2021年3月16日火曜日

【時習26回3−7の会 0853】~「松尾芭蕉:俳諧七部集『あら野』から巻之八〔第71回/巻之八~第691句~700句〕」「02月27日(土):旧東海道「石部一里塚跡」→JR草津線「石部駅」→福正寺(法界寺)「【重文】木造地蔵菩薩立像」→旧東海道「六地蔵一里塚跡」→旧東海道「目川一里塚跡」→草津宿「東海道・中仙道 追分」→草津宿「本陣跡」→旧東海道「野路(のじ)一里塚跡」と巡り歩いて」「旧行『仙台支店』『東京融資部(東京)事業調査室(研修→室員)時代』『秘書室時代』の想い出」

■皆さん、お変わりありませんか? 今泉悟です。此処の処毎日が忙しく、結果、一週間《会報》の配信をお休みした格好になりました。其処で今日、【時習26回37の会 0853】号をお届けします。

 今日最初の話題は、松尾芭蕉(1644-94)「俳諧七部集『あら野』から〔第71回/巻之八~第691句~700句〕」をご紹介する。

  
(おなじく(古寺の雪))

691 雪折(ゆきをれ)(1)やかゝる二王(にわう)の片(かた)(かひな)  俊似(2)

【意】雪折の木の枝が、山門が破れて露出した仁王像の片腕に持たれ掛かっている / 仁王像は其の雪折れの雪と木の枝の重さに耐えられるだろうか
【解説】季語:雪折=晩冬 /
(
1)雪折:雪の降り積った重さの為に木や竹が撓み折れること / 歌語
(2)伊藤俊似(いとう しゅんじ(生没年不詳)):尾張国津島の人 /『あら野』に多数入句

692
つくり置(おき)てこはされもせじ雪佛(1)  一井(2)

【意】作るときは夢中で作る雪達磨だが、出来上がれば所詮児戯に類するものなので飽きられ放置される / 曲成りにも佛なので壊されない為、其の姿が哀れな姿に見える
【解説】季語:雪佛=晩冬 /
(1)雪佛(ゆきぼとけ):雪達磨(ゆきだるま)
(2)一井(いっせい(生没年不詳)):尾張国名古屋の門人 /芭蕉は、1688.01.11(貞亨04129)、『笈の小文』の旅の途次、一井宅に招かれ、「旅寝よし宿は師走の夕月夜」を発句に熱田の蕉門らと七吟半歌仙(熱田三歌仙)巻いた

693朝寐(あさね)する人(ひと)のさはりや鉢敲(はちたたき)(1)  文潤(2)

【意】「鉢敲き」の勤業は殊勝なことではあるが、朝寝坊の輩には煩(うるさ)く迷惑なことだ
【解説】季語:鉢敲(たたき)=仲冬 /
(
1)鉢敲(はちたたき):中世・近世(1219世紀)の日本に存在した民俗芸能で大道芸の一種 / 旧暦1113日~大晦日迄、毎夜京都内外の火葬場・市中を鉦を鳴らし念仏を唱え、携帯する瓢箪を叩き乍ら巡り歩くこと / 及び其れを行う者 / 仲冬(11)の季語
(
2)文潤(ぶんじゅん):人物について詳細不詳

694 千觀(せんくわん)(1)が馬(うま)もかせはし年のくれ  其角(2)

【意】歳の瀬の慌ただしさに、旅人の往来も一段と激しい / 彼の隠逸の千観上人も又、此の様な折には忙しく働いたことだろう
【解説】季語:年の暮=仲冬 /
(1)千観(918(?)-983):摂津金龍寺を創建 / 自ら馬力となり淀の辺りに出て旅人に奉仕したと伝わる / 此の句は「五元集」では「大津駅」と前書がある / 千観が最初三井寺で修行したのでそう題したか
(2)宝井其角(たからい きかく(寛文元年0717(1661.08.11)~宝永040229(1707.02.29))):江戸下町堀江町(=お玉が池説あり)に、近江国膳所藩御殿医者竹下東順の長男として生まれる / 医者を志す傍ら、文芸・四書五経等にも精通 / 延宝年間(1673-81)の初めの頃、父の紹介で蕉門に入門 / 長ずるに及び、蕉門第一の門弟となる / 早くから華街に足を踏み入れて、蕉門きっての放蕩児でもあった /「赤穂事件」では、浪士側に立って彼等を支援 / 芭蕉(1644-94)との関係も、ambivalentな面が多く、尊敬し合う関係と同時にrivalとしての感情も強く持ち合わせていた /「古池」の句の考案中、芭蕉は「蛙飛び込む水の音」と中七・座五は出来たが上五に苦心していた時、其れを其角に話すと、其角は即座に「山吹や」と付けたと言う芭蕉と其角の芸風の相違を良く表す逸話が残っている / 近江国出身の父親の影響もあり、其角は上方文化にも精通 / 屡々関西を訪問、其の際知り合った向井去来(1651-1704)を蕉門に誘うこともした / 上方旅行中に芭蕉の危篤を知り、江戸蕉門の中で唯一芭蕉の死に立ち会った / 彼自身も47歳の若さで早逝

   薬王品(やくわうぼん)七句(しちく)(1)

(1)薬王品七句:以下の七句は、全て法華経第二十三の薬王菩薩本事品にある一連の語句 / 法華経の御利益を比喩したもの / 此の後に「如貧得宝・如民得王・如賈客得海・如炬除暗」と続く

  
如寒者得火(さむきもののひをえたるがごとし)

695 まつ白(しろ)にむめの咲(さき)たつみなみ哉(かな)  胡及(1)

【意】流石に陽光を受ける南側の枝は、梅花の咲き方も違う / 見事に鮮やかに白く咲き誇っている
【解説】季語:むめ=初春 /
(1)(こきゅう(生没年不詳)):尾張国名古屋の人 /『あら野』などに入句

  
如裸者得衣(はだかなるもののころもをえたるがごとし)

696 (ゆき)の日()や酒樽(さかだる)(1)(ひろ)ふあまの家(いへ)

【意】雪の日 / 漁もなく寒さに震える漁師が浜辺に打ち上げられた金刀比羅樽を拾う / 此処は「権現様のお助け」と信じて一杯飲ませて貰い寒さをしのぐとしよう
【解説】季語:雪の日=晩冬 /
(1)酒樽:海上で難破しかけ危うく難を逃れた漁夫は、讃岐国金刀比羅宮の威徳として、此れに報恩の志を、酒樽に託して海に流す風習があった

  
如商人得主(あきびとのあるじをえたるがごとし)

697 双六(すごろく)(1)のあひてよびこむついり(2)(かな)

【意】長雨に退屈していると門前を友人が通る / 彼を呼び止め退屈しのぎの双六に誘う
【解説】季語:ついり=仲夏 /
(1)双六:盤双六 / 二人で対座して采(さい)を振り、出た目の数だけ駒を進める遊び
(2)ついり:入梅・梅雨

  
如子得母(このははをえたるがごとし)

698 (たけ)たてゝを(=)けば取(とり)つくさゝげ(1)かな

【意】ササゲの傍に支柱の竹を立てて置くと、蔓は待っていたかの様に、此れに絡みつき葉を伸ばし花を咲かせ、やがて実をつける / 其れが恰も、幼子が母を頼りに生長していく姿の様だ
【解説】季語:ささげ=晩夏 /
(1)ささげ:大角豆のこと /「ささぎ」とも / 豆はアズキに似て餡の原料などに使われる / 自立もするが、蔓(つる)が生える / 竹を立てるとササゲは其れに蔓を巻きつけ上に伸びる

  
如渡得船(わたりにふねをえたるがごとし)

699 (つき)の比(ころ)(となり)の榎木(えのき)きりにけり

【意】月の光の美しくなる秋の時節 / そろそろ中秋の名月という頃になって隣家の毎年月見を邪魔してくれる榎木を伐ってくれた / 此れで心行くまで月見ができる /「やれ/\助かったよ」
【解説】季語:月=三秋 /

  
如病得醫(やまひにくすしをえたるがごとし)

700 かはくとき清水(しみづ)見付(みつく)る山邊(やまべ)(かな)

【意】山路を歩いていて焼けるように喉が渇いた時、おあつらえ向きに滾々と湧き出ている清水を見付けた /恰も病人が名医を得た様に元気付けられる
【解説】季語:清水=三夏 /

【小生 comment
 次回は、俳諧七部集『あら野』から〔72回/巻之八~第701句~710〕をご紹介する。お楽しみに!

■続いては、0227()に、JR南草津駅→JR草津駅→JR草津線「石部駅」 →旧東海道「石部一里塚跡」→JR草津線「石部駅」→ 福正寺(法界寺)「【重文】木造地蔵菩薩立像」→旧東海道「六地蔵一里塚跡」→旧東海道「目川一里塚跡」→草津宿「東海道・中仙道 追分」→草津宿「本陣跡」→旧東海道「野路(のじ)一里塚跡」と〔20.6km 26,994歩〕巡り歩いて来た模様についてお伝えする
 今日(0227())は、JR南草津駅→JR草津駅→JR草津線「石部駅」 →旧東海道「石部一里塚跡」→JR草津線「石部駅」→ 福正寺(法界寺)「【重文】木造地蔵菩薩立像」→旧東海道「六地蔵一里塚跡」→旧東海道「目川一里塚跡」→草津宿「東海道・中仙道 追分」→草津宿「本陣跡」→旧東海道「野路(のじ)一里塚跡」と〔20.6km 26,994歩〕巡り歩いて来た

0230分 起床→腹筋2,000回→
0315 2.5kg木刀素振り50
0410分 入浴→朝食→
0432分 拙宅発→一般道→湾岸長島IC→ 伊勢湾岸 →東名阪→新名神→草津田上IC〔料金1,680円〕→一般道→2時間30 182.5㎞→
0702 JR琵琶湖線「南草津駅」近隣駐車場着
0717 JR琵琶湖線「南草津駅」発→琵琶湖線→JR草津駅→
0738 JR草津線「石部駅」着
0815 JR草津線「石部駅」前 東海道五拾三次「石部宿」解説
0841分 旧東海道「石部一里塚跡」着

JR南草津駅→JR草津駅】

[01][左上] JR「南草津駅」駅前にて1

[右上] platform にて
[左下]同 琵琶湖線 米原ゆき電車
[中下] JR草津駅 platform にて1
[右下]同 同上2

JR石部駅→ JR石部駅前「石部宿」解説】

[02][左上]Google 航空mapJR草津駅」→「JR石部駅」
[
右上]JR石部駅 platform にて
[左下]同 駅前にて
[中下]同 駅前「石部宿」にて
[右下]同 同上2

JR石部駅前「石部宿」解説→旧東海道「石部一里塚跡」→旧東海道街並〔石部西〕1

[03][
左上]旧東海道「石部宿」石碑にて

[右上]旧東海道「石部一里塚跡」にて1
[左下]同上2
[中下]同上 解説板
[右下]旧東海道街並〔石部西〕風景1

【旧東海道街並〔石部西〕2

[04][左上]旧東海道街並〔石部西〕風景2

[右上]同 同所にて1
[左下]同〔石部西〕風景3
[中下]同 同所にて2
[右下]同 同所にて3

【旧東海道街並〔石部西〕3 & 史跡「西繩手 Relief」】

[05][左上]旧東海道街並〔石部西〕風景4~前方に標高432mの三上山〔=近江富士〕~

[右上]同 東海道五十三次「石部宿」の史跡「西繩手」1
[左下]同 同所にて1
[中下]同 同所にて2
[右下]同 同所 解説板

【旧東海道街並〔石部西〕4() & 史跡「西繩手 Relief」】

[06][左上]旧東海道街並〔石部西〕~史跡「西繩手 Relief」にて

[右上]同 同所 風景5
[左下]同 同所 風景6
[中下]同 同所 風景7 街道に沿って走るJR草津線 同電車
[右下]旧東海道街並〔石部北〕風景1 同 同線路

【旧東海道街並〔石部北〕2 & 同〔伊勢落(いせおち)1

[07][左上]旧東海道街並〔石部北〕風景2 JR草津線線路脇の桜花

[右上]同〔栗東市伊勢落〕風景1 同所にて三上山を back
[左下]同 同所 風景2
[中下]同 同所 風景3「三上山」
[右下]同 同所 風景4

【旧東海道街並〔伊勢落〕2

[08][左上]旧東海道街並〔伊勢落〕同所にて1

[右上]同 同所 風景5
[左下]同 同所 風景6
[中下]同 同所にて2 竹藪を back
[右下]同 同所 風景7

【旧東海道街並〔伊勢落〕3 &「菜の花」】

[09][左上]旧東海道街並〔伊勢落〕風景8~「菜の花」横にて1

[右上]同 同所にて2
[左下]同 同所「菜の花」9
[中下]同 同所 同上10
[右下]同 同所 同上11

【旧東海道街並〔伊勢落〕4() & 同〔林〕& 同〔六地蔵〕福正寺(法界寺) 1

[10][左上]旧東海道街並〔伊勢落〕同所にて3

[右上]同〔栗東市・林〕風景
[左下]同〔栗東市・六地蔵〕福正寺(法界寺)入口
[中下]同 同所【重文】木造地蔵菩薩立像 解説板
[右下]同 同所 山門前にて1

【旧東海道街並〔六地蔵〕福正寺(法界寺) 2

[11][左上]旧東海道〔六地蔵〕福正寺(法界寺) 山門前にて2

[
右上]同 同所 本殿前にて1
[左下]同 同所 同上にて2
[中下]同 同所 本尊「地蔵菩薩立像」
[右下]同 同所 山門から入口方面を望む

【旧東海道街並〔六地蔵〕1

[12][左上]旧東海道街並〔六地蔵〕風景1

[右上]同 風景2「紅梅」
[左下]同 風景3
[中下]同 同所にて1
[右下]同 風景4

【旧東海道街並〔六地蔵〕2 &「旧和中散本舗」1

[13][左上]旧東海道街並〔六地蔵〕風景5

[右上]同 同所「狸の焼き物」横にて
[左下]同 同所「六地蔵」看板にて
[中下]同【重文】「旧和中散本舗」1
 江戸時代、六地蔵に数件あった旅人用に道中薬を売る店の一つ大角家は、「和中散」という売薬行商人「ぜさいや(=星齋屋)」の本舗として栄えた
 
「和中散」は、徳川家康が腹痛を起こした際、此の薬を飲んだら直ぐに治り、家康に拠って直々こう名付けられた名前という
 公開は春と秋の特別公開の時だけだという
[右下]同 同所にて1

【旧東海道街並〔六地蔵〕3 &「旧和中散本舗」2 & 東海道六地蔵一里塚跡】

[14][左上]旧東海道街並〔六地蔵〕【重文】「旧和中散本舗」にて2

[右上]同 東海道「六地蔵一里塚跡」にて1
[左下]同 同所にて2
[中下]同 同所にて3
[右下]同 同所 石碑

【旧東海道街並〔六地蔵〕4() & 同〔小野〕1

[15][左上]旧東海道街並〔六地蔵〕風景6

[右上]同 風景7
[左下]同〔栗東市・小野〕風景1
[中下]同 同 風景2
[右下]同 同 風景3

【旧東海道街並〔小野〕2() & 同〔手原〕1

[16][左上]旧東海道街並〔小野〕風景4

[右上]同〔栗東市・手原〕風景1
[左下]同 同 風景2
[中下]同 同 風景3
[右下]同 同 風景4

【旧東海道街並〔手原〕2() &同〔上鈎(かみまがり)1

[17][左上]旧東海道街並〔手原〕同所にて1

[右上]同 同所にて2
[左下]同 同 風景5
[中下]同 同 風景6
[右下]同〔栗東市・上鈎〕「九代将軍 足利義尚(1465-89)公 鈎の陣所ゆかりの地(文明19(1487))」石碑にて
 将軍足利義尚が、佐々木六角高頼討伐の為、鈎(まがり(現・栗東市上鈎町))に陣所を設営したことに拠る

【旧東海道街並〔上鈎〕2() &同〔川辺(かわづら)〕】

[18][左上]旧東海道街並〔上鈎〕同所にて

[右上]同〔栗東市・川辺〕風景1
[左下]同 同風景2
[中下]同 同風景3
[右下]同 同風景4
 川辺と書いて「かわづら」と読む‥めずらしい読み方だ

【旧東海道「目川一里塚跡」】

[19][左上]旧東海道「目川一里塚跡」

[右上]同 同 解説板
[左下]同 同 同所にて1
[中下]同 同 同所にて2
[右下]同 同 同所にて3

【旧東海道街並〔目川〕1

[20][左上]旧東海道街並〔栗東市・目川〕風景1

[
右上]同 同 風景2
[左下]同 同 街並に調和している治田郵便局
[中下]同 同「目川立場・田楽茶屋/伊勢屋後」石碑
[右下]同 同 同 解説板

【旧東海道街並〔岡〕】

[21][左上]旧東海道街並〔栗東市・岡〕風景1

[右上]同 同「名代・田楽茶屋/京伊勢屋跡」石碑
[左下]同 同 同 解説板
[中下]同 同「岡ほっかりマップ」横にて
[右下]同 同 風景2

【旧東海道街並〔小柿(おがき)〕→草津市へ】

[22][左上]旧東海道〔栗東市・小柿〕史跡「老牛馬養生所跡」石碑

[右上]同 同 同 解説板
[左下]同 同〔栗東市→草津市へ〕
[中下]同 同〔草津市・大路〕「大路・大路井の記録絵」看板
[右下]同 同「草津歴史街道」【中山道】看板

【旧東海道街並〔草津宿〕1

[23][左上]旧東海道〔草津〕「高札場」

[
右上]同 同「草津追分〔()中仙道みのみち・東海道(いせみち)〕」にて
[左下]同 同「道標〔()中仙道みのみち・東海道(いせみち)〕」
[中下]同 同 追分より「東海道いせみち」を望む
[右下]同 同 同所にて

【旧東海道街並〔草津宿〕2

[24][左上]旧東海道〔草津〕「近江路や秋の草つはなのみして‥」歌碑

[右上]同 同「草津歴史街道」【中山道】看板
[左下]同 同「草津宿」看板
[中下]同 同「ふるさと『くさつ』風景の記録絵」前にて
[右下]同 同「草津宿」看板前にて

【旧東海道街並 3〔草津宿〕&「草津本陣」1

[25][左上]旧東海道街並〔草津〕「草津本陣」外観

[右上]同 同 同所入口
[左下]同 同 同所入口を入ったところ
[中下]同 同 同所内部1
[右下]同 同 同上2

【旧東海道街並〔草津宿〕4 &「草津本陣」2〔草津宿街道交流館〕】

[26][左上]旧東海道街並〔草津宿〕「草津本陣」中庭1

[左下]同 同 同 中庭2
[右上]同 同 同所内部3
[右中]同 同 同上4
[右下]同 同〔草津宿街道交流館〕草津宿案内図

【旧東海道街並〔草津宿〕5 &「立木神社」1

[27][左上]旧東海道〔草津宿〕〔草津宿街道交流館〕前「石造 道標」

[
右上]同 同 同上前にて
[左下]同 同「質商 海老屋 弥蔵」看板
[中下]同 同「呉服商 萬屋 善助」看板
[右下]同 同 立木(たちき)神社鳥居前にて

【立木(たちき)神社「立木神社」2

[28][左上]旧東海道街並〔草津〕「立木神社」門

[右上]同 同 同 神楽殿
[左下]同 同 同 拝殿前にて1
[中下]同 同 同 同所にて2
[右下]同 同 同 同所にて3

【立木(たちき)神社「立木神社」3() ・旧東海道街並〔草津宿〕6

[29][左上]旧東海道街並〔草津宿〕「立木神社」拝殿から本殿を望む

[右上]同 同 同「立木神社由緒」石碑
[左下]同 同 同 同所にて
[中下]同 同 草津川に架かる「矢倉橋」1
[右下]同 同 同上2

【旧東海道街並〔草津宿〕7

[30][左上]旧東海道街並〔草津市・矢倉〕「路傍の馬酔木の花」1

[右上]同 同 同上2
[左下]同〔草津市・野路〕東海道「野路(のじ)一里塚跡」にて1
[中下]同 同 同上2
[右下]同 同 同上3

【旧東海道街並〔草津宿〕8()

[31][左上]旧東海道街並〔草津市・野路〕東海道「野路(のじ)一里塚跡」

[右上]同 同 同所に飾ってあった歌川広重「東海道五十三次之図『草津』」
[左下]【参考】歌川広重「東海道五十三次之図『草津〔名物 立場〕』」
[中下]JR琵琶湖線「南草津駅」
[右下]20210227日:踏破距離20.6km 歩数26,994

1810JR南草津駅近隣駐車場発→一般道→草津田上IC→新名神→東名阪→伊勢湾岸→〔料金1,680円〕→湾岸長嶋IC→一般道2時間35 182.5㎞→
2045分 帰宅〔走行距離計 365km〕〔了〕

 今日も20kmを歩いた
 次回は、「草津宿」→「大津宿」だ
 そして其の次は、「京都三条大橋」
 其の日が来るのが待ち遠しい
.
今日最後にと届けするのは、『我が青春時代の一コマ』についてである。
 今日は、小生の思い出の支店「旧行・仙台支店」時代の思い出の写真をご紹介させて頂く
.
[32][]東北新幹線開通(1982/06/23)直後の仙台駅

[
左下]1982年夏の旧行仙台支店があった中央通り 1
[
中下]同上2
[右下]1982年夏の旧行仙台支店1
.
[33][
左上1982年夏の旧行仙台支店2

[右上]1982年だったか、仙台金融協会主催のスポーツ大会にて〔写真真ん中やや左は Facebook お友だちの佐藤君〕
[右中]1982年当時の伊達政宗の霊屋「瑞鳳殿」〔先日の東北地震でかなり倒壊したと聞く〕
[
右下]198301月 山形蔵王に生まれて初めてスキーに行った時買った煙草🚬マイルドセブンの表紙1

[34][]198301月山形蔵王のゲレンデにて、旧行仙台支店の仲間たちと1

[左下]同上2
[中下]山形蔵王のゲレンデにて
[右下]198301月 山形蔵王で買った煙草マイルドセブンの表紙2
.
[35][左上]1983年秋の店内旅行〜十和田湖遊覧船の中で佐藤君と

[左下]同上の観光バスの中にて女子行員と
[右上]同上の羽黒山【国宝】五重塔の近くにて
[右中]19850104日 旧行仙台支店 仕事始めの融資係の皆と
[右下]1983年 取引先の東北Rの阿部課長と釣船にて〔此の時は、淵野辺支店へ転勤された小栗さんが部下を連れて仙台に釣りに来られた‥〕

[36][]1985年当時の旧行仙台支店 行員全体写真

[左下]同上 店内朝礼〔写真左端ロビーに七原主席次長(のち旧行常務)
[中下]同上 店内朝礼での山本支店長〔当時/一年程前にご逝去あそばされた/ご冥福をお祈りします(合掌)
[右下]同上 融資係の女子行員の皆さんと 
.
 198604月、仙台支店の次に赴いた勤務先が、支店時代に研修〔198311月〜’8403月〕に行った、東京都千代田区大手町にあった旧行東京本部の融資部(東京)事業調査室 其処では、石油・石油化学・医薬品・ノンバンク・鉄&非鉄・建設&不動産の各業界調査マンとして198604月から、旧大蔵省検査部検査〔所謂MOF検〕対策P/Tとして名古屋へ係替えになった199102月迄の5年間勤務した

 其の時、隣の島〔融資部企画グループ〕にいらしたのが、Facebook のお友だちになって頂いている高橋さん

【融資部(東京)事業調査室時代〔1981/04-1991/02〕】

[37]仕事の合間に撮影した事業調査室の皆さん&融資部企画グループの皆さん

 〔但し、写真では同企画グループの男性は高橋さんのみ〕と

 上記の模様を Facebook でご紹介した融資部(東京)事業調査室時代の写真が好評だったので、時間を2年半前に戻し、198311月〜198403月迄の同事業調査室研修時代の12月に銀座の居酒屋にて開催した、事業調査室員の皆さんと研修生合同の忘年会の模様をお届けする

【融資部(東京)事業調査室研修時代〔1983/11-1984/03〕】

[38] 事業調査室員の皆さんと研修生合同の忘年会 

 毎日深夜迄勉強に明け暮れた4ヶ月も暫しの息抜きの時間はホント楽しかった
 左上の写真右端が、事業調査室研修の講師、通称ビンチョク先生(伊藤敏直主任調査役(当時))

 左下の写真、真ん中の男性が、小生の担当教官だった一年次先輩に当たる遠藤調査役、凄く厳しく鍛えて頂いたが、仕事以外では joke を連発する愉快な方だった / 小生が融資部(東京)事業調査室に着任した時も先輩室員として色々教えて頂いた / 毎晩23時頃迄企業分析や業界関係 Report の執筆をされていたのには触発された / 此の方は東大法学部出身の方で、毎晩遅く迄仕事(=勉強)されていたのだから、敵う筈がないと思って小生も同じ時間迄、東京本部で残業を繰り返した / 此れも今は昔の物語!

 小生、融資部(東京)企画Gの美しく可愛い女性の皆さんと、2年半後に勤務先の同僚として再会出来るとは、此の時は夢にも思っていなかった!

 最後の都内の風景([右下]の写真下の二枚)は、研修時代に起居した旧行下高井戸単身寮9Fから眼下の首都高速道路・永福料金所と近隣風景

 中途採用で中国語ペラペラの在りし日の落合さん([右下]の写真右上の男性)も、香港支店に赴任する前に、我々と一緒に事業調査室研修を受けられた

 小生、一年年次が若い二人(と言っても小生と同い年)の原島君と藤井君([左上]写真真ん中の二人)と一緒の研修組だった

【秘書室時代〔1992/11-1995/05〕】

 小生、199102月に旧大蔵省検査部検査〔=MOF検〕P/Tとなり、融資部企画グループに係替えになり、名古屋本部への異動を命じられて約1年間、月月火水木金金の、しかも深夜2-3時の日も週に何日かある日々が続いた
 所謂TVドラマ【半沢直樹】のP/Tの半沢次長の下で貸出関係種類等の入った段ボールを持って走り回っていた部下が小生の役回り

 使命が貸出資産査定の営業店指導と、不良債権額の極小化だったこともあり、其の時代の写真が殆どない
 それは、MOFP/Tに続いて、日銀考査P/T10ヶ月程自己査定担当をした時も同様で、写真が全くと言っていい程残されていない

 そして、199211月、日銀考査が終わり貰った辞令が、「秘書室勤務を命ず」だった

 秘書室ヘ行って最初に読んだ(正式名称は失念したが‥)「秘書室手続」の第一条は今でも忘れていない「第一条 秘書室員は、虎の威を借る狐になるな」であった()

 1986/04東京本部→1992/11名古屋本部の通算607ヶ月に、更に1995/05迄の2年半が加わり、足掛け91ヶ月の本部生活が続いた

 小生、自分なりに気は使うのだが、ピンと来ない、気が利かない秘書室員だったので、2年半でお払い箱となったが、会長、頭取以下の役員や、中央・地元政財界の御歴々を銀行役員と繋ぐ役回りは、ホントしんどかった

 着任して半年で、融資部のデスクワークの運動不足で71kgあった体重が、61kg迄に10kg痩せた

 とは言え、役得もあった

 其れが、以前にも此の Facebook で紹介させて頂いた、中日ドラゴンズ激励会で、高木監督、落合、川俣、仁村、立浪各選手に会えたことだ()
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[39][]1993/03/24 中日ドラゴンズの左から、川俣、立浪、仁村薫選手と

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左下]高木守道監督と
[中下]中日ドラゴンズ激励会にて
[右下]名古屋の秘書室にて
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【後記】今日は、昨年1025日「舞坂宿」から始めた「東海道五拾三次之旅」についてご紹介して締め括りとする
 今年に入ってからは、9週連続 20.2km24.7km 歩いている
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[40][]舞坂宿→草津宿への凡その行程地図
 
[
] 9週間の walking 踏破距離と歩数一覧
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(1) 0102日 佐屋街道「津島神社」→「桑名七里渡」
(2) 0109日 東海道「桑名七里渡・桑名宿」→「四日市宿」
(3) 0116日 東海道「四日市宿」→「石薬師宿」→「庄野宿」
(4) 0123日 東海道「庄野宿」→「亀山宿」→「関宿」
(5) 0131日 東海道「関宿」→「坂下宿」
(6) 0205日 東海道「坂下宿」→〔鈴鹿峠〕→「土山宿」
(7) 0212日 東海道「土山宿」→「水口宿」
(8) 0220日 東海道「水口宿」→「石部宿」
(9) 0227日 東海道「石部宿」→「草津宿」

 では、また‥〔了〕

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