2021年5月13日木曜日

【時習26回3−7の会 0862】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第80回/員外~第781句~790句〕」「04月30日:旧東海道五十三次「掛川宿」「JR掛川駅」「事任八幡宮」「日坂宿」「小夜の中山」=「小夜鹿一里塚跡」「久延寺・夜泣石」「小夜の中山『夜泣石』」「旧東海道『菊川坂』→『金谷坂』」「金谷一里塚跡」を巡って」「島崎藤村『千曲川旅情の歌』・室生犀星『小景異情』」「『愚息と愚孫息子』『拙宅中庭の紫陽花の蕾』『時習26回【1-4】【2-8】【3-7】全体写真と想い出』」


■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0862】号をお届けします。
. 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第80回/員外~第781句~790句〕」をご紹介する。
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781 いくつともなくてめつたに藏造(くらづくり)  釣雪(1)
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【意】此の老人は、何処迄蓄財すれば気が済むのか / 次々に蔵を造り際限ない栄耀栄華を誇っている
【解説】《初裏五》《雑》/ 老人を「貧者」→「富者」へ描き替えた
(
1)大橋釣雪(おおはし ちょうせつ(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 通称:左衛門 /『あら野』等に入句
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782  湯殿(ゆどの)まい(=)(1)のもめむたつ(2)(なり)  舟泉(3)
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【意】此の老人は、湯殿参詣の準備に木綿で白装束を作っている
【解説】《初裏六》《夏》:湯殿まいり /
(1)湯殿まゐり:羽黒三山(山形の羽黒山・月山・湯殿山)を前身白装束で巡礼修行すること
(2)もめむたつ:木綿の生地を裁って白装束の参詣装束を作ること
(
3)永田舟泉(ながた しゅうせん(1654-1737.11.19(元文021027(享年84))):三河国挙母(ころも(現・豊田市挙母町))生まれの、尾張国名古屋の人 / 通称:六兵衛 / 1687(貞亨04)年に蕉門に入る /『あら野』・『曠野後集』等に入句
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783 (すず)しやと莚(むしろ)もてくる川(かは)の端(はた)  野水
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【意】(1) 前句の「湯殿」を夏の風呂として、風呂上りに夕涼みに筵を持って川べりに来て涼んでいる
(2) 筵を持って川べりに涼みに出る / すると既に先客がいる / 其の先客は湯殿参詣の準備をしていた
【解説】《初裏七》《夏》:涼しや / (2)では、前句の口調に応答会話体を見てとった付け
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784  たらかされし(1)や彳(たたずめ)る月(つき)  荷兮
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【意】川端に佇む男の肩に空しく月の光が降り注ぐ / 男は騙されたのか、女に待ちぼうけを食わされた様だ
【解説】《初裏八》《秋》:月 /《恋》:たらかされし / 前句の夕涼みの男は、女との逢引を企んでいたとした
(1)たらかされる:騙されること
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785 秋風(あきかぜ)に女車(をんなぐるま)(1)の髭(ひげ)(=)とこ  亀洞(2)
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【意】秋風がそよぐ中、女車が一台約束の場所に来た / しかし、御簾(みす)を開けると髭面の男が笑っている/ 待たされた男は謀(たばか)られた様だ
【解説】《初裏九》《秋》:秋風 /《恋》:女車 /
(1)女車(をんなぐるま):女性乗用の牛車(ぎっしゃ)
(
2)武井亀洞(たけい きどう(?-貞亨04(1687)11):尾張国名古屋の人 /『春の日』に初出 / 越智越人の弟子と云われる /『あら野』・『庭竈集』等に入句
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786  袖(そで)ぞ露(つゆ)けき嵯峨(さが)の法輪(ほふりん)(1)  釣雪
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【意】此処は「十三参り」で有名な京都嵯峨野の法輪寺 / 秋の露でしとどに濡れる境内に女車(牛車)は入っていく
【解説】《初裏十》《秋》:露 / 前句の男は、女君に仕える従者
(1)嵯峨の法輪:嵐山にある智福山法輪寺 / 真言宗 /「嵯峨の虚空蔵菩薩像」で知られる
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787 時々(ときどき)にものさへくはぬ花(はな)の春(はる)  昌碧(1)
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【意】我が子は虚弱で朝晩の食事も進まぬことがある / 此の時候の良い春にも拘らず
【解説】《初裏十一》《春》:花の春 /【法輪寺の『十三参り』】法輪寺のご本尊虚空蔵菩薩は、智恵・福徳の仏様として京都の人々に親しまれている / 平安時代の初め、幼くして帝位に就いた清和天皇が数え年「十三歳」になった折、成人の証として法輪寺で勅願法要を催したのを端緒とし、成人儀礼として法輪寺の虚空蔵菩薩に詣でて智恵を授けていただく『十三参り』が執り行われる様になった / 413(旧暦313)に、数え13歳の子供たちが、厄を祓い知恵を授かる様に虚空蔵菩薩にお参りする行事 / 参詣の後、桂川に架かる渡月橋を渡り切る前に振り返ると、授かった福や知恵が失われて仕舞うという言い伝えがある / 現在も十三歳は人生の大きな節目とされ、『十三参り』は智恵を授けていただき立派な大人になり、幸福な人生を送ることができるよう祈願する重要な通過儀礼として続いている / 髭面の男の入っていった法輪寺から一転して十三参りに転じた / 法輪寺の虚空蔵菩薩は、幼児の知恵福徳を守る佛であるので、親は祈願信仰する
(1)昌碧(しょうへき(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 / 貞亨04(1687)11月『笈の小文』の旅の折、蕉門に入る /『あら野』等に入句
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788  八重山吹(やへやまぶき)(1)ははたちなるべし  野水
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【意】「山吹」は別名「面影草」と称し、又、物言わぬ慎ましき女性に譬えられる /「一重の山吹」が十三参りの清楚な少女風情とすれば、八重の豊かに咲き乱れる「八重山吹」は、二十歳位の成熟した女とでも言えようか
【解説】《初裏十二》《春》:八重山吹 / 前句を物思い多き故の拒食と見る
(1)八重山吹:八重咲きの山吹
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789 ()のいでやけふは何(なに)せん暖(あたたか)に  舟泉
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【意】朝日が美しい、うらうらと温かな日和となった / さて今日は一日何をして過ごそうか
【解説】《名残表一》《春》:暖(あたたか) / 朝日を受けて黄金色に輝く山吹の傍らに、春愁の時節を持てあます青年を出す
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790  心(こころ)やすげに土(つち)もらふなり  亀洞
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【意】此の暖かい初夏の一日を田の畦の構築作業の土壁にでも使うのか / 如何にも心安気(やすげ)に良い土を貰いに行く人がいる
【解説】《名残表二》《雑》/ 前句・付句共に傍観者の立場から詠んだものか
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔81回 / 員外~第791句~800〕をご紹介する。お楽しみに!
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■今日続いての話題は、0430()に実施した、旧東海道五十三次「掛川宿」「日坂宿」「金谷宿」巡りについてである
. 0430()は、週一回の平日公休日
. 旧東海道五十三次 「JR掛川駅」→「事任八幡宮」→「日坂宿」→「小夜の中山」=旧東海道「小夜鹿一里塚跡」→「久延寺・夜泣石」→「小夜の中山『夜泣石』」→旧東海道「菊川坂」→同「金谷坂」→旧東海道「金谷一里塚跡」を踏破したことについてお伝えする
. 踏破距離19.4㎞、歩数25,321歩だった
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0320分 起床→腹筋2,000
0410 2.5kgの木刀素振り50
0500分 入浴→朝食
0556分 拙宅発→一般道72 68km〔駐車料金:3,300/日〕→
駐車料金での大失敗作:一日MAX 500円の看板に惹かれて止めた駐車場は、土日祝日のみ500円で、平日は上限なしであることを精算時に知った
. 凄く悔しいことだが、此れも神様が小生に与えてくれた試練だと思い納得した
. 加えて、此の日の旧東海道は、コンビニが出発地の掛川駅前のローソンだけで一軒もなかったので、昼食もdrinkの購入もなく、total ではいつもより1,000円程度の消費超過で済んだ
0708 JR掛川駅近隣駐車場着
0822分 事任八幡宮 バス停着
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JR掛川駅→事任八幡宮】
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[01][左上]JR掛川駅 同所前にて1
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[右上]同 同所前の掛川城案内看板前にて
[左下]同 同所前にて2
[中下]同 同上3
[右下]同 事任八幡宮 バス停近くにて1
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【事任(ことのまま)八幡宮】
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[02][左上]事任八幡宮 バス停近くにて2
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[右上]同 本宮〔奥社〕入口にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 同上3
[右下]同 同上4
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0918分 事任八幡宮〔里宮・本殿〕着
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[03][左上]事任八幡宮「奥社入口」案内看板
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[右上]同 本宮〔奥社〕参道にて1
[左下]同 同〔同〕同上2
[中下]同 同〔同〕拝殿前にて
[右下]同 里宮〔現・本殿〕にて
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[04][左上]事任八幡宮〔里宮・本殿〕一の鳥居前にて1
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[右上]同〔同〕金刀比羅神社 鳥居前にて
[左下]同〔同〕同所にて
[中下]同〔同〕稲荷神社 鳥居前にて
[右下]同〔同〕五社神社前にて
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【事任八幡宮→旧東海道街並風景1
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[05][左上]事任八幡宮〔里宮・本殿〕拝殿前にて1
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[右上]同〔同〕同所にて2
[左下]Google 航空 map 事任八幡宮→川坂屋→日坂宿本陣への経路
[中下]旧東海道街並〔掛川市日坂(にっさか)〕風景1
[右下]同〔同〕賜硯堂 成瀬大域 出生の地「石碑」と「解説板」
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【旧東海道街並〔掛川市日坂〕風景2
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[06][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕賜硯堂 成瀬大域 出生の地「石碑」と「解説板」にて
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[右上]同〔同〕風景2 同所にて1
[左下]同〔同〕風景3
[中下]同〔同〕風景4「古宮(ふるみや)橋」欄干にて
[右下]同〔同〕風景5 同所から「逆川」を望む
. 藤の花が綺麗だった
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[07][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕下木戸跡
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[右上]同〔同〕同 解説板
[左下]同〔同〕日坂宿「高札場」解説板
[中下]同〔同〕同「同」同所にて1
[右下]同〔同〕同「同」同上2
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10 05分「川坂屋」着
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[08][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕川坂屋 同所にて
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[右上]同〔同〕同 解説板
[左下]同〔同〕同 同所にて
[中下]同〔同〕風景6「川坂屋」
[右下]Googe 航空 map 川坂屋→「小夜の中山=小夜鹿一里塚跡」への経路
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[09][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕風景7「藤文」
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[右上]同〔同〕風景8「藤文」邸の横にあった 広重/東海道五十三次「日坂宿・小夜の中山」
[左下]同〔同〕「藤文・日坂宿最後の問屋役を務めた伊藤文七」解説板
[中下]同〔同〕同所にて
[右下]同〔同〕風景9「かえでや」
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1115分 旧東海道「日坂宿・本陣跡」着
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[10][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕風景10「かえでや」奥の中庭と蔵1
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[
右上]同〔同〕風景11 同上2
[左下]同〔同〕風景12「澤屋」
[中下]同〔同〕日坂宿「本陣跡」前「日坂宿」解説板前にて
[右下]同〔同〕同「ここは宿場町「日坂の駅」」解説板
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[11][左上] 旧東海道街並〔掛川日坂〕日坂宿「本陣跡」同所前「日坂宿」解説板
.
[右上]同〔同〕同 同所にて
[左下]同〔同〕同「本陣跡」解説板
[中下]同〔同〕同「同」同所にて
[右下]同〔同〕同「本陣扇屋」前にて
.
[12][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕「秋葉常夜燈」
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[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕風景13 同所にて
[中下]同〔同〕風景14 広重/東海道五十三次「日坂」
[右下]同〔同〕「二の曲り」と「沓掛」解説板にて
.
【旧東海道街並〔掛川市日坂→小夜鹿(さよしか)1〕風景】
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[13][左上]旧東海道街並〔掛川市日坂〕「二の曲り」にて
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[右上]同〔同〕風景15 新緑が瑞々しい茶畑を back
. 茶摘みの歌は、1912(明治35)年、小学3年生の文部省唱歌となった歌だが、何故か、作詞・作曲者は不明だという
.
. 夏も近づく八十八夜
. 野にも山にも若葉が茂る
. あれに見えるは
. 茶摘じゃないか
. 茜襷(あかねだすき)に菅(すげ)の笠
.
. 因みに、八十八夜は、立春から数えて88日目なので、512日に当た
で、昨日430日は、正に八十八夜の直前だ
. だからか、とっても瑞々しい新緑の茶畑だった
.
.  日坂(にっさか)の 八十八夜 間近(まぢか)なり 悟空
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[左下]同〔掛川市小夜鹿〕茶畑近くの旧東海道沿いに咲いていた薊(あざみ)の花
[中下]同〔同〕同所近く街道脇にあった芭蕉句碑「命なり わずかの笠の 下涼み」解説碑
[右下]同〔同〕同所にて
.
【旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕風景】
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[14][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕街道脇にあった芭蕉句碑「馬に寝て 残務月(ざんむつき)(とほ)し 茶のけぶり」解説碑
.
[右上
]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕風景1
[中下]同〔同〕風景2 白山神社
[右下]同〔同〕同所にて
.
【旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕風景・「小夜鹿一里塚跡」1
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[15][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕風景3 新緑の「茶畑」1‥青天とのcontrastが美しい!
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[右上]同〔同〕風景4 同上2
[左下]同〔同〕街道脇にあった蓮生(れんせい)法師〔熊谷次郎直実〕「甲斐が嶺は はや雪しろし神無月 しぐれてこゆる さやの中山」(続後選和歌集)解説板
[中下]同〔同〕同所にて
[右下]同〔同〕「小夜鹿一里塚跡」にて1
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[16][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕「小夜鹿一里塚跡」解説板にて
.
[右上]同〔同〕「同」解説板
[左下]同〔同〕「同」同所にて2
[中下]同〔同〕「同」同上3
[右下]同〔同〕風景5「小夜の中山公園」碑
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1352分 久延寺着
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[17][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕風景6 西行歌碑「年かけて また越ゆべしと おもひきや いのちなりけり さやの中山」碑前にて
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[右上]同〔掛川市小夜鹿〕「掛川・菊川・金谷を結ぶ 自然と歴史と伝説のさんぽ道」看板
[左下]同〔同〕「小夜の中山峠周辺案内図」の前にて
[中下]同〔同〕風景7 久延(きゅうえん)寺 山門
[右下]同〔同〕「久延寺境内」解説板
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[18][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕久延寺 山門にて
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[右上]同〔同〕同 本堂前にて1
[左下]同〔同〕同 伝説 小夜の中山夜泣石 解説板
[中下]同〔同〕同 風景8「夜泣石」
[右下]同〔同〕同 同所にて
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1407分 久延寺発
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[19][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕風景9 久延寺 境内の「二宮金次郎」像前にて
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[右上]同〔同〕風景10 同 山門にて・本堂を back
[左下]同〔同〕風景11 街道脇の茶畑1
[中下]同〔同〕風景12 同上2
[右下]同〔同〕風景13 同上3
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1507分「小夜の中山 夜泣石」着
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【旧東海道街並〔島田市菊川1・掛川市小夜鹿〕風景】
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[20][左上]旧東海道街並〔島田市菊川〕風景1「夜泣石」を示す道標
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[右上]同〔掛川市小夜鹿〕「夜泣石」傍の小泉屋に掲示されていた西行の「年たけて‥さやの中山」の歌看板前にて
[左下]同〔同〕風景14「小夜の中山 夜泣石」入口
[中下]同〔同〕風景15「同」へ至る坂道
[右下]同〔同〕風景16「同」のある場所
.
【旧東海道街並〔掛川市小夜鹿9・島田市佐夜鹿1〕風景「小夜の中山 夜泣石」】
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[21][左上]旧東海道街並〔掛川市小夜鹿〕「小夜の中山 夜泣石」の伝説 解説板
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[右上]同〔同〕「同」同所にて
[左下]同〔同〕「同」風景17
. 久延寺と此処の2箇所に「小夜の中山 夜泣石」があることに、違和感を覚えたが、伝説の石であり、そう深くは考えなかった()
[中下]同〔島田市佐夜鹿〕風景1「四郡の辻」近くにあった道標
[右下]同〔同〕風景2
.
【旧東海道街並〔島田市佐夜鹿2・島田市菊川2〕風景】
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[22][左上]旧東海道街並〔島田市佐夜鹿・島田市菊川3〕風景「四郡の辻」道標
. 四郡とは「佐野郡・城東(きとう)郡・榛原(はいばら)郡・山名郡」の4郡をいう
.
[右上]同〔同〕風景3
[左下]同〔島田市菊川〕「間(あい)の宿、菊川」解説板
[中下]同〔同〕「宗行卿詩碑・日野俊基歌碑」解説板
. 菊川の里会館の入り口横に中納言宗行(ぬねゆき)卿の辞世の詩と日野俊基の哀歌の石碑が建立されている
. 菊川の里は、金谷・日坂が東海道の宿場町として繁栄する数百年前の鎌倉時代の初期には既に名の通った「街道の要所」であった
. 菊川を有名にした一つに「宗行卿」の故事がある
. 1221(承久03)年 承久の乱にて鎌倉幕府覆滅計画に参画し中納言宗行は幕府に捕えられ鎌倉に護送される途中菊川に泊まり、宿の柱に辞世の詩を書き残した
. 「昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命」
.【意】昔は南陽県(中国)の菊水 / 下流を汲んで齢を延ぶ / 今は東海道菊川の / 西岸に宿して命を失う
. 又、110年後の「元弘の変(1331)」で同じ運命を辿った日野俊基が、此処で宗行卿の話を聞き哀歌を残した
. 「古(いにしへ)も、かかるためしを菊川の、同じ流れに身をや沈めむ」(太平記)
[右下]同〔同〕風景2「菊川由来の石」
.
【旧東海道街並〔島田市菊川〕風景】4
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[23][左上]旧東海道街並〔島田市菊川〕「菊川由来の石」解説板
.
[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕街道沿いの建物壁面に描かれた「昔をしのぶ 間(あい)の宿 菊川」
[中下]同〔同〕菊川の里 道標にて
[右下]同〔同〕同
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1607分「宗行卿之塚」着
1619分 旧東海道石畳「菊川坂上り口」着
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[24][左上]旧東海道街並〔島田市菊川〕「藤原宗行中納言之塚」解説碑
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[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕風景3 旧東海道「菊川坂上り口」にて
[中下]同〔同〕風景4 旧東海道石畳「菊川坂の石畳」1
[右下]同〔同〕風景5「同」路傍の花「シャガ」の花
.
1654分 旧東海道石畳「金谷坂下り口」着
1708分 同「金谷坂上り口」着
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【旧東海道の街並〔島田市菊川4「菊川坂」・金谷城山町「金谷坂」〕風景】
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[25][左上]旧東海道街並〔島田市菊川〕風景6 旧東海道石畳「菊川坂の石畳」2
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[右上]同〔島田市金谷城山町〕風景1 旧東海道石畳「金谷坂の石畳」解説板
[
左下]同〔同〕風景2 同「同」入口
[中下]同〔同〕同所にて
[右下]同〔同〕旧東海道石畳「金谷坂の石畳」解説板にて
.
【旧東海道街並〔島田市坂町〕風景「金谷坂」「金谷一里塚跡」】
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[26][左上]旧東海道街並〔島田市金谷坂町〕風景1 旧東海道石畳「金谷下り坂」
. 大きな丸石の上を歩いて坂道を下るのは、足首に負荷がかかり想像以上に歩き難かった
.
[
右上]同〔同〕旧東海道石畳「金谷坂の石畳」解説板
[左下]同〔同〕同「同」「石畳 上り口」
[中下]同〔島田市金谷田町〕「金谷一里塚跡」にて1
[右下]同〔同〕同所にて2
.
1720 JR金谷駅着
1733JR金谷駅→JR菊川駅〔同じ時刻1733分発の反対方向の電車に乗って仕舞った(料金200)
1741 JR菊川駅着
1800 JR菊川駅発→
1806 JR掛川駅着〔料金200円〕
1824 掛川駅近隣駐車場発→一般道〔82 68km
1946分 拙宅着〔走行距離計136㎞〕
.
JR金谷駅→JR掛川駅】
.
[27][左上]旧東海道街並〔島田市金谷新町〕JR金谷駅 同前にて
.
[右上]同〔同〕同 platform にて
[左下]同〔掛川市駅前〕JR掛川駅前にて
[右下]踏破距離計19.4km / 歩数計25,321
.
【小生 commemt
. 今日も天候に恵まれた、爽快な20㎞ 弱を walking 出来た
. Facebook の友達が「旧東海道がこんなステキな所とは知らなかった / 一度行ってくる」と comments くれたので以下の通り返事した
. 「ウン、小生も歩き続けているうちに旧東海道の街並の美しさや史跡、土地の人々の温かな心持ちの魅力に嵌って仕舞ったヨ」
. 処で、今回も地元の人の温かみを実感出来たことに出会った、然も2つも!
. 一つ目は、最初に訪れた「事任八幡宮の本宮奥社」への登り口で自撮りしていた時のこと、「写真撮ってあげますヨ」と小生と同年代の女性〔‥ 地元の方‥〕から声をかけられ、撮影して貰ったこと〔写真[02][中下][右下]
. 二つ目が、此処「日坂(にっさか)宿本陣跡」でのこと‥、本陣跡入口に日坂宿の観光 leaflets が置いてあったので眺めていたら、後ろから「無料ですからどうぞ持っていって下さい」と女性の声がした
. 振り返ると、小生より若干年少そうな方で、小生に日坂宿の観光名所を説明してくれた
. 小生が、西行法師の「年たけて‥小夜の中山」の歌の小夜の中山と「夜泣石」は是非行ってみたい旨伝えると、其の方曰く、「地図にある様に、旧東海道を金谷宿へ向かって行けば、小夜の中山も久延寺にある夜泣石はご覧になれますヨ / もし、時間があれば、夜泣石はもう一つ此処に〔‥と言って地図上の所在地を示してくれて‥〕あるので訪ねてみて下さい」と親切に教えてくれた
. こう言う温かい心遣いが出来る人たちがまだまだ日本には沢山いらっしゃるんだナ、とジーンと温かく心に響いた
.
 又別の Facebook の友達が「東海道は学ぶことが多い」と comments くれたので月の様に返した
.
. ホント、貴兄の言う通りです
. 旧東海道五十三次 walking に嵌ったのは、walking し乍ら、日本の歴史・文化を学べるという魅力を実感出来たことが一番の理由ですネ
. 今回で言えば、
(1) 西行法師が詠んだ「年たけて‥小夜の中山」の地を初めて訪れることが出来、俳聖芭蕉が体験した往時に想いを馳せることが自分にも擬似体験出来たこと
(2) 芭蕉の「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」「命なり わずかの笠の 下り松」の句、熊谷次郎直実の「甲斐が嶺は‥小夜の中山」の歌に初めて巡り会えたと言う新たな発見をしたこと
(3) 文部省唱歌「茶摘み」の歌の通りの八十八夜直前に訪れ、旬の新茶を摘み取る人達の気持ちを小生実感出来たと言う serendipity も体験出来たこと
(4)
「小夜の中山『夜泣石』」の話は聞いたことはあったが、其の『夜泣石』を自分の目で確かめることが出来たことと、其の『夜泣石』が2つ存在することを発見したこと、
. ‥等々なんかは、実際に walking しないと叶わなかった貴重な体験・思い出として自分史の一つに刻まれました
. 其れに、20kmを気分良く walking 出来、足腰の鍛錬にもなっているし‥!
.
. 上記(3)に関して、昨日(2021/05/02)の朝刊に、今年の八十八夜は0501日と言うことで、抹茶の産地として全国的に知られている西尾市の茶摘みの様子が一面記事として出ていた
. 静岡茶の茶畑を見たのは、正に八十八夜の前日だった!
.
. 次回は「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」の大井川を渡る
. ワクワクする旧東海道五十三次の旅が続く‥
.
. では、また‥〔了〕
.
■続いての話題は、詩人「島崎藤村」「室生犀星」の作品をご紹介したい
.
【島崎藤村(1872-1943)「千曲川旅情の歌」】
.
. 今日は、日本人の誰もが作者と詩の冒頭の数行は知っている、島崎藤村(1872-1943)の有名な「千曲川旅情の歌」をご紹介する
. 日本人として、自分の育った故郷の山川の様子を思い浮かべ、郷愁に浸ることが出来、真に理屈抜きで心を癒される名詩である
. 此の新体詩の傑作を、三好達治は堀内大學(1892-1981)「夕ぐれの時はよい時」と同じ著書「詩を読む人のために」では、最初に紹介する作品
. 氏は、同書冒頭「解説」の書き出しで次の様に述べている
.
[
28][]「千曲川旅情の歌」image 画像1
.
[左下]蘩蔞(はこべ)
[中下][右下]「千曲川旅情の歌」image 画像23
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.    *   *   *
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. この詩を刻した詩碑は、信州小諸の懐古園に建っています。
. 今ではところの名所となっているほど、詩は人口に膾炙(かいしゃ)しています。
. その石摺りくらいは諸君もどこかでごらんになったことがあるでしょう。〔中略〕
.
.    *   *   *
.
.  千曲川旅情の歌   島崎藤村
.
.
   一
.
. 小諸なる古城のほとり
. 雲白く遊子悲しむ
. 緑なす蘩蔞(はこべ)は萌えず
. 若草も藉()くによしなし
. しろがねの衾(ふすま)の岡辺
. 日に溶けて淡雪流る
.
. あたたかき光はあれど
. 野に満つる香(かほり)もしらず
. 浅くのみ春は霞みて
. 麦の色わずかに青し
. 旅人の群(むれ)はいくつか
. 畠中の道を急ぎぬ
.
. 暮れ行けば浅間(あさま)も見えず
. 歌哀し佐久の草笛
. 千曲川いざよふ波の
. 岸近き宿にのぼりつ
. 濁(にご)り酒濁れる飲みて
. 草枕しばし慰む   
.
【意】
. 小諸城の畔で
. 白雲の下 哀しく旅人が佇んでいる
. 新緑の繁縷(はこべ)はまだ芽吹かず
. 若草も其の上に腰を下ろせる程ではない
. 白銀の雪が敷き積もる山麓に
. 淡雪が陽光に照らされ溶けて流れいく
.
. 陽射しは暖かくなりつつも
. 野原に満ちる程の香りはない
. 春霞が浅くかかっているだけで
. 青麦の色はまだ薄い
. 幾人かの旅人の群れが
. 畑の畦道を急いでいく
.
. 日が暮れると 浅間山も見えなくなり
. 佐久の草笛の音色が哀しく聞こえて来る
. 千曲川に漂う波の
. 岸に近い旅籠屋に入り
. 濁り酒を飲み
. 暫くの間 旅の疲れを慰める
.
.    *   *   *
.
, 三好達治は次の様に解説を進める
.
.    *   *   *
.
. 最初に気のつくことは、一読して、この詩がたいへん口調がよく、調子の起伏が自然になだらかな間に、この詩の字面の意味から来るものの外に、何かたいへん気持ちのいいものが、別にその口調調子の方にあるということ。
. この詩は全篇「五七調」からできている、そういうことがまずその理由であります〔中略〕
. 私の見るところでは、その(=【筆者注】五七調からくる単調の弊害が救われている)理由は、凡そ二つ見出されるように思われます。 その一つは、音韻上の理由。(中略)
. 要約しますと、母音のOUと、子音のKとの、巧みな組合せの効果が、この詩の冒頭二行を支配しているということ、その快適な響き、その調子のよさは、殆んど偶然と思えるくらい、上乗の出来栄えだというのであります。〔中略〕
. 次にはその第二の理由を考えてみましょう。 この詩の比類のない魅力は、また一面からはそれはいわばこの詩の比類のない単純さにかかっているようです。
. 私にはどうもそういう風に考えられます。〔中略〕
. 「緑なす蘩蔞は萌えず / 若草も藉()くによしなし」というのは冬がれのままの荒涼とした野辺をいうので、「緑」も「蘩蔞(はこべ)」も「若草」も、ここでは詩中に一度持出されて、持出されると同時に引っ込められてしまった形であります。
. だから読者の心理的内部の方からいうと、それらの詩語詩句によって呼び起された心象は、外から刺戟に応じて喚起されるに従って、またやがて一つ一つ放下されていく、それでもっていっこうにこの詩を読みつづけてゆく上に差しつかえはない、―という極めて身軽な精神状態、単純な心理状態に読者は常に置かれているといっていいでありましょう。〔中略〕
. 私の考えでいうと、「千曲川旅情の歌」の大きな魅力は、その内容の単純さ、その内容における形象的要素の打消し、いい意味でのそのとりとめのなさから来る単純さと、それから先にいった音韻的成功との、二者が表裏をなしていて、読者の主観的気分がそのために、一方では自由に解き放たれ、一方では濃厚に凝集される。
. そういう作用をその詩の世界がもっているからであろうと、そんな風に私は説明したいのであります。
.
.    *   *   *
.
【筆者comment
. 此の詩を読むと理屈なく気分が爽快になる。
.
 三好達治も言っているようにこの詩の歌い出しの二行の「音韻」が読者の耳に心地よく響きわたる。
. 此れが此の詩の素晴らしさの第一。
. 次いで、僅か18行の中に《小諸・古城・白雲・遊子・緑色のハコベ・若草・しろがね・淡雪・あたたかい・光・香(かおり)・春・霞・麦の色・青・旅人・畠中・道・暮れ・浅間()・歌・哀し・佐久・草笛・千曲川・波・岸(辺)・宿・濁り酒・草枕》と、30もの語句一つひとつ程よく混ざり絡み合い、美しい自然、見事な色彩、旅情等を我々読者にvisualに想い浮かばせる、詩情豊かさと平明さ。
. これがその素晴らしさの第二。
. 恰も舞台の千曲川の岸辺に佇んでいるように‥
. 処が、其れ等の大半は「否定的命題」によって、繰り返し否定されつつ詩は進行してゆく。
. 多くの語句を使い乍ら形象的要素が甚だ少なく、「旅人の群れが夕暮れの霞の中に消えて行く」或る意味での雑駁さ‥
. 兎に角、朗誦し易い、分かり易い処が、昔から多くの人々から指示されて来た此の詩の良さと言えよう〔了〕
.
.  ※   ※   ※   ※   ※   
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【室生犀星(1889-1962)「小景異情」】
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[29][左上][右上][左下][中下][右下] 室生犀星
.
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. 続いては、室生犀星「小景異情」をご紹介したい
. 犀星(1889-1962)の作品も、三好達治の「詩を読む人のために」からご紹介しようと思ったが、【解説】が高尚であるためか、又小生の理解力が浅薄な為、今一つ面白く感じられなかったことから止めた
. 変わりに嵐山光三郎著「文人暴食」(新潮文庫)から「室生犀星 ― 復讐的食卓 ― 」を抜粋してお贈りする
. 此方の解説の方がずっと庶民的で親しみが湧く
.
.    *   *   *
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. 室生犀星の有名な詩に
.
. 小景異情
.
.  その一
.
.  白魚はさびしや
.  そのくろき瞳はなんといふ
.  なんといふしほらしさぞよ
.  そとにひる餉()をしたたむる
.  わがよそよそしさと
.  かなしさと
.  ききともなやな雀しば啼けり
.
.  その二
.
. 【ふるさとは遠きにありて思ふもの
.  そして悲しくうたふもの】
.  よしや
.  うらぶれて異土の乞食(かたゐ)となるとても
.  帰るところにあるまじや
.  ひとり都のゆふぐれに
.  ふるさとおもひ涙ぐむ
.  そのこころもて
.  遠きみやこにかへらばや
.  遠きみやこにかへらばや
.
.  その三
.
.  銀の時計をうしなへる
.  こころかなしや
.  ちよろちよろ川の橋の上
.  橋にもたれて泣いてをり
.
.  その四
.
.  わが霊のなかより
.  緑もえいで
.  なにごとしなけれど
.  懺悔の涙せきあぐる
.  しづかに土を掘りいでて
.  ざんげの涙せきあぐる
.
.  その五
.
.  なににこがれて書くうたぞ
.  一時にひらくうめすもも
.  すももの蒼さ身にあびて
.  田舎暮しのやすらかさ
.  けふも母ぢやに叱られて
.  すもものしたに身をよせぬ
.
.  その六
.
.  あんずよ
.  花着け
.  地ぞ早やに輝やけ
.  あんずよ花着け
.  あんずよ燃えよ
.  ああ あんずよ花着け
.
.  (「朱欒」(大正02(1913)5))
.
. がある
. 大正02(1913)年 北原白秋(24)主宰の雑誌『朱欒(ザンボア)』に発表された
. 此の【ふるさとは遠きにありて思ふもの
.    そして悲しくうたふもの】は「小景異情」と題された第二章(「その二」)部分だ
.
. 犀星は金沢に生まれた私生児であった
. 父は加賀藩の足軽組頭、母はハルという女中
. 父は老年で女中に子を産ませたことを恥じ、生後七日のまだ名をつけぬうちに、近所の赤井初(ハツ)に渡した
. ハツは犀川ぞいにある貧乏寺雨宝(うほう)院住職室生真乗(しんじょう)の内縁の妻
. 昼間から大酒を飲む性悪女で、内縁の夫である真乗を尻に敷いていた
. 犀星が貰われた時、姉のおてい、兄の信道がおり、いずれも貰い子だった
. ハツは、人買い屋でもあり、娘は娼婦として売って遊興費を稼いでいた
. 血の繋がらぬ母子、兄妹との奇妙な共同生活が、ハツの専制の下、雨宝院の庫裏の中で日夜繰り広げられた
. ひもじい少年は、食うことのみに思いがいくから「ふるさとを遠くにありて思う」時、「白魚の目玉のくろき淋しさ」がまず記憶の念頭に浮ぶのだ〔中略〕
. 高等小学校を三年で退学(当時は尋常小学校四年、高等小学校四年制)し、母の命令により金沢地方裁判所に給仕として勤めさせられた
. 姉が娼婦として売られた時の記憶を犀星はこう書いている
. 「‥女の身売り三年間の金高はどれだけの金高であるか判らないが、恐らく五六十円位が精々で、口入料とか、反物衣裳代を引いた後でもお初の懐中には充分の飲代があった‥酒臭い家の茶の間から姉の姿がさっとさらわれて行ったということに、わあと声をあげて表戸の車の下まで馳(はし)り出て泣いたものであった」(「私の履歴書」)
. 犀星は、この時程声を張り上げて号泣したことはなかったという
. ハツは「姉を売った金でお前が食うことができるのだ」と説明した
. 当時、酒は一升六十銭であった
. 給仕に出たときの犀星の初任給は二円五十銭、その月給も全てハツに巻き上げられた
. 犀星にとって唯一の好運は金沢が文化都市であったことで、裁判所上司 川越風骨に俳句の指導を受けた
. 「焼芋の固きをつつく火箸かな」(句集『魚眠洞発句集』)は、15歳の時の句だ
. 此の句を読んだ明治37年には日露戦争が勃発
. 養母ハツの虐待の中にあって、淡々と焼芋の句を詠んだ
. 15歳の少年とは思えぬ老成した句に、硬直した孤独が潜んでいる〔中略〕
. 犀星は、俳句にはじまり詩作で名をなして、萩原朔太郎(1886-1942)とは終生、義兄弟の関係となった〔中略〕
. 貧困と飢えの中で我慢強く生き、透明な視線で一直線に貫く抒情を探し続けた
. 大正07(1918)(29)に自費出版した『抒情小曲集』(600)に「白魚はさびしや‥」の詩が掲載された
. 『抒情小曲集』には「酒場」と題した詩もある
.
.    酒場にゆけば月が出る
.    犬のやうに悲しげに吼()えてのむ
.    酒場にゆけば月が出る
.    酒にただれて魂もころげ出す
.
. 酒場で一緒に吼えるのは三歳上の萩原朔太郎だった
. 朔太郎は一年前に処女詩集『月に吠える』を出版したばかりだった
. 荒れて飲み、飲んで吠えた
.
【筆者comment
. とは言え、三好達治著「詩を読む‥」から室生犀星の作品解説を一部分だけご紹介したい
. 小生にはとても此処まで読み採れない
. 詩を鑑賞するのは本当に奥深いものがある
. でも、ここまで読み切る必要もなく、素直に読めればそれでいいのではなかろうか
.
.    *   *   *
.
. 〔前略〕「室生のあはれは無智の一得‥」と萩原さんはその詩を推称し乍ら、どうかすると揶揄(からか)い気味にそういわれた
. 吃々(きつきつ)として舌の廻りかねた稚醇な言葉使いの巧みに(― それも一種の巧みには違いない ―)使いこなされて行届いたふしのあるのを、そういわれたのであろう〔後略〕
.
.    *   *   *
.
【後記1】「愚息と愚孫息子」
.
[30][左上]長男宅の孫娘(長女)と孫息子(次男)
.
[右上]長男宅の孫息子(次男)
[左下]「アクア・トトぎふ」のゾウガメ
[中下]「同」のゾウガメを back
[右下]「同」館内の長良川の鮎の群れ
.
. 小生、愚息(長男)と孫愚息が似ていることに改めてビックリ‼️
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[31][左上][左下]36-7年前の長男
.
[右上][右下]先日(2021/05/03)の長男宅の孫息子(次男)
.
【後記2】『拙宅中庭の紫陽花の蕾』
.
【前書】
. 今日(2021/05/01)も昨日と同様に爽やかな朝を迎えた
. 拙宅の中庭を眺めたら、目が洗われる様に鮮やかな緑が美しい紫陽花の叢が眼に入って来た
. 「昨年は前年の剪定に失敗して殆ど花を付けなかったが今年はどうだろう」と覗いてみたら‥「ウシシッ! シッカリ蕾が付いてるゾッ!」
. 「カメムシ君も臭いを出さなければ dandy ダネ」
.
. 拙宅の紫陽花は、いつも浅葱色の美しい花を付けてくれるので、今年の梅雨時にはきっと美しい艶姿を見せてくれることだろう!
.
. 紫陽花の 浅葱(あさぎ)が如き 貴女かな  悟空
.
[32][]拙宅中庭の紫陽花の蕾1
.
[右上]同上2
[右下]紫陽花の葉上のカメムシ
.
【後記3】『時習26回【1-4】【2-8】【3-7】全体写真と想い出』
.
[33][] 時習26回【3-7全体写真】
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[左下]【1-4】全体写真
[中下]【2-8】全体写真
[右下]【1-4】ミニクラス会 at Try Again
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[34]添付写真[33]に係る Facebook での comments1
.
[35]同上2
.
.
. 今日は、時習館高校3年間のclassmatesとの全体写真3枚を up する
. 因みに、我等時習館高校26回生は〔男子@35人+女子@10人〕×10クラス=450人居た
. 60歳で5%が鬼籍に入るという統計に近い数値で、我等同期生の幾人かは既に鬼籍に入っている
. 例えば、【1-4】は男子35人のうち、5人が、1人河崎君が写真撮影時に体調を壊し欠席して全体写真にも写っていないが、彼を含めた5人が既に天に召されている〔其の河崎君とは【2-8】でも classmate だったので、[中下]2-8】の全体写真では最上段の右から4人目に写っている / 彼は身体が丈夫でなかったが頗(すこぶ)る頭脳明晰な大秀才で、一日2時間以上は勉強しなかったそうだ / 其れでも現役で東大工学部を卒業し、厚生省(当時)のキャリア官僚として活躍したが40代半ばで癌に罹患して天に召された〕
. 又、【3-7】では、男子2人が鬼籍に入っている
. 何故か最近、昔の青春時代の頃の写真が懐かしく感じられ、ちょくちょくalbumを紐解いている
.
追伸 / Facebook のお友達になっている classmates は、【1-4】では、iwase君、寿明君、文雄君、花井君、miyata君がいる
. Classmate ではない時習26回生の Facebook のお友達なら、もっと沢山いる
. 4枚目の写真、20136月に開催した【1-4】ミニクラス会に参加した小生を除く男子6人は、皆当時は各方面で活躍していた
. 一部兼職を含めると、大学教授2人、医者2人、弁護士1人、政令指定都市総務課長1人、県立高等学校長1人といった具合だ
. そんな我等も昨年65歳を迎え、今年3月迄に政令指定都市総務課長や高等学校長、大学教授は順次皆定年退官した
. 医者と弁護士は、現職の儘か、職場を変えて同じ職業に就いている
. 医者と弁護士は、流石は最難関の羨望の的の職業のことだけはあると実感()

. では、また‥〔了〕

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