右下]同〔同〕風景「同」「朝鮮通信史遺跡」解説板
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【旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町「清見寺」〕風景】2
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[06][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町〕風景「清見寺」境内に咲く蓮の花々1
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[右上]同〔同〕風景「同」同上2
[右中]同〔同〕風景「同」同上3
[右中]同〔同〕風景「同」同上4
[右下]「清見寺」御朱印
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【旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町「清見寺」〕風景】3
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[07][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町〕風景「清見寺」大方丈内部 外陣から内陣を望む
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[
右上]同〔同〕風景 同 内陣
[右中]同〔同〕風景 庭園1
[右中]同〔同〕風景 同上2
[右下]同〔同〕風景 庭園解説板
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【旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町「清見寺」〕風景】4
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[08][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町〕風景「清見寺」庫裡2階から境内を望む〔鐘楼()・大方丈()1
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[右上]同〔同〕風景「同」同上2
[右中]同〔同〕風景 境内に咲く蓮の花々5
[右中]同〔同〕風景 境内に咲く額紫陽花1
[右下]同〔同〕風景 境内に咲く蓮の花々6
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【旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町「清見寺」〕風景】5
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[09][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区清見寺町〕風景「清見寺」境内にあった石碑
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[右上]同〔同〕風景「仏殿」
[右中]同〔同〕風景「仏殿」を back
[右中]同〔同〕風景「山門」を back
[右下]同〔同〕風景 境内に咲く額紫陽花と額紫陽花
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1250分「清見寺」発→
1302分「興津宿東本陣址」着
1304分「興津宿」道標・興津宿公園着
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【旧東海道街並〔静岡市清水区興津本町→「興津宿公園」〕風景】
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[10][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区興津本町〕風景「興津宿東本陣址」石碑にて
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[右上]同〔同〕風景「興津宿」道標にて1
[右中]同〔同〕風景「同」同上2
[右中]同〔同〕風景「興津宿案内板」
[右下]同〔同〕風景「同」同所にて
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1317分「興津一里塚跡」着
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【旧東海道街並〔「興津宿公園」→ 静岡市清水区興津中町〕風景】
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[11][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区「興津宿公園」〕風景「興津宿『由来』解説板」にて
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[右上]同〔同〕風景 旧東海道「興津駅」前標識
[右中]同〔同〕風景 同「興津一里塚跡」同所にて1
[右中]同〔同〕風景 同「同」同所にて2
[右下]同〔同〕風景 同「同」同所にて3
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1324分「興津駅」着
1332 JR興津駅発→東海道本線〔運賃:190円〕→
1336 JR清水駅着
1401 JR清水駅近隣駐車場発→一般道13 7km
1414分「薩埵峠」着
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 時間に余裕があったので、マイカーを使い、予習を兼ね「薩埵峠」からの富士山遠望の素晴らしさを見ることにした
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【旧東海道街並〔静岡市清水区興津中町「興津一里塚跡」「興津駅」→同市同区西倉澤「薩埵峠」1〕風景】
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[12][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区興津中町「興津一里塚跡」〕風景「興津宿一里塚跡」石碑
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[右上]同〔同〕風景 旧東海道「興津駅」前にて
[右中]同〔同〕風景 同「同」platform にて
[右中]JR興津→JR清水駅時刻表
[右下]同〔同〕風景「薩埵峠」からの富士山遠望1〔今日は雲に隠れて見えなかった〕
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1427分「由比 西倉澤一里塚跡」着
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「薩埵峠」を後にして、同じ道を戻るのは勿体ないと考え、更に東進(北上)したら、偶然だが「由比 西倉澤一里塚跡」の前に辿り着いた
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【旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤「薩埵峠」〕風景2→「由比 西倉澤一里塚跡」】
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[13][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤「薩埵峠」〕風景 富士山遠望方面から漸次南へ駿河湾・伊豆方面遠望1
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[右上]同〔同〕風景 同上〜更に右手南方遠望
[右中]同〔同〕風景 同 展望台にあった「薩埵峠」から富士山遠望の写真
[右中]同〔同〕風景「薩埵峠」にて富士山方面を back
[右下]同〔同〕風景「由比 西倉澤一里塚跡」にて1
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【旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤「由比 西倉澤一里塚跡」〕風景1
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[14][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤〕風景「由比 西倉澤一里塚跡」にて2
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[右上]同〔同〕「薩埵峠」解説板
[右中]同〔同〕「由比 西倉澤一里塚跡」解説板
[右中]同〔同〕風景 旧東海道「西倉澤」街並1
[右下]同〔同〕風景 旧東海道「西倉澤」→「薩埵峠」へ
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【旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤「由比 西倉澤」〕風景2
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[15][左上]旧東海道街並〔静岡市清水区西倉澤〕風景 旧東海道「西倉澤/間(あい)の宿『藤屋』」
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[右上]同〔同〕風景 旧東海道「西倉澤」街並2
[右中]同〔同〕風景 同「同」同上3
[右中]同〔同〕風景 同「同」同上4
[右下]同〔同〕踏破距離 10.2km 歩行歩数13,390
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1432分「由比 西倉澤一里塚跡」発→一般道 4時間11 147km / 走行距離計 274km
1812分 帰宅〔了〕
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【小生 comments
. 今日は、当初「由比宿」迄歩き、「薩埵峠」から絶景の富士山を見ようと計画していたが、マイカーで偵察したら矢張り雲に隠れて見えなかったので、「興津宿」迄で止めて置いて正解だった
. 次回は、是非共「薩埵峠」から絶景の「富士山」遠望出来ることを楽しみにしている
. 「旧東海道五十三次」の一人旅も、1「品川宿」〜16「由比宿」の16宿を残すに到った〔了〕
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■続いては、前《会報》にてお伝えした『中&北九州旅行〔初日〕』の続き〔二日目〕の模様についてである
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《二日目(0916())
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0815分 鬼山地獄着
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【鬼山地獄】
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. 此処で1923(大正12)年から温泉を利用したワニ()の飼育を開始
. 温泉の暖かさを利用して、熱帯に住むcrocodilealligator二種類のワニが約70匹いる
. 食事時以外は殆ど動かない様に見えるが沢山いるワニの迫力に圧倒された
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[16][]鬼山地獄入口
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[]群れるワニ(crocodiles)
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0830分 鬼山地獄発→〔一般道〕→別府IC→〔大分自動車道〕→大分米良IC→〔国道10号線〕→〔一般道〕→〔南へ直線40km、時計回りで74km1時間30分〕
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. 鬼山地獄から瀧廉太郎の 荒城の月 の舞台となった岡城跡に向かった
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1000分 岡城跡入口着
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【岡城跡】
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《岡城の歴史》
1185(文治元)年 緒方三郎惟栄(これよし)が源義経を迎える為に築城
1369(應安02)年 志賀貞朝が後醍醐天皇の命を受け、岡城を修理して北朝と戦う
1586(天正14)年 志賀親次(ちかよし(1566-1660))が豊薩戦争(1586-87)で岡城で薩摩郡の猛攻を阻止
1593(文禄02)年 文録の役で主筋 大友義統(よしむね(1558-1610))の改易の伴い、志賀親次も領地を失う
1594(文禄03)年 播磨国三木城から中川秀成(ひでしげ(1570-1612))74千石で入封
1871(明治04)年 廃藩置県迄、中川秀成から中川久成(ひさなり(1850-97)=明治17年 伯爵)13代が岡藩主を務めた
1874(明治07)年 城の建物は、大分県に拠り全て取り壊された
1901(明治34)年 地元竹田出身の滝廉太郎は、少年時代、荒廃した岡城に登り遊んだ印象を基に中学校唱歌『荒城の月』を発表
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[17][]岡城跡入口
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[]岡城跡本丸にて
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1100分 岡城跡発→〔国道57号線〕→〔赤水から県道23号線〕→〔一般道〕→〔西へ85km2時間40分〕
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. 国道57号線が、熊本県の赤水から熊本市にかけて熊本地震で寸断されていた為、県道23号線の迂回路を通り熊本城へ
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1345分着
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【熊本城】
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1587(天正15)年 秀吉の九州征伐(1586-87)に拠り、九州平定の寸前で島津軍は肥後を放棄
. 同年 佐々成政が肥後一国主となるも、肥後国人一揆が起きた為、秀吉は、加藤清正と小西行長に鎮圧させた
1588(天正16)年 佐々成政は責任を取らされて切腹 / 加藤清正(肥後北部25万石:熊本城主)、小西行長(中南部24万石:宇土城主)
1600(慶長05)年 西軍の小西行長は関ヶ原の戦で敗れ斬首 / 行長の旧領と豊後国・鶴崎等2万石を加増、52万石を領有
1632(寛永09)年 加藤清正の嫡子忠広(1601-53)は、駿河大納言事件に連座(←他に諸説あり)し改易
. 出羽国庄内((一代限りの)出羽国丸岡藩1万石藩主)に配流、忠広死去により断絶
. 同年 豊前国小倉藩より 細川忠利(1586-41)54万石で入封、以後廃藩置県(1871)迄細川家12代が藩主を務めた
. 添付写真をご覧頂ければお解りの様に、熊本地震の爪痕は確り残っていた
. 本丸の天主閣の鯱鉾や屋根瓦、本丸を囲む石垣の一部が崩落していたのを眼前にして胸が詰まった
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[18][]熊本城をback
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[]宇土櫓()と瓦と鯱鉾が崩落した熊本城天守閣()
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. 熊本城天守閣のある本丸の西隣がニの丸で、現在、熊本城公園となっている
. 其処に熊本県立美術館はある
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1400分 熊本県立美術館着〔‥熊本城から徒歩にて‥〕
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【熊本県立美術館】
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. 訪れた時は、企画展『雪舟流と狩野派』展が開催されていたが、時間がなかったので観るのは諦めた
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[19][]熊本県立美術館前にて
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. 熊本県立美術館で購入した同美術館所蔵作品5点のpostcards
. 以下の5点の幾つかは、通常なら常設展示場で拝観出来る筈だが、訪れた時は常設展示場は閉館されていてみることが出来ず、大変残念だった
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[19][左下]Renoir(1941-1919)『胸に花を飾る少女』1900
[右下]Vlaminck(1876-1958)『湖畔』1912年頃
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[20][]藤田嗣治(1886-1968)Violinを持つ子供』1923
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. これは後日談だが、小生、今日実に奇遇なことに遭遇した!
. 何となれば、熊本県立美術館で見ることが出来なかったこのフジタの傑作の絵を今日(1001)見ることが出来た
. 静岡市美術館『ランス美術館』展で『Violinを持つ子供』を眼前にした時は、流石に感動のあまり暫く絶句して仕舞った
. これを正に serendipity と言うのだろう
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[20][左上]Kisling(1891-1953)『ル・べック少年の肖像』1926
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[右下]Pascin(1885-1930)『果物籠を持つジュヌヴィエーヴ』1929
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1445分 熊本城発→〔一般道〕→熊本IC →〔九州自動車道〕→ みやま柳川IC →〔一般道〕→〔北へ66km1時間20分〕
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1615分 柳川藩主立花邸 御花 着
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【柳川藩主立花邸 御花】
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. 二日目の宿泊地「柳川藩主立花邸 御花(おはな)=松濤館=」は、その名の通り、柳川藩12万石の藩主立花家の藩主邸がHotelとなっている場所である
. 泊ったHotelは、邸内に在る「松濤館」
. 明治時代に14代当主立花寛治伯爵に拠って整えられた『松濤園』をはじめ、現在、敷地全体が国指定の名勝に指定され、水郷 柳川 の観光spotになっている
. 因みに、「柳川川下り」の終点がこの「柳川藩主立花邸 御花『松濤館』」の北口である
. 松濤館受付で乗船予約を入れ、送迎busに乗り、松濤館から東北東2㎞程の所にある乗船場迄10分程だった
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[21][]国指定名勝〔‥池泉回遊式庭園‥〕『松濤園』〔宿泊地〕
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[左下]初代藩主『立花宗茂』甲冑(邸内資料館「殿の倉」に展示されている)
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. 立花宗茂(1567-1643)は、戦国時代の豪傑
. 1590(天正18)年小田原征伐の際、豊臣秀吉が諸大名の前で「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と讃えたことで知られる
. 1600(慶長05)年 関ヶ原の合戦では、西軍として大津城攻めの最中で本戦に参加していない
. 1620(元和06)年 田中吉政(1548-1609)が筑後国主として柳川藩32万石を領有するが、嫡子忠政(1585-1620)に嗣子なく田中家は断絶
.  宗茂は、20年ぶりに旧領 柳川藩109千石に復した
.  同年 筑後国は、有馬豊氏(1569-1642)が久留米藩21万石に入封
.  以後、立花氏、有馬氏の両藩共に1871(明治04)年の廃藩置県迄存続した
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[21][中下]西洋館(明治43年竣工)
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[右下]松濤館〔宿泊Hotel
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. 垂幕は、柳川市出身のリオ五輪競泳男子平泳ぎ200mmedalist 坂井聖人(まさと)顕彰
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1630分 松濤館から送迎busで「柳川川下り」乗り場迄5分程で着いた
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. 終点は、宿泊地『柳川藩主邸 御花』松濤館前の船着き場である
. 船賃@1,600円は、松濤館の宿泊費に加算され、翌朝のcheck out時精算でOK
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1700分~1800分 柳川川下り
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【柳川川下り】
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. 船は、船頭を含め26人乗り
. 平底船を、船頭が竹棒1本で川底を押(=punt)して下流に向かって進む往路のみの行程、所要時間60分の船旅を満喫した
. 一緒に乗船したのは、若者が大半で、聞くと台湾と Singapore から観光に来た人達だった
. 川辺には、紅白の萩の花や、百日紅の pink 色した花が満開でなかなか風情があった
. 川下りを開始して直ぐに、リオ五輪競泳200m butterfly medalist の坂井聖人選手を顕彰した横断幕が堀に掛っていた
. 又、course 後半には、sports で有名な柳川高校の校舎や、柳川藩初代藩主 田中吉政の銅像、北原白秋の石碑があった
. 終着地は、柳川藩主立花邸 御花 の宿泊 Hotel『松濤館』の正面であった
. その下船した場所にある『松濤館』正面の瓦葺の門の両脇には、当地出身力士の大関琴奨菊優勝の顕彰幟が立っていた
.
[22][]柳川川下りのscene
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[左下]同上2
[右下]同上3
.
[23][]松濤館前の川下り船着き場の琴奨菊関の幟
.
.
. 大関琴奨菊も柳川市出身。彼の結婚披露宴は此処御花で開催したとか‥
.
[23][左下]松濤館 南隣「集景亭」での晩餐の懐石料理1
[右下]同上2〔但し、右下:0917日朝食〕
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. 旅館は、宿泊室内も Restaurant のいずれも古風で上品な佇まいが良かったし、料理は夕食&朝食も最高の美味しさだった
. 柳川藩主の立花邸だけあって、大満足な宿泊を体験出来た
.
■続いて此れもちょっと、今は昔の物語から‥
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. 20191117()【時習26回37の会 0783】~「1109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第1回】『柴又帝釈天』→『浅草寺』を巡って」「俳人『四T』~橋本多佳子」
.
. 1109日:東京の2つの史跡&8つの美術館を巡って~【第1回】『柴又帝釈天』→『浅草寺』を巡って」をお届けする
. 1109()に巡って来た史跡と美術館は以下の通り
.  『柴又帝釈天』→『浅草寺』→「上野公園『四季桜』」→「東京都美術館『コート―ルド美術館』展」→「国立西洋美術館『ハプスブルク』展」→「上野の森美術館『ゴッホ』展」→「上野公園『西郷隆盛』像」→『旧・新橋停車場〔=新橋駅〕』→「『ラウル・デュフィ』展」→「東京国立近代美術館『特別展/鏑木清方/築地明石町』展」→「郷さくら美術館東京『「空-模様」日本画』展」→「Bunkamuraザ・ミュージアム『リヒテンシュタイン侯爵家の至宝』展」→「中村屋サロン美術館『荻原守衛』展」
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【初日(1108)
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2245分 拙宅発→自転車→
2310分 豊橋駅前 bus terminal
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[24][左上]Bus terminal 豊橋駅前にて1
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[右上]同上2
[左下]ほの国号 往復 tickets
[中下]ほの国号1
[右下]同上2
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2325分 豊橋駅前発→穂の国号(高速バス)
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【二日目(1109)
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0525分 ほの国号 バスタ新宿に到着
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[25][左上]JR新宿駅外観
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[左下]JR新宿駅山手線外回り platform (右側)
[右上:上]JR西日暮里駅 platform
[右上:下]東京メト千代田線西日暮里駅 platform
[右下:上]同上=JR金町駅入口
[右下:下]京成金町駅改札口
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0535分 新宿発→JR山手線外回り→0554分 西日暮里着
0608分 西日暮里発→東京メトロ千代田線→0625分 金町着
0635分 京成金町発→京成金町線→0638分 柴又着
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【柴又帝釈天1
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[26][左:上]柴又駅前広場の寅さん像とさくら像を back
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[左:中]寅さん像と1
[左:下]さくら像と1
[右上:上]同上2
[右上:下]寅さん像と2
[右下:上]寅さん像
[右下:下]さくら像(部分)up
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[27][左:上]柴又駅を back
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[
左:中]民家庭先にあったフーテンの寅さん character
[左:下]帝釈天参道前にて
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. 早朝なので、参道も閑だ
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0647分 柴又駅発→徒歩4分→
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【柴又帝釈天2
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[27][右上:上]草餅屋「とらや」
[右上:中]帝釈天参道から柴又帝釈天山門を back
[右上:下]帝釈天山門を back
[右下:上]同上 本堂前にて1
[右下:中]同上 本堂
[右下:下]同上 山門脇に備え付けられていた「寅さん おみくじ」
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[28][左:上]同上 おみくじは「大吉」と出た!1
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[左:中]同上 拡大写真
[左:下]帝釈天境内案内図
[右上:上]帝釈天出現由来碑 解説
[右上:下]帝釈天出現由来碑
[右下:上]水原秋櫻子の俳句碑
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.  木々ぬらし 石う可ち つひに 春の海  秋櫻子
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[28][右下:中]帝釈天山門前にて
[右下:下]柴又駅 platform の駅名と時刻表
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0721分 柴又発→京成金町線→
0723分 京成高砂着
0732分 京成高砂発→京成本線快速特急→
0748分 京成上野着→徒歩→
0754分 上野発→東京メトロ銀座線→
0759分 浅草着→徒歩→
0805分 浅草寺・雷門着
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【金龍山 浅草寺】
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[29][左上:上]雷門にて
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[左上:下]金龍山浅草寺石碑にて
[右上:上]閑散とした仲見世にて1
[右上:下]同上2
[左下:上]浅草寺 山門
[左下:下]同上 本堂前にて1
[右下:上]同上2
[右下:下]本堂前で五重塔を back
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0835分 浅草寺本堂発→徒歩→
0857分 浅草発→東京メトロ銀座線→
0905分 上野着
0928分 東京都美術館着
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■さて今日最後の話題は、前々号&前号に続き「四T」の第3回目 橋本多佳子(1899-1963)についてご紹介させて頂く
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. 橋本多佳子の略歴は以下の通り‥
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1899(明治32)0115日 東京市本郷区龍岡町(現・文京区本郷)生まれ / 祖父は箏の山田流家元の山谷清風 / 菊坂女子美術学校(女子美術大学前身)日本画科入学するも病弱の為中退
1917年 建築家で実業家の橋本豊次郎と結婚 / 福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)に「櫓山(ろざん)荘」を建築し転居 / 高濱虚子来遊を期に句作を開始 / 杉田久女(1890-1946)に俳句指導を受ける
1924年 多佳子は此の年迄に4人の娘を出産
1927年「ホトトギス」雜詠に「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」が初入選
1929年 夫・豊次郎の父・料左衛門の死去に撚り大阪・帝塚山に転居 /
. 同年「ホトトギス」400号記念俳句大会(大阪、中央公会堂)にて久女に山口誓子を紹介される
1935 01月より山口誓子(1901-94)に師事 / 同年4月 水原秋桜子主宰の「馬酔木」同人となる
. 同年5月 豊次郎と上海・杭州に旅行
1937年 帰阪後に豊次郎が発病、930日に逝去(享年51)
1939年 櫓山荘を手放す
1941年 第一句集『海燕』発表
1944年 奈良市あやめ池に疎開後、定住
1963年 肝臓、胆嚢癌により死去(享年64)
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[30][左上]晩年の橋本多佳子
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.【小生 comment
. 橋本多佳子は、杉田久女(1890-1946)に俳句指導を受け、1929年 杉田に山口誓子を紹介され1935年に師事
. 1937年 夫 橋本豊次郎亡き後、俳人として歩んで行く
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1944年 奈良市あやめ池に疎開後、奈良に定住した多佳子は、西東三鬼、平畑静塔、右城墓石ら「天狗」の中心的メンバーの男性詩人との交友を通じて「奈良句会(のちの日吉館句会)」に参加し、当時としては自由奔放な作風の作品を以下の通り残した
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  乳母車 夏の怒濤(どとう)に よこむきに  橋本多佳子
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      『紅絲』所収(昭和2606)
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[30][右上]「乳母車夏の怒濤によこむきに」を image した画像
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. 此の句は視覚的印象が鮮明で、現代のポップアートの様でさえある。大きな空間にぽつんと置かれた小さな乳母車
. 「よこむき」に拠って読者はあくまでも客観的に此の光景を眺めることになり、乳母車を押す人の視点は一句から消える
. ひょっとしたら、乳母車は空っぽかもしれないと思わせる様な不安も漂い、恐らく作者が意図した以上に斬新な作品になっている〔『鑑賞/女性俳句の世界~第2巻:個性派の登場』~橋本多佳子~(片山由美子著)より引用〕
. 作者の弁によると、此の句は「小田原の御幸が浜で作られた句で、娘と話に夢中になり、気がつけば、孫を乗せた乳母車がポツンと浜に置き去りになっていた」という

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【小生 comment
. 題材は『乳母車』であり女性的だが、句調は極めて男性的である
. 西東三鬼、平畑静塔ら「天狗」の中心的メンバーの男性詩人との交友を通じていた頃の作品だからだろう
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  祭笛(まつりぶ) 吹くとき男(おとこ) ()かりける  橋本多佳子
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.      昭和24作『紅絲』所収(昭和2606)
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[30][左下]「祭笛吹くとき男佳かりける」をimageした画像
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. 夏祭の衣装に身を固めた男が、祭の囃子の笛を吹いている
. 若者でもいいが、渋い中年でも成り立つ
. 男佳かり」と言い切る大胆さは、作者の年代の女性の言葉としては余程新鮮だったろう〔『聞いて楽しむ 俳句(厳選名句)(辻桃子&安部元気【編著】)
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【小生 comment
. 此の句も、健全な eroticism を感じる
. 橋本多佳子面目躍如の名句だと思う
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.  雄鹿(おじか)の前 吾(われ)もあらあらしき息(いき)す  橋本多佳子
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.      『紅絲』所収(昭和2606)
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[30][]「雄鹿の前吾もあらあらしき息」を image した画像
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. 交尾期を迎えた雄鹿が、雌を恋うて荒々い息をしている。其の鹿の前で、自分も息を弾ませているという erotic な句
. 奈良公園の鹿に託して、夫への恋情を詠んだ句と云われている〔『聞いて楽しむ 俳句(厳選名句)(辻桃子&安部元気【編著】)
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【小生 comment
. 1937年の夫の死から10年以上経っている時の俳句だから、多佳子は五十路を迎える直前の頃の句である
. が、彼女の艶やかさは些かも衰えず、寧ろ此の頃が最高潮と言えるのではなかろうか
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.  雪(ゆき)はげし 抱()かれて息(いき)の つまりしこと  橋本多佳子
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.      『紅絲』所収(昭和2606)
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[
30][右下]「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」をimageした画像
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. 此の句は、多佳子の作品として、最もよく知られたものの一つであろう〔中略〕
.   (前句の「雄鹿の前吾もあらあらしき息す」と同じく)「多佳子の感情の激しさ」をいうのは容易い〔中略〕(此処で)多佳子がこうした傾向の作品をつくった背景を考えてみたい。此の頃多佳子は、西東三鬼((1900-62) 1925年 日本歯科専門学校卒 / 193504月 平畑静塔らの招請で『京大俳句』に参加 / 1948年 山口誓子を擁して『天狗』創刊 / 1956年 角川書店『俳句』編集長)、平畑静塔((1905-97)京都大学医学部卒 / 1933『京大俳句』創刊者の一人)、右城墓石(うしろぼせき(1899-1995) 1949年『天狗』同人)など、「天狗」の中心的メンバーであった男性詩人に一人混じって、奈良句会(のちの日吉館句会に参加していた
. 炬燵に雑魚寝をし乍ら夜を徹することもあったという此の句会で、多佳子は男性と対等に渡り合うことで自身を鍛えようとした。男たちの鼻を明かしてやりたいという思いも強かった筈である〔中略〕一連の作品はそういう句会で生まれたことを無視する訳にはいかない
. 多佳子は迸(ほとばし)り出る感情や情念を表現する為に俳句が必要だったのではなく、俳句を作ることによって、或いはその為に自己の内奥の感情を引き出したのである〔『鑑賞/女性俳句の世界~第2巻:個性派の登場』~橋本多佳子~(片山由美子著)より引用〕
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【小生 comment
. 今回ご紹介した 橋本多佳子 の代表作4句のうち、後半の3句は、異性としての男を意識した女の内面的感情を表している
. 美人の誉れ高い橋本多佳子が詠んだ俳句だからこそ、此れ等の句は輝きを放っている
. 此れ等の句を詠み返してみたが、「此の世は『男と女』が繰り広げる絵巻物」だな、と改めて感じた
.
.  では、また‥〔了〕
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今日の話題は、一昨年の2019 1113日に、豊橋市美術博物館にて開催中の『同館collection名品展/9 ナイン・ストーリーズ』→愛知県芸術劇場コンサートホール/『ズービン・メータ指揮ベルリン・フィル演奏会』を聴いてについてお伝えする
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. 其の日は、1103()出勤の振替休日だったので、朝はゆっくり起きて、1900分に愛知県芸術劇場コンサートホールにて開演される、ズービン・メータ指揮BPOによるブルックナー作曲交響曲第8番を聴きに行く迄、以下の通り行動した
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08:00 腹筋2,000
09:00 2.5kgの 木刀の素振り60
10:30 入浴→ブランチ
14:20 拙宅発→自転車→
14:35 豊橋市美術博物館着
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【豊橋市美術博物館『コレクション名品展/9 ナイン・ストーリーズ』 】5()
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[31][左上]豊橋市美術博物館入口横の本企画展看板前にて
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[右上]同館内本企画展banner前にて
[左下]鹿子木孟郎『裸体の写生』1906
[中下]岸田劉生『自画像』1913
[右下]同『林檎葡萄之図』1918
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[32][左上]藤島武二『婦人像』1920
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[右上]島田卓二『二川風景』1926
[左下]岡田三郎助『麻の着物』1929
[中下]佐分眞『厨房』1930
[右下]松林桂月『葡萄栗鼠』1936
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[33][左上]荻須高徳『ポントワーズ』1937
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[右上]和田英作『古澤近く(知立東口)1947
[左下]白井烟嵓『雲行雨施』1949
[中下]「中村正義『谿泉』1950年」の横にて
[右下]星野眞吾『習作 I 1960
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[34][左上]森清治郎『トスカナの城』1961
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[右上]中村正義『イト』1964
[左下]星野眞吾『人体による作品』1966
[右下]星野眞吾『机』1978
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[35][左上]高畑郁子『霊地残照』1981
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右上]三岸節子『グァディスの 家』1988
[左下]三尾公三『シーレの部屋』1989
[右下]平松礼二『路・波の国から』1992
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【小生comment
. 御覧の様に、豊橋市美術博物館所蔵品の傑作選であるだけあって見応えがある
. 藤島武二や岡田三郎助、和田英作は、東京美術学校草創期からの重鎮で文化勲章受章者。流石に素晴らし展示作品だった
. 又、同じく文化勲章受賞者の荻須高徳や、大正期から昭和初期にかけて活躍した岸田劉生や佐分利眞の作品も魅力がある作品だ
. 昭和時代の中期~後期にかけて、地元豊橋を代表する日本画家の、星野慎吾、中村正義、高畑郁子の代表作も素晴らしいし、同時期に一宮市を代表する女流西洋画家として活躍した、小生大好きな三岸節子の作品も展示されていて魅力的である
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1550分 豊橋市美術博物館発→自転車→豊橋駅へ
1641分 豊橋発→新幹線こだま663号→〔了〕
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. では、また‥〔了〕

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