2021年3月24日水曜日

【時習26回3−7の会 0855】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から巻之八〔第73回/巻之八~第711句~720句〕」「03月12日(金):豊田市美術館『わが青春の上杜会』展→刈谷市美術館『大島哲以』展を見て」「03月13日(土):旧東海道五十三次第53番目の宿「大津宿」→「逢坂山」→「御陵」→終点「京都三条大橋」を踏破して」「春に因んだ唐詩~陶淵明・劉希夷・李白・杜牧の名詩、日野草城・飯田龍太の名句から」


■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。此処の処毎日が忙しく、結果、一週間《会報》の配信をお休みした格好になりました。其処で今日、【時習26回37の会 0855】号をお届けします。
 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第73回/巻之八~第711句~720句〕」をご紹介する。

711 (かど)あかで梅(うめ)の瑞籬(みづがき)(=)がみけり  重五(1)

【意】早朝北野天満宮に参詣したが、まだ門が開いていない / 致し方なく梅の生垣を拝んで神社を後にした
【解説】季語:梅=初春 /
(
1)加藤重五(かとう じゅうご(?~享保02(1717)0613(享年64))):加藤善右衛門 / 尾張国名古屋の材木問屋の豪商 /『冬の日』の同人

712 繪馬(ゑうま)見る人(ひと)の後(うしろ)のさくら哉(かな)  玄察(1)
【意】参詣の人が絵馬を見乍ら語り合っている / 後方には満開の桜花が春の陽射しの中で輝いて見える
【解説】季語:さくら=晩春 / 絵になる参詣風景
(1)玄察(げんさつ(生没年不詳)):尾張国の人 /『あら野』に入句

713 花に来()て歯朶(しだ)かざり(1)見る社(やしろ)(かな)  鈍可(2)

【意】花見に神社を訪れたら、何と社殿に正月の枯れた注連飾りが飾ってある
【解説】季語:花=晩春 / うら寂しい神社の景
(1)歯朶(しだ)かざり:新年の注連(しめ)縄等に用いるシダの飾り
(2)鈍可(どんか(生没年不詳)):尾張国の人 /『あら野』などに入句

714 (みや)の後(のち)(かは)(わた)り見るさくら哉(かな)  李桃(1)

【意】宮参りをして桜花の盛りを見物し、麗らかな陽気に誘われて小川を徒(かち)渡り迄した / 水の温(ぬる)みが心地よい
【解説】季語:さくら=晩春 /
(1)李桃(りとう(生没年不詳)):美濃国岐阜の人 /『あら野』などに入句

715 御手洗(みたらし)(1)の木()の葉()の中(なか)の蛙(かはづ)哉  好葉(2)

意】御手洗の流れの底に散り込んだ木の葉が積り、其処に蛙が隠れていた
【解説】季語:蛙=三春 / 清らかな水の流れの中で木の葉も蛙も清々しさを感じさせる句
(
1)御手洗(みたらし):神社の口を漱(すす)ぐ水道
(2)好葉(こうよう(生没年不詳)):人物については未詳

716 ほとゝぎす神楽(かぐら)の中(なか)を通(とほ)りけり  玄察

【意】神社に奉納する夜神楽が厳かに奏されている / 其の中を時鳥が鋭い声を上げて飛び過ぎて行った
【解説】季語:ほとヽぎす=三夏 /

717宮守(みやもり)(1)の灯(ともし)をわくる火串(ほぐし)(2)かな  龜洞(3)

【意】鹿狩りの殺生をする一行が、神社の宮守から御神灯の火を分けて貰う / 殺生行為と神社の神聖さの対比が此の句の興
【解説】季語:火串(ほぐし)=三夏 /
(1)宮守:神社の番人
(2)火串(ほぐし):夏山に於ける狩りで、月のない夜、鹿を誘(おび)き寄せる為の照射(ともし)の松明(たいまつ)を挟んで置く木
(3)武井亀洞(たけい きどう(?-1687(貞亨0411)):尾張国名古屋の人 /『春の日』に初出 /越智越人の弟子と言われる /『あら野』・『庭竈集』等に入句

718 破扇(やれあふぎ)一度(いちど)にながす御祓(みそぎ)(1)かな  未学(2)
意】ここでは一夏使った扇を流すことで一切の厄も流れることを詠う
【解説】季語:御祓(みそぎ)=晩夏 /
(1)御祓(みそぎ):六月晦日の神事〔なごしのはらえ〕 / 川辺に仮社を設けて行い、人形(ひとがた)の白紙を流し厄払いをすることもある
(
2)未學(みがく(生没年不詳)):美濃国の人 /『あら野』に2句が入句

719 川原(かはら)(まで)(おこり)(1)まぎれに御祓(みそぎ)哉  荷兮(2)

【意】今日は六月晦日の御祓の日 / 実は持病の瘧(おこり)が発症しそうな気がして、川原の仮社辺り迄来て、沐浴をして身体を冷やしついでに御祓も‥と目論んだ次第なのだ
【解説】季語:御祓(みそぎ)=晩夏 /
(
1)(おこり):「わらわやみ」とも言い、マラリヤに類似の症状を持つとされる病
(2)山本荷兮(やまもと かけい(1648(?)-1716.10.10(享保元年0825(享年69))):本名:山本周知 / 尾張国名古屋の医者 / 通称:武右衛門・太一・太市 / 別号:橿木堂・加慶 / 1684(貞亨元)年以来の尾張国名古屋蕉門の重鎮 / 後年、内紛に撚り芭蕉と袖を分かつ / 荷兮のstanceは保守的で、芭蕉の唱導した俳諧革新、中でも「軽み」には迎合出来なかった / 離反前は、『冬の日』、『春の日』、『阿羅野』等の句集を編纂 /芭蕉が『更科紀行』出立に際しては、奴僕を提供する等、旅の安全も支援している

720 こがらしや里(さと)の子()(のぞ)く神輿(みこし)部屋(べや)(1)  尚白(2)

【意】木枯らしの吹く時節 / 遊びの種のなくなった里の子たちだろうか、神輿を格納してある小屋を覗き込んで眺いる / 楽しかった秋祭りの光景でも思い出しているのか
【解説】季語:こがらし=初冬 /
(1)神輿(みこし)部屋(べや):祭礼の時使用する神輿を格納しておく建物
(2)江佐尚白(えさ しょうはく(?-享保07(1722)0719):江左氏 / 千那の親友で貞亨02年以来の膳所蕉門の一人 / 医者 / 句集『忘梅』がある / しかし、後年、此の書物出版を巡り師弟間が事実上崩壊 / 芭蕉の尚白に対する憎悪は許六宛書簡(元禄060504)に窺える

【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔74回/巻之八~第721句~734〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いて、週一度の公休日である0312()に、豊田市美術館『わが青春の上杜会』展と、刈谷市美術館『大島哲以』展を見て来たことについてお伝えする
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0530分 起床→腹筋2,000回→
0635 2.5kg木刀素振り60
0640分 入浴→朝食→
1010分 拙宅発→一般道→豊橋税務署〔確定申告〕→
1116分 豊橋税務署発→一般道 92 51km
1248分 豊田市美術館駐車場着
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【拳母城〔七州城〕・隅櫓】
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[01][左上] 拳母城〔七州城〕隅櫓 同左を back 1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]
[右下]同 同上4
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【豊田市美術館】
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[02][左上]豊田市美術館 同左を back1

[右上]同 同上2
[左下]同 本企画展 leaflet / 絵は、小磯良平『着物の女』1936
[
右下]同 昭和02(1927)年 東京美術学校 西洋画科 卒業写真
. 2列目:左から4人目 和田英作(教授) 5人目 岡田三郎助(教授) 6人目藤島武二(教授)
. 3列目:右から3人目 荻須高徳
. 5列目:左から2人目 牛島憲之 / 右から2人目 小磯良平
. 教授3人のうち、岡田三郎助と藤島武二は昭和12年の第1回文化勲章受章者 / 和田英作は昭和18年の第3回文化勲章受章者
. 荻須高徳、牛島憲之、小磯良平の同期3人も、後年、文化勲章を受章している
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【豊田市美術館『わが青春の上杜会』】
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[03][左上]藤島武二『帽子の婦人像』1908

[右上]和田英作『カーネーション』1939
[左下]小林萬吾『銀屏の前』1925
[中下]小磯良平『T嬢の像』1926
[右下]矢田清四郎『足拭く女』1926
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[04][左上]中西利雄『森のカフェ』1931

[右上]永田一脩『「プラウダ」を持つ蔵原惟人』1928
[左下]犬丸順衛『女の横顔』1920-30
[中下]岡田鎌三『室内』1936
[右下]牛島憲之『秋川』1934
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[05][左上]猪熊弦一郎『長江埠の子供達』1941

[右上]荻須高徳『熱河喇嘛廟』1941
[左下]小堀四郎『冬の花束』1946
[中下]牛島憲之『炎昼』1946
[右下]中西利雄『室内8(B)1946
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[06][左上]高野三三男『デコちゃん(高峰秀子)1953

[右上]菱田武夫『婦人座像』1963
[左下]矢田清四郎『五月の出雲路』1975
[中下]青山襄『静物』1981
[右下]猪熊弦一郎『或晴れた一日』1992
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1412分 豊田市美術館駐車場発→一般道 40 19km/70㎞ →
1452分 刈谷市美術館駐車場着
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【刈谷市美術館『大島哲以』展】
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[07][左上]刈谷市美術館 同前にて

[右上]同『大島哲以』展入口にて1
[左下]同 同上2
[中下]同 大島哲以『薔薇刑[自画像]1986
[右下]同 同『沈める街』1975
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[08][左上]同『薔薇刑』1984

[右上]同『リュートを奏する犬狼貴族』1965
[左下]同『啓蟄』1965
[右下]同『花を争う』1965-75
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1540分 刈谷市美術館駐車場発→一般道92 57㎞→
1712分 帰宅〔走行距離計 127km〕〔了〕
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. 豊田市美術館『わが青春の上杜会』展、刈谷市美術館『大島哲以』展のいずれも、品格ある素晴らしい作品を沢山見ることが出来て楽しかった
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二つの美術館巡りの翌日の0313()は、旧東海道五十三次第53番目の宿「大津宿」→「逢坂山」→「御陵」→終点「京都三条大橋」を踏破した
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0220分 起床→腹筋2,000回→
0305 2.5kg木刀素振り30
0310分 入浴→朝食→
0414分 拙宅発→一般道→みえ川越lC→伊勢湾岸→新名神→名神→大津IC〔休日割引ETC料金 1,820円〕→一般道〔 2時間45 192km 〕→
. 出発・到着時間の差 2時間50分と、車のインパネに表示された走行時間 2時間45分 と 5分差があるのは、コンビニに立ち寄りトイレ休憩を一回した為〔為念〕
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0704 JR大津駅近隣駐車場着→徒歩→
0720分 旧東海道「大津宿大塚本陣跡」着
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【拙宅→ JR大津駅近隣駐車場・当日踏破距離&歩数】
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[09][左上] みえ川越lC→大津IC〔休日割引 ETC料金 1,820円〕

. 音羽蒲郡IC→大津IC ETC料金は、休日割引ETC料金 3,280円、平日だと 4,680円だからかなり割安!
[右上]車のインパネに表示された往路の走行距離と時間
[左下]駐車場→大津宿大塚本陣跡迄の Google 航空 map〔ナビで距離250mとあった〕
[中下]駐車場に掲示された一日上限料金 700
. JR大津駅迄150mで此の値段は安価/此処より50m近くだとMAX 900円→同 1,300円だった
. 又、いつもなら、最終目的地の近隣駐車場に駐車して、其処から公共交通機関で出発地に戻り walking を開始する処だが、京都三条大橋周辺は大津駅前よりずっと駐車料金が高いので、出発地の大津駅前近隣駐車場に停めることにした
[右下]昨日一日の walking 踏破距離23.3km 歩数30,403
. 此れで、11週間連続で20km以上歩いたことになる
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【大津宿大塚本陣跡】
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[
10][左上]大津宿大塚本陣跡 同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 同所解説板
[右下]同 同所から、旧東海道走井一里塚跡迄の Google 航空 map
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0727分 大津宿大塚本陣跡発→JR大津駅前のコンビニに立ち寄る
0810分 同所発→徒歩→
.
【旧東海道の街並〔大津市駅西方の春日町→逢坂一丁目〕】
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[11][左上]路傍の枝垂梅〔大津市、御幸町〕同所にて1

[右上]街並風景 大津市駅直ぐ西側〔同・春日町〕
[左下]同〔大津市春日町交差点〕
[中下]同〔大津市・逢坂〕
[右下]同〔同・逢坂一丁目交差点〕
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0820分「関蝉丸神社 下社着」
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【関蝉丸神社 下社】
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[12][左上]関蝉丸神社下社 同所にて1

[右上]同 京阪京津線踏切奥に見える鳥居・社殿
[左下]同「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」石碑にて
[中下]同 神楽殿
[右下]同 拝殿は掛かっていた蝉丸の額
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【関蝉丸神社下社→逢坂山関城址へ】
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[13][左上] 関蝉丸神社・下社 拝殿から本殿を望む

[右上]同 鳥居前の京阪京津(けいしん)線「びわ湖浜大津ゆき」電車
[
左下]逢坂山関城址へ続く旧東海道
[中下]同「逢坂」縁の説明
. 逢坂の語源は「応神天皇の母神功皇后の臣 武内宿禰が「応神天皇の異母兄の忍熊王(おしくまのみこ)に偶然会ったことに由来する」とあった
[右下]同 旧東海道脇の石垣に嵌め込まれていた蝉丸の「これやこの‥」名歌
.
0925分「逢坂山関城址」着
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【逢坂山関址】
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[14][左上]逢坂山関城址 同所解説板 同所にて

[右上]同 同
[左下]同 常夜燈前にて1
[中下]同 同上2
[右下]同 同所に至る路上で見つけた椿の落花
.
【逢坂山関址→追分→東海道五十三次「大津宿・走井茶店」→鰻】
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[15][左上]逢坂山関址 旧東海道 同所にて1

[右上]同 直ぐ西の「追分」四景
[左下]旧東海道五十三次「大津宿・走井茶店」
[中下]追分直ぐ西の自称「日本一のうなぎ かねよ」垣根の花1
[右下]同上2
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0950分「蝉丸神社上社」着
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【蝉丸神社上社】
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[16][左上]蝉丸神社上社 由緒石碑 同所にて1

[右上]同 同所にて
[左下]同 参道の階段
[中下]同 神楽殿・拝殿
[右下]同 本殿
.
[17][左上]蝉丸神社上社 拝殿を back

[右上]同 雨に濡れる拝殿と椿花
[左下]同 拝殿前にて1
[中下]同 同所の灯籠
[右下]同 拝殿前にて2
.
【逢坂山の風景】
.
[18][左上]街並 風景1〔大津市大谷町〕

[右上]同 同上2〔同〕
[左下]同 同上3〔同〕
[中下]同 大津算盤の始祖 片岡庄兵衛の家跡
. 日本算盤の始祖、大津算盤
.
 現代のものと異なり、五つ玉が2つある
[右下]同 風景4 〔大津市大谷町〕
.
1040分 旧東海道「走井一里塚跡〔推定地〕」着
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【旧東海道「走井一里塚跡〔推定地〕」】
.
[19][左上] 走井一里塚跡〔推定地〕同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 同所4
[右下]同 同所5
.
【旧東海道街並〔大津市追分町〕】
.
[20][左上]旧東海道街並 風景1〔大津市追分町〕

[右上]同 同所にて
[左下]同 同上2〔同〕
[中下]同 同上3〔同〕
[右下]同 同上4〔同〕
.
[21][左上]旧東海道街並 風景5〔大津市追分町〕

[右上]同 同上6〔同〕
[左下]同 同上7〔同〕
[右下]同 同上8〔大津市追分の境、京都市山科区〕
.
[22][左上]大津市追分の石碑〔大津市追分町〕

[右上]同〔同〕同所にて
[
左下]同〔同〕追分の解説碑
[中下]同〔同〕同所にて
[右下]同 風景9〔同〕
.
[23][左上]旧東海道街並 風景10〔大津市追分町〕

[右上]同 同上11
[
左下]同 同上12
[中下]同 同上13
[右下]同 同上14
.
1247分「徳林庵」着
.
【旧東海道街並〔京都市山科区〕】
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[24][左上] 旧東海道街並 風景1〔京都市山科区横木一丁目〕

[右上]同 同上2〔同市同区堂ノ後町〕
[左下]同 同上3〔同市同区泉水(せんすい)町〕
[中下]同 同上4〔同〕同上 1
[右下]同 同上5〔同〕同上2
.
[25][左上]旧東海道街並6〔同市同区泉水町〕徳林庵3

[右上]同 同上7〔同〕徳林庵4 解説板
[左下]同 同上8〔同〕同上5
[中下]同 風景9〔同〕
[右下]同 五条別れ道標にて
.
[26][左上]徳林庵から天智天皇陵〔御陵〕迄の Google 航空 map

[右上]旧東海道街並 風景10 〔京都市山科区〕
[左下]同 同上11〔同〕
[中下]同 同上12〔同〕三条通り
[右下]同上〔三条通り〕に沿った旧東海道のGoogle 航空 map
.
1415分 天智天皇陵着
.
【旧東海道街並〔京都市山科区〕→天智天皇陵】
.
. 旧東海道「御陵一里塚跡」も残っていない
. 代わりに、天智天皇陵を参拝して来た
.
. 天智天皇陵とされているが、実際、天智天皇が何処に葬られているか定かでない
. 一方、天智天皇の弟の天武天皇は、天皇であり乍ら生年が定かでない / 天智天皇の弟ではないとの説があるくらいだ
.
. 現在の天皇家は、天智天皇(626-672)の直系の子孫である
. 672年 壬申の乱で天武天皇(?-686)に敗れた弘文天皇(648-672)の自死に拠り、一度命脈が絶たれそうになった天智朝だが、天武朝最後の天皇の孝謙天皇(617-770)〔重祚して称徳天皇〕の後、天武朝・聖武天皇(701-756)の第1皇女・井上(いのえ・いがみ)内親王(717-775)を妃とした白壁王〔=天智天皇の第七皇子で「石(いは)走る 垂水(たるみ)の上の早蕨(さわらび)の萌え出づる春になりにけるかも〔萬葉集〕」の名歌で知られる志貴皇子(?-716)の子〕が光仁天皇(709-782)となり、光仁天皇の即位2年後の772年、井上皇后と嫡子池戸親王(761-775)が光仁天皇暗殺の嫌疑をかけられ皇后と皇太子を廃された後薨去〔←暗殺されたという説がある〕、山部親王が桓武天皇(737-806)となり、現在の天皇家の系統、桓武朝がスタートした
. 此処の話は、梅原猛(1925-2019)著『海女と天皇』に詳しい
.
[27][左上]コンビニで軽い昼食

[右上]旧東海道街並 風景13〔京都市山科区〕
[左下]同 同上14〔天智天皇陵・御陵駅の案内〕
[中下]同 同上15〔京都市山科区〕路傍の椿花
[右下]天智天皇陵1
.
[28][左上]天智天皇陵 同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 同上4
[右下]同 参道
.
[29][左上]天智天皇陵 同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 参道1
[右下]同 同上2
.
【天智天皇ゆかりの日時計碑→京都三条大橋へ】
.
[30][左上]天智天皇ゆかりの日時計碑

[右上]同 同所にて1
[左下]同 同所にて2
[中下同 同所から「京都三条大橋」迄の Google 航空 map
[右下]京都三条大橋へ向かう途次、地下鉄御陵駅前を通過
.
【旧東海道街並〔京都市山科区〕風景】
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[31][左上]旧東海道街並 風景16〔京都市山科区〕路傍の地蔵尊の横にて1

[右上]同 風景17〔同〕同上2
[左下]同 同上18〔同〕路傍の地蔵尊
[中下]同 同上19〔同〕三条大橋ヘの案内看板
[右下]同 同所20〔同〕
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[32][左上] 旧東海道街並 風景21〔京都市山科区〕路傍の地蔵尊の横にて3

[右上]同 風景22〔同〕同上2
[左下]同 風景23〔同〕同上3
[中下]同 風景24〔同〕
[右下]同 風景25〔同〕
.
[33][左上] 旧東海道街並 風景26〔京都市山科区〕

[右上]同 風景27〔同〕
[左下]日の岡坂脇町周辺の Google 航空 map
[中下]同 風景28〔同〕
[右下]同 風景29〔同〕
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【旧東海道「日の岡峠道」】
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[34][左上] 旧東海道「日の岡峠道」同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同上3
[中下]同 解説板
[右下]旧東海道脇の満開の桜花
.
1717分 京都三条大橋に到着
.
【京都三条大橋】
.
[35][左上]京都三条大橋手前の Google 航空 map

[右上]京阪電車三条駅前にて1
[左下]同上2
[中下]京都三条大橋 同所解説板
[右下]同 同所にて
.
[36][左上]京都三条大橋 同所にて1

[右上]同 同上2
[左下]同 同所風景
[中下]同 同所にて3
[右下]同 同所4
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【京都三条大橋至近の駅伝発祥の地碑】
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[37][左上] 京都三条大橋至近の駅伝発祥の地碑

[右上]同 同所にて
[左下]同 三条京阪駅構内にて
[中下]JR山科駅 platform にて
[右下]JR大津駅 platform にて
.
18:30 JR大津駅近隣駐車場発→一般道→大津IC→名神→新名神→伊勢湾岸→湾岸長島ICETC割引料金 1,900円〕→一般道 3時間05194km
2135分 帰宅〔走行距離計 386km()
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. 昨年1025日に舞坂宿を出発してほぼ毎週西進し、4か月半かけて此の日京都三条大橋に goal in した
. ザックリ言って、東海道五十三次全行程492kmのうちの半分近くの234km47%を歩いた計算になる
. 感無量である
. 次回は、大津宿に戻り、東海道五十七次の「伏見宿」→「淀宿」→「枚方宿」→「守口宿」→「高麗橋」を踏破していく予定である
. 乞う、ご期待!
.
【後記】
【‥今は昔の物語‥】
2017/04/10 2018/04/04 の春の花の想ひ出から‥
.
. あと半月もすれば、小生の大好きな時節『清明』節が遣って来る
. 此の菜種梅雨の時分、『春暁』と言うと、それを「詩題」にした孟浩然(689-740)の漢詩と、「季語」として夜明け前に庭木の葉に当たる雨音を聞いて詠んだ日野草城(1901-56)の次の名句が思い浮かぶ
.
.  春暁や ひとこそ知らね 木々の雨  日野草城
.
【意】春の早朝、目覚めた床で耳を澄ますと、外は雨の様だ / 自分は微かな雨音を聞いている‥ / 雨が降って来たことを、きっとまだ誰も気付かず眠っているに違いない
.
.   ※  ※  ※  ※  ※
.
. 話変わって、写真は、今から4年前の20170410日、出社前に撮影した拙宅の([38][左上]写真の左から時計回りに‥)「椿」「花桃」「海棠」の樹木‥
.
. 写真では、花桃と海棠は満開になった一方で、椿の赤い花と桃色の花はもう大分散りかけている
. その光景を拙句で詠むと‥〔殆ど盗作だが‥〕
.
.  赤い椿 桃色椿と 落ちに受けり  悟空
.
. 時の移ろいは実に早い }
. つい昨日の出来事も泡沫(うたかた)の思い出の一コマとなり、どんどんと遠い昔へと遠ざかっていく‥
.
 人生もこうやってあっと言う間に過ぎ去って仕舞うのか‥と pessimistic になるの訳ではなく、一寸 刹那的ではあるけど次の詩の様に optimistic でありたいものだ
.
【歳月 人を待たず】と謳った東晋の詩人陶潜(=淵明(365-427))の「雑詩」がそれだ
.
.  『雑詩』全十二詩 其二 陶淵明
. 人生無根蒂 / 飄如陌上塵
. 分散逐風轉 / 此已非常身
. 落地爲兄弟 / 何必骨肉親
. 得歡當作樂 / 斗酒聚比鄰
. 盛年不重來 / 一日難再晨
. 及時當勉勵 /【歳月不待人】
.
. 人生は根蒂(こんてい)無く / 飄として陌上(はくじょう)の塵の如し
. 分散し風に逐(=)って転じ / 此れ已(すで)に常の身に非ず
. 地に落ちて兄弟(けいてい)と為る / 何ぞ必ずしも骨肉の親のみならむ
. 歓を得ては当(まさ)に楽しみを作すべし / 斗酒 比隣(ひりん)を聚(あつ)
. 盛年 重ねて来たらず / 一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
. 時に及んで当に勉励すべし / 【 歳月 人を待たず 】
.
【意】人生ってヤツは木根や果実の蒂(へた)の様な確りした拠り所がない / 恰も宛もなく舞い上がる路上の塵の様なものさ
. 風に吹き散らされて転がって行く / もはや元の自分の身を保つことさえ覚束ない(‥人生ってそんなものだよ‥)
. (‥知り合った者たちとは‥)皆んな兄弟の様なものだから / 親族のみに拘泥(こだわ)る必要もない
. 嬉しい時は大いに楽しみ騒ごうヨ / 酒を沢山用意して近所の仲間と盃を酌み交わしてさ
. 人生の盛時は二度と戻って来ないし / 一日に二度目の朝は遣って来ないのだから
. 楽しめる時こそ確り楽しもうヨ! / 【 歳月は人を待ってはくれない 】のだから
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. ※『一度しかない(‥だからこそ‥)人生を悔いなく生きたい / 〔 Because life is only one time, I want to live so as not to regret! 〕』
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[38][左上] 20170410日、出社前に撮影した拙宅の(‥左から時計回りに‥)「椿」「花桃」「海棠」の樹木

[右上][左下][中下][右下] 20180407日、美濃国金山城址から虎渓山永保寺ヘ向かう道すがらに咲いていた絶景の花桃の花々
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.   ※  ※  ※  ※  ※
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【天空を二羽の鳶が飛ぶ、春の景】
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【前書】二羽の鳶が天空を時に寄り添い時に離れつつゆったりと飛んでいる姿は、心底癒される日本の山里の原風景の一つだ‥}
. すると、ピーヒョロロ‥と鳶の鳴き声が聞こえて来た
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.  春の鳶 寄りわかれては 高みつつ 飯田龍太(1920-2007)
.  山里に 春を知らせる 二羽の鳶  悟空
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[39][左上][右上]天空を飛ぶ二羽の鳶1

[左下][中下][右下]鳶の飛翔する姿123
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.   ※  ※  ※  ※  ※
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【劉希夷『代悲白頭翁(白頭を悲しむの翁に代る)』】
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. 今日は、一年前の2020316日に小生のblog up した話題からである
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. 今、世界中、特に欧州が新コロナウィルス肺炎の災禍に襲われ pandemic と言ってもいい状況にある
. 一日も早い終息を迎えることを祈るばかりだ
. しかし、時の移ろいは確実に進んでいる
. 当地豊橋も、先週辺りから急に暖かくなり、愈々本格的な春の到来を実感した
. 生憎、此の phrase を記した日は、朝から雨降りだったが、「春雨」だと思えば気分は滅入らずに済む
. 今時節は、二十四節気でいう「啓蟄」
. 週末からは「春分」で、更に「清明」の時節へと続いていく
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. 晩唐の詩人杜牧が「清明の時節雨紛紛」と詠った「清明」は後日ご紹介するとして、今日は「桃李の花」と詠った初唐の詩人劉希夷(りゅうきい)(651-680?)の『代悲白頭翁(白頭を悲しむの翁に代る)』をご紹介したい
. 小生、劉希夷のこの詩が大好きで、拙宅を建てた2003(平成15)年、中庭に最初に植えたのが「花桃」と「李(スモモ)」である
. 桃李の花の満開の時期は半月余り先なので、昨年春、拙宅に咲いた桃李花をご覧頂き乍ら、此の七言古詩の名詩の名調子を味わって頂ければと思う
. 七言句×26行=182字と量こそ嵩むが、「年年歳歳‥」や「紅顔の美少年」と人口に膾炙した名句が並び、一気呵成に詠み通せる傑作である
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[40]20190327日 拙宅に中庭に咲いた 紅い花桃の花と白い李(スモモ)の花

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. 《 代悲白頭翁 》  《 劉希夷 》
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01】洛陽城東桃李花 /【02】飛來飛去落誰家
03】洛陽女兒惜願色 /【04】行逢落花長嘆息
05】今年花落顔色改 /【06】明年花開復誰在
07】已見松柏摧爲薪 /【08】更聞桑田變成海
09】古人無復洛城東 /【10】今人還對落花風
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11】年年歳歳花相似 /【12】歳歳年年人不同
13】寄言全盛紅顔子 /【14】應憐半死白頭翁
15】此翁白頭眞可憐 /【16】伊昔紅顔美少年
17】公子王孫芳樹下 /【18】清歌妙舞落花前
19】光祿池臺開錦繡 /【20】將軍樓閣畫神仙
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21】一朝臥病無相識 /【22】三春行樂在誰邊
23】宛轉蛾眉能幾時 /【24】須臾鶴髪亂如絲
25】但看古來歌舞地 /【26】惟有黄昏鳥雀悲
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.   白頭(はくとう)を悲しむの翁(おきな)に代(かわ)
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01】洛陽城東桃李花(らくよう じょうとう とうりのはな)
02】飛び来たり飛び去って誰()が家にか落つる
03】洛陽の女児(じょじ) 顔色(がんしょく)を惜しみ
04】行(ゆくゆ)く落花(らっか)に逢()いて長嘆息(ちょうたんそく)
05】今年(こんねん)花落ちて顔色(がんしょく)改まり
06】明年(みょうねん)花開いて復()た誰(たれ)か在()
07】已(すで)に見る 松柏(しょうはく)の摧(くだ)かれて薪(たきぎ)と為()るを
08】更に聞く 桑田(そうでん)の変(へん)じて海と成るを
09】古人(こじん)()た洛城(らくじょう)の東(ひがし)に無く
10】今人(こんじん)(かえ)って対す落花(らっか)の風
.
11】年年歳歳(ねんねんさいさい) 花相(はなあ)い似たり
12】歳歳年年(さいさいねんねん) 人同じからず
13】言(げん)を寄す 全盛の紅顔子(こうがんし)
14】応(まさ)に憐れむべし 半死(はんし)の白頭翁(はくとうおう)
15】此()の翁(おう) 白頭(はくとう) (しん)に憐れむ可()
16】伊()れ昔 紅顔の美少年
17】公子王孫(こうしおうそん)と芳樹(ほうじゅ)の下(もと)
18】清歌妙舞(せいかみょうぶ)す 落花(らっか)の前(まえ)
19】光祿(こうろく)の池台(ちだい) 錦繡(きんしゅう)を開き
20】将軍の楼閣 神仙を画(えが)
.
21】一朝(いっちょう) 病に臥()して 相()い識()る無し
22】三春(さんしゅん)の行楽 誰()が辺(へん)にか在()
23】宛転(えんてん)たる蛾眉(がび) ()く幾時(いくとき)
24】須臾(しゅゆ)にして鶴髪(かくはつ)乱れて糸の如し
25】但()だ看()る 古来 歌舞(かぶ)の地
26】惟()だ 黄昏(こうこん) 鳥雀(ちょうじゃく)の悲しむ有るのみ
.
《意》
01】洛陽の街の東に咲く桃とスモモの花が
02】風に誘われてあちらこちらに散っている
03】洛陽の娘達はその美しい容貌を愛(いつく)しみ
04】道すがら、移ろう春に散る花を見て長い溜息を漏らす
05】今年花が散り春が過ぎれば人の容貌も衰えてゆく
06】だから翌年再び花開く時、誰が変わらずそれを見ることが出来ようか‥
07】我々は既に見て来ている、常緑の松や柏の木がやがて薪にされて仕舞うことを
08】又こうも聞く、桑畑が海にさえ変わって仕舞うということを
09】昔この洛陽の東でこの花を眺めた人は既に(この世に)いない
10】今の世の人々がこうして風に舞う落花を眺めているのだ
.
11】年々歳々、花は同じ様に咲き乍ら
12】歳々年々、それを見る人々は変わるのだ
13】青春真っ只中にある若人達よ、思いやってくれまいか
14】此の半死の白髪頭の老人のことを
15】此のの痛ましい白髪の老人も
16】若い時代は紅顔の美少年だったのだよ
17】公子や王孫達と香しい樹々の下で遊び
18】舞い落ちる花の前で清らかに歌い舞ったのだった
19】前漢の九卿王根(おうこん)邸にあった池の台(うてな)の様に錦を張り巡らせた宴に臨んだり
20】後漢の大将軍梁冀(りょうき)の様に神仙を描いた豪勢な邸宅にも参上したのだよ
.
21】しかし一たび病に臥すと知る人が誰もいなくなって仕舞った
22】あの華やかで楽しかった日々は何処へ行って仕舞ったのか
23】なだらかで美しい(=宛転たる)眉‥その美しさもいつ迄持つだろうか
24】忽ち(=須臾にして)鶴の白い羽の様に白髪となり糸の様に乱れる時がやって来るのだ
25】御覧なさい、昔華やかに歌い舞った辺りは
26】今はただ黄昏の光の中、小鳥たちが哀しく囀っているのみである‥()
.
【 小生 comment
. 劉希夷(りゅうきい)(651-680?)」の詩【代悲白頭翁(白頭を悲しむの翁に代る)】は、本当に素晴らしい詩である
. 人は、皆「生・老・病・死」を経て一生を全うする
. 此の詩は、其の「人生の儚さ」を独りの「白頭翁」に表象して詠んだ名詩である
. 人口に膾炙した此の名詩の26句・182字を「座右の銘」の様に、小生、常に傍らに置き、詠み返して行きたい
.
.   ※  ※  ※  ※  ※
.
【杜牧『清明』】
.
. 去年と今年は同じく、0305日〜19日が二十四節気でいう「啓蟄」
. そして、0320日〜0403日の「春分」、0404日〜18日「晴明」、0419日〜0504日「穀雨」、0505日からの「立夏」へと続く
. 今回は、「春分」の次の時節を題とした杜牧(803-53)の『清明』をご紹介する
. 小生、此の詩も大好きな漢詩である
.
. 実に絵画的な漢詩である‥
. 小糠雨に煙る農村地帯‥牧童が指さす遥か彼方に薄紅色した杏の花が咲いている村が見える‥実に綺麗だ‥
.
.   清明   杜牧(803-52)
.
. 清明時節雨紛紛
. 路上行人欲断魂
. 借問酒家何處有
. 牧童遙指杏花村
.
. 清明の時節 雨紛紛
. 路上の行人 魂(こん)を断たんと欲す
. 借問す 酒家は何れの処にか有る
. 牧童遥かに指さす 杏花(きょうか)
.
【意】
. 今、春の盛りの清明節に、折から小糠雨がしきりに降っている
. その雨は、道行く旅人である私の心をすっかり滅入らしてしまった
. 「酒を売る店は何処にあるの?」
. 私に尋ねられた牛飼いの子が遥か先を指さした
. その彼方には、薄紅色した杏(あんず)の花咲く村が見える‥
.
[41]杜牧「清明」を image した画像1

. ↑左上(1)から時計回りに(2)(3)(4)
(1)「清明時節雨紛紛」を image した画像
(2)「路上行人欲断魂」を image した画像
(3)「借問酒家何處有」を image した画像
(4)「牧童遙指杏花村」を image した画像
.
[42]杜牧「清明」を image した画像1

. ↑左上(1)から時計回りに(2)(3)(4)
(1)「清明時節雨紛紛」を image した画像
(2)「路上行人欲断魂」を image した画像
(3)「【牧童遙指】‥ 」を image した画像
(4)「 ‥‥【杏花村】」を image した画像
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[43]杜牧「清明」を image した画像1

. ↑左上(1)から時計回りに(2)(3)(4)
(1) 201303月下旬、拙宅中庭に咲いた杏花
(2)「 ‥‥【杏花村】」を image した画像
(3)「 ‥‥【杏花村】の杏花」を image した画像1
(4)同上2
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.   ※  ※  ※  ※  ※
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【李白(701-62)『黄鶴楼送孟浩然之広陵』】
.
. 此の名句は、高校の漢文の授業でも習い、
.
.「故人西の方 黄鶴楼を辞し
. 煙花三月 揚州に下る
. 孤帆の遠影 碧空に尽き
. 惟だ見る長江の 天際に流るるを」
.
. と一気呵成に実に不思議と暗誦が容易に出来たことを覚えている
. 高二か高三だったか、記憶が定がではなくなったが、此れを習った昭和4748年と言えば、日中国交正常化(昭和47)がされた直後であった
. だから、其の当時、中国はまだ解放前で、まだ渡航制限が厳しい時代だったので、殆どの日本人がまだ中国には行ってなかった
. 其れでも、其の行ったこともない広大な長江にポツンと孟浩然が乗った帆舟が浮かび、消えていく情景がスーッと小生の頭に浮かんで来た
. 更に余談だが、小生、漢文の授業で習った此の句と、杜牧の「江南の春」の2つの名詩で漢文・漢詩が好きな科目となったと言っても過言ではない
. 皆さんも、以下の書き下し文を口ずさんでみて下さい
. 実に詠み易く、理解し易い名詩だと思われませんか?
. 小生、中国に尊敬の念を持っている
. 其れは「論語」の孔子、「知行合一」の王陽明、そして日本人に多大な芸術的 sense ある名詩の数々を与えてくれた、李白、杜甫、白居易、韓愈、杜牧、蘇軾(蘇東坡)ら唐宋の詩人達がいるからだ
.
[44]李白(701-62)『黄鶴楼送孟浩然之広陵』を image した画像
. 添付写真は‥

[右上]「故人西辞黄鶴楼」を image した画像
[左下]「煙花三月下揚州」を image した画像
[中下]「孤帆遠影碧空尽」を image した画像
[右下]「惟見長江天際流」を image した画像
.
.  黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白(701-62)
.
. 故人西辞黄鶴楼
. 煙花三月下揚州
. 孤帆遠影碧空尽
. 惟見長江天際流
.
.  黄鶴楼にて孟浩然(689-740)の広陵(こうりょう)(1)に之()くを送る
.
. 故人(こじん)西の方(かた) 黄鶴楼(こうかくろう)(2)を辞し
. 煙花(えんか)(3)三月(さんがつ)揚州(ようしゅう)に下る
. 孤帆(こはん)の遠影(えんえい) 碧空(へきくう)に尽()
. 惟()だ見る長江の天際(てんさい)に流るるを
.
(1)広陵:江蘇省揚州
(2)黄鶴楼:湖北省武昌の西南 / 長江を見下ろす高台にある楼閣 / 崔顥「黄鶴楼」が著名
(3)烟花:春霞
.
《意》我が親友、孟浩然は、此の西の黄鶴楼に別れを告げ
. 春霞の三月に揚州へ舟で下って行く
. (黄鶴)楼上から長江を眺め遣ると、ポツンと(孟浩然が乗った)小さな帆舟が見えていたが、段々と青い空に吸い込まれる様に消えて行った
. 後にはただ長江の流れが天の果てへと流れてゆくばかりだ
.
.   ※  ※  ※  ※  ※
.
. 最後は、杜牧の最高傑作の一つ、『江南春』をお届けする
. 高校の漢文の時間でも習った皆さんも良くご存知の名詩
.
. 千里鶯啼緑映紅
. 水村山郭酒旗風
. 南朝四百八十寺
. 多少楼台煙雨中
.
. 千里鶯啼いて緑紅に映ず
. 水村山郭 酒旗の風
. 南朝 四百八十寺(しひゃくはっしんじ)
. 多少の楼台煙雨の中
.
【意】見遙かす千里の彼方、鶯は鳴き、草木の新緑は紅の花に映える
. 水辺の村、山沿いの村には、酒屋の幟(のぼり)が春風にはためいている
. 昔日、此処に栄えた南朝の世、四百八十とも言われる多くの寺院が、その隆盛を競っていた
 数知れない堂塔伽藍が、今も猶、煙る様に春雨の中に霞んで見える
. 絵画的で緑と紅の色のコントラスト
. 前半の明るく晴れ渡った明るい江南の春の模様と後半の春雨に煙る墨絵の様な見事な明暗の対比が素晴らしい
. この絵画的表現も、決して平面でなく三次元的な奥行を感じさせている
.
[45][左上][右上] 千里鶯啼緑映紅 を lmage した鶯と景色

[左下] 水村山郭酒旗風 を lmage した酒旗
[中下] 南朝四百八十寺 を lmage した四百八十寺
[右下] 多少楼台煙雨中 を lmage した景色
.
. ホント、素晴らしい七言絶句である 〔了〕
.
.
 では、また‥〔了〕
.

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