2021年4月19日月曜日

【時習26回3−7の会 0859】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から員外〔第77回/員外~第751句~760句〕」「04月07日(火):旧東海道五十三次「舞阪宿」→「浜松宿」、04月10日(土):「浜松宿」→「JR豊田町駅」、04月11日(日):「JR豊田町駅」→「見付宿〔阿多古山一里塚跡〕」→「JR磐田駅」を歩いて」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。今日も【時習26回37の会 0859】号をお届けします。
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 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第77回/員外~第751句~760句〕」をご紹介する。
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751
(あく)るやら西(にし)も東(ひがし)も鐘(かね)の声(こゑ)  水(1)
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【意】盗人を夫に持つ妻の身は、夜が明ける迄心の休まる時がない / 夜明けの明け六つの寺々の鐘の音があちこちから聞こえて来る / 夫はまだ盗人家業から帰っては来ないのだ‥
【解説】
《初裏十一》/《雑》/
(1)岡田野水(おかだ やすい(1657-1743(寛保030322))):埜水とも / 尾張国名古屋の呉服豪商で町役人 / 通称:佐右次衛門 / 本名:岡田行胤 / 芭蕉が『野ざらし紀行』の旅で名古屋に逗留した(1684)際の『冬の日』同人 / 湖南の門人や去来など上方の門人との交流もあった
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752  さぶうなりたる利根(とね)の川舟(かはぶね)(1)  兮(2)
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【意】めっきり冷え込む晩秋の朝、利根川の船着場に周辺の寺の鐘の音が聞こえて来た
【解説】《初裏十二》/《冬》:さぶうなりたる / 場所を、夜明けの利根川の岸辺に変えて、夜舟で朝を迎える場面を詠んだ
(1)利根の川舟:利根川の豊富な水は、水運を盛んにし、物資の輸送や鹿島(現・茨城県)・香取(現・千葉県)・息栖(いきす)(現・茨城県)の東国三社詣等で賑わった
(2)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年0825(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮 / 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった / 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している
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753 (ふゆ)の日()のてかてかとしてかき曇(くもり)  人(1)
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【意】冬の日は、晴れて照っていたと思うと急に曇って、利根川は強い寒風が吹き、晴れ曇りの定めない様子が身に染む寒さを一層増幅させる
【解説】《名残表一》/《冬》:冬の日 /
(1)越智越人(おち えつじん(1656-1739(元文04年頃)):北越の人 / 越智十蔵 / 別号:負山子、槿花翁など /『春の日』の連衆の一人、尾張蕉門の重鎮 /『更科紀行』に同行、其の儘江戸まで同道 / 一月後の作品『芭蕉庵十三夜』にも登場 /『鵲尾冠』・『猫の耳』等 / 芭蕉は、越人に対して実に好感を持っていた /『笈の小文』で伊良子岬に隠れている杜国を尋ねた時にも越人が同行している
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754  豕子(ゐのこ)(1)に行(ゆく)と羽織(はおり)うち着()て  水
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【意】玄猪の嘉例の挨拶に出かける / 空模様を心配し乍ら、羽織を来て川舟に乗っての外出だ
【解説】《名残表二》/《冬》:豕子 /
(1)豕子(ゐのこ):亥(いのしし)の子 / 十月の亥の日に餅を食べると万病を除き子孫繁栄するというので、玄猪・厳重・厳祥等と称して、餅を搗()き祝う風習があった
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755 ぶらぶらときのふの市(いち)の塩(しほ)いなだ(1)  兮
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【意】手土産には昨日朝市で買ったいなだの塩漬けをぷらぷら提()げ乍ら‥
【解説】《名残表三》/《冬》:塩いなだ /
(1)塩いなだ:いなだに軽く塩をふって生干しにしたもの /「いなだ」は関東地方で出世魚ブリの若い時の呼び名の一つ / 体長5060cmの冬十月頃の若い鰤
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756 (きつね)つきとや人(ひと)の見()るらむ  人
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【意】塩いなだをぶら提げて街道を行く自分を見たら、人は自分を狐にでもとり憑かれたかとでも見るだろうか?
【解説】《名残表四》/《雑》/
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757 柏木(かしはぎ)(1)の脚氣(かつけ)(1)の比(ころ)のつくづくと(2)  水
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【意】
女三の宮との恋に悩む柏木が、脚気の為に引き籠ってあれこれ思い悩みながら死んでいく様子に似ている
【解説】《名残表五》/《雑》/《恋》:柏木 / 柏木は光源氏の妻・女三宮と密通をする /
(1)柏木の脚気:源氏物語の主人公の一人の柏木右衛門督の詞として「かくびやうといふ物」を煩っている、とある / これを脚気とする古注があった
(2)つくづくと:ぼんやりと
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758 さゝやくことのみな聞(きこ)えつる  兮
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【意】柏木が脚気の病で病床にいると、神経が鋭敏になった彼には周囲の小さな話声でも皆聞こえて来た
【解説】《名残表六》/《雑》/《恋》:さヽやく /
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759 (つき)の影(かげ)より合(あひ)にけり辻(つじ)相撲(ずまう)(1)  人
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【意】〔聞かれたくないことが聞こえるといえば、〕 明るい月に誘われて町内の若い者達が集まり、ご法度の辻相撲が隠密裏に始まった / しかし、いつしか夢中になって声高になり結局は見つかって叱られるものだ
【解説】《名残表七》/《秋》:月の影、辻相撲 /
(1)辻相撲:素人が街の辻に集まって行う相撲 / 町触で禁制になっていた
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760 (あき)になるより里(さと)の酒桶(さかをけ)(1)  水
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【意】作業の後、相撲に興ずる町内の若者たち / 屋敷内の庭には大きな酒樽がゴロゴロしている / 新酒を仕込む大桶を掃除する為だ
【解説】《名残表八》/《秋》:秋 /
(1)酒桶(さかをけ):酒を仕込む為の巨大な桶
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【小生 comment
. 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔78回 / 員外~第761句~770〕をご紹介する。お楽しみに!
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■今日続いての話題は、0407()旧東海道五十三次「舞阪宿」→「浜松宿」、0410()に同じく「浜松宿」→「JR豊田町駅」、0411()に「JR豊田町駅」→「見付宿〔阿多古山一里塚跡〕」→「JR磐田駅」を踏破したことについてお伝えする
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. 先ず0402()についてである
. 此の日は、週一回の平日公休日
. 午前中は、三箇月毎通っている、光生会病院での小生の術後経過観察の6年半目も、〔時習26回【3-4】〕同期生で主治医をしてくれている金子院長のお陰で、今日も無事事なきを得た
. 午後から半日空いたので、今週末計画していた、旧東海道五十七次「枚方宿」→「守口宿」を、現在同地区をコロナウィルス感染症が蔓延していることを鑑み、今週末の実施は断念した
. 其の代わり、旧東海道五十七次の後、旧東海道五十三次「舞坂宿」から「日本橋」を目指すことになっていたので、「舞坂宿」→「浜松宿」の11kmを歩くことにした
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【「舞坂宿」→「篠原一里塚跡」】
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[01][左上]旧東海道五十三次「舞坂宿」→「篠原一里塚跡」「篠原一里塚跡」への Google 航空 map
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右上]同〔浜松市西区馬郡町〕街道脇の家のハナミズキの花
[左下]同〔同〕遠鉄「馬郡中(まごおり-なか)」バス停
[中下]同〔同〕同所にて1
[右下]同〔同〕風景1
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[02][左上]旧東海道五十三次「舞坂宿」→「浜松宿」〔浜松市西区馬郡町〕同所にて2
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[右上]同〔同〕風景2
[左下]同〔同〕馬郡村「高札場跡」同所にて
[中下]同〔同〕同 解説板
[右下]同〔同〕同所にて
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[03][左上]旧東海道五十三次「舞坂宿」→「浜松宿」〔浜松市西区馬郡町〕風景3
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[右上]同〔浜松市西区坪井町〕稲荷神社 本殿前にて1
[左下]同〔同〕同 同上2
[中下]同〔同〕同 赤鳥居前にて
[右下]同〔同〕同 由緒案内看板
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[04][左上]旧東海道五十三次「舞坂宿」→「浜松宿」〔浜松市西区篠原町〕風景1
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[右上]同〔同〕篠原一里塚跡 同所看板
[左下]同〔同〕同 同所にて1
[中下]同〔同〕同 同上2
[右下]同〔同〕同 同上3
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【旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚跡」】
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[05][左上]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚跡」「若林一里塚跡」への Google 航空 map
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[右上]同〔浜松市西区篠原町〕風景1
[左下]同〔同〕篠原一里塚跡
[中下]同〔同〕風景2
[右下]同〔同〕立場(たてば)跡 解説板
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[06][左上]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」風景3
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[
右上]同〔浜松市西区篠原町〕立場跡にて
[左下]同〔同〕遠鉄「立場(たてば)」バス停
[中下]同〔浜松市南区高塚町〕同所にて
[右下]同〔同〕風景1
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[07][左上]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」〔浜松市南区高塚町〕麦飯長者跡 解説板
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[右上]同〔浜松市南区増楽町〕増楽のいわれ「叟蘿魂」解説板()と石碑()
[左下]同〔同〕増楽のいわれ「叟蘿魂」解説板
[中下]同〔同〕熊野神社 本殿「扁額」
[右下]同〔同〕同 本殿にて
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[08]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」〔浜松市南区増楽町〕熊野神社 本殿前にて1
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[右上]同〔同〕同 同上2
[左下]同〔同〕同 境内風景
[中下]同〔同〕同 鳥居から本殿を望む
[右下]同〔同〕同 村社熊野神社 石碑
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[09]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」〔浜松市南区増楽町〕熊野神社 解説板
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[右上]同〔同〕秋葉常夜燈籠 解説板
[左下]同〔同〕同
[中下]同〔同〕同 同所にて
[右下]同〔同〕風景1「ハナミズキの花」
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[10][左上]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」〔浜松市南区若林町〕旧東海道にて
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[右上]同〔同〕風景1
[左下]同〔同〕風景2 路傍の花「ヒメツルソバ」
[中下]同〔同〕旧東海道にて1
[右下]同〔同〕同上2
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[11]旧東海道五十三次「篠原一里塚跡」→「若林一里塚」〔浜松市南区若林町〕旧東海道看板
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[右上]同〔同〕風景3
[左下]同〔浜松市南区東若林町〕秀衡の松
[中下]同〔同〕高札場跡・馬頭観音・二つ御堂 解説板
[右下]同〔同〕同 同所にて
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【旧東海道五十三次「若林一里塚跡」→「浜松宿」】
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[12]旧東海道五十三次「若林一里塚跡」〔浜松市南区東若林町〕Google map
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[右上]同〔同〕解説板
[左下]同〔同〕同所にて1
[中下]同〔同〕同所にて2
[右下]同〔同〕同所にて3
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[13][左上]JR浜松駅西側より アクトシティ浜松遠望1
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[右上]同上2
[左下]旧東海道五十三次「若林一里塚跡」→「浜松宿」への Google 航空 map
[中下]車のインパネ:復路走行距離27㎞〔走行距離計54km〕 走行時間 31
[右下]踏破距離 11.3km 歩行歩数 14,829
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. 今日も充実した半日 walking だった
. 今週末は、コロナ禍蔓延リスクを鑑み、「枚方宿」→「守口宿」は諦め、「浜松宿」→「見附宿」を考えている〔了〕
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【0410()
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. 今日は、昼過ぎ迄家庭の野暮用に追われて、自由になったのが1415
. 其れから、東海道本線JR舞阪駅へ向かった
. 今日は、旧東海道五十三次「浜松宿」→「見附宿」を目指したが、流石に出発時間が1532分だったので、「見附宿」に到達するのは無理だと思い、JR豊田町駅を最終目的地とした
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【舞阪駅→浜松駅】
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[14][左上]東海道本線JR舞阪駅 南口前にて1
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[右上]同 同上2
[左下] platform にて
[中下]同 南口前にて3
[右下]東海道本線JR浜松駅 北口前にて
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JR浜松駅と其の周辺】
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[15][左上]Google 航空 map : JR浜松駅→旧東海道「馬込一里塚跡」への経路
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右上]JR浜松駅周辺 風景1
[左上]同 風景2
[中下]同 同所にて
[右下]同 旧東海道の風景
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JR浜松駅→旧東海道「馬込一里塚跡」】
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[16][左上]旧東海道の標識前にて
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[右上]馬込川
[左下]旧東海道「馬込一里塚跡」直前のGoogle 航空 map
[中下]旧東海道「馬込一里塚跡」解説板
[右下]同 同所にて1
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【旧東海道「馬込一里塚跡」】
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[17][左上]旧東海道「馬込一里塚跡」同所にて2
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[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]Google 航空 map : 旧東海道「馬込一里塚跡」→同「安間一里塚跡」
[右下]旧東海道 琵琶橋欄干にて
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【旧東海道〔植松町・天龍川町・薬師町〕風景】
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[18][左上]旧東海道〔植松町〕風景1
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[右上]同〔浜松市東区東海道 area map
[左下]同 風景2
[中下]同 風景3
[右下]同 旧東海道五十三次にて‥小生
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【旧東海道街並〔薬師町・安新町〕風景】【安間一里塚跡】
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[19][左上]旧東海道街並〔薬師町〕風景1〔松並木〕
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[右上]同〔浜松市東区安新町〕「安間一里塚跡」Google 航空 map
[左下]同〔同〕「安間一里塚跡」にて1
[中下]同〔同〕同上2
[右下]同〔同〕同上3
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【旧東海道街並〔安新町・安間町〕風景】【安間一里塚跡】
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[20][左上]旧東海道街並「安間一里塚跡」にて4
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右上]同〔浜松市東区安新町〕「安間一里塚跡」風景1
[左下] Google 航空 map「安間一里塚跡」→「宮之一色一里塚跡」
[中下] 旧東海道街並〔浜松市東区安新町〕同所にて
[右下]同〔同区安間町〕同所にて
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【旧東海道街並〔安間町・中野町〕風景】
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[21][左上]旧東海道街並〔浜松市東区安間町〕風景1
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右上]同〔同〕風景2
[左下]同〔同〕風景3
[中下]同〔浜松市東区中野町〕風景1
[右下]同〔同〕風景2
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【旧東海道街並〔中野町〕風景】【六所神社】
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[22][左上]旧東海道街並〔浜松市東区中野町〕風景1「かやんば高札場跡」にて
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[右上]同〔同〕風景2「東橋跡」解説板
[左下]同〔同〕風景3 同所にて
[中下]同〔同〕風景4「中野町銀行跡」解説板
[右下]同〔同〕「旧東海道」解説板
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[23][左上]旧東海道街並〔浜松市東区中野町〕風景1「六所神社」東側の旧東海道道標にて
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[
右上]同〔同〕風景2「六所神社」境内〜本殿()&鳥居()
[左下]同〔同〕風景3 同所〔本殿・鳥居を back〕にて
[中下]同〔同〕風景4「六所神社」境内
[右下]同「天龍川」西岸より
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【旧東海道街並〔天龍川〕風景】
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[24][左上]旧東海道街並「天龍川」西岸より「天龍川橋」1
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[右上]同 同上2
[左下]同「天龍川橋」橋上から天龍川を望む1
[中下]Google 航空 map「天龍川橋」→「宮之一色一里塚跡」
[右下]Google 航空 map で示した「天龍川橋」橋上の小生の立ち位置
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【旧東海道街並〔天龍川・磐田市豊田西之島〕風景】
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[25][左上]旧東海道街並「天龍川橋」橋上から天龍川を望む2
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[
右上]同 同上2
[左下]同「天龍川橋」欄干
[中下]同「同」欄干にて
[右下]Google 航空 map で示した「天龍川橋」→「JR豊田町駅」
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【旧東海道街並〔JR豊田町駅・JR舞阪駅〕風景】
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[26][左上] JR豊田町駅 駅前にて1
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[右上]同 同上2
[左下]同 改札口前にて[中下]JR舞阪駅前にて
[右下]今日の 踏破距離14km 歩行歩数18,257
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1953分 豊田町駅発→東海道本線→20:01浜松20:12
2021 JR舞阪駅着〔料金330円〕
2030 JR舞阪駅近隣駐車場発→一般道29 27km
2100分 帰宅〔走行距離計55km
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. 此の日も楽しい walking だった
. 明日(0411())も昼から此の続きを歩く!〔了〕
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0411()
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JR豊田町駅→宮之一色一里塚跡→阿多古山一里塚跡→JR磐田駅】
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. 此の日は、午前中は所用があり豊橋駅前へ
. 昼過ぎから自由になったので、昨日の旧東海道五十三次「浜松宿」→「見附宿」の後半、「JR豊田町駅」→「宮之一色一里塚跡」→「一言坂の戦跡」→「見附一里塚跡()」→「見附一里塚跡()」→「JR磐田駅」を巡って来た
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【舞阪駅→豊田町駅〔料金330円〕】
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[27][左上]東海道本線JR舞阪駅 南口前にて1
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[右上] platform にて
[左下]東海道本線JR豊田町駅 platform にて
[中下]同 北口前にて
[右下]同 路傍の花「オステオスペルマム」
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JR豊田町駅→旧東海道街並〔磐田市森下町・宮之一色町〕風景】
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[28][左上]Google 航空 map : JR豊田町駅→旧東海道「宮之一色一里塚跡」への経路
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[右上]旧東海道街並〔磐田市森下町〕松並木を back 1
[左上]同〔同〕同上2
[中下]同〔同〕風景1「松並木」
[右下]同〔磐田市宮之一色町〕風景2 路傍の花「ユリオプスデージー」
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【旧東海道街並「宮之一色一里塚跡」】
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[29][左上]旧東海道「宮之一色一里塚跡」同所前にて1
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[
右上]同 解説板
[左下]同 同所前にて2
[中下]同 同上3
[右下]Google 航空 map : 今日の最終目的地「阿多古山一里塚跡()・同()」への経路
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【旧東海道「宮之一色一里塚跡」→「一言坂戦跡」】
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[30][左上]Google 航空 map : 「宮之一色一里塚跡」→「阿多古山一里塚跡()・同()」への経路
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[右上]旧東海道街並〔磐田市宮之一色町〕風景
[左下]同〔磐田市一宮町〕「一言坂(ひとことざか)戦跡」を示した道標
[中下]同〔磐田市一宮町〕「一言」歩道橋
. 此処迄歩いて、史跡「一言坂戦跡」を通り過ぎて仕舞ったことに気付き、引き返すことに‥
[右下]Google 航空 map : 一言歩道橋から「一言坂戦跡」への経路
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【旧東海道〔磐田市一言〕風景】
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[31][左上]旧東海道〔磐田市一言〕風景1
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[右上]同〔同〕風景2「秋葉山常夜燈」1
[左下]同〔同〕風景3 同上2
[中下]同〔同〕風景4 同上3
[右下]同〔同〕「秋葉山常夜燈」前にて
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【旧東海道街並〔磐田市一言〕風景】【一言坂の戦跡】
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[32][左上]旧東海道街並〔磐田市一言〕「一言坂の戦跡」同所前にて1
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[右上]同〔同〕「同」同上2
[左下]同〔同〕同所等 解説板
[中下]同〔同〕「一言坂の戦跡」碑
[右下]同〔同〕路傍の花「さつき」
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【一言坂の戦〔元亀3(1572)1013日〕】
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. 三河・遠江の織田・徳川領への侵攻を開始した武田信玄軍を迎え撃つ為、徳川家康は当地「一言坂」で先発隊の本多忠勝、内藤信成が武田軍と遭遇し緒戦となった
. 此の戦は、三方ヶ原の戦(元亀31222(1573.01.25)の前哨戦と位置付けられた合戦である
. 戦が劣勢となった徳川軍を武田軍は追撃、この撤退を本多忠勝(当時25)と大久保忠佐らが「一言坂」で武田軍を迎え打ち、退路を断たれた本多忠勝は死中に活を求め武田軍の小杉隊に突っ込み脱出した
. 其の脱出の際、武田軍の小杉左近はこれを迎え撃たず、道を空けさせ本多忠勝隊を見逃したという
. 戦後、「家康に過ぎたるものが二つあり / 唐(から)の頭(かしら)に本多平八」の狂歌が登場したと云う
. 本多平八郎忠勝の強運は、此の戦で敵将小杉左近から受けた温情を見ても良く解る
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【旧東海道街並〔磐田市一言・見付〕風景】【かぶと塚公園】
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[33][左上]旧東海道街並〔磐田市一言〕「一言坂の戦跡」近隣風景
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[右上]Google 航空 map :「一言坂の戦跡」→「阿多古山一里塚跡」経路
[左下]旧東海道街並〔磐田市見付〕「かぶと塚公園」南側の旧東海道 風景1
[中下]同〔同〕「同」同 同所にて
[右下]同〔同〕「同」東側にて
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【旧東海道街並「かぶと塚公園」】
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[34][左上]かぶと塚公園〔磐田市見付〕風景1「白い藤の花」
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[
右上]同〔同〕風景2「花壇の花」1
[左下]同〔同〕同所にて
[中下]同〔同〕風景3「藤の花」
[右下]同〔同〕かぶと塚公園案内図
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[35][左上]かぶと塚公園〔磐田市見付〕「兜塚古墳」解説板
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[右上]同〔同〕「同」同所にて
[左下]同〔同〕風景4「兜塚古墳」1
[中下]同〔同〕風景5 同上2
[右下]同〔同〕風景6「花壇の花」2
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【旧東海道街並〔磐田市見付〕風景】
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[36][左上]旧東海道街並〔磐田市見付〕風景7 路傍の花「あやめ」
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[右上]同〔同〕風景8「かぶと塚公園」近隣東側から東を望む
[左下]同〔同〕風景9 路傍の花「藤の花」
[中下]同〔同〕風景10
[右下]同〔同〕同所にて
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[37][左上]旧東海道街並〔磐田市見付〕風景11「旧見付宿脇本陣大三河屋門」解説板
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[右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕見付宿本陣跡にて
[中下]同〔同〕風景12「大見寺」
[右下]同〔同〕同所にて
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[38][左上]旧東海道街並〔磐田市見付〕「中川橋」欄干にて
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[右上]同〔同〕風景13「中川橋」
[左下]Google 航空map : 旧東海道から「阿多古山一里塚跡」への経路
[中下]旧東海道街並〔磐田市見付〕旧東海道から「阿多古山一里塚跡」への入口
[右下]同〔同〕同所にある愛宕山解説板
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[39][左上]旧東海道街並〔磐田市見付〕風景14「旧東海道」()と「愛宕神社」()
. 旧東海道を20m進んだ左手に「阿多古山一里塚跡」(北塚)、愛宕神社本殿奥に「阿多古山一里塚跡」(南塚)がある
.
[右上]Google 航空 map :「阿多古山一里塚跡」への経路
[左下]同〔同〕風景15‥近隣の民家の車庫から見上げた所に見える「阿多古山一里塚跡」石碑
[中下]旧東海道道波〔磐田市見付〕風景16「旧天神道」と「元門(もとかど)」、其の解説版
[
右下]同〔同〕同所にて
.
【旧東海道街並〔磐田市見付〕風景】5【阿多古山一里塚跡〔北塚〕】
.
[40][左上]旧東海道街並〔磐田市町〕風景17「阿多古山一里塚跡」石碑
. 日没直前の景色が最高だった
. 丁度、絶景の日没の瞬間を撮影出来、lucky だった
. 石碑に隣接した民家の奥さんが外出から帰宅された処に遭遇. 事情を説明したら「うちの庭先からよじ登って見て下さい」と庭を案内して石碑に辿り着くことが出来た
. 此れも超 lucky である
. 何故なら、10分も到着が前後したら此の奥さんに会えず、庭先に入ることが出来なかったから‥
. 「一言坂の戦跡」を見落として、暫くして其れに気付き見に戻ったことにより、石碑隣地の奥さんに丁度遭遇出来、石碑を見ることが出来た
. 小生、本多平八郎忠勝程ではないが、失敗も幸運を呼び込む強運を持っているのかも‥
. 此れも一つの serendipity かな!
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右上]同〔同〕同所にて
[左下]同〔同〕風景18
. 1813分 日没の瞬間に遭遇!
. [左上]風景17の写真と共に正に絶景 !!
[中下]同〔同〕風景19
[右下]同〔同〕風景20「愛宕神社」参道の石段
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【旧東海道街並〔磐田市見付〕風景】6【愛宕神社・阿多古山一里塚跡〔南塚〕】
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[41][左上] Google 航空 map :「阿多古山一里塚跡〔北塚〕」→「愛宕神社・阿多古山一里塚跡〔南塚〕」経路
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[右上]旧東海道街並〔磐田市見付〕風景21「愛宕神社」参道の石段と鳥居
[左下]同〔同〕風景22「同」鳥居から本殿を望む
[中下]同〔同〕「同」風景23 本殿
[右下]同〔同〕「同」風景24 本殿奥の「阿多古山一里塚跡」解説板
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【旧東海道街並〔磐田市見付〕風景】7【愛宕神社・阿多古山一里塚跡〔南塚〕】2
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[42][左上]旧東海道街並〔磐田市町〕風景25「阿多古山一里塚跡」石碑
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[右上]同〔同〕同所にて1
[左下]同〔同〕同所にて2
[中下]同〔同〕同所にて3
[右下]同〔同〕「愛宕神社」本殿前にて
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【旧東海道街並〔磐田市見付・JR磐田2駅・JR豊田町駅・JR舞阪駅〕風景】
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[43][左上]同〔同〕風景26 愛宕神社から眼下の暮れなずむ磐田市街地遠望
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[右上]同〔磐田市中和泉〕JR磐田駅 駅前にて
[左下]同〔同〕同 platform にて
[中下]同〔浜松市西区馬郡町〕JR舞阪駅 南口階段下にて
[右下]今日の 踏破距離16.5km 歩行歩数21,512
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1913 JR磐田駅発→東海道本線→19:24浜松19:28
1936 JR舞阪駅着〔料金420円〕
1950 JR舞阪駅近隣駐車場発→一般道3027km
2020分 帰宅〔走行距離計55km
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. 此の日も前日に続き楽しい walking だった
. 繰り返してお話しするが、特に「見阿多古山一里塚跡(北塚)」は、民家に囲まれて、普通は傍に寄れない場所だった
. 其れが、偶然「一里塚跡」に隣接する民家の奥さんが車で帰宅された処に遭遇
. 事情を話したら、民家の中を先導してくれて「一里塚跡」に案内してくれた
. 当地に10分早く到着しても、10分遅く到着しても、其の民家の奥さんとは会えなかった訳で、「一里塚跡」も近くで見ることは出来なかった
. 小生、こういう処が「強運」を持っているんだと、ご先祖様から頂戴したご加護に心の中で感謝申し上げた
. 次回は、「見附一里塚跡」→「袋井宿」を目指す〔了〕
. では、また‥〔了〕

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